WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
目を薄く開けると、細工飾りの施された美しい天井が見えた。
「うゅ……ん?」
至福の心地のマットレスに体を横たえながら、フィリアはぼんやりと瞼を擦り、違和感の正体に思い当る。
彼女が今寝ているのは、イリニ家の自室ではない。
むくりと上体を起こし、未だにしゃんとしない頭で周りを見る。
少女のいるベッドは、大人が五人は並んで寝られるような巨大な代物である。にもかかわらず、彼女以外には誰の寝姿もない。そして、
「……お酒くさい」
部屋に充満する噎せ返るような酒気に、少女は思わず顔を顰める。
そこでようやく、フィリアは昨日ディミオス家にお泊りに来たのを思い出した。
自分からベッドに入った覚えがないので、寝入ってしまった彼女を誰かが運んでくれたのだろう。
「……」
フィリアはベッドから降りると、ゲストルームを頼りない足取りで歩き始めた。
メリジャーナたち三人は、フィリアが寝入ってからも酒盛りを続けたらしい。
床のそこいらに、飲み干した酒瓶やら、肴の取り皿やなにやらが転がっている。
「――っ!」
とその時、足の裏に異様な感触を覚え、フィリアがビクリと体を強張らせる。どうやら彼女は誰かの髪の毛を踏んでしまったらしい。
彼女の小さな足の横には、誰かの頭がある。
目を凝らせば、床で丸まって寝入っているのはメリジャーナであった。
ナイトガウンをあられもなく着崩し、ワインボトルを抱えた彼女は、良い夢でもみているのだろうか、にやにやと些か締まりのない笑顔で寝息を立てている。
いつもの淑やかな彼女は何処へやら、貴族の令嬢にとってあってはならない姿である。しかし、フィリアはそんなメリジャーナに幻滅する訳でもなく、ただその寝顔に笑みを溢すばかりである。
視線を転じれば、残りの二人も直ぐに見つかった。
ニネミアとオリュザは酒盛りをしていたソファで寝入ってしまったようだ。
肩を寄せ合い穏やかに眠る二人の姿は、一見仲のいい姉妹にも見える。
部屋の惨状はともかく、皆は心地よさそうに眠っている。それだけで、お泊り会は成功だったといえるだろう。
しかし、どうもこの部屋に漂う濃密な酒気は耐え難い。
換気をしようと窓の方を向いた少女は、カーテンの隙間から曙光が差し込んでいるのに気付いた。
サッと、フィリアの顔から笑みが消える。
「メリジャーナさん起きてください! 朝、朝です!」
「ううん……」
少女に呼び声に、メリジャーナが間の抜けた声を上げて目覚める。
今日休みを貰っているのはニネミアとオリュザだけで、メリジャーナとフィリアは出勤日である。
腕輪型の携帯端末を起動し時刻を確認すると、かなり切羽詰まった時間だ。身支度で手間取れば、遅刻してしまうかもしれない。
「ふえ、どうしたの? って……頭痛ぁ」
酒瓶を胸元に抱いたまま、メリジャーナがうっそりと起き上がる。髪は寝癖でぼさぼさで、声は酒やけで擦れている。おまけに見事な二日酔いで、彼女は頭を押さえてうんうん唸り声を上げる始末だ。
「早く支度をしないとまずいです!」
フィリアはバタバタと部屋を走り回り、持ち込んだ着替えを鞄から引っ張り出す。
そんな騒動に、ソファで寝ていた二人も目を覚ましたようだ。
「っ、もう朝……寝ちゃったのね」
「ん、おはようございます」
「はいおはようございますゼーン閣下、オリュザさん」
慌ただしく身支度をしながら、フィリアは二人に自分たちは出勤せねばならない旨を伝える。メリジャーナもようやく寝坊に気付いて慌て始めた。
ちょうどその時、ゲストルームの扉がノックされ、フィロドクス家の家人が様子を見に来た。流石に教育が行き届いており、風呂の支度や食事の用意は全て整っているらしい。
「ごめんね二人とも、家の者には言いつけておくからゆっくりしていって頂戴」
メリジャーナとフィリアは寝汗を流すため慌ただしく部屋を飛び出していく。後に残された二人は頭が覚醒するにつれて、がっくりと項垂れた。
「あーもう頭痛い。酷い酒だわ」
「……」
ニネミアはソファから起き上がり、がちがちになった体を伸ばす。
彼女も随分飲んだため、当然の如く二日酔いである。頭は痛いし胃もむかむかする。
おまけに昨日の醜態をありありと思いだし、羞恥と後悔でどうにかなってしまいそうな気分だ。恥を晒したのはあの場にいた全員であったのが、せめてもの慰めである。
「はあ、まさかこんなことになるなんて……」
ニネミアはぼやきながらゲストルームを歩き、宿泊用の鞄をごそごそと漁る。
一方、オリュザは目覚めたにも関わらず、一向にソファから腰を上げようとしない。
「はい。トリガーよ」
すると、戻ってきたニネミアがオリュザの手に彼女のトリガーを握らせた。触っていたのはオリュザの鞄だったらしい。
「……気付いていたのですか?」
「何の事かしら。早くトリオン体になりなさいな。あなたも相当酷い格好よ」
ニネミアはトリガーをオリュザに押し付けると、さっさと自分の鞄から着替えを探し始めた。
「……ありがとう、ございます」
オリュザは俯き、絞り出したような声で礼を述べる。
ニネミアは一瞬手を止めるが、聞こえなかったかのように作業に戻った。
オリュザはトリガーを起動し、肉体をトリオン体へと換装する。
――すると、彼女の視界に鮮やかな景色が再び戻った。
オリュザの生身には殆ど視力がなく、辛うじて明暗を判別することしかできない。
これは彼女が抱える進行性の病によるもので、完治は難しく、いずれは完全に失明するだろうことが医師によって予見されている。
そんな彼女が生身にも関わらず昨晩を大過なく過ごせたのは、彼女が持つサイドエフェクト「強化音響探知」のお蔭である。
オリュザは音や振動を感じ取る能力が極めて優れており、音の反射によって周囲の物体や位置関係を映像のように知覚することができる。
しかしそれでも限界はあり、室内を歩く程度ならともかく、食事などの細かい作業を行えるわけではない。また音がしなければ何も感じないため、静かな部屋や風呂場などの音が籠る場所は苦手としている。
ともかく、オリュザの目が不自由なことは、フィロドクス家でも知る者が殆どいないトップシークレットであった。
彼女は
もし遠征先で不覚を取った場合、盲目の女が戦場を切り抜けて
他家の人間には絶対に知られてはならない、致命的な弱みであった。
だが、その代表格であるゼーン家当主ニネミアは、オリュザが視力に異常を抱えていると気付いたにも関わらず、素知らぬ風を装っている。
後で攻撃に用いる為とは思えない。ニネミアは彼女なりの仁義として、その事実を黙殺してくれているのだろう。
「あの……ゼーン閣下」
「何かしら?」
「昨日は、楽しかったですね」
と、オリュザがそう言えば、
「そうね。当分はごめんだけど」
ニネミアもそっぽを向きながらそう答える。
二人が不仲であったのは、ただ相性が悪かったからだけではない。彼女たちの属する家には、エクリシアの施政を巡って争いを繰り返してきた凄惨な歴史がある。
歩み寄りはすなわち弱みを晒すことに他ならないと、交流そのものを忌避する風潮があったのだ。
しかし、それは過去の益体もない風習に過ぎないのではないか。
奇しくも各家の未来を担う若者たちが揃い、友情の種を芽吹かせようとしている。
家門の枠組みを超えた友誼は、エクリシアの未来に新しい光景をもたらすかもしれない。
(なんて……バカね。絆され過ぎよ)
ニネミアはディミオス家のメイドに朝風呂の支度を申し付けながら、そんなことを考える。
若くしてゼーン家の当主となり、虚勢を張り続けるしかない彼女にとって、気の置けない友人というのは何にも代えがたい財産だ。
一廉の指導者として、他者に依存するわけにはいかないことは分かっているものの、それでも心の清涼剤として、友人の存在は何より有難い。
「ああそう、オリュザ」
「――はい。何でしょうか。ゼーン閣下」
何気なく名前を呼ばれ、オリュザが緊張を滲ませた声で答える。
「この間の遠征データの件、後でフィロドクス騎士団に送っておくわ。そちらならどう攻略するか、レポートを頂戴」
「な――」
諍いの原因となった遠征の記録について、ニネミアは融通する旨をあっけらかんと告げた。オリュザは困惑と恐縮に身を強張らせ、
「あの折は、無礼をはたらきすみませんでした」
と頭を下げる。だがニネミアは飄然と肩を竦め、
「その話はお互いさまよ。まあ……これからはよろしく頼むわ」
と、苦笑交じりにそう言う。
「はい。承知しました。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
オリュザは相変わらず無表情で、しかし声だけは歓喜の色を浮かべてそう答える。そして、
「これからも、御無礼を働いてしまうかもしれませんが、どうぞご寛恕くださいますようお願いいたします」
と、言葉を付け加える。するとニネミアは一転して真顔となり、
「いや、それは別の話よ。これからも貴方が失礼なことを言ったら、正面からばんばん指摘させてもらうから」
と、きっぱりと言う。
ゲストルームに妙な静寂が過る。一拍おいて、
「ふふ」
どちらからともなく笑い声が漏れた。
正反対の性格なら、いっそのこと正面からぶつかってみるべきだと、今更ながらにお互い気付いたらしい。
「それにしても酒臭いわね。酷い二日酔いだわ」
和やかな空気に気恥ずかしくなったのか、ニネミアはさっさと風呂の準備を整える。オリュザも同行するつもりらしく、鞄を弄っている。
すると、バタバタと慌ただしい足音が廊下側から聞こえ、前触れもなくゲストルームの扉が開かれた。
「ごめんなさい二人とも。私たちもう出なきゃならないから」
見れば、メリジャーナが扉から首を突き出してそう言う。
身支度は綺麗に整っており、いつもの気品溢れる才媛そのものである。
あれほど飲んだにも関わらず、酒の匂いがすっかり消えている。察するに、今日はトリオン体で通すつもりらしい。
「あの、すみません。私もこれで失礼します」
フィリアもひょっこりと顔を出し、ニネミアとオリュザに謝意を伝える。
彼女は生身のままである。酒は飲んでいないので二日酔いの心配はない。また若さの表れか、夜通し騒いだにも関わらず少しも疲れを残していないようだ。
「オリュザも、風呂は後でいいわね」
そう言いながら、ニネミアはトリガーを起動すると、トリオン体へと換装する。
寝起きでいささか精彩を欠いていた美貌が、一瞬で壮麗な輝きを取り戻した。
そうして彼女はオリュザを率いてゲストルームを出る。
門前までフィリアとメリジャーナを見送るつもりらしい。
「ま、頑張ってらっしゃい」
「メリジャーナ様。フィリアさん。どうぞよい一日を」
車寄せまで連れ立って歩くと、ニネミアとオリュザがそう声を掛ける。
「ごめんねバタバタになっちゃって。よかったら朝食だけでも食べて行ってね」
「ゼーン閣下。オリュザさん。昨日は本当に楽しかったです」
メリジャーナとフィリアは揃って感謝の言葉を告げる。すると、
「……いつまでも閣下呼ばわりしなくてもいいわよ。フィリアも、オリュザも、名前で呼ぶことを許すわ」
と、照れたような、拗ねたような調子でニネミアがそういう。
フィリアは驚愕に目を丸くする。オリュザも表情には出さないものの、大層驚いているらしい。
困惑した少女はメリジャーナに助けを請うような視線を送る。すると、頼りになる先輩は穏やかな微笑みで応える。
フィリアは沸き起こる驚きと喜びに顔を綻ばせると、
「はい。ありがとうございますニネミアさん!」
満面の笑顔で礼を述べた。
× × ×
春風吹き抜ける緑の園。
イリニ家本宅が誇る壮麗な中庭。トリオン製の瀟洒な東屋で、フィリアとオルヒデアは午後のティータイムを楽しんでいた。
「では、御友人方はすっかり仲良しになられたのですか?」
「はい。御二方とも随分距離を詰められたようで。今でも喧嘩はなさいますが、前みたいに険悪な風ではなくて、どこか親しげに意見を交わしておられます」
ガーデンチェアに腰かけたフィリアは、オルヒデアに先日催したお泊り会の結果を語る。
いろいろ表沙汰にはできない場面はあったが、それでも当初の目的通り、友人たちの仲を深めることには成功した。
案を出してくれたオルヒデアには、成功した旨と感謝の言葉を伝えねばなるまいと、少女は定期視察の日を心待ちにしていたのだ。
健康状態とトリオン機関の発育チェックを終え、表向きの用事である職業訓練の結果に目を通すと、後はもう習慣となっている茶話会へと移った。今日は天気がいいので、中庭までティーセットを持ち出して歓談することになった、
「これも全てオルヒデアさんの助言のお蔭です。感謝に堪えません」
「いえそんな。フィリアさんの真心が伝わったんですよ」
焼き菓子を摘まみ、お茶を飲みながら穏やかな時間が過ぎる。
最近はオルヒデアもここでの暮らしに慣れてきたそうで、家人と話す機会も増えたらしい。また職業訓練にも身が入っており、近々イリニ家領内の食料品加工工場で働きに出ることが決まっている。
もちろんこれは偽装であり、オルヒデアはあくまで神の候補として厳重な監視下にある。
しかし、長い間屋敷で幽閉されていた彼女は、仕事とはいえ外に出られることが余程嬉しいらしく、無邪気に喜んでいる。
「そういえば、この間フィリア様の弟さんたちをお見かけしましたよ。皆さま元気で、可愛らしいお子さんですね」
オルヒデアがそう言う。
彼女が弟妹を見たのは、月に一度設けられている母パイデイアとの面会日のことだろう。聖都から車を出して、この本宅で丸一日母との時間を過ごすのだ。あいにくフィリアは同行したことは無いが、母も弟妹たちも毎月その日を心待ちにしている。
「金髪の凛々しいお方がいらっしゃいましたが、あの方がご当主様ですか?」
と、オルヒデアはフィリアにそう尋ねる。
少年少女たちを引率して、壮年の偉丈夫が館を訪ねてきたらしい。家人たちがよほど緊張して対応していたので、要人と知れたのだろう。
「はい。その人がイリニ家当主、アルモニアです。私たちには伯父上に当たる人ですね」
アルモニアは騎士団の指揮や国政への参加のため、一年の殆どを聖都の別宅で過ごしている。通信技術の発達した現代であれば、領地の施政は聖都からでも問題なく行えるのだが、それでも時々は領地に帰らねばならない。
それが月一の帰宅であり、弟妹たちはその時にアルモニアにくっついて母に会いに来るのだ。
「随分弟さんたちと親しそうにしていらして……さぞかし優しいお方なのでしょうね」
と、オルヒデアが言う。
弟妹たちは今や、アルモニアを実の父のように慕っている。あくまで養子の身であり、当主に対して馴れ馴れし過ぎると思うのだが、当のアルモニア自身が彼らを甘やかしているため手の施しようがない。
フィリアもそんなアルモニアには随分懐いていて、今では家族と同じように心から親愛の情を抱いている。
「はい。とても素晴らしい方です」
虜囚の姫君として思う所はあるのだろうが、それでも家族を褒めてくれたオルヒデアに、フィリアは柄にもなく照れてしまう。
「ご家族は何にも代えがたいものです。どうぞお大事になさってください」
オルヒデアは寂しそうにそう言ってから、失言に気付いたように口元を手で隠す。
見れば、嬉しそうにしていたフィリアが一変して、暗く沈んだ顔をしている。
オルヒデアを祖国から拉致したこと、彼女の父の形見である
「あ、いえ、そういうわけではなくてですね。昨今は冷え切った仲のご家族も多いと聞いて、えっと、長幼の序を大事にというか、その……」
わたわたと慌てて弁解の言葉を並べるオルヒデアに、
「まったく、オルヒデアさんにお気遣いされるとは、これではあべこべではありませんか」
と、フィリアは困ったような顔をして言う。
悲境にあるオルヒデアから慰められては、加害者のフィリアとしては立つ瀬がない。
「フィリアさん。そんなにお気になさらないでくださいね」
「……まったく、敵いませんね」
気遣うオルヒデアに、フィリアは力のない笑顔で応える。
しかし、少女には彼女の兄の末路の他に、乙女を生贄として育て上げる任務まで課されている。気にするなといわれても、とても割り切れるものではない。
それでも表面上は平静を取り繕い、再び雑談に興じる。
話題は自然と、少女の伯父アルモニアについてとなった。
「実は、ご当主様に日頃のお礼を差し上げたいと思っているのですが、何をお渡しすればいいのやら、思い悩んでおりまして……」
「まあ。それは一大事です!」
フィリアが伯父への贈り物に悩んでいると告げると、オルヒデアは目を爛々と輝かせて話に乗ってきた。刺激に飢えているのか、世話焼きが好きなのか、それともフィリアの悩みだからだろうか。乙女はぐいと顔を近づけ、真剣に話を聞く構えだ。
「他の方にも助言を頂いて何点か小物を用意したのですが、どうもしっくりとこなくて」
テロスに薦められた装身具や、メリジャーナに選んでもらった文具なども買いそろえたのだが、どうも決め手に欠ける気がする。サイドエフェクトにも頼ってみたものの、アルモニアなら何を渡しても喜ぶとしか出ず、少女は困り果てていた。すると、
「なるほど……それはつまり、フィリア様ご自身が満足していないのでしょう。やはり、贈り物は自分で選んだ物が一番ですよ」
と、オルヒデアはさも当然のようにそう言う。
「それはもちろん、そうですが……」
少女は育ちの所為か、兎角他人の顔色を窺い過ぎる気がある。
贈り物などはその最たるもので、相手が嫌がらないように気を使い過ぎて、自縄自縛に陥ってしまっている。
「もちろん、お相手の好みは考えねばなりません。けれど、自分が心から気に入った物でなければ、どうして自信が持てましょうか」
と、オルヒデアはそんなフィリアを諭すように、朗々と言葉を続ける。
「ですが、私はその……」
しかし、フィリアはなおも自信な下げに項垂れる。少女の生涯はひたすら苦労の連続で、風雅の心得などまるで持ち合わせてはいない。
自分で選んでみろ、と言われても、何も思い浮かばないのだ。
そのことを正直に打ち明けると、
「なら、私にもお手伝いさせてください」
と、オルヒデアは力強くそう言った。
「そんな、そこまでご迷惑をおかけする訳にはいきません」
と、フィリアが両手を振って拒むと、
「そんなことを言わないでください。フィリア様にはお世話になってばかりなのですから。少しでも、お力添えをさせてください」
オルヒデアは眼差しに強い光を湛えてそう言った。
× × ×
「さて、それでは伯父様についてお教え願えませんか?」
すっかりやる気になったオルヒデアは、ガーデンテーブルにぐっと乗り出してフィリアにそう問い掛ける。
まずは相手の好みを探っていこう。そうして候補を並べてから、フィリアがピンと来る物を探せばいい。
「ええと、ご当主様は……」
フィリアが語りだす。
エクリシア三大貴族の一角、忠勇なるイリニ家の当主アルモニア・イリニ。
だが、そんな表層の情報はどうでもいい。
フィリアが知る、家族だけが知る彼の本当の姿。それは――
「ご当主様は、とてもお優しい方なんです。こんな私にも、とても良くしてくれて」
彼は敵国ノマスの血を引くフィリアに、惜しみない情愛を注いでくれる。
そして何より、アルモニアは
騎士団を率いて他国を侵略することは、国を治める立場故の事。彼の本質はパイデイアやオルヒデアと同じ、平和を希求してやまない人物である。
そんな彼であるから、剣聖と謳われるほどの武を持ちながらも、暴力的に振る舞うことは少しも無い。そんな彼が率いるからこそ、イリニ騎士団は戦場にあっても常に高潔な精神を忘れないのだ。
気高い志を持ち、国家万民の為に身を尽くすアルモニアは、フィリアが心から尊敬してやまない、自慢の伯父である。
「ご当主様は、お酒もそんなに飲みませんし、遊興もあまり……」
そんな伯父は謹厳な性格もあって、普段は大貴族とは思えぬ程質素な暮らしぶりをしている。また一人身であるが、多忙故に遊びに時間を費やしている様子も無い。
「趣味といえば、土いじりをなさることぐらいでしょうか」
そんな鉄人のような彼が唯一娯楽としているのは、以外にも庭木弄りである。
聖都の別宅の中庭は、彼によって手ずから造園されたものである。今では細かな手入れは家人に任せているが、それでも時折自ら道具を取り、枝を払い花を植えている。
「素敵な御趣味ですね。そこから考えてみてはいかがですか?」
と、オルヒデアが言う。
「なるほど……」
確かに趣味の面から贈り物を考えるのは常道である。
ただ、苗木や花を贈るのは考えものだ。造園にあたっては色々とこだわりがあるだろう。意に沿わない植物を送られては迷惑かもしれない。
また道具類に関しては既に最高級の物が揃っている。態々送っても印象は薄い。
「とはいえ趣味になさっているだけに、却って難しいですね……」
フィリアは顎に手を当て、可愛らしく悩む。
そんな年相応の少女の姿に、オルヒデアは穏やかな視線を注ぐ。
「まあまあ。じっくり考えればいいんですよ。さ、どうぞ」
そういって、乙女はフィリアに茶菓子を配膳する。
少女は礼を言ってから、ハーブが練り込まれた焼き菓子を摘まみあげた。すると、
「あ――」
と、頓狂な声を上げる。どうやら何か思いついたらしい。
「どうかされましたか?」
「はい。その、ポプリをお贈りするのはどうかなと思いました。邪魔にもなりませんし、お部屋に置けばしばらくは香りを楽しめますし……」
おずおずと意見を述べるフィリア。軍議では物怖じせずに発言する彼女が、ひどく気弱な様子である。
「それは良い考えです! 折角ですから、フィリアさんのお手で御造りになればなおよろしいかと思いますよ」
オルヒデアは両手をぽんと打ち鳴らして同意する。
案そのものに感心したというより、この歪な少女が苦心惨憺して贈り物を考え出したことが嬉しいらしい。
「手作り、ですか? 生憎ですが、私では贈り物に相応しい品を作れるかどうか……」
「そんなことはありません。きっと伯父上様もお喜びになりますよ」
創作活動などしたことのないフィリアは難色を示すが、オルヒデアは明るい調子で強く手作りを勧める。
話を聞けば、少女とアルモニアの仲は思った以上に親密そうだ。大事な姪が手作りしたというなら、少々不出来でも喜ぶに違いない。そして、
「ちょうど、お部屋にそういった本が沢山あったんです」
と、乙女は言う。
彼女の幽閉されている地下室には小ぶりな書棚があり、そこにはなぜか園芸関係の本が多数収められていた。
乙女は手持無沙汰の余りその何冊かに目を通していたが、まさにその中に、ポプリやドライフラワーの作り方を記した本もあったのだ。
「早速今から作りましょう。本を取ってきますね」
善は急げとばかりに、オルヒデアが東屋から出ていく。深窓の令嬢でありながら、大した腰の軽さである。
「わぷ!」
「オルヒデアさん!?」
が、粗忽者の彼女が勢い込むとろくなことにならない。
駆けだした乙女は些細な段差に足を引っ掛けて転び、フィリアは慌てて介抱に走る事となった。
× × ×
何時しか太陽も随分と傾き、世界を茜色に染め上げていた。
東屋のガーデンテーブルには、瓶詰されたばかりのポプリが三つ置かれている。
あれからフィリアとオルヒデアは中庭を巡り、薔薇を中心に花びらやハーブを採取すると、厨房に押し入ってオーブンを占拠し、ドライフラワーを作った。
それからエッセンシャルオイルやフレグランスオイルを探して屋敷中を駆けずり回り、何とか完成にこぎつけた次第である。
「お時間を取らせてしまって、どうもすみません……」
「そんなことありませんよ。御蔭で随分いい物ができたではありませんか」
夕暮れの中庭で、作業を終えた二人は和やかに言葉を交わしていた。
折角だからと、プレゼント用以外にもオルヒデアとフィリアの分もポプリを作ったため、思惑時間がかかってしまった。
だが、二人に疲労の色はない。
瓶詰された色鮮やかな花々を見ると、自然と頬が笑み崩れる。自分の手で作品を作り上げたときの、得も言えぬ充足感が二人を満たしていた。
「本によると、暫く置いて熟成させなければならないみたいですね」
「はい。丁度、私の誕生日くらいにできそうですね」
「えっ?」
ふと少女が溢した言葉に、オルヒデアが反応する。
「フィリア様、もうすぐ誕生日なのですか?」
「はい。そうですけれど……」
きょとんとした少女に、乙女は目をきらりと輝かせ、
「それは素晴らしいです! 私からも是非お祝いをさせてくださいね」
と、大げさに喜んだ。
「あの、ええと、その……あはは」
まるで身内の慶事に立ち会ったかのようなオルヒデアのはしゃぎぶりに、フィリアは曖昧な笑顔で応じるしかない。
どこの世界に監督役を祝う捕虜がいるのか、という話だが、そもそも彼女たちの親密ぶりからして普通ではない。
フィリアが役職を外されないのは、彼女の持つサイドエフェクトが有用なことと、オルヒデアの精神状態を慮ってのことである。
ただし、あくまで大目に見られているのであって、今後捕虜の取り扱いに不利益が出ると判断された場合には、少女は役目を解かれることになるだろう。
「ありがとうございます。お気持ちだけでも、とっても嬉しいです」
そんな事情はともかくとして、フィリアは丁寧に感謝の念を述べる。
忌み子として生まれた少女を祝ってくれたのは、今まで家族だけであった。乙女の思いやりは素直に喜ばしいものである。
「それでは、今日はもう失礼します。くれぐれもお体にはお気を付けください」
視察の時間というには長居しすぎている。フィリアはポプリの瓶を鞄に納めると、オルヒデアに見送られて中庭を後にした。
夕焼けに染まる庭園に、一人立ち尽くすオルヒデア。
少女の姿が見えなくなると、入れ替わりに数人の侍女が館から出てきた。彼女たちはこの館での監視役である。フィリアとは違い、彼女たちは態度こそ恭しいものの、捕虜であるオルヒデアには決して心を許さず、機械のような対応しかしない。
乙女の運動時間はとうに過ぎているため、地下へと連れ戻しに来たのだろう。
「オルヒデア様。そろそろお時間です」
「……はい。承知いたしました」
冷厳な侍女たちに囲まれ、乙女の顔から表情が消える。
器物を扱われるような態度で接せられると、乙女は否応なしに己の虚しい立場を自覚せざるを得ない。
前後を侍女に挟まれ、まるで罪人のように館へと歩くオルヒデア。
このエクリシアに、彼女の味方と呼べる人間は果たしてどれだけいるのだろうか。
外で働かされることになれば、同郷の人間とも会えるかもしれない。だが、果たして彼らはオルヒデアを受け入れてくれるだろうか。
「――っ!」
その時、沈鬱な乙女の表情が一転して花の綻ぶような笑顔となった。見れば、彼女を出迎えるように金髪の貴婦人が立っている。彼女こそ、この国で彼女を受け入れてくれた数少ない友人の一人、パイデイア・イリニだ。
乙女と友誼を結んだフィリアの母であり、孤独な捕虜生活を支えてくれた恩人である。
オルヒデアは満々と笑みを浮かべ、パイデイアの元へと駆け寄った。
なぜか愛する娘と疎遠になっている彼女は、オルヒデアの口からフィリアの様子を聞くのを何よりの楽しみにしている。そしてオルヒデアも、複雑な事情を抱える母娘の橋渡しができるのを嬉しく思っている。
今日は色々と楽しい出来事が沢山あった。そして話題はそれだけではない。
少女の誕生日がもうすぐなのだ。
乙女は胸をときめかせ、パイデイアへと語りかけた。