WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
ノマス邂逅がいよいよ間近に迫ったある日。
聖都のメインストリートであるアトレテス通りには、防衛に赴く戦士たちを見送るために多くの市民が集まっていた。
天気は生憎の曇り空で、夏が近いにも関わらず奇妙に肌寒い一日であったが、街路を埋め尽くす民衆の熱気は、そんな気候をものともしないほどに高まっている。
従士たちは各々が命を預けるトリガーを整然と掲げると、一部の乱れも無い隊伍を組んで雄々しく街路を行進していく。
そして防衛の主役にしてエクリシアの誇りたる騎士は、重厚な騎士甲冑「
圧倒的に勇壮な騎士たちと、彼らに付き従う気高き従士たちの姿を目の当たりにして、市民たちは惜しげもない歓声と声援を送る。
市民の熱気はいや増し、歓喜の声は地鳴りのように聖都を響もす。
過剰なまでの彼らの反応は、ある意味ではノマスへの恐怖と憎悪の裏返しでもあった。
何百年もの間、数え切れぬ程の戦いを繰り広げてきたエクリシアの怨敵ノマス。
彼らと戦う騎士団は、市民にとっては守護神そのものである。信奉するかのような熱狂ぶりも、無理からぬことと言えた。
そして騎士団もそんな市民の心情を知るがゆえに、殊更仰々しく装備を整え、威風を払って行軍しているのだ。すべては民を安心させるためである。
「皆さまが無事に戻られますように……」
丘の中腹にある邸宅からアトレテス通りの喧騒を眺めているのは、イリニ家のパイデイアだ。彼女は知らずと間に手を組み、騎士たちの生還を祈る。
「そろそろ時間です。準備はよろしいですか」
窓から景色を眺めるパイデイアに声を掛けたのは、自律型トリオン兵ヌースである。
ノマスが接触軌道に入るまで間がない。この日、パイデイアは身柄を教会へと移し、避難生活に入る予定であった。
「お母さん、もうお迎え来てるよ!」
と、パイデイア話しかけたのは、末の子イダニコである。彼はヌースを両手で抱え、肩から大きなカバンをぶら下げて余所行きの格好をしている。
少々事情が変わったのは、教会への避難生活に、三人の子供とヌースが同行することになったことだ。
息が詰まるであろう母の避難生活を案じた子供たちが、半ばやけっぱちに申し出た話に、当主アルモニアが許可を出したのである。
ヌースがパイデイアたちについていくのは、もしもの場合の護衛である。
先だっての事、アルモニアは教会幹部にヌースの存在を公表し、その機構を調査する代わりに、彼女の権利を保障する約束を取りつけた。
桁外れの演算能力を有し、部隊のオペレートやトリオン兵の操縦といった多彩な力を持つヌースであるが、今回の防衛戦は大火力での殲滅が作戦の主眼であり、彼女を活用する機会は少ない。
また一般に存在が知られていないため、戦地で無用な混乱を招きかねないとして、要人警護のために教会の防衛に当たる事となったのである。
「ありがとうイダニコ。お家の人たちに挨拶してくるから、先に玄関で待ってて頂戴ね」
パイデイアは胸の内の鬱々とした気分をおくびにも出さず、愛息へと優しく語りかける。
彼女を追いこんでいるのは、間近に迫った戦争の足音だけではない。
「フィリア……」
イダニコが部屋から去ったのを確かめると、彼女は憂いを帯びたため息をもらす。
イリニ邸に滞在中、結局パイデイアは愛娘フィリアと会うことができなかった。
数度にわたって少女の起居する騎士団へと赴いたが、まるで行動を見透かされているかのように悉くが空振りに終わってしまった。
結局、パイデイアは娘の心を救うどころか、痛みを分かち合う事さえできなかった。
砦の中で一人佇むフィリアの姿を想像すると、心痛で胸が潰れそうになる。
せめてもの救いは、少女がアルモニアの配慮で聖都防衛に回されたことだろう。出征する若人の中に娘の姿が無いことに、パイデイアは浅ましいとは自覚しながらも安堵せざるを得ない。
とその時、吹き付けた風が、窓を揺らして大きな音を立てた。
見れば、空には分厚い雲が立ち込め、今にも嵐になりそうな気配である。
日光が遮られ、退色した絵画のように不気味な様子となった聖都に、今なお民衆の熱狂した声が響く。
その現実離れした異様な光景は、果たしてエクリシアに降りかかる戦乱の、如何なる予兆であったのだろうか。
未来を見通すことの出来る人間は、残念ながらこの国にはいなかった。
× × ×
エクリシアの僻地に位置するリスィ平野。
そこには差し渡しが三キロメートルほどはあろうかという真円状の盆地が広がっている。雑草すら生えぬ荒涼とした大地は、教会と騎士団によって造成された隔離戦場だ。
盆地の縁にはトリオン製の分厚く高い城壁がぐるりと取り囲み、その上には夥しい火砲が並べられている。
そして円周上に等間隔に並ぶ十二の塔は、エクリシアに攻め込んだ他国の軍勢を、この盆地へと強制的に呼び寄せる
城壁にたどり着くまでには何十にも張り巡らされた防御陣地を越えねばならず、また当然ながら、陣地には精強無比なエクリシアの騎士と従士たちが常時詰めている。
隔離戦場へと出現を余儀なくされた敵は、雨あられと飛んでくる砲撃に曝されながら、絶望的な包囲網を突破せねばならないのだ。
いくら剽悍として知られるノマスの戦士でも、ひとたびこの戦場に降り立てば全滅は免れないだろう。トリオン兵の大群を送り込んできたとしても、結果は同じことだ。
そして隔離戦場の城壁から少し離れた場所には、各々の騎士団が持つ前線基地がある。ここは隔離戦場全体を管理運営する指揮所であり、また騎士たちが休息を取る兵舎でもある。
その前線基地の指揮所にて、テロス・グライペインは端麗な美貌に陰りを浮かべていた。
「……未だ敵影は見えず、か」
ノマスがエクリシアとの接触軌道に差し掛かって、既に一か月が経つ。
しかし、予想されていた敵の侵攻は一度も起きず、隔離戦場は不気味なまでの静けさに包まれていた。
勿論、敵が何らかの策謀を練っている可能性は十分にある。また単純に、エクリシアの反撃を避ける為、軌道が離れる間際まで侵攻を遅らせていることも考えられた。或いは、エクリシアの防備の厳重さに、迂闊に手を出しかねているのかもしれない。
とはいえ、トリオン兵での偵察すらないというのは、流石に異常であった。
敵国への情報収集やけん制、はたまた嫌がらせのためにトリオン兵団を送り込むのは、
特に事を構えるつもりのない相手にもトリオン兵ぐらいは派兵するのだから、遺恨積もるエクリシア相手にそれを行わないのは考えにくい。
騎士団首脳部もノマスにトリオン兵団を何度も送り、敵の思惑を躍起になって探ろうとしているものの、現在の所めぼしい収穫は得られていない。騎士の焦慮は募るばかりであった。
反対に、末端の兵士の間では、何やら弛緩した空気が漂い始めていた。
出所は不明だが、ノマスは今回、エクリシアと同じく籠城策を取っているのではないかという推論まで流れている。
確かに、そう考えれば一応の辻褄は会う。
こちらから送り込んだトリオン兵団が持ち帰った情報によると、ノマスは機動城塞都市を平野部に結集し、鉄桶の陣を敷いているらしい。
エクリシアのトリオン兵団は、ノマスに到達するや都市群からの砲撃によってすぐに全滅させられてしまった。
前回、エクリシアの寇掠によって削られた国力は、十年程度で回復するものではない。無理な遠征は避け、自国に引きこもって少しでも有利な条件で敵を迎え撃とうとするのは自然な成り行きだろう。
となれば、トリオン兵を送り込まないのも、こちらを疑心暗鬼にするための策略の一手と考えられる。
血気旺盛な従士の中には、早くも痺れを切らせ、こちらからノマスへと打って出るべきだと口にする者もいるようだ。
だが今回の邂逅期、エクリシアは防御に徹することが決まっている。
「レーダーの感度は今のままを維持しなさい。どんな些細な反応も見逃さぬよう、細心の注意を払って監視を続けるように」
椅子に腰を据えるだけの日々を過ごすテロスは、ともかくオペレーターにもっともらしい指示を出すと、胸の内で嘆息した。
テロスを初めとした騎士団上層部は、従士たちが口にする楽観論など頭から信じていない。ノマスは間違いなくエクリシア近隣まで遠征艇を出している筈だ。攻めてこないのは策を練っているためだろう。
しかし、肝心の敵の策略が読めない以上、こちらに打てる手だてはない。精々防備を固め、警戒を厳にするのが精一杯だ。
「グライペイン殿、交代の時間だ」
黙考するテロスに声を掛けたのは、イリニ騎士団第一兵団長のドクサ・ディミオスだ。
前線基地は二十四時間厳戒態勢が敷かれており、士官は三交代で任務に当たっている。 代わり映えのしないレーダーを睨み続けるうちに、知らずと間に時間が経っていたらしい。
「さて諸君、気を張って行こうじゃないか」
交代して席に付くオペレーターたちに、ドクサが軽やかに声を掛ける。
そしてさりげなくテロスへと顔を向け、早く休むよう目顔で伝えた。
従士たちは比較的安穏としているが、騎士団上層部は現状にはかなり参っている。
なにせ、ノマスの陣容と動向が全くと言っていいほど掴めていないのだ。送り込んだトリオン兵は碌に情報を集められずに破壊され、敵の本隊も一向に動きを見せない。ノマスの連中が何を企んでいるか、予測する材料さえ入手できていない状態なのである。
戦闘が起きていないとはいえ、騎士たちは神経をすり減らす日々を送っている。
「わかりました。後をよろしくお願いします」
テロスはいずれ義父になる壮漢に丁寧に礼を述べ、指令室を後にした。
彼には指揮官としての職務だけではなく、
テロスは前線基地の通路を進み、士官用の仮眠室へと向かう。
休める時には休んでおく。これは軍人の鉄則である。
とその時、テロスは突然足を止めた。何か、名状しがたい違和を覚えたのである。
視界の端が、一瞬だけ型板ガラスを通したかのようにぼやけた。それだけなら、只の疲労と断じることもできただろう。
しかし、一流の騎士であるテロスは、己の直観に従ってトリガーを起動する。まさにその瞬間、
「――ッ!」
鋭刃が空気を裂いた。
首を狙ったその一撃を、トリオン体となったテロスは仰け反るようにして躱す。
まさに紙一重。浅く一文字についた傷から、トリオンの黒煙が立ち上る。
「馬鹿な! 基地内に侵入を許しただと!?」
端正な顔に驚愕の色を浮かべ、テロスが叫ぶ。
薄暗い通路に透明の人型が浮かんでいる。
ノマスの隠密トリガー「
× × ×
同時刻。隔離戦場の一角を担うゼーン騎士団の前線基地にて、変事は起きた。
建物には警報が鳴り響いている。未登録のトリガー反応が、突如として基地内に出現したのである。
ゼーン騎士団総長ニネミアは状況を確かめるべく、旗下の騎士と従士を急行させた。しかし、不審なトリガー反応に接触するや否や、怒号と悲鳴と共に彼らの通信は途絶えた。
監視映像から、敵が基地内に侵入したことはすぐに明らかとなった。
敵は漆黒のマントを纏った老人である。その褐色の肌から、明らかにノマスの手の者と知れた。
「騎士オノス、騎士パンテル、私に続きなさい。総員戦闘準備! 敵の襲撃に備えよ!」
通信映像を見るや、ニネミアは凛とした声で下知を飛ばし、指揮所を飛び出した。
諸々の疑問は尽きないが、最も重要なのは、映像で判明した敵のトリガーである。
生き物のように蠢く漆黒の外套。それも「
「トリガー起動」
ニネミアは自身も「
彼女の周囲に現れたのは、円錐型をした十基の射撃ユニットである。彼女の思考によって自在に操られるこれらのユニットは、強固な防壁さえ貫く高出力のレーザーを放つ。
また、複数基を連動させて威力を高めることも可能で、全ユニットを用いての砲撃は、城塞を吹き飛ばすほどの威力を誇る。
火力型のトリガーの通例として屋内戦闘にはやや不向きだが、基地の損壊に頓着するニネミアではない。侵入者を区画ごと吹き飛ばしてやる腹積もりである。だが、
「――っ指令室! 医療班を急行させなさい! くれぐれも侵入者と鉢合わせしないように誘導して!」
到着した基地のラウンジには、濃密な血臭が立ち込めていた。
血だまりに伏すのは、先行した騎士と従士たちだ。
彼らはトリオン体を失っても尚侵入者の攻撃を受けたらしい。ある者は手足を切断され、またある者は胴体を深々と抉られている。室内の至る所に飛び散った血糊が、如何に凄惨な戦闘が起こったかを如実に物語っていた。
「~~ッ、絶対に許さない!」
まだ息のある者も何人かいたが、ここでニネミアが立ち止れば更なる被害者が出る。あるいはそれこそ敵の狙いかもしれない。ニネミアは憤怒に顔を歪めると、断腸の思いでトリガー使いの追跡に戻った。そして、
「くっ……」
行く先々に、従士たちの死体が転がっていた。辛うじて息の有る者は、嗚咽とも悲鳴ともつかない声で助けを求めている。
敵は凄まじい速度で基地内を駆け巡り、手当たり次第に兵士を殺傷しているらしい。
だが、それももう終わりだ。
「追い詰めたわよ!」
基地の地下。諸々の物資を納めたコンテナが山積みとなった倉庫に、敵のトリガー使いの反応はあった。
広大な倉庫に立ち入った瞬間、翻る黒いマントを目にしたニネミアは、躊躇なく「
「――!」
通路から飛び出してきたのは、褐色の肌に深い皺を刻み込んだ老人だ。
真っ白な蓬髪に炯々と輝く瞳、顔の半分を覆う白い髭。生物のように波打つ漆黒のマントを纏い、老人は悠々とニネミアたちを見据える。
ただ事ならぬ威風を発しながらも、敵意や殺意は微塵も感じとられない。殺しを日常の一つにまで昇華させた、まさに達人の佇まいである。
「「
鋼を思わせるような、底響きのする声で老人が呟く。
彼は教会のデータバンクに登録されており、要注意人物としてニネミアも見知っていた。
ルーペス氏族のカルクス。
ブラックトリガー「
「先代より気概はあるようだな。いいだろう。相手をしてやる」
老人は何の感情も窺わせない声で、ニネミアに声を掛ける。
この戦い初となる
× × ×
「――はっ!」
裂帛の気合と共に、テロスはブレードトリガー「
何もない中空に火花が散ったかと思うと、突如としてトリオンの黒煙が噴き出す。
青年は追撃の為に剣を振りかぶるが、繰り出された姿なき鋭刃に踏込を阻まれた。
(ッ、話に聞くよりはるかに厄介だな……)
テロスの視界に映るのは、殺風景な基地の通路である。
しかし、何もないはずの中空からはトリオンの黒煙が棚引いていた。良く見れば、その出所からは、うっすらと人間の輪郭を確認することができるだろう。
ノマスが有する隠密トリガー「
完全な奇襲であったにも関わらず初撃を避け得たのは、テロスの騎士としての弛まぬ努力の賜であっただろう。
青年は即座に「
(だが、――もう見切った!)
テロスは再び鋭く踏み込むと、渾身の袈裟切りを放った。
甲高い破砕音と共に、先より多量の黒煙が噴き出す。見れば、隠密化の解けた侵入者の前腕が宙を舞っている。
「
また、レーダー対策はともかく、透明化には多少の難があり、動いている最中には型板ガラスを通したように輪郭が見えてしまう。
見えぬ敵に惑わされたのも暫しの事。間合いを把握してしまえば、騎士たるテロスに負ける要素はない。
なぜ
その焦りが、隙を生んだ。
「なっ――」
止めを刺すべく剣を翻したテロス。その一撃に先んじて、青年の背後に鋭刃が振り下ろされた。
(新手だと!?)
テロスの左腕が宙を舞う。
背後から現れたもう一人の暗殺者が、ブレード状の腕を振りかざしてテロスに襲い掛かったのだ。
微細な音響の変化、あるいは空気の微かな流れに違和感を覚えた青年は、辛うじて身を捩じり致命傷を免れた。もう少し前掛かりに攻めていれば、まず助からなかったはずである。
「舐めるなッ!」
片腕となった青年は、それでも即座に体勢を立て直すと、二人に増えた透明な敵を相手に、剣を振るって勇戦する。
「――ッ!」
しかし、片腕となった青年は旋風のように襲い掛かる二人の対手に、次々と手傷を負わされていく。隻腕の不利もあるが、それ以上に敵の攻撃が凄まじい。
まさに一心同体を体現するかのような、見事な連携である。訓練された猟犬の如き獰猛さと正確さは、「
「く……」
テロスの端正な容貌にも、流石に苦渋の色が差す。
このまま戦い続ければ敗北は必定であろう。しかしその時、
「彼から離れなさいっ!」
けたたましい発砲音と共に、青年の救いの女神が現れた。
「「――!」」
ばら撒かれた弾丸の何発かは襲撃者に命中し、攻勢を鈍らせた。その隙に、テロスは飛び下がって体勢を立て直す。
通路の奥から現れたのは、小銃トリガー「
テロスが発した通信を受け、援軍が到着したのだ。
「全隊敵を殲滅せよ。決して逃がしてはなりません!」
メリジャーナの鋭い下知を受けて、従士たちが姿なき侵入者へ猛然と射撃を加える。
形勢の不利を悟った敵は通路の奥へと逃げ込むも、勢いづいた従士たちが即座に追撃を始めた。基地で待機している他の従士たちも、侵入者の報を知らされ次々と集まっている。いくら隠密トリガーを持とうとも逃亡は叶わないだろう。
「テロス、怪我はない?」
奇襲を受けた婚約者にメリジャーナが駆け寄る。しかし、青年騎士は厳しい面持ちを崩さず、
「まだだ。ノマスがこれしきで退く筈がない!」
そう言って「
「――うわあああっ!」
年若い従士の悲鳴が耳朶を打つ。
通路の奥の曲がり角から、追撃に出た従士たちが凄まじい勢いで吹き飛ばされるのが見える。
木屑か何かのように壁や床に叩き付けられた従士たちが悲痛なうめき声を上げている。
「あ、あ……ぎゃああああっ!」
トリオン体が解け、生身のまま這い縋って逃げようとする従士たちを、巨人の足が踏みつぶした。
現れたのは、身の丈三メートルを上回る二足歩行のトリオン兵であった。
蜥蜴のような頭部と、その口腔内に収まる一つ目。瞬発力に優れた逆関節の脚部。そして何より目を引くのは、肩口から生えた二対の巨大な腕である。
そのトリオン兵は、五指を揃えた丸太のように太い腕とは別に、先端に鋭いブレードを搭載した長大なアームを背中から伸ばしていた。
全身を見るからに頑強な装甲で覆われたトリオン兵は、何の躊躇もなく泣き叫ぶ従士の胸をブレードで刺し貫く。
「な――」
テロスとメリジャーナに戦慄が走る。
新型トリオン兵は無雑作に従士の遺骸を放り捨てると、テロスら目がけて突進を行う。
メリジャーナや後続の従士たちがトリオン弾を浴びせかけるも、新型のトリオン兵は小揺るぎもしない。そして、
「ぐ――」
「――テロスッ!」
長腕の薙ぎ払いを受けたテロスが、基地内の壁を突き破り彼方へと吹き飛ばされた。
弾雨をものともしない重装甲と、人を木端のように扱う凄まじい膂力、
モールモッドやバムスターと比べればはるかに小柄だが、このトリオン兵は明らかに従来のそれらを凌駕する戦闘力を秘めている。
これこそ、ノマスが満を持して投入した新型トリオン兵クリズリだ。
クリズリはエクリシアが誇る騎士を相手取るために開発された純戦闘用トリオン兵であり、他のトリオン兵とは隔絶した性能を持つ。
クリズリを相手取れば、練達のトリガー使いであっても苦戦は免れないだろう。ましてや――
「うおおッ!」
銃撃では効果薄と判断した従士たちが、ブレードを掲げて突貫する。しかし、全身くまなく重装甲のクリズリに、有効打を与えることができない。
一人の従士が弱点となる目を狙うべく、振り回される長腕を掻い潜り、クリズリの懐へともぐりこんだ。すると、
「うわっ――」
斬撃を放とうとした従士が、穴だらけになって吹き飛ぶ。
クリズリの短腕、その開いた五指から、機関銃のようにトリオン弾が放たれたのだ。
「――隊伍を組み直しなさい! 距離を取って削り倒します! 前衛は負傷者を回収し後方へ下げなさい!」
遠近対応したクリズリの戦闘力に、メリジャーナは遮二無二攻める従士たちを下がらせた。侵入者はまだ健在だ。たかだかトリオン兵一体に、これ以上手古摺る訳にはいかない。
メリジャーナは「
「っ、増援!?」
放電のような音と共に、通路内に漆黒の
ヴルフは集団戦闘用に開発されたノマスの主力トリオン兵であるが、ゲートを潜って現れたそれらは、従来の物より性能を強化した改良型だ。
黒、白、茶色のヴルフが、次々と従士たちに襲い掛かる。
さして広くも無い通路に、トリオン兵と従士たちが入り乱れての混戦となった。
「く――」
襲い掛かるヴルフを的確に撃ち抜きながら、メリジャーナが唇を噛む。
ヴルフの乱入によって、味方は四分五裂の状況に陥った。別けても面倒な新型は依然野放しのままで、浮足立った従士たちを次々と屠っている。
(まずい……)
援軍も次々に戦闘に加わっているが、狭い通路では数の優位を生かせない。このままでは被害者が続出するだろう。それに、この混乱では侵入者を追うこともできない。
「――そんなっ!」
焦燥ゆえに、メリジャーナに隙が生じた。
襲い掛かるヴルフの一体。茶色の体色をしたヴルフ・ベシリアが口から放ったのは、単なるレーザーではなかった。
弾丸のように吐き出されたそれは、極めて粘度の高い液状トリオンである。
その粘着弾はシールドトリガー「
右半身の自由を奪われたメリジャーナは咄嗟に小銃を持ちかえ、左手一本で襲い掛かるヴルフを狙い撃つ。
だが、難敵の弱体を明確に見定めたのだろうか。クリズリが長腕を振りかざすと、群がる従士を蹴散らしメリジャーナへと突撃を仕掛けた。
× × ×
ゼーン騎士団の地下倉庫では、
「
「
圧倒的なパワーを誇る
「――鬱陶しいのよ!」
ニネミアの怒声に応じるように、倉庫内に飛び交っていたユニットが一斉射撃の構えを取った。
掠めるだけでトリオン体を焼き尽くすであろう高出力のレーザーが、様々な角度から放たれる。しかしその刹那、黒マントを棚引かせた老雄カルクスは凄まじい勢いで跳ね飛び、死の閃光を軽々と躱した。
そしてカルクスついでとばかりに「
「くっ……」
ニネミアの顔貌に苦渋の色が差す。戦闘に入ってから破壊されたユニットは三つ目だ。
ニネミアは中間距離から絶え間なく射撃を浴びせかけることで敵を追い立てているが、その実、敵に懐に潜り込まれないようにするので精一杯である。
技量でいえば、明らかに敵の方が上手であった。
「ふむ」
「
しかし、「
出力、強度、そして操縦性。どれをとってもノーマルトリガーとは比べ物にならない能力を有し、伸縮、形状ともに自由自在の布状のトリガーは、堅固な盾にもなれば鋭利な刃の役目も果たす。果ては手のひらのように物を掴み取る、また色調を変えて迷彩効果を得るなど、多岐にわたる運用が可能である。
先にニネミアの砲撃を躱した高速移動もその能力の一端だ。折り重ねた「
とはいえ当然のことながら、多様な機能を持つトリガーを使いこなすには、とてつもなく繊細なトリオンコントロールが求められる。
カルクスの尋常ならざる技量は、正に達人と呼ぶに相応しいものであった。数十年を掛けて練磨した技の厚みは、到底若輩者のニネミアの及ぶところではない。だが、
「全隊、総長を援護しろ!」
彼女は一人ではない。
最初に引き連れてきた二人の騎士の他にも、続々と騎士と従士がこの地下倉庫へと駆けつけてきている。
「――っ!」
ノーマルトリガーの火力では「
「撃てっ!」
凄まじい熱量を秘めた閃光が、地下倉庫を奔る。
「
マント越しの射撃の為、カルクスに直撃こそしなかったが、それでも初の命中弾である。
いくら腕が立つとはいえ、相手は只の一人。集の力で押し込めば、如何ほどでもない。
そして
戦士たちの意気は大いに上がり、カルクスへと間断なき射撃を加える。すべてはニネミアの一撃へと繋ぐためだ。
「ふん……」
カルクスは侮蔑とも落胆とも取れるような声を漏らすと、弾雨へと自ら飛び込んだ。いくら「
「……駄目っ! 逃げなさい!」
敵の目論見に気付いたニネミアが、悲鳴にも似た声を上げる。
カルクスは従士たちへと肉薄すると、「
「――卑怯な! 恥を知れ!」
トリオン体を失い生身となった従士たちを、カルクスは「
「くそっ――」
たちまち従士たちの攻撃が止まった。撃てば同朋が血肉をぶちまけることになるのだから、躊躇うのも当然だろう。
しかし、その隙を逃すカルクスではない。
「う、うわああっ!」
黒いマントをはためかせ、カルクスが騎士、従士へと猛進する。攻撃を手控える彼らを据え物でも斬るかのように両断すると、突如として進行方向を変えて跳躍する。
狙いは、間近まで迫ったニネミアだ。
射撃トリガーの常として、「
ましてや相手は達人カルクスだ。「
それでもニネミアはこの窮地を逆手に取るべく、最も近くに展開していた射撃ユニットを呼び寄せた。向こうから寄って来るなら、差し違えてでも当ててやる。
「――くっ!」
だが、ニネミアが銃口を向けたその瞬間、カルクスは彼女の鼻先に捕らえた従士の身体を突きだした。ニネミアの動きが微かに鈍る。
凄まじい加速度で意識を失った少年の向こうに、酷薄なカルクスの瞳が光った。
「甘い。戦士としては未熟に過ぎるな」
一瞬の交錯の後、ニネミアは左腕を根元から斬り飛ばされた。