WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
戦場の喧騒を切り裂いて天空から降り立ったのは、人の形をした死であった。
聖都攻略を急ぐノマスの強襲部隊。その一隊は今や、壊滅寸前の様相を呈していた。
「くそっ、何なんだあれはっ!」
ヴルフの群れを引き連れ、ボースに跨り市街地を疾駆するノマスの戦士。
彼が頭部に被る特殊なヘルメットは視界拡張トリガー「
ノマスの「
勿論、「
しかし現在、ノマスでも一廉の戦士であるはずの男が、恐怖も露わにトリオンライフルを撃ちまくっていた。
弾丸が狙うのは、猛烈な勢いで迫りくる白い人型だ。
長剣トリガー「
ノマスの戦士は手にした全てのトリオンライフルで弾幕を張る。敵の未来位置はおろか、回避軌道まで見越した熟練の射撃である。流石に強固な鎧を貫くことはできないだろうが、雨あられと弾丸を叩きこまれれば、突進を続ける訳にはいくまい。
だが、騎士はまるで戦士の打つ手の全て予め知っていたかのように、豪雨のように降り注ぐ弾丸を凄まじい機動で潜り抜けていく。
最小限の回避と防御で、速度を一切落とさぬまま飛翔する騎士。その動きは異常の一言である。もはやどう見ても、意識して動作を制御できる速度ではない。
「く――」
そしてとうとう、死神の手が追い付く。
超高速で飛翔したエクリシアの騎士が、一瞬の交錯の内にノマスの戦士の首を刎ねた。
爆発と共に黒煙が立ち込め、戦士はトリオン体を失った。護衛のトリオン兵の反応さえ許さない、正に神速の一撃である。
しかし、騎士は生身となった戦士に追撃を――すなわち止めを刺さずに、そのまま彼方へと飛び去った。残された戦士は命拾いしたことに気付くと、蒼白のままボースを駆って撤退行動に移った。
(違う。この人たちじゃ……ない)
高速で流れる景色を見ながら、エクリシアの若きエース、フィリア・イリニは鎧の中で唇を噛む。
ノマスの目的が判明するとすぐに、彼女はそれを阻止するべく動き出した。そうして彼女は敵の主力部隊を捕捉し攻撃を仕掛けたのだが、サイドエフェクトによれば、この部隊には敵の狙いを挫くための標的は含まれていないらしい。
さりとて無視できる相手でもない。野放しにした彼らが教会へと辿りつけば、それはそれで容易ならざる脅威になるからだ。
ノマスの精兵部隊に単騎で襲撃を掛けたフィリア。
そして、彼女はまったく無傷のままに敵部隊を壊滅にまで追い込んだ。
無念無想の位に至った剣技と「
新たな標的を求めて聖都の上空を飛翔するフィリア。その時、
(――っ!)
少女は超感覚の導きに従い、鎧のスラスターを操作して身を翻した。
転瞬、眼前に淡緑色の透明な壁が出現する。
突如として地面から生えたのは、差し渡し百メートル余りはあろうかというドーム状のトリオン障壁である。
ノマスの「
障壁の強度はノーマルトリガーとしてはかなりのもので、無理に押し通ろうとすれば「
(面倒な……)
フィリアは胸の内で舌打ちをして敵の所在を探る。「
すると探すまでも無く、荒れ果てた民家の屋上に、ボースに跨ったノマスの戦士の姿があった。
褐色の肌をした壮漢は、緊迫した面持ちのまま、それでも刃のように鋭い眼光で騎士を睨め付けている。
フィリアはスラスターを噴かせて急降下し、眼下の敵へと襲い掛かった。
しかし、ノマスの戦士はボースの馬腹を蹴るや、一目散に逃走を図った。
街路を疾駆し、崩れた建物の上を飛び越え、とにかくフィリアから距離を取るノマスの戦士。
一合たりとも騎士と鉾を交えようという気配がない。ノマスの戦士は、徹頭徹尾逃げに徹する構えである。
意図はこの上なく明白だ。敵はここでフィリアの足止めを行うつもりなのだろう。
ノマスの精兵をいともたやすく屠った騎士を、敵はエクリシア最大戦力の一人と見量ったに違いない。
ノマスの戦士はこの難敵を他の部隊の下へ向かわせぬために、勝ち目が薄いにも関わらず「
だが、その悲壮な決意は果たしてどれ程の効果を上げるものだろうか。
フィリアの超感覚は、ひたすら逃亡に徹するノマスの戦士の動向を完全に捕捉していた。
土台、空を飛ぶ騎士を相手に逃げ切ろうというのが無理な話なのである。少女はノマスの戦士の行く手に先回りすると、燕のように急旋回して攻撃を仕掛けた。が、
「今だ掛かれっ!」
ノマスの戦士が低い声で叫ぶ。
騎士の反応の速さは、敵も織り込み済みであったようだ。剣を振りかざしたフィリアを阻むように、二体のクリズリが廃屋から飛び出してきた。
最初からこの展開を見越して、逃げ道に潜伏させていたらしい。トリガー使いが囮役となるのは、トリオン兵との共闘に長けたノマスの特徴的な戦法だ。
二体の新型トリオン兵はブレードの付いた長い腕を振りかざし、不可避のタイミングで前後から騎士に斬撃を加えた。だが――
「「
鎧と長剣、双方のスラスターを用いて目にも止まらぬ速度で翻身すると、騎士は死の斬撃を易々と躱す。のみならず、回避と同時に振り抜かれた剣は、過たずに二体のクリズリを両断していた。
フィリアは敵が仕掛けたこの釣りを当然のように読んでいた。敢えて正面から捻じ伏せることを選んだのは、そちらの方が早く片付くからに他ならない。
「な――」
ノマスの戦士の顔面が驚愕に引き攣る。
練達のトリガー使いをも凌ぐ傑作トリオン兵クリズリ――それも二体が、僅か一刀で倒されたという衝撃的な光景。上手く罠にはめた筈の敵が、容易く仕掛けを食い破ったという事実に、ノマスの戦士は慄然となる。
それでも、男は遠征に選ばれるだけの技量と覚悟を持った精兵だった。
ノマスの戦士は精神の動揺を捻じ伏せると、次のプランを実行に移す。
ボースを止め、戦闘用トリガーを起動する。どうせこの狭いスペースで飛行能力を有する騎士から逃れるのは不可能だ。クリズリによる奇襲が失敗した今、取り得る手段は一つしかない。
男が両手に現出させたのは、斬撃鞭のトリガー「
最大二十メートルほどの長さとなる伸縮自在の鞭は鑢のように目が立ち、掠めるだけでトリオン体を削り斬る威力を持つ。また先端部はフックや鳥もち状に変化させることができ、伸縮を利用して立体的な機動を行う事や、器物の牽引なども可能だ。
取扱いには熟練が求められるが、格闘武器にはあり得ないほどの遠間から必殺の一撃を繰り出すことができる、極めて攻撃力の高いトリガーである。
ボースに騎乗すれば防御面での不利をも補えるため、ノマスでは広く用いられている武器である。
ノマスの戦士は騎士と対峙するや、手にした鞭を凄まじい勢いで振り抜いた。
騎士が軽く身を捻ると、すぐ隣の廃屋に真一文字の亀裂が走る。「
戦士はひと時も手を休めず、二本の鞭を振り回す。充分な遠心力の乗った鞭は、もはや先端部が目で追う事のできない速度に達している。
フィリアをけん制するかのようにノマスの戦士は鞭の結界を張る。
風を切り、地を穿つ鞭の連撃。刃圏に踏み入れば即座に撃ちすえてやると、戦士は縦横無尽に双鞭を操る。
トリオンの淡緑色の輝線が、目まぐるしく空間を切り刻む。その暴風の結界に、フィリアは何の躊躇いもなく従容と足を踏み入れた。
間境いを踏み越えた途端に、「
「な――」
ノマスの戦士が、何度目とも分からぬ驚愕の声を漏らした。
大気を裂いて騎士へと迫った鞭が、寸前で長剣の閃きによって斬り飛ばされたのである。
重さを失った鞭の一つを、戦士は慌てて手元に引き戻す。その寸毫の隙を、見逃すフィリアではない。
とん、と余りに軽い音。まるで小鳥が梢から飛び立つかのような、およそ質量を感じさせぬ跳躍。
一瞬のうちに、フィリアはノマスの戦士の内懐まで詰め寄っていた。
「
全身甲冑の騎士に有るまじき軽捷さに虚を突かれたノマスの戦士は、咄嗟に応手を見出すことができなかった。
そもそも、「
こうまで密着されては、挽回の手立てが無い。
当然の結末として――まずボースの首が斬り落とされた。
そして体勢を崩したノマスの戦士は乗騎から振り落とされ、しかし地に伏すことはなかった。
閃いた騎士の長剣が戦士の両腕を斬り飛ばし、返す刀でその腹を、まるで芋に串を通すかのように刺し貫いたのだ。
「流石はエクリシアの騎士。我らの怨敵よ……」
瞬きする間もなく放たれた四連続の斬撃刺突。精妙にして迅疾の剣を前に、ノマスの戦士は全く抗することができなかった。
両手と腹からは止めどなくトリオンの黒煙が噴き上げる。もはや男には万に一つも勝ち目はない。だが、
「お前は此処で、俺と共に朽ちるのだ」
戦士はそう嘯き、獰猛に笑う。
と、次の瞬間、フィリアの周囲に散らばる瓦礫の山が崩れ、その下から狼型トリオン兵ヴルフの群れが現れた。
茶色の体色をした四体のウルフ・ベシリアが、騎士目がけて一斉に粘着弾を浴びせかける。ノマスの戦士は我が身を囮として、またしても釣りの戦法を用いたのだ。だが、
「――馬鹿な」
我が身を犠牲にした最後の抵抗さえ、フィリアには届かない。
少女は串刺しにした戦士の体を掲げ、もう片方の手では地に伏せたボースの残骸を掴み上げ、四方から迫る粘着弾への盾とした。
そのままぐるりと回転し、騎士は手にした盾を用いて弾丸の悉くを退ける。
戦士もろともに騎士を戦闘不能に追い込む筈の粘着弾は、とうとう飛沫の一滴さえ純白の鎧を汚すことはなかった。
少女はこの展開を見越していたからこそ、伝達脳やトリオン供給機関といった急所は狙わず、弾除けに使えるように加減して敵を斬ったのだ。
驚愕に顔を歪める戦士のトリオン体が、今度こそトリオン漏出によって崩壊する。
位相のずれた空間に現出した壮漢は、長剣の刃から離れて地に尻もちをついた。
そして立ち込める黒煙が晴れぬ間に、騎士はスラスターを噴かせて空へと飛びあがった。
もはや、この場に長居は無用。
ドーム状に展開し、進路を塞いでいた「
フィリアは地上から放たれるヴルフの弾丸を余裕で躱しながら、聖都の中心、教会を頂く丘へ向けて飛翔した。
こうして空を飛んでいる間にも、聖都の各所では激闘が繰り広げられている。そしてどうやら、敵は教会の襲撃を微塵も諦めていないらしい。
少女の胸に焦燥が滲む。倒すべき敵は他にもまだ居るのに、いらぬ時間とトリオンを費やしてしまった。
「
補給に戻る時間はない。そもそも基地は壊滅している。他の騎士たちも、融通できるほどの余力は残していないだろう。
それでも、フィリアはスラスターを全開にして空を駆ける。
少女には培った剣技がある。いざとなれば鎧は捨ててでも戦える。今は一分一秒の時間が惜しい。
(――捉えたっ!)
教会を頂く丘の麓、ほどなく貴族街に差し掛かろうかという街路を、ノマスの強襲部隊が疾駆していた。
フィリアのサイドエフェクトが明瞭に告げる。あの一団に、この戦争の帰趨を決める人物が居るのだと。
同時に、少女の脳裏に嘗てないほどに激しい警鐘が響く。背筋を凍らせるような、明白なる死の予感。サイドエフェクトは同時に、あの集団に近づくことをはっきりと縛めていた。あそこには、少女を遥かに上回る化け物が居る。
だが、少女は眦を決して敵の直中へと突き進んだ。彼女の胸に残された、只一つの切なる願い。それを成す為ならば、強大な敵も命の危機も、何ほどのことはない。
× × ×
ユウェネスが高空より襲い来る死の一撃を躱し得たのは、まったくの幸運によるものであった。
レクス率いる強襲部隊の中心で、警護のトリオン兵らに囲まれていた青年は、それでもボースの背に身を伏せ、小心な子供のように忙しなく辺りを窺いながら進軍していた。
こうまで無様な態度を取るのは、決して我が身かわいさの怯懦からではない。彼は友レグルスとの約定を果たすため、すなわち
敵味方の入り乱れる戦場では、トリオン反応はそこかしこから発せられており、レーダーはいまいち頼りにならない。
目視に頼った方がまだしも確実と、そうしてふと上空を見上げたことが、彼の命、延いてはノマス全軍を救うこととなった。
「――うおッ!」
曇天に、豆粒のような異物が浮かんでいるのが見えた。
急速に輪郭を巨大化させるソレが、己に向けて急降下するエクリシアの騎士であることに気付いた瞬間、ユウェネスの全身はあらゆる判断を棚上げにして動いていた。
青年は何の躊躇もなく乗騎から身を投げ出し、周囲を並走するヴルフの直中へと転がり込む。
死の斬撃が降り注いだのは、まったくの同時だった。
騎士はユウェネスが騎乗していたボースを胴切りにすると、そのまま滑空して再び上空へと飛び上がる。
「っ――」
先行していたレクス、モナカも異変に気付き、馬首を返した。
一同は決して警戒を行っていた訳ではない。第一、警戒中のヴルフらが、敵の接近にはいち早く反応するはずである。
騎士はトリオン兵の探査を逃れる為、なんとスラスターを停止させ、自由落下に身を任せてユウェネスを狙ったのである。
トリオン反応を抑えれば、レーダーに頼る敵の目を幾らかは誤魔化すことができる。
理屈の上では尤もだが、敵の直中にシールドも張らずに飛び込むなど、狂気の沙汰と言うほかない。
しかも、敵は地面に激突する寸前にスラスターを噴かせ、見事に体勢を立て直して離脱した。それだけでも、この騎士が非凡な力量を持つことがありありと分かる。
「っておい、また来るのかよっ!」
奇襲に失敗した騎士はしかし、上空で燕のように旋回すると、またしてもユウェネス目がけて突っ込んできた。
今度の機動はさらに直線的で、殺意に満ち溢れている。
ヴルフ・ベシリアの放つ粘着弾だけを器用に躱し、他のトリオン兵が放つ弾丸はシールドと鎧で防ぎながら、騎士は最短距離で青年へと襲い掛かる。
転倒からようやく体を起こしつつあるユウェネスに、第二撃を躱す余裕など有る筈がない。たとえ両の足で立っていたとしても、騎士の機動力を前にしては逃げ切れるかどうかさえ怪しいのだ。
「――!」
だが、騎士の刃がユウェネスに届くことはなかった。
護衛のクリズリが、何と三体がかりで騎士の前に立ちはだかったのだ。
小型とはいえ三メートルを超えるトリオン兵が壁を組めば、然しもの騎士もこれを押しのけることは叶わない。
ただし、それは単純な押し比べに限った話ではあったが。
「嘘だろ、おい……」
ようやっと立ち上がったユウェネスの目の前で、壁となったクリズリ全てが膝をつき、泣き別れとなった上半身が緩慢に大地へと落下した。
モールモッドの二十倍以上のトリオンを注ぎ込んで造られた堅牢無比なクリズリが、僅か一太刀で、それも三体同時に胴切りにされるという異常事態。
その信じがたい光景を目の当たりにして、しかしユウェネスは恐慌を来たす事もなく、冷静に最善手を打った。すなわち――
「やばいやばい、何なんだよコイツっ!」
騎士に背を向けての、一目散の逃走である。
もはや恥も外聞もない。この異常な敵を前にして、逃げを打つことが何の問題だというのか。
ユウェネスは背後を振り返ることさえせず、先行する味方の元へと全力疾走する。
とその時、疾走する青年と人影がすれ違った。
「私の馬を使え」
低く、落ち着き払った声が響く。平時は余人を圧する威厳に満ちた声が、こうして戦場で耳にすればこの上なく頼もしいことに、ユウェネスは何やら複雑な思いを抱く。
青年と入れ替わるようにして騎士の前に立ったのは、今遠征の総指揮官レクスだ。
「モナカと共に教会へ向かえ。ここは私が受け持つ」
レクスは有無を言わさぬ声音でユウェネスにそう命じる。
いくらエクリシアが強兵を以て鳴らしているとしても、この騎士の技量は尋常ではない。
折しも、東方から聖都に侵入を果たしたフォリウム氏族の強襲部隊が、只一人の騎士によって壊滅したという、信じがたい報告を受けたばかりである。
この騎士がそれを為したというのなら、理解できる。
故に、レクスは自らがこの敵に当たる事を決断した。
教会まではもう何分もかからない距離である。
道中にそびえる騎士団の砦は空爆によって壊滅しており、丘を登りきるまで障害はない。そして教会の攻略には、ユウェネスとモナカのトリガーこそ必要不可欠である。
「分かりました。先行ってるんで!」
ユウェネスがそう言って、レクスが乗り捨てたボースに跨って駆けだした。後を追ってトリオン兵団も動き出す。
しかしなんと、トリオン兵は一体残らず騎士を無視して去っていくではないか。
一見すると、精強無比なる騎士を前に、時間稼ぎのためにレクスが置き去りにされたかのような形となる。
だが、真相は違う。
騎士がいくら度外れた技量を有していようが関係ない。
レクスの秘めたる戦力を推し量ったのか、眼前の騎士は長剣を構えたまま動かない。
「…………」
事実として、鎧を纏った騎士、フィリア・イリニは総身を奔る戦慄に止めどなく冷や汗を流していた。
少女ほどの境地に至った武人ならば、対手の技量は目にしただけでそれと分かる。
この男は明らかに己より格上の存在だ。サイドエフェクトが今すぐ遁走するようにと、喧しいほどに騒ぎ立てている。
だが、鋼の刃と化した少女の心には、恐怖も絶望も無い。
嘗てない強敵を前にして、フィリアは雄々しく果敢に挑みかかった。