WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の四 一年を経て

 雨音のように絶え間なく響く、砲火と剣撃の音。

 破壊に耐えかねた建造物が軋み、地響きとともに崩れ落ちる。

 風に巻かれて舞い上がる粉塵は、霧のように街区を覆う。

 

 それでも、戦場には悲鳴一つ、怒号一つ聞こえない。

 軒の低い建物が密集する市街地にて、十数名の若者たちが武器を手に熾烈な戦闘を繰り広げていた。

 

 炸裂したトリオン弾に基部を破壊され、斜めに崩れ始める建物。その窓から疾風のように飛び出す人影があった。

 風に靡く雪のように白い髪。炯々と輝く金色の双眸。すべらかな褐色の肌。

 黒色の軍服とコートに身を包んだ少女はイリニ騎士団従士、フィリア・イリニである。

 

 しかしその姿はどうしたことか。スラリと伸びた長い手足とはっきりした目鼻立ちは、十五、六歳ほどの見た目である。

 過酷な戦場を駆け抜けるため、フィリアはトリオン体を作成するにあたり、未来の自分の姿を模した形状を選択していた。

 

 少女は長剣トリガー「鉄の鷲(グリパス)」を手に提げ、不安定な瓦礫に事も無げに着地すると、降り注ぐ粉塵を気にも留めず、同じく黒色の軍服を着た少年目がけて疾駆する。

 

「――なっ!」

 

 建物の倒壊に気を取られていた少年は、フィリアの接近に反応が遅れた。粉塵を切り裂いて飛び込んできた少女に、手にしたトリオン小銃「鉛の獣(ヒメラ)」の銃口を向けるが――

 

 颯、と一抹の風切り音と共に、少年の頭部がこめかみから上下に両断された。

 口元を驚愕に歪めたまま、伝達脳を破壊された少年のトリオン体が爆発、崩壊する。

 後には純白のボディスーツを着た生身の少年が取り残されるが、既にフィリアは「鉄の鷲(グリパス)」を引っ提げ、その場から駆け去っていた。

 

 ただ今行われているのは、イリニ騎士団の訓練、通称「乱戦・市街地」。

 大闘技場の模造戦場で行われる、バトルロイヤル形式の大規模な戦闘訓練だ。

 

 イリニ騎士団に所属する従士。その中でも序列百位までの者が一堂に会し、己以外の全てを敵にして最後の一人になるまで戦いを続ける。

 途中で脱落者が出たとしても、戦闘は止まらない。

 戦場で不覚を取りトリオン体を失った者は、次は生きて戦場を離れることを考えなければならない。この乱戦では、戦闘訓練と同時に離脱の訓練も行われる。

 

「――!」

 

 次なる獲物を求め闘技場を走っていたフィリアは、突如として進行方向を変え、横手の建物へと飛び込んだ。

 

 彼女が進んでいたはずの路上にトリオン弾が飛来し、壁面に風穴を開ける。

 トリオン狙撃銃「鈴の馬(モノケロース)」による狙撃である。

 

 視界外からの不意打ちを躱し得た理由は、フィリアの持つ「直観智」のサイドエフェクトのお蔭である。戦場に漂う僅かな殺気、微かな息遣い、そういった取るに足らない要素を根拠に、少女の脳は最適にして無謬の答えを瞬時に弾き出す。

 

 また、「直観智」によって狙撃手の潜伏場所を見抜いたフィリアは、そのまま内壁を「鉄の鷲(グリパス)」で切り崩し、連なる建物を利用して射線を切りながら追い迫る。

 居場所がばれた狙撃手は当然姿を晦まそうと逃走を図るが、その経路さえも、フィリアのサイドエフェクトは既に見通している。

 狙撃手を音も無く追走するフィリア。そして、

 

「――ぐっ!」

 

 屋上から飛び降りようとしていた狙撃手の青年を、横合いから飛びかかったフィリアが一刀の下に切り捨てた。

 

「うおぁぁっ!」

 

 空中で換装が解けた青年は受け身を取ることもままならず、生身のまま真っ逆さまに転落する。だが、

 

「お気をつけて」

 

 男が地面に血の花を咲かせる寸前、先んじて着地したフィリアがその身体を受け止め、そっと立たせてやる。

 呆気にとられる青年を尻目に、少女は再び破壊音の響く戦場へと舞い戻った。

 

「あと少し」

 

 ぼそりとそう呟いて、少女は高所から戦場を俯瞰する。

 

 百人いた従士たちも、残りはフィリアを入れて六人まで絞り込まれている。そしてその一団は市街地中央で苛烈な戦闘を繰り広げていた。

 生存戦のセオリーから考えれば、無用な戦闘は避け被弾のリスクを抑えるべきだろう。

 しかし、フィリアは一切の躊躇なく激戦地へとひた走った。

 

 これは訓練である。経験に勝る目的など存在しない。ここで積み重ねた手練こそが、来たるべき実戦にて勝利を手繰り寄せる。

 残敵は銃手が三人に剣士が二人。剣士の一人は砲盾トリガー「銀の竜(ドラコン)」で守りを固めた重武装だ。

 互いをけん制しつつ、機を窺う従士たち。しかし様子見で放たれた弾丸は容赦なく大地を抉り、剣撃の余波は建物を瓦礫へと変える。

 

「はあああぁぁっ!」

 

 戦闘圏内まで後数秒となった時、それまで無表情を貫いてきたフィリアが突如として裂帛の気合を上げ、「鉄の鷲(グリパス)」を上段に構えて突撃した。

 

「――ッ!」

 

 乱入者の存在に、従士たちが一斉にフィリアへと注意を向けた。次なる手立てを導き出すまで一瞬の空白が生まれる。

 だが、それこそ彼女の狙い通り。

 

 フィリアの視線の先で、「銀の竜(ドラコン)」を所持していた剣士が動いた。

 長大な凧型の楯の上部に仕込まれているのは、大威力の火砲だ。

 その砲口が、フィリアを含めた従士たちへと向いている。剣士が今か今かと窺っていたその好機を、フィリアが自らを囮にして作り出したのだ。

 

「「鷲の羽(プテラ)」起動ッ!」

 

銀の竜(ドラコン)」の火砲が放たれる直前、フィリアは「鉄の鷲(グリパス)」のオプショントリガーを起動する。「鷲の羽(プテラ)」は剣身からトリオンを噴射し、瞬間的に巨大な推力を得るトリガーだ。

 本来は剣撃を加速させ威力を増大させるトリガーだが、用途次第では、

 

「――っ!」

 

 ブレードに牽引されるようにして、凄まじい速度で宙を滑空するフィリア。横っ飛びに避けた彼女のすぐ隣を「銀の竜(ドラコン)」から放たれたトリオンの極光が通り抜ける。

 発射までに若干の隙があり、近接戦では放つタイミングを計りにくい砲撃だが、ノーマルトリガーとしては破格の威力を誇る。

 その砲撃を至近で受ければ、流石の従士たちもたまったものではない。

 

 直撃を受けて銃手の一人が墜ち、残りの従士たちも混乱に陥った。

 フィリアはすぐさま体勢を立て直すと、手近にいた剣士の首を刎ねる。

 同時に、砲撃を仕掛けた剣士も残った銃手を「銀の竜(ドラコン)」のシールドチャージで押しつぶし、「鉄の鷲(グリパス)」で胸を刺し貫いて撃破した。

 

 荒廃した市街地に残ったのは、フィリアと盾を持つ剣士のみ。

 脱落者を戦闘に巻き込まぬよう、フィリアと剣士は地を蹴ってその場を離れた。そして、

 

「…………」

 

 瓦礫の散乱する広場で改めて対峙する二人の生存者。

 主武装は互いにブレードトリガー「鉄の鷲(グリパス)」。フィリアの防御用トリガーは出し入れ自在の汎用シールドトリガー「玻璃の精(ネライダ)」だ。展開速度に優れる上、形状変化も可能で、ある程度遠方への展開も可能だが、対手の持つ「銀の竜(ドラコン)」ほどの防御力は無い。

 

 また、相手には「銀の竜(ドラコン)」のオプショントリガー「竜の息(アナプノイ)」による砲撃があるが、近接戦時に隙の大きな砲撃は自殺行為同然である。これは考慮せずともいいだろう。

 勝敗を決するのは、近接戦の技量のみ。

 

 フィリアは片刃の長剣を正眼に構えた。相手は剣先を後方へと流した車の構え。堅固な盾を前面に構え、剣身を完全に隠している。攻撃の手筋を読ませない腹積もりだ。

 

「――ふっ!」

 

 鋭い呼気と共にフィリアが踏み込み、長剣を振るう。「鷲の羽(プテラ)」によって加速した目にも止まらぬ剣閃は、大型トリオン兵の堅牢な外殻をも断ち割る威力を誇る。

 だが、剣士は他愛なくその一撃を盾で弾いた。のみならず、フィリアの渾身の斬撃を受け止めた「銀の竜(ドラコン)」には、掠り傷程度の損傷しか与えられていない。

 

銀の竜(ドラコン)」は重量とトリオンコストを犠牲にしてまで防御力に特化したトリガーである。その堅牢さは折り紙つきで、通常のトリガーで破壊することはまず不可能だ。

 逆にフィリアの振るった「鉄の鷲(グリパス)」の方こそ、刃に細かな欠けが生じる。

鉄の鷲(グリパス)」は決して耐久性に劣ったトリガーではないが、長剣どうしでの打ち合いならともかく、盾に全力で打ち込むのは流石に不味い。

 

 だが、フィリアは執拗に男の頭部めがけて剣を振るい続ける。

鷲の羽(プテラ)」の加速を利用した、反撃の暇さえ許さない疾風怒濤の連撃。一手たりとも受け損じれば致命傷を免れない、苛烈にして正確無比な剣閃の嵐。

 

 しかし、相手の従士も歴戦の強者である。

 急所狙いの攻撃など目を瞑っても防げるとばかりに、猛烈な剣撃を一撃も漏らさず盾で受け続ける。

 

 フィリアの振るう「鉄の鷲(グリパス)」にとうとう亀裂が走った。

 防御力の優位を生かし、持久戦に持ち込んだ剣士の戦略が図に当たる。

 

 遠からず、少女の振るう長剣は砕けるだろう。

 長剣はあくまでトリガーによって創出された器物に過ぎない為、トリオンさえあればすぐに新しい武器は用意できるのだが、その隙は致命的なものになる。

 防御に徹し、反撃の機会を眈々と窺う剣士。だが、

 

「――ハッ!」

 

 フィリアは突如として身体を捻転させると、膝をつくような姿勢から鋭い地摺りの斬撃を繰り出した。

 意識を急所に向けさせてから、虚を突いて足元を薙ぎ払う一撃。

 近接戦で足を奪えば勝利したも同然である。先ほどまでの攻撃は、全てこのための布石であった。しかし、

 

「舐めるなあぁ!」

 

 剣士は盾を地面に打ち付けるように突き立て、フィリアの剣撃を辛うじて防ぐ。

 渾身の一撃を阻まれた「鉄の鷲(グリパス)」が、とうとう半ばから二つに折れた。

 

「貰ったぞっ!」

 

 長剣の砕ける音を耳にした剣士は、獰猛な笑みを浮かべて猛然と踏み込んだ。

 もはや敵に武器は無し。抵抗の隙も与えず切り捨てんと剣を振りかざす。その時、

 

「――うお!?」

 

 突如として剣士が大きくバランスを崩し、前のめりに崩れる。

 下半身を置き去りにした腕は無様に虚空を泳ぎ、起死回生の一撃は虚しく空を切った。

 剣士の突撃を阻んだモノ。それは彼の足元に突如として生えた薄緑色のプレートだ。

 

玻璃の(ネライ)――」

 

 剣士は驚愕の正体を口にすることさえ許されなかった。

 男が足元に視線を向けたその瞬間、黄金の瞳を持つ死神が朽ち果てた剣で無防備な頭を叩き割ったからだ。

 

 ――爆風と共に、剣士のトリオン体が崩壊する。

 

 防御に優れた敵を仕留めるには、攻撃に転じた隙を狙う。

 長剣が砕けたその瞬間、フィリアは剣士の足元にシールドトリガー「玻璃の精(ネライダ)」を起動させた。地面からせり上がったシールドは壁となり、剣士の体勢を見事に崩した。「玻璃の精(ネライダ)」の展開速度の速さと、遠隔操縦の利点を生かした罠である。

 執拗な攻撃も、それに伴う武器の破損も、すべてはこの瞬間を導くためだ。

 

 生身へと戻った剣士に、フィリアは茫洋とした視線を送る。

 そこには勝利への歓喜も、敗者への憐憫も無い。

 まるで当然の帰結を見るような、氷のように無感情な瞳。

 

 異国風とはいえ目鼻立ちの整った少女がするその表情は、凄まじい威圧感を放つ。

 剣士はその顔をみて一瞬怯んだ様子であったが、すぐさま離脱行動に移った。

 それを見送ると、フィリアは廃墟と化した戦場を眺めながら、とぼとぼとと歩き出す。

 

 形だけを似せた、がらんどうの街。

 それでも、いたる所に刻まれた破壊の痕跡が、彼女の胸に鈍い痛みをもたらす。

 この光景は、いずれ彼女が目の当たりにする未来であり、この近界(ネイバーフッド)ではごく当たり前に繰り広げられている人の営みの一側面にすぎない。

 

「…………」

 

 廃墟を吹き抜ける風が、細く柔らかな白髪を揺らす。

 フィリアは込み上げる寂寥の念を胸の内から追い払い、闘技場の外へと向かった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 イリニ騎士団はエクリシアの護国を担う武力組織だが、教会の教えに従って国民を啓蒙する教育機関としての一面も有する。

 優良な国民が有するべき徳目とは、信仰や思慮、博愛に勇気といった清く正しい感情である。

 

 当然ながら、国民の規範となる騎士や従士には、武勇の手練だけではなく正しい徳目も求められる。

 厳しい訓練課程であってもそれは変わらず、たとえ敗北を喫したとしても相手を怨むことはせず、その武練の程を褒め称えることこそ模範的な従士の姿なのだ。

 

 とりわけ、同じイリニ騎士団の同朋であれば、戦地に於いては互いに轡を並べる頼もしい戦友となる。腕の磨き合いに暗い感情が挟まれることは無いはずだ。だが、

 

「模擬戦闘終了。従士各位は闘技場前に整列してください」

 

 闘技場から出てきたフィリアに従士たちの視線が一斉に集まる。

 歓声や賞賛は無く、畏怖と侮蔑が混じった気まずい沈黙がアリーナへと立ち込める。

 

「トリガー解除」

 

 フィリアはその視線を軽く受け流しながら、トリオン体を解いて生身の姿へと戻った。

 途端に、少女の視点ががっくりと下がる。

 トリオン体の身長は成人女性の平均よりもやや高い程度だが、今の彼女の身長はそれよりたっぷり二十センチは低い。

 身体のあちこちが未発達の、少女本来の肉体だ。

 

「うん、しょ……」

 

 ぼそぼそと掛け声を口にして、フィリアはその場で屈伸運動をしたり、手のひらの開閉運動を繰り返す。

 

 通常、トリオン体は起動者の肉体を基にデザインされ、なるべく精密にその形状を再現して構築される。

 トリオン体の操縦は起動者の肉体感覚が基準になるため、体型を弄ると操縦に不具合が起きやすい。また、よしんばトリオン体の操縦に慣れたとしても、生身に戻った時に体型の変化に感覚が追い付かなくなるなど、何かと不具合が多いためだ。

 そのため、視力の矯正といった生身の不都合の改善や、偽装といった任務上必要となるケースを除いて、トリオン体を生身から大幅に変更することは滅多にない。

 

 フィリアがトリオン体の設定を調整したのは、偏に先を見据えての事だ。

 従士の階梯に甘んじるつもりのない彼女は、叙勲に足るだけの勲功を上げ、いち早く騎士になることを望んでいる。

 

 だが、騎士の象徴たるトリガー「誓願の鎧(パノプリア)」には、着装に体格基準が設けてある。

 成人していれば女性でも特に問題のない数字だが、今のフィリアではその基準を満たすことができない。

 悠長に背が伸びるのを待つことができない少女は、ともかくトリオン体を適格体型に設定することにしたのだ。

 

 幸いにも「誓願の鎧(パノプリア)」はトリオン体の上から着込むトリガーであるため、生身の身長は基準の対象外である。とはいえ、そもそもそこまで小柄な人物が騎士となった前例はなく、フィリアの苦肉の策が通用するかは甚だ心もとない。

 

「うん……大丈夫」

 

 手足をバタバタと動かし、肉体の操縦に感覚を切り替えるフィリア。

 

 慣れないうちは手足の長さや重心の変化に戸惑いよく転んだりもしたが、今ではトリオン体と生身の両方を十全に扱うことができる。

 それでも切り替えた直後は混乱することがあるので、確認のための運動は怠らない。

 本人はいたって真剣だが、傍から見れば微笑ましい体操にしか見えないだろう。

 

 しかし、彼女を囲む従士たちの態度はあまりにも寒々しかった。

 入団僅か一年足らずで従士の首席へと上り詰めた天才少女、フィリア・イリニ。

 騎士団総長アルモニア・イリニの妹、パイデイアの娘となる彼女は、正式にイリニ家の一門に連なる令嬢である。

 

 イリニ騎士団に使える全ての騎士、従士にとって、彼女は同僚でありながらも主筋にあたる少女だ。

 高貴なる家柄にして天与の才に恵まれた少女。

 だが、それら全ての美質を打ち消す「ノマスの血族」という烙印。

 

 数百年の長きに渡り、エクリシアと闘争を繰り広げてきた敵性国家ノマス。十数年ごとの軌道接近時には、常に血で血を争う戦争が行われる。

 エクリシアが軍事国家として名を馳せたのは、恨み連なる宿敵と戦うためである。

 

 それだけに、エクリシアの民はノマスの血筋に連なる者に対して、並大抵ではない憎悪と恐怖の念を抱いている。

 国民は幼少よりノマスとの確執を教え込まれて育つ。ましてや騎士団に入ろうかという愛国心に溢れた若者たちにとって、ノマスとは邪悪の代名詞といっていい。

 奴隷や貧民として日陰で暮らす者なら知らず、国防の要たる騎士団に大手を振って出入りしているフィリアは極めつけの異物であった。

 

 それどころか、彼らの憧れである大貴族イリニ家の庇護を受け、尋常ならざる才覚で見る間に序列を駆けあがって行った幼い少女に、従士たちは忌避感を隠せない。

 若者たちは活躍するフィリアの姿を通じて、ノマスへの恐怖を感じているのだ。

 

「皆さん。お疲れ様でした」

 

 整列した従士の前に、華奢な女性が歩み出た。

 アメジストのように輝く薄紫の髪を下げ、どこかおっとりとした雰囲気を漂わせている彼女はメリジャーナ・ディミオス。

 第一兵団長ドクサ・ディミオスの娘に当たる人物だ。

 

 豪放磊落を絵に描いたような父親とは違い、柔和で優しい微笑みが特徴的な人物である。年齢は二十を超えているらしいが、童顔なこともあり実年齢よりも幼い印象を受ける。楚々とした立ち居振る舞いながらも、内には強い意志を秘めた、貴族の令嬢の何たるかを体現したような女性だ。

 そしてまた、彼女は若くして教会より叙勲され、騎士となった女傑でもある。

 

 その実力は本物であり、従士主席の地位に上ったフィリアでさえも、模擬戦闘では未だ勝ち越したことはない。

 メリジャーナは従士を監督する騎士の一人で、今日の訓練も彼女の指導の下に行われていた。

 

「本日の訓練はこれで終了です。来季の防衛任務の配置が決まりましたので、従士の皆さんは確認をお願いします」

 

 簡単な総評を述べた後、メリジャーナは業務連絡を以て訓練を締めくくった。

 これで、本日の課業は終了となる。

 訓練を終えた従士たちが闘技場から出ていく。後は皆、思い思いにプライベートな時間を過ごすのだろう。

 だが、フィリアは一人闘技場へと進むと、

 

「メリジャーナさん。個人訓練を行いたいので、闘技場を使ってもいいですか」

 

 と、退席しようとしていたメリジャーナに声を掛ける。

 本日の訓練で勝利者となったフィリアは、未だトリオン体を破損しておらず、トリオンにも多少の余力がある。

 トリオン機関は肉体と同じように酷使と回復とを繰り返すことによって成長する。

 少女はトリオン機関を鍛えるため、ありったけのトリオンを絞りつくすことを日課にしていた。

 

「もちろん構いませんよ、フィリアさん」

 

 フィリアの申し出を快諾するメリジャーナ。

 職員に頼んで訓練プログラムを起動してもらうまで、二人は他愛のない会話を交わす。

 父であるドクサと同じく、メリジャーナはフィリアを忌避せず付き合ってくれる数少ない人物の一人だ。

 その優しい性格も相まって、フィリアも多少は彼女に懐いており、こうして話をすることも多い。

 

「今日の訓練もすごかったですね。でも、あんまり頑張り過ぎは良くないですよ。父さんもテロス団長もあなたは頑張り過ぎだって、いつも心配そうにしてますよ」

「えっと……ありがとうございます」

「あなたはきっと、エクリシアでも一番の騎士になれるわ。だから、そんなに焦って訓練することもないのよ? ほら、小さいときは遊ぶのも仕事だもの」

 

 優しく微笑んで、メリジャーナはフィリアの頭を撫でる。

 騎士団総長アルモニアに近しい人物であるため、フィリアの表向きの志望動機を知っているのだろう。被差別階級の出自でありながら、国家に奉仕することで我が身を立てようとする少女に、彼女は出会った時から好意的だ。

 

「そう、ですね……でも」

「あ、今度お休みを一緒に申請して、二人でどこかに遊びに行きましょうか。お姉さん、こう見えても聖都に詳しいのよ。いろんなお店を知ってるんだから」

 

 メリジャーナはえへんと胸を反らし、大げさに意気込んでみせる。

 

「遊びに、ですか……」

 

 きょとんとした顔で、フィリアはメリジャーナを見上げる。

 正直なところ、母を助けることに身命を掛けた少女にとって、浪費できる時間は一秒たりとも存在しない。

 率直にいって、有難迷惑のお誘いではあった。だが、

 

「もし、よろしければ……是非に」

 

 家族以外から善意を受けたことのない少女にとって、メリジャーナの優しい誘いを断るのはあまりに難しかった。

 フィリアはもじもじと下を向き、小声でそう答える。

 

「準備が整いました。動目標射撃、市街地、難度は最高です」

 

 そうこうしているうちに、闘技場の準備ができたと技師から声がかかった。

 フィリアはメリジャーナに別れを告げ、トリガーを起動した。今日は武装を変更してトリオン小銃「鉛の獣(ヒメラ)」の訓練を行う。すると、

 

「まだ少し時間があるの。見させてもらってもいい?」

 

 と、メリジャーナが指導を申し出た。フィリアは戸惑いながらも、

 

「はい。お願いします」

 

 と、控え目な、それでも本心からの笑顔でそう答えた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「神」が作り出した疑似太陽が、地平の彼方に沈んで数時間。

 すっかり人通りの絶えた大通りを車車が走っている。

 イリニ家の紋章が刻まれたその車に乗っているのは、騎士団を後にしたフィリアだ。

 

 訓練でトリオンを使い果たした少女は、次は生身の体にハードなトレーニングを課した。

 筋力鍛錬に持久力の鍛錬は当たり前。バランス感覚を養うために平行棒や杭の上を飛び回り、反応速度を鍛えるため模擬弾の雨を掻い潜る。

 小さな体のいたる所には青痣が浮かび、疲労の余り吐き気を感じるほどだ。

 

 大の男でも根を上げかねない地獄のような訓練。

 それでも少女は泣き言一つ溢さず、己が作り上げたプログラムをこなし続ける。

 

 訓練で流す汗の一滴が彼女を高みへと導き、延いては家族の未来を掴むことになるのだと、少女はそう信じて疑わない。

 発育に悪影響が出ないギリギリまで肉体とトリオン機関を酷使したフィリアは、精も根も尽き果てて人形のようにシートにもたれかかっていた。

 騎士団へ入団してから恒例となっているハードワークである。全身を凄まじい疲労感が襲い、腕を動かすことさえ難しい。

 

 だが、それでも少女は決して休息を取ろうとはしなかった。

 

「……」

 

 少女は細い手首にはめられた腕輪を弄る。これはイリニ騎士団から支給された携帯端末である。

 

 投影装置を起動すると、空間をモニターにして薄暗い車内に映像が浮かぶ。

 少女はまず防衛任務の通達を一読すると、次にライブラリを選択し、トリオン工学の教本を呼び出した。

 大人でさえ頭を痛める専門用語の波を、少女の瞳は滑るように読み進めていく。

 

 身体を追い込んだあとは、頭脳を鍛える番である。

 移動の間など短い時間を見つけては、フィリアは貪欲に知識を蓄えていた。

 国防に係わる技術書を読むこともあれば、騎士団で公開されている戦闘映像を閲覧して自らの戦術に還元することもある。

 

 フィリアはその生活の全てを、自らを戦闘兵器に作り変えることに費やしていた。

 

「お帰りなさいませ。お嬢様」

 

 イリニ邸へ到着すると、夜番の守衛が小声で声を掛けてきた。

 

「ただいま戻りました」

 

 車の窓から頭を出して丁寧に応対するフィリア。

 帰宅時間が深夜になることは珍しくもないため、フィリアは使用人の出迎えを断っている。夜中まで拘束された挙句、小娘に頭を下げるのは誰だって嫌だろう。

 屋敷に来た当初から比べれば、少女に対する使用人の感情も随分改善されている。要らざることを強要して反感を買うのは御免であった。

 

「ありがとうございました」

 

 運転手に礼を述べると、フィリアは明かりの消えた館に入る。

 自宅に戻ったとしても、後は寝るだけである。

 それでも最低限の身支度は整えなければならないため、少女は疲労を押してバスルームへと直行する。

 

 身体を清めるだけの短い入浴をすませ、今度こそ自室へ向かうフィリア。

 もはや疲労困憊の極みにある少女は、ふらふらと足取りまで覚束ない。

 少しでも気を抜けば意識を手放してしまいそうになる。それでも、少女は小さな肩をそびやかし、毅然とした態度で廊下を歩く。

 

 もしフィリアが倒れでもした場合、計画の実現は大きく遠のく。

 いついかなる状況であっても、彼女は完璧に振る舞わなければならないのだ。

 

「――?」

 

 眠気をかみ殺しながら自室の前までたどり着いたフィリア。するとそこには、何者かの気配がある。

 

「お帰りなさい。フィリア。今日も大変だったようですね」

「ヌース? どうしたの、こんな時間に……」

 

 少女を出迎えたのはヌースである。彼女はいつからそこにいたのか、フィリアの部屋の前で静かに空中に浮かんでいた。

 

「――ああ、そっか……」

 

 訪問の理由を問おうとして、フィリアのサイドエフェクトはすぐさま答えを導き出した。

 ついで、自嘲めいた笑みが口の端に上る。

 

「今日、私の誕生日だったね」

「…………」

 

 そういえば、弟妹たちとはもう何日会っていないだろうか。

 

 イリニ家で厳格な暮らしを送っている弟妹と、騎士団で訓練漬けの毎日を送るフィリアとは、当然のように生活リズムが異なっており、顔を会わす時間は殆どない。

 それどころか、フィリアは多忙を理由に母パイデイアとの面会さえ拒んでいた。

 

 母との対面は、郊外のイリニ家本宅で行われる。

 普段は聖都の別宅で起居し騎士団の運営や国政に携わるアルモニアは、月に一日だけ本宅へと戻って家人らに施政の指示をする。

 フィリアら子供たちも、その車に同乗して母のいる本宅に向かうのだ。

 とはいえ、行きと帰りの移動時間を差し引けば、母との対面が許されるのはほんの僅かな時間だけである。

 

 その貴重な時間を、フィリアは悉くふいにしていた。

 最愛の母と会うことを、少女は心の底より恐れていたからだ。

 

 騎士団に志願したことを、母を生かすために他人の命を奪うことを、彼女は一片たりとも後悔していない。

 しかし、あの優しい母の、悲しみに染まる顔をみることだけは、未だに覚悟が定まらなかった。

 

「サロスたちから贈り物と言伝を預かっています。フィリア、疲れているようなら後日にしますが……」

「ううん、そんなことないよ。入って」

 

 フィリアは自室の扉を開け、ヌースを招き入れる。

 貴族の寝室に相応しい豪奢な設えだが、備え付けられた家具以外に物は殆どない。

 書架に難解な専門書が差さっているほかは、子供らしい玩具もなく、心休まる花やレースもなく、チェストに納められた衣類さえ最小限のものしかない。

 

 その空虚な部屋には、少女の苛烈な一年が詰まっていた。

 

「みんな、元気にしてたかな」

 

 寝支度を整えながら、フィリアはそう言って曖昧な笑みを浮かべる。

 誰よりも大切な家族を守るために、彼らを顧みることなく過ごした一年。

 果たして、未だに自分は家族の愛情を受けるに値しているのだろうか。

 そんな思いが少女の胸に去来する。その時、

 

「え、もうこれ撮ってんの?」

「録画中です」

「あ、やべ、みんな並べ並べ」

 

 殺風景な部屋に、場違いに明るい少年の声が響く。

 フィリアが振り返ると、そこにはサロス、アネシス、イダニコたちの姿がある。

 ヌースが撮影したビデオメッセージを立体映像で再生しているのだ。

 

「いくぞ、せーの」

「「「フィリアお姉ちゃん、お誕生日おめでとう!」」」

 

 サロスの掛け声に合わせ、弟妹たちが元気よく寿ぎの言葉を紡ぐ。

 彼らの笑顔は純真無垢そのもので、フィリアは一年前の、貧民街の我が家での楽しかった日を思い出した。母との別れや貴族としての厳しい生活も、彼らは柔靭な心で受け止め、必死に適応してきたのだろう。

 

 弟妹たちの純粋で優しい心は、何一つ損なわれてはいない。

 映像の中の弟妹たちは、口々にフィリアへの感謝の言葉を述べると、軍生活への心配を溢し、それでも激励の言葉を告げる。

 

「…………」

 

 フィリアは言葉も無く、ただ映像を眺め続ける。

 

「えっと、プレゼントは直接渡したかったけど、ヌースに頼みました。みんなで作ったの。姉さん、気に入ってくれると嬉しいな」

 

 控え目なはにかみ笑顔でそう言うのは妹のアネシスだ。この一年でみんな随分大きくなった。

 

「お姉ちゃん。お仕事大変だけど、がんばって!」

 

 そして、末の弟イダニコの晴れやかな笑顔で、ビデオメッセージは終了する。

 フィリアは着替えの手を止めたまま、映像の浮かんでいた空間をぼんやりと眺めていた。

 

「……フィリア?」

「――あ、ごめんね」

 

 ヌースの声で、ようやく少女は我に返る。

 

「体調がすぐれないのですか?」

「そんなことないよ。ちょっと、嬉しくなっちゃって」

 

 ベッドに腰掛けたフィリアは、どこか儚げな笑顔を浮かべる。

 ヌースはベッドまで浮遊すると、体表から万能索を伸ばして小箱を少女の膝の上に乗せる。

 

「開けていいかな?」

「どうぞ、是非」

 

 フィリアは恭しい手つきでプレゼントの小箱を開封する。リボンを解き、包み紙を剥がす。その一瞬ごとが、大切な宝物であるかのように。そうして、

 

「わぁ……」

 

 箱の中から出てきたのは、銀細工のペンダントであった。

 小さな鍵を模したデザインで、随所に六つ、控え目な大きさの宝石が散りばめてある。

 

「加工は私が行いましたが、デザインと材料の購入は、皆の努力の所産です」

 

 抑揚の無いヌースの声に、どこか誇らしげな響きが混じる。心から歓声を上げ、愛おしそうにペンダントを眺めるフィリアに、彼女も満足したようだ。

 実際、ペンダントに施された細緻な装飾は見事なもので、貴人の胸元を飾っても不思議ではない出来だ。

 それに磨き抜かれた銀の地金や、鍵を彩る宝石も本物である。

 モノが小さいため大した金額ではないだろうが、それでも弟妹たちにとっては大きな出費だったはずだ。

 

 イリニ家は国内有数の大貴族だが、それ故に教育は厳格だ。彼らに渡される小遣いなど、高が知れている。

 これを作るためには、三人は貯金を持ち寄らなければならなかっただろう。

 そして、何よりフィリアの心を強く打ったのは、そのデザインである。

 どれだけ瀟洒に飾り付けられようとも、決して見間違えることはない。この形は、フィリアたちが暮らしていた、あの貧民街の家の鍵だ。

 そしてそれを飾り付ける六つの宝石は――

 

「……」

 

 少女の細い指先が、そっとペンダントを撫でる。知らずと間に、目じりに涙が浮んだ。

 彼女の帰る場所、生きる意味。

 その思いを家族が共有していたことが、只々嬉しい。

 

「ヌース」

「はい」

「あのね。みんなに、えっと……」

 

 どんな言葉を紡げば、この感謝と歓喜を表すことができるのか。

 戦場では無謬の答えを導き出すサイドエフェクトでも、適切な言葉が見つからない。

 

「大丈夫です。フィリア。ちゃんと伝えますから」

 

 ヌースの温かな言葉に、フィリアは微笑みで答える。

 そう、言葉などいらない。こうして家族は心で繋がっているのだから。

 

「それじゃあ、もう休むね」

「暖かくしてください。フィリア」

 

 ヌースを見送ると、少女は長い一日を終えるべく、ようやくベッドに横になった。

 枕元に置いたペンダントを、小さな手でやさしく握りしめる。

 この一年間、疲弊しきった体と心を回復させるためだけに、気を失うように倒れ込むばかりだったマットレス。けれど今日だけは、その包み込むような温かさと柔らかさに、フィリアは心の底からの安らぎを得た。

 

 

 

 

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