WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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大変多くの方に読んでいただき、感激しております。
拙い作品ですが、これからもお付き合いいただければ幸いです。


其の八 女子会大作戦 前篇

 茫漠と広がる砂の大地。

 吹き荒ぶ風は砂塵を巻き上げ、視界を靄のように遮る。

 大量の砂は幾重にも積み重なり、朽ちかけた街を貪婪に飲み込もうとしていた。

 

 生物の息吹が存在しない死の世界。

 その静寂に満ちた空間を、けたたましい戦闘音が打ち破った。

 

「全周警戒! 銃手を中心に円陣を組め」

 

 大地に刻まれた優美な砂紋を踏み散らし、黒い軍服を着た十人の一団が、砂に沈んだ廃墟の街を駆け抜ける。

 彼らはイリニ騎士団に所属する従士たちだ。

 

 小銃や剣で武装した年若い戦士たちは、半ば砂に埋もれた建造物の屋根へと飛び上がり、緊迫した面持ちで周囲を警戒する。

 

「っ、三時方向から来ます!」

 

 恐怖を押し殺した声で、一際若い少年兵が叫ぶ。

 

 その視線の先、砂に埋もれた街路には、猛々しくも流麗な鎧を纏う騎士の姿がある。

 長剣を携えた騎士は背面のスラスターを轟然と噴かし、凄まじい速度で従士たちへと接近しつつある。

 

「火力を集中させろ! 剣士は斬り込みに備えるぞっ!」

 

 年嵩の男性の指示を受け、従士たちは一斉に迎撃の陣を敷く。

 

 小銃トリガー「鉛の獣(ヒメラ)」、狙撃銃トリガー「錫の馬(モノケロース)」を構えた従士たちが飛来する騎士へと猛烈な射撃を加え、長剣トリガー「鉄の鷲(グリパス)」、大盾トリガー「銀の竜(ドラコン)」で武装した従士たちは、騎士の突撃を阻むべく構える。

 

 しかし、地面すれすれを高速で飛翔する騎士は、まるで全ての弾丸の軌道を予見しているかのように、最小限の回避機動で飛来する弾雨を躱す。

 また被弾を免れない攻撃には、シールドトリガー「玻璃の精(ネライダ)」を用いて確実にこれを防ぐ。結果、オーバーキルも甚だしい攻撃を浴びたにも関わらず、騎士の純白の鎧には傷一つついていない。そして、

 

「来るぞっ!」

 

 飛翔する騎士は、従士たちの一団を射程内に捉えた。

 刹那の交錯で、従士たちの幾人かは騎士の刀の錆となる事だろう。だが、ここまで騎士が接近すれば、彼らにも痛撃を与えるチャンスはある。

 

「構えろっ!」

 

 近接装備の従士たちは裂帛の気合を込めて長剣を握る。だが、

 

「な――!」

 

 あろうことか、騎士はさらに高度を下げ、従士たちの陣取る建物の階下へと突入した。

 

「しまっ――!」

 

 隊長各の男性が言葉を失う。一斉攻撃で騎士を仕留めるつもりが、完全に姿を見失ってしまった。

 

 そして一瞬の間をおいて轟音が響く。

 階下から屋根をぶち破って現れた白亜の巨影が、瞬く間に隊長各の男を含めた数人を長剣で切り裂いた。

 

「撃て、撃てえっ!」

 

 銃手と狙撃手たちが咄嗟に射撃を浴びせかけるも、エクリシアが誇る「誓願の鎧(パノプリア)」は、少々の攻撃ではビクともしない。

 

 頑強な鎧に防御を任せ、騎士はなおも長剣を振るって従士たちを切り捨てる。

 鎧のパワーアシスト機能とオプショントリガーによって、長剣は目にも止まらぬ速度を得ている。そしてそれを振るうのは、エクリシアでも指折りの剣士、若き英雄フィリア・イリニだ。

 

 六人ばかりが瞬時に切り捨てられたところで、残りの従士たちは逃走を選択した。

 だがその判断さえも、最早遅きに失している。

 陣形が崩れた時点で、従士たちに勝ち目はなくなっていた。騎士は背を向けた従士にすぐさま追い縋り、据え物を斬るかのように両断していく。

 

 結局、騎士の突撃から一分と持たずに、従士たちは全滅となった。

 

「そこまで。勝者、騎士フィリア・イリニ」

 

 荒涼とした砂漠の街に、場違いに涼やかなオペレーターの声が響く。

 

 この砂漠の街は、トリオンで造られた仮想戦場である。風に舞う細かな砂も、朽ちかけた街並みも、すべては他国の情景を再現したものだ。

 イリニ騎士団の大闘技場で行われていたのは、騎士と従士の合同戦闘訓練である。

 

 騎士は多数を相手にしての経験を、従士は自分を上回る強敵と戦う経験を積むための訓練だ。出場者は騎士が一人に対して従士は十名となる。

 これは戦場におけるおおよその戦力比から算出された数字だ。熟練した騎士は、一人で十名の戦士に匹敵する戦力となる。

 それでもここまで一方的な試合展開は稀である。フィリアは入団僅か二年足らずにして、すでに一流を超える技量を身に着けていた。

 

「ふう……」

 

 少女は兜を解除すると、緩やかに息を吐く。多少の疲労は感じているが、十分に余力を残した勝利だ。

 彼女は瓦礫の山を飛び越えると、軽やかに闘技場を後にする。

 

 防護フィールドを抜けると、試合を観戦していた従士たちから一斉に拍手が沸き起こった。数百人を超える群衆に誉めそやされ、少女は困ったように笑みを浮かべる。

 それから、大スクリーンに試合内容を映し、検討会を行う。

 

 従士を教導するのも、騎士の大事な仕事の一つだ。

 昔は彼らに紛れて必死に剣を振るっていた少女も、今では彼らに教える側である。

 

 従士時代は散々だった評判も、今は嘘のように回復している。

 流石にかつての同輩には刺々しい態度を取る者も少なくないが、フィリアの武勲につられて入団してきた若者たちは、少女を信奉するかのように慕っている。

 

 従士たちに戦場の心得を説くフィリアの姿も、随分と堂に入ったものである。

 入団当初は抜き身の刃物のような危うさをしていた少女だが、様々な人との触れ合いを通じて、少女も人間的に随分と丸くなった。

 一通り解説を終えると、今度は従士同士の戦闘訓練が行われる。

 

 こうしてフィリアは滞りなく、日々の業務をこなしていった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 その日の夕方。従士の訓練を監督し終えたフィリアは、執務室で熱心にモニターへと向かっていた。

 

「お疲れ様。今日はもう上がりじゃないの?」

 

 隣の席からそう話しかけてきたのは、薄紫色の髪をした同僚メリジャーナだ。

 

「日報の作成は終わったのですが、折角仮想戦場で訓練をしたので、来季の遠征計画を考えようかなと思いまして……」

 

 フィリアは作業を中断し、行儀よく身体ごとメリジャーナへと向き直って答える。

 

 今回の訓練フィールドは、イリニ騎士団が次に遠征を行う惑星国家、砂塵の国アンモスの風土を再現したものである。

 先の訓練は、騎士の遠征の予行演習をも兼ねていたのだ。

 

 そして実際に砂漠で戦ってみると、思いのほか多数の問題点が見つかった。

 重たい鎧を着込んだ騎士は、砂上では想像以上に機動力を奪われる。

 スラスターを用いて飛行すれば問題ないが、その場合はトリオンの浪費が著しく、作戦時間が大幅に短くなる。

 また砂に足を取られるため近接武器での格闘戦は非常に難度が高い。

 

 そもそも砂漠では遮蔽物が少ないため、戦場は射撃武器が支配することになるだろう。

 とりあえずそれらの難点を踏まえたうえで、フィリアは教会から過去の遠征ログを取り寄せ、アンモス攻略の作戦を練っていた。

 

「私も主武装を「鉛の獣(ヒメラ)」に換装したほうがいいかもしれません」

 

 得手としているのは長剣だが、フィリアは小銃や狙撃銃の扱いにも長じている。

 これは少女の才が突出しているという訳ではなく、騎士として叙勲される条件の一つに、主要なトリガー全ての扱いに習熟する必要があるためだ。

 

 とはいえ、まだ遠征員の選抜も済んでいない時期からご苦労なことである。

 遠征員の選定は、総長アルモニアと軍団長によって行われる。フィリアがいくら志願したとしても、決めるのは彼らだ。

 

 しかし、フィリアは自分が次回の遠征に選ばれる可能性は非常に高いと睨んでいた。

 遠征には最精鋭の人員を当てるのが常道だ。技量の面から言えば、フィリアは申し分ない。またポレミケス侵攻では確かな実績を打ち立てており、市民からの期待も高い。

 

 それになにより、彼女のサイドエフェクト「直観智」は、敵情定かならぬ遠征においては命綱にも等しい能力だ。

 少女が遠征に呼ばれない理由は、無いと言ってしまって構わない。

 

「「灼熱の華(ゼストス)」も持ち込めればいいんですけれど……」

 

 ムムムと唸りながら、少女はモニターを眺める。

 新たに入手した大火力の砲撃トリガーがあれば、敵地の攻略は随分と容易になる。

 ただし、(ブラック)トリガーは本国の防衛にも廻さねばならないため、確実に投入できるとは限らない。

 

「来季の防衛はゼーン騎士団が主力ですか……」

「そうね。ただあそこは(ブラック)トリガーが一本しかないから、うちからも何本か出すことになるでしょうね」

 

 メリジャーナの返答に、フィリアは顎に指を添えて黙考する。

 

 イリニ騎士団の所有するブラックトリガーの数は三本。鹵獲した「灼熱の華(ゼストス)」が教会から戻ってくれば四本となる。これはエクリシアの諸勢力のなかでは突出した所持数だ。

 ゼーン騎士団は当主ニネミアの持つ「劫火の鼓(ヴェンジニ)」一本のみ。

 フィロドクス騎士団は「万鈞の糸(クロステール)」「潜伏の縄(ヘスペラー)」の二本。

 教会の奥深くに秘蔵されている(ブラック)トリガー「不滅の灰(アナヴィオス)」は、滅多な事でもない限り戦場に投入されることはない。

 

 防衛には最低でも二本、できれば三本以上の(ブラック)トリガーで当たるのが望ましい。

 必然的に、数に余裕があるイリニ騎士団が不足分を補うことになる。

 本国防衛が優先されるのは理解できるのだが、やはり少女としては遠征にも十分な戦力を投入してもらいたい。

 

「意見書を提出してみます」

 

 その為には、とにかく自分の意見、計画を形にすることだ。

 過去のアンモスの戦力と戦法を調べ上げ、攻略作戦を練り上げる。判断は上がすることだが、出来ることは全て行わねばならない。

 

「……あまり無理はしないでね、フィリアさん」

 

 意気込む少女に、メリジャーナはやんわりと注意する。

 ただでさえ大人顔負けの仕事量をこなすのに、最近は自主的に残業まで行っている。

 

 卓越した仕事ぶりからついつい忘れてしまいがちだが、フィリアはまだほんの子供である。体力はどうしても大人に及ぶところではない。無理を押して働き続ければ、何時限界が来るともわからない。

 

 自分の事にはとんと無頓着な少女である。

 メリジャーナはそんな彼女を気遣って、定期的に遊びに連れ出したりして息抜きをさせているのだが、やはり少女のワーカーホリックぶりはなかなか治らない。

 

「あ、そういえば……例の話、何かいい考えはおもいついた?」

 

 話題を変えようと、メリジャーナは急にフィリアに向かってそう尋ねた。

 例の話とは、ニネミアとオリュザを仲直りさせるための画期的な方法のことである。

 

「そのことでしたら……」

「あら、何か名案かしら?」

 

 フィリアはオルヒデアに吹き込まれたお泊り会の件を話す。

 正直なところ甚だ怪しいプランであったが、以外にもサイドエフェクトは成功の可能性が高いことを示していた。

 

 ただ、こうした遊びに関してフィリアは全くの無知である。内容を詰める為、メリジャーナに相談を持ちかけようと思っていたところだ。

 

「いいじゃない! 素敵ね」

 

 お泊り会の概要を聞くと、メリジャーナは手を打って喜んだ。

 それからとんとん拍子に話は進む。

 まず会場はディミオス家の屋敷に決まった。寝具を初めとした一式は、すべてメリジャーナが用意してくれるとのこと。

 

「でも、皆様お休みを合わせられるでしょうか?」

「一日まるまるでなくともいいわ。終業後にでも集まればいいのよ。幸い今の時期なら、そう難しくもないでしょうし」

 

 ニネミアの呼出はメリジャーナが、オリュザを誘うのはフィリアが行うことになった。

 きつい性格で有名なニネミアだが、あれで友人相手には義理堅い。そしてオリュザは約束事には極めて厳格だ。以前遊ぶ約束を交わしていたフィリアからの誘いなら、まず断ることはないだろう。

 

「でも、お会いになってすぐに険悪になってしまわれては……」

 

 あの時の情景を思い出したのか、フィリアが不安そうに呟く。

 

「う~ん……あの子たちも反省はしてるから、すぐに喧嘩になることはないでしょう。どちらかといえば、私たちに不満が向きそうね」

 

 メリジャーナはフィリアを励ますように、明るく笑ってそう言う。

 実際、憔悴したフィリアを目の当たりにして、あの二人も随分ショックを受けたようすである。少女がいれば、すぐさま喧嘩を起こすようなことはないだろう。

 

「というわけで、作戦が必要ね。綿密なプランを練りましょう。有無を言わさずこちらのペースに引き込むわよ」

 

 メリジャーナがにやりとフィリアに笑いかける。

 どうやら遊び心に火がついてしまったらしい。少女は書きかけの意見書を保存すると、

 

「承知しました。共にがんばりましょう」

 

 と、力強く頷いた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ありえない、本っ当ありえないわ。なに? 私のことがそんなに嫌いな訳?」

「騎士フィリアのたっての願いということでまかり越しましたが、流石にこの状況は……」

 

 お泊り会当日。広壮なディミオス家の門前で、ニネミアとオリュザは互いの顔を見るなり、そろって渋面を浮かべていた。

 

 双方共に、自分以外の参加者については聞かされていない。

 大嫌いな相手の顔を見たことで、発起人の意図を察したのだろう。怒りの矛先は、歓迎の笑みを浮かべているメリジャーナに向けられている。

 

「お誘いを受けていただき感謝の言葉もありませんわ。さあさ、どうぞ中へ。案内いたします」

 

 紫髪の麗人は刺すような視線をさらりと受け流し、ゲストを案内しようとする。だが、

 

「……魂胆は分かったわ。折角だけど、今日はもう帰らせてもらうわよ」

「……私も引き上げさせていただきます。このままではご迷惑をおかけしそうなので」

 

 だまし討ちが余程腹に据えかねたのだろう。ニネミアとメリジャーナは憤懣やるかたない様子で、さっと踵を返そうとする。

 

「あの、ゼーン閣下、オリュザさん……」

 

 そんな二人を弱々しく呼び止めたのは、褐色の少女フィリアである。

 

「騙すようなことをして、本当に申し訳ありません。けど……私、今日のお泊り会はきっと楽しくなると思うんです。だから、その、良ければ……」

 

 少女も二人と同じく、仕事上がりにお泊りセットを提げてディミオス家まで来ていた。

 黒い軍服を纏った少女からは、いつもの凛々しい気配は少しも感じられない。

 慌てたような表情で、身振り手振りを交えてニネミアとオリュザを慰留する姿はいじらしいの一言に尽きる。

 

 そんな彼女の姿を見てしまっては、流石の二人も誘いを無碍に断ることはできない。

 

「わかったわ。これは貸しにしておくからね」

「仕方ありません。今回だけですよ」

「――ありがとうございます!」

 

 パッと笑顔を浮かべたフィリアに、二人は観念したように首を振ると、揃って屋敷の門を潜った。

 

「お腹も空いたでしょう? まずは食事にしましょうか」

 

 メリジャーナの先導を受け、フィリアたちはまずディミオス家の食堂へと案内された。

 大貴族の邸宅に相応しく、室内は豪奢絢爛な調度品で飾り付けられている。女性たちはそれぞれ、装飾の施された天然木の椅子に腰を据えた。

 

 ほどなくして料理が運ばれてくる。

 これも贅を尽くした見事なコース料理で、メリジャーナの歓待のほどがうかがえる。

 

「――! とっても美味しいです」

「そう? よかったわ」

 

 そして、味も当然の如く素晴らしい。

 目を丸くして驚くフィリアに、メリジャーナは喜色を浮かべる。

 

 少女とてイリニ家では豪奢な宮廷料理を飽くほどに食べているのだが、それと比べても一段上、のように感じる。

 もっとも少女は極貧時代が長かったため、食べられる物なら大体美味しいと感じてしまうので、味についてはあまり当てにならないが。

 

 しかし、これだけの美食に舌鼓を打っているにも関わらず、食堂内の空気は冷え冷えと凍っていた。

 理由は勿論、冷戦状態にあるニネミアとオリュザの存在である。

 

 彼女たちは着席から一言も口を利かず、黙々と料理を片付けることに専念している。

 和やかな会食など、頭からする気がないといった風情だ。

 

 これではいくらフィリアとメリジャーナが気を使ってお膳立てしてもどうしようもない。ついには二人も言葉を失い、食堂には食器が触れ合う音だけが響くようになった。

 

「あの、オリュザさんはトリオン体を解かれないんですね」

 

 座の暗い空気に耐えられなくなったのか、フィリアが唐突にそんな話題を口にした。

 

 他の三人は仕事上がりからは生身で過ごしているが、オリュザだけはトリオン体で通している。

 トリオン体は極めて消化効率が良いのだが、満腹感を覚えにくく、気を付けないとすぐに身体に脂肪がついてしまうことになる。

 

 その為か、彼女は食べる量を随分とセーブしているようだ。

 節制をするつもりなら、生身の方が都合がいいはずである。それを不思議に感じたフィリアは、つい尋ねてしまった。

 

 声に出してから、すぐに失言であったことに気付く。

 

「警戒してるんでしょう? 臆病なことね。自分が食べられる訳でもないのに」

 

 と、それまで無言であったニネミアが、嘲るような調子でそう言った。

 

「……」

「――あ、あの」

「ちょっとニネミア!」

 

 オリュザは聞こえなかったかのように無言。フィリアは不穏な気配に慄き、メリジャーナは挑発的なニネミアを窘めようとする。

 

「別に何も間違ったことは言ってないわ。招待にあずかっておきながらトリオン体で来るなんて、フィロドクス家はどんな教育をしているのかしら?」

「――っ!」

 

 家の名を出されて、流石のオリュザも顔色が変わる。

 

 しかしこの場合、ニネミアの主張は正しい。礼を失しているのはオリュザの方だ。

 

 基本的にトリオン体は戦闘に用いるものであり、特別な事情でもない限り、私的な催しでは避けるべきとされている。

 

 帯剣をしたまま舞踏会に乗り込む者はいないのと同じで、人を軽く殺傷できるような出で立ちで相手を訪ねる礼儀作法は存在しない。

 マナーの観点から見れば、彼女の行為は無礼千万だといって間違いない。メリジャーナは何も問わなかったものの、相手次第では門前払いをされても何らおかしくはない所業だ。

 

「…………」

 

 そのことはオリュザも重々承知しているのだろう。

 彼女はニネミアの揶揄に何ら反論することなく、黙って俯いてしまった。

 無表情のままだが、握りしめたフォークが小刻みに揺れている。

 

「わ、私が変なことをお尋ねしたのが悪いんです。ごめんなさい」

 

 気まずい空気に反応したフィリアが、ぺこぺこと頭を下げて謝る。

 

「止めなさい。貴方が謝る事でもないし、そもそも貴族たる者がそんなに簡単に頭を下げるものではないわ」

 

 だが、ニネミアはさらに気を悪くした様子で今度はフィリアを窘める。

 場を取り成そうとする一心からでた行動だが、貴族としての自覚に満ち、体面が如何に重要かを知る彼女にとっては、少女の行動は許しがたいモノに見えたのだろう。

 

「~~っ!」

 

 フィリアは返す言葉も無く項垂れてしまう。

 メリジャーナが取り成すことでその場は何とか収まったが、晩餐会の雰囲気は最後まで良くならず、少女は折角の御馳走を砂を噛むような思いで味わうことになった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ま、まあ気を取り直していきましょう。皆さんお仕事お疲れ様でした。ゆっくり汗を流してくださいね」

 

 険悪な晩餐会が済むと、メリジャーナはフィリアたちを大浴場まで案内した。

 予定では、次は皆で入浴することになっている。

 フィリアはゲスト二人の反発を危惧したのだが、メリジャーナは強気に予定へと組み込んでしまった。

 

「はぁ? 一緒に入れっていうの? あなた、ちょっと頭でも打ったの?」

 

 予想通り、ニネミアは端正な顔を歪めて猛反対する。

 入浴は心身の汚れや凝りを洗い流し、穏やかな心地を与えてくれる。湯船にとっぷりと浸かりリラックスすれば、自然と仲も深まろうというものだ。とはメリジャーナの弁。

 しかし、それは元々気心の知れた間柄に限るのではないか。

 

 騎士団に務めている彼女たちは、他の人間と風呂に入るという事態には慣れている。

 とはいえ、入浴を通じて友情を深めようという試みは初めてである。人見知りの気があるフィリアにとっては、いささか難度が高過ぎる。だが、

 

「そんなこと言わないでニネミア。昔はよく一緒に入ったじゃない」

「ちょっ、何年前の話よ! ってバカ、触らないで頂戴!」

 

 メリジャーナはニコニコと笑顔でニネミアに絡み、服を脱がしにかかっている。温和な風貌に似あわず押しの強い幼馴染に掛かっては、勝気な彼女も形無しだ。

 

(すごい……)

 

 自分のペースに巻き込むことで気まずい空気をうやむやにしてしまったメリジャーナに、フィリアは素直に感心する。とても自分には真似できない芸当だ。

 

(……あれ?)

 

 フィリアは軍服を脱ぎながら、騒がしくする二人から視線を逸らす。

 

 すると脱衣所の隅に立ちすくんでいるオリュザの姿があった。

 いつも通り無表情だが、どこか緊迫しているような気配を感じる。

 彼女も気を悪くしていたのかと、少女は慌てて近づいた。

 

「オリュザさんも、御一緒にお風呂は嫌でしたか?」

 

 フィリアが申し訳なさそうに尋ねると、

 

「いえ、そう言う訳ではないのです」

 

 オリュザは困ったように弁解する。そして、

 

「なんとか、大丈夫でしょう」

 

 少女が聞き取れないほどの小声で呟くと、彼女はトリオン体を解き、服を脱ぎ始めた。

 

 大理石を用いて造られた浴場は、貴族の邸宅ということを差し引いても豪華極まる出来であった。三十人は楽に入れそうな湯船に、雅趣溢れる細工が施された壁や柱。

 まるで古代の神殿に迷い込んだような、家風呂としては些かやりすぎの感がある浴場だ。

 家格としては上位にあたるイリニ家にも、ここまでの設備は無い。

 

「相変わらず、あなたの家の浴場は凄いわね」

「でしょう? こればっかりは自慢なのよね」

 

 家主とその幼馴染は流石に慣れたもので、すたすたと浴場を歩いていく。

 威容に呆然としていたフィリアも、すぐに気を取り直して後に続いた。ただ、

 

「あの、どうかされましたか?」

 

 振り返ってみると、オリュザはまだ浴場の入り口に立ったままだ。

 怪訝に思った少女が声を掛けると、灰色の髪の乙女は何食わぬ顔で歩き出す。

 

 そうして四人は横並びに座り、身体を洗い始めた。

 

「フィリアさん。随分背が伸びたわね」

 

 メリジャーナが丁寧に髪を泡立てながら、フィリアにそう言う。

 

 成長期真っただ中の少女は、この二年で驚くほど大きくなった。

 貧民時代は栄養が足りていないこともあって同年代よりも小柄だったが、今では平均より少し高いぐらいである。ただ、

 

「はい。でも、手足ばかりが枝みたいに伸びてしまって……」

 

 と、少女は困り顔で返す。

 

 ぐんぐん伸びた骨に肉が追い付かず、少女の身体は針金細工のように細い。

 その上騎士団ではトレーニングに励むのだから、一見すると少年のような体つきである。

 

 妹のアネシスに影響されて身だしなみにも気を使いだし、また密かにパイデイアやメリジャーナのような母性豊かな女性に憧れを抱いている少女にとって、今の自分の身体は満足には程遠いものであった。

 とはいえ、自分の命さえ顧みなかった少女が、成長途中の身体にコンプレックスを抱くようになったのは、疑いようもなく大きな変化だろう。

 

「まだまだこれからですよ。もう一、二年もすればもっと綺麗になるわ」

 

 いずれは少女のトリオン体のように、しなやかで均整のとれた美しい身体になると、メリジャーナは見てきたように太鼓判を押す。

 

「でもやっぱり、メリジャーナさんみたいにお綺麗には……」

「え~そんなことないわよ?」

 

 泡だらけの髪を丁寧に洗い流す同僚を、フィリアは横目でそれとなく見る。

 しっとりと滑らかな肌に、豊満でありながら気品のある肢体。エクリシア中に男性ファンがいるのも頷ける美貌である。

 少女は純粋な感嘆と共に同僚を眺める。その時、

 

「…………」

 

 同じくメリジャーナを見ていたらしいニネミアと、ばっちり視線があった。

 

「――っ!」

「え、わ、すみません!」

「え、なに、どうしたの?」

 

 ニネミアにキッと睨まれてしまったフィリアは、反射的に謝ってしまう。

 丁度髪を流していたメリジャーナは何事かと驚くが、

 

「な、なんでもないです……」

 

 少女は慌てて誤魔化した。黒髪の乙女が鋭い視線で制したからだ。

 

「もうっ、さてはまたニネミアが何かしたわね!」

 

 だが、幼馴染には先刻承知らしい。

 メリジャーナは急いで髪を流し終えると、右隣の乙女を叱りつける。

 

「ちょっと、言いがかりよ。私は別に……」

「ち、違います。ゼーン閣下はメリジャーナさんを見ていらしただけです!」

「な――!」

 

 咄嗟に言い放った少女の言い訳に、ニネミアは顔色を変える。

 

「え、なにどうしたの?」

 

 メリジャーナは不思議そうにニネミアを眺める。

 

「別に何でもないわよ、ただ偶然そっちを向いたら、その子と目が合っちゃっただけよ」

 

 とはいうが、真っ赤な嘘だ。

 彼女もそれとなく、メリジャーナの様子を眺めていたのである。

 

 別段やましい思いがあっての事ではない。

 ただ、姉のように親しんでいた幼馴染の変化に、すこし目を奪われただけの事。

 

 二人は家の派閥こそ違うが、父親が刎頸の友であり、また年も近かったため幼いころから交流があった。

 昔はよくお互いの家に泊まったりもしたが、彼女たちが騎士団に入ってからはその機会も無くなってしまった。やはりゼーン騎士団の跡取りと、イリニ騎士団の重鎮の娘という立場では、そう軽々しく付き合うこともできない。

 

 状況が変わったのは、イリニ騎士団にフィリアが入ってからだ。

 いろいろな意味で注目を集める彼女の世話をメリジャーナが焼き始め、その流れから再びニネミアとも交流が生まれた。

 

「そうです、その通りなんです」

「ええそうよ。まったくそれだけのことだわ」

「え、なに二人して。私何か変なことしてたかしら?」

 

 両隣からステレオで否定され、困惑するメリジャーナ。

 彼女は不思議そうな顔をしながら、ボディソープを泡立て始めた。ともかく、彼女の豊麗な裸身に見惚れていたという事実を覆い隠すことには成功したようだ。

 

 ホッと息をついたフィリアは、自分も体を洗おうと洗剤のボトルへと手を伸ばす。

 だが眼にお湯が入ってしまい、誤ってボトルを倒してしまう。

 

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます。オリュザさん」

 

 すると、少女の左隣にいたオリュザがそのボトルを拾ってくれた。

 礼を言って受け取る。少し中身が床に零れてしまったようだ。

 さっと湯を掛けて洗剤を流し、体を洗い始める。

 

 淑女たるべしと育てられた貴族の三人娘はともかく、貧民から軍隊に入ったフィリアは入浴に時間をかけるという習慣が無い。

 体を美しく磨き上げるというよりは、ただ清潔を保つのが目的といった、甚だがさつな洗い方になってしまう。

 

 とはいえ、今日は折角皆で入浴しているのだ。一人だけさっさと湯船に飛び込んでしまうというのは良くないだろうと、少女は周りのペースに合わせてゆっくりと、丹念に体を洗うことにした。そして、

 

「じゃあお先に入るわね」

 

 と、メリジャーナが洗い場から湯船へと移った。

 もうよかろうと、フィリアも泡でもこもこになった全身を洗い流して立ち上がる。

 そうして大理石の湯船に体を沈めると、思わず声が出そうになるほどの悦楽が全身を包み込んだ。疲労が湯に溶けだしていくような、えも言われぬ天上の心地である。

 

 ふと洗い場の方を見れば、ニネミアも体を洗い終えてやってくる。

 一拍おいて、オリュザも立ち上がった。几帳面な彼女らしく、タオルやソープを桶に入れている。わざわざ湯船の側まで持って歩くつもりらしい。

 と、その時、

 

「――っ!」

 

 声にならない悲鳴が浴場に響く。

 同時に、桶が床を転がるけたたましい音が聞こえる。

 

 流しきれていなかった洗剤に足を滑らせ、オリュザが転倒したのだ。

 

「ちょっと、大丈夫!」

 

 流石に軍に務めるだけあって判断が速い。フィリアたち三人は弾かれたように動き出した。

 

 別けても位置的に近かったニネミアが、真っ先にオリュザへと駆け寄る。

 普段は険悪な二人だが、緊急事態にまで諍いを持ち込むことはしない。これは同じ祖国、同朋を護る彼女たちにとっては、ごく当たり前の対応だ。

 

「っ、問題ありません。構わないでください!」

 

 しかし、浴場に横たわるオリュザは介抱の為に伸ばされた手を跳ね除けた。

 

「なっ!」

 

 余りに無礼な振る舞いに、ニネミアが血相を変える。

 彼女は憤然と立ち上がり、怒りに燃えた瞳でオリュザを見下ろす。

 そして罵声を浴びせかけようとしたところで、彼女の動きがぴたりと止まった。

 

「大変! 何処を打ったの? 大丈夫?」

「ごめんなさい! 私の所為です!」

 

 メリジャーナとフィリアも湯船から飛び上がり、オリュザの元へと駆けつけてきた。

 

 だが、灰髪の乙女は気遣わしげな二人の声に苦悶の表情を浮かべる。

 いつもは能面のように無表情な彼女が、明らかに拒絶の意を示している。

 

 それも、相手は彼女の唯一の友人といっていいフィリアである。いくら失態を見られたからといっても、これは尋常の反応ではない。

 

「ちょっと待って。すぐ医務室に連絡するから」

 

 と言って、メリジャーナが浴室の出口へと向かう。

 

 それなりの家格の貴族の家なら、屋敷内には医師を常勤させている。

 見たところ、足を滑らせたとはいえ受け身は間に合ったようで、打ちつけたのは肩と腕だけらしい。しかし、いつまでたってもオリュザが立ち上がらないので、メリジャーナは不安になったようだ。

 

「浴室まで人を立ち入らせる気? 本人が平気だといってるならいいじゃない」

 

 だが、ニネミアは尖った声でメリジャーナを制した。

 貴族の肌を、使用人に見せるなどもってのほかだと言わんばかりの口ぶりである。

 

「――あなたね、こんな時までどういうつもり!」

「オリュザさん御免なさい。私が洗剤を溢したから……」

 

 メリジャーナはニネミアの高慢な態度に怒りを露わにし、フィリアは居た堪れないほど狼狽したようすでオリュザに話しかけている。

 

「ほら! あなたがしゃんとしないから、皆迷惑してるわよ」

 

 ニネミアはオリュザの腕を掴むと、引き上げるようにして立ちあがらせた。

 そしてフィリアに散らばった入浴道具を集めるよう指示する。

 

「どこも怪我なんてしていないんでしょう? なら早く来なさい」

 

 少女から桶を受け取ると、ニネミアはオリュザの手を引いたまま浴室を歩いていく。

 

「ほら、さっさ入りなさいな」

 

 風呂桶を浴槽の縁にコンコンと音を立てて置くと、自分はさっさと湯船に入ってしまう。

 

 その強引なやり口に、フィリアとメリジャーナはぽかんと口を開けてしまう。

 だが、オリュザは無遠慮に扱われたことに不平を述べることもなく、従容と湯船に足を差し入れた。

 

「あなたたちも戻りなさい。湯冷めするわよ」

 

 てっきり大ゲンカを始めるものと身構えていた二人は、そろって狐につままれたような顔をする。

 

 ニネミアもオリュザも湯船に肩まで浸かり、ほうっと息を吐いている。

 はや極楽の気分を堪能し始めた彼女たちの姿をみて、フィリアとメリジャーナも釈然としない様子で戻ってくる。

 

「オリュザさん。本当に大丈夫ですか」

「はい。ご迷惑をおかけしました」

 

 なおも心配そうなフィリアに、オリュザはいつも通りの平坦な口調で答える。

 先ほどのトラブルなど、きれいさっぱり記憶から無くしてしまったかのような態度だ。

 

 当人たちが問題にしないなら、口を挿むこともできない。

 フィリアはどうも腑に落ちないまま、湯船に体を沈めた。

 

 内なる不満の表れだろうか。少女は無意識に口を湯船に付けて、ぶくぶくと泡を立ててしまう。己の子供じみた所作に気付くと、少女はのぼせてもいないのに真っ赤になってしまった。

 

 

 

 

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