WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
聖都の中央、小高い丘に聳え立つ優美にして広壮な教会は、エクリシアの心臓部にして、国民統合の象徴である。
幾星霜の年月を経た建物は重厚な風格を備えながらも、トリオンによって造られた外壁には一点の曇りもない。
それもそのはず、この教会は民草がただ安息を得るために祈りを捧げる場所ではない。地下深くには星の運行の一切を担う
その教会が今、噴煙を撒き散らす火山のように燃えている。
教会の正面に位置する広大な広場には、バリケードトリガーによって堅牢な防御陣地が構築され、教会を護る聖堂衛兵たちが小銃を携えて迫りくるトリオン兵団と激しい交戦を繰り広げている。
それだけではない。教会の上層部、普段は市民が景色を眺めるための屋外回廊にもトリオンによって狭間胸壁が設けられ、城塞の一部として機能している。
そこから群がるトリオン兵に射撃を浴びせかけているのは有志の市民たちだ。
避難民の内、トリオン能力に比較的優れた者、また戦う意思のある者には、教会からトリガーと簡易トリオン銃が支給され、戦力として運用されることになった。
夥しい銃口から発せられたマズルフラッシュは、そこかしこで花火が打ちあがっているかのように眩く教会を照らす。
頭上から、そして地上から撒き散らされた弾丸は、丘を駆けのぼり教会へと殺到する異形の兵器たちを次々に打ち破っていく。
激戦地と化した教会から数百メートルほど離れた地点、崩れた建物の陰に隠れるようにして、ノマス襲撃部隊のユウェネスとモナカの姿があった。
「拙いって。トリオン兵削られまくってんじゃねーか」
「泣き言を垂れる前に卵を孵しなさい!」
携帯端末で旗色の悪い戦況を眺めながら、巻き毛の青年は狼狽した声を上げる。
二人は現在
エクリシアが展開する
また二人の持つ
とはいえ、戦場で悠長にトリオン兵を孵すなど、可能ならば極力避けたい下策である。
本来ならば、教会には聖都の各所から分進したノマスの精鋭部隊が一堂に会している筈であった。
練達のトリガー使いたちと、彼らに率いられた大量のトリオン兵が護衛の兵を相手にし、その間隙をついてユウェネスとモナカが堅牢な教会の防備を突破するというのが、ノマスが当初に立てた計画である。
だが、初動こそ完璧に近い展開を演じることができたものの、エクリシア側の抵抗が思いのほか激しく、教会までたどり着けたのはユウェネスらの一隊だけである。
教会を堕とそうとしても、これでは敵の護衛に当てる兵力すら足りない。
「くそ、親父さんが居てくれりゃあなぁ」
「逆に考えるべきよ。「
ユウェネスのぼやきに、モナカが沈鬱な表情で応える。
こと近接戦闘に於いては
「あとあの子、フィリア・イリニを見つけたって話だけど、いくらなんでも確保に裂く手なんてないだろ。モナカもそこは分かってるよな」
「……ええ。任務を優先するわ」
またレクスの通信からは、ユウェネスたちに奇襲を仕掛けたあの騎士が、レギナの娘フィリア・イリニであることが伝えられた。
レクスは彼女を追い詰めたものの、アルモニアの介入によって捕獲には至らなかったらしい。
少女にただ事ならぬ執着を見せるモナカは、その知らせに衝撃を受けていたらしいが、流石に取り乱すことなく目先の仕事に黙然と取り組んでいる。
そもそも捕獲に赴くとしても、少女が広い戦場の何処に行ったかも定かではない。それこそ戦線を離脱していれば捜索はまったくの徒労に終わってしまう。
二人が優先すべきは、一刻も早い教会の攻略である。だが、
「弾幕がきつ過ぎる。このままじゃ護衛を排除する前に手持ちの駒が尽きるぞ」
聖堂衛兵が籠る防御陣地は堅固で、ユウェネスたちが繰り出すトリオン兵を的確な集中砲火で破壊していく。
加えて教会には「
「合撃はもう無理ね。これ以上ここで拘泥していられない。私たちだけで仕掛けるわ」
戦況をモニターしていたモナカの双眸に、固い決意の光が宿る。もはや援軍は無いものとして、二人の
「……たった二人で城取りか。ぞっとしねえな」
「ユウェネス。貴方もノマスの一員なら……」
「分かってる。まあ、一つ頑張るとしますか。死なない程度にな」
軽口混じりでモナカの決断に頷くと、ユウェネスは決然とした手つきで、ここ一番の為に取っておいたトリオン兵の卵を孵化させる。
× × ×
教会の正面広場に設けられた防御陣地は出城とでも呼ぶべき規模で構築されており、また教会の備蓄トリオンを用いて張り巡らされた防壁は、急造とは思えないほどの強度を有している。
丘の頂を占めるかのように建てられた教会で、大規模な兵力を展開できるのはこの正面広場のみ。
あとは急峻な崖をよじ登るようにしてしか教会に取りつくことはできない。
勿論モールモッドなどのトリオン兵であればそれも可能であろうが、避難民の有志部隊が監視に当たっており、周囲の警戒も万全だ。
有事に備えて教会には途方もない量のトリオンが備蓄されており、また研究所を構えている都合上、トリガーや簡易トリオン銃といった武器も豊富に備えられている。
兵隊の少なさこそが教会の弱点であったが、避難民を動員することでその問題も解決された。
市民たちは自らの信仰の拠り所であり、国の象徴である教会を護ろうと、こぞって戦闘に参加している。
一定の威力を発揮する簡易トリオン銃と、堅固な防御陣があれば、たとえ個々人のトリオン能力は低くとも侮りがたい戦力になる。押し寄せるトリオン兵の群れも、一先ずは問題なく撃退することができた。
防衛戦に市民の参加を呼び掛けたのは、イリニ家のパイデイアである。
子供たちを避難させた彼女は大聖堂の演壇へ立つと、ノマスの襲来に怯えパニックを起こしかけた市民たちに、堂々たる声で徹底抗戦を呼びかけた。
諸々の事情から一度は離縁された身とはいえ、パイデイアはイリニ家で帝王学を受けて育った才媛である。
普段は貞淑で慈愛に満ちた、正に慈母を体現するかのような彼女であるが、眦を決して力強く語りかければ、たちまち一党を率いる女帝としての貫録を示す。
或いはそれは、我が子を護りたいという母の一心から生じた必死さだったのかもしれない。卑劣の謗りを受けようとも構わない。教会に敵を引きつけることができれば、それだけ逃がした子供たちは安全になるのだ。
ともかく、パイデイアの演説に心を打たれた市民たちは、各々が手に武器を持ち、教会防衛の戦列に加わった。
人員が多いというのはそれだけで圧倒的な優位性となる。
兵員に余裕があれば切れ目なく防衛陣を組め、また直接戦闘を行わない者も、弾薬の運搬や負傷者の搬送といったサポートで戦線維持に協力できる。
果たしてその結果、教会防衛戦は現在のところ、エクリシアの圧倒的優位のままに推移していた。
防衛陣地に押し寄せるモールモッドやバムスターを、聖堂衛兵と市民兵らは的確に火力を集中させて撃滅していく。
ヴルフのような小型で足の速いトリオン兵の幾らかは、弾雨を潜り抜け陣地に迫ることができるものの、今度はそのサイズの小ささゆえに防壁を登攀するのに手間取り、結局は残さず破壊されていく。
飛行型トリオン兵バドによる上空からの攻撃も、教会の上層に設けられた屋外回廊に詰める狙撃兵によって悉く撃墜されている。
未だ、エクリシア側は教会の内部はおろか、防御陣地内にさえ敵の侵入を許してはいない。敵の兵力がどれほどの規模かは未知数だが、それでも市街地から騎士団が駆けつければ相手にはなるまい。ただ時間を稼ぐだけで、勝利は確実に近づいてくる。
何波目かの攻勢を退け、トリオン兵の追加が途切れたのを認めると、陣地に詰める兵たちは安堵の息を漏らし、また自分たちの奮戦ぶりに大いに気勢を上げる。が――
「っ! バンダーを確認。何だ、普通のと違うぞ……」
観測役の兵士が声を上げた。
見れば、前方の彼方、貴族街から続く大通りを踏みしめながら、十体余りのバンダーの群れが進軍してくる。
蜥蜴を思わせるフォルムの、民家ほどの大きさをしたバンダーは、砲撃・捕獲を主任務とするトリオン兵である。
様子がおかしいのは、迫りくるバンダーは体色が淡い黄色味がかっており、通常の個体よりも一回り程大きいことだ。
新手のトリオン兵に警戒を新たにする防衛部隊。すると、バンダーの群れは防衛陣地よりはるか遠方で進軍を停止した。
「なんだ?」
観測手が怪訝な顔をする。バンダーは口腔内のコアから強力な光線を放つ機能を有するが、この距離は完全な射程外だ。よしんば砲撃を敢行したとしても、十分な威力を発揮することはできないだろう。
訝しげに眼を眇め、バンダーの挙動を注視する観測手。高々と首を掲げたバンダーから灼熱の閃光が放たれたのは次の瞬間だった。
「な――う、うわっ!」
耳を聾する爆音と共に、地を揺るがすかのような激震が起こる。
バンダーから一斉に放たれた光線は、陣地を囲む防壁や胸壁に立つ兵士らに直撃し、炸裂した。
流石に数発程度の砲撃では堅牢な防壁はビクともしなかったものの、兵士には幾らかの損害が出た。だがそれ以上に防衛部隊に混乱をもたらしたのは、バンダーがおよそ射程圏外と思われる位置から、高威力の砲撃を行ったことだ。
このバンダーはノマスのトリオン兵エンジニア、モナカの手による特製品である。
通常のバンダーの数倍のコストを掛けて製造された強化バンダーは、捕獲機能をオミットし、装甲と射撃能力に注力した砲撃特化の調整を施されている。
射程、威力、速射性。どれをとってもノーマルのそれを遥かに凌駕している。
これらの強化トリオン兵は、新型トリオン兵クリズリと共に、ここぞという局面の為に温存していた隠し玉だ。その性能は、数合わせの汎用品とは物が違う。
「く、くそ――!」
兵士らは反射的にバンダーへと銃を向け、豆粒ほどの敵影に向けて引き金を絞る。だが小銃型トリガーは連射力に注力した設計を行われているため、放たれた弾丸は敵トリオン兵に届くころには、用をなさないほどに威力を減衰させてしまう。
そして次の瞬間、再び強化バンダーによる一斉砲撃が行われる。
二度目の砲撃はより精密に、防壁の一点を狙った集中攻撃であった。
直撃弾を立て続けに受け、然しもの強固な防壁にも亀裂が走った。すると、戦場をはい回っていたトリオン兵の残党が、群れを成して罅の入った防壁へと殺到する。
「狙撃班、アレを黙らせろっ!」
群がるトリオン兵を撃退しつつ、防衛部隊の長が叫ぶ。
あの距離に陣取るバンダーに有効打を与えることができるのは、狙撃銃トリガー「
狙撃銃を持つ兵士たちは隊長からの命令を待つまでも無く、挙って胸壁から身を乗り出すと、彼方のバンダーへと射撃を加える。練達のトリガー使いたちの放った弾丸は、遥か遠方のトリオン兵のコアを見事に捉えた――かに見えた。
「な――」
驚愕が兵士たちの喉を突いて出る。
バンダーのコアを射抜くかに見えた弾丸は、突如として現われたトリオン障壁によって素気無く阻まれてしまった。
それを為したのは、狼型トリオン兵ヴルフの群れである。
なんと、バンダーの背中や周囲に隠れ潜んでいたヴルフが、幾重にもシールドを張ってトリオン弾を防いだのだ。
狙撃手たちはなおも猛然と攻撃を加えるが、全ての弾丸は護衛役のヴルフに防がれる。
その間にも、バンダーの砲撃は止まらない。
既に何十発目とも知れない光線が防壁に直撃する。
トリオン体を構築できない市民兵の中には、爆発に巻き込まれて死傷する者も出ている。陣中は正に混乱の渦中にあった。
そして頼みの防壁も度重なる砲撃を受け、とうとう崩落寸前の有様となっている。
さらに凶報は重なる。
「敵の新手です! ――っ、また様子が違うぞっ!」
砲台に徹するバンダーの横をすり抜けて、モールモッドやバムスターの増援が大挙して現れた。
モールモッドは青色、バムスターは薄紅色の体色をしており、双方とも細部が通常個体と異なっている。明らかにバンダーと同じく強化された特別製だ。
地を蹴立てて防御陣地へと押し寄せる強化トリオン兵は、どれも尋常ではない重装甲を備えており、火線の雨に怯みもしない。
別けても強化バムスターの突破力は異常の一言に尽きる。
只でさえ分厚い外殻を濃縮トリオンでさらに強化したバムスターは、コアの収まる口腔部をも固く閉ざし、重戦車の如き突進で陣地へと突き進んでくる。
センサーも兼ねるコアを格納しているため、バムスターはただ愚直に直進するのみだが、最短経路を猛進してくるため迎撃の時間がない。
「火力を集中させろ!」
それでも防衛部隊は奮励し、寸でのところまで押し迫った強化バムスターを撃破する。
脚部を破壊され、どうと地に伏す巨体のトリオン兵。
だが、本当の脅威は未だ健在であった。
固く閉ざされていたバムスターの口が大きく開く。するとそこには、鏨を思わせる鋭利な三角錐の物体がみっちりと詰め込まれている。
何十体もの爆撃用トリオン兵オルガが、バムスターの腹に搭載されていたのだ。
解き放たれたオルガの群れが、猛烈な勢いでトリオンを噴出して飛翔すると、砲撃によって亀裂の広がった防壁へと突き刺さっていく。
転瞬、目も眩む極光とともにオルガが一斉に自爆した。
轟音と激震によって前後を失った兵たちが立ち直ったときには、彼らが拠るべき防壁の一角は完全に崩壊していた。
「く、来るぞっ!」
防御陣の切れ目を目指し、強化モールモッドやヴルフら戦闘用トリオン兵が押し迫る。
既に何体かは陣地内へと侵入し、防衛部隊と苛烈な戦いを繰り広げている。
戦局は一気に劣勢へと傾いた。それでも兵士たちは奮起し、これ以上の敵の侵入を阻むべく武器を執る。
防壁が破られたのは僅か一画のみ。まだ凌ぐことは可能だ。また陣地に入り込んだトリオン兵を駆逐できれば、バリケードトリガーで壁を修復することも可能だろう。
だが、兵士たちの淡い希望の芽を摘むかのように、敵は苛烈な攻勢を緩めない。
先の一体に続いて投入された強化バムスターらが、続々と迫りつつある。
今度は防壁まで確実に辿りつけるよう、護衛役のヴルフと連携しての進軍だ。
ただでさえ侵入したトリオン兵の対処に人員を割り当てざるを得ない状況に追い込まれている。防衛部隊は必死に射撃を叩きこむが、盾役を伴った強化バムスターを止めることができない。
もはやこれまでか。兵士らの脳裏に諦念が過ったその刹那――
一条の閃光が、戦塵の舞う空を貫いて奔った。
トリオンの極光は吸い込まれるように驀進するバムスターへと突き進む。護衛のヴルフは機械そのものの正確さで幾重にもシールドを展開するが、迸る光は薄ガラスを突き破るかのように、何の抵抗も無くその障壁を貫いた。
そして――解き放たれたトリオンは巨大な火球となり、膨大な熱量によって堅牢な装甲を有するバムスターを欠片も残さず焼き払った。
のみならず、爆発の余波は周囲一帯を薙ぎ払い、護衛役のヴルフをも破壊する。
矢継ぎ早に放たれる破壊の閃光は、防壁を目がけて進軍するバムスターを次々と打ち据え、粉々に吹き飛ばした。
穿たれた大地に残るは焼け溶けた敵の残骸のみ。破城槌を失ったモールモッドらは、プログラムに突き動かされるまま無意味な攻撃を続行するが、勢いを取り戻した兵士たちに一体、また一体と迅速に処理されていく。
戦況を塗り替えた一射が放たれたのは教会の頂点、天高く聳える大鐘楼からだ。
強力無比な援軍の参戦に、兵士たちは雄々しく鬨の声を張り上げた。
× × ×
「……当たっ、た?」
眼下で繰り広げられる激戦を照準機越しに眺めるのは、豊かな金髪と翡翠色の目をした貴婦人、パイデイア・イリニであった。
彼女は胸壁に固定した狙撃銃トリガー「
濛々と立ち上る土煙が戦場の旋風に吹き消されると、地には巨大なクレーターが穿たれているばかりであった。標的としたバムスターの痕跡は、もうどこにも見つけ出すことはできない。
ノマスの接近に伴い、避難民を鼓舞して徹底抗戦を訴えたパイデイアは、しかし神の候補という立場故に、戦闘に参加することを教会の人間に止められてしまった。
発起人がのうのうと隠れさせられるという屈辱的な扱いに当然反発した彼女は、教会の地下から抜け出すと、志願兵から狙撃銃トリガーを受け取り鐘楼へと登り、勝手に戦列へと加わったのだ。
神の候補にも推される彼女のトリオン機関は別格の性能を有する。ブラックトリガーにも比肩する出力でトリガーを用いれば、只の狙撃が砲撃も同然の威力になるのだ。
「……大丈夫、よね」
自らの砲撃が敵のトリオン兵のみを排除したことを、パイデイアはしつこいほどに目視で確認する。
トリガーの出力は起動者のトリオン機関の強弱に比例し、原則として威力の調整は効かない。桁外れに強力なトリオン機関を持つがゆえに、パイデイアの砲撃は味方をも巻き込んでしまう恐れがあった。
加えて、彼女自身も戦闘用トリガーの扱いに長けている訳ではない。貴族の子女として遠い昔に覚えさせられた操作を、何とか思い出しつつ扱っているに過ぎない。
家屋ほどの大きさのバムスターとはいえ、動目標を相手に一発も外れ玉が出なかったのは奇跡というほかないだろう。
「次は……」
パイデイアは再び照準器を覗き込み、レティクルの先に敵を捉える。
今度の標的は、彼方から教会へと射撃を加え続けるバンダーの群れだ。
防衛部隊の狙撃班の奮戦により多少は数を減じているが、それでも脅威は健在だ。パイデイアの砲撃ならば、ヴルフが張るシールドごとバンダーを吹き飛ばすことができるだろう。
ただ、敵までの距離が遠すぎる。バムスターと違い動きはしないが、照準の向こうに見える小さな標的を射抜くのは、彼女の腕では至難の業だ。
それでもパイデイアはしっかりと銃床を肩に当て、細くゆっくりと息を吐きつつ、引き金を絞る機を窺う。
トリオンの弾丸は大気の影響を受けずに直進する。集中すれば不可能な狙撃ではない。何となれば、付近に着弾させるだけでもいい。爆発の余波ではバンダーを破壊することはできないかもしれないが、砲撃を滞らせるぐらいの効果は見込めるだろう。
首を高々と掲げるバンダーに、静かに狙いを定めるパイデイア。次の瞬間、彼女は標的の口腔から閃光が放たれるのを見た。
「――っ!」
戦慄が背骨を貫いて奔る。実戦経験の乏しい彼女は、スナイパーの金科玉条を完全に失念していた。すなわち、居場所を悟られることなかれ、の鉄則である。
強化バムスターを仕留めた狙撃手の存在を、敵が放置しておく道理が無い。急ぎ指令を下されたバムスターは、鐘楼に籠ったパイデイアに向けて一斉射撃を加えたのだ。
殲滅の光線が教会の大鐘楼を直撃する。
莫大なトリオンを用いて建てられた尖塔はバムスターの砲撃を受けたところでビクともしないが、衝撃だけでも人間を殺傷するには十分すぎる威力だ。
だが、鐘楼に籠るパイデイアは無事であった。
砲撃を目の当たりにした彼女は咄嗟にシールドトリガー「
砲撃のつるべ打ちなど、普通のトリガー使いならどう足掻いたところで助かる術もないが、桁外れのトリオン能力が生み出した障壁は、城壁にも匹敵する強度でパイデイアを守り切った。
そして胸壁から顔を上げたパイデイアは、再び狙撃銃トリガーを作り出すと、お返しとばかりにバンダー目がけて引き金を絞った。
鐘楼を襲った閃光とは比べ物にならないトリオンの奔流が、一直線に戦場の空を切り裂き、遥か彼方のトリオン兵へと着弾する。
大爆発に巻き込まれ、体の半分を失って頽れるバンダー。だが、破壊の閃光は一向に止まない。
パイデイアの連続砲撃が次々と着弾し、展開するトリオン兵はおろか、辺りの区画一帯が吹き飛ばされる。
「――はぁ、はぁ……」
バンダーの砲撃が止まっていることにようやっと気付いた時には、敵が陣取っていた辺りの地形は殆ど更地同然の有様となっていた。
命の危機に曝されたことで半ば恐慌を来たしていたパイデイアも、何とか落ち着きを取り戻したようだ。荒い息を整えながら、己が受け持つべき敵の姿を探し求める。
一見すると、残敵はそれほど見受けられない。
ノマスの繰り出した強化トリオン兵は殆ど破壊することができた。残っているのは、中型、小型のトリオン兵ばかりである。
一部が崩落したとはいえ、まだ陣地機能は健在である。モールモッドやヴルフは敏捷な動きでパイデイアの砲撃を躱したようだが、そのサイズ故に防壁を乗り越えることができない。程なく片が付くだろう。
パイデイアが安堵の息を吐く。その時、
「――な、あれは」
トリオン兵の残骸が散らばる戦場を、凄まじい速度で何かが飛翔するのが見えた。
三メートル余りの大きさをした四臂の人型は、ノマスが此度の遠征に投入した新型トリオン兵クリズリだ。二十を超えるクリズリの群れが、スラスターを轟然と噴かして教会へと迫りくる。
「――っ!」
敵の新型についてはパイデイアも耳にしている。それどころか、先ほどからの戦闘にも投入されたクリズリは、持ち前の戦闘力で防衛部隊が頼みとする聖堂騎士たちを掛かりきりにさせていたのだ。
パイデイアは咄嗟に狙撃しようとするものの、彼女の腕前では高速で宙を飛ぶクリズリを捕捉することができない。それにしても、投入されたクリズリの速度は異常に過ぎる。いくら精兵といえど、ここまで度外れた動きをするはずがない。
「まさか、そんな……」
敵の姿をはっきりと見捉えた彼女は、愕然とした表情で声を詰まらせる。
持ち前の飛行能力で防壁を軽々と飛び越し、陣地の中へと降り立ったクリズリたち。
彼らの体表にはびっしりと、黒い葉脈の如きトリオンの輝線が奔っている。
その怪現象について、パイデイアには心当たりがあった。
ノマスの
これを受けたトリオン兵は、あらゆる能力が通常の個体から跳ね上がり、躯体が融解するまで決して戦闘を止めないという。
只でさえ強力なクリズリに、
「う、うわぁああ!」
鬼神の如き戦力となったクリズリに、陣地内の防衛部隊が見るも無残に蹂躙されていく。
膂力、装甲、敏捷性、そのどれもが通常の個体とは比べ物にならない。
普通のクリズリが騎士にも対抗できるという強さなら、強化されたクリズリは騎士でなければ勝負にならないほどの戦闘力となる。
「
眼下で繰り広げられる一方的な虐殺を目の当たりにして、しかしパイデイアは恐れ慄く暇も無かった。
彼女の籠る鐘楼へと、強化されたクリズリが飛翔してきたのだ。
× × ×
冷酷無情な殺人兵器の侵入を許した防御陣地は、酸鼻極まる光景を晒していた。
防壁を飛び越えたクリズリに防衛部隊は敢然と立ち向かった。しかし、
強化クリズリは疾風のような速度で駆動し、その剛腕は堅牢な防壁をも易々と打ち砕く。元々頑強だった装甲はさらに強化され、生半な攻撃ではかすり傷一つつかない。それどころか、通常弱点とされるコアすらも、弾丸が通らないほどの硬度となっている。
クリズリの振るうブレードに切り裂かれ、弾丸に打ち抜かれ、兵士らが次々とトリオン体を失っていく。
生身となって戦闘力を失った兵士にも、クリズリは追撃の手をまるで緩めず、仮借無き攻撃を加え続ける。
刺し貫かれ、叩き潰され、蜂の巣にされ、鮮血の花が戦場に咲き乱れる。
嘗てない強敵に圧倒的な劣勢に立たされた兵士たちは、それでも戦意を失わず、敢闘を続ける。
負傷者を下げ、隊伍を組み直し、雄々しく吼えながら戦士たちは戦う。
遊撃に当たっていた聖堂騎士たちも陣地へと舞い戻った。「
教会の上層から援護射撃を行っていた市民兵たちは、流石に襲い来るクリズリの狂猛さに算を乱したが、それでも少なくない人間が抵抗を続けている。
教会を巡る攻防戦は、入り混じった敵味方が死力を尽くして鬩ぎあう、まさに激闘の様相を呈している。
誰もが目の前の敵を打倒し、己の命を拾う事のみに執心するばかりとなった混沌の戦場。
主戦場から離れた防御陣地の外、トリオン兵の残骸が地を埋め尽くさんばかりに散らばり、そこかしこに砲撃跡が残る荒涼とした場所に、人目を避けるように動く二人の人影があった。
「急ぎなさい。そう長くは持たないわ!」
「分かってるからあんまり焦らせんなよ。それなりに大変なんだぜ!」
ノマス強襲部隊のモナカとユウェネスが、戦場の片隅に陣取って何かを行っている。
地面に突き立てられた杭は、小規模なエリアステルスを展開するトリオンデバイスだ。
防衛部隊の注意が陣地内に向いた隙に、二人は陣地の外に広がる戦場跡へと姿を現していた。共に直接的な戦闘能力を持たない
「つーか、砲撃型の
「反応は、通常のトリガーのはずよ」
「どっちにしろ
地面に手を付き、トリオンの輝線を四方八方へと伸ばしながら、ユウェネスが泣きそうな声でそうぼやく。
「問題ないわ。私のトリオン兵は最強よ。連中が後生大事に崇めているあの教会を、そのまま奴らの墓石にしてやるわ」
モナカは情けない青年の姿に苛立ちを滲ませながらも、力強く断言する。
手持ちのクリズリを全機投入し、その上
僅か二名しか教会にたどり着けなかった以上、展開できる兵力には限界がある。退却時の殿に用いる予定だった予備兵力も既に使い潰しており、今投入したのが正真正銘最後の戦闘用トリオン兵だ。
加えて、クリズリらに加えた「
「
「尖塔からの砲撃も止んでいるわ。形勢はこちらが有利。あとは貴方の働き次第よ」
それでも、モナカには一片の焦りも恐れも見せず、双眸に烈々たる闘志を燃やしている。
彼女が半生を掛けて作り出した傑作機クリズリは、エクリシアへの怨嗟と憤怒の結晶である。ただの兵卒や市民兵相手に後れを取る筈がない。
「だからちょっと待てって、もうすぐだからさ」
もはや攻略部隊の残弾は底をついている。唯一余力を残しているのは、このいまいち頼りない青年ユウェネスだけだ。
くせ毛の青年の持つブラックトリガー「
彼が戦場跡へと伸ばす輝線は幾重にも枝分かれし、毛細血管のように緻密で複雑な文様を地面に描いている。
見れば、辺りに散らばるトリオン兵の残骸や敵の堡塁が、日差しに解ける雪像のように形を失っていくではないか。
ユウェネスは「
「ほら、手ぇ出せって。空っけつだと後が続かないだろ」
作業を続けながら、ユウェネスは問答無用にモナカの手を握った。
途端に彼女へと流れ込む潤沢なトリオン。
モナカは驚愕に眉根を寄せるが、そのまま静かに供給を受け続けた。ややあって、
「……そうね。あなたの盾ぐらいにはならないと。エクリシアを堕とすまでは、死んでも死にきれないもの」
と、険しい表情のままそう呟く。
その独言を聞きとがめたユウェネスは苦りきった表情を浮かべ、
「あのな、縁起でもないこと言うんじゃねえよ。お前の死体担いで逃げるなんて、俺は絶対に御免だからな。……もうこれ以上、身内が死ぬのは懲り懲りだ」
軽薄な彼にとっては意外なほどに真摯な声で、そう返す。
今回の遠征では、すでにルーペス氏族の少女テララが、その若い命を散らしている。
そもそもエクリシアへの侵攻を愚策と断じていた青年は、この戦争でノマスの民を死なせることなど、断じて許容できることではなかった。
「……聞いておくわ。でも、生きて帰れるかどうかはあなたの活躍次第よ。ユウェネス」
そんな青年の主張に、モナカは粛然とした面持ちで頷くも、必要とあらば命を駆けるという覚悟が揺らいだ様子はない。
我が身を惜しむような情念を抱こうにも、十余年を経て育ったエクリシアへの憎しみは余りにも深すぎた。
「難儀な話だな」
同朋の頑なさに辟易しつつも、抱く想いの程を理解できる青年は、それ以上言葉を続けはしなかった。
何より今は、目の前の仕事に全霊を尽くさねばならない。此処は戦場の真っただ中、地獄の一丁目である。一つでもミスを犯せば、先の話通り命を失いかねない。
「――よし。十分だ」
戦場に散逸したトリオンを集めきったユウェネスは、眼前に浮かぶ人の背丈を超えるトリオンキューブを見遣った。
そして彼が巨大トリオンキューブに手を触れると、柔らかな光と共にトリオンが新たな形へと変化していく。
「城取り、始めるぞ」
ノマスが当初に立てた教会突入プランは、「
大量のトリオンを変形させるには、担い手のユウェネスが直接教会の壁面に触れる必要がある。作戦通りに戦況が推移していれば、レクスや他の襲撃部隊が警護の兵を相手取り、彼の接近をサポートする予定であった。
だが現在、教会へと辿りつけた人員は僅か二名。これでは教会に近づけるはずもない。
そこで彼らが選択した作戦とは、力任せの正面突破であった。
再構築されたトリオンが、巨大な器物を形作る。
荒涼とした戦場に忽然と姿を現したのは、砲長数十メートルはあろうかという桁外れに巨大な大砲であった。
勝てぬと判りながらも遮二無二トリオン兵を繰り出した理由は二つ。
一つは戦線を防御陣地内まで下げ、ユウェネスが安全に砲を展開する空白地帯を作る事。
もう一つは敵味方双方に、とにかく大量のトリオンを戦場にばら撒かせる事だ。
敵が放棄した防塁やトリオン兵の残骸から得たトリオンを、すべてこの一射に注ぎ込む。
エクリシア側もユウェネスたちの企みに気付いたらしく、陣地が俄かに騒がしくなった。強化クリズリ相手に苦戦しているだろうに、砲撃を止めるべく兵員を送り込んでくる。
だが、最早砲撃を止めることはできない。
「――戦争なんでな、悪く思わないでくれよ」
教会の正門へと照準を定め、巨砲が火を吹く。
光が迸る。大気が絶叫を上げる。大地が炎熱に焼け焦がされる。
極限まで集積され圧搾されたトリオンが、いま力の奔流となって荒れ狂う。
一直線に突き進んだ閃光は、射線上にあった防壁を飴板のように溶かし、教会の大正門へと直撃する。
「おおおぉぉぁぁっ!」
知らずに、ユウェネスは雄叫びを上げていた。
莫大なトリオンを用いて建造された、エクリシアの象徴たる教会。
正攻法ではおよそ破壊不可能であろう堅牢無類の城壁を、極光が焼け溶かしていく。
無限の時にも感じられた、一瞬の鬩ぎあい。
最初に音を上げたのは、ユウェネスが作り出した巨砲であった。
威力を限界まで上げる為、大砲を構築するトリオンを出来る限り抑えたためだろう。規格外の出力の砲撃を行った結果、砲身は見るも無残に融解し、只の一射で用をなさなくなった。
この一撃には戦場から回収したトリオンの殆どを注ぎ込んでいる。ユウェネス個人のトリオン機関では、どうあがいても二射目は不可能だ。
焼け溶けた大砲の横で、ユウェネスが目を眇める。
空と大地を抉り取った破壊の痕跡は、真一文字に教会へと続いている。
数多のトリオン兵をガラクタに変えた防御陣地を突っ切り、なおも彼方へ。
そして聳え立つ教会の大扉には、巨大な風穴が空いていた。
執念によって研がれたノマスの牙が、遂にエクリシアの喉へと突き立てられたのだ。