WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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第四章 「こちら」の話
其の一 決戦前夜 少女の決意


 そこに住まう人々に如何なる悲喜劇が起きようとも、惑星国家は常と変らぬ運行を続ける。そうしてエクリシアにも、また新たな一日が訪れた。

 

 稜線から顔を出した人工の太陽が、柔らかな光で聖都の街並みを淡く照らし出す。

 雲一つなく晴れた空。清澄な空気が徐々に熱を帯びていく。

 

 窓から差し込む白い曙光に照らされ、フィリア・イリニは金色の瞳を微かに細めた。

 調度品の極端に少ない、それでも貴族の邸宅らしい豪奢な造りの私室。窓際に置かれた文机の前に、少女は一人で立ち尽くしている。

 

 オルヒデアの死に幼い心を軋ませた彼女は、一時は精神の平衡を失い、体調を崩すほどに憔悴していた。

 しかし今、陽だまりに立つ少女は瑞々しい活力に満ち、所作や佇まいも年齢にそぐわぬ落ち着きぶりを取り戻している。

 まるで過去の懊悩などなかったかのように、清冽な威風を纏った少女。

 

 だが、その表情からは、重大な何かがごっそりと抜け落ちていた。

 滑らかな褐色の肌に、雪のように白く繊細な髪、そして長い睫毛に彩られた黄金の瞳。多分に幼さを残しながらも、それゆえに神秘的な美しさを宿した少女の顔かたち。

 

 その稀有な美貌が、まるで不出来な人形のように不気味な印象を発しているのだ。

 ただ無表情なだけではない。何か人間としてあって然るべきモノがない。そういった違和感から来る恐ろしさが少女にはあった。

 

「…………」

 

 その時、塑像のように固まっていたフィリアの顔に、俄かに感情の色が差した。

 紛れもない哀切の情を浮かべた少女は、手元をそっと顔へと近づける。

 

 掌にあるのは、六つの宝石と真珠のように輝くトリオン球で彩られた銀の鍵。

 家族との絆の象徴であるペンダントに、フィリアはそっと口づけをする。

 

 名残惜しそうにその輝きを眺めるも、やがて彼女はペンダントを机の引き出しの中へと収めてしまう。

 穢れ呪われた己が、もう二度と家族の絆に縋らぬように。それは少女の悲痛な誓いであった。

 

 スコトノ家の騒動で科せられた謹慎が、今日を以て解ける。

 長き煩悶の末に、少女は戦場に立つ決意と意義を取り戻していた。

 己の為ではない。すべては愛する家族の為に、彼らの幸福に満ちた未来の為に。

 

 少女の顔から、再び感情が消失する。

 もはや一個の機械と化したフィリアは、颯々たる足取りで私室を後にした。

 主の去った物寂しい部屋を、日光が伸びやかに照らしていく。サイドテーブルの上に置かれたポプリの小瓶が、光を受けて美しく輝いていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 復帰したフィリアはイリニ騎士団の砦に着くや、まずネロミロスの元へと向かうと、己の所業を深々と謝罪した。

 ネロミロスとその一党の感情はともかく、衆目の前で詫びを入れることで、一応の義理を果たした形である。

 

 とはいえ、騒動についての世評は圧倒的にフィリアへの同情が勝っており、ネロミロスの風評は非常に悪い。処分が軽く澄んだとはいえ、彼らにとって面白い話ではない。

 

 フィリアもそのことは承知しているようで、騒動についてはまるで遠い過去の出来事のように、深入りをせずに淡々と話を済ませた。

 実際の所、仇敵ノマスとの邂逅が近づいたこの時期に、味方同士で諍いを起こしている余裕はない。

 早晩来たるノマスとの決戦に向けて、エクリシア全土が緊張に包まれているのだ。

 

「フィリアさん。もう出てきても大丈夫なの?」

 

 同僚への挨拶回りを終えて執務席に戻ったフィリアに、紫髪の麗人メリジャーナ・ディミオスが心配そうに話しかけた。

 

「はい。大変なご迷惑をおかけしました。体調はばっちりです」

 

 答える少女の眩い笑顔は、まるで絵に描いたように美しい。

 

「そう。それは……良かったわ」

 

 しかし、フィリアと付き合いの長いメリジャーナはその笑顔に怖気を感じ、知らずと声を震えさせた。

 

 彼女の知る少女は、決してこんな笑い方をしない。

 一片の陰りのない笑顔はしかし、まるで木を彫って拵えた人形を無理に撓めたような、歪で虚無的な印象を発しているのだ。

 少女は決して大仰な反応をする子供ではなかったが、それでも感情量は人並み外れて豊かである。そんな彼女の胸の内から溢れた尊い一滴が、見る者を蕩けさせる美しさとなったのだ。

 

 難しい立場故に、努めて感情を抑えて振る舞っていたことはあっただろう。だが断じて、少女はこのように作り物めいた顔をしたことはない。

 

「……フィリアさん。私や父様、テロスはあなたの味方だから、何でも相談してくれて、もっと頼ってくれていいのよ」

 

 少女の心が未だに癒えていないことを確信したメリジャーナは、真摯な態度でそう呼びかける。

 

「はい。皆さまのことは何時も頼りに思っています」

 

 だが、少女はあくまでも空疎な声で応える。

 

「……うん。それだけは忘れないでね」

 

 この近界(ネイバーフッド)では、人の死は日常茶飯事に起こる出来事である。

 親しい人が理不尽な災禍によって命を失うことも、逆に己が見ず知らずの他者の命を奪うことも、この残酷な世界では何ら珍しい事ではない。

 

 だからといって、近界(ネイバーフッド)に住まう人々が冷血な殺戮機械だということはない。彼らとて血の通った人の子である。死を悼み、恐れ、嫌う感情は、誰しもが持ち合わせている。

 

 だが、死と触れる機会の多さが、やがて彼らを死に慣らしていく。

 死は誰しもに理不尽に訪れる仕方のないものであると、そう体得することが、延々と続く戦乱の世界で暮らす彼らの処方なのだ。

 

 その意味では、程度はともかくフィリアが来たした変質は珍しいことではない。

 過酷な戦場を駆け抜けるトリガー使いは、誰もが否応なく人の死に直面することになる。

 生死について思いを馳せるあまり、出口のない思考の迷宮に閉じ込められる者や、殺人に対する罪悪感に耐えかねて心を壊してしまう者も多い。

 

 かくいうメリジャーナも、初陣を果たした日の夜は遠征艇で一晩中嘔吐し、その後しばらくは精神に変調をきたした。今でも時々、命を奪った人間の夢を見る。

 善良な人間であるほど、殺人への罪の意識は重く圧し掛かり、容易には拭い去れない。

 ましてやフィリアはまだ年端もいかない子供である。それも友誼を結んだという捕虜の死を引き金にして罪の意識に目覚めたというのだ。耐えられる訳がない。

 

 それでも、少女が騎士としての生を望むのなら、他者の死を乗り越えていかねばならない。こちらとあちらを峻別し、我を生かすために他を殺すのが騎士の責務なのだ。

 

「でも、復帰おめでとう。ゆっくり慣らしていけばいいからね」

 

 一言二言の会話では、到底少女の心は解きほぐせない。メリジャーナは心痛を覚えながらも職務に戻った。

 

 そうして復職したフィリアであったが、その働きぶりは見事の一言に過ぎた。

 午前に参加した戦闘訓練では、十人がかりの従士をかすり傷一つ負わずに圧倒し、その後の検討会では従士一人ずつに丁寧で的確な指導を行うなど、戦士としての練達ぶりを申し分なく発揮した。

 揉め事を起こして謹慎していたなどと誰が信じようか。辺りを払う凛々しい威風は、イリニ騎士団が誇る天才騎士に相応しいものであった。

 

 そして事務仕事に対しても、少女は謹慎以前よりも精力的に取り組んだ。自分の受け持ちだけではなく、執務室内の細々したことにも気を回すため、同僚の仕事まで捗らせる始末である。

 フィリアがここまで熱心に仕事に取り組むのは、やはりノマスの接近が近いからだ。

 少女が謹慎中に行われた砂塵の国アンモスへの遠征では、残念ながら神の候補となる逸材を捕らえることはできなかった。

 

 神の代替わりまで、もう然程の時間は残されていない。

 あと数年のうちに、パイデイアを上回る神の候補を探し出さなければならない。大国ノマスは格好の標的である。彼の国ならば、条件に適うトリオン機関の持ち主もいるだろう。

 だが、フィリアは謹慎が解けたばかりの身である。遠征に参加できるかは甚だ怪しい。

 ともすれば、具申を聞き入れてもらうことさえ怪しい立場なのだ。

 

 一刻も早い失地回復のため、少女は功績を積む必要があった。その為には誠実な仕事を積み上げていくほかない。そして――

 

「ねえフィリアさん。復職祝いにどこか食事にでも行かない?」

 

 退勤時間も間近に迫った夕刻。

 執務室へ続く通路をフィリアと連れ立って歩いていたメリジャーナは、明るい調子でそう誘った。

 今少女が必要としているのは、日常への回帰であろうと彼女は考えている。

 心の傷を癒すのは時間でしかないが、それでも何事かをしていれば気は紛れる。

 

 フィリアが復帰するなり激務をこなしているのは、まさしくその為だろうとメリジャーナは見当をつけていた。せめて楽しい経験を積ませてやれば、少しでも慰めになるだろうとの気遣いである。だが、

 

「ありがとうございます。ですが残務を少しでも処理しようと思いまして……」

 

 と、フィリアは遠回しに拒絶する。

 出会ったばかりの頃のような儀礼的な物言いに、メリジャーナの胸が針で刺されたように痛んだ。

 

「だ、大丈夫よ。まだそんなに急ぐような案件はなかったじゃない」

 

 彼女はめげずに声を掛け続けるも、少女は頑なに首を縦に振らない。

 

「そ、そう……なら、また今度にしましょう。ね?」

 

 誘いを断られたメリジャーナは、消沈したように肩を落とした。無表情で隣を歩く少女を見て、まだ外出できるほど落ち着いていないのだと己を勇気づける。すると、

 

「……お疲れ様です」

 

 二人は年若い男性の従士と通路で行き違う形になった。

 当然従士は道の端により、敬礼を以て騎士たちを迎えている。

 部下の前で緩んだ姿を見せられない騎士二人は、雑談を止めると威儀を正して返礼をする。だが、横を通り過ぎるその刹那、

 

「――奴隷の子め」

 

 と、若い従士が小声でそう呟くのが聞こえた。

 

 入団以降確実に声望を増しているフィリアであったが、その活躍が輝かしいほどに、生み出す影も濃くなる。

 先のスコトノ邸での一件についても、多くの者は弱者への慈愛を示したフィリアに肯定的であったが、そもそも彼女を忌み嫌う一部の人間は、他家の邸宅に踏み込んで狼藉を働いた少女を、僭上著しい成り上がり者としてしか捉えていない。

 

 そもそも彼自身もスコトノ派閥の一員なのだろう。イリニ騎士団でも屈指の大派閥で多数の権益をもつ彼らからすれば、先の騒動など如何ほどのことでもないはずなのだが、面子を潰されたという恨みは早々抜けるものではない。

 

 今までフィリアに対する蔭口は少なからずあったが、此処まで露骨な悪罵は初めてである。目下の者にも礼儀正しい少女を知っていて、敢えて聞こえるように口にしたのだろう。

 

「~~~~っ!」

 

 メリジャーナの端正な顔が憤怒に染まる。

 今までは少女の顔を立てて黙ってきたが、流石にこれほどの無礼は許せない。

 

「あなた――」

 

 従士を叱責するためメリジャーナが振り返る。

 そこで彼女が見たのは、薄笑いを浮かべたまま宙を舞う従士の生首であった。

 

「――えっ?」

 

 間の抜けた声とともに、従士のトリオン体が黒煙を噴き上げて爆発する。

 見れば、隣を歩いていたフィリアがブレードトリガー「鉄の鷲(グリパス)」を振り抜いていた。

 何時の間に現出させたのか、そしてどのように首を刎ねたのか。同じ騎士であるメリジャーナにしても定かではない、正に神速の斬撃である。

 

「あ――ひっ……」

 

 生身に戻った従士が事態を理解するのには、数瞬の時を要した。

 その間に、フィリアはうすら寒いほどゆっくりと従士に向き直り、顔を覗き込む。

 

「仕置きの理由、説明は不要ですね?」

 

 まるで野に咲く可憐な花を見つけたような微笑みを浮かべ、少女がそう尋ねる。

 

「貴族、上官への不敬。どれ程の罪にあたるかも、御承知の上ですか?」

 

 恐れおののく従士に向かい、弄うような声で囁くフィリア。

 少女が手に提げた剣を無雑作に動かすと、従士は短い悲鳴を上げて全身を硬直させる。

 少女は変わらず美しい笑みを浮かべているが、底知れぬ洞穴を覗き込んだかのような不気味さに、従士は恐怖の余り失禁さえしかねない様子である。

 

「――じ、自分は……そ、そんな――っ!?」

 

 命の危機を如実に感じ取った従士は、悲鳴にも似た声で弁解と謝罪を述べようとする。

 それを阻んだのは、従士の頬を撫でたフィリアの細い指だ。

 

「――ふふっ」

 

 驚愕に目を見開く従士に、フィリアがわざとらしい笑い声を上げる。そして、

 

「聞かなかったことにします。今回だけですよ」

 

 凄絶な笑みを浮かべて、噛んで含めるようにそう言う。

 

「あ……あ……」

 

 プレッシャーの余り、言葉の意味を解することさえできない従士を尻目に、フィリアは悠然と通路を歩き始めた。

 一拍おいて、我に返ったメリジャーナが急いで後を追う。

 

「ちょ、ちょっとフィリアさん! いくらなんでもあれは……」

「やり過ぎ、と思われますか?」

 

 非難しようとしたメリジャーナに、フィリアは恬然とした様子で問いかける。

 

「う……そ、それは……」

 

 どう解釈しても、先の少女の行為は温情に溢れた処置に他ならない。

 貴族への面罵など、表沙汰になればよくて騎士団からの放逐、悪くすれば即座に手打ちにされても文句の言えない大罪である。

 少々脅しつけただけで不問に処すというのは、寛大に過ぎる判断であろう。

 

 メリジャーナが慄然としたのは、トリオン体とはいえ躊躇いなく首を刎ねた少女の行いについてである。

 行為に問題はない。貴族の面目を護るためなら、むしろ賞賛されるべき行いである。

 しかし、他ならぬフィリアが、あの心優しい少女がそれを成したとは、俄かに信じがたい思いがあった。

 

「でもフィリアさん、らしくないわ。あなたはあんなことをする子じゃ……」

 

 痞えがちに、それでも懸命に言葉を紡ぐメリジャーナ。そんな友人に、フィリアは緩く頭を振って口を開く。

 

「嬉しいと弱いんです。楽しいと脆いんです。幸せだと、壊れるんです」

 

 少女が唐突に何事かを呟き始めた。

 メリジャーナは少女の平静な声に、狂おしいまでの情動が隠れ潜んでいることを鋭敏に感じ取った。

 

「な、なにを……」

 

 乞い縋るようなメリジャーナに、フィリアは張り付いた作り笑顔を向け、

 

「私、メリジャーナさんには一杯、いろんなことを教えていただきました。私に姉さんがいたら、きっとこんな風なんだろうなって、いつも思っていました。

大好きですよメリジャーナさん。でも――もう私に、これ以上良くしないでください」

 

 と、そう告げる。

 

「――――ッ!」

 

 少女は言い終えると、一礼してその場から立ち去った。あまりの告白に絶句したメリジャーナは、小さくなっていく背中を見送る事しかできない。

 

虚ろな笑顔と、機械のような声。

メリジャーナは気付いてしまった。フィリアの傷心は、時と共に快癒するようなものではない。幼い心には深々と亀裂が走り、今まさに砕け散る寸前なのだと。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 格調高い調度の数々で飾り付けられた、イリニ騎士団の総長室。

 麦穂のような金髪と翡翠のような瞳をした偉丈夫が、豪奢な袖付きの椅子に腰掛け、投影モニターを眺めている。

 イリニ騎士団総長アルモニア・イリニは、花の香りが漂う荘厳な執務室で、来たるノマスとの邂逅に向けた計画書を読んでいた。

 

「やはり、こちらから打っては出られんか……まあ、当然だわな」

 

 執務室に響いた低い声は、応接用のソファーから発せられた。

 焼けた肌に薄茶色の瞳をした禿頭の男性は、イリニ騎士団第一兵団長ドクサ・ディミオスである。

 まるで我が家のように寛いだ様子のドクサは、しかし眼だけは真剣そのもので、アルモニアと同じ計画書を眺めている。

 

「神の代替わりを控えた時期だ。無用の危険を冒す訳にはいくまい」

 

 アルモニアがそう言って、モニターから視線をドクサへと移す。

 総長室で行われているのはノマスへの対策とその確認のための会議である。

 二人きりで意見を交わしているのは、ドクサがアルモニアにとってもっとも信任厚い腹心であるからだ。

 

「とはいえ、下の者には騒ぐ輩も出ような。近頃勝ち戦続きで、少々浮かれすぎている」

 

 と、ドクサがひょうげた口調でそう呟く。

 

 三大騎士団首領によって、幾度となく行われたノマス対策会議の結果、次回の邂逅期には、エクリシアはノマスに遠征を行わず、鉄桶の陣を敷いて迎撃に徹することに決まった。

 神の代替わりということを考えれば当然の判断だが、血気盛んな従士の中にはこれを弱腰と判断する者も出るだろう。

 

「若い世代はノマスの脅威を知らない。……前回は、余りに勝ち過ぎた」

 

 アルモニアは何処か遠い目をしてそう呟く。

 十余年前の邂逅期には、エクリシアは大部隊を編成してノマスへと侵攻し、史上にも稀な凄まじい戦果を挙げた。それ故だろうか、若年世代にはノマスの脅威を過去の話と断じ、侮っている者も少なくない。

 

「あの激戦からもう十年以上か。月日が経つのが早い。俺も齢を喰う訳だな」

 

 苦笑するドクサに、アルモニアの険しい顔も幾分緩む。

 

「そう老け込む齢でもあるまいに……ともかく、万全の態勢を期さねばならん」

 

 ノマスの強みは、突出した技術力によって生み出されるトリオン兵にある。

 戦士たちもトリオン兵との連携を前提としたトリガーを装備しており、狩猟国家の名が示す通り、敵を集団で追い立てる猛獣のような戦術を基本としている。

誓願の鎧(パノプリア)」によって個の戦力を高めるエクリシアとは対照的な戦術だが、その精強さは近界(ネイバーフッド)に轟いている。

 

「先の戦争よりも、一層強化されたトリオン兵が出てくるだろうな」

 

 ドクサがうんざりとしたようにぼやく。

 

 ノマスは近界(ネイバーフッド)で普及しているトリオン兵に加え、独自開発した多種多様のトリオン兵を有する。その中でも特に傑作機とされているのが、超大型犬ほどの大きさをした集団戦闘用トリオン兵ヴルフである。先の遠征ではこのトリオン兵に熟練の騎士たちが大層手古摺らされた。

 そして、先の大戦には間に合わなかったようだが、当時開発中であったとされる新型トリオン兵も、今回の戦闘には投入されることだろう。

 

「問題は(ブラック)トリガーだ。何本投入してくるかで戦況は大きく変わる」

 

 アルモニアの指摘に、ドクサはもっともだと頷いて返す。

 (ブラック)トリガーは用い方次第で戦局を覆すことができる戦略兵器だ。いくらエクリシアの誇る「誓願の鎧(パノプリア)」といえど、(ブラック)トリガーを抑えることは容易ではない。

 

 前回から増減が無ければ、ノマスが所有する(ブラック)トリガーは五本である。大国と呼ばれるに相応しい数だ。

 基本的には本国の守りに使われる(ブラック)トリガーだが、ことノマス限って言えばその理屈は当てはめられない。エクリシアとの確執は、もはや利害損得の埒外にあるからだ。

 

「判明している四本については、対策は協議済みだ」

 

 アルモニアが資料をスクリーンに映しながらそう言う。

 

 度重なるノマスとの交戦の結果、彼の国が有する(ブラック)トリガー「万化の水(デュナミス)」「巨人の腱(メギストス)」「凱歌の旗(インシグネ)」「報復の雷(フルメン)」「悪疫の苗(ミアズマ)」五本のうち、国宝たる「万化の水(デュナミス)」以外の性能、特性は既に明らかとなっている。

 

 いずれ劣らぬ難敵揃いだが、有効な対処方法は検討され尽くしている。有利な相性のトリガーを当てることができれば、勝算は十二分に立つ。

 また(ブラック)トリガーの数でいえば、エクリシアは八本もの数を有しており、ノマスに大差をつけている。

 そもそも国力自体もエクリシアが大幅に上回っており、動因できる兵力は明らかに我が方が上だ。本国に引き入れての防衛線ということもあり、エクリシアの優位は揺るがないだろう。

 

「砲撃型が増えたのは嬉しい誤算だったな」

 

 と、ドクサが防衛計画書を眺めながら呟く。

 

 ノマス侵攻に対するエクリシアの防衛計画は、有無を言わさぬ物量戦である。

 エクリシアが開発した(ゲート)誘導装置のお蔭で、ノマスの出現位置は国土の端に設けられた隔離戦場に限定される。

 すり鉢状の荒野となった隔離戦場の周りには、十重二十重の防御陣地が築かれており、多数の砲台が設けられている。荒野の中央に出現を余儀なくされた敵兵は、雨あられと降り注ぐ砲火の前になすすべもなく吹き飛ぶことになる。

 

 敵の(ブラック)トリガーの中に、砲撃戦に特化したタイプは確認されていない。爆撃で敵の頭を押さえてしまえば、如何にノマスが精兵を送り込もうとも成す術が無いだろう。

 加えて、エクリシアには「劫火の鼓(ヴェンジニ)」と「灼熱の華(ゼストス)」という絶大な火力を誇る砲撃型(ブラック)トリガーがある。

 これらに間断なく撃ちこまれては、如何な大国であろうとまともに進軍できる筈がない。

 不測の事態に対する細かな計画も練られており、一先ずの所、本国防衛策は万全のように思えた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 そうして一通り防衛計画の確認が済むと、

 

「それで、我らが姫君はどうするつもりだね?」

 

 と、ドクサは大げさなため息と共に、さも気乗りしないように呟いた。

 

「下の連中は当然あの子が出ると思っとるし、事情を知らぬ騎士も同じ考えだろう。実際、あの子の技量とサイドエフェクトの有用さは、内外に知れ渡っとる」

 

 イリニ騎士団の重鎮が話題にしたのは、復帰したばかりのフィリアの処遇についてである。未だ精神状態の不安定な彼女を、ノマス防衛戦に投入するかどうかをアルモニアに問うているのだ。

 

「……防衛計画は、フィリアを用いずとも十全に機能するはずだ」

 

 アルモニアは暫しの黙考の後、静かに口を開いた。

 

「それでも「直観智」のサイドエフェクトがあれば、不測の事態にもすぐに対応できるはずだ。引っ込めておく理由にはならん」

 

 ドクサが忌々しげに言い捨てる。そして、

 

「それに、外向けの話としても如何にも不味い。我々が煽った面もあるが、あの子は市民の間で有名になりすぎた。折角あの子がこの国に受け入れ始められたんだ。ノマスとの戦いに不参加とくれば、要らぬ風評が立たぬはずがない」

 

 そのまま言葉を続け、総長の反応を窺う。

 ノマスとの戦いは、フィリアがエクリシアで生きるためには避けて通れぬ道である。

 敵国の血を引くが故の人気である。ここでノマスと戦わねば、市民たちは一斉に少女へ猜疑の目を向けるだろう。

 

「あの子は、レギナの娘だ」

 

 と、それまで聴くに徹していたアルモニアが、冷厳な声でそう言う。

 

「フィリアの姿を目にすれば、ノマスの兵たちは必ず二人を結びつけるだろう。その時、彼らがどういう行動に移るかは予想できない」

 

 ドミヌス氏族、モナルカの子レギナ。

 彼女はイリニ騎士団が誇る天才騎士フィリア・イリニの生母である。

 レギナはノマスで最も有力な氏族の娘にして、同国のトリオン兵技術を飛躍的に発展させた天才エンジニアだ。彼女は十余年前に行われたエクリシアのノマス遠征にて、イリニ騎士団によって捕らえられた。

 

 高貴な血筋と優秀なトリオン能力、そして優れた技術を持つ才媛の獲得は、先の戦争のエクリシア勝利を象徴する出来事であった。

 しかし当然ながら、自国の姫君を奪われたことは、ノマスにとっては忘れぬことのできぬ屈辱と憎悪の過去である。

 

 レギナはもうこの世にいないが、その娘のフィリアは健在だ。

 そして悪い事に、成長したフィリアは正にレギナの生き写しのような容姿となっている。

 フィリアの存在がノマスに知られれば、彼女が何らかの策謀の標的となることは充分に考えられた。

 故に、アルモニアは少女を前線に出すべきではないと言う。

 

「フィリアは予備兵力として聖都の防備に回す。それが一番穏当だろう」

 

 形式として参戦はさせるが、最前線となる隔離戦場には出さない。それがアルモニアの下した判断である。少女をノマスから遠ざけつつ、市民や騎士団からの不審の目を躱すとなるとそれしかない。

 

「まあ、そうするしかあるまいな。……だがそもそも、本当にあの子を戦わせるつもりかね?」

 

 総長の判断に一応は賛同しながらも、ドクサはそう問い掛ける。

 

「メリジャーナとテロスがな、あの子を休職させるべきだと談判しに来おった。これ以上フィリア嬢を戦場に立たせれば、早晩取り返しのつかないことになるとな。……なあ、それはお前さんが一番分かってるんじゃないのかね」

 

 ドクサは両の手のひらを組み、神妙にアルモニアへと問いかける。上司と部下ではなく、三十余年来の付き合いとなる、気の置けない友人としての忠言である。

 

「人の生き死にに思い悩むのは、この世界では誰もが患う麻疹のようなものだ。だが、中には麻疹で命を落とす者もいる。あの子の事を思えば、ここいらが良い潮時ではないかね」

 

 ドクサの言葉に、アルモニアは秀麗な容貌をわずかに歪め、

 

「ああ、その通りだ。……けれど、あの子は承服すまい」

 

 ため息とともにそう言う。

 

「あれはパイデイアの代わりが見つかるまで、決して戦いを止めないだろう」

 

 アルモニアが渋面と共に指摘するのは、フィリアが胸に秘めた堅固な決意だ。

 

「騎士団にあの子を入れたのは、その方が彼女のためになると考えたからだ。……あの子は苦難多き生を受けた。体力を付け、戦う術を覚えておいても、これから先に邪魔になることはないだろうと思っていた」

 

 アルモニアは訥々と言葉を続ける。それは大貴族の当主として、騎士団の総長としては決して吐くことのできない、家族を思う一人の男としての弱音である。

 

「あの子は最初から気付いていたんだ。二人目の母を喪う未来を。そしてそれ故に、運命を覆す力を求めた。その結果がこれだ」

 

 アルモニアの眉間に、深い縦皺が刻まれる。

 

「やはりあの子はレギナの子だよ。意志の強さも、心の有り様も、本当に瓜二つだ」

 

 もはや苦悩を隠しもせず、アルモニアがそう吐露する。

 

「だが、あの子がこれからどう生きるとしても、ノマスとの対峙は避けて通れないだろう。武器を取り上げることはできない。少なくとも、今は」

 

 そう言って、金髪の偉丈夫は言葉を切る。

 もしもフィリアを強権的に軍から遠ざけるとしても、それはノマスとの邂逅を終えてからだ。ノマスの苛烈極まる侵略を前にして、自衛手段を持たせない訳にはいかない。

 

 そしてそれが済めば、彼女と未来について話し合わなくてはならない。

 パイデイアがなぜ己の身を捧げるに至る決心をしたのか。アルモニアが何故それを認めたのか。そして、彼女の生母であるレギナが最期に何を願ったのかを、少女に改めて伝えねばならない。

 

 フィリアはこれから先も、決して近界(ネイバーフッド)の残酷な掟を受け入れることはできないだろう。それは彼女が二人の母より受け継いだ、人としての変えられない性質だ。

 

 故に、少女は選択しなければならない。

 世界の残酷さに目を瞑り、耳を塞いで安寧な暮らしを得るのか。それとも、自らの足で立ち、苦難と悲哀に満ちた世界を歩んでいくのか。

 

「……子供の面倒を見るのがこうまで大変だとは、思いもしなかった」

 

 アルモニアが乾いた笑声とともにそうぼやく。ドクサは喉奥からくぐもった笑い声を漏らし、

 

「何年人の親をしていても、年頃の娘の事なんぞ男親にはさっぱりわからんよ。それに、お前さんはまだ新米もいい所じゃないか。お嬢ちゃんとはこれから仲良くなればいい。遅すぎることなんて何もないさ」

 

 と、茶目っ気たっぷりにそう言う。

 

「……そうだな。少しは気が楽になった。だが、すべてはノマスを退けてからだ」

 

 アルモニアは投影モニターの電源を落とし、肘掛け椅子から立ち上がる。

 国家の命運も、少女の未来も、すべては戦場を超えた先にある。

 上着に袖を通し、アルモニアはドクサを伴って執務室を後にした。来たる地獄へ向けて、男たちは決然と歩を進める。

 

 

 

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