WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の十 教会攻防戦 それぞれの道

 聖都の北方。教会を頂く丘を下った先には、多くの市民が暮らす住宅地が広がっている。

 フィロドクス騎士団の奮戦により、北部の城壁は未だにノマスの軍勢の侵入を許していない。市民の避難が順調に進んだためだろう。広大な街並みに、人の気配は絶えてなかった。

 

 不気味なほどに静まり返った街路を、小さな人影が息せき切らして駆けている。

 それぞれ髪の色も目鼻立ちも異なる三人の子供は、サロス、アネシス、イダニコたちだ。

 

「後少しです。頑張ってください」

「う、うん!」

 

 そして少年少女たちを先導するように、自律型トリオン兵ヌースが宙を飛んでいる。

 母パイデイアの勧めで教会を抜け出した子供たちは、未だ安全と目される北部地区のシェルターを目指して移動を続けていた。

 

「大丈夫かイダニコ、辛くないか?」

「へ、へいちゃらだよ。お兄ちゃん」

 

 長兄のサロスが、一団から遅れがちの末弟イダニコを気遣う。

 彼らは母より授かったトリガーで肉体をトリオン体に換装しているが、ここに来るまでの道程は、僅か九つの子供には困難極まるものだった。

 

 丘の急峻な斜面を下り、瓦礫と化した貴族街を踏破し、流れ弾やトリオン兵の探索から身を隠す。

 トリガーに付属していたレーダー無効化のマントと、ヌースの的確なナビゲートが無ければ、彼らだけで無事に市街地までたどり着くことは不可能だっただろう。

 

「――! 皆、そこで止まりなさい」

 

 目的地となる建物まであと少しという所で、ヌースが鋭い声を上げた。お目付け役の緊迫した様子に、サロスたちは慌てて建物の影へと身を隠し、息をひそめる。

 

 はたして前方の曲がり角から街路へと躍り出たのは、強襲・偵察型トリオン兵ボースであった。

 この馬型トリオン兵はエクリシアも所持しているが、識別信号はノマスの所属であることを示している。おそらく騎士団の惑乱を狙って放たれた兵だろう。

 

「……見つかりました。迎撃行動に移ります。皆、一塊になって距離を取りなさい」

 

 レーダー対策を施しているにも関わらず、ボースはサロスたちの存在を目ざとく捕捉したようだ。トリオン体の探知以外にも、熱感知や音響センサーなどの機能を搭載しているらしい。

 

 ボースが地を蹴立てて猛スピードで街路を疾駆する。さほど戦闘能力に秀でたトリオン兵ではないものの、それでも一般市民が敵う相手ではない。

 

 しかし、ヌースが居れば話は別だ。

 宙に浮かぶヌースの背後に、漆黒の(ゲート)が開く。

 そこから現れたのは純戦闘用トリオン兵モールモッドだ。パイデイアから分け与えられたトリオンを用いて、彼女は己の手駒となる兵を作り出したのだ。

 

「排除開始」

 

 そして只の汎用型でも、自律型多目的トリオン兵であるヌースが操れば、練達のトリガー使いにも匹敵する戦力となる。

 

 眼前の敵を馬蹄に掛けんとするボースを、モールモッドのブレードが迎え撃つ。

 左右から挟み込む斬撃によって、ボースはあっけなく首を刎ねられ行動を停止した。

 指揮者もいない単独行動のトリオン兵など、ヌースにとってはさほどの脅威ではない。

 

「急ぎましょう。近辺にもまだ敵の反応があります」

 

 しかし、今は出来る限り交戦を避けなければならない。子供たちの安全こそが最優先事項である。

 命を持たぬ器物として造られたヌースだが、今やその魂は家族と共にある。子供たちを安寧と、健やかなる成長こそが彼女の存在する意義だ。

 

 ヌースたちは街路を進み、やがて目的地となるアカデミーへとたどり着いた。

 総トリオン製の広壮な建物は、北部地区の市民たちに教育を施すための学舎である。また有事の際には市民たちが逃げ込むシェルターとしての機能を有しており、現在も避難民たちを受け入れている筈だ。

 

「着いた、着いたよ!」

 

 決死の逃亡が終わりを迎えたことに、アネシスが歓声を上げる。気丈に振る舞ってはいたものの、やはり小さな女の子である。戦場を歩む恐怖は相当なものだったに違いない。

 サロスやイダニコも流石に顔をほころばせ、駈足で学舎へと近寄った。

 

「僕たちも入れてもらえるよね」

「当たり前だろ! 開けなかったら扉を蹴破ってやるさ」

 

 男の子たちは先を争うようにして敷地内へと入り、正門横の端末を操作して内部と通信を図ろうとしている。

 後方の警戒を行っていたヌースは、それ故に反応が遅れた。

 

「二人とも、そこから離れなさい!」

 

 いかなる時も冷静沈着なヌースが、狼狽も明らかに声を上げた。刹那、

 

「――えっ?」

 

 翠緑の輝線が奔り、正門の大扉がバターのように切り裂かれる。

 とその時、イダニコの小さな体からトリオンの黒煙が噴き出した。

 倒れた扉の向こうから、黒い体色をした狼型のトリオン兵が現れる。ヴルフ・ホニンが尾部に備える斬撃鞭で、イダニコを袈裟がけに斬ったのだ。

 

「わ、うわあああぁぁぁっ!」

 

 トリオン体の換装が解けたイダニコは、忽然と現れた死神に悲鳴を上げる。

 血の通わぬ人形兵は悲痛な叫び声など意にも解さず、鋭利な詰めを振りかざして怯える少年へと襲い掛かった。が。

 

「危ねえっ!」

 

 致命の一撃は、寸でのところで空を切った。

 いち早く事態に気付いたサロスが、勇敢にも弟の身体を抱きしめて横っ飛びに跳んだのだ。

 尚も子供たちを殺めようと襲いかかるヴルフだが、その身体は空中でピタリと制止する。ヌースの操るモールモッドのブレードが、ヴルフを刺し貫いたのだ。

 

「イダニコ! サロス!」

 

 ヌースが少年たちの元へと飛んでくる。

 子供たちの安否を確認すると同時に、彼女はモールモッドを操作すると学舎の正門へと突っ込ませ、建物の出入り口を封鎖した。

 シェルターとして設計された学舎は中の様子を探られないようレーダー対策も施されている。その所為で察知が遅れた。

 既にあの建物の内部には、ノマスのトリオン兵が相当数入り込んでいる。

 

「怪我はありませんね。立ちなさい。急ぎこの場所を離れます」

 

 未だ事態が呑み込めておらず、困惑を隠せない子供たちを無理やり叱咤し、ヌースらは学舎から離脱する。

 

 生身となったイダニコはサロスが背負い、解析したヴルフを生成して護衛にする。

 街路を飛翔し、子供たちを導きながら、ヌースは状況について考察する。

 

 敵はおそらく捕獲用トリオン兵ワムを用い、地下からシェルターを襲撃したのだろう。かつてエクリシアがポレミケス相手に行った戦術そのものである。違いといえば、ワムを他のトリオン兵のキャリアーとして用いたことか。

 

 建物の入り口にまで敵兵が居たということは、避難民はほぼ全滅したとみて間違いない。

 危惧すべきは、他のシェルターにまで敵の手が回っているという可能性だ。

 事ここに至っては、もはやシェルターでさえ安全という保障はなくなった。

 

「北の城壁まで向かいます。皆、大変ですがついてきてください」

 

 現在最も戦力が整っているのは、フィロドクス騎士団によって守られている聖都の北門だ。そこで保護を求めるのが確実だろう。

 ヌースはロケータを起動し北門までのルートを探る。途中、彼女たちが半生を過ごしてきた貧民窟がある。トリオン能力に秀でた者のいない貧民窟ならば、敵のトリオン兵の探索も緩いだろう。経由地点として登録する。

 

 敵のトリオン兵といえば、シェルターの襲撃には不可解な点があった。

 如何にして敵は、避難民が集まるシェルターをピンポイントで攻撃できたのだろうか?

 通常のトリオン兵はそこまで複雑な指令をこなせない。いくらノマスの人工知能が優秀とはいえ、それはあくまで戦術規模の行動に限定されるはずだ。

 

 トリオン兵を有機的に活用するには、必ず指示を出す者がいる。

 その点、シェルターはレーダー対策を施されており、事前に情報が抜かれてでもいない限りは、その建物に人が集まっているとは分からないはずだ。

 

 よしんば市民の避難先を特定できたとしても、そこへ大型トリオン兵を隠密裏に移動させると言うのは、かなりの高度なオペレーションを必要とする。

 それを実際に行った、他ならぬヌースが判断するのだから間違いない。

 敵はトリオン兵をここまで細かく動かせるだけの人員を配備しているのだろうか。持ち込める物資に限りのある遠征で、それは考えにくい。

 

 ヌースは瞬時にそこまで思考したあと、それら全ての疑問点を全て棚上げにした。情報が不足している推測に意味はない。

 今はともかく、子供たちの安全に気を配らねば。とその時、

 

「きゃっ、な、何、今の音……」

 

 大気を打ちふるわす凄まじい振動に、アネシスが悲鳴を上げた。

 サロスとイダニコも不安そうに周囲を見渡す。ただ一人、人ならざる感覚器官を持つヌースだけが、衝撃波の発生した地点を正確に観測することができた。

 

 途轍もないトリオンのパルスは、聖都の中心、彼女たちが逃げ出した教会より発せられている。

 そしてトリオンの反応パターンは、ヌースにとっても未知のモノであった。教会に隠し玉でもない限りは、ノマス側が行った行為と判断するしかない。

 彼女たちは知る由もないが、先の衝撃波の正体は、教会の大門を打ち破るべく放たれたノマスによる砲撃であった。

 

「……行きましょう。振り返らないで、走って」

 

 ヌースは飽く迄平静を保ったまま、子供たちに指示を下す。

 懸命に家族を導きながらも、ヌースの論理的な人工知能には、消しがたいノイズが発生していた。

 

(どうか無事でいてください、パイデイア……)

 

 盟友を思う埒のない思考。それは紛れもない彼女の魂の叫びであった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 曇天を純白に塗りつぶす極光と、大地をどよもす砲音。

 

 丘の頂で起きた変事を仰ぎ見て、フィリア・イリニは驚愕に言葉を失った。

 ノマスの(ブラック)トリガー使いレクスとの戦闘をアルモニアに預けた少女は、母の籠る教会を救援するために一路教会へと向かっていた。

 

 少女は既に丘の麓の貴族街を抜け、廃墟となった騎士団の砦が立ち並ぶ中腹へと差し掛かっている。

 トリオン体であることを加味しても驚異的な俊足だが、それでも少女の顔には焦燥が色濃く浮かんでいる。

 

 あの光と震動はノマスによる攻撃だ。少女のサイドエフェクトがそう断定する。

 いよいよ教会の防衛が切羽詰まったことを悟ったフィリアは、焦りを叩きつけるかのように強く路面を蹴り、進路を塞ぐ瓦礫の山を飛び越える。

 

 せめて「誓願の鎧(パノプリア)」があれば。少女の脳裏に詮無い思考が過る。

 鎧の機動力があれば既に教会までたどり着いているはずだった。それに鎧の補助を失った今、一介の剣士でしかない自分に不利な戦況を覆せるかどうか。

 今更自分が教会へと馳せ参じたところで、大勢は変わらない。そう理解していても、フィリアの足は止まらなかった。

 

 出来る、出来ないではない。自分がそうすべきだと思っているから動くのだ。

 母を、弟妹たちを護る。家族に幸せな未来を供する。それだけが少女の存在理由である。その理想を成し遂げるために、己の手を血で染め上げると決めた。

 

「――っ!」

 

 とその時、廃墟を疾走していたフィリアが急停止した。

 戦場の騒音に紛れて馬蹄の音が聞こえてくる。それも少女を目指してどんどん近づきつつある。

 少女は胸を焦がす焦燥と煩悶を即座に捨て去り、ただ鋼の心で長剣を構えた。

 教会から迎撃に出てきたか、それとも逆に教会へと向かう増援か。いずれにせよ、敵が向かってくるなら全て斬るのみ。だが――

 

「待ってください。こちらに敵対の意図はありません!」

 

 現れた人物は、フィリアを目の当たりにするなりそう叫んだ。

 

 瓦礫の散乱する街路。辛うじて残った建屋の基礎に、ボースに騎乗した少年の姿があった。

 年の頃は十四、五歳。深雪のように白い髪と、黄金に輝く瞳をした端麗な若者である。

 その褐色の肌から、ノマスの手の者であることに間違いはない。遠征に選ばれるにしてはかなり若いが、教会攻略の任を帯びた部隊の一員なのだろう。

 

 少年の両腕は巨大な籠手を纏ったかのように変形している。ノマスのトリガー「採集者(ブラキオン)」だ。

 フィリアはしなやかな動作で剣を構える。敵はボースに騎乗しているほか、ヴルフを三体連れているだけだ。供回りが不自然に少ないが、周囲にトリオン兵を伏せている気配はない。道中で使い潰したか、追っ手を防ぐために切り離したか。あるいは卵を所持していても、孵しているだけの時間がなかったのだろう。

 

「話をしたいだけなんだ。君は、フィリア・イリニだろう? 僕はドミヌス氏族、レクスの子レグルス。……君の、従兄なんだ」

 

 敵国にて生まれ育った血縁に思う所があるのだろう。少年は緊張に強張った面持ちの中に、悲しみと喜びの色を浮かべている。

 

「こんな状況で言われても困惑してしまうだろうけれど……僕たちは君と、君の母君のことを、ずっと心配していたんだ。だから……」

 

 真摯な口調で語りかけながら、レグルスは目の前の少女が何の返答も寄越さないことに気付く。

 

 改めて眺めれば、フィリアは構えていた剣を下げ、じっと少年の言葉に耳を傾けている。その眼差しに先ほどまでの険しさはなく、どこか和やかな表情へと変化していることに、少年は安堵と期待を抱いた。

 

「僕たちと一緒に来てくれないか? 君に、僕らの故国の事を知ってもらいたい。貴方に会わせたい人がたくさんいるんだ。きっとみんな、とても喜ぶと――」

 

 熱っぽく言葉を続けるレグルス。

 そんな少年の視界から、少女の姿が忽然と消え去った。

 

「――っ!?」

 

 聞こえたのは、微かな風切音のみ。

 フィリアはレグルスの意識が緩んだ隙を逃さず、疾風のような速さで踏み込むと、少年を亡き者とするべく長剣を振るったのだ。

 

 少年がなおも思考を続けることができたのは、その身を挺して彼を庇ったヴルフとボースのお蔭だろう。

 同朋の少女への攻撃を禁じられていたトリオン兵は、指揮者の護衛を最優先に行動した。フィリアの接近に反応したボースが、棹立ちになって迫りくる鋭刃からレグルスを護る。

 切り飛ばされたボースの首が、少年の代わりに宙を舞った。少女の明白な敵対行動に、展開していたヴルフが即座に襲い掛かる。

 しかし、少女は冴えわたる剣技で三方から飛びかかるヴルフを一刀の下に切り捨てた。

 

「く――」

 

 配下のトリオン兵が身を挺して作り出した寸毫の間に、レグルスは精神を切り替えた。

 

 彼も若くして遠征部隊入りした手練れである。少女の敵対の意図を推し量るよりも先に、身体が戦闘態勢を取っていた。

 対手に先手を許してしまったときは、まずは仕切り直しを図らねばならない。

 少年は崩れ落ちるボースの背から飛び跳ね、後方へと大きく身を翻す。だが、

 

「な――!」

 

 宙を飛んだ少年の背中を、壁のような何かが阻んだ。

 

 たとえ会話に気を取られていたとしても、周囲の状況を見誤るほどの素人ではない。少年の背後には、確かに十分な空間があったはずだ。

 しかし、レグルスはある筈のない壁に強かに背面を打ちつけ、体勢を崩して背中から地面に落ちる。

 

 天を仰ぎ見る体制となった少年は、己の機動を阻んだモノの正体を見た。

 空中に翠緑のトリオン障壁が浮かんでいる。エクリシアのシールドトリガー「玻璃の精(ネライダ)」だ。フィリアはレグルスの回避行動を読み切って、彼の行動を阻むために予めシールドを展開したのである。

 

 そして少年がシールドを確認した致命的な隙に、少女は次の行動に移っていた。

 フィリアは尻もちをついたレグルスに突進し馬乗りになると、その胸を目がけて長剣を勢いよく突き下ろした。

 

「ぐ――」

 

 刃の軋る音が響く。

 

 少年は咄嗟に両手を十字に組み、致命傷となる刺突を阻んだ。

 近接格闘にも耐えうる頑強な「採集者(ブラキオン)」だが、受けた刃は上に組んだ左手を貫通し、右手の半ばまで食い込んでいる。

 少女の凄まじい手練の程と、トリオン機関の優秀さをまざまざと見せつけられ、少年は脂汗を流す。

 

「な、なぜ……僕は、君を……」

 

 それでもレグルスの喉からは、嗄れた声が漏れた。

 尚も少年を刺し貫かんと渾身の力を込めて剣を押し込むフィリアに、彼は請い縋るような眼差しを向ける。

 

「君と争うつもりなんてない。ただ僕は、君にノマスを――」

「あなたの弄言に、耳を貸すつもりはない」

 

 鈴を鳴らしたように可愛らしく典雅な、それでいて氷のように冷たい囁きが、レグルスの耳朶に染み込む。

 ようやく口を開いた従妹の少女は、まるで虫を潰すかのように無感情な瞳で少年を見下ろしている。

 

「あなたの身柄を押さえ、教会の部隊に取引を持ちかける。五体満足でいたければ、抵抗は考えないように」

 

 雑務の手順でも説明するかのような、まるで感情を窺わせない声で少女が告げる。

 

 レグルスは今遠征を率いるレクスの子であり、ノマスで権勢を誇るドミヌス氏族の嫡男である。フィリアは少年が貴種であることを理解した上で、彼を人質にしようというのだ。

 勿論、エクリシアを攻め落とすために莫大な資源を費やしたノマスが、高々子供一人の為に攻撃を断念するとは思えない。

 

 だが、彼らが血族に対して異常に甘いのは周知の事実だ。

 部族の大事な跡取りの命ともなれば、敵勢に動揺が生まれるのは確実だ。敵の侵攻を食い止める手としては、覿面な効果を発揮するだろう。

 

 下劣、非道な手段であることなど、もはや考慮する必要も無い。

 少女はこの場所、タイミングでレグルスに巡り合った幸運を、天に感謝したい思いであった。

 

「ぐ、くっ……」

 

 じりじりと腕を裂いて突き進む刃。少年の両腕は刃を凌ぐのに懸命で、反撃に移ることはできない。また全身も完全に抑え込まれており、馬乗りになった少女を跳ね除けることさえ難しい。

 端正な容姿が苦悶に滲む。このまま味方の足を引っ張るならば、潔く自死を選ぶべきか。少年が悲壮な覚悟を固めたその時、

 

「「鷲の爪(オニュクス)」機動」

 

 フィリアが「鉄の鷲(グリパス)」のオプショントリガーを起動した。

 虫の羽音のような甲高い音が響き、ブレードが高速振動を始める。斬撃の威力を大幅に向上させる機能によって、均衡はあっさりと崩れた。

 まるで果実にナイフを突き立てるように、刃がレグルスの「採集者(ブラキオン)」を切り裂いていく。

 易々と両腕を貫通し、胸の供給機関へと迫るフィリアの剣。だが、

 

「――っ!」

 

切っ先が衣服に触れたその刹那、少女は即座に剣を引き抜くと、横っ飛びに跳躍して少年から離れた。

 転瞬、高空から飛翔した物体が少女の居た空間を掠めて通り過ぎる。

鷲の爪(オニュクス)」の駆動音に紛れて聞こえたスラスターの轟音。それは彼女にとっては余りに馴染み深い音であった。

 

「厄介な……」

 

レグルスを庇うかのようにフィリアの眼前に降り立ったのは、「誓願の鎧(パノプリア)」を纏ったエクリシアの騎士であった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 騎士団が誇る騎士の登場は、しかし少女にとって利する事態ではなかった。

 携えた長剣と共に傷だらけとなった「誓願の鎧(パノプリア)」は、葉脈の如き漆黒の輝線に全身をくまなく浸食されている。

 少女は一瞥しただけで状況を察した。ノマスの(ブラック)トリガー「悪疫の苗(ミアズマ)」についての知識は持ち合わせている。この騎士は件のトリガーによって敵の傀儡にされたのだろう。

 

「――っ、待て!」

 

 騎士の襲撃をフィリアが躱した隙に、レグルスは脱兎のごとく逃走を開始した。少女は声を上げるが、すでに姿を目で追う事すらできない。

 

 少女の攻撃によって少年の両腕は半切断となっている。伝達系はズタズタのはずだ。トリオン体と融合した武装は、手持ち武器のように造りなおす事ができない。如何な手練れといえども、撤退するしかないだろう。

 

 フィリアはレグルスの追跡が不可能と悟ると、それきり彼への執着を捨て去り、眼前の敵へと意識を戻した。

 方々の戦闘に投入されたのだろう。鎧は塵埃に塗れ、いたる所に深い亀裂が走っている。だが、その程度の損傷で鎧が機能に支障をきたすことは無い。それは他ならぬ騎士フィリアだからこそ断言できる。

誓願の鎧(パノプリア)」はノーマルトリガーでは間違いなく最高峰の戦闘力を持つ。同等の条件ならともかく、鎧を失った今の少女では厳しい相手だ。

 

(――来るッ!)

 

 サイドエフェクトの導きに従い、少女は滑るように地を走る。

 穢れた騎士が剣を振りかざして襲い掛かるのは全くの同時だった。

 騎士は猛然とスラスターを噴かせて間合いを詰め、鎧のアシスト機能によって凄まじい加速を加えた斬撃を放つ。

 

 が、その展開を読み切っていたフィリアは、十分な余裕をもって死の一閃を躱した。

 一撃、二撃と繰り出される斬撃を、少女は軽捷な剣技と体術で避け、受け流し、危なげなく捌いていく。

 

 傀儡騎士の繰り出す攻撃は、一見すると隙の見当たらない完璧な剣術に見える。

 しかし、剣の深奥を極めんとする少女からすれば、騎士の動作は教科書通りの型を愚直に繰り返しているに過ぎない。

 傀儡騎士もトリオン兵と同じで、プログラムされた行動ルーチンでしか戦闘を行えないのだろう。付け入る隙があるとすれば、正しく此処だ。

 

 とはいえ、「誓願の鎧(パノプリア)」の出力で振るわれる剣は、それだけで凄まじい脅威となる。

 面打ち、胴薙ぎ、刺突。

 兵隊人形特有の、一瞬たりとも留まる事をしらない苛烈な攻撃を凌ぎながら、フィリアは冷静に反撃の機を窺う。

 

 少女の技量とトリオン出力ならば、堅牢な鎧を切り裂くこともできるだろう。しかし、一撃で行動不能にできなければ手痛い反撃を貰うことになる。相打ちは断じて避けなければならない。

 大上段から振り下ろされる袈裟がけの一刀。

 フィリアは軽やかに旋転して騎士の右側面へと回る。

 剣を振り抜いてしまった騎士は、脇へと位置取った少女に次なる一太刀を繰り出せない。

 打つ手なし。そう思いきや、騎士は背面のスラスターを用い、フィリアに向かって猛烈なタックルを仕掛けた。

 

 圧倒的な質量差と速度で少女を轢殺せんと、砲弾の如き加速で騎士が迫る。

 が、対するフィリアは口辺に笑みさえ浮かべ、泰然自若とこれを迎え撃った。

 

 待ち望んだ好機が訪れた。

 少女は迫りくる傀儡騎士目がけ、自らも疾風のように踏み込む。

 脚を大きく前後に広げ、上体を深く折り曲げ、可能な限り身体を細長く伸ばす。一瞬にして膝丈以下にまで体躯を沈みこませた少女は、軽業じみた動作で騎士の股下をするりと潜り抜けた。そして、

 

「――はっ!」

 

 敵の背後を取ったフィリアは、鋭い呼気と共に長剣を振るう。

 狙いは騎士の背面腰部。手のひらほどの大きさをした長方形のパーツだ。

誓願の鎧(パノプリア)」の一部に巧妙に偽装されたそれは、トリオンバッテリー「恩寵の油(バタリア)」の格納部である。針の穴を通すような精密さで、少女の剣はその急所を切り裂いた。

 

「――――」

 

 圧力に耐えかね、「恩寵の油(バタリア)」がトリオンの黒煙を噴き上げて爆発する。

 駆動に膨大な量のトリオンを必要とする「誓願の鎧(パノプリア)」は、「恩寵の油(バタリア)」なしでは満足に歩くことさえできない。少女は鎧の恐ろしさを誰よりも知るが故に、制し方にも通じていた。

 刹那の交錯の後、傀儡騎士はぴたりと制止し、石像のようにその場に立ち尽くす。

 狙い通り、敵をトリオン切れによる機能停止に追い込んだ。少女が思った次の瞬間、

 

「――っ!?」

 

 凄まじい衝撃がフィリアを襲った。

 なんと行動不能に陥ったはずの傀儡騎士が突如として再起動を果たし、横殴りの剣撃を少女に叩き付けたのである。

 辛うじて受け太刀は間に合ったものの、質量差は如何ともしがたい。

 猛烈な一撃を受けた少女は蹴られたボールのように吹っ飛ぶと、街路を跳ね転びながら廃墟の一角へと突っ込んだ。

 

「く、ぁ」

 

 少女は即座に瓦礫の山から立ち上がる。

 だが思考の焦点が定まらない。全身に浴びた衝撃の所為で平衡感覚が乱れている。頭を緩く振り、呼吸を整えようとするが、少女は無様にえずくばかり。

恩寵の油(バタリア)」は間違いなく破壊した。たとえ着装者からトリオンを搾り取ったところで、機敏な動作などできる筈がない。

 にもかかわらず、傀儡騎士は先にも増した速度と膂力で少女へと襲い掛かったのだ。

 朦朧とした頭に疑念の数々が浮かぶ。しかし、敵を前にしてそれは致命的な隙だった。

 

「がっ――!?」

 

 いつの間にか近づいていた傀儡騎士がフィリアに突撃し、彼女を瓦礫の山へと押し倒した。突然の出来事に虚を突かれた少女は、さしたる抵抗もできずに地面に組み伏せられる。

 そして騎士は両手を少女の細首に掛け、渾身の力で締め上げる。

 騎士の所持していた傷だらけの長剣は、先の一撃で完全に崩壊したらしい。しかしフィリアの剣もまた、衝撃で吹き飛ばされて手元にはない。

 

「ぐ――げっ」

 

 喉から空気が絞り出され、奇妙な音を立てる。

 少女は反射的に騎士の手を振りほどこうとするが、腕力に差がありすぎる。か細い指先は虚しく籠手の表面を掻くのみ。

 

 口の端に泡を浮かべながら、少女は決死の抵抗を続ける。

 トリオン体は酸素を必要としない為、気道を塞がれても窒息することは無いが、凄まじい膂力で締め上げられれば首そのものがへし折れ、断裂しかねない。

 

 身を焼かれるような焦燥の中、懸命に事態の打開策を探る。

 そもそも、トリオン供給が途絶えたにも関わらず、何故敵は未だに行動を続けていられるのか。

 その疑問に、サイドエフェクトが即座に回答を示した。

 

「~~っ!」

 

 フィリアは擦れ始めた瞳で騎士の右脚を見た。鎧の脛の部分に、数センチほどの小さな黒い突起がある。少女は渾身の力を込めて、その漆黒の物体を踵で蹴りつける。

 少女が狙うべきだったのは「恩寵の油(バタリア)」ではなく、この黒い釘の方だったのだ。

 

悪疫の苗(ミアズマ)」によって作り出された釘には、伝達脳とトリオン供給機関が内蔵されている。これの浸食によって、トリオン製の器物は制御権を乗っ取られる。

 騎士が未だに駆動を続けている秘密はここにあった。「恩寵の油(バタリア)」が破壊された時点で、「悪疫の苗(ミアズマ)」の釘からのトリオン供給に回路が切り替わったのだ。

 

 勿論、いくら(ブラック)トリガーといえども「恩寵の油(バタリア)」程の容量は持ち合わせていないだろう。釘に蓄えられたトリオンが尽きた時点で、騎士は今度こそ動作を止める筈だ。

 だが、その僅かな時間を待たずして、フィリアの首は確実にへし折られることになる。

 

「ぁ……っ!」

 

 ミシミシと、己の首が軋む異音が聞こえる。少女は酸欠の金魚のように口をパクつかせながら、何度も何度も漆黒の釘に踵蹴りを加える。

 釘がへし折れるのが先か、少女の首が千切れるのが先か。

 

 枯れ枝が折れるかのような、軽い破断音が響く。

 幾度とない渾身の蹴り込みにより、到頭「悪疫の苗(ミアズマ)」の釘が砕け散った。少女の気迫が、傀儡騎士の執念を上回ったのだ。

 

 途端に、首に掛けられていた騎士の手が緩む。

 フィリアはがむしゃらに籠手を振り解くと、圧し掛かっていた鎧を蹴り上げるようにして横に転がした。

 

「か、ひゅ――けほっ……」

 

 辛くも絞殺を免れた少女は、四つん這いになり大きく咽びこむ。

 目じりに涙が浮かぶ。肺が破れんばかりに空気を求める。

 機動者の肉体を基に構築されている以上、トリオン体といえども生理的な反応を免れることはできない。

 

 嘗てないほど間近に迫った死の気配を思い返すと、少女の全身に震えが走る。

 最後の揉み合いで、彼女が勝ったのは只の偶然に過ぎない。あの釘が背中にでも生えていたら、少女は為すすべもなく首を捩じ切られ、殺されていただろう。

 

「行かなきゃ……」

 

 辛うじて命を拾った少女は、よろめきながらも立ち上がった。

 地面に仰臥する鎧を見遣る。そこでようやく、彼女は操られていたのが因縁積るネロミロス・スコトノであることに気付いた。

 

「……」

 

 が、彼女は一瞥をくれただけで、鎧に捕らわれた同朋を助けようともしなかった。

 別段、嫌悪の情に駆られた訳ではない。単純に、彼はもう使い物にならないとサイドエフェクトが告げている。この先何の役にも立たなければ、助けるだけ時間の無駄だ。運がよければ、誰かが通りかかるだろう。

 

「くっ……」

 

 結局、レグルスを人質にすることは叶わなかった。費やしたのは無駄なトリオンと時間だけだ。

 フィリアは焦燥に顔を歪めると、わき目も振らずに教会へと駆けだした。

 

 

 

 

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