WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の九 女子会大作戦 後編

 湯あみを終えた一同は、メリジャーナに案内されて、ディミオス家でもっとも広いゲストルームに通された。

 

 寝室にリビング、応接間にキッチンなどが一揃いになった部屋は、四人が入っても十分な余裕がある。

 壁紙や家具は落ち着いた雰囲気で統一され、間接照明の柔らかな光に照らされた室内は実に過ごしやすそうだ。

 

 フィリアは他人の家ということもあって、入り口付近で固まってしまう。オリュザも遠慮しているようで、少女の隣で様子を窺っている。

 だが寝間着姿のニネミアは、まるで自室にでもいるかのような自然さで、本革張りのソファに腰を据えた。そして、

 

「ちょっとメリジャーナ。何か嫌なモノが見えるんだけど」

 

 と、げっそりとした表情でぼやく。

 

 彼女の視界を塞ぐように横たわっているのは、凄まじく巨大なベッドである。キングサイズを二つ並べてもまだお釣りがくるような大きさで、明らかに市販品ではない。メリジャーナが今日の為に、態々特注したのだろう。

 

「大丈夫よ。昨日確かめたけど、寝心地はばっちりだったから」

 

 ゲストルームに据え付けられた簡易キッチンから、メリジャーナが声を掛ける。彼女は来客に飲み物を用意しているところだ。

 

「私もお手伝いします」

「あら、ありがとう」

 

 そんな彼女を見て、所在なげにしていたフィリアが早足でキッチンに向かう。

 

「まさか部屋まで一緒なの? それも同じ寝台で寝かせる気? 何これ、新手の嫌がらせか何かかしら?」

「そんな寂しいことを言われると悲しいわ。昔は枕を持って、ニネミアの方から訪ねて来てくれたのに」

「ちょ、だから昔の話は止めなさいったら!」

 

 憎まれ口を利きながらも、ニネミアは部屋から去ろうとはしない。何やかやと言っても、義理堅い彼女は最後までお泊り会に付き合うつもりらしい。

 

「はあ、まったく。……ちょっと、あなたもそんな所に立ってないで、早く座りなさい」

 

 ニネミアは眉間に皺を寄せて物憂げに息を吐く。

 そしてローテーブルをトントンと指で叩き、未だ入口で立ち尽くしているオリュザへと声を掛けた。

 

「オリュザさんも遠慮しなくていいのよ。自分の家にみたいに寛いでちょうだい」

 

 ワインと肴を乗せたプレートを持ち、メリジャーナとフィリアがやってくる。

 オリュザはゆっくりとした調子で歩を進め、ソファへと腰かけた。

 ローテーブルを挟むように並べられたソファに、ニネミアとメリジャーナ、オリュザとフィリアの組み合わせで座る。

 

「さて皆さん。本日もお仕事お疲れ様でした」

 

 皆に飲み物が行き渡ったのを確かめると、メリジャーナがワイングラスを掲げ、乾杯の音頭を取った。

 これから眠くなるまでお酒を楽しみつつ、親睦を深める予定となっている。ちなみに子供のフィリアは、砂糖をたっぷりと入れたホットチョコレートを淹れてもらった。

 

「おつまみもいろいろ用意したから。遠慮なく過ごしてね」

 

 ワインはフィロドクス家の農園で造られた当たり年のモノを開け、肴は定番のチーズや生ハムに加えて様々な小皿料理が並べられている。準備は万端だ。

 

「かなり、まあまあね。飲めなくはないわ」

 

 ワインをテイスティングして、ニネミアがそう言う。

 オリュザも素直にグラスを傾ける。幸いなことに、彼女たちは揃って上戸である。旨い酒と肴があれば、自然と場は温まることだろう。

 

「オリュザさん、これも美味しいですよ」

 

 世話焼きのフィリアは甲斐甲斐しくワインを注いだり、肴を取り分けたりと忙しい。

 呑むばかりは良くないと、グラスを傾けるばかりで何も食べないオリュザにあれやこれやとおつまみを進める。

 

「ええ、ありがとうございます」

 

 だが、オリュザは礼こそ言うが、一向に料理には手を付けない。すると、

 

「まったく、しょうがないわね」

 

 あろうことかニネミアが小皿に肴を乗せ、オリュザの前に差し出した。

 フィリアとメリジャーナは揃って目を丸くする。

 あれほど気位の高いニネミアが、それも大嫌いな相手に給仕をするなど、いったい何が起こったというのか。

 

「……感謝します」

 

 オリュザも礼を述べ、素直に料理を口に運ぶ。

 俄かには信じがたい光景に、少女たちは呆けた表情を晒している。

 確かに親睦を深めるために二人を呼びつけたのだが、これといった進展は無かったように見られる。いつの間に二人の溝が埋まったというのか。

 

「あ、そうそう、この間のブティックから手紙が来てたわよ。是非また御三方でご来店ください、だって。今度はオリュザさんも一緒にどうかしら。きっと楽しいと思うわ」

 

 どちらにせよ二人の蟠りが氷解しつつあるというのなら願ってもないことだ。

 メリジャーナは務めて楽しげな話題を振り、フィリアも慣れないながらも場を盛り上げようと、懸命に話に乗ってくる。

 些か空々しい騒ぎ方だが、ほろ酔い加減には丁度いい昂ぶり方である。

 

 だんだんと遠慮が無くなり、お互い好き勝手に話し出す。

 当たり障りのない話題から、それぞれが気に入っている娯楽や趣味の話。次は少々下世話な噂話に花を咲かせる。

 

 そして何より楽しいのが、仕事やら私生活やらの不平不満の告白、すなわち愚痴の投げ合いである。

 

「あいっつらもう、態度で見え見えなのよ!」

 

 ワインを呷りつつ管を巻いているのはニネミアだ。随分酔いが回ってきたようで、彼女は騎士団の部下が己を軽んじていると憤慨している。

 

「そうよぉ、女だからってみんな舐めすぎよねえ」

 

 同じく頬を桜色に上気させたメリジャーナも、口を尖らせて応じる。

 そして言葉こそ発していないが、オリュザもうんうんと頷いて意見を同じくしている様子である。

 

 軍に務める女性同士、悩みや怒りの種は共通しているようだ。

 本来トリオン能力は男女で差がつくことは無いが、騎士団は厳然とした男社会であり、女性騎士の数はごく少ない。

 また性差から何かと面白くない扱いを受けることが多く、普段は淑女として余裕を持って受け流している彼女たちでも、腹に据えかねていることは随分と多い。

 

「私がどれだけ大変な仕事をこなしているのか、ちっとも理解してないのよ」

 

 別けても若くして騎士団の総長を務めるニネミアは、相当怒りをため込んでいるようだ。

 ワインを豪快に飲み干し、憤懣やるかたない様子で吐き捨てる。

 

「そうよねえ。それどころか女ってだけで露骨に見下すような男もいるし」

 

 応じるニネミアも、だいぶ酔いが回ってきたようだ。

 頬を桜色に上気させ、ナイトガウンを着崩した彼女は、その豊満な肢体も相まって、どこか妖艶な魅力を発している。

 

 ちなみに、彼女の言う女性騎士を蔑視する男というのは、イリニ騎士団の猛将ネロミロス・スコトノの事だ。

 戦争は男の仕事だと自負している彼は、そもそも女子供というモノを頭から格下に見ている。

 

 しかも、ネロミロスの如何にも男性的な振る舞いというのが案外人を引き付けるもので、彼に感化された従士の数は少なくない。

 もちろん、彼らとて上司である騎士の前では謹直な態度を取るが、それでも態度の端々には、彼女たちを軽んじるような態度が見え隠れする。なまじ礼儀を取り繕っているため、それが余計に腹立たしい。

 

「フィリアさんなんてホント大変なのよ! 代わりに私が怒鳴りつけてやろうかって、もう何回思ったことか!」

 

 女で子供で、おまけにノマスの血筋に連なるフィリアは特に扱いが悪い。実力では敵わない分、彼らの振る舞いは余計に陰湿である。

 

「まあまあ。メリジャーナさんにそう言っていただけるだけで、私は果報者ですよ」

 

 フィリアはにこにこと笑みを浮かべながら、空になったグラスにワインを注ぐ。

 貧民時代に受けた仕打ちを思えば、彼らの小癪な態度など少女にとっては笑殺する程度のものでしかない。団の規律を乱すところまで行けば粛々と対応するが、そうでなければ捨て置くだけだ。

 

「もうフィリアさんったら~!」

 

 ただ、少女のそんな冷徹な対応が、メリジャーナには健気に耐え忍んでいるようにみえるらしい。

 彼女はぐたっと体を倒すと、横に座るフィリアへと抱き着いた。

 

「はいはい。ふふっ、お水も飲んでくださいね」

 

 ぎゅうぎゅうと圧迫されながらも、フィリアは泰然と抱擁を受け止め、笑顔を一向に崩さない。

 頬ずりしてくるメリジャーナをよしよしと撫でて落ち着かせると、手早くニネミアやオリュザのグラスにもワインを注いで回る。

 

 よくよく見れば、少女は先ほどから酒席を一人で切り盛りしている。

 自然に酒を進め、気付かぬうちに肴を出し、先輩たちの愚痴には親身になって耳を傾ける。すっかり出来上がってしまったメリジャーナたちは、もはや全員がフィリアに甘えるような格好となっており、どちらが年上か分かったものではない。

 

 いや、果たして少女とて、まともであるかどうか。

 濃密な酒気に当てられたのか、それとも場の雰囲気に酔ってしまったのか、どちらにせよフィリアも褐色の頬をうっすらと染め上げ、尋常の様子ではない。

 

 しかもどうやら、少女は酒席では世話焼きが前面に出るタイプらしい。

 四人兄弟の長女として、まさに本領発揮である。

 

 その姉っぷりは凄まじいの一言だ。

 普段のお堅く冷静な性格はどこへやら、底抜けに穏やかで優しく、それでいて機知と茶目っ気を覗かせる少女に、先輩たちはもうメロメロである。

 

 酔うと動作が大きくなり、甘えたがりになるメリジャーナ。

 段々と激しながらも、終いには鬱っぽくなるニネミア。

 見た目は変わらないもの、ポヤポヤとした反応になるオリュザ。

 そんな先輩たちを餌付けするかのように世話を焼くフィリア。

 

 残念なことに、この飲み会にはブレーキ役が誰一人として存在しない。

 少女が片付けてしまった空ボトルは既に相当な数になっているが、そもそも彼女に酒の適量など分かる筈もない。

 先輩たちはいよいよ勢いづいて、今度はヴィンテージのボトルまで開け始めた。

 夜はまだまだこれかららしい。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「その時、不思議な静寂が二人を包んだの。そうしたら、彼の暖かな手が私の肩を引き寄せて……そうね。あとは言葉なんていらなかったわ。お互いが望むままに、瞳を閉じて、顔を寄せ合い……」

「「「――っ!」」」

 

 しどけなく足を組み、ワイングラスを弄びながら、メリジャーナは濡れた瞳で恋人との一幕を語る。

 

 愚痴の吐き合いが一先ず落ち着くと、今度は自然な流れで色恋へと話題が移った。

 年頃の娘ばかりである。そちらの方面に興味が無い者は一人もいない。

 皆は当然、この中では唯一の男持ちであるメリジャーナの話を聞きたがった。

 

 彼女の幼馴染にして婚約者であるテロス・グライペインとは、一時期気まずい空気になったこともあったものの、フィリアとニネミアの骨折りで仲は一躍進展した。

 今では結婚前の思い出づくりと、二人して休日を合わせては方々へと小旅行を楽しんでいるらしい。

 

 そんな旅先で起こった艶話を、メリジャーナが湿った吐息と共に語るのだ。

 居並ぶ娘たちは、大人の恋愛模様に息をするのも忘れて聞き入っている。

 

 たかがキスとはいえ、貴族の令嬢として育った彼女たちには、十分すぎるほど過激な行為である。勝気なニネミアや冷静なオリュザも、この手の話題にはなれておらず、顔を真っ赤にしてのめり込んでいる。ましてや知人の生々しい告白など、動じるなというのが無理な話だ。

 

 しかし、最も艶話に弱いフィリアはというと、うんうんと頷きながら案外平気そうにしている。場酔いが極まってきて、難しいことが考えられなくなっているようだ。

 

「あの、質問があります。よろしいでしょうか」

 

 メリジャーナの話がひと段落すると、オリュザがそう言って手を挙げた。

 随分飲んでいるくせに、謹直な仕草は少しも崩れていない。

 

「なにかしら、オリュザさん」

 

 メリジャーナが艶然と微笑んで応じる。

 

「男女が同衾するいうのは、如何なる感覚なのでしょうか」

 

 ごほごほと、隣席のニネミアが噎せ込んだ。いくらなんでも質問が直球すぎる。淑女としてあるまじき発言だ。

 

「私もいずれは経験することかと思います。その時に失態を演じぬよう、ぜひ助言を頂きたいと……」

「ちょっとあなた、いくら女しかいないからって羽目を外し過ぎよ!」

 

 大真面目で尋ねるオリュザを、ニネミアが慌てて制する。

 どうやらオリュザも相当酔っているらしく、自分がとんでもないことを口走っていることにまるで気付いていない。

 

「そんなことはありません。ゼーン閣下も、いずれは婿を迎えられるはずです。先達に話を伺うことに、何を躊躇うことがあるのです」

「ぐぬっ、この子はもう……」

 

 しゃあしゃあとのたまうオリュザに、ニネミアは頭を抱える。酔客を説得しようなどというのが、どだい無理な話なのだ。

 

「う~ん、話してもいいんだけど……今日はちょっと、ね?」

 

 すると、メリジャーナは婀娜っぽく唇に指を当てて、話せないと仕草で応える。

 

 その視線の先には、新たに調達してきた肴を取り分けているフィリアの姿がある。

 いくら酒の席でも、子供の前では遠慮するべき話題だろう。

 

「むう……わかりました」

「まったく……」

 

 オリュザが不承不承と引き下がると、ニネミアもげんなりと肩を落とした。

 

「また今度、別の機会に取っておきましょうか」

 

 と、メリジャーナは余裕たっぷりに言う。

 実際の所、彼女にしても話せるほどの経験があるわけではないのだが、年長者としての見得がある。幸い、後輩たちは上手く騙されてくれたようだ。

 

「そういえば、ゼーン閣下は男女の交際について経験はあるのですか?」

「な――」

 

 メリジャーナが語り終えると、オリュザは唐突にニネミアへとそう切り出した。

 いきなり水を向けられた乙女は、酒で赤くなった顔をさらに耳まで朱に染めて、

 

「ばっ、そんなものある訳ないでしょう! 私は貴族の娘なのよ」

 

 と、声を荒げて否定する。

 

 貴族にとって婚姻は政治的手段の一つである。市井の娘のように、嫁入り前に男と遊ぶような真似は許されない。

 また婚姻は家の連帯の為に行うものであり、そこに当人たちの意向が介在する余地はない。貴族の娘なら、顔も知らぬ男の元に嫁がされることなど珍しくも無いのだ。

 

 メリジャーナのように、好いた相手と結ばれるのは、極めて稀な例である。

 

 ただ、ニネミアの場合は少々事情が異なる。

 父から家督を継いだ彼女は、ゼーン家の支配者なのだ。貴族社会において、当主の意向は絶対である。家の運営上、外戚の意見も多少は聞かねばならないだろうが、他家の娘に比べれば、結婚相手はかなり自由に決められるだろう。

 

 それに三大貴族の一角に婿入りとくれば、大抵の男にとっては望むべくもない話である。ましてやエクリシアでも随一の美貌を謳われるニネミアが相手ならば、国中の男が手を上げることだろう。

 

「どなたか、意中の方はいらっしゃらないのですか?」

 

 オリュザもそういった事情を知っていて尋ねたのだろう。

 相変わらず真面目くさった口ぶりだが、どこか楽しげな調子である。乙女をからかっているのではなく、純粋に好奇心を抑えられないような声だ。

 

「……別に、そんなのいないわよ。結婚だって、どうせ周りが適当な話を持ってきて決まるわよ。私はそれに従うだけ」

 

 だが、ニネミアはさもつまらなさそうにそう言い捨て、ワインを呷った。

 彼女には十年以上前から思いを寄せている男性がいるのだが、その人物と結ばれるであろう未来は永劫来ることがない。

 報われぬ恋心を抱き続けている彼女にとって、己に関わる色恋の話は苦痛でしかない。

 

「あ~、そう言うオリュザさんはどうなの? どなたか良い人はいらっしゃるのかしら」

 

 そんなニネミアの心情を知るメリジャーナが、慌てて話を逸らした。

 

「私、ですか?」

 

 まさか自分が聞かれるとは思っていなかったのか、オリュザはきょとんと首を傾げる。

 

「そうそう。この際、みんな公平に話しましょうよ」

 

 と、メリジャーナが尋ねる。すると、

 

「私は、お父様が選ばれた相手と結婚するだけです」

 

 オリュザは当然の事のようにそう言った。

 他人の恋愛譚には興味津々だったくせに、自分の事については全く頓着がないような口ぶりである。

 

「えっと、その、別に今好きな人がいなくてもいいのよ。ただ、こんな殿方がいいとか、漠然とした好みを教えてくれたら……」

「別に何も。強いて言うなら、お父様がお喜びになる相手なら満足です」

 

 メリジャーナが言葉を付けたすも、オリュザの回答は変わらない。

 

 変わった娘ということは知っていたが、こうまで情のないこと言われてしまうと、流石に困惑してしまう。

 メリジャーナとニネミアは、興ざめして顔を見合わせる。すると、

 

「オリュザさんは、本当にクレヴォ様がお好きなんですね」

 

 と、それまでじっと聞き手に回っていたフィリアが、感心したようにそう言った。

 

「お父様はとても素晴らしいお方です。あの人は、私を救ってくださいました」

 

 敬愛する当主を褒められて嬉しくなったのだろう。オリュザは自分と当主との出会いを、切々と、縷々と話し始めた。

 

 オリュザはエクリシアの市民、それもやや貧しい家に生を受けた。

 玉のような可愛らしい赤ん坊であったが、娘が難しい持病を抱えていると判明すると、両親は次第に彼女を厭うようになった。

 

 まともに世話をせず、食事も殆ど与えない。

 何とか幼年まで生き延びることはできたものの、オリュザは狭い家の奥に閉じ込められ、日の光に当たる事さえほとんどない暮らしぶりを余儀なくされた。

 

 口を開けば両親に怒鳴られるため、幼いオリュザは極度に内向的な性格になった。そのおどおどした態度が余計に気に障るのか、両親からは虐待じみた言動を常に浴びせかけられたという。

 おそらく、親の仕事が上手くいかなかったことも関与しているのだろう。

 

 そして家計が窮迫してくると、少女の食事は無いも同然になった。

 幼いオリュザはどんどん衰弱していく。しかし、両親は娘を一向に顧みない。

 

 難病を理由に衰弱死を待っているのだと、幼いながらに感じ取ったオリュザは、ある日とうとう牢獄も同然だった我が家を飛び出した。

 当てがあった訳でもない。ただ静かに死を待つだけの時間に耐えかねた、半ば発作的な家出であった。

 

「どうせ死ぬのならば、せめてあの家ではないところで。その時の私は、そう考えていたと思います」

 

 もう二度と家には帰るまいと決意していた彼女は、呑まず食わずで数日間路地裏をさ迷った。

 

 しかし、そんな無茶が続く筈もない。

 もともと衰弱しきっていた幼女である。限界はすぐに訪れた。

 栄養失調で意識が朦朧とし、夢と現の区別もつかなくなった彼女は、夢遊病のような足取りで路地裏を歩いていた。

 

「大通りの向こうに見えた教会が、とても綺麗だったことを良く覚えています」

 

 丘の頂に聳える教会の威光に引き寄せられるように、オリュザはふらふらと表通りに迷い出た。

 しかし、行き交う人並みに揉まれた彼女は、転倒して道の真ん中へと倒れ込んでしまう。

 

「そこで私は、お父様とお会いしたのです」

 

 倒れ伏す幼女の眼前で、車が止まった。

 三大貴族の一角にして、最古の系譜を誇るフィロドクス家の車両である。

 

 豪華な車からは慌てた運転手が下りてきて、道に寝転がったオリュザを退かそうとする。

 今もそうだが、聖都ではストリートチルドレンは珍しいものではない。

 市民の子供ならば周りの人間も手を差し伸べるが、やせ細り、襤褸をまとったオリュザは浮浪児そのものの姿であった。周りの大人たちも胡乱な目で眺めるばかりである。

 

 運転手は通行を妨げるオリュザを叱りつけ、それでも動かないと見ると力ずくで排除にかかった。

 骨と皮ばかりの子供だというのに、よほど垢じみた体に触りたくないのか、男は少女の足を掴んで引きずろうとする。

 そんな非道にも、当時のオリュザは為されるがままであった。

 

 だが、そんな男を鋭く叱責する声が聞こえた。

 車の後席から現れたのは、真っ白な滝髭を蓄えた老人であった。

 老人は運転手を下がらせると、オリュザの側へと近づき、膝を付いて容態を確かめる。

 そして少女が危険な状態にあることを見て取ると、垢に塗れ、泥で汚れた体を抱きかかえ、車へと運んだ。

 

「しばらくして、お父様はあの家から正式に私を引き取ってくれました」

 

 オリュザのトリオン機関は同世代の水準を大きく超えており、それ故に保護施設ではなくフィロドクス家が直々に迎え入れることになった。

 養子といっても家督の継承権はなく、いわば子飼いの兵隊ともいうべき立場であったが、それでもオリュザの胸は歓喜に満ち溢れていた。

 

 初めて誰かから必要とされた。初めて存在することを認められた。

 それが兵士としての生き方であっても、オリュザには拒むつもりなど毛頭なかった。

 しかし、クレヴォはまるで血のつながった家族のように、オリュザに深い愛情を以て接した。兵士になる未来を強要せず、彼女に教育を施し、貴族の令嬢になれるよう万事を取り計らった。

 

 フィリアたちには話せることではないが、フィロドクス家の内情はかなり複雑であり、クレヴォの二人の息子は家督継承権を巡って陰湿な対立を続けている。孫ほど年の離れたオリュザを可愛がっている理由には、そんな息子たちへの失望もあったのだろう。

 

「病気も随分と良くなった私は、お父様から受けた大恩に少しでも報いる為、騎士団へと志願しました」

 

 父によって幾つもの選択肢を与えられたオリュザであったが、結局彼女は騎士団への道を選んだ。

 

 理由は勿論、クレヴォの力となるためである。

 優秀なトリオン能力と聴覚系サイドエフェクト以外に秀でたところのなかったオリュザは、しかし努力に努力を重ねて騎士の座を掴みとった。

 またフィロドクス家伝来のブラックトリガー「万鈞の糸(クロステール)」の起動にも成功した彼女は、念願かなってクレヴォの腹心ともいえる地位まで上り詰めたのである。

 

「私が人がましい生活を送れているのは、すべてお父様のお蔭です。ですから、私の望みはお父様の笑顔を見ることだけなのです」

「……」

 

 話を終えると、オリュザはワインを一口含み、渇いたのどを潤わせた。

 思いもがけなかった自分語り、それも随分と重い話に、ニネミアとメリジャーナは言葉を失う。

 

 彼女たちは生粋の貴族として生まれ、暖衣飽食を当たり前のように享受して育った。もちろん身分に伴う苦労はあったが、オリュザのように親から捨てられたなどという巨大な不幸は降りかかったことがない。

 返すべき言葉を探し出せずにいる二人。すると、

 

「そのお気持ち、とてもよく分かります」

 

 と、フィリアが穏やかにそう告げる。

 貧民にして被差別民の少女にとって、オリュザの経験した苦痛というのはごく身近にあったものだ。

 

「私も家族の為なら、何だってしようと思いますから」

 

 そしてフィリアもオリュザも、家族を心から愛し、心の拠り所としている点ではまったく同じである。共感できるというのは本心だろう。しかし、

 

「ただ、それでしたら、オリュザさんの先ほどのお話はいただけませんね。ご結婚相手は、ご自身でも納得できる方を選ぶべきだと思いますよ」

 

 と、フィリアは茶目っ気を覗かせながらそう言う。

 

「……それは、どういう意味でしょうか」

 

 オリュザは当然、不平を込めてそう尋ねる。

 

「私はクレヴォ様から親しくお声を掛けていただいますが、いつもオリュザさんの事ばかりがお話になります。……ですが、それだけ大切に思われているのなら、きっとクレヴォ様もオリュザさんの幸福を心より願われているはずです。ましてや結婚などという人生の一大事。オリュザさんが幸せにならなければ、クレヴォ様もさぞお悔みになられることでしょう」

 

 娘が幸せにならなければ、父も心から喜ぶことなどできはしない。と、フィリアは諄々と諭す。

 

 もっとも、家族の幸せを願うなら自分も幸せにならねばならない。という理屈はフィリアにとっても同じであり、年相応の平和な暮らしを投げ捨てた少女が言うのは、少々臆面もない話である。

 ただ、少女の場合は背負っている物が違う。母の命を助ける為なら、少女は喜んで地獄にも落ちる所存である。

 

「むぅ……それは確かに」

 

 少女の正鵠を射た指摘に、オリュザは唸り声を上げた。そして数拍の間をおいて、

 

「ただ、その、私はこのような性格ですから、人の言う幸せというモノがよく分からないのです」

 

 と、顔を曇らせ不安を吐露する。

 オリュザはその生い立ち故か、感性が人とはずいぶん異なっている。本人にも自覚はあり、悩みの種であったらしい。

 そうしてフィリアは体面に座るオリュザへ、

 

「それはこれから、ゆっくり探していけばいいんですよ。私もお手伝いしますから」

 

 と、微笑みかけながら優しくそう言った。

 

「ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします」

「はい。こちらこそ、よろしくです」

 

 一時はどうなる事かと思われたオリュザの独白であったが、最後にはフィリアが綺麗に場を収めてしまった。

 ニネミアとメリジャーナはホッと胸をなでおろし、フィリアを感心の眼差しで見る。

 そしてオリュザへの理解も深まったのだろう。彼女を眺める二人の表情は今までにないほど好意的で安らかだ。

 

「それでは、次はフィリア様の番ですね。どなたか、お好きな方はいらっしゃるのですか」

「え?」

 

 と、オリュザはそうフィリアへと問いかける。

 

 そういえば、恋愛話については皆が公平に話すことになっていた。なるほど順番で言えば、最後はフィリアの番である。

 見れば、メリジャーナとニネミアも興味津々といった顔をしている。

 彼女たちも、この小さな後輩の私生活には関心があるのだろう。

 

「私ですか? う~ん……私は別に……」

 

 とはいえ、訓練漬けで日々を過ごしている少女には、浮いた話など一つも無い。

 そもそも恋愛感情といったモノがあまりよく分からず、また年齢的にも婚約はまだ早いため、家中でもそういった話は出ていない。

 

 それに何より、彼女はノマスの血を引く人間である。

 憎悪と恐怖の対象である自分が、人並みに恋愛をして結婚するなどとは、とてもではないが想像できることではなかった。

 

 自分は社会の嫌われ者である。というのは、少女の変わらぬ自己評価だ。

 たとえ自分が誰かに恋心を抱いたとしても、こんな娘に言い寄られる男性はさぞ迷惑するだろうと、少女はそう思っている。

 

 他人の話だから、素直に心を躍らせることができるのだ。少女は自分の恋愛については、早々に考えることを止めていた。だが、

 

「あっ……」

 

 その時ふと、少女の脳裏に一人の少年の顔が思い浮かんだ。

 

 抜けるような青空を映したかのような、紺碧の髪と瞳を持つ彼。

 フィリアの窮地に現れ、颯爽と彼女を救い、そして何の躊躇もなく、呪われた肌に手を触れた少年。

 

 賑わう雑踏の中で少女の手を引きながら見せた、心に染み透るような陽だまりの笑顔。

 大鐘楼の上で聖都の街並みを眺めながら見せた、胸をかき乱されるような寂しい横顔。

 

「えっ、誰かいるの? フィリアさん!」

 

 言葉に詰まり、何やら物思いに耽りだした少女に、メリジャーナが興奮した様子で話しかけた。他の面々も興味をそそられているようだが、彼女だけが嫌に勢いよく食いついてくる。

 メリジャーナはフィリアを実の妹のように思っている。好きな人はいるのかと尋ねてみたものの、まさか本当に思い人がいるなどとは考えもしなかった。

 

「だ、誰なの? どんな人? 私も知ってる人かしら?」

 

 酒臭い息を振り撒きながら、メリジャーナがフィリアの両肩を掴み、がくがくと揺らしながら尋ねる。

 

 妹分に思い人がいるだけで相当なショックだが、呆けてはいられない。

 フィリアは名門貴族の子女にして、ノマスの血を引く特殊な存在である。

 

 その立場や境遇に付けこんで、悪い男が寄り付かないとも限らない。

 ここで名前を聞き出して、何から何まで徹底的に調べなければならないのだ。

 

「いえそんな、違いますよ。ただ……その、親切にしていただいただけです」

 

 だが、フィリアはそう言ってはぐらかす。

 メリジャーナは不満をぶーぶーと口にしながら絡むが、少女は笑っていなすのみ。

 

 実際、フィリアもそう口にして、初めて彼への不思議な感情に気が付いた。

 恋慕ではない。異性への憧れなど、そんなふうに高尚な感情は、自分は抱くことも無いだろう。

 とはいえ友情、というのも少し違う気がする。彼とはあれ以来会っておらず、信義を育む時間もなかった。

 

 ただ、あの大鐘楼での一時、彼とは心の繋がりを確かに感じた。

 それは奇妙な、ある種の連帯感とでも言うべき思いであった。

 

 この悲しみに満ちた世界に対する義憤と、抗おうとする決意。

 そんな思いを、確かに彼とは共有できた気がする。

 

(もう一度、会ってみたいな)

 

 そうすれば、今度は確かに彼と友達になれるのではないか。彼女は強くそう思う。

 

「フィリアさんダメよ! いえ、いけない訳じゃなんだけど、そう節度! 男女の御付き合いには節度が大事で……」

 

 とはいえ、今は何故かひどく狼狽した先輩を宥めなければならない。

 メリジャーナを抱きしめて背中をぽんぽんと撫でてやりながら横を見ると、ニネミアとオリュザは何が楽しいのか大笑いをしている。

 つられてフィリアも笑みを溢す。そうして、夜はとっぷりと更けていった。

 

 

 

 

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