WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
風格漂う重厚な調度品で整えられた、イリニ騎士団総長の執務室。
主人の質実剛健な人柄を反映しているかのように、室内は埃一つなく清潔で、また重役室にはつきものの華美な装飾は少しも見受けられない。
書架には歴代の資料が整然と並び、棚には教会から送られた宝剣や感状が何気なく置かれている。
立ち入る者の身を自然と引き締まらせるような、凛冽な空気に満ちた部屋である。
「今季の従士団の訓練記録をお持ちしました。総長閣下」
「ああ」
この総長室に立ち入る時、フィリアは柄にもなくいつも緊張してしまう。
なぜならこの執務室は砦の建設当時から、歴代の総長が何代にも亘って過ごしてきた、いわば騎士団の歴史そのものともいえる部屋なのだ。
隅々まで染み透った歴史の重みには、思わず委縮してしまう。
しかし、今日この日。当主の机へと歩み寄ったフィリアは自然と頬を綻ばせた。
重厚謹厳な雰囲気には似つかわしくない、華やかで心安らぐ香りが鼻をくすぐる。
見れば、当主の執務机の上には、香しい芳香を漂わせるポプリが置かれている。
つい先日、フィリアが手渡した贈り物を、総長アルモニアは早速用いているのだ。
「どうした?」
「はっ――何も問題はありません」
謹直な態度で答えつつも、フィリアはふへへと顔が緩むのを抑えられない。
アルモニアはポプリのみならず、小物やペンまで、少女が贈った全ての品を身に着けてくれている。それもただ礼儀として使っている訳ではなく、実用品として気に入ったらしい扱い方だ。
自分の思いが受け入れられたことが、何より嬉しい。
また贈り物には散々頭を悩ましたこともあり、喜びも一塩である。
「ふむ。ご苦労だった」
アルモニアはそんな少女の変化に気付いた風もなく、報告書を受け取ると自分の仕事に戻るべく、視線を手元に戻した。そして、
「フィリア。明日は君の誕生日だったな」
と、不意にそう言った。
「は。はい。そうです」
伯父と姪という密接な間柄であり、また総長と騎士という立場に就く二人は、他者からの誤解や偏見を招かぬように、団内では務めて事務的に付き合っている。
公私の峻別は別にお互いに取り決めたことではなく、どちらからともなく自然とそうなった、いわば不文律のようなものだ。
しかし、アルモニアは今日、初めてプライベートな事柄を口にした。それだけでなく、
「サロスたちがうるさくてな。勝手ですまないが、明日は半休にしておいた。午後はゆっくりするといい」
とまで言う。
「――あ、ありがとうございます」
咄嗟に言葉が出てこなかったフィリアは、ともかくか細い声で礼を述べた。
歓喜と気恥ずかしさが湧き起こり、少女は目を伏せ縮こまってしまう。
伯父と姪という関係でありながら、体面を気にしてことさら他人のように振る舞ってきた二人。そんな歪な関係を解消しようという、アルモニアの強い意思を感じる。
呪われたノマスの子でありながら、騎士として華々しい戦果を挙げるフィリアを、世間や騎士団は徐々に受け入れつつある。
しかしそれでも、エクリシアの民は少女を同朋と見なしているかは怪しいものである。
アルモニアはそんなフィリアの行く末を心から案じているのだろう。
伯父の暖かな心遣いに、少女は照れた顔を戻せずにいる。そして、
「明日は私もなるべく早く帰ろう。楽しい誕生日になるといいな」
と、敬愛する伯父がそんなことまで口にしたので、フィリアはいよいよ顔を真っ赤にして俯いてしまった。
× × ×
そうして、フィリアの十二回目となる誕生日が来た。
午前上がりで騎士団から帰ってきたフィリアは、多少落ち着きのない様子でイリニ家の正門をくぐる。
弟妹たちは暫く前から姉の盛大な誕生日会を企画していたらしい。用意をしている現場にも遭遇し、そのたびに素知らぬ風を装うのに苦労したものだ。
しかも弟妹たちは、今年は屋敷の使用人やアルモニアをも抱き込んでしまったらしく、何やら屋敷全体が祝賀ムードとなっている。
どれだけ生活が苦しくとも、フィリアたちは家族の誕生日を毎年欠かさず祝ってきた。しかし、これだけ大仰になってしまうと、主賓としては少々身構えてしまう。
それでもフィリアは喜びに浮かれながら、屋敷の中へと入る。すると、
「げっ、姉ちゃんもう帰ってきたのかよ!」
と、上の弟のサロスが、驚愕した表情で姉を出迎えた。
「ただいま。今日は早く帰れたの」
「え~……伯父さん確かに頼んだけどさぁ」
サロスは大荷物を抱えたまま唸り声を上げる。思いもがけないフィリアの帰宅に困惑しているようだ。
どうやらまだ誕生会の用意は整っていないらしい。
弟妹たちはアルモニアに、誕生日だけは姉を残業させずに帰らせるよう頼んだのだが、それを半休にしてしまったため、このような事態になってしまったのだ。
「もう。遅っーい! サロス何してんのよ! って姉さん!?」
そして妹のアネシスが大広間の扉から顔を出し、姉の姿を見て目を丸くする。
「え、お姉ちゃんもう帰ってきたの?」
下の弟イダニコも扉からひょっこりと顔を出し、フィリアはあっという間に弟妹に囲まれた。兄弟そろって作業服を着ており、慌ただしく飾り付けをしていたらしい。
「えっと……もう少し外に出てた方がいいかな」
「そんなことないよ姉さん! でもまだいろいろ準備中だから、もうちょっと待っててね。あ、ほらヌース、姉さん帰ってきたよ」
気を使って外出していようかというフィリアを、妹たちが強く引き留める。
そして弟妹たちの背中からヌースが現れ、
「おかえりなさいフィリア。まずは汗を流してはどうですか」
と、声を掛けた。
弟妹たちに背中を押されるように湯殿へ連れていかれ、そのあとまっすぐ自室へ向かうよう促される。
誕生日会は日が暮れてから開始する予定のため、主賓のフィリアはそれまで大人しく待っていることになった。だが、
「う~ん……」
どうにもこうにも、暇を持て余す。
仕事人間のフィリアにとって、何もしなくてもいい時間というのはなかなかに苦痛である。趣味らしい趣味もなく、家には寝に帰るだけの暮らしぶりであったため、部屋には暇を潰せるようなものはなにもない。
さりとて仕事の続きをするのは義理を欠いているような気がするし、風呂に入ったばかりでトレーニングをするわけにもいかない。
ただ惰眠を貪るという手もあるが、少女の性格的にはどうしても難しい。できるなら弟妹たちに混じって作業を手伝いたいのだが、それは流石に不味いだろう。
「……」
手持無沙汰に耐え兼ねたフィリアは、うろうろと部屋の中を歩き回ったり、特に意味も無く飛び跳ねてみたりと奇行に走りだした。
それにも飽きると、少女はベッドにうつぶせで倒れ込む。
「あ~」
マットレスに顔を埋め、間の抜けた声を出す。
そうしてなんとなく首だけ横に向けると、サイドテーブルが目に入る。その上には瓶詰にされたままのポプリが置いてある。
「そうだ」
アルモニアに送る事ばかりに気を取られて、自分の為に作ったポプリをすっかり忘れていた。
少女は早速ベッドから飛び起きると、ポプリの瓶を開封する。と同時に、華やかな芳香が立ち上った。
少女は暫し目をつぶり、その素敵な香りに陶酔する。
オルヒデアと苦労しながら行ったポプリ造り。アルモニアとの執務室での会話。そういった思い出が、匂いと共に鮮やかに蘇ってくる。
一頻り香りを楽しむと、フィリアはふと部屋の中をぐるりと見渡した。ポプリを移す器を探すためである。
しかし、部屋には気の利いた器など一つも無い。伽藍堂の自室を眺めて、少女は言い知れぬ寂しさを覚えた。
この美しい香りが、殺風景な自室にはどうにも不釣り合いなのだ。
少女は今更ながらに、自分の暮らしぶりの侘しさに気付いた様子で、
(もう少し、飾り付けたほうがいいのかな……)
と、胸中でそう呟いた。
自室の飾りつけなど、以前の彼女なら時間と手間の無駄と切って捨てただろう事柄である。だが、他者との触れ合いで情操が芽生えた今となっては、この殺伐とした部屋が、如何にも寒々しい自分の心を表しているようで嫌なのだ。
そうして少女が物思いに耽っていると、
「フィリア。入っても構いませんか」
と、廊下からヌースの声が聞こえた。
「どうしたのヌース。準備はもういいの?」
「子機を付けています。あなたが暇を持て余しているだろうと思ったので」
扉を開けると、ヌースはそんなことを言う。
一言も反論できないフィリアは、苦笑いを浮かべて彼女を迎え入れた。
一人ではどうしようもない手持無沙汰も、家族といるなら話は別だ。少女はベッドに腰掛け、ヌースと取り留めのない会話を始めた。
話題は弟妹たちの日々の暮らしぶりについてである。
母が不在なため、本来なら家族を監督するのは長女であるフィリアの役目なのだが、騎士団に勤める彼女に家族を顧みる時間は殆ど無い。
そんな少女に変わって、弟妹たちの面倒を見てくれているのがヌースなのだ。
「サロスたちも最近は目標ができたようで、日々の暮らしにも身が入っています」
ヌースの言葉に、フィリアはへえと感心の声を上げる。
この二年で弟妹たちはすっかりイリニ家に馴染み、今では家名を汚さぬようにと懸命に課業に励んでいる。これは姉の活躍に影響された面も大きいのだが、フィリアはただ弟たちの頑張りを素直に喜ぶばかりである。
サロスは姉に続いて騎士団に入ることを夢見て、日夜訓練に励んでいる。そう恵まれたトリオン機関を持っている訳ではないものの、今から努力すれば人並み以上には十分になれるだろう。
姉として、弟に戦場に立ってほしいとは思わないが、それでも自分が目標にされるというのは面はゆい気持ちである。
アネシスはトリオン工学に興味を持っているらしい。トリオン技術は軍事面だけではなく、この世界の基盤となっている技術だ。トリオンはあらゆる民生品となり、それらを動かすエネルギーでもある。
もともと手先が器用で、創造性に富んだ娘である。人の役に立つ物を作りたいという妹の思いは、家族として是非応援したい。
末の弟イダニコは、まだ色々と学んでいる最中である。けれど最近は家庭教師も驚くほどの俊秀ぶりを発揮しているそうだ。学習意欲が旺盛で、世界のことを知りたくてしょうがないといった様子らしい。
天使のように心優しい弟は、いったいどんな夢を思い描くのか。姉として今から楽しみでならない。
フィリアは満ち足りた思いで、ヌースの口から語られる家族の暮らしに耳を傾ける。
彼らの幸福こそ、少女の生きる意義である。
そんな掛け替えのない宝物である彼らが、自分を祝うために心を尽くしてくれている。
その歓喜、その幸福。
呪われた出自も、苦難に満ちた人生も関係ない。フィリアは己こそが世界一の果報者であると、心から信じていた。
「姉さ~ん、入っていい?」
それからどれ程たったか。夕闇が世界を染め上げ始めた頃、フィリアの部屋を弟妹たちが訪ねてきた。
「お疲れ様。もう準備ができたの?」
フィリアは満面の笑みを浮かべて彼らを部屋に招き入れる。
弟妹たちは礼服やドレスに着替えており、既に準備は万端だ。彼らはフィリアを取り囲むと、口々に話し出す。
「はぁ~疲れた。こいつ力仕事は俺にばっかさせるんだぜ」
と、早速サロスが口を尖らせ妹の暴虐をフィリアに訴えた。
「適材適所よ。元気が有り余ってるアンタには丁度いいでしょ」
アネシスも慣れたもので、茶目っ気たっぷりの仕草で混ぜっ返す。
そんな弟妹のじゃれ合う姿も、殊更に愛おしい。フィリアは慈母のような笑みをうかべながら、彼らの話に耳を傾け、労をねぎらう。
「お姉ちゃん。すっごく綺麗にできたよ。楽しみにしててね」
と、サロスが待ちかねたようにフィリアの手を引いた。するとアネシスが、
「ちょっと待った! 姉さんはこれから御粧しの時間よ。男どもは出てった出てった」
と言って、弟たちを追い払ってしまう。
確かに、今のフィリアは何の飾り気も無い部屋着姿である。誕生日会の主賓として、流石にこのままでは出られないだろう。
「ああ、うん。少し待ってね。すぐに用意するから」
といって、フィリアはクローゼットへと向かう。貴族の端くれとして、パーティ用のドレスは何着か持っている。ただし仕立てたのは随分前なので、サイズが合わなくなっているかもしれない。だが、
「あら、姉さん駄目よ。折角の誕生日会なのよ。ちゃんとオシャレしなきゃ」
と、アネシスが可愛らしく通せんぼをする。そして、
「すみません、お願いします!」
と、廊下の外へと大声で呼ばわった。すると、
「は~い!」
と、呑気な返事と共に部屋へ入ってきたのは、薄紫色に輝くパーティドレスに身を包み、化粧もばっちりと整えたメリジャーナである。
「な――」
絶句するフィリアをよそに、メリジャーナに続いて侍女たちが入室してきた。彼女たちが押しているカートには、真っ新のドレスやらコスメやらが山と積まれている。
「さ、フィリアさん。私に任せてね! ばっちり綺麗にしてあげるから」
目を爛々と輝かせ、メリジャーナが少女に押し迫る。
見れば、アネシスも息を荒くして姉へとにじり寄ってくる。同じ家に属するとはいえ、いったいいつの間にこの二人は知遇を得たのだろうか。
ただ一つ確かなのは、この二人に服を選ばせては、只では済まないということだ。
「あ、あ……」
フィリアは思わず後ずさるも、背後に回った侍女に肩を抑えられてしまう。
そうして、情け容赦のない少女の改造計画が始まった。
その頃、廊下に追いやられた弟たちはというと、
「何時間ぐらいかかると思うよ?」
「う~ん。わかんないや」
漏れ聞こえる姦しい声を聴きながら、姉の身支度が整うのを、疲れた顔をして待つばかりであった。
× × ×
妹と同僚によって散々に着せ替え人形にされたフィリア。結局彼女の装いは、髪の色と同じ純白のドレスに決まった。
清楚ながらも可愛らしい仕立てのドレスは、珠のような褐色の肌を美しく引き立てる。雪のように白く輝く髪は梳いて纏められ、少し大人びた印象を与える。
アクセサリーは敢えて控え目にして、胸元を飾る銀の鍵を目立たせることにする。
そしてメリジャーナの手によってほんのりと薄く化粧を施されると、少女は見る者を引き付けてやまない、清冽で可憐な玲瓏たる姫君へと変身した。
黄金に煌めく瞳と、可憐ながらも清冽な面立ち。
立ち居振る舞いから放たれる凛呼とした気品は、貴族の一員として相応しいどころではない。
まるで一葉の絵画のように、少女はどこか触れ難いほどの神聖な風格を纏っていた。
「どう、かな……」
「……」
まずは彼らにお披露目と、部屋に招き入れられたサロスとイダニコは、姉の神々しいばかりの晴れ姿に揃って言葉を失ってしまう。
「えっと、やっぱり変かな?」
「い、いやっ、そんなことねーよ」
「お姉ちゃんすごく、綺麗」
羞恥に頬を染め、自信なげに目を伏せるフィリアに、弟たちは慌てたように賞賛の言葉を口にする。
「いい。すごくいいわ。ホントに最高」
「姉さんすごい……お姫様みたい」
メリジャーナとアネシスも、少女の意外なまでの変貌ぶりに、陶酔したような視線を送るばかりである。元々器量の良い娘であったが、着飾るだけでここまで変わるとは。
支度を手伝った侍女たちも、少女の品格に只々圧倒されている。
「さて、それじゃあそろそろ行きましょうか」
準備は万端整った。誕生日会を始めようとメリジャーナが言う。
弟妹たちは揃って頷き、褒め殺しで真っ赤になっているフィリアを取り囲んだ。
「じゃあ、私は先に会場に行ってるわね。みんな頑張って!」
と、そういってメリジャーナは先に部屋を出て行ってしまう。彼女はあくまで衣装合わせに手を貸してくれただけで、本来は来賓である。
「さ、エスコートはイダニコよ!」
「うん。分かってる」
アネシスに命じられ、イダニコが恭しくフィリアの手を取った。ここから会場までは、弟妹たちが介添人として案内する手はずだ。
フィリアは家族に囲まれながら、部屋を後にする。だが、
「ヌース?」
もう一人の家族が、少女たちについてこない。
「私は此処で待っています。どうぞ、皆で楽しんできてください」
例年、誕生日は家族みんなで過ごしてきた。当然今年もそうなるものとばかり思っていたのだが、ヌースは部屋に残ると言う。
「っ――」
怪訝に思うより先に、フィリアの超感覚が囁きかけた。弟妹たちは少女の誕生日会にあたって、屋敷に出入りする他家の人間にも声を掛けたらしい。
アルモニアも養子たちを今まで以上に強く後見すると決めたばかりであり、そのことを咎めなかった。
旗下の家への所信表明として、フィリアの誕生日会は絶好の好機である。要人たちを一堂に集め、フィリアたちと実の家族のように接する姿を見せれば、彼らもアルモニアの胸中を察することだろう。
そんな思惑もあって、今日行われるフィリアの誕生日会は、イリニ家に属する家々の要人が詰めかけている。
自律トリオン兵のヌースは依然としてイリニ家の抱える重要機密である。当然ながら、衆目に曝すことはできない。彼女はフィリアの誕生日会には参加できないのだ。
「そういうことです。どうぞ私のことは気にせずに……」
「――嫌だ」
硬く強張った声が響いた。
それは発したフィリア自身、思いもよらずに口を突いて出た言葉であった。
家族の成長を祝うこの日に、弟たちが心を込めて整えた場所に、ヌースがいない。そのことがどうしようもなく胸をかき乱し、少女は反射的に声を出していた。
言ってから、子供じみた我儘だと思い至る。
ヌースの配慮は当然のことであるし、そもそも家族を顧みない自分にそんなことを言う資格はない。去年の誕生日とて、自分は家族と共に過ごさなかったのだ。
フィリアは不用意な発言を撤回しようと口を開く。だが、
「仕方ありません。フィリアの意思を尊重します」
「え?」
ヌースがさらりとそう言い、姉弟たちの元へと飛んできた。
「サロス。例の作戦で行きましょう」
「お、おう! 任せといてくれよ」
言うやいなや、ヌースの体表の一部が滲むように変化し、雫のようなものが落ちる。
涙滴型をした掌に収まるほどの大きさのそれには、ヌースと同じく二つの目がついている。これは彼女が意識を共有する、子機とよばれる端末である。
ヌースの子機はふよふよと宙を進むと、形状を変化させサロスの胸元へと張り付いた。白く艶やかな見た目も相まって、一見すると礼服の飾りにしか見えない。
どうやらヌースの列席については、事前に入念な打ち合わせがあったらしい。
「これで全員参加です」
親機の方のヌースが、何処か楽しげな声でそう言う。
彼女は自分も列席できることよりも、フィリアがそれを望んだことを喜んでいるようだ。
「そうそう。やっぱりお祝い事はみんなでしないと!」
階下へと向かいながら、アネシスがそう言う。
その声に、何処か含みがある。
「お姉ちゃん、行こう!」
フィリアの腕を取るイダニコも、妙に急いた様子である。
「さ、早く早く!」
後ろを歩くサロスなど、今にも駆け出しそうな有様だ。そのはしゃぎようは、ただパーティーを前に浮かれているだけのものではない。
一同は大階段を降り、式場となる大広間へと向かう。
使用人たちはフィリアたちの到着を見ると、大扉を開け放った。
「――っ!」
麗しい旋律と、来賓の歓声が少女たちを出迎える。
目に飛び込むのは、豪華絢爛に飾り付けられた会場の光景だ。
見事に設えられた調度品の数々。式場の一角には楽隊が座り、生演奏で会場に楽の音を添えている。
並べられたテーブルには豪奢な料理と飲み物が並び、そして正面に据えられているのは、主賓の到着を今か今かと待つ巨大なケーキだ。
そしてテーブルの側に立ち、フィリアに祝賀を述べているのは、イリニ家に属する大小さまざまの貴族、その当主や名代たちである。
この煌びやかな景色をどう例えたものか。ここまで贅を尽くし、心を込めて祝われる人間が、エクリシアの一体どこにいるというのだろうか。
だが、フィリアから言葉を奪ったのは、絢爛たる式場でも、来賓の豪華さでもない。
フィリアの正面。会場の中心に立つ人影。
当主であるアルモニアを差し置いて、今まさにフィリアの視線を一身に集めるその人物。
麦穂のように美しい金髪と、翡翠のように輝く瞳をした妙齢の貴婦人が、陽だまりのように暖かな笑顔を浮かべ、少女を出迎えている。
彼女はパイデイア・イリニ。
ずっと面会を拒み続けていた母の姿が、そこにあった。