WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

47 / 95
其の八 聖都防衛戦 血縁

 

 聖都の中央。教会を頂く丘の麓には、優美華麗な大邸宅が立ち並ぶ貴族街がある。

 しかし今、エクリシアの市民が誇る閑静な街並みは、戦火によって見るも無残な様相へと変わり果てていた。

 騎士団を狙って特攻をかけた数十体のイルガーが、置き土産とばかりに落としていった大量の爆弾が、貴族街を滅茶苦茶に破壊したのだ。

 

 辺り一帯は瓦礫の山と化し、いたる所で黒煙が立ち上っている。

 貴族の邸宅に務めていただろう多くの人々は、当然トリガーなど所持してはいない。救助に動くべき騎士団さえ半壊の状態となれば、どれ程の死傷者が出ているのかは想像もつかない。

 

 爆撃によって荒廃した邸宅の一角が、塵煙を撒き散らせて倒壊した。

 次の瞬間、崩れた邸宅から飛び出したのは、「誓願の鎧(パノプリア)」を纏い長剣トリガー「鉄の鷲(グリパス)」を携えた騎士である。

 

 フィリア・イリニはスラスターを轟然と噴かせ、倒壊した屋敷から飛び下がって距離を取る。

 彼女の纏う純白の鎧はいたる所に亀裂が奔り、場所によっては戦槌に打ち込まれたかのような陥没痕まで付いていた。抜群の技量を有する少女が――それも無双と謳われる鎧を纏っても尚、窮地に追い詰められている。

 

 屋敷の前庭で片膝を付いた少女は、濛々と土煙を噴き上げる廃墟を見据える。

 手にした長剣は至るところに罅が入り、既に武器としての用を成していない。それでも彼女は剣把を力強く握りしめると、再び両の足で立ち上がった。

 兜の奥で炯々と輝く双眸は、未だ衰えぬ闘志に燃えている。

 フィリアは長剣を正眼に構えると、無念無想の境地で対手を待ち構えた。

 

 倒壊した屋敷から、悠然とした足取りでソレが現れる。

 褐色の肌をした白髪金瞳の壮漢は、(ブラック)トリガー「巨人の腱(メギストス)」の担い手にして、ノマスの遠征部隊の総指揮官、ドミヌス氏族のレクスだ。

 

 傷だらけの甲冑を纏うフィリアとは異なり、男のトリオン体は未だに毛ほどのダメージも負った様子が無い。精々が、逆巻く塵埃に服を汚した程度である。

 戦闘中とは思えぬほどに緩慢に歩むレクス。だがそれが一種の擬態であることを、少女は嫌と言う程に知っている。

 転瞬、レクスの姿が視界から忽然と消え失せた。

 

「――ッ!」

 

 鋼と鋼が噛み合う轟音が響く。

 まるで瞬間移動でもしたかのように、レクスはフィリアの内懐へと潜りこんでいた。

 そして騎士目がけて放たれたのは、城壁をも打ち砕く凄まじい拳打である。

 

 目で追う事さえできない神速の拳を、フィリアは身を大きく捩り、長剣を用いて軌道を逸らすことで何とか躱した。

 それでも完全に回避することは叶わず、レクスの拳が掠めた鎧のわき腹が、まるで土壁でも削るかのように削ぎ飛ばされる。

 

「ふっ――」

 

 次いでレクスは鋭く息を吐くと、大跳躍して騎士の顔面目がけて飛び回し蹴りを放った。

 その速度は、もはや異常という言葉でさえ片付けられるものではない。

 余りの挙動の速さに、男のトリオン体はまるで宙に掻き消えたかのように、一瞬その姿をぼやけさせる。

 そうして放たれた蹴りは、まさに空前絶後の破壊力を秘めていた。

 

 直撃すれば、堅牢無比な「誓願の鎧(パノプリア)」といえども一溜まりもなく破壊される絶対の一撃。

 フィリアはその必殺の一撃を、股を開いて大きく身体を伏せることで辛うじて躱した。

 頭上を擦過した足が、一瞬遅れて少女の背中に爆風を浴びせかける。

 

 トリオン体の知覚能力を以てしても反応不可能な攻撃を、フィリアは極限まで研ぎ澄まされた感覚と、「直観智」のサイドエフェクトを駆使して辛うじて躱し続けていた。

巨人の腱(メギストス)」によって創出されたトリオン体は、その膂力、瞬発力もさることながら、頑強さにおいてさえ「誓願の鎧(パノプリア)」を遥かに凌駕する。

 

 別けても恐るべきは、感覚系と伝達系、情報の処理速度までもが通常のトリオン体とは比べ物にならないほどに強化されることだろう。普通ならば感覚が追い付かないほどの出力で動き回っても、「巨人の腱(メギストス)」の起動者はまったく支障なくトリオン体を操縦することができる。

 近接格闘に限っては近界(ネイバーフッド)でも最高峰の一つであろう超絶の(ブラック)トリガーを相手にして、しかしフィリアは未だに命を長らえていた。

 

(まだ、私はやれるっ……)

 

 一打たりとも直撃を許せば戦闘不能を免れない打撃を前に、少女は怖じることなく敢然と立ち向かい続ける。

 (ブラック)トリガーに加えて達人級の技量。この敵は間違いなくノマスの最高戦力だ。

 敵の大駒を釘付けにすることは、それだけで十分な戦果となる。

 フィリアがレクスを相手に粘れば粘るほど、ノマスの戦略目標を挫くことに繋がるのだ。

 

 また戦略云々は別にしても、これほどの手練れを教会へと向かわせることは、絶対に許してはならない事だった。

 あそこには母がいる。この暴威が人の形を取ったかのような男を、決して近づける訳にはいかない。

 どれ程の時間が経っただろうか。少女は極限まで高めた集中力を維持しながら、なおも紙一重で瀑布のような連撃を躱し続ける。

 だが、少女の勇戦も虚しく、崩壊の兆しは現れた。

 

「――っ!」

 

 レクスの打撃に曝され続けたブレードが、刀身の中ほどから砕けるようにしてへし折れた。打撃を逸らすための手段を失った騎士に、追撃の拳が迫る。が、

 

「む……」

 

 レクスの追撃が微かに遅れる。

 フィリアはシールドトリガー「玻璃の精(ネライダ)」を、自らの防御ではなく敵の攻撃を阻害するため、彼の足元に展開した。

 当然、ただのシールドでは「巨人の腱(メギストス)」の出力に抗することなどできず、「玻璃の精(ネライダ)」はまるで薄ガラスを蹴破るかのようにレクスに砕かれた。だが、その際にできた僅かな隙を突いて、騎士は死の間合いから離脱する。

 

「見事な技量だ。よくぞここまで練り上げた。称賛を受け取れ、エクリシアの騎士よ」

 

 掌中に新たなブレードを作り出し、徹底抗戦の構えを見せる騎士に、レクスは賞嘆の言葉を放つ。

 

「その太刀筋、イリニ騎士団の手の者と見るが……名乗るがいい。私はドミヌス氏族、ケレベルの子レクス。この戦の指揮権を預かる者だ」

 

 低く厳かな声でレクスはそう告げる。

 一旦は戦闘を中断する腹積もりなのか、レクスは構えを解き、フィリアへと向き直る。

 対手が敵の総指揮官と知れても、少女には一片たりとも動揺はない。逆に、ここで彼を足止めすることの意義が倍増しになったことに、烈々たる気迫を滾らせる。

 

「…………」

 

 時間稼ぎを狙うなら、ここで相手と言葉を交わすことは十分に利がある。だが、少女はレクスの問いに対して無言を貫いた。

 サイドエフェクトが、応えるべきではないと警鐘を鳴らしていたからだ。

 

「あの男、アルモニアにも迫ろうかという技量。貴様はもしや……」

 

 威風辺りを払うかのような英傑が、どこか困惑したように言葉尻を濁す。

 

「……」

「まあいい。詮無い話だ」

 

 だが、だんまりを決め込む騎士を前に、レクスは緩く頭を振って会話を切り上げた。

 彼とて聖都攻略を急ぐ身である。無駄話に興じる時間など一秒もありはしない。

 レクスは脳裏に浮かんだ益体も無い想念をきれいさっぱり断ち切ると、再び騎士を打倒すべく総身に力を込めた。

 そうして再び、激闘の火蓋が切って落とされる。

 

 そこから先の戦いは、正に壮烈を極めるものだった。

 精妙無類のフィリアの武技は、死の奔流たるレクスの攻撃を懸命に凌ぎ続ける。

 一分一秒でも長く、この難敵を足止めする。

 積み重ねた経験、身体に染み込ませた技術を総動員して、少女は死の運命に抗い続ける。

 ほんの一瞬のような、それでいて永劫とも思えるような、濃密に圧縮された時間が過ぎていく。

 幾百の拳と剣が交わり、軋り、虚空に大輪の火花を咲かせる。

 そして熾烈を極めた戦いの決着は、唐突に訪れた。

 

「――っ!」

 

 レクスの苛烈極まる猛攻を捌き続けていたフィリアの軽捷な動きが、突如として鈍化した。

 鎧の中で、フィリアは総身の血が音を立てて引くのを感じる。

 少女のトリオン体に張り巡らされた伝達系と接続し、持って生まれた肉体のような随意さで操ることのできた「誓願の鎧(パノプリア)」が、急速に反応を鈍らせる。

 原因は明らかだ。鎧を動かすトリオンが、底を尽きかけているのだ。

 

 鎧に搭載されたバッテリー「恩寵の油(バタリア)」は、一戦闘程度ならば十分に持つだけのトリオンを蓄えている。しかし、フィリアの常軌を逸した超絶の機動と、連戦に次ぐ連戦、そしてレクスと対峙してからの更に激しい戦闘で、鎧を動かすためのトリオンは凄まじい勢いで消費され尽くしてしまったのだ。

 

恩寵の油(バタリア)」のトリオン残量が危ういと言う警告は発せられていた。だが一時も気を抜けない激闘の最中にあったフィリアには、その警告に気付くだけの余裕はなかった。

 とはいえ、鎧は反応速度が減衰しただけで、まだ全機能を停止した訳ではない。それでもやはり、レクス程の猛者を前にして、その微かな変化は致命的な隙となった。

 

「健闘したな。だがここまでだ」

「~~っ!」

 

 レクスの拳が、鎧の腹部を捉えた。

 フィリアは咄嗟に長剣を破棄するとシールド二重に展開し、「恩寵の油(バタリア)」に残ったトリオンを総動員して後方へと飛び下がる。少しでも打撃の威力を抑えようとする判断だ。

 堅牢な城壁さえも打ち砕く必滅の拳が、重量級の「誓願の鎧(パノプリア)」を軽々と殴り飛ばす。

 フィリアは荒廃した庭先を真横に吹っ飛び、柵を突き破って隣の邸宅へと突っ込んだ。

 

「損傷甚大。「誓願の鎧(パノプリア)」強制解除」

 

 隣家の正餐室。古風なテーブルや豪奢な椅子をなぎ倒し、鎧を纏ったフィリアはうち捨てられた置物のように仰臥していた。

 レクスとの戦闘によって傷だらけとなっていた「誓願の鎧(パノプリア)」には、最後に放たれた直撃打を耐えきるだけの強度は残っていなかった。

 鎧の腹部は完全に消失し、衝撃の余波によって全身の装甲にも深い亀裂が走っている。

 もはや機能を果たせなくなったことを自己診断した「誓願の鎧(パノプリア)」は、着装者を逃がすため、自動的にフィリアとの伝達系接続を切り、装甲の展開を解いた。

 

「か――あっ」

 

 少女は喉奥から何とか息を絞り出すと、崩れた蛹からはい出る虫のように、力なく鎧の残骸から身を起こした。

 加速と衝撃によって眩んだ頭を何とか落ち着けようと、少女は額を手で押さえ、大きくかぶりを振る。

 そして何とか平静を取り戻すと、少女は即座に戦意を蘇らせた。

 

 拳打を受ける直前に講じた策が功を奏したらしい。鎧は全損したが、彼女のトリオン体はまだ万全の状態である。

 フィリアは三度「鉄の鷲(グリパス)」を掌中に創り出すと、外へと一直線に続く打ち崩れた壁を見遣る。

 視線の先には、自らの不覚によってできた巨大な風穴がある。

 激闘の痕跡を軽やかに跳び越え、白髪金瞳の偉丈夫が荒れ果てた正餐室へと音も無く少女の眼前へと現れた。

 

「ある種の予感はあったが、やはりそうか……お前がフィリア・イリニか」

 

 よろめきながらも長剣を正眼に構え、切っ先を突きつける少女を目にするや、レクスはそう呟いた。面持ちは凪いだ湖面のように平静そのものだが、その皮一枚下では、狂おしいほどの感情が蟠っているのが見て取れる。

 

「今一度名乗ろう。私はドミヌス氏族、ケレベルの子レクスだ。フィリア・イリニよ。お前の母の名は、レギナと言うのではないか」

 

 半ば確認を取るかのような強い語調でレクスが問う。

 少女の外見年齢は十五、六歳ほど。レギナの子とするには年齢が合わないが、フィリア・イリニの実年齢は、カルクスら潜入部隊から事前に知らされている。

 またそれらの疑問点を棚上げにしてしまうほどに、フィリアの外見はレギナと瓜二つであった。絶対に二人が無関係の筈がない。レクス程の冷厳な指揮官がそう確信してしまうほどの、ある種の霊性さえ感じる相似なのだ。

 

「…………」

 

 尚も口を開かず、双眸に闘志を宿らせ射るような視線を向けるフィリアに、しかしレクスは気を悪くした様子もなく、むしろ幾分声を和やかな調子にして言葉を続ける。

 

「その戦いぶりから、今まで重ねてきた修練の程は窺える。この(エクリシア)にも、一方ならぬ思い入れがあるのだろう。……易々と靡くとは思わない。だが、その身に流れるのは、確かに我らノマスの血脈だ。暫し武器を置き、私の話に耳を傾けてはくれないか」

 

 偉丈夫はそう語りながら瓦礫を踏みしめ少女へと近づく。害意がないことを殊更に示すように、両手は何の構えも取らず、ただ広げたまま両腿の隣に垂らしている。

 

「あなたと話す事など……私には何一つありません」

 

 歩み寄るレクスをけん制するかのように、フィリアは剣柄を握りしめ、鋭くそう言い捨てた。

 少女のにべもない拒絶を聞くや、偉丈夫はピタリと歩みを止める。会話をするにはあまりにも遠いが、一足一刀の間合いは既に踏み越えている。交渉が決裂するや、すぐさま戦闘が始まる距離だ。

 

「……母親がレギナで間違いなければ、私はお前の伯父に当たる。フィリア。もしノマスに来るならば、私は全ての権能を用いてお前を護るつもりだ」

 

 真摯な声で告げるレクスに、しかしフィリアは昏く冷淡な眼差しを送り、

 

「私とあなたは敵同士。それ以外にどんな間柄でもありません」

 

 と断言する。

 冷静に状況を推し量れば、ここで交渉を決裂させるのは愚策だ。

 レクスとフィリアの戦力差は明白である。

誓願の鎧(パノプリア)」の補助があって尚、防戦一方に追い込まれた相手なのだ。鎧を失った以上、この達人と正面からやりあうのは余りにも無謀だ。戦闘となれば、おそらく数手と持たずに少女は完全な敗北を喫することになるだろう。むざむざ敵を煽る手はない。

 

 それでもフィリアの口から衝動的に言葉が出たのは、冷め切った胸中に埋め火のように残る感情の所為だ。

 少女の生涯は決して幸多くはなかったかもしれないが、決して無為な時間ではなかった。

 家族と過ごした掛け替えのない日々。友と歩んだ喜びと悲しみの道。人々から浴びた歓声と冷罵。すべての出来事が、今のフィリアを形作った欠片である。

 家族の為に人間性をかなぐり捨てた今でも、その事実は変わらない。

 良くも悪くも、エクリシアは思い出が詰まった故郷なのだ。顔も覚えていない生母を引き合いに出されたところで、故郷を裏切れる訳がない。

 

「……この国でお前がどのように過ごしてきたかは、簡単にだが調べさせてもらった。

その上で断言しよう。お前が真の意味でエクリシアに受け入れられることはない。順風の内は皆が認め、口々に誉めそやすだろうが、内に入り込んだ異分子を認めることができるほど、この国の民の度量は広くない。もしも不平不満が起これば、彼らは真っ先にお前を吊し上げ、残忍に命を奪うだろう」

 

 レクスはそんな少女の考えを見透かしたように、無慈悲な声でそう宣告する。

 

「――なにを!」

 

 少女は柳眉を逆立て、さらに険しく男を睨みつけるが、一言も反論はしなかった。

 彼の言葉は一面では真実を突いている。フィリアは何処まで行っても宿敵ノマスの人間だ。人がましい生活を送れているのは、彼女が国益を齎すからに他ならない。

 

「ノマスは違う。血は水よりも濃いのだ。ノマスの民はお前を同朋として迎え入れ、喜びも苦しみも共に分かち合うだろう。

 我々は決して、家族を見捨てたりはしない」

 

 ――或いはレクスの最後の一言こそ、深く痛切に少女の心を傷つけたのかもしれない。

 

「お断りだっ! 私の家族はこの(エクリシア)に居る。他の誰も代わりになんてならない! レギナなんて人、私には何の関係も無い!」

 

 烈火の如き怒りを双眸に宿らせ、フィリアが吼える。

 心の奥底に秘められた、最も繊細で穢れのない思い。家族への愛情という、彼女を彼女足らしめる存在理由に異を唱えられ、フィリアは怒り心頭に発していた。

 これ以上は言葉を耳にするのも厭わしいと、少女は示威するように長剣を構え直す。

 

「そうか、残念だ。……だが身柄は連れ帰らせてもらう」

 

 レクスは深々と嘆息するや、猛然と瓦礫を蹴り、瞬息の内に少女へと押し迫った。

 

「――っ!」

 

 レクスは「巨人の腱(メギストス)」の性能を十全に発揮し、トリオン体でも反応できないほどの凄まじい速度で間合いを詰める。対手のフィリアはサイドエフェクトで辛うじて攻撃箇所を読み切るが、防御のための動作がまるで追いつかない。

 少女の胸に、トリオン供給機関を打ち抜くべく神速の拳が迫る。だが――

 

「な――」

 

 刹那の後、フィリアのトリオン体はまだ形を保っていた。

 驚愕の声を漏らしたのは、あろうことか攻めかかっていたレクスである。

 見れば、彼の右腕は肘から先が消失し、切断面からは黒煙となったトリオンが止めどなく噴出している。

 打撃の瞬間、斬撃によって右腕を斬られたのだろう。斬り飛ばされたレクスの右拳は砲弾のような速度で吹っ飛び、正餐室の壁を貫いて遥か彼方へと消え去っていた。

 

「まさか――おのれっ!」

 

 切断面を左手で抑えてトリオン漏出を防ぎながら、レクスが忌々しげに叫ぶ。

 威厳に満ち溢れ、常に沈着な偉丈夫が、憎悪の念を隠しもせずに表している。

 彼には襲撃者についての心当たりがあった。そもそも「巨人の腱(メギストス)」によって生成された金剛不壊のトリオン体を僅か一刀のもとに切断するなど、如何なるトリガーを以てしても容易ではない芸当だ。

 エクリシアでそれが叶うのは、接触したあらゆるトリオンを吸収する機能を持つ(ブラック)トリガー「懲罰の杖(ポルフィルン)」ただ一つ。そしてその担い手は――

 

「――っ!」

 

 レクスは緊迫した面持ちでフィリアの側から飛び下がる。同時に、少女の眼前を走り抜ける一条の輝線。

 首を向ければ、正餐室の大扉が十文字に切り裂かれて倒れる。

 現れたのは、麦穂のように輝く金髪と翡翠色の瞳を持つ男。イリニ騎士団総長アルモニア・イリニであった。

 

「ご当主様っ!?」

 

 敬愛する伯父の姿を目の当たりにした途端、フィリアの口から驚愕の声が漏れる。

 

「フィリア。無事でよかった……」

 

 安堵の息を漏らすアルモニアは、しかしトリオン体のそこかしこが煤け、土埃に汚れている。

 ノマスの強襲時、騎士団の砦で指揮を執っていたアルモニアは、想像を絶する規模のイルガー特攻に巻き込まれ、倒壊した砦に生き埋めにされてしまったのだ。

 何とか瓦礫の山を圧しのけ脱出に成功した時には、既にノマスの兵団は教会へと迫りつつあった。通信によって戦況を確認した彼は、ノマスの最高戦力であるレクスを抑える為、交戦中のフィリアの元へと駆けつけたのである。

 

「下がりなさい。この男は私が相手をする」

 

 超常の性能を誇るレクスの「巨人の腱(メギストス)」を前にして、アルモニアは泰然たる面持ちを微塵も崩さず、フィリアにそう指示を下す。

 砦の壊滅により「誓願の鎧(パノプリア)」を着込むことができなかったアルモニアだが、彼の手には「懲罰の杖(ポルフィルン)」がある。

 

懲罰の杖(ポルフィルン)」は多数の極小トリオンキューブによって構成される近接格闘トリガーだ。起動者の意思に従い幾通りもの形状に変化することが可能で、今まさにアルモニアが手にするそれは、リーチを重視した軟鞭から、刃渡り一メートル程の長剣へと形状変化を遂げている。

 

 このトリガーの最大の特徴は、起動者のトリオン体を除いたあらゆるトリオンを接触によって吸収することにある。この機能によって、「懲罰の杖(ポルフィルン)」はトリオンに依る一切の防御手段を無効化する最強の矛となり得るのだ。

 

 その性質上、トリオン体による攻撃手段しか持たないノマスの「巨人の腱(メギストス)」には、天敵ともいえるトリガーである。

 別けてもそれを振るうのが最強の誉れ高き「剣聖」とくれば、如何に凶悪な敵を相手にしても五分以上に戦うことができるだろう。

 

『敵の一団が教会を襲撃している。フィリア、まだ動けるなら救援を頼む。――家族を助けに行ってくれ』

『――っ! 了解しました!』

 

 無声通信でアルモニアにそう指示されると、フィリアは弾かれたように動き出した。

 この場の一切を全幅の信頼を寄せる伯父に託し、少女はわき目も振らずに邸宅から飛び出すと、教会に向かってひた走る。

 後に残されたアルモニアは、長剣状の「懲罰の杖(ポルフィルン)」をだらりと右手に下げ、底なしの憎悪を双眸に宿したレクスと対峙する。そして、

 

「あの子に、何を吹き込んだ?」

 

 レクスから向けられる強烈な殺気をそよ風のように受け流しながら、氷のような声で詰問する。

 だがレクスは憤然と床を踏みしめ、

 

「問いを投げるのは私の方だ。――アルモニア・イリニ。貴様が拐かした我が妹、レギナは何処にいる!」

 

 逆に吼えるような語調でそう問う。

 

「……あれは死んだよ。あの子を残してな」

 

 一拍の沈黙を挟んでから、アルモニアは感情を排した声でそう答えた。

 彼の瞳には紛れもない悲嘆の色が宿っていたが、妹の死を仇敵の口から知らされたレクスに、それに気付くだけの余裕はない。

 

「ならばお前も死ね。そしてあの娘は必ずノマスに連れ帰る」

 

 憤怒を全身に滾らせ、猛獣のようにレクスが跳んだ。アルモニアも剣を振りかざして応じる。

 エクリシア、ノマスが誇る両雄の、実に十余年ぶりとなる戦いがここに始まった。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。