WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
「そう、それであなたは私の失策を、ご丁寧に指摘してくれると言う訳ね」
「詳細な戦闘ログを頂ければ可能です。双方の騎士団にとって有益な話かと思います」
いつもは英気を養う研究員の姿で賑わうラウンジには、今はカウンターで働く従業員の姿さえ見受けられない。
だだっ広い部屋の真ん中で、顔を突き合わせるように立っているのは、黒髪紅眼の美女ニネミアと、眼鏡姿が印象的な美女オリュザだ。
「ああもう……」
二人の姿を見るや、メリジャーナが頭を抱えてため息をついた。
今にも手が出かねないような一触即発の空気である。研究員たちが退散するのは賢明な判断だろう。何しろ二人は共に
エクリシアが誇る女傑ニネミアとオリュザの仲が悪いのは、実の所エクリシアの貴族たちにとっては周知の事実である。
貴族の見本のように気位が高いニネミアに、少々異常なほどに直截な物言いをするオリュザ。
二人は初対面の時から激しい言い争いを行い、それ以来は会うたびに険悪な雰囲気を作るようになっていた。普段はお互いが顔を合わせないよう周囲が尽力しているらしいが、どういう訳か今日は予定がかち合ってしまったらしい。
二人とも家格が高く、また実力も秀でているため、一度喧嘩が始まってしまえば、仲裁できる者もざらには居ない。
研究員が喜ぶのも無理はない。その数少ない一人が、ここに居合わせたメリジャーナ・ディミオスなのである。
女性騎士として先輩である彼女は、二人を真っ向から叱りつけることができる立場の人物だ。
また、メリジャーナは貴族としては珍しいほど親しみやすい性格をしているため、この二人が喧嘩をするたび、何度となく仲裁に呼び出されてきた。
「まったくもう。今回は何よ……」
喧嘩に慣れっこのメリジャーナは、げんなりとした表情でそう呟く。その時、
「あ、あの、お二人はどうして……何を……」
背後から、震えた声が聞こえた。
「――っ!」
驚いて振り返ったメリジャーナの顔から、サッと血の気が引いた。
そこに居たのは、まるで親の喧嘩を目の当たりにしたような、無力で弱々しく、哀れを催す子供の姿であった。
フィリアは顔面を蒼白にし、身体を小刻みに震えさせ、今にも泣き出しそうな表情で立ち尽くしている。
年齢不相応に大人びて優秀な、普段の少女からは考えられない姿だ。
両名とも、フィリアにとっては友人といえる間柄の人物である。
その二人が本気で諍いあっている姿に、少女はパニックを起こしていた。
以前、メリジャーナとニネミアが言い争いをしたのを見たことはあるが、その時の両名はただ昂ぶっていただけで、このように険悪な雰囲気と言う訳ではなかった。
おそらく彼女にとって、親しい人間、それも年上同士の喧嘩に立ち会うのは初めてのことなのだろう。貧民街という特殊な環境で、周りが敵ばかりであった彼女にとって、心を許せる人たちが争う姿は、並や大抵の衝撃ではなかったらしい。
「あの、やめて……なんで……」
本気で狼狽した様子の少女は、剣呑な気配を振り撒くニネミアとオリュザに、懇願するような声で話しかけようとする。
そんなフィリアの姿に、メリジャーナの頭は一瞬でクールダウンした。
「二人とも止めなさい!! 子供の前よ!」
「なっ――!」
「――!」
メリジャーナの一喝に、争っていた二人の美女は揃って言葉を失い、通路の方へと向き直った。
喧嘩の仲裁にメリジャーナが出てくることは珍しくも無い。ただ、今日の彼女の声音は普段とは明らかに異なっており、まるで戦場で下知を飛ばすかのような緊迫感である。
「な、あなたたち何処から……」
「騎士メリジャーナ……と、騎士フィリア?」
ニネミアとオリュザは激憤するメリジャーナに気付いた後、彼女の隣で立ち尽くす少女に目を吸い寄せられた。
普段の姿を知る者からは想像もできない、動揺も露わなフィリアである。
その理由が自分たちの諍いにあると気付くと、流石の二人も舌鋒を引っ込め、気まずそうに互いの顔を視線で探る。
「そ、そう。それじゃあ私はもう帰るわ」
「待ちなさい」
息苦しさに耐えられず逃げ出そうとしたニネミアを、メリジャーナの有無を言わせぬ声が制した。
「な、なによ……」
「座りなさい。オリュザさん、あなたもよ」
「……はい」
地獄の底から響くような声で命令されて、さしもの二人も反抗の気力を失った。
ニネミアとオリュザは大人しく丸テーブルを囲む椅子に腰を下ろし、
「フィリアさん、大丈夫?」
「……はい」
メリジャーナとフィリアも、椅子を寄せて席に着いた。
× × ×
「さて、それじゃあどういう事か説明してもらえるかしら」
足を組んで椅子に腰かけるメリジャーナは、氷河のように冷酷な眼差しでニネミアとオリュザを見遣る。
普段は温和で朗らかな印象の強い彼女だが、こうして眦を決すると、さながら女帝の如き壮絶な威圧感を纏うようになる。
「あ……そ、そうよ、この子が悪いのよ」
「ことの善悪は主観の問題のはずですが。少なくとも、急に声を荒げだしたのはゼーン閣下が先です」
「っ、あなたが無礼なことを言うからでしょうに!」
「二人とも、そろそろ本気で怒るわよ?」
「「~~っ!」」
又しても言い争いを始めたニネミアとオリュザに、メリジャーナが恐ろしいほどドスを利かせた声で凄む。眉一つ動かさず人を殺しそうなその表情に、流石の二人も口を紡ぐ。
「貴方たち軍人でしょう。時系列に則って事実のみを話しなさい」
観念した二人が話すところによれば、こうだ。
研究所に所用があった二人は、偶然ラウンジで鉢合わせをしたらしい。
普段は碌に挨拶もしない仲だが、今回はオリュザの方からニネミアに話しかけた。
内容は、先日ゼーン家が行った「山岳国家アクラー」への遠征記録を、フィロドクス騎士団に提供してくれないか。との要望である。
だがニネミアはその申し出をにべもなく断ったそうだ。
これに気を悪くしたのがオリュザである。遠征の記録は国の共有すべき情報であり、秘匿するのは協定に反すると、理詰めで反論にかかった。
そこから先は、いつも通りの罵り合い、貶し合いである。
「……はあ」
メリジャーナは白い指先でこめかみを抑え、さも呆れたようにため息を吐く。
結局、二人の相性の不味さが引き起こした、いつも通りの喧嘩である。
確かに、理屈の上ではオリュザの言い分は正しい。遠征の記録は国の共有財産である。諸外国の情報は教会で取りまとめられ、必要に応じて各騎士団が情報開示を求めることになっているが、騎士団同士で検討会を開くことも多い。
フィロドクス騎士団は特に情報の収集と解析に熱心で、イリニ騎士団やゼーン騎士団も遠征に際して助言を求めたことは少なくない。そのフィロドクス騎士団から情報提供を求められたのならば、応えるのが筋というものだろう。
ただし、今回のゼーン騎士団の遠征は、散々な負け戦であった。
山岳国家アクラーに攻め入ったニネミア率いる精鋭部隊は、しかし急峻な地形を用いた敵の防御陣地に手古摺り、殆ど戦果を挙げることができずに撤退した。
数名の捕虜を捕らえ、また味方に人的損害は無かったものの、遠征に投入したトリオンは莫大で、とても回収の目途は立たない。
トリオン目的の遠征としては、まず大失敗といっていい。
誰よりも貴族としての矜持が高く、また若いながらも騎士団の総長を務めるニネミアは、随分と自責の念に苛まれていたことだろう。
そんな彼女の事情に思い至れば、まだ失敗の記憶も新しいこの時期に、負け戦の記録を寄越せなどとは口が裂けても言えないのだが、難儀な性格のオリュザはそれを言ってしまったのである。
ニネミアも、余り自制の効く性格ではない。
日頃の悪感情も手伝って、過剰に反応してしまったのだろう。
「……」
「……」
二人は大人しく椅子に座っているが、今も怒りは収まっていない様子だ。
それでも喧嘩を再開しないのは、先輩であるメリジャーナが睨みを利かせているのと、
「フィリアさん、平気? 無理しなくてもいいのよ。辛いなら言ってね」
「…………はい」
今にも泣きだしそうな顔で俯いている少女の存在があるからだ。
フィリアと知り合って二年近く立つが、彼女が喧嘩一つでここまで狼狽えるとは、メリジャーナも困惑を隠せない。
それは喧嘩の当事者たちも同感であるらしく、弱々しい少女の姿を目にして、ばつが悪そうに視線を虚空にさ迷わせている。
「あの、ゼーン閣下、騎士オリュザ、その、あの……」
フィリアがつっかえつっかえに、喉の奥から言葉を絞り出す。その声は震えていて、今にも涙声に変わりそうである。
「な、なにかしら……」
「……何でしょうか」
ある意味では座の空気を支配している少女の呟きに、二人の美女は判決を言い渡される罪人のように面持ちを固くする。
「わ、私にできることなら、なんでもします。……お二人が、喧嘩をなさらないよう、どうすればいいのか、教えて下さい」
とにかく場を修めたい一心なのだろう。そう言って、フィリアは健気にも頭を下げた。
「……」
メリジャーナの冷たい視線が二人に突き刺さる。
関係のない子供にここまで言わせておいて、まだ我を張るつもりかと、無言のままに詰問している。
「……あなたには関係のないことよ。私とその子がしでかしたんだから。……でも、そうね、反省したわ」
ニネミアがそう言って詫びる。オリュザも、
「騎士フィリアが気に病むことはありません。どうぞ顔を上げてください。あなたにふさぎ込まれると、私も心苦しいです」
無表情はそのままに、しかし声には幾分心配の色をにじませてそう言う。
お互い相手の事を許したわけではないが、一先ずフィリアの顔を立ててここは引き下がることにしたらしい。
「貴族としての立場やしがらみもあるでしょうが、その前に、二人ともいい大人なんですから、言動には気を付けてください」
メリジャーナがそう纏めると、二人は不承不承と返事をした。
そして一応の決着がついたとみるや、二人は椅子から立ち上がり、そそくさとラウンジを後にした。これ以上もめごとが起きぬよう、二人は別々の方向へと歩いていく。
残されたメリジャーナはラウンジのカウンターに入ると、慣れた手つきでフィリアの好物であるホットチョコレートを淹れてやった。
「はいどうぞ」
「……ありがとうございます」
少女は湯気を立てるカップを両手で持ち、少しずつ口を付ける。
だいぶ落ち着いたようで、いつもの気丈で冷静な佇まいを取り戻しつつある。
「ごめんなさいね。大変な現場に立ち会わせてしまって……」
「……いえ。メリジャーナさんも、お疲れ様でした」
愛想笑いが浮かべられる程度に回復したフィリアに、メリジャーナは大げさな仕草で項垂れ、ニネミアとオリュザの仲の悪さを説明する。
なるべく気楽な調子を装い、軽い言葉を選んで務めて明るく話すのは、少女がことを重く受け止めないようにするためだ。
「結局、相互理解が乏しいのよね。まあ、所属する家が違うから、接点が無いのはしかたないんだけど……」
気位が高過ぎるニネミアに、愛想がまるでないオリュザ。両者の性格の不一致が、仲たがいの原因だ。
灰汁の強い性格同士である。これはもう仕方のないことで、彼女たちの仲は初めて会った時からずっと険悪なままだ。
メリジャーナやフィリアなどは、その両名の性格を把握しているので、仲良く付き合うこともできるのだが、今まで一度も歩み寄った事のない両者に、お互いを理解しろというのは無理な話だろう。
「あの子たちも、喧嘩ばかりしていてはダメなのはわかっているはずよ」
そう言って、紫髪の美女は冷えた炭酸水を口にする。
ニネミアとオリュザは、ゆくゆくはエクリシアの柱石となる人物である。
騎士団同士の功名争いや切磋琢磨は当然のことだが、同じ国に住まう以上、度を越して不仲というのはいかにも不味い。
苦手意識や悪感情というモノは、年月を重ねるほどに凝り固まっていくものだ。
「何か、仲直りさせる方法があればいいのにね」
メリジャーナがそうぼやくと、フィリアはじっと手元のカップへと視線を落とす。
「分かりました。私も何か考えてみます」
金色の瞳に光を宿らせ、少女は力強くそう言った。