WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
聖都から遠く離れたリスィ平原。そこに設けられた隔離戦場では、死と破壊の協奏が止むことなく奏で続けられていた。
すり鉢状に広がる荒野の上空に、漆黒の門が開く。
ノマスの本命は聖都の攻略のはずであったが、ここ隔離戦場にも途轍もない数のトリオン兵が投入された。
エクリシアに降り立った人形兵士らは、一路隔離戦場の外を目指して進軍を始める。
狙いは防衛陣地の突破。そしてエクリシアの全土に散らばり、防衛軍を分散させるつもりである。
それを座して見送るエクリシアではなかったのだが、この時問題が起こった。
ノマスの手は
加えて、ノマスの本隊が
砲台の援護も無く、敵に劣る兵数での防衛戦。然しものエクリシアの精兵たちでも、苦戦は免れない戦いである。
そして、戦闘を続けること早数時間。
現在、エクリシア防衛軍は劣勢に陥りながらも、辛うじて敵軍を隔離戦場に釘付けにすることに成功していた。
「全隊、損害を報告しろっ!」
横薙ぎに振るわれた漆黒の巨拳が、ブレードを掲げて襲い掛かるクリズリを粉々に打ち砕く。
光線を放つ寸前のバンダーの首が、巨大な手刀によって叩き切られる。
混沌と化した隔離戦場に舞う漆黒の双腕は、イリニ騎士団が誇る騎士、第一兵団長ドクサ・ディミオスが有する
ノマスによる聖都急襲の報を受け、エクリシア防衛軍は迅速な決断を下した。
救援部隊を率いることになったのは、フィロドクス騎士団のジンゴ・フィロドクスだ。
肩書からいえばゼーン騎士団総長のニネミアが最も上なのだが、彼女はノマスの先遣部隊との戦闘によってトリオン体を失っており、戦闘は不可能な状況であった。
また、ノマスの奇襲を受けたイリニ騎士団、ゼーン騎士団は将兵に少なくない死傷者を出している。
比較的損耗の軽微であったフィロドクス騎士団が、聖都救援の主力を担うことになったのは当然の流れであった。
再編された防衛部隊は負傷者を収容し、一目散に聖都へと急行した。もうそろそろ、聖都へと辿りついている事だろう。
そして、隔離戦場で敵を防ぐ役目を負ったのが、ドクサ率いる部隊であった。
本来ならば戦線を放棄するのも仕方のない緊急事態である。だが、それでは自由になった敵兵に後方を脅かされる。それを防ぐための抑えとして、隔離戦場に残しておく兵が必要だった。
捨て駒も同然のこの役割に、しかし多くの騎士、従士らが志願者した。彼らは任務の危険さを知りながらも、それ故に戦場に留まる事を希望した。
決死の兵らを率いて殿を務める将は、ドクサが名乗りを上げた。
イリニ騎士団が誇る古参の騎士なら家格、実力ともに申し分ない。生還が絶望的な戦場に貴重な
ノマスの奇襲によって、彼の娘メリジャーナと娘婿のテロスは重傷を負っていた。前線基地に収容された彼らは、現在緊急手術を受けている最中である。また彼らだけでなく、緒戦で傷を負った兵たちも基地で治療を施されている。
隔離戦場を完全に放棄するとなれば、彼らも捨てていかなくてはならない。
ドクサは娘と娘婿を助けるために、地獄の戦場に残ることを希望した。他の騎士たちも事情は同じである。傷ついた同朋を救わんがために、自ら捨石になることを決意した。
そうして始まった絶望的な戦闘。しかしエクリシアの騎士たちは大いに奮闘していた。
ドクサは戦端が開かれるや鬼神の如き活躍を見せ、群がる敵を次々と撃破していった。
別けても凄まじかったのは、ノマスの
彼が敵の
死力を尽くして防衛に当たる騎士たち。そして戦闘能力を持たないエンジニアらも、懸命に己の職分を全うする。
エンジニアが復旧させた砲台が、津波のように押し寄せるトリオン兵に、雨あられと砲弾を叩きこみ始めた。
恐怖を持たない人形兵士も、嵐のような弾雨を前にしては足が鈍る。そこを一体、また一体とエクリシアの戦士が刈り取っていく。
「よしっ! 敵の増援が途絶え始めた、あと少しだぞ!」
傷だらけとなった「
敵勢は明らかに勢いを失ってきている。トリオン兵の追加も殆どない。もはや撤退を始めたと判断するのが妥当だろう。
「聖都は無事だ! 後は各々が命を拾えいッ!」
仮に聖都が落とされ、
こうして退き始めたということは、聖都の守備部隊はノマスの本体を撃退することに成功したのだろう。
かつてないほどの危機に曝されたエクリシアだが、何とか命脈は保てたらしい。
後は被害を抑えることだけに専心しなければならない。
ドクサは「
「さあ最後の仕上げだ! 連中をこの国から叩きだすぞっ!」
気焔を吐き、同朋を勇気づける古豪の騎士。
そんな彼が聖都の惨状を知るのは、暫し後の事であった。
× × ×
曇天に浮かびあがった巨影を見咎め、レクスは此度の遠征が失敗に終わったことを冷静に悟った。
「……」
丘の裾野に広がる廃墟と化した貴族街。その一画で、激しい戦闘を続けていたレクスとアルモニア両名。
互いに国の威信を背負った
「……あれが、エクリシアの隠し玉か」
レクスが忌々しげに呟く。
高空を飛翔するのは、古代の神像を思わせる巨大な人型である。
鎧を纏った巨神は聖都の上空を我が物顔で飛び回りながら、信じがたいほどの威力の光線を全身から八方へと放っていた。
巨神の身体が輝くたびに、市中に展開しているノマスのトリオン兵がごっそりと消え失せる。次々に減じていくレーダー上の光点を、レクスは諦念と共に眺めることしかできない。せめて最新技術を搭載した兵器だけは回収せねばと、彼は母船に通信を入れる。
一方、レクスの前に立つアルモニアは、長剣形態の「
一髪千鈞を引く二人の戦いは既に四半時にも及ぼうかとしていたが、結局どちらも決め手を欠いたまま、こう着状態に陥っていた。
アルモニアはほぼ無傷。レクスも不意打ちで落とされた右腕以外は万全の状態である。
規格外のトリオン体を創出するレクスの「
トリガーの相性ではアルモニアに分があったが、純粋な出力ではレクスが圧倒的に上回る。互いの手を知る達人同士は、それ故に深く踏み込む機会を見出せずにいた。
両者のトリガーは共に即死級の威力を持ち、一手でも間違えればたちまち勝敗が決する。互いに相手のエースを抑えあっているという状況にあっては、勝つことよりも負けぬことが要求されたのだ。
「潮時か……」
レクスが独りごちる。
今しがた息子のレグルスから通信があった。巨神の攻撃を受けて敗走したモナカ、ユウェネスと共に、聖都から撤退を始めたとの報である。
彼が仇敵との戦闘にかまけていた間に、教会攻略は失敗に終わってしまった。
今から戦況を巻き返すのは不可能である。レクスも撤退に移らなければならない。
彼は憎悪に満ちた眼差しを、対手であるアルモニアへと向ける。
「その命、今日の所は預けておく。ゆめ忘れるな。貴様を八つ裂きにし、その首を祖霊に捧げることこそ、ノマスの民の悲願であることを」
レクスは呪いの言葉を吐くと、地を蹴って風のように飛び去った。
爆撃によって崩れた邸宅の上を飛び跳ね、ノマスの指揮官は見る間にその姿を小さくしていく。
元より超絶の身体能力を有するレクスを追走することは不可能だ。またそうでなくとも、アルモニアは彼を追いはしなかっただろう。
レクスがアルモニアに足止めされたように、彼もまた、宿敵によって貴重な時間を浪費させられていたのである。
「……くそっ!」
宿敵の逃亡を見送ったアルモニアは、戦況を確かめるべく通信チャンネルを開き、そして苛立ちの言葉を吐いた。
情報が錯綜し、何一つ戦況がつかめない。
何より彼を焦らせたのが、パイデイアとフィリア、激闘が行われていた教会に居る筈の家族に、連絡もつかないことであった。
「無事でいてくれ……」
アルモニアは焦燥に顔を歪め、廃墟と化した街を走り出した。
× × ×
聖都の北部に位置する貧民街には、トリオンを用いた簡便な建築技法が普及する以前の、石壁と木組みの街並みが広がっている。
元は聖都繁栄の基礎となった歴史ある街だったが、時の流れに取り残された現在では、下層民が身を寄せ合って暮らす不穏な地域となっている。
うら寂れ、どこもかしこも薄汚れた貧民街ではあったが、この非常時にあっても殆ど戦災を受けていない。これは敵の攻撃目標が、トリオンを基準に判断されるからだ。
かび臭い街に住んでいるのは、ろくなトリオン能力を持たない下層民。
ノマスのトリオン兵は、貧民街を攻撃する意義を見出せなかったのだろう。被害を齎すのは時折飛んでくる流れ弾程度のもので、どこもかしこも地獄の様相を呈した聖都にあって、貧民街は明らかに戦火を免れていた。
「此処を抜ければ北門です。皆、辛いでしょうが足を止めないでください」
貧民街の入り組んだ路地を滑るように飛びながら、ヌースは後続の子供たちを懸命に励ましていた。
当初逃げ込む予定であったシェルターは、トリオン兵によって無残に蹂躙されており、行くあてを失った彼女たちは、フィロドクス騎士団が防衛を続ける聖都北壁を目指して避難を続けていた。
ここ貧民街を経由地点としたのも、敵の手が回っていない可能性が高かったからだ。
「……なあ、もう大丈夫じゃないか」
荒れ果てた石畳の上を走りながら、サロスがぼそりとそう溢した。
「どっかこの辺で隠れて、やり過ごした方がいいんじゃないかな……」
黒髪の少年は幾分憔悴した面持ちで、保護者であるヌースを窺う。
彼は背中に弟のイダニコを背負っている。金髪の末弟はシェルターでのいざこざの際に、ヴルフによってトリオン体を失っていた。
サロスが貧民街に隠れ潜むことを提案したのは、弟を案ずる思いからだろう。それに、
「ねえヌース……覚えてる? ここ、私たちの家の近くだよ」
兄の話の穂を継いだのは、赤髪の少女アネシスだ。過酷極まる道程に、少女は隠しきれない疲労を浮かべている。
強弁こそしなかったが、彼らは揃って此処に留まりたいと考えているらしい。
それも無理からぬことだった。この貧民街は、彼らが人生の殆どを過ごしてきた場所である。土地勘があるから、敵の姿が見えないからといった、ただ安全面からの提案ではない。この危局にあって、家族と過ごした思い出の地ほど彼らを安心させるものはない。
「……」
ヌースは人工知能をフル回転させ、彼らの提案を検める。
教会を脱出してから既にかなりの時間が経つ。先ほどノマスの攻撃と思しき強力なトリオンのパルスを検知したが、戦闘は未だに続いている。
隔離戦場に展開していたエクリシアの軍勢も、そろそろ聖都へと帰りつくころだ。増援が来れば、ノマスもこれ以上の攻撃は不可能と判断し、撤退に掛かるだろう。
戦闘は程なくして終結する筈である。
身を晒して避難を続けるよりは、目立たぬ建物で息を潜めるほうが、生存の可能性は高いかもしれない。
「予断は許しませんが……そうですね。少し休憩しましょう」
ヌースは子供たちに向かってそう告げると、潜伏場所を見繕うべく付近のエリアをスキャンした。
「やった! ありがとうヌース」
アネシスが歓声を上げる。サロスもイダニコも安堵の息を付いた。
「そこの家屋が無人のようです。窓から中に入ってください。怪我をしないように気を付けて」
ヌースは比較的頑丈そうな建物を示し、少年らを誘導する。しかし、
「え、私たちの家に帰らないの?」
アネシスはつぶらな瞳を驚きに見開いてそう言った。彼らはてっきり、懐かしの我が家に帰ることができると思い込んでいたらしい。
何せ、彼らの自宅は角を曲がったすぐそこにある。けれども、ヌースはその判断を良しとはしなかった。
かつての自宅に赴けば、確かに彼らは安心するだろう。だが愛着の余り居着いてしまう可能性がある。もしその場を離れなければならなくなったとき、動きが鈍ってしまっては命に係わる。
「駄目です。今は何より貴方たちの安全が最優先です」
毅然とした口調でヌースは命じるが、子供たちは硬い面持ちで地面を見詰め、一向に動こうとはしない。
「そうだ、俺が安全かどうか見て来るよ。アネシス、イダニコ頼む」
と、サロスがそんな事を言い出した。
ヌースが制止する間もなく、黒髪の少年は弟を地面に立たせ、路地を駆けだした。
彼らの消耗は予想以上に大きかったらしい。安住の地を目前にしていても経ってもいられなかったのだろう。
「サロス、待ちなさい」
ヌースは慌ててサロスの後を追って路地を飛翔する。
どん、と物がぶつかる音がした。
路地を曲がったその瞬間、なんとヌースは立ち尽くしていたサロスの背に身体をぶつけてしまったのである。
勢い込んで飛び出した少年が、なぜ呆然と立ち尽くしているのか。
その理由を、ヌースはたちまち知ることになる。
「サロス、アネシスとイダニコの下に戻りなさい」
如何なる感情も窺わせない冷淡な声で、ヌースが少年に命令する。
数十メートル先の路地。まさしく家族が暮らしていた家の前に、奇妙な物体が転がっている。それがバラバラにされた人間の残骸であることに、サロスは一拍おいて気付いた。
「うわぁ――」
思わず悲鳴を漏らしそうになった少年の口を、ヌースが身体から伸ばした触腕で塞ぐ。
「落ち着いてくださいサロス。貴方はお兄さんです。大丈夫ですね。みんなの為に、頑張れますね」
抑揚のない、それでいて思いやりに満ちた声で、ヌースが少年に語りかける。
如何なるときにも頼りになる家族の励ましに、少年は涙目になりながらもはっきりと頷いて答える。
「当初の計画通り北門を目指します。あれが皆の目に止まらぬよう、迂回しましょう」
少年にそう語り聞かせながら、ヌースは状況を把握しようと努めていた。
人間をあれほど無残に引き裂くことができるのは、トリガー使いかトリオン兵を措いてほかにない。トリガー使いが戦術的に無価値な貧民街にいる理由はないので、犯人は市街地を惑乱する任を帯びたトリオン兵で間違いないだろう。
気がかりなのは、敵トリオン兵がヌースの探知に引っ掛からなかったことだ。
凶行に及んだトリオン兵は、レーダー対策を施されているのだろう。
となれば、敵はまだ貧民街を徘徊している可能性は十分にある。敵の種別も規模もまるで分からない。不意に遭遇すれば、子供たちを護ることは難しい。
「落ち着いて、取り乱さないでください。大丈夫ですから」
ヌースは惨死体を目の当たりにしたサロスを気遣いながら、今来た道を引き返す。
貧民街の住人は付近のシェルターに避難したか、自分の家に閉じこもっているのだろう。協力を仰ぐことはできそうにない。ましてや、路地に転がっている死体をどうこうしている時間など一秒たりともない。
恐怖の表情のまま朽ち果てているこの男たちは、実は彼女らの家を不法に占拠していたごろつきであったのだが、彼女たちには知る由もないことであった。
「急ぎ戻りましょう。何としても、皆で助かります」
弟妹の下へと戻った二人は、弟妹たちに休憩ができなくなった旨を伝える。
アネシス、イダニコは二人の様子にただならぬ事態を感じ取ったようで、落胆を懸命に押し殺し、指示に従った。
そうして再び避難を始めた一向。
細く入り組んだ迷路のような路地を通り、貧民街を北に向けて抜ける。
やがて、彼らは比較的道幅の広い道路へと出た。
視線を向ければ、曇天に聳え立つ城壁が見える。古くは主要道だったこの道を進めば、程なくして北門にたどり着くことができる。
少年少女たちの表情に希望の光が灯る。絶望の影が立ち現われたのは、まさにその時であった。
× × ×
「皆、路地に戻りなさい!」
街路を塞ぐように立つトリオン兵を見咎めたヌースは、緊迫した声で子供たちに避難を命じると、
現れたのはノマスの新型ヴルフが三種それぞれ三体ずつ、計九体。これらの新型ヴルフは小型ながらも高い戦闘力を持ち、とくに機動力を必要とする市街戦では抜群の働きを見せる。ヌースは戦場に散らばる残骸から、新型ヴルフの機構の解析に成功していた。
彼女たちの眼前に現れたのは、三メートル余りの体躯をした二足歩行のトリオン兵。通信の端々で耳にした、ノマスの新型トリオン兵クリズリに違いない。
この新型は、エクリシアの騎士と渡り合えるほどの戦力を有しているらしい。如何にヌースが操っているとはいえ、ヴルフとの性能差は明白だ。
しかし、ここで引くわけにはいかない。完全に捕捉された以上、下がっても後ろから襲い掛かられるだけだ。それに、ゴールはもう目と鼻の先である。北門まで送り届けることができれば、間違いなく子供たちは助かる。
『……サロス、貴方のトリオン体にルートマップを送りました。皆を連れて、北門を目指してください』
ここでヌースは自らが囮になることを決断した。北門が破られたという報告は効いていない。付近に展開する敵トリオン兵は少数の筈。
戦闘を行えば、それらのトリオン兵をも引きつけることができるだろう。上手く迂回すれば、子供たちは安全に城壁までたどり着けるはずだ。
『な――でもっ!』
反論する子供たちの声。彼らが難色を示しているのは、自分たちの不安ではなく、一人残されるヌースのことを案じているからだ。
『聞き分けてください。私はパイデイアとフィリアに、貴方たちを護ると誓いました』
家族の暖かな思いやりに感動しながらも、ヌースは決然と子供たちに言い放つ。
『さあ早くっ!』
もはや議論を交わしている時間などありはしない。クリズリは二対の腕を大きく広げ、猛烈な突進を仕掛けてきた。
ヌースはクリズリを迎撃すべくヴルフを散開させる。
出力、装甲共に別格の能力を持つクリズリは、機動力に於いてもヴルフを上回っている。
しかし、小型とはいえ三メートルを超える体躯を持つクリズリは、ヴルフに比べると小回りが利かない。
兵を常に動かし続け、敵に的を絞らせなければ、クリズリの攻撃がヴルフを捉えることはできない。どれほど攻撃力が高くとも、当たらなければ無いのと同じだ、
そして分厚い装甲に関しても、ヌースには攻略の手立てがある。
近接戦闘用の黒いウルフ・ホニン、射撃特化の白いウルフ・レイグが、クリズリの周りを駆けずって注意を引きつける。その隙に、指令を受けた茶色の狼、ヴルフ・ベシリアが粘着弾を浴びせかけた。
いかに強力な性能を有していようと、動きを封じてしまえば発揮の仕様が無い。
致命打を与えることは難しくとも、粘着弾で塗り固めてしまえば無力化したも同然だ。
ヌースが指揮するトリオン兵の巧みな連係は、ただの人形兵士が見切る事などとても不可能であっただろう。
必勝を確信していただけに、クリズリの動きを目の当たりにしたヌースは強い衝撃を受けた。
誘い込まれていたかに見えたクリズリは、何と背面のブースターを噴かし、短腕から衝撃波を発すると、強引に姿勢を翻して粘着弾を紙一重で回避した。
そしてブレードを搭載した長腕を一気に伸ばし、ヴルフ・ベシリアを刺し貫く。
続けてクリズリは短腕から光弾をばら撒き、同じくヴルフ・ベシリアを狙い撃ちにする。
「……!!」
想いも寄らないクリズリの反撃に、ヌースは兵を率いて後退する。
敵は明らかに、ヴルフ・ベシリアを最優先の排除対象とみなしていた。もちろん、元は同じノマスの兵なのだから、武装を知っていたとしても不思議はない。
しかし、一見こちらの手の内に乗ったかのように見せかけ、そこから鋭い反撃を繰り出すというのは、いくら高性能とはいえただのトリオン兵に為し得ることではない。
まるで腕のいいトリガー使いのような動きである。
不穏な気配を感じ取ったヌースは、
内蔵トリオンは使い切ってしまっても構わない。何としても、ここで敵を引きつける。
ヌースは己が心に従い、全身全霊を以て戦いに挑もうとした。そんな彼女に向かって、不気味な声が投げかけられる。
「其処ナ自律型トリオン兵ニ告グ。所属ヲ明ラカニサレタシ」
音声サンプルをつぎはぎしたような、滑らかさとは程遠い滑舌。性別も年頃も定かではない機械音のようなその声が、人気の絶えた貧民街に響く。
「登録データ無シ。ナレド、トリオン反応ハ我ラニ酷似。汝ハノマスノ兵ヤ否ヤ」
立ちはだかるクリズリの後方。朽ちかけた木造家屋の影からそれは現れた。
人の頭ほどの大きさをしたトリオンの球体が、宙に浮いている。
中央には目を思わせる感覚器官が搭載され、下方には魚の腹ヒレを思わせるような突起が付いている。
どうしてヌースが見誤ることができようか、眼前に現れたそれは、間違いなく彼女と同じ自律思考型トリオン兵であった。
「まさか、完成していたとは……」
ヌースが驚愕に言葉を漏らす。
自律思考型トリオン兵は製造に非常に高度な技術を必要とするため、トロポイやエルガテスといった一部の国家でしか運用されていない。
同じく高いトリオン兵の製造技術を持つノマスでも、未だ開発には成功していなかった。基礎研究は済んでおり、試作段階までは進んでいたものの、開発を先導していたレギナが拉致されたため、研究が頓挫したからだ。
ノマスはレギナの喪失にもめげずに研究を進めていたらしい。そして到頭開発に成功し、今回の遠征に投入してきたのだ。
「返答セヨ。猶予期間十秒」
自律型トリオン兵が耳障りな金切り声でそう告げる。
敵はトリオン反応の酷似したヌースを、敵か味方か図りかねているらしい。レギナによって生み出されたヌースと、彼女の残したデータに基づいて造られた彼らが、似通った機構を持つのは当たり前だろう。
「……」
ヌースは思考をフル回転させて戦局を読む。
敵の自律型トリオン兵は、市街地を惑乱させるトリオン兵団の指揮者としての任を負っているのだろう。そう考えれば、奇妙なまでに的確な兵の動きが腑に落ちる。
レーダー対策を施されていることからも、彼らが立派なノマスの将の一人だと考えられる。ギリギリまで姿を現さなかったことも、無用な情報をエクリシアに与えぬよう指示されていたに違いない。
冷静に彼我の戦力差を推し量る。
度重なる戦闘と避難で、パイデイアから供給されたトリオンは底を尽きかけている。ヌースの手駒は先ほど展開した分で打ち止めだ。あとは運用する方にトリオンを回さねばならない。
敵の自律トリオン兵がどれほどの能力を持つかは不明だが、嵩にかかって数で攻めればクリズリの一体は撃破できるだろう。
しかし、敵が他に兵力を伏せていない保証はない。
「私は、ノマスの技術者レギナによって製造されました」
ヌースは会話で事態の打開を図った。別段撃破する必要はない。彼女にとっての勝利とは、子供たちが無事に北門までたどり着くことなのである。
会話で時間が稼げるならば、それに越したことは無い。
「然ラバ、何故我ガ方ニ敵対スルノカ」
敵が会話に乗ってきた。ヌースは戦闘シミュレーションを別回路で行いながら、言葉を続ける。
「製造者と命令者が異なることに、何か疑問があるでしょうか」
「ナラバ旗幟ヲ鮮明ニセヨ。投降スルカ、破壊サレルカ、ドチラカ選ベ」
いくばくかの皮肉を交えて応えるヌースに、敵は血の通わぬ人形兵らしい無感情さで選択を突きつける。
勿論、彼女に敵軍に降るという選択肢はない。こうして会話を続けている間にも、彼女は虎視眈々と付け入る隙を窺っている。
「投降の条件は? 私の身柄は保障されますか?」
「トリオン兵ハ如何ナル権利モ有シナイ。汝ニ蓄積サレタデータハ今後ノ戦地ニテ活用サレルダロウ」
言葉を続けるヌースに、しかし敵の自律トリオン兵は話の意味が分からないと言った風に応える。
どうやら彼とヌースとは、情緒面に著しい隔たりがあるらしい。
彼にとっては、自我意識など課せられた任務を遂行するためのツールでしかないのだろう。任務遂行のために一切を顧みないその姿は、魂を持たぬトリオン兵に相応しい。
「投降ノ意思ハ認メラレズ。ナレド有益ナデータヲ有スルト判断。鹵獲スル」
これ以上の問答は無意味と判断したのか、敵トリオン兵は一方的に交渉を打ち切った。確かにデータを吸出し、構造を解析するならば、ヌースの残骸で事足りる。
敵は新たにヴルフを十体余り展開すると、クリズリとともに襲い掛かった。
「――そうは、させません」
ヌースは手勢の全てをマニュアル操作に切り替え、敵の群れへと立ち向かった。
× × ×
決着は、それほどの時間を待たずに着いた。
荒れ果てた石畳に散らばるトリオン兵の破片。
敵味方の入り混じったその中で、最後まで残っていたのはヌースの操るヴルフであった。
「――――」
トリオン弾によって風穴の空いた敵の自律トリオン兵が、浮力を失って街路に転がっている。
結局の所、トリオン兵の運用能力とそれらを支える諸々の機能に於いて、ヌースは敵を完全に凌駕していた。
難敵であったクリズリも、機能と動作パターンを把握してしまえば対抗手段はいくらでも見つけられる。囮を用いて行動を誘導し、粘着弾で足を止め、コアを破壊する。そうして手勢がヴルフだけになってしまえば、数で劣る敵に勝ち目はない。
「早く、あの子たちに合流しなければ……」
勝つには勝ったが、こちらの手勢もそれなりの損害を受けた。五十余りいたヴルフの内、残っているのは三十七体。その半数程度も、大なり小なりの傷を負っている。
そう何度も敵と交戦するのは不可能だろう。速やかに子供たちを連れ、北門まで向かわねば。ヌースは再び移動を始めようとした。その時、
「――!!」
路面に転がる敵自律トリオン兵から、何らかの信号が発せられた。
ヌースは即座にヴルフを動かし、今度こそ敵トリオン兵に止めを刺す。
敵の散り際の行動に邪悪な意思を感じたヌースは、焼けつくような焦燥を感じて辺りを窺う。
と次の瞬間、凄まじい騒音と共に地面が大きく揺れた。
「これは……」
ヌースはすぐさま、地震の原因を知ることになった。
古めかしい建物を飲み込みながら、土中から巨大な円柱が姿を現した。捕獲・運搬用トリオン兵ワム。地中を掘り進んで奇襲を仕掛ける大型のトリオン兵である。
出現したワムは一体や二体ではない。貧民街を含めた聖都の北部のあらゆる場所に巨大トリオン兵が現われ、不気味な身体をのたくらせている。
そしてワムの身体から飛び出したのは、中、小型のトリオン兵の群れである。
北壁を越えられなかった敵は、なんと地中を通って兵を送り込んできたらしい。
今さら兵を展開したところで聖都攻略の役には立つまいが、それでも敵のトリガー使いの撤退を援護することぐらいはできる。完全に嫌がらせの為の用兵だ。
そしてヌースにとっては、このタイミングで敵の増援が現われるなど、悪夢以外の何物でもなかった。
「っ!」
スラスターを噴かしてヌースが飛翔する。
サロスたちの反応は逐一追い続けており、すぐにでも合流できるはずだ。彼らはまだトリオン体を失っていない。
配下のヴルフを置き去りにして、限界まで速度を上げる。
必ず間に合う。あの子たちを護る。
魂の無い器物として生まれた己に、存在する意味を与えてくれた人たち。愛する家族の為、彼女は我が身を省みずに飛翔を続ける。だが、
「――!?」
突如として飛来したトリオン弾が、彼女の進行を阻んだ。
空中を猛回転しながら制止した彼女は、攻撃の出所を探る。
果たして民家の屋根に居たのは、またしてもクリズリであった。否、それだけではない。クリズリの横には、あの自律トリオン兵が浮かんでいる。
一分一秒を争うこの局面で、再び難敵に見付かるとは。
現存戦力で当たるのは心もとない。そして何より戦っている暇はない。ここは逃げに徹するべきだ。路地に逃げ込んでしまえば撒くことも不可能ではない。ヌースはそう己を鼓舞する。
しかし、本物の絶望は深く静かに彼女を取り囲んでいた。
「敵自律トリオン兵ヲ鹵獲スル。総員掛カレ」
さびついた声がしたのは、屋根の上からではなかった。
街路の前方に、クリズリを含めたトリオン兵団が現われる。その奥に浮かんでいるのは、またしてもあの自律トリオン兵だ。
それだけではない。ヌースが逃げ込もうとした路地からは、ヴルフの群れが現われた。指揮しているはこれまた同じ自律トリオン兵。
いつの間にか彼女を取り囲むように展開していたノマスのトリオン兵団。見れば、六体にも及ぶ自律トリオン兵がそれらを率いている。
通常ならば考えられない事態である。自律トリオン兵はその高機能の代償に、製造に掛かるコストが桁違いに高い。こうまで容易く数を揃えることは、如何な大国であっても不可能な筈であった。
けれど、ヌースは知らない。
ノマスが開発したのは量産型自律トリオン兵デクー。
その名が示す通り、自律トリオン兵としての性能を保ちながらも、製造コストの著しい削減に成功した傑作兵器なのだ。
デクーはノマスの戦法の弱点である、トリオン兵の指揮官不足を補うために開発された秘密兵器だ。
技術漏えいを防ぐため、デクーは此度の戦争でもなるべく秘密裏に運用されてきた。
しかし今、彼らは堂々と姿を現し、虫のように冷酷な瞳でヌースを見詰めている。
彼らの目的は只一つ。稀代の技術者であるレギナが残したトリオン兵を、本国へと持ち帰る事だ。ヌースが迂闊にも自らの由緒を明かしてしまったがために、彼らは大挙して兵を送り込んできたのだ。
「皆……」
激しい戦闘音が、伽藍堂の町に響き渡る。
市内に侵入したトリオン兵を迎撃すべく、フィロドクス騎士団が機敏に動き出していた。
戦闘はもう間もなく終結するだろう。土中から現れたトリオン兵の数は、流石にそう多くはない。しかし、それまでの間、この分厚い包囲から逃げ切れるかどうか。
ヌースは助かる見込みなど欠片もないことを認めつつも、決死の抵抗を始めた。