WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の三 天才の目覚め

 一切の装飾をそぎ落とした、直線と平面で形作られた巨大な城塞。

 華美を尽くした貴族の屋敷とはまったく異なる無骨な建造物が、エクリシアの象徴にして心臓部たる大聖堂を取り囲むように建っている。

 

 その数は三つ。いずれも外壁はトリオンで構築されており、光沢のない樹脂のような質感が無機質さをより一層際立たせている。

 これらの建物はエクリシアの三大貴族が所有する騎士団の砦である。

 

 建国よりエクリシアを護り続けてきた精忠無二なるイリニ家。

 賢者を数多く輩出し国政を導いてきた神機妙算なるフィロドクス家。

 その武力で敵国を悉く打ち破ってきた勇猛無比なるゼーン家。

 

 それぞれの騎士団は各貴族の家名が冠せられており、一見すると私兵集団のように見える。しかし最高指揮権は教会が有しており、国難に当たっては教皇の名の下に統合して運用がなされる。

 そのため騎士団は事実上の国軍として位置づけられており、年齢とトリオン能力よる入団制限はあるものの、その門戸は国民すべてに開かれている。

 

「なんだお前は、ここは貧民の来る場所じゃないぞ。施しなら余所に行け」

 

 イリニ騎士団の砦へとやってきたフィリアは、門前の歩哨に誰何を受けていた。市民階層の出と思しき若い男は、明らかに少女を訝しんでいる。

 服装は身綺麗だが、敵国ノマスの肌色と顔立ちをした子供である。貧民の物乞いと判断されても仕方ないところではあろう。

 

「イリニ家にてご厄介になっておりますフィリアと申す者です。ご当主アルモニア様にお昼をお持ちしました」

 

 少女が礼を尽くして言葉を述べると、歩哨の男はさらに怪訝な表情を浮かべ、そして一転笑顔となった。

 

「――――ッ」

 

 乾いた音が辺りに響く。フィリアの左顔面を強い衝撃が襲った。

 男が少女の頬に張り手をみまったのだ。

 

「どこで覚えたのか知らんが、ノマスのガキが総長の名を口にするな。……これでわかったろう。早く失せないともっと痛い目をみるぞ」

 

 頬を強かに打たれた少女は大きくよろめくも、力強く足を踏ん張り、決して倒れることはなかった。

 サイドエフェクトはこの展開を予見していたからだ。それにこの程度の痛みで音を上げるような子供なら、少女はとっくの昔に壊れている。

 

「イリニ家のフィリアと申します。――今一度、お願いいたします。ご当主様か、第二兵団長グライペイン様にお取次ぎ願えませんか」

「………………!?」

 

 殴られても呻き声さえ上げず、それどころか射すくめるような視線を向けるフィリアに歩哨の男はたじろいだ。

 気迫で飲んでしまえば、後はこちらの優位に話を進められる。

 しかしその時、思いもよらぬ人物が砦から現れた。

 

「おい、一体何をしている」

 

 歩哨に声をかけたのは、五十に届くかどうかといった禿頭の男であった。背はそれほど高くないものの、肩幅が広く鍛えこまれた体をしている。

 日焼けした肌には深い皺が刻まれており、厳格そのものといった風貌である。ただ薄茶色の小さな瞳だけが、何処か少年のような茶目っ気を感じさせる。

 

「――ディ、ディミオス団長。いえ、これはその……」

「お初にお目にかかります。イリニ家のフィリアと申します」

 

 歩哨の言い訳がましい言葉を遮り、フィリアはディオミスと呼ばれた男に挨拶をする。

 その名には聞き覚えがあった。彼はイリニ騎士団の第一兵団長、ドクサ・ディミオスに間違いないだろう。

 イリニ家に使えるディミオス家の当主にして、アルモニアの信任厚い古強者である。

 

 ともあれ、フィリアにとってこのタイミングでの接触は望ましいものではなかった。

 目的の為には何は無くとも騎士団内部に通されなければならない。

 騎士の鑑と誉れ高く、女子供に優しいと評判のグライペインならば見学ぐらいは許してもらえるだろうとの腹積もりであったのだが、はたしてこのドクサなる人物はどうか。

 

「ほう――なるほど、確かに……」

 

 ドクサは何やら独言すると、無遠慮に少女を眺めまわした。

 パイデイアとその家族についての話は耳にしていて当然である。加えてフィリアの瞳や髪の色はノマスの血筋を引く人間の中でも極めて珍しい。

 ドクサは少女の言い分に納得したように厳めしく頷く。しかし彼は逞しい腕を胸の前で組むと、片眉を上げて問いかけた。

 

「お前さん一人かね。勝手に屋敷を抜け出したんじゃなかろうな」

「――あっ!」

 

 少女の立場を知る者なら当然の疑問である。想定通り、フィリアは大げさになりすぎないように声を上げ、今更気付いたかのように困惑してみせた。

 

「……お屋敷のどなたにも、言ってないです」

「そりゃいかんな。なんだってここまで来たんだ」

「それは……」

 

 少女はいじらしく視線を落とし、バスケットを揺らす。

 

「お昼を作ったら厨房の皆さんにも褒めていただいて……それで、ぜひご当主さまにも食べていただきたいと思って……」

 

 台本通りにセリフを述べる。子供らしく振る舞うのはどうも難しい。弟妹を参考に善良であどけない子供を装ってはいるが、はたして違和感を覚えさせずに済むかどうか。

 何とか、警戒されぬよう立ち回らねばならない。

 

「弁当の配達か。感心な嬢ちゃんだ。けど残念だったな、総長は不在だ。今日は教会の会合に出てらっしゃる」

「えっ、そうなんですか……」

 

 無論、フィリアは知っている。だからこそ今日動いたのだ。アルモニアに見つかればその時点で屋敷に連れ戻される。それでは騎士団まで来た意味がない。

 

「あの、いつこちらにお戻りになられますか」

「早くても夕方だろうなあ。まあ、せっかく持ってきてくれたんだ、総長には渡しておこう。お前さんは……」

「――お願いがあるんです!」

 

 ドクサの言葉を遮り、フィリアは大声を上げる。ここでたじろいでは希望の糸は途絶えてしまう。

 

「ご当主さまのお部屋には、私の手でお届けしたいんですっ!」

 

 少女の思わぬわがままに、ディミオスは困ったように頬を掻いた。

 砦の中に入れるかどうかは彼の胸三寸である。サイドエフェクトは成否両方の可能性を示していた。

 

「いや、いくら総長の姪御殿とはいえなぁ……」

 

 少女を宥めるような声。豪放磊落だが、目端の利きそうな男である。監視下にある子供を野放しにするはずもなさそうだ。

 フィリアが次善策を考えていると、そこへ思わぬ人物が現れた。

 

「おや、そこにいるのはフィリア殿ではありませんか」

 

 颯爽とした足取りで砦から現れたのは、イリニ騎士団第二兵団長、金髪の美青年テロス・グライペインだ。

 

「グライペイン様!」

 

 少女は知った顔に会えて心底喜び、また安心したように顔を綻ばせる。

 

「ディミオス殿、なぜここに彼女が?」

 

 テロスはドクサから事の経緯を説明される。幸いなことに、フィリアが書いた筋書に納得しているようだ。

「なるほど、感心なレディだ。そういうことなら私がお連れいたしましょう」

「本当ですか!」

 

 予想通り。この男なら子供の頼みを無碍に断りはしないだろうと直感していた。

「おい、テロス」

「大丈夫ですよディミオス殿。見学ならいつでも受け付けているではありませんか」

 

 門前では歩哨に厳しい誰何を受けたが、本来騎士団はある程度のエリアまでなら簡単な手続きさえ踏めば誰でも簡単に入ることができる。

 これは兵隊の確保の為の仕組みである。

 基本的に騎士団へ入団を志す者は、それぞれが住まう土地を収める領主の下へ志願することが多い。

 

 しかし、トリオン能力の高い者は何処の騎士団でも引く手あまたである。

 早いうちから目星をつけ、青田買いを行うのは半ば慣例となっていた。

 所属さえさせてしまえば、領民云々はもはや関係がない。有能な兵隊を多数確保した家は、議会でも強い発言権を持つことができる。

 

 そのような事情から、殆どの騎士団は志願者、見学者に大層好意的である。イリニ家も体験プログラムを組むなどして勧誘努力を怠らない。

 

「ちょうど今から見学会を引率するところですから、フィリア殿も一緒に回りましょう。総長の執務室の近くも通るので、その時に弁当を届けられるといい」

「ありがとうございます。グライペイン様、ディミオス様!」

 

 フィリアは大げさに頭を下げて礼を述べた。

 一時はどうなる事かと思ったが、無事に当初の目的、すなわち騎士団への侵入を果たすことができた。

 次は、いかにして騎士たちの目に留まるかだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 見学者の子供たちに混じる、一際小さな白髪の頭。

 

 テロスに引率された少年少女たちは興奮に顔を輝かせながらイリニ騎士団の砦を歩いている。

 彼らが連れてこられたのは、諸々の展示品が並べられた外部向けの広報コーナーである。

 実際の所、この砦は防衛目的で使用されている訳ではなく、騎士団の運営と兵士の訓練場として使われている。城塞としての機能は充分なものだが、そもそも聖都まで敵の侵攻を許した時点で劣勢の極みであるからだ。

 

 人口密集地である聖都を戦場にする訳にはいかないため、敵国の侵攻は郊外の不毛地に誘導し、そこで撃滅する。

 そうした理由から、砦の中は小奇麗に整えられており、戦場を感じさせるような物々しい雰囲気はどこにもない。

 

「さて、かつて我がエクリシアは平和を愛し勤勉に働く人々が住まう小国家に過ぎなかったのですが……」

 

 椅子に座って映像記録を鑑賞する子供たちに、テロスが良く通る声でエクリシアの建国史を語り聞かせている。

 内容は教会がミサで語り聞かせるものと同じく、エクリシアの苦難と復活の道程を謳うものだ。

 

 異なっているのは、イリニ家の活躍が少々大げさに潤色されていることだろうか。

 いずれにせよフィリアにとってはまるで興味がない題材である。膝に乗せたバスケットを抱えながら、少女は退屈な映像を瞳に映し続ける。

 鑑賞会が終わると、一同は展示室を出て砦の中央部へと連れられた。

 

「さあ御覧なさい。護国を担う若き戦士たちです」

 

 子供たちの眼下に広がるのは、総トリオン製のアリーナである。広大な空間は多数の闘技場として区切られており、透明のトリオンシールドで覆われている。

 

 その闘技場の中で、年若い少年少女たちが武器を手に鎬を削っている。

 彼ら「従士」は騎士団に所属する訓練生である。

 従士に与えられるトリガーは剣、砲盾、小銃、狙撃銃、シールドの五種類。

 それらの扱いに習熟した従士はやがて戦地にて功績を残し、教会での叙勲を受けることで晴れて一人前の「騎士」となる。

 

 トリオン体に換装した従士たちが剣や銃を手に熾烈な戦闘を繰り広げている。

 剣撃が宙を裂き、弾丸が地を穿つ。人体を遥かに凌駕したトリオン体による超常の戦い。

 敗北を喫した者はトリオン体が破損し、生身の肉体に戻される。すると敗北者は速やかに闘技場を出て、入れ替わりに新しい従士が立つ。

 

 何時終わるとも知れぬ激しい戦いに、見学者の子供たちから歓声の声が上がる。

 実戦さながらの熱気もさることながら、子供たちが目の当たりにしているのは彼らの未来の姿なのだ。興奮も一塩だろう。

 通常の戦闘訓練の他に、こうした実戦形式で行われる訓練を経て、従士は多くの経験と強靭なトリオン機関を獲得していく。

 

「――――」

 

 熱狂する子供たちの集団の中で、不気味なほどに静かに佇む少女の姿があった。

 フィリアは黄金の瞳を爛々と輝かせ、戦い続ける若き戦士たちの姿を凝視する。まるで一挙手一投足に至るまで見逃すまいという気迫である。

 

 やがて、少女の眼前で繰り広げられる戦いも徐々に終局が見えてきた。

 トリオン体での戦闘は当然ながら起動者のトリオンを消費して行われる。

 トリオンが枯渇すればいくら勝ち続けようとも戦闘は不可能であるし、トリオン体を全損させると再構築に数時間はかかる。

 

 戦闘体を破壊され、一人また一人とアリーナを後にする従士たち。

 各闘技場で最後まで勝ち残っていた従士たちも、やがてトリオン体を解いて退場した。

 

「さて、従士たちの訓練風景は如何だったろうか。次はいよいよ諸君らもお待ちかね――エクリシアが誇る「騎士」の出番です」

 

 テロスが見学者たちにそう告げると、アリーナの構造が大きく変化する。

 闘技場を隔てていたトリオンシールドが解除され、床面すべてを覆う巨大なものに張り直される。

 

 そして、一続きとなったアリーナ内に突如として漆黒の円が現れた。

 空間を押し広げるようにして広がったそれは「(ゲート)」。異なる空間を繋げるトリガーである。

 

 そこから現れたのは、カメの甲羅を思わせる白い楕円形の物体である。

 それは全長五メートルほどの大きさをしており、前後に虫のように細く鋭い二対の脚を生やしている。

 

 トリオン兵「モールモッド」。

 俊敏な動きと鋭利なブレードで獲物を切り裂く、純戦闘用のトリオン兵である。

 黒い(ゲート)は次々に現れ、アリーナ内にモールモッドを解き放っていく。

 

 その数は十体。

 捕獲用や偵察用のトリオン兵とは違い、モールモッドは下手なトリガー使いを凌駕する戦闘力を有する。諸外国も挙って戦争に投入する優秀なトリオン兵だ。

 

「ひっ……」

 

 見学者の子供たちから悲鳴や嫌悪の声が漏れる。

 巨大な昆虫を思わせるようなトリオン兵が眼前で大量に蠢く様は、精神に強烈な威圧を加える。トリオン兵が侵攻に使われる理由の一つだ。

 そんな子供たちの反応にテロスは満足そうに微笑を浮かべと、

 

「心配御無用。我が国には彼らがいます」

 

 爽やかに公言し、アリーナを指し示す。するとそこには何時の間に現れたのか一人の人影が立っていた。

 

「わあぁ!」

 

 子供たちの悲鳴が一転、歓声へと変わる。

「騎士」と「従士」を分けるモノ。それは実力であり功績であり爵位でもあるが、その最たるものは「鎧」である。

 

 モールモッドの群れに対する孤影は、猛々しくも流麗な全身鎧で覆われていた。

 一見モールモッドと相通ずる意匠や雰囲気は、その鎧がトリオンでできている事を意味する。

 

誓願の鎧(パノプリア)」――着装者を圧倒的な防御力の装甲で保護し、あらゆる動作を強力にアシストする外骨格型トリガーだ。

 エクリシアの軍事的優位を確固たるものにした傑作トリガーであり、このトリガーを教会より与えられることこそが騎士の最たる誉れとなる。

 

「さあ、我らの騎士を応援しましょう」

 

 子供たちの歓声を背中に受けた騎士が、片刃の長剣「鉄の鷲(グリパス)」をその手に表す。

 同時に、敵対者の存在を察知したモールモッドが一斉に騎士の方へと向き直り、背中に格納された三対六本の折り畳み式ブレードを展開する。

 

 食い入るようにアリーナを見詰めていた見物客が一斉に息を呑んだ。

 無機質なる眼球が騎士を捉え、ブレードを振りかざした巨体が突撃する。その姿は無情なる殺戮機械そのものだ。

 だが、対手の騎士は機動兵の殺気をものともせず、悠然と「鉄の鷲(グリパス)」を正眼に構える。刹那、

 

「――っ!」

 

 フィリアの双眸が驚愕の色に染まる。

 

 襲い掛かった二体のモールモッドが一瞬のうち弱点である口腔の単眼を切り裂かれ、機能を停止する。そしてその残骸が地面に倒れ伏すまでに、後続の四体が胴体を半切断されて破壊された。騎士は目にも止まらぬ弾丸のような速度で闘技場を滑空し、最後尾のトリオン兵たちに迫る。

 

 辛うじて反応の間に合ったモールモッドたちが多数のブレードを振り回し、網目のような剣閃で騎士を迎え撃つ。

 トリオン兵でも最高の硬度を持つモールモッドのブレードに対し、騎士はまるで怯む様子もなく正面から突貫する。

 

 そして一瞬の交錯の後に――全てのモールモッドが完全に沈黙した。

 残心を終え、闘技場に一人佇む騎士。トリオン兵のブレードを受けた筈の鎧には傷らしい傷もなく、変わらぬ威風を纏っている。

 

「皆さん、頼もしい騎士にぜひともご喝采を!」

 

 テロスの声に我へと返った少年少女たちが、一際大きな歓声を上げる。

 フィリアはおざなりに拍手を送りながら、今しがた繰り広げられた戦闘について仔細な検討を始めていた。

 

 エクリシアが誇るトリガー「誓願の鎧(パノプリア)」。

 噂に聞くのと実物を見るのでは大違いである。戦力で比すれば「騎士」一人で「従士」十人以上の戦力となるに違いない。通常のトリガーとは明らかに一線を画した能力である。

 

 そもそも、近界(ネイバーフッド)では防護服型のトリガーが採用されることは滅多にない。防御効果に対するトリオンコストが甚だ悪いからだ。

 確かに全身を強固な鎧で覆えば頼もしいに違いないが、それに費やされるトリオンは膨大なモノになり、そして重たい鎧は機動力を大きく削ぐ。

 

 そういった事情から、殆どの国で採用されている防御用トリガーは、必要なときに自由にシールドを張れるタイプのトリガーだ。トリガーによっては形も自在に変えられ、何よりトリオン体の行動を阻害しない。エクリシアでも、シールドタイプのトリガーは正式に採用されている。

 硬いだけで燃費が悪く重たい鎧は、トリガーを用いての戦争にはそもそも不向きなのだ。

 

 けれども、エクリシアの「誓願の鎧(パノプリア)」はそれらの欠点を全て解消し、圧倒的な防御力と絶大なスピードを両立させ、火力の向上までをも果たしている。

 これを成し遂げたのは「誓願の鎧(パノプリア)」に付属するオプショントリガー「恩寵の油(バタリア)」の効果である。

恩寵の油(バタリア)」はいわばトリオン増槽とでもいうべきトリガーであり、外部から「誓願の鎧(パノプリア)」にトリオンを供給することができる。

 

 普通、トリガー使いはトリオン体から攻撃に用いる弾丸まで、すべてを自前のトリオンで賄わなければならない。そのため搭載できる武装の量には限度があり、また消耗した場合は換装を解いて時間経過によるトリオンの自然回復を待たねばならない。

 だが「恩寵の油(バタリア)」を搭載した「誓願の鎧(パノプリア)」は違う。

 起動者がトリオンを負担するのはトリオン体の構築だけで、「誓願の鎧(パノプリア)」で消費されるトリオンは全て「恩寵の油(バタリア)」から賄われる。

 

 トリオンを携行するためのトリガーは諸外国でも研究開発が進められているが、性能に於いて「恩寵の油(バタリア)」を上回る物は存在しない。

 この革新的なトリガーの開発に成功したからこそ、エクリシアはトリオンコストが非常に重い「誓願の鎧(パノプリア)」を十全に運用することが可能となった。

 

 余剰トリオンの噴射による躯体の高速化は、超重量の鎧に颶風の速さを与え、破城槌の力を備えさせる。その威力は今まさに見た通りだ。

 

(あの力が私にあれば……)

 

 子供たちの歓声に腕を上げて応える騎士に、フィリアは抜き身の刃物のようにギラついた視線を送る。

 

「さて皆さん。それでは次へと参りましょう」

 

 見学者の熱狂も冷めやらぬなか、テロスは白い歯を見せてそう促す。

 一団はアリーナの上階席を後にする。次のプログラムは今しがた訓練を行っていたアリーナを生で見られるとのことだが、テロスは移動の前に休憩の時間を設けた。

 

「十分後に見学を再開しますよ。くれぐれも遅れないように」

 

 少年少女たちはラウンジのソファに腰かけて先ほどの訓練風景を語り合ったり、飲み物を飲んだりトイレを済ませたりと思い思いにくつろいでいる。

 すると、バスケットを抱えたフィリアにテロスが近づいてきた。

 

「お持たせしました。総長の執務室までご案内しましょう」

「ありがとうございます」

 

 フィリアは先ほどまでの冷厳な表情を引っ込め、晴れやかな子供らしい笑顔で青年騎士に応じる。猫を被るのも随分と手慣れてきた様子だ。

 

「いやアルモニア総長も幸せなお方だ。こんなに愛らしい娘さんに手ずから料理を届けてもらえるとは」

 

 執務室までの道すがら、テロスが朗らかにそういった。

 いつものリップサービスかと適当に流そうとしたフィリアだが、どうもこの男は彼女の出自をあまり気にしていないらしい。門閥や階層にこだわらず、高貴なる者の義務にのみ忠実なこの男は、なるほど貴族の鑑と呼ばれるだけのことはあるようだ。

 

「そんなこと……勝手にお屋敷を出てきてしまった、悪い娘です」

「はは、そうでしたね。あまり怒られないよう、私からも総長に伝えておきますよ

 ――さあ、着きました。残念ながら中までは案内できませんが」

 

 流石にアルモニア不在の執務室までは立ち入ることができず、手前の秘書室へと通されたフィリアは、事情を説明し秘書に昼食入りのバスケットを預ける。

 これで、表向きの用件は済ませた。

 

「あの、グライペイン様」

「どうぞテロスとお呼び下さい、レディ。総長の御子なら、私にとってもお仕えするべきお嬢様ですから」

「そんな……では、テロス様」

「どうなさいましたか。フィリアお嬢様」

「見学会、私もこのままご一緒させていただいてかまいませんか。皆様のお姿、とても頼もしくて、素敵でした」

「それは願ってもないこと。最後までエスコートさせていただきますよ」

 

 二人はラウンジへと戻り、見学会を再開する。

 一同は大階段を降り、殺風景な砦の中をぞろぞろと進む。

 アリーナへと出た少年少女たちを出迎えたのは、先ほどモールモッドを苦も無く打ち払ったあの騎士だ。

 

「流石のお手際、感服いたしました」

 

 テロスがそう声を掛けると、騎士は呆れたように肩をすくめ、兜を取り外す。

 

「お前さんが戦ったほうが、子供たちは喜ぶんじゃないのか」

 

 そう言って人懐こい笑みを浮かべる中年の男性は、第一兵団長ドクサ・ディミオスその人だ。

 

「おう、お嬢ちゃん。弁当は届けられたのか」

「はい! テロス様に案内していただきました」

 

 フィリアが元気よく答えると、ドクサも朗らかに頷いて応じる。

 二人が話しているうちに、アリーナには他の職員たちも入ってきた。

 彼らは何やらトリオン製の機材を広げ、準備に取り掛かっている。

 

「エクリシアの未来を担う皆さんには、本日最後の体験として、実際にトリガーに触っていただきましょう」

 

 テロスが言うやいなや、アリーナの形状が再び変化し、従士が競い合っていた時と同じく複数の闘技場が現れた。

 見学会の締めのイベントは、トリガーを用いての模擬戦闘だ。

 

 もともとイリニ騎士団の広報と人材の囲い込みを行うための見学会である。一連の訓練風景で心証を良くし、戦闘を体験させて参加者の資質を調べる。

 強制参加ではないものの、態々騎士団へ来るような子供たちがそれを拒むはずもなく、アリーナはこの日一番の熱狂と歓声に沸いた。

 

「では順番に、こちらの機械に手をかざしていってください」

 

 職員が持ち込んだ機材はトリオン能力の測定器である。これで参加者のトリオン量や諸々の身体データを収集する。

 フィリアも模擬戦闘を行うために列に並ぶ。そうしていざ自分の番となった時、

 

「――っ!」

 

 モニターを眺めていた職員の顔色が変わった。

 フィリアは胸の内で快哉を叫ぶ。未だ発展途上でありながら、彼女のトリオン能力はすでに一流の戦士に比肩する。これを知らしめた以上、騎士団が彼女を見逃すはずがない。

 

「登録を終えた方から、どうぞ集まってください」

 

 子供たちはいくつかのグループに分けられ、闘技場の前へと案内される。

 すると、薄緑色のシールドで保護された地面が振動し、あちこちが隆起する。

 見る間に、闘技場は山岳地帯を思わせる急峻な地形となった。

 

「一人ずつこの中へと入り、これらの標的を倒してもらいます」

 

 テロスがそう言うと、闘技場にゲートが開き、風船のようなトリオン球が放出される。宙に浮かびランダムにゆっくりと移動するそれらが模擬戦闘のターゲットである。

 

「標的は攻撃能力を持ちませんし、トリオン体では少々転んだり落ちたりしたところで怪我はしません。皆さん存分にトリオン体を動かしてみてください」

 

 実例としてテロスに付き添われた少年が闘技場へと入る。

 

「トリガー起動!」

 

 少年の浮ついた声と同時に簡易トリガーが起動し、起動者の実体を走査し戦闘体を生成、生身の肉体をトリオン体へと換装する。

 そして主武装として翡翠色の刃を持つブレードが少年の手に現れた。

 

「たあっ!」

 

 テロスに促されるまま、少年は大地を蹴ってターゲットに切りかかる。だが、

 

「うおっ!?」

 

 少年は勢い余って標的の頭上を飛び越え、岩肌に頭からぶつかってしまう。

 

 トリオン体は生身の肉体とはまさに桁違いのポテンシャルを持つ。素手で岩盤を砕き風のような速さで駆けることも容易いが、それ故にトリオン体の操縦は繊細なコントロールが要求される。

 トリオン体にはトリオンを循環させる供給機関と運動をコントロールする伝達脳、伝達系が備わっている。

 伝達脳や伝達系は生身の脳や神経系が置き換わったようなもので、トリオン体の操縦は生身の肉体を動かす感覚が元となる。

 

 とはいえ生身を上回るスペックを持つトリオン体を通常の運動の要領で扱ってもその真価は発揮できず、勢いのみで動かそうとすれば却って見当違いの暴走をしてしまう。

 肉体とトリオン体の違いを弁えた正確なボディコントロールよって初めて、トリオン体は精妙無比な動作を可能とするのだ。

 

「記録、二分三十二秒三」

 

 職員が計測タイムを読み上げる。

 結局少年は終始動きに戸惑い、闘技場内を漂うターゲットに翻弄されっぱなしであった。

 それでも初めてトリガーに触れ、トリオン体を操縦した少年の表情は満足感と高揚感で輝いている。

 

「それでは皆さん。張り切ってやってみましょう」

 

 テロスに促され、少年少女たちは次々と闘技場の中へ入っていく。

 人並みに揉まれたフィリアは、列の最後尾に並んだ。

 

「…………」

 

 待機列から闘技場を凝然と眺める少女。彼女が見ているのは果敢に挑戦する子供たちではなく、風にたなびくように動く十個のターゲットである。

 

「はい。次はフィリア・イリニ? さん」

 

 職員が怪訝な表情を浮かべ、フィリアに簡易トリガーを渡す。

 テロスやドクサなど騎士団の幹部はいざ知らず、末端の職員までイリニ家の養女の話は伝わっていないのだろう。

 ノマスの子供が何故ここに、何故総長と同じ名前を? との疑問が顔に書いてある。

 職員の猜疑の眼差しを無視し、フィリアはトリガーを受け取り闘技場内へと入った。

 戦場のあらゆる地形を再現できるトリオン製のフィールドによって、闘技場は岩屑を撒いたような荒れた足場となっている。

 

「トリガー機動」

 

 静かなる宣言と共に、フィリアの肉体が瞬時にトリオン体へと置き換わる。

 軽く足踏みをしてから、ブレードの剣柄を握る右手の感覚を改める。そして、

 

「始め!」

 

 開始の合図と共に、フィリアの身体が弾かれたように飛んだ。

 

「――なっ!」

 

 驚愕は、居並ぶ面々全ての口から洩れた。

 操縦を誤ったようにしか見えない勢いで飛び跳ねた少女は、すれ違いざまに空中を漂うターゲットを正確に両断していた。

 のみならず、少女は空中で身体を反転させて迫りくる岸壁を蹴ると、一直線に次のターゲットへ飛びかかり、瞬く間に切り捨てる。

 

 跳躍し、疾走し、悉くを切断する。

 その動きの精密さ、速度も異常ながら、真に理解を超えているのは判断の速さである。

 まるでターゲットが何処に動くか予め把握していたように、一連の動きにはまるで躊躇いがなく、そして過ちも無い。

 

「……き、記録、九秒八」

 

 職員が上擦った声で計測タイムを読み上げる。

 初心者のみと限定すれば、間違いなく歴代最速の記録である。

 トリオン体と肉体の齟齬の解消。

 浮遊するターゲットの未来位置の測定。

 先に見た従士・騎士の動きのトレース。

 そのすべてを、フィリアは直観智のサイドエフェクトを最大限に活用して成し遂げた。

 酷使された脳が休息を求め、凄まじい倦怠感と眠気が少女を襲う。しかし、彼女は何事も無かったかのようにトリオン体を解くと、しずしずと闘技場から出る。

 驚愕と羨望、そしてある種の恐怖の感情をないまぜにした視線が、少女の矮躯に多方から突き刺さる。

 

「――ありがとうございました」

 

 呆けた様子の職員に簡易トリガーを返却する。その瞳に垣間見える恐れは、フィリアを通じてノマスへの幻想を見るが故だろう。

 

「これは……」

「とんでもないな」

 

 見学者たちを監督していたテロスとドクサも言葉が見つからない様子だ。

 フィリアは仕上げとばかりに満面の笑みを浮かべ、子犬がすり寄るように二人の元へと歩み寄る。

 

「とても楽しかったです! 思ったより上手にできました」

 

 まるで料理や刺繍でも上手くいったかのように、屈託なく微笑む少女。

 多数の騎士を率いる歴戦の男たちは、その無垢な姿に困惑する。

 

「その……フィリアお嬢様。以前にトリガーを使ったことがあるのですか?」

「いいえ? 今日初めて触らせていただきました」

 

 まるで質問の意図が分からないかのように可愛らしく小首を傾げるフィリア。

「テロス……」

「はい」

 

 目配せを交わしてお互いに頷く兵団長たち。

 

 今この瞬間、直観智のサイドエフェクトは少女の企てが成功したことを示した。

 フィリアは安堵感から崩れそうになる膝を叱咤し、何食わぬ顔で見学者の群れへと戻る。

 周りを囲む市民階級の子供たちは、得体のしれない怪物を見るかのようにフィリアから遠ざかった。

 

 少女はまるで気にした様子もなく、ただ朗らかな笑みを湛えているだけであった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

(できた。この上なく、完璧に)

 

 日が沈み、近界の夜空を星々が飾りつける頃。

 

 イリニ邸の二階、少女に宛がわれた個室にて、フィリアは倒れるようにベッドへ突っ伏していた。見学会を終えた少女は、そのままイリニ騎士団の護衛に自宅へと送り届けられたのだ。

 

 当然、フィリアの無断外出は大問題となっており、屋敷に帰るなり少女は教育係に手ひどく叱りつけられることになった。

 それでも叱責程度で済んだのは、事前に騎士団の人間が連絡を寄越していたことと、二人の兵団長が口添えをしてくれたことが原因だろう。

 実情としては、使用人も監督責任を責められる立場の為、なるべく大事にしたくはなかったに違いない。

 

 アルモニアは厳格な施政で知られる人物であるが、まるで情を介さない人物という訳ではなく、夕食の席でフィリアが丁寧に詫びを入れたところ、彼女も使用人たちも特に咎めは受けなかった。

 これも狙い通りの結果である。迂遠な工作をした甲斐はあった。

 

 フィリアの当座の目標は、イリニ騎士団へと入団する事であった。

 しかし今の立場ではイリニ家を離れることは難しい。そこでまず、彼女は騎士団の要人に、己の非凡な才能を喧伝することを企てた。

 

 国家の守護という共通目的を持つものの、それぞれの騎士団は決して友好的な訳ではなく、国内では常に相手を出し抜く機会を窺っている。

 フィリアのように類まれなトリオン能力を持つ者を放置することは考えられない。必ず取り込みに動くだろう。

 加えて、トリオン機関とはまさに原石のような物で、若い年代から鍛え磨けばさらにその輝きは増す。

 

(でも、まだ……)

 

 しかし、それでも入団が許されるかどうかは分からない。

 結局のところ、フィリアの身柄をどうするかは当主アルモニアの意向しだいである。今日行ったのは所詮外堀を埋めるための策にすぎない。

 アルモニアを直接口説き落とさなければ、何の意味も無いのだ。

 

(だめ……あたまがはたらかない……)

 

 とはいえ、今フィリアに必要なのは休息である。サイドエフェクトの酷使によって疲労困憊の極みにあった少女は、気絶するように意識を手放した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 それから数日後。

 

 フィリアはイリニ家の中庭で、椅子に腰掛けて木々を眺めていた。

 夜の一時をこの東屋で過ごすことは、少女が屋敷に来てからの日課となっていた。

 泰然と佇む樹木、風に揺れる花々、星明りの差し込む小道。

 美しい森をゆっくりと散策し、清澄な空気を胸いっぱいに吸い込めば、心にかかった霧が晴れ渡るように感じるのだ。

 

 無断外出以降、素行には最大限気を付けて過ごしてきた。日々の学業には今まで以上に励み、出過ぎた真似は行わず、常に周りを立てるように一歩引いて振る舞う。

 それもこれも、計画を動かす理想的なタイミングを見計らってのことだ。

 

「フィリアか」

「お帰りなさいませ。ご当主様」

 

 庭師以外の使用人は殆ど立ち入らぬこの中庭に、少女と同じく足しげく通う人物がいる。

 イリニ家当主、アルモニア・イリニその人である。

 領地と騎士団、そして国政と、アルモニアは数多の重職を兼任する要人だ。しかし彼はどれだけ激務をこなそうとも、帰宅した日には必ずこの中庭を巡り歩くのを習慣としていた。

 

「屋敷での暮らしに、少しは慣れただろうか」 

「はい。皆様にはとっても良くして頂いています。あ、今日の昼なんて、サロスがですね……」

 

 椅子に並んで座り、他愛ない会話に興じる伯父と姪。

 二人きりの秘密の夜話会は数度目となる。

 当初はぎこちなく会話を重ねていた二人も、今ではすっかり打ち解けた空気が流れており、実の親子のようにさえ見える。

 

「あの、母さんはお元気ですか? まだ夜は寒いので、具合が悪くなったり……」

「何も心配することはない。最近は体調も良くなって、今日は少し遠くまで歩いて出かけたそうだ」

 

 パイデイアの話題になると、アルモニアの声音が少し優しげになる。

 やはり、親子を引き離したことに負い目があるのだろう。

 それを知りつつ、フィリアは敢えて会うたびに母の近況を訊ねる。

 

「そういえば、その……ご当主様」

「なんだろうか」

 

 会話のネタが尽きたところで、フィリアは徐にそう切り出した。

 緊張に身体を強張らせた姿は、まるで不器用な娘が父におねだりをするような、初々しい可愛らしさがある。そして、

 

「騎士団に入るには、どうすればいいのでしょうか」

 

 と、無垢な笑顔で言い放った。少女の唐突な問いかけに、

 

「……君にはまだ早い。もう少し大きくなってからだな」

 

 アルモニアは素っ気なくそう答える。謹厳な表情を微塵も崩さないが、フィリアのサイドエフェクトは伯父が明らかに怒気を発しているのを感じ取った。だが、

 

「私、どうしても騎士団に入りたいんです!」

 

 フィリアは臆さず、面と向かってアルモニアに願いを告げる。

 

「……ディミオスやグライペインに何か言われたのか」

 

 すると、彼は眉根を微かに寄せてそう言う。

 

「それは、そうです。……でも、それだけじゃないんです」

 

 フィリアの類まれなる資質と才能は、二人の兵団長からアルモニアへと子細漏らさず伝わっているはずだ。

 トリオン機関を鍛えるのは若ければ若いほどいい。

 実際のところ、イリニ騎士団では有望な子供を騎士団預かりとし、幼少時より軍事教練を施している。フィリアが入団するにあたって、何の不都合もない筈だ。

 それでもアルモニアは不快の念も露わに、否定の構えを見せる。そんな伯父に、

 

「わ、私は……の、ノマスの子、です……。母さんやみんなは気にしなくても、やっぱり私は、この国に居ちゃいけないんだって……」

 

 胸に秘めた思いが堰を切って溢れたかのように、フィリアは目じりに涙を浮かべ、声を震わせながら訥々と言葉を吐き出す。

 

「バカな、何を――」

 

 アルモニアの怒りは急速に冷め、困惑にとって代わる。しかし、否定の言葉は咄嗟には出てこなかった。この少女が今日まで受けた仕打ちを思えば、そう思いつめるのも無理からぬことだろう。

 

「でも、こんな私でも、みんなのお役に立てることがあるんです! テロス様やディミオス様が仰っていました。私はきっと、凄い騎士になれるって。エクリシアを護ることができるって――だからっ! 

 そうすればきっと、私は此処に居ても大丈夫って、そう思えるんです……」

 

 金色の瞳から大粒の涙を溢し、輝く白髪を振り乱しながら、フィリアはアルモニアに縋りついて叫ぶ。

 それは生まれながらに罪科を背負わされた少女の、悲痛なまでに切実な自己肯定への道。

 天与の才に恵まれ、家族を愛する善良な心を持ちながらも、世界から何一つ認められなかった少女。

 

「…………」

 

 そんな彼女が抱いた願いを、誰が拒むことができようか。

 少女のすすり泣きが収まるのを待ってから、アルモニアは穏やかに語りかけた。

 

「落ち着いたかい」

「――あ、ごめ、申し訳ありません」

 

 思いがけぬ程優しい声を掛けられ、伯父の胸元から急いで離れるフィリア。

 赤く腫れぼった目を瞬かせ、羞恥にわたわたと手を振り、思い出したようにぺこりと頭を下げる。

 

「一つだけ、約束してほしい」

 

 そんなフィリアを正面から見据え、アルモニアは言葉を紡ぐ。

 

「この国で君は、今まで多くの醜悪なモノを見てきたのだろう。だが、どうか忘れないでほしい。――この世界は美しい。どれ程酷薄な運命が有ろうと、尊いモノは確かにあると。そのことを、知っていてほしい。見つけてほしい。そして、忘れないでほしい」

 

 ぎこちない微笑みを浮かべながら、戸惑いがちにフィリアの頭を撫でるアルモニア。

 

「え、――あれ……」

 

 その時、フィリアの頬を一筋の雫が伝う。

 止まったはずの、否、止めた筈の涙が、零れて落ちる。

 

「え、なんで……あれ……」

 

 名前の付けられない、理由の見当たらない感情。

 心の奥底より湧き出す衝動に突き動かされ、フィリアは嬰児のように声を上げて泣いた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 アルモニアと別れ、自室へと戻ったフィリア。

 ソファに腰を据え、泣きはらした目を指で解しながら、少女は一人物思いにふける。

 

 騎士団への入団は無事に承諾された。

 彼女はようやく宿願の為のスタートラインに立つことができた。

 それもこれも、家族の仲を引き裂いたアルモニアの負い目を抉り、彼の良識につけ込み自らの不遇を嘆いて同情を買ったおかげである。

 

 己の所業の悪辣さと浅ましさに、フィリアは自嘲めいた笑みを口の端に浮かべる。

 これも全て、計算通りだ。この数日ひたすらに考え抜き、成功の可能性が最も高かった交渉方法が泣き落としであった。ただそれだけのことだ。

 

 泣くことも、さほど難しくはなかった。

 今までため込んできた涙を、ほんの少し放出すればいいだけだったからだ。だが、

 

(なんで、私はあの時……)

 

 アルモニアに言葉を掛けられたとき、意に反して溢れた涙。

 

 この世界は美しい。

 普段の少女なら一顧だにしない陳腐な言葉である。

 

 世界に美しいものがあったとして、それがいったい何の慰めになるというのか。個人の主観に左右される美意識で、どう世界の仕組みが変わるというのか。

 だが、その空疎な言葉は、確かにフィリアの胸の奥底を大きく揺さぶった。

 

 指の腹で目じりを抑える。熱い雫の源泉は、はたして己のどこにあったのか。

 その不可解な事象を解き明かそうと思索するが、一向に答えは出ない。

 

「……もう、休もう」

 

 ともあれ、当座の目標は達成できた。

 イリニ家からの通いになるとはいえ、彼女は正式に従士として訓練に励むこととなる。

 次なる課題を達成するために、体調は万全に整えなければならない。

 少女は寝巻に着替え、ベッドへと潜りこむ。その時、

 

「フィリア。まだ起きていますね」

 

 ドアの向こうから、抑揚の無い女の声が聞こえた。

 

「ヌース? どうしたの、こんな時間に」

 

 その予期せぬ来訪者に、フィリアは慌てた様子で明かりを灯し、ドアを開く。

 イリニ家に於いてヌースが与えられた役割は子供たちの監督と教育である。しかし、フィリアは保護者を必要とする時期はとうの昔に終えている。

 必然、ヌースは三人の弟妹たちの面倒を受け持っていた。

 家族としての繋がりが薄れた訳では決してないが、こうしてプライベートの時間まで干渉してくることは今までになかった。

 弟たちに何かあったのだろうか。そう不安になるフィリア。だが、

 

「フィリア。少し話をしませんか」

 

 ヌースの姿を見た瞬間、サイドエフェクトは訪問の真意を見抜いてしまった。

 

「……耳が早いね。分かった、入って」

 

 ヌースを迎え入れると、しっかりと扉に鍵をかけ、フィリアはベッドに腰掛けた。

 

「騎士団に志願したそうですね」

「ご当主様から聞いたんだね。うん、そうだよ」

「私はフィリアの意思を尊重します。ですが、相談が無かったことは悲しく思います」

「……ごめんね。勝手に決めちゃって」

 

 幼い弟妹と病んだ母を支え続けた暮らしの中、フィリアが唯一感情を吐き出すことができたのがヌースである。

 盗みの協力までさせていたヌースに、なぜ思いを打ち明けなかったのか。

 

 それは彼女がパイデイアと志を同じくする同士であるからだ。ヌースは母と同じく、子供たちの幸福のみを真剣に考え、母が神になろうとしているのを後押ししている。

 フィリアの企てに賛同しないことは、サイドエフェクトで分かっていた。

 

「何があっても、私たち家族はあなたの味方です。それを忘れないでください」

「ありがとう。忘れてないよ。私が一人じゃないってことは」

 

 愛する家族に心からの信頼を伝えると、フィリアは居住まいを正してヌースに向き合う。

 

「これからも、私たち家族をよろしくお願いします」

「もちろんです。それこそが私の存在意義ですから」

 

 少女の心よりの言葉に、静かな声で答えるヌース。

 反応を窺いながら、フィリアは内心で安堵の息をついていた。

 

 突如の来訪の理由は、純粋に少女の身を案じてのことらしい。

 貴族の子弟となって一月と立たないうちに、今度は軍事教練施設に入ろうというのだ。心配をして当たり前だろう。

 ともかく、ヌースはフィリアの真の目的にはまだ察しがついていないようだ。

 アルモニアにも述べた、ノマスの血筋ゆえの偏見を払拭したいという表向きの理由で納得してくれたらしい。

 

 この世界で唯一の味方である家族まで騙したことに、フィリアの心が切り裂かれるように痛む。

 だが、悲痛を笑顔で糊塗し、少女は家族と久方ぶりの会話を楽しむ。

 そうしてヌースを見送ると、フィリアは改めて身支度を整え床に就いた。

 

 明日からは新しい日常が始まる。

 家族が再び揃って暮らすための第一歩だ。

 誰一人欠けることのない温かい未来の為に、少女は迷うことなく突き進む。

 

「ごめんなさい、母さん。私は悪い娘です。でも……」

 

 天蓋を見上げ、フィリアはぼそりとそう呟いた。

 新たなる神として、その命をエクリシアに捧げる運命にある母。

 その残酷な運命に抗うため、幼い少女が下した決断。それは、

 

(代わりの生贄は、必ず私が見つけ出すから)

 

 ――購うべき血は、母のモノでなくともいい。

 

 他国からパイデイアを上回る生贄を連れてくる。そうすれば、母は神の候補としての呪縛を解かれる。

 親子が再び共に暮らすためには、それしか方法は無い。

 十歳の子供が外国へ押し寄せ、人をかどわかそうと言うのだ。誰かに話せば荒唐無稽な妄想だと笑われるのが落ちだろう。

 

 けれど、少女は己の全てを擲ってでも、必ず成し遂げると決意した。

 決して人任せにはできない。母は自分が助ける。

 悲壮な覚悟を胸に秘め、少女は暫し安息の眠りについた。

 

 

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