WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の四 前哨戦 ノマスの策略

 メリジャーナに振り下ろされたクリズリのブレードが、空中でピタリと制止する。

 殺戮者の一撃を発止と受け止めたのは、「鉄の鷲(グリパス)」を掲げたテロスだ。戦線に復帰した美貌の青年は片腕の不利をものともせず、メリジャーナの窮地を見事に救った。

 だが、無慈悲なる人形兵士は冷然と次なる攻撃を繰り出す。

 

「――させない!」

 

 テロスへ目がけ、クリズリが短腕からトリオン弾を発射する。機敏に反応したメリジャーナは、シールドトリガー「玻璃の精(ネライダ)」を起動し青年を護った。

 

「はっ!」

 

 鋭い呼気とともに、隻腕の青年が風のように踏み込んだ。

 襲い来るクリズリの刃を紙一重で躱すと、オプショントリガー「鷲の羽(プテラ)」を起動。テロスはさらに速度を増した斬撃を敵に叩き込む。

 

 一閃の後、クリズリがゆっくりと巨体を揺らし、前のめりに崩れ落ちた。テロスの放った横薙ぎの一撃が、見事に口腔内のコアを切り裂いたのである。

 

「各員残敵を処理せよ! 連携を取らせねば脅威ではない!」

 

 テロスがブレードを振りかざし、従士たちを激励する。

 クリズリを破壊した今、残るトリオン兵はヴルフのみだ。ヴルフは単体でもそれなりの戦闘力を有するが、それでもモールモッドよりは劣る。各個撃破を心がければ、従士でも十分に対処が可能だ。

 

「指令室。状況はどうなっている?」

 

 難敵クリズリを排除すると、テロスは指令室へ通信を繋いだ。

 ノマスが人員を送り込んでいた以上、この襲撃が単なる偵察や暗殺であるはずがない。必ずや後に続く計画がある。

 テロスは基地機能や防衛機構に異変はないか、オペレーターに確認の指示を下す。

 その判断が、致命的な隙となった。

 

「なっ――」

「テロスっ!?」

 

 青年貴族の胸から、突如としてトリオンの黒煙が噴出する。

 テロスの胸からは、輪郭の歪んだ透明な刃が生えている。「闇の手(シカリウス)」を起動したノマスの暗殺者が、クリズリを囮にして奇襲を仕掛けたのだ。

 

「ば、かな……」

 

 トリオン供給機関を貫かれ、テロスのトリオン体が噴煙と共に崩壊する。

 

「団長っ!」

 

 従士たちが咄嗟に小銃を向けるが、残存のヴルフたちが身を挺して攻撃を阻む。

 残敵はすぐさま従士たちによって倒されたが、その隙をついて、ノマスの暗殺者は生身となったテロス目がけて再び襲い掛かったのだ。だが、

 

「させないっ!」

 

 メリジャーナが小銃を抱えたまま、不可視の暗殺者へ身体ごとぶち当たる。ヴルフ・ベシリアの粘着糸によりトリオン体の右半身は自由を失っているものの、そんなことはお構いなしだ。

 

「っ――」

 

 暗殺者の刃がメリジャーナの喉を深々と抉る。だが同時に、メリジャーナは「鉛の獣(ヒメラ)」の引き金を絞り、敵の胴体部を蜂の巣にしていた。

 爆発と共に、二人のトリオン体が崩壊する。

 黒煙が晴れた通路に現れたのは、十五歳見当の褐色肌をした少女であった。

 

「トリガー使いはもう一人いる。警戒を怠るな!」

 

 テロスが部下にそう指示する。

 

 まさか、敵のトリガー使いがこの期に及んで襲い掛かってくるとは思いもしなかった。二人が不覚を取った原因はその思い違いだ。

 増援の従士たちが到達した時点で、敵のトリガー使いの勝ち目はほぼなくなった。新型トリオン兵の出現という予想外の出来事はあったが、それでも数の優位を覆すことが不可能なことは、敵とて理解していたはずだ。

 

 トリオン兵の群れに従士たちが応戦している間が、敵の唯一の脱出機会であったのだ。このトリガー使いの少女は、その機会を捨ててまで攻撃を優先したのである。

 全くの失態である。これでエクリシア側は二人の(ブラック)トリガー使いを早々に脱落させてしまった。今後の戦闘にどれ程の悪影響がでるか、想像もつかない。

 

「……彼女を捕縛しなさい。無用の傷は与えぬように」

 

 メリジャーナが苦々しい面持ちで従士たちに告げる。

 殺気だった従士たちに囲まれたて尚、トリガー使いの少女は平然とした態度を崩さない。まるで人形のように無表情な少女は、顔かたちがまるで違うにも関わらず、何処かフィリアの姿を思い起こさせ、メリジャーナの神経を酷く参らせる。とその時、

 

「――えっ?」

 

 ノマスの少女が軽やかに跳んだ。

 彼女は軽快なステップで床を蹴ると、まるで親しい友人にそうするかのように、メリジャーナへと抱き着いた。

 その仕草が余りに自然で、およそ戦場での行為には見えなかったために、従士たちはおろかテロスまでもが呆気にとられ、反応に遅れてしまう。

 皆が我に返った時には既に、メリジャーナの腹に深々とナイフが突き刺さっていた。

 

「あ、え……?」

 

 我が身に起こった出来事を理解できないかのように、メリジャーナの瞳がノマスの少女を見詰める。

 ノマスの少女はそんな彼女に頓着せず、まったくの無表情のまま、ナイフの柄を思いきり捻った。

 

「ぐ――」

 

 ごぽり、とメリジャーナの口から鮮血が漏れる。

 尚もナイフに込める力を強めようとする少女に、従士が反射的に銃撃を浴びせかけた。

 鮮血を撒き散らしながら、ノマスの少女が人形のように吹き飛ぶ。

 同時に、メリジャーナも力なくその場に膝を付いた。

 

「救護班をっ! 早くっ!」

 

 そのまま倒れそうになるメリジャーナを、テロスが咄嗟に抱き留めた。

 腹にはナイフが依然突き刺さったままで、しかも捩じられたことで傷口が無残に歪んでいる。既に出血はかなりの量におよび、床には血だまりが広がり始めていた。一刻も早く処置を行わなければ命に係わるだろう。

 

「メリジャーナ! しっかりしろ、気を強く持つんだ。すぐに助けが来る!」

「て、ろす?」

 

 ショックで自失したメリジャーナに、テロスが大声で語りかける。居並ぶ従士たちも、降ってわいた惨状に呆然と立ち尽くすばかりだ。

 故に、ノマスの次なる攻撃に、誰も対応することができなかった。

 

「っ、うわっ――」

 

 轟音と共に、通路の壁が吹き飛んだ。

 地響きとともに現れたのは、捕獲型トリオン兵バムスターである。

 大量のトリオンで外殻を強化された改良型のバムスターが、外から基地へと突撃を仕掛けたのだ。

 そのバムスターの肩に立つのは、凶行を働いた少女と同じ年頃をした褐色肌の少年である。左腕が欠損しているのは、彼がテロスに斬られた暗殺者の一人であることを意味している。

 

 二人組の暗殺者の内、戦場に残ったのは少女のみで、この少年は外部へと逃れ、再度の攻撃準備を整えていたらしい。

 或いは、少年は少女を救出するために動いていたのだろうか。

 少年は襤褸切れのように捨てられた少女の亡骸を見つけると、微かに目を細め、すぐさま騎乗用トリオン兵ボースに跨って逃走に移った。

 

「ま、待てっ!」

 

 壁面に穿たれた風穴から飛び出す少年を、従士たちが追いかけようとする。

 だがその時、バムスターが徐に巨大な顎を開いた。

 捕虜を捕らえるための巨大な口腔内には、びっしりと三角錐の物体が詰まっている。

 それらは爆撃用トリオン兵、オルガの頭部であった。

 

「――っ!」

 

 テロスは咄嗟に傷ついたメリジャーナを抱え、隣室へと飛び込んだ。

 一拍おいて、バムスターからオルガが射出される。

 世界が極光に塗りつぶされる。

 大地を揺るがす凄まじい爆発が、イリニ騎士団の前線基地を襲った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 最初に覚悟を固めたのは、やはり歴戦の騎士たちだ。

 (ブラック)トリガー「凱歌の旗(インシグネ)」によって蹂躙されたゼーン騎士団の前線基地。

 廃墟と化した地下倉庫に、怨敵は未だ健在であった。

 人質を取ることで騎士たちの攻撃を阻害したノマスの老雄カルクスは、悠揚迫らぬ態度で居並ぶ戦士たちを眺める。

 

 頼みの(ブラック)トリガー使いであるニネミアは、後衛に下がって指揮に専念していた。

 カルクスとの激しい射撃戦に加え、左腕を切り落とされたことによるトリオン漏出が甚大である。継戦は可能だが、無用な攻撃を行うだけの余力はない。

 こう着が続く。敵が無理に攻めてこないのは、時間稼ぎと戦力の誘因の為だろうか。どちらにせよ、このまま時間を潰すのは敵の思惑に乗ることになる。しかし、

 

(っ……)

 

 ニネミアは焦りを面に出さぬよう、胸の内で毒づいた。

 動物のように蠢くマントに絡め取られた年若い従士の姿が、嫌でも目に入る。失神した少年兵を犠牲にしてでも攻撃するべきか否かを、彼女は未だに決断を下せないでいる。

 そんな彼女に、秘匿通信が入った。

 相手は古株の騎士である。彼は現状を打破する為、従士を犠牲にしても攻撃をすると、半ば一方的に伝えてきたのだ。

 

「な――」

 

 ニネミアの制止よりも早く、騎士の小銃が火を吹いた。

 次いで起こったのは、当然の結末である。

 降りかかる弾丸をカルクスは従士を盾として防いだ。従士の体が奇天烈に躍ると同時に、血しぶきが撒き散らされる。

 

 そしてカルクスは用をなさなくなった従士の亡骸を、何の躊躇も無く放り捨てた。所詮は時間稼ぎの策としてしか考えていなかったのだろう。むしろ、ここまで覿面に効果を発揮したことを嘲っているような気配さえ纏っている。

 

「~~っ! 全隊、掛かれッ!」

 

 ニネミアはその光景に打ちのめされながらも、鋭い声で部下に指示を下す。

 国防に携わる者として、騎士の判断は間違ってはいない。味方の足手まといになるくらいなら、潔く自決するのが戦士の心得というものだ。

 しかし、若輩者のニネミアには、まだそこまでの割り切りはできない。

 部下を死に追いやった敵に対しただ事ならぬ憎悪を抱くとともに、もう二度と誰も殺させないと、深く静かに決意する。

 

「……そろそろ潮時か」

 

 再び激しい攻勢に出たゼーン騎士団に、カルクスは平然とそう呟く。

 もう間もなく、「誓願の鎧(パノプリア)」を着装した騎士も戦場に到着する事だろう。この軍勢に完全武装の騎士たちが加われば、流石の(ブラック)トリガーといえども苦戦は免れない。

 

 当初の作戦目標は十分に達した。ぐずぐずしていては脱出の機を逃す。

 カルクスは復讐の念に燃える兵たちを適当にあしらいながら、高速機動で倉庫内を飛び跳ねた。

 (ブラック)トリガーの出力を以てすれば壁や天井などは紙きれのようなものだ。地下から抜け出すのは問題ない。ただ、その隙を見出すのが容易ではないのだ。

 敵の執拗な攻撃を躱しつつ、カルクスは慎重に離脱のタイミングを計る。だがその時、

 

「逃がすか卑怯者っ!」

 

劫火の鼓(ヴェンジニ)」の射撃ユニットを引き連れたニネミアが、カルクスの眼前へと飛び出してきた。

 ゼーン騎士団の若き総長は、端麗な美貌を凄まじい憤怒に染めている。

 好き勝手に暴れ回った挙句、勝手に撤退しようと動いたカルクスを見て、とうとう抑えが利かなくなったのだろうか。

 

「――愚か者め」

 

 怒り心頭に発したニネミアを前に、カルクスはあからさまな侮蔑の言葉を口にする。

 近距離且つ機動戦この状況で、「劫火の鼓(ヴェンジニ)」が「凱歌の旗(インシグネ)」に敵う道理がない。

 おまけにニネミアは手負いであり、技量もカルクスには遠く及ばない。自棄になったとしか思えない突撃である。

 

 ここでカルクスは、さも当然の如くニネミアを殺すことを決めた。

 総長を切り刻めば流石に敵の追撃も止むだろう。それに(ブラック)トリガーを排除できれば後々の作戦にも好都合だ。無理押しするつもりはなかったが、向こうから首を差し出しに来るなら遠慮はするまい。

 

「てぇ!」

 

 射撃ユニットから放たれたレーザーを、カルクスは伸縮自在のマントを用いて紙一重で躱す。一発だけタイミングをずらしたために直撃を許したが、その一射は幾重にも折り畳んだマントで完全に防ぎ切った。

 最後の一斉掃射も、カルクスに傷をつけることは叶わなかった。そして再発射まで一呼吸の間に、ニネミアの首は飛んでいることだろう。が、

 

(一射、足りない?)

 

 ニネミアに跳びかかりながら、カルクスは己の抱いた違和感の正体に思い当った。

劫火の鼓(ヴェンジニ)」の射撃ユニットは残り七つの筈である。しかし、カルクスが捌いた射撃は六発のみ。しかし、その肝心の七つ目のユニットが、視界の何処にも存在しないのだ。

 

「――っ!」

 

 己がまんまと釣られたことに気付くも、もう遅い。

 眼前まで迫った憤怒のニネミア。しかし、彼女の瞳には確かな理性の光が宿っている。

凱歌の旗(インシグネ)」が首を刎ねんと鋭くはためくが、その寸前、ニネミアの腹を貫き、一条の閃光が奔った。

 射線が見えなければ、避けることも防ぐことも適うまい。

 ニネミアはユニットの一基を自らの背に貼り付け、自分ごとカルクスを撃ち抜いたのだ。

 

「くっ――」

 

 トリオン体の崩壊により、生身のまま落下したニネミアは、それでも何とか受け身を取って立ち上がる。

 

「私に構わないでッ! 敵に止めを刺しなさい!」

 

 介抱に駆けつける騎士たちを制し、気迫を込めた視線で敵を見遣る。

 

「…………」

 

 塵煙が立ちこめる倉庫内。カルクスは未だにトリオン体を保っていた。

 しかし、「劫火の鼓(ヴェンジニ)」の火力は「凱歌の旗(インシグネ)」を以てしても防げなかったようだ。老人の腹部には巨大な風穴が空き、トリオンが黒煙となって止めどなく漏れ出している。

 黒いマントもボロボロで、動きさえも緩慢でぎこちない。もはやトリガーを操縦する事さえ難しい深手である。遠からず、トリオン体も崩壊するだろう。

 

「一手読み違えた……いや、今回は私に侮りがあったか」

 

 トリオン体は半壊状態。周囲には敵意に満ちた兵という危機的な状況にありながら、カルクスは平然とした様子でそう呟く。

 

「奴を捕らえなさい!」

 

 ニネミアの下知を受けるまでもなく、従士たちはカルクスに弾丸を浴びせかけた。

凱歌の旗(インシグネ)」は辛うじて弾雨を防ぐが、トリオンの尽きた今となっては何時破れても不思議ではない。

 しかしカルクスは眉一つ動かさず、後方に飛び下がって距離を取る。

 

「この勝負、一先ず預けておくとしよう」

 

 そう言うや否や、凄まじい地揺れと轟音が起こった。

 

「な――」

 

 僅か数秒の後、地下倉庫の床板をぶち破って現れたのは、巨大な円柱状のトリオン兵である。捕獲型トリオン兵ワム。レーダー対策を施されたその改良型が、基地の直下まで潜行していたのだ。

 

「待ちなさい――」

 

 ニネミアの怒声を尻目に、手負いのカルクスはワムの口腔内へと飛び込んだ。

 追い縋ろうとした兵たちはしかし、代わりにワムの口から現れたトリオン兵に進行を阻まれる。

 狼型トリオン兵ヴルフの群れと、二対の腕を持った二足歩行の新型トリオン兵が、ゼーン騎士団の兵たちに襲い掛かった。

 

「くっ――」

「お下がりください総長っ!」

 

 新手のトリオン兵の思わぬ精強さに、地下倉庫は再び激戦地となった。

 トリオン体を失ったニネミアは、騎士たちに抱えられるようにして後方に下げられる。混乱の隙を突いて、カルクスを飲み込んだワムは悠々と地中へと潜って行った。

 

「~~っ!」

 

 口惜しさの余り、砕けんばかりに強く歯を噛みしめるニネミア。

 結局、敵はゼーン騎士団の若党を殺戮し、大した損害も受けぬままに引き上げていったのだ。これが屈辱的な敗北でなければ何だと言うのか。

 激情に身を焦がすニネミアであったが、騎士としての理性は、敵の不可解な行動の意図を冷静に推し量ろうとしていた。

 (ゲート)を用いずして如何にエクリシアに潜入したは不思議だが、基地を襲撃してからの敵の立ち回りは、明らかに擾乱と陽動を狙ったものである。

 

 次に控えるのは敵本隊の侵攻に間違いない。

 敵の(ブラック)トリガーを抑えるためとはいえ、防衛の一角を担うニネミアがトリオン体を失ってしまったことは相当な痛手だろう。

 ニネミアは端末を操作し、指揮所に通信を繋ごうとする。その時、基地内に緊急警報が鳴り響いた。

 

(ゲート)誘導装置、一番から六番、九番から十二番まで機能を停止しました! 誘導率は二十・五パーセントまで低下っ!」

 

 悲鳴にも似たオペレーターの声が基地内に響く。

 隔離戦場を囲む十二基の(ゲート)誘導装置の内、その十基が突如としてダウンしたと言うのだ。

 ニネミアが愕然と言葉を失う。そして敵の思惑に気付くと、戦慄に身を粟立たせた。

 防衛計画の要となる誘導装置が沈黙したとなれば、敵はエクリシアの如何なる場所にでも自在に兵を送り込むことができる。

 

 となれば、彼らが狙う場所は一つしかない。

 エクリシアの中枢たる地、神の御座所を有する聖都に、ノマスは大軍を送り込むつもりなのだ。

 その事実に気付いた面々は顔面を蒼白にする。しかし、彼女たちには動揺する時間さえ与えられなかった。

 空間を震わせて、多数の(ゲート)が隔離戦場の空に開いたのだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 薄暗い室内に、計器の低い駆動音が響いている。

 トリオンの拍動に照らされるその部屋は、ノマスの雄、ドミヌス氏族が有する遠征艇の戦闘指揮所である。

 決して広くはないその部屋には、投影モニター付きのテーブルを囲んで五人の男女が座っていた。

 

「カルクス老は戦線からの離脱に成功。カルボーは追跡部隊を躱しながら撤退中です。またテララは……勇戦し、敵の(ブラック)トリガー使い二人を戦闘不能に追い込んだものの、戦死を遂げたようです」

 

 モニターに戦況を映しながらそう口にするのは、三十見当の筋骨たくましい褐色肌の壮漢である。彼はアーエル氏族のマラキア。(ブラック)トリガー「報復の雷(フルメン)」の担い手にして、今遠征におけるノマス連合軍の副指令を務める。

 

「そうか。だが彼女たちは見事に勤めを果たしてくれた。その仕事に応えることが、我らにできる唯一の贐だ」

 

 凛冽な声でそう告げるのは、一座の最奥に座る男性である。

 年の頃は四十過ぎ。雪のように白い髪と、同色の口髭を蓄えた、黄金の瞳を持つ男性である。

 深沈重厚な風格を持つその男は瞳を閉じ、束の間、年若い戦士の死に弔意を示した。

 彼はノマス最大の勢力を誇るドミヌス氏族の長レクス。

 (ブラック)トリガー「巨人の腱(メギストス)」を持つノマス最強の戦士であり、また今遠征におけるノマスの総指揮官だ。

 

「では、いよいよ我らも出撃ですね」

 

 勢い込んでそう言ったのは、末席に座るレグルスである。

 仲間の死に心を乱されたのか、少年は幼さの残る顔を苦渋に歪め、固く拳を握りしめている。

 老雄カルクス、カルボー、そしてテララは、ノマスでも特殊な一族として知られるルーペス氏族の者たちである。彼らは物心もつかない時分から過酷な訓練を受け、潜入や暗殺、情報収集や破壊工作など、およそ戦場において求められる全ての技能を叩きこまれて育つ、ノマスで最も剽悍な部族である。

 

 彼らは一年前、ノマスの属国である遊星国家アンキッラの侵攻に紛れてエクリシアに侵入を果たした。以来、彼らはトリオン体のスリープ機能を用いて潜伏し、持ち込んだ隠密トリガーと変装トリガーを駆使してエクリシア攻略への下準備を進めてきたのだ。

 

「誘導装置を破壊したといえども、そう長くは持ちません」

 

 レグルスは真摯な声で、父であるカルクスにそう告げる。

 エクリシア攻略の前提としてどうしても避けられなかったのが、彼の国が開発した(ゲート)誘導装置の存在である。

 そもそもの国力でいえば、ノマスはその人員、物資、トリオンの全てにおいてエクリシアを下回っている。

 

 特に補給のない遠征となれば、本国で迎え撃つエクリシアが圧倒的優位に立つだろう。

 その上、交戦地点の決定権すらエクリシア側にあるとなれば、これはもう話にもならない。いくらノマスの兵が精強とはいえ、周囲を敵と砲台に囲まれた隔離戦場に降り立つとなれば、どれ程のトリオンをつぎ込んだとしても勝ち目はない。

 

 カルクスら潜入班に課せられたのは、何はなくとも誘導装置を無力化することである。

 しかし幸いなことに、ノマス側には有効な手立てがあった。

 ノマスが有する(ブラック)トリガー「悪疫の苗(ミアズマ)」、その機能を移植した新型トリオン兵を用いることで、誘導装置のシステムに介入することができたのだ。

 

 そして見事に、潜入班は(ゲート)誘導装置を機能停止に追い込んだ。

 のみならず、エクリシアが各地に設けた自軍用の(ゲート)中継装置も無力化に成功。これで隔離戦場の敵軍は聖都まで徒歩で移動せねばならない。

 かく乱のために敵の前線基地へと攻撃をしかけたカルクスらの内、少女テララが戦死を遂げることになったが、その損失を補って余りある成果である。

 

 だが、その功績を確かなものにするためには、速やかに本隊が進軍せねばならない。

 システムを破壊しただけで、誘導装置そのものは健在である。敵方に時間を与えれば、装置を復旧させてしまうからだ。

 

「勿論だ。総員戦闘準備。他の遠征艇にも総攻撃の指令を出す」

 

 眉間に深い皺を刻んだまま、レクスが深沈たる態度でそう指示する。

 副官のマラキアはすぐさま僚艦に連絡を取り、若いレグルスはいてもたってもいられないとばかりに座席から腰を浮かせた。するとその時、

 

「待ってください司令官。まだ議論は終わっていません!」

 

 切迫した声が指揮所に響いた。

 発言したのは唯一の女性隊員、シビッラ氏族のモナカである。

 年齢は三十を少し過ぎたほどの、栗毛を下げた女性だ。顔立ちは丸く柔らかいが、その眼光は刃物のように鋭く、神経質そうな印象を受ける。

 

「……()()については、捜索は行わないと言ったはずだ」

「で、ですが!」

「抗命するつもりか?」

「――ッ!」

 

 意見を述べようとするモナカを、レグルスは冷厳なる一瞥で制した。

 彼女が言う議とは、潜入班から送られた情報に記載されていたとある人物に関することである。

 エクリシアの装備、戦略、国情などを調査していた潜入班は、また先の戦争の折りに捕虜となったノマスの民たちの行方についても調べを進めていた。別けても優先されたのは、ノマスの姫君レギナについてである。

 一年にも及ぶ操作も虚しく、レギナの消息は杳として知れなかった。しかし潜入班は、代わりにレギナと生き写しの少女を見つけたのだ。

 

 少女の名はフィリア・イリニ。

 エクリシアは三大貴族の一角、イリニ家に迎え入れられたという若き騎士である。

 無論、報告を受けたノマスの面々は直ぐに両者を結びつけた。その容貌、そして年齢からして、フィリアはレギナの娘であると誰もが推測した。

 ノマスの姫君レギナの喪失は、先の戦争の苦い敗北を象徴する出来事である。その彼女が見つからない以上、娘と思しきフィリアを捕らえようとの意見が出たのは当然の成り行きであった。

 

 しかし、指揮官のレグルスはその意見を一顧だにせず却下した。

 今回の作戦目標にノマスの民の奪還は含まれておらず、また件の少女はエクリシアでは騎士の地位にあることから、最早ノマスの民としては扱えないとの理由である。

 それでもモナカが拘るのは、彼女がレギナとは姉妹のように育った間柄であるためだ。

 親友に関わる情報なら、何であっても欲している彼女である。娘と思しきフィリアに執着しない筈がない。

 だが、今遠征においてモナカはトリオン兵全般の調整と指揮を請け負う立場にある。また彼女自身も(ブラック)トリガー「悪疫の苗(ミアズマ)」を用い、前線へと赴く予定である。

 ノマスの命運を賭けた一戦に、人探しなど行う余裕はない。

 

「…………」

 

 そのことについてはモナカも重々承知している。それでも言わざるを得ないのは、レギナの存在が、この部屋に集う全ての面々に関わることだからだ。

 当時はまだ幼かったレグルスはともかく、この遠征に参加した者の中で、レギナを家族同然に思わなかった者はいない。

 彼女の明るさと優しさに、誰も彼もが救われた筈だ。彼女がノマスから連れ去られた時に抱いた激情は、熾火のように皆の胸に残っていることだろう。

 しかし、実兄のレクスは冷然とその提案を却下した。身内の消息を確かめる為だけに、作戦を変更することなどできない。

 国家の行く末を差配する者としては当然の判断といえた。だが、

 

「……彼の娘とは戦地で(まみ)えることになるだろう。捕虜を取ることは禁じてはいない。僥倖を願うことだ」

 

 と、レクスは唇を噛みしめるモナカにそう言う。

 もしフィリアを戦場で発見すれば、捕らえることは問題ない。それがレクスの示した最大限の譲歩であることは、モナカにもすぐに分かった。

 

「――は、はい。我が国の勝利の為、奮励努力いたします」

 

 彼女は居住まいを正すと、凛呼たる声で指揮官へと忠誠を誓った。

 

「さて、もう意見は無いな」

 

 モナカの頭が冷えたことを確認すると、レクスは視線を指揮所の奥へと向けた。

 彼が見据えているのは、会議用テーブルに肘を突き、さも気だるげに顎を手で支えている青年である。

 

「この期に及んで何も言いやしませんって。ちゃんと仕事はしますよ。さもなきゃ生きて帰れないじゃないですか」

 

 くせ毛の黒髪に、金色の瞳をした彼は、ノマスの国宝「万化の水(デュナミス)」の担い手ユウェネスである。

 エクリシア侵攻作戦に当初から反対していた青年であるが、流石に事ここに至っては覚悟を決めたらしい。不本意そうにため息をつきながらも、その顔は真剣そのものだ。

 一同の意思を確認したレクスは鷹揚に頷き、言葉を紡ぐ。

 

「マラキアは手筈通り潜入班の回収と敵の惑乱を行え。後の者は私と共に聖都へ降りる。――忘れるな。我々の目的はエクリシアの占領でも支配でもない」

 

 レクスに続いて、居並ぶ面々が次々に立ち上がった。

 

「此度の一戦でエクリシアの命脈を絶つ。主目標は(マザー)トリガーの破壊。副次目標は次代の神の殺害だ」

 

 滾るような殺意を身に纏い、ノマスの戦士たちは戦場へと歩み出した。

 

 

 

 


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