WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の七 名案?

 初夏の涼風がそよそよと、少女の肌を優しく撫でる。

 

 おぼろげな視界に映るのは庭園の緑。それもまだ造園の途中と思しき風景で、あちらこちらに掘り返した土が積み上げられ、苗木や種などが置いてある。

 周囲の景色から察するに、そこはイリニ家本宅の中庭だろう。近くに噴水があるということは、ここはあの芝生の広場だろうか。

 少女はもっと周りを良く見ようと身を捩るが、身体が全然言うことを効かない。

 

 それでも不思議と、少女には一欠けらの不安も無く、春の日だまりに抱かれたように、ただ暖かな安らぎだけがある。

 諸々の疑念は、押し寄せた睡魔にあえなく追い散らされてしまった。

 少女はあくびを一つして、夢の世界へと旅立とうとする。その時、すっと彼女の顔に影が差した。

 

 金色に輝く豊かな髪と、翡翠のように輝く瞳をした美しい女性が、蕩けそうな笑顔で少女を覗き込んでいる。

 年の頃は二十に届くかどうかといったところか。未だ少女期の瑞々しさを残した女性は、この世の全てを祝福するかのように少女に微笑みかけている。

 

 ついで聞こえたのは、低く張りのある男の声。

 今にも睡魔で落ちそうな瞼を必死に開き、声の方を眺めて見れば、女性と同じ髪色と瞳をした凛々しい男性がいる。

 その彼は女性に何か揶揄されたようで、困ったように頬を掻きながら近づいてくる。

 

 若い男性は何事かをぼやきながら、大きな掌で少女の頭を撫でた。

 温かくごつごつした手は、少女にえも言われぬ幸福と平穏をもたらす。

 

 ただ力加減に慣れていないようで、ぐりぐりと撫でくり廻された少女は、眠気も相まって非常に不愉快な気持ちになった。

 その思いを言葉にすることもできず、喉から泣き声を迸らせて不快感を表明する。

 

 すると凛々しい若者は驚いて固まってしまい、美しい女性はわたわたと慌てふためいて、少女の機嫌を取ろうとする。

 そんな二人の仕草が余計に癇に障ったのか、少女はさらに力を込めて泣き喚く。

 

 小さな小さな暴君に、若い二人は為す術もなく狼狽えてしまう。

 少女は両手足をもじもじと動かして、傍若無人の限りを尽くす。

 

 だがその時、彼女の耳に美しい歌声が響いた。

 小鳥がさえずるような、花が風にそよぐような、何処までも可憐で優しく、それでいて力強さを感じさせる不思議な声。

 同時に、少女の身体が波間に漂う小船のように、緩やかに揺すられる。

 

 優しい歌声に包まれ、ゆらゆらと揺れ動くうちに、何に機嫌を損ねていたのかも思い出せなくなってしまう。

 身体を包む暖かさ。訳もなく心が落ち着く匂いに、再び眠気が湧き起こってくる。

 

 みゃごみゃごと言葉にならない声を上げて、少女は睡魔に身を任せることにした。

 そうして眠りに落ちる刹那、彼女の瞳にとある人物が映った。

 

 雪のように白い髪を下げ、褐色の肌をした美しい大人の女性である。

 子守唄を口ずさみ、幼子を腕に抱いた彼女は、金色の瞳を柔らかく細めると、寝息を立て始めた少女をいつまでも見つめ続けていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ん……うゅ」

「あ、目が覚められましたか?」

 

 目を覚ますと、フィリアの目の前には黒髪の乙女、オルヒデアの笑顔があった。

 二三度瞬きをすると、次第に頭がはっきりとしてくる。

 頭の下に柔らかく暖かな感触がある。どうやら彼女に膝枕をされているらしい。

 

「……え、あ、すみません!」

 

 前後の記憶を思い出した少女は、慌てて上体を起こす。

 観劇をしながら寝入ってしまうなど、失礼にも程がある。

 捕虜と監督官という立場を忘れ、少女は居た堪れなさに身を硬くする。だが、

 

「少しは気分転換になられましたか?」

 

 オルヒデアは柔和な笑顔を浮かべ、さも満足そうにフィリアへと問いかける。

 

「それは、あの……はい」

 

 心安らかに睡眠をとれたのは事実である。最近は何故か眠りの質が悪いことが多かった。これほど安らかに眠ったのは、果たしていつ以来だろうか。

 

 それに何か、とてもいい夢を見たような気がする。

 五体の隅々まで気力が満ち溢れている、とても気持ち良くすがすがしい目覚めだ。

 

「でも……不覚です。こんな時間までご迷惑をかけてしまって」

 

 端末を起動して時刻を確かめれば、フィリアはたっぷり二時間も寝ていたことになる。

 太陽はだいぶ傾き、既に夕刻に差し掛かろうという時間だ。

 

 今日の予定はオルヒデアの様子見だけだが、帰りの時間を考えるとそろそろ発たねばならない。車番をしている部下も待ちくたびれていることだろう。

 フィリアは上体を起こし、膝を揃えて座りなおすと、背筋を伸ばして正座をしているオルヒデアに、ぺこりと頭を下げた。

 

「ありがとうございました。お蔭で心地よい一睡を得ることができました」

「それは何よりです。フィリア様、随分とお疲れのようでしたから」

「……そんなに顔に出ていましたか?」

 

 確かに最近は睡眠時間もあまり取れず、疲労がたまっている自覚はあった。他人には気取られぬよう振る舞っていたつもりだが、彼女には見抜かれてしまったらしい。

 

「なんとなく、です。身近に頑張り屋さんがいたので、分かってしまうみたいですね」

 

 そういって、オルヒデアはあっけらかんと笑う。

 今は接触軌道上に他国が存在しない、いわば自然的な休戦期なのだが、その分、騎士団には書類仕事が山積している。騎士となったフィリアもその例外ではなく、事務作業に忙殺される毎日だ。

 

 尚悪い事に、向上心の塊のような少女はそんな時期であっても自らのトレーニングを欠かさない。必然、睡眠時間はごりごりと削られることになる。

 特に最近は私事でも悩みがあり、険悪な友人の仲をどうにかして取り持てないかと、夜も眠れずに悩む日々だ。

 

「私などでよければ、何でもお話してくださいね」

 

 何故か瞳を爛々と輝かせ、両手を胸の前でぐっと握りしめると、オルヒデアは愚痴や悩みがあれば何でも相談してくれと意気込む。

 乙女の思いがけない押しの強さに、フィリアはぽつりと、

 

「喧嘩した人を仲直りさせるには、どうすればいいのでしょうか」

 

 と、少女を散々に悩ませている問題について口を滑らせてしまった。

 言ってから後悔するが、もう遅い。オルヒデアはぐいと前のめりになり、

 

「まあ、それは大変ですね! 詳しいお話をお聞かせ願えませんか?」

 

 と、尋ねてくる。

 フィリアも口にした以上は途中で止める訳にもいかず、事の経緯を掻い摘んで話すことにした。

 

「なるほど……その御友人二人が、いつも仲違いばかりされているのですね」

 

 話を聞くと、オルヒデアは顎に手を当て視線を落とし、さも思案していますといった顔を作る。元が凄まじい美人にも関わらず、どことなく似合っていないように見えるのは、彼女の性格を知るがためだろうか。

 

「お二人とも、決して悪い方ではないのですが、もう相互理解を諦めているようなありさまで……」

 

 あの時の光景を思い出すと、未だにフィリアは胃の中のものがせり上がってくるような悪寒を感じる。我ながら恥ずかしいことだが、友人の諍いにあれほどショックを受けるとは思ってもみなかった。

 それだけに、少女は何としても彼女たちの仲を取り持ちたいと願っている。

 

「――ふふっ、名案を思い付きました」

 

 ピンと人差し指をたて、オルヒデアはさも得意そうな顔を浮かべる。

 黙っていれば臈長けた美人なのだが、浮かれ気分の彼女は随分と幼い印象を受ける。

 あるいはこれが彼女の生来の姿なのかもしれない。少しは心を開いてくれたようで、フィリアもなんとなく嬉しくなる。

 

「私の実体験からですので、まず間違いないかと。……フィリア様。ここは一つ、皆様で御同衾なされてはどうでしょう」

「はい?」

 

 思わず少女は間の抜けた声で聞き返した。

 

「あの、えっ……同衾、といいましたか?」

「はい。一緒のお布団で寝るのです」

 

 聞き間違いであってくれ、との少女の願いは虚しく、乙女は満面の笑みでそう言う。

 ニネミアとオリュザ。あの二人を、同じ寝台に寝かせる。

 想像するだけで胃に穴が開きそうな光景だ。同衾はおろか、同じ部屋に入れただけで、五分と待たず喧嘩を始める二人である。

 

「その案は少し、難しいかと思いますが……」

「いえいえ、確かにいきなりは無理ですよ。でも休日を同じ家で過ごして、いろいろ遊びやお喋りをして、最後に布団を並べて眠るのです。同じ時間と体験を共有すれば、自然とお互いの事が分かりますよ」

「合わない相手とすると、苦痛にしかならないような……」

「そんなことはありません。きっとうまくいきます! ……多分」

 

 難しい顔をするフィリアに、オルヒデアが力強く太鼓判を押す。

 何でも彼女が祖国に居た時、同じようなことを友人たちとしていたそうだ。

 

 気心の知れた友を家に招いて、一晩思い思いに語り明かす。

 近況の報告から胸を悩ます相談事、華やかな色恋の話や、日ごろ溜まった鬱憤を気が済むまで吐き出すこともある。

 当然男子禁制であり、彼女の兄はお泊り会の度に知人の家へと避難していたらしい。

 

「胸襟を開いて話し合うことが肝要なのです。菓子や飲み物、遊びを用意するのは、身も心も寛げるようにするためですね」

「……ふむ。なるほど」

 

 そこまで聞けば、なかなか悪くない話にも思えてくる。

 ニネミアとオリュザの仲の悪さは生半可なモノではない。ちょっとやそっとのお膳立てでは焼け石に水だろう。いっそ無理からでも逃げ場のない場所に閉じ込めてしまった方が、まだしも進展が見込めそうである。

 

「そうですね。検討してみようと思います。ご意見、ありがとうございます」

「それは良かったです。御友人方が仲良くなれるよう、私もお祈りしますね」

 

 フィリアが丁寧に礼を述べると、オルヒデアは晴れやかに応じる。

 二人が座る木陰を、清涼な風が吹き抜けた。

 

 思えば随分長話をしてしまった。フィリアはズボンを軽く叩きながら、芝の上へと立ち上がる。

 いくらなんでも、そろそろ屋敷を発たねば帰りが遅くなりすぎる。

 

「あの、私はもう帰らねばなりません。申し上げにくいのですが、オルヒデアさんにも館に戻っていただきたく……」

「はい。それは勿論、なのですが……」

 

 オルヒデアが笑顔のまま、若干たじろいだ様子を見せる。

 貴重な外での時間を、フィリアのために潰してしまったのだ。何か心残りが有るのだろうかと、少女は申し訳なさそうに視線で窺う。

 だが、乙女は両手を少女の前に差し出すと、

 

「足がすっかり痺れてしまって……フィリア様。どうか立たせて頂けませんか」

 

 よっぽど辛いのか、目じりに涙まで浮かべてそう言った。

 

 そうして二人は中庭を縦断し、館への入り口近くまで戻った。

 別れる前に、面談の仕上げを行わねばならない。

 一応は仕事で来たので、形だけでもそれらしく取り繕っておく必要がある。

 

「では、しばらくは職業訓練を受けていただくということで。トリオン供出はこれまで通り続けてください」

「はい。承りました」

 

 予定を再確認し、投影モニターにメモを書きつけると、それで視察は終了である。

 

「……随分時間を取らせてしまいました。謝罪いたします」

「とんでもありません。私も楽しかったですから」

 

 居眠りが余程恥ずかしかったのだろう。小さくなって謝るフィリアに対し、オルヒデアは毛ほども気にした様子もなく応える。

 

「あの、オルヒデアさん」

「はい。なんでしょうか」

「常々疑問ではあったのですが、なぜあなたは私にここまで良くしてくださるのですか? あなたからすれば、私は許しがたい仇敵のはずです」

 

 乙女の泰然とした態度に常々不審を抱いていた少女は、ついそのことについて尋ねてしまった。彼女の温和な性格と、フィリアが未だ少女に過ぎないことを加味しても、いくらなんでも好意的すぎる扱いだ。

 以前ははぐらかされたが、今回ばかりは答えを聞いておきたい。

 

「……そう、ですね。恨みや怒りが無いと言えば、きっと嘘になります」

 

 すると、オルヒデアは悲しそうな微笑みを浮かべてそう呟く。

 

「踏みにじられた故国の姿を思うと、今でも胸の内に暗い憎しみがこみ上げてきます。いえ、たぶんきっと、この思いは終生消え去ることはないでしょう」

「……では、なぜ?」

 

 続きを聞くことを恐れながらも、フィリアは敢えて問う。

 彼女はあくまで捕虜で、しかも神の候補者だ。

 ここで彼女の恨みつらみを聞くことなど、今後に何のメリットもない。しかし、少女はこの風変わりな異国人の心が、どうしても知りたかった。

 

「フィリア様が、お辛そうだったからです」

「えっ――」

 

 まるで予期していなかった答えに、少女は言葉を失う。

 いったい彼女は自分の何を見て、そんな思い違いをしたのだろうか。フィリアは家族を救うため、覚悟して戦場に立ったのだ。今更何を――

 

「悔悟の情、敗者への憐憫。フィリア様にお会いしたとき、あなたがそれらに苦しんでいることはすぐにわかりました。だから、私は怒ることは止めようと決めたのです」

「っ――」

「この世界で、他国を侵したことのない国など一つもありません。そんな修羅の巷でも、――フィリア様。あなたのように心優しい人はいるのです。どうして嫌いになれましょうか」

 

 オルヒデアはそういって、莞爾として笑ってみせる。

 その引き込まれるような笑顔に、フィリアは言葉を失ってしまう。

 

 殺し合いが常態化してしまった近界(ネイバーフッド)で、それでも命を尊ぶ思いを忘れてはいない。

 それだけのことで、乙女は自らが受けた暴虐を許すという。

 

「本当に忌まわしいのは、他者の血を求め続けるこの世界。最近はそう思うようにしています」

 

 笑顔に寂しげな影を差し、オルヒデアはそう言う。

 

「いつかこの世界から、争いが無くなればいいのですけれど……私は無力で、何もできませんから」

 

 夢物語と知りつつも、そう願わずにはいられないのだろう。そう呟く乙女の横顔は、今にも消えてしまいそうに儚い。

 

「――そんなことありません! オルヒデアさんには歌が、音楽があります」

 

 そんな彼女の切ない思いに、フィリアは我知らず声を上げていた。

 

「――え?」

「あの、えっと……オルヒデアさんの演奏を聞いたら、身体が震えて、頭がじんとして、とにかくとても感動しました。だから、あの音楽が皆に届いたらきっと……」

 

 人の心の中から、戦争が消えてしまうのではないか。

 続きを言葉にすることは、流石にできなかった。

 

 近界(ネイバーフッド)で起こる争いは、トリオンを巡っての資源戦争である。

 国家の構造そのものに由来する問題が、終わりなき戦火の原因なのだ。

 人々の心が厭戦気分に染まったとしても、戦争が終わることは決してない。

 

 むしろ、反戦を匂わせるような歌を歌い続ければ、遅からず統治者から弾圧を受けることになるだろう。

 オルヒデアの言った通り、近界(ネイバーフッド)は修羅の世界だ。

 

 この世界で暮らすほぼ全ての人間が、戦争は避けることのできない人の営みであり、なればこそ自らの国を勝たせるべきだと硬く信じている。

 平和を希求する者、博愛を縹渺する者は、反体制的な人間として社会から抹消されるほかない。

 オルヒデアに平和ために歌えというのは、それほどに酷なことであった。

 

「ありがとうございますフィリア様。私の粗末な芸を、そこまで褒めていただいて……そうですね。歌は人の為に歌うもの。私にできることも、何かあるかもしれませんね」

 

 だが、乙女は少女の必死の励ましを素直に受け取ったようだ。

 

「いろいろ至らないところも御座いますが、これからもどうぞ良しなにお願いします」

「……はい。できるだけご要望に沿えるよう、私も努力いたします」

 

 どちらからともなく、二人は手を伸ばして握手をする。

 捕虜と監視官に芽生えた奇妙な友情に、くすりと忍び笑いが零れる。

 春風が心地よく吹き抜け、二人の頬をそっと撫でる。

 ふと、爽やかな緑の香りが漂った。

 

 

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