WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
立ち込める戦塵を吹き飛ばし、白亜のトリオン馬が荒れ果てた戦場を疾駆する。
背には三人の男女を乗せながらも、ボースはまるで重量を気にすることなく、力強い脚力で地面を蹴り進む。
「ユウェネスさんの様態は? 大丈夫なんですかっ!?」
騎乗する面々の内、手綱を取る年少のレグルスが背後に向けてそう叫んだ。
「意識が戻らない! 脈拍もだいぶ弱くなってきてるわ!」
トリオン兵ボースの後方に座るモナカは、右脚を失った青年ユウェネスを抱えながら、悲痛な声を上げる。
ドミヌス氏族が率いる強襲部隊はエクリシア攻略を断念し、今まさに決死の撤退を行っている最中であった。
教会にて絶体絶命の危機に瀕していたモナカ、ユウェネスを救い出したのは、遅ればせながら参戦したレグルスである。
彼は道中でエクリシアの騎士と交戦し、トリオン体を手ひどく損壊させていたが、それでも味方を援護するため教会へと急いだ。
レグルスは手勢のトリオン兵を用いて先遣隊の両名を教会から脱出させると、戦況の不利を察し、彼女らを回収して撤退行動を開始したのだ。
「……ごめんなさい。私たちは、任務を成し遂げることができなかったわ」
「反省は後です。今は生き延びることだけに集中してください!」
弱音を吐くモナカを、レグルスは凛々しい声で叱咤する。
教会で行われた激闘の痕を見れば、モナカらが如何に奮戦したかは手に取るように理解できた。
「あの巨人はいったい何なんですか! 参照情報がまるでありませんよ!」
ただ想定外だったのは、突如として教会に現れた巨神である。
アレが
加えて言うなら、あれほどの超兵器でありながら、巨神の情報はノマスのデータバンクに記されてはいなかった。エクリシアが秘匿し続けてきた、正真正銘の切り札なのだろう。
何の事前情報もなくアレと行きあたることになったモナカらの不覚を、誰も咎めることなどできはしない。敢えていうなら、当初の計画通りに戦力を結集できなかった、ノマスの遠征部隊全ての責任である。
エクリシア攻略失敗の報は、展開中の全部隊に通達済みだ。各員戦闘を中止し、撤退行動に移っただろう。
聖都の
当然ながら、街の中心部に近い部隊ほど撤退は厳しいものとなる。戦闘体はボロボロで、意識不明の負傷者をも抱えているレグルスらの道行は、限りなく困難であった。
「不整地に入ります。ユウェネスさんをお願いします」
教会と貴族街との中ほどにて、レグルスはボースの腹を蹴り進路を急に変えると、打ち崩れた壁を飛び越え、屋根の落ちた廃屋へと立ち入る。
「……よし。まだ大丈夫」
周囲をレーダーで走査し、安全を確認したレグルスはほっと息を付いた。
この一画には、レグルスが教会へと急行する際に展開しておいたエリアステルスがある。
不測の事態に備えておいて正解だった。ここならば、敵の追撃を気にせず逃走の準備ができる。
レグルスはボースから降りると、モナカと協力してユウェネスの身体を馬上から降ろす。
そして応急処置キットを取り出すと、二人掛かりで青年の右脚に処置を施す。トリオン製のギブスで出血を完全に抑え、強心剤を投与し輸液を行う。モナカが医療の心得があったため、処置は然したる時間も経たずに完了する。
だが、依然として青年が重篤であることに変わりない。早急にこの場から離脱する必要がある。
「出ろ、レイ」
ユウェネスの処置が済むや、レグルスは孵卵器トリガーへと装備を換装し、取り出したトリオン兵の卵を孵す。
途端に白亜の外殻を纏った異形の姿が家屋の床に現れた。横幅は四メートル程度、縦幅は三メートルほどの、ひし形をした平たいトリオン兵である。
これこそ、ノマスが開発した新型、空中戦闘用トリオン兵レイである。
爆撃用トリオン兵イルガーを護衛するために開発されたレイは、同じく飛行型トリオン兵であるバドを遥かに上回る空戦能力を有する。
レイは今回のエクリシア攻略にも投入されるはずだったが、量産が間に合わず、本来の用途での使用は断念された。しかし、高速での飛行能力に着目したノマスの戦士たちは、レイに隠密機能とレーダー対策を施し、乗騎として運用することを思いついた。
速度が速すぎて他のトリオン兵と連携が取れなくなるため、侵攻時の足には用いられなかったものの、撤退時となれば話は別だ。
もしもの為にレイの卵を携帯しておいて正解だった。レグルスはトリオン兵の背面にユウェネスを横たえると、慎重にその身体をベルトで固定する。
三人もの人間を乗せることなど想定していないが、やるしかない。設計図通りの出力なら、レイは十分飛翔できるはずだ。
幸い、モナカとレグルスはトリオン体を維持している。取っ手に片手でも引っ掛かっていれば、振り落とされることはない。
意識のない青年が落下せぬよう、最大限に注意を払って身体をトリオン兵に結わえつける。とその時、
「――動体反応を捕捉しました!」
レグルスのレーダーが、付近を移動するトリオン体の反応を検知した。
一同は慌てて廃屋の影に身を隠す。エリアステルスで敵のレーダーは欺けている筈だが、今の彼らは格好の標的だ。間違っても目視される訳にはいかない。
再度の探査で、詳細が明らかになった。街路を凄まじい勢いで疾駆する反応の識別は、エクリシアの兵だ。そして、そのトリオンパターンは既知のものである。
「フィリア・イリニ……」
レグルスが絶望に染まった声を漏らす。
その少女こそ、この戦地にて彼らドミヌス氏族の者たちが挙って探し求めた人物である。
フィリアの名を聞いて、モナカが驚愕に目を見開く。
『な――そんな、ならその子を』
『駄目です!』
当然の如くフィリアの確保を申し出ようとしたモナカを、レグルスが鋭い声で制す。
無用の混乱を避ける為、敢えてモナカらには伝えていなかったが、レグルスは教会までの道すがら、件の少女と一戦を交えることとなった。
フィリアはレグルスの再三の説得にも一切耳を貸さず、狂猛な刃を以て返答としたのだ。傀儡騎士を当てることで何とかその場は脱することができたものの、少年の技量では彼女に毛ほどの傷も負わせることはできなかった。恐るべき手練れである。
そんな危険な少女に、こちらから存在を明かすなど自殺行為も同然である。
なおも無声通信で少女の確保を訴えるモナカを、レグルスは以上の経緯を交えて徹底的に跳ねつけた。
流石のモナカも、その剣幕には引き下がるほかない。もとより撤退行動中なのだ。不必要なリスクを犯せる訳も無い。
だがそれでも、モナカの思いは強烈だった。
トリオン反応が付近を通過するほんの数秒、彼女は堪えきれずに廃屋の影から顔を覗かせた。あるいはそれは、本人の意思を離れた行為だったのかもしれない。それほどに、彼女はレギナの、その娘の事を案じていた。
『な、何を――』
慌ててレグルスがモナカの肩を掴んで引き戻す。
幸い一瞬の事で、フィリア・イリニはレグルスたちに気付くことはなかったらしい。
『馬鹿なことは止めてください! みんなを殺す気で――』
流石に肝を冷やしたレグルスが、強い口調でモナカを咎める。だが、彼女の表情を見て、少年は言葉を失った。
モナカの瞳には、煌めく涙の粒が浮かんでいる。
なぜ敵の姿を見て涙を流すのか、レグルスにはまるで理解できなかっただろう。しかし、トリオン体となったフィリアの姿は、あまりにも昔日のレギナに似すぎていた。
二人の繋がりを確信したモナカは、昂ぶる感情に肩を震わせている。
レグルスはそれ以上モナカを糾弾することはせず、ただ彼女を支え、レイの傍らにまで連れて行った。
そうしてフィリアの反応が十分に遠ざかると、ようやくレイに飛行の命令が下された。
飛行用のトリオンリングを両端に展開し、トリオン兵が宙へ浮かび上がる。
教会から現れた巨神の追撃を避ける為、奴の展開する場所とは反対側へ、それもなるべく低空を飛んで建物の影を通って進む。
ステルスこそ用いていないが、レーダー対策は万全である。敵の視界に収まらない限りは、捕捉されることはないだろう。
息をもつかせぬ低空飛行を続けた一行は、ようやくのことで丘の中腹から抜け出す。
そうして巨神から十分な距離を稼いだと判断できると、レグルスはレイに指令を出し、本格的な逃走を開始した。
凄まじい加速を得たレイは、見る間に教会を頂く丘から遠ざかっていく。
本来ならば敵の対空砲火の射程外まで高度を稼ぎたかったのだが、生身のユウェネスを抱えている以上、無理はできない。
レグルスは一度だけ背後を振り返り、ノマスの怨敵の姿をしっかりと目に焼き付けた。
そしてそれきり前を向くと、少年はレイに手をあて操縦に精神を集中させる。
敵兵は未だ多数健在。放火の嵐を掻い潜って、母船まで帰還せねばならない。
誰も脱落はさせない。必ず生きてノマスの地を踏み、今日の失態を未来に繋げて見せる。
今日が初陣となる少年は、双眸に決意の光を宿らせ、茫漠たる空を睨んだ。
× × ×
曇天に浮かぶ「
少女はエクリシアの秘中の秘である超兵器の存在を知りはしなかったが、それでも「
そして巨神が有する戦力の程も、彼女は過たず把握していた。アレが出てきた時点で、聖都の防衛戦は味方側の勝利に終わるだろう。
だが、その超抜の兵器が現れたという事態が意味することに、フィリアは身の毛もよだつ悪寒を禁じ得なかった。秘匿し続けていた切り札を出さねばならぬ程の戦況となれば、果たして彼女の家族は無事でいるのだろうか。
「ふ……うっ……」
心を苛む不安と恐怖を懸命に抑え込み、少女は荒れ果てた道を駆け続ける。
そうして丘を登り切った彼女は、眼前に広がる酸鼻極まる光景に、思わず息を呑んだ。
「っ……」
教会へと続く閑静な大通りは、どこもかしこも爆発によって抉られ、まるで巨大な犂で地面を掘り起こしたような有様となっている。
そして滅茶苦茶になった街路に散らばっているのは、ノマスの物と思しきトリオン兵の残骸であった。一瞥しただけでもはっきりと分かるほどの異常な数だ。教会に投入された敵の兵力は如何ほどだったのか。
教会へと近づくごとに、トリオン兵の残骸に混じってエクリシア人の遺体が目に付くようになる。フィリアは良心の呵責に耐えながら、同朋の亡骸を無視して進む。
やがて、彼女の目の前に聳え立つ防壁が現れた。
教会の広大な前庭を名一杯に使って防御陣地を造ったのだろう。戦力に劣る防衛部隊はこの陣地に拠って戦ったに違いない。
しかし、奮闘も長くは続かなかったらしい。
防御陣地を真一文字に切り裂いて、教会の大扉へと続く破壊の痕跡。
破られた防御陣地は、正に地獄の様相を呈していた。
乗り込んできたトリオン兵らと、果敢に迎え撃ったエクリシアの兵。それらの成れの果てが、地を埋め尽くさんばかりに転がっている。まるで人形も人間も、戦場では一切の区別が無いかのように。
残敵に備えて慎重に行動していたフィリアであったが、惨憺たる情景に到頭抑えが効かなくなった。
「誰かっ! 誰かいませんか!」
この骸の中に、少女の大切な人がいるかもしれない。恐怖に駆られた彼女は危険も顧みず大声を上げる。
そうして教会の中へと立ち入った少女は、絶望に身を凍らせた。
暴虐の限りが尽くされた無残な大聖堂。なぎ倒された信徒席やへし折られた飾り柱に混じって、かつて人だったモノが床に転がっている。
そして如何なる手段によって作られたのか、神の御家の中心には巨大な立坑が穿たれていた。側には虐殺を行ったと思しきトリオン兵の残骸。
そこでフィリアは、場違いなほどに鮮やかな紅色を目にする。
少女の脳裏に去来するのは、異国の友人の最期の光景。
上半身だけとなったクリズリが力なく投げ出した腕。だらりと伸ばされたブレードの先端に、人の形をした何かが付いている。
打ち崩された外壁から差し込む光に煌めいているのは、麦穂のような黄金の髪。
――一切の思考が吹き飛んだフィリアは、倒れ伏す母の下へと走り出した。
× × ×
「母さん! 母さんっ!! 目を開けて、お願いっ!」
静寂を切り裂く少女の悲鳴。
血だまりに伏すパイデイアを見つけたフィリアは、半狂乱の様相で母を抱き上げ、声を掛け続ける。
脈拍は弱いがある。しかし、流れ出た血の量が多すぎる。腹部を貫くブレードは、間違いなく主要な臓器を傷つけているだろう。
フィリアは長剣を閃かせ、音も無くクリズリのアームを寸断する。大出血を防ぐために、ブレードを抜くことはできない。このまま医師の下へと連れていくほかない。
医療設備が整い、医師が常勤している最も近い場所は、この教会の地下にある医務室だ。
パイデイアの容態の深刻さに辛うじて平静を取り戻した少女は、慎重に母の身体を抱き起し、抱え上げようとする。その時、
「……レギ、ナ?」
か細い声が少女の耳を打つ。
「か、母さんっ!」
「あれ……なぁん、だ……おおき、く、なったね……フィリア。……やっぱり、おやこなの、ね……あのこに、そっくり……」
意識を取り戻したパイデイアが、翡翠色の目を細めて娘に語りかける。
穏やかな顔に浮かんだ微笑みは余りに美しく、そして儚げであったため、フィリアの焦燥は極限にまで達した。
「喋らないで母さんっ! すぐ、すぐにお医者の所に連れていくからっ!」
少女は朦朧とする母に呼びかけを続けながら、身体を抱き上げようとする。
パイデイアは力なく手を伸ばすと、血に塗れた手でそっと娘の頭を撫でた。
「あの、ね……サロスたちは、ここにいない、の……ヌースが、にがしてくれた、から……フィリア、は、みんなのところ、に、いってあげて、ね?」
愛おしむように少女の白髪を手で梳いて、パイデイアは言葉を続ける。
満ちたりたかのような母の表情を目の当たりにして、フィリアの心に絶望が湧き起こる。恐怖に駆られた少女は、希うかのような声で母へと叫んだ。
「駄目だよ諦めないで! こんなのへいちゃらだからっ! きっと助かるから!」
パイデイアは困ったような笑顔を浮かべ、泣き叫ぶ娘の頬に指を添える。
「おかあさん、しあわ、せ……だったよ? あなたた、ちの、ははおやに、なれて……だから、これから、も、みんななかよ、く……それだけが……わたし、の――」
喘鳴によって、パイデイアの言葉が途切れた。
せき込んだ口からは鮮血が溢れ、彼女は血泡に大きく咽びこむ。
「母さんっ! 母さんっ!!」
苦しむパイデイアの姿を目の当たりにしたフィリアは、もはや正気を保っている事などできなかった。彼女は怯えた子供のように、大声で喚きながら母を抱きしめる。
「ほんとう、の……おとうさんと、おかあさんも……フィリア、のことを、……こころ、から……あいして、たの。だから、あなたは……」
「嫌だっ! 嫌だ嫌だ嫌だっ! 死んじゃ嫌だ母さんっ! 私を、みんなを置いてかないでっ! いなくなったりしないで! ずっといっしょにいてよっ!」
末期の言葉を告げようとするパイデイアに、フィリアは駄々をこねる子供のように涙を流して訴えかける。
泣きじゃくる娘の姿を、パイデイアは困ったような、それでいてどこか喜んでいるかのような表情で見つめると、
「もちろん、よ。……かあさんは、ずっと……いっしょにいるから、ね……」
優しくそう言って、フィリアの手を握りしめた。
そして次の瞬間、聖堂内に光が溢れた。
目も眩むほどに眩く、それでいて暖かな光が、世界を真白色に染め上げる。
光の源は、地に伏すパイデイアだ。
極光の直中に位置するにも関わらず、フィリアの瞳は母の姿を明瞭に捉えていた。
純白の世界に、ただ佇む母子。
母と繋いだ掌に、暖かなモノが溢れる。
フィリアはその熱の正体が、パイデイアの命そのものであることに気付いた。
優れたトリオン能力の持ち主が、己の全てを擲つことを決意したとき、この世に奇跡が顕れる。
「――ぁ」
不可思議な現象の正体に理解が及んだとき、フィリアの喉から声が漏れた。だが、口を突いて出てきた音は、確たる言葉を形作ることはなかった。
永遠にも思えた一瞬の後、純白の光は跡形もなく消え失せた。世界は再び元の景観を取戻し、母子は荒れ果てた神の御家に残される。
生じていたのは、ほんの小さな変化だった。
フィリアの手のひらに残されていたのは、黒いトリオンの指輪。
そして少女の眼前に横たわっているのは、あらゆる色素が抜け落ちた、砂像のような母の姿。
己の死を悟ったパイデイアは、身命を賭して娘の為に
金色の瞳を呆然と見開き、声も無く母を見詰め続けるフィリア。
聖堂に一陣の風が吹く。愛娘の眼前で、パイデイアは塵となって崩れて死んだ。