WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の三 幕間 エクリシアの憤怒 前篇

 見るも無残に打ち崩された街並み。物のように雑然と並べられた遺体。

 聖堂国家エクリシア。近界(ネイバーフッド)でも有数の大国は、死と破壊に覆い尽くされていた。

 狩猟国家ノマスの侵攻から早数日。壊滅的な被害を受けた聖都では、騎士団によって夜を徹しての救助活動が続けられている。

 

 徐々に明らかになっていくのは、今回の戦争の人的被害の大きさだ。

 市民の遺体は日を追うごとに増えていき、今では埋葬することはおろか、安置する場所にも困るほどの数となっている。

 

 しかも遺体の状態からは、ノマスの冷酷残忍な戦術が判明することとなった。

 通常、トリオン兵に襲われた市民は拉致されるか、或いは心臓の隣にあるトリオン機関を抜き取られて殺される。この対応は被害者のトリオン機関の強弱によって異なるが、共通しているのはトリオンを集めるという目的である。

 

 しかし、今回ノマスによって害された市民の多くは、トリオン機関を抜き取られることなく、ただ斬られ、或いは撃たれて死んでいた。

 ノマスは捕獲用トリオン兵のほかに、純戦闘用トリオン兵をエクリシア市民にけしかけたのだ。トリオンを奪うためではなく、ただ市民を殺すために。

 

 殺戮に徹したトリオン兵の働きは凄まじいものだった。逃げ遅れた市民はおろか、市民が立て籠もるシェルターにまで押し入り、虐殺の限りを尽くしたのである。

 また、破壊された建物の撤去は遅々として進んでおらず、瓦礫の下には多くの遺体が埋まっていると考えられる。

 最終的な死者数はどれ程になるか、もう誰にも予想できないほどの惨状であった。

 

 そんな中、エクリシアの国政を司る大貴族の長たちは、深い傷跡の残る教会で善後策を協議していた。

 驚くべきは、その内容が市民の救助、復興に関する事ではなかったことだ。

 

「すぐに部隊を再編し、ノマスへ攻め入るべきだ! 接触軌道を外れるまでもう時間がない。このままでは奴らに逃亡を許してしまう!」

 

 教会の深部に位置する、優麗にして荘重な大議事堂。

 ノマスの侵攻による被害を辛くも免れたそこで、エクリシアを代表する貴族たちが一堂に会していた。

 

 巨大な円卓に居並ぶ貴族たちの中で、一際大声を張り上げてそう主張しているのは、黒髪を撫でつけた四十見当の怜悧そうな男性である。

 彼はエクリシアが誇る三大貴族の一画、フィロドクス家のジンゴだ。

 今この会議室では、エクリシアに甚大な被害をもたらしたノマスへの、報復のための討議が行われているのだ。

 

「奴らは一線を越えた! 我が国の国力を削ぐためだけに、無辜の市民を虐殺したのだ! 復仇せねば彼らの魂が浮かばれぬ!」

 

 普段は非情にさえ見えるほどに冷静沈着なジンゴが、口角に泡を浮かべんばかりにそう叫ぶ。そして、

 

「いや実際のところ、受けた被害が大きすぎるよ。連中、トリオン機関の強い奴から殺していったみたいだ。たぶん、トリオンの徴収率は三割以上減るだろうね。不足分は、ノマスの連中に補ってもらわないとさぁ」

 

 場違いなほど軽薄な口調でそう言うのは、年の頃は三十半ば程の、くすんだ金髪の男性である。彼はフィロドクス家の次男、カスタノ・フィロドクスだ。

 ジンゴとカスタノ。普段から不仲で知られているフィロドクス家の跡取り二人が、揃ってノマスへの出兵を強弁している。

 

「……今、第一に考えねばならぬのは故国の防衛だ。我が国は多大なる損害を受け、市民の救出さえ未だ完遂していない。大兵を率いてノマスに攻め入るのは危険だ。ここは耐え忍ぶ時ではないか」

 

 二人の貴族の主張に、厳かな声でそう反論したのは、麦穂のような金髪と、翡翠のように輝く瞳をした偉丈夫だ。

 同じくエクリシア三大貴族の一角、イリニ家当主アルモニアは、深沈としてそう告げる。

 

「これはこれは……勇猛無比なるアルモニア閣下とは思えぬことを仰る。剣聖と謳われたあなたが、まさか弱気に駆られたとでも言うのですか!」

 

 アルモニアの唱える慎重論に、主戦論を張るジンゴが嘲りを交えて非難する。

 人もなげな挑発に、同席していたイリニ家傘下の貴族たちが憤怒の形相へと変化する。しかしアルモニアは鷹揚な態度で首を振ると、

 

「勝算の立たない戦をするべきではないと申している。こちらが疲弊しているのならなおさらだ。ノマスの軍事力は明らかに過日のソレではない。……なるほど確かに、個の武力では未だに我ら騎士の方が上だろう。しかし、送り込める人員に限りのある遠征で、ノマスを相手に臨みうる戦果を挙げられる保証はどこにもない。莫大なトリオンを費やして遠征を敢行した挙句、空振りに終わったとなれば、今度こそ国の興廃に関わる事態となろう」

 

 威風辺りを払うアルモニアの発言に、列席する貴族が一斉に押し黙る。

 果たして遠征を行ったところで勝つことができるのか。根本的な問いだが、誰も確信を持って答えることはできない。

 

 そもそもエクリシアは、ノマスの正確な国勢さえ把握できていないのだ。

 接触軌道に入ってからというものの、何度となく偵察のためのトリオン兵を送り込んではいるのだが、その悉くが展開した直後に破壊され、碌に情報を集めることができていない。

 

 ノマスの人口、技術力、戦法。トリオン備蓄量やトリガー使いの数に、トリオン兵の性能。攻略の要となるそれらの情報が、決定的に不足している。

 例えば、ノマスがエクリシアに投入した新型トリオン兵。残骸の解析が急ピッチで進められているが、現段階でも、その凄まじい性能は明らかになっている。

 敵の本拠地で、これらが大量に展開されたとなれば、エクリシアの騎士とて苦戦は免れないだろう。

 

 また敵地へと攻め込めば、間違いなく(ブラック)トリガーと相対することになる。先の戦いで確認できた数は五本。いずれ劣らぬ難敵揃いである。

 それらを潜り抜け、ノマスの民を捕虜にできるかどうか。

 アルモニアの発言に対する沈黙が、その答えを雄弁に語っている。

 

「……優先すべきは故国。それは間違いないだろう」

 

 しわぶき一つ聞こえない議事堂に、訥々と響く声。

 発言したのは、ジンゴとカスタノの隣に座る、白い滝髭を生やした鷲鼻の老人である。

 

「となれば、やはり兵を出さねばならぬ。我々には時間が残されておらぬ故に」

 

 それまで議論を息子に任せ、沈黙を保っていたフィロドクス家当主、賢者クレヴォが、低い声でそう切り出した。

 

「皆の衆、祖国の存亡がかかっておる。腹蔵なく話そう、我らが今最も慮らねばならぬのは、次代の神についてだろう」

 

 老人の言葉に、居並ぶ貴族たちが一斉にざわめいた。

 

 近界(ネイバーフッド)の夜の海に浮かぶ星々。エクリシアやノマスといった国家は、その星の上で営みを続けている。

 そして星の動力源となるのが(マザー)トリガーであり、その巨大トリガーを動かしているのは、(マザー)と同化した只一人の人間、彼らが「神」と呼ぶ人物である。

 神は数百年の長きに渡り、寿命が尽きるまで星を動かし続ける。すなわち神が死ねば、星の命脈もまた尽きる。風は絶え、雨も振らず、夜が空けることもなくなる。

 

 エクリシアの神が、死の予兆を見せ始めたのは数年前だ。

 それ以来、彼らは挙って次代の神の候補者を探してきた。

 莫大なトリオンを費やし、国防を手薄にしてまで他国へと遠征し、捕虜をかき集めた。だが、成果はそう芳しいものではなかった。

 

 (マザー)トリガーと融合した神によって、星の国土は増減する。神となる者のトリオン機関が強ければ強いほど、星は巨大になる。

 近界(ネイバーフッド)でも有数の大国として知られるエクリシアは、抱える人口も膨大だ。国土が縮小してしまえば、民を養うことができなくなってしまう。

 必然、神に求められるトリオン機関は強大なものになってしまう。そしてそれほど強いトリオン機関の持ち主は、そう簡単には見つけることができない。

 

 それでも、エクリシアを支える大貴族たちは、手を尽くして候補者をかき集めていた。次代の神を輩出すれば、国の最高位たる教皇の地位を継ぐことができるという理由もあっただろう。しかし、なにより彼らを突き動かしたのは、祖国の没落を避けたいという切実な思いであった。

 

「我らフィロドクス家の擁する神の候補も死亡した。残る候補者では、国土の縮小は免れぬだろう」

 

 切々とした声でクレヴォが語る。

 ノマスの襲撃に当たって、神の候補者たちは聖都へと集められていた。堅牢な城壁を有する聖都なら、絶対安全だと思われていたからだ。

 しかし、その思惑は見事に外れ、ノマスの軍勢は大挙して聖都へと雪崩込んだ。避難させていた神の候補者も、多くが帰らぬ人となった。

 

「な、それは……」

「よい。最早隠し立てすることではあるまい」

 

 狼狽えるジンゴを、クレヴォが制する。

 神の擁立はエクリシア貴族たちの政争でもあり、機密事項となっている。しかしクレヴォは自家の内情を詳らに明らかにすると、その上で、

 

「諸君らはいかがか。次代の神に相応しき候補者を、抱えておられるだろうか。もし、おられるなら、フィロドクス家はノマス出兵を見送ろう。しかし、候補者がいないとなれば、無理を押してでも彼の国に兵を送らねばならぬ」

 

 とび色の瞳を鋭く光らせ、居並ぶ貴族たちのそう問うた。

 返答はない。それぞれの貴族たちも、なけなしの候補者を失ってしまったばかりなのだ。

 となれば、ノマス遠征には格別の意味が出てくる。

 ノマスは近界(ネイバーフッド)に名を馳せる大国だ。神に相応しいトリオン機関の持ち主がいる可能性は十分にある。(マザー)の停止まで猶予の無い時期に、この国を見逃す訳にはいかない。

 

「……クレヴォ翁の意見は尤もだ。されど、ノマスを落とす肝心の策がない。補給の難しい遠征で、彼の国の防備を打ち破り、神の候補を見つけ出すことができるかどうか。加えて、それを為し得るだけの戦力を送るとすれば、本国の防備が薄くなる」

 

 水を打ったように静まりかえる議事堂で、一人反論の声を上げたのはアルモニアだ。

 彼は飽く迄実務面から、ノマス攻略は難しいと主張し続ける。しかし、

 

「エルピス猊下に御承諾を頂いた。国土の防衛は猊下の「恐怖の軛(フォボス)」が受け持ってくださる。残る(ブラック)トリガー全てをノマスの攻略に用いれば、勝算は十分に立つだろう」

 

 クレヴォは冷厳にそう告げる。

 エクリシアが有する(ブラック)トリガーの数は八本。先の戦争で新たに生まれた物も加えれば九本になる。近界(ネイバーフッド)全域を見渡しても、これだけの数を有する国は稀だろう。

 

「――っ!」

 

 アルモニアを始め、居並ぶ貴族たちが視線を議事堂の奥へと向ける。

 円卓を見下ろすようにして設えられた豪奢な席。普段は誰の姿も無いそこに、小さな人影があった。

 澄み渡る空を思わせるような紺碧色の髪と瞳をした、十二・三歳の少年が、いつの間にか豪華な肘掛椅子に腰を下ろしていた。

 

「うん。クレヴォ君に頼まれたら断れないしね」

 

 透き通るような声でそう言うのは、エクリシア教皇アヴリオ・エルピスだ。

 彼の有する(ブラック)トリガー「不滅の灰(アナヴィオス)」は、無限にトリオンを生み出し続ける能力を持ち、また起動者に不老の性質を授ける。

 齢数百を数える少年は、朗らかな面持ちながらもどこか暗澹とした様子で、紛糾する会議を眺めている。

 

「慣例は無視して構わないよ。僕も駒の一つだ。君たちが納得して決めたのなら、僕は何も拒むつもりはないよ」

 

 国宝たる「不滅の灰(アナヴィオス)」と、それを担う教皇は原則として政治、戦に関与しない。教会はただ民の心に安寧を授けるのみ。俗世界の諸々を引き受けるのは、教会の藩屏たる貴族たちの役儀だ。

 しかし、賢者クレヴォはその慣例を破るべきと進言し、またアヴリオもそれを容れたというのだ。

 

「猊下、お言葉ですが……」

「既に禁は破られておる。他でもない、我らの無力が故にな」

 

 アヴリオを諌めようとするアルモニアを、クレヴォが重々しい声で制した。

 教皇は既に、戦塵に塗れている。

 過日のノマス侵略の折り、敵の進撃を許したのは騎士団の落ち度だ。

 教会まで攻め入った侵略者を迎撃する為、アヴリオは「恐怖の軛(フォボス)」を纏って戦場に立った。今更、彼の手を借りないという理屈は通らない。

 

「謗りは後でいくらでも受けよう。だが、今はエクリシア建国以来の国難の時だ。我らの持てる全ての力で、未来を取り戻さねばなるまい」

 

 クレヴォの厳粛なる言葉に、議事堂に居並ぶ貴族たちは一様に押し黙る。だが、彼らの居住まいからは、熱く滾る戦意がふつふつと立ち上っている。

 誰しもがノマスの蛮行に傷ついた。復仇の念に燃えるのは皆同じ。

 ノマスに報いを受けさせる。そしてエクリシアに繁栄を取り戻す。

 教皇猊下までもが戦地に立つというのだから、これはエクリシアの民の総意と言ってもいい。

 貴族たちは復讐の念に燃え、今にも行動を起こしたい衝動に駆られている者さえいる。

 一人慎重論を述べていたアルモニアだが、彼らを制する言葉を思い浮かべることができなかった。

 

「ゼーン家は、どう思われる?」

 

 そうしてクレヴォは、円卓の向こうに座る人物へと水を向けた。

 そこに座るのは、絹のように輝く黒髪をした、目を見張るほどの美女であった。

 彼女はニネミア・ゼーン。二十に届かぬ年齢ながら、エクリシア三大貴族の一つ、ゼーン家の当主を務める女傑である。

 それまで沈黙を貫いてきた若き大貴族は、議事堂を包む緊張感に毫ほど臆した様子もなく、静かに口を開く。

 

「我がゼーン家は、ノマスへの遠征を全面的に支持します。彼の国を打ち倒すことなくして、我が国の繁栄はあり得ぬでしょう。加えて、我らには民草を護るという責務があります。責務を果たさずして何が貴族と言えましょう。今こそ、我らは戦うべき時なのです」

 

 凛呼とした口調で、黒髪の美女はそう告げる。

 誇り高きニネミアの宣言に、居並ぶ貴族たちは今度こそ快哉を叫ぶ。

 ノマス討つべし。議事堂に唱和が轟いた。

 貴族たちの熱気は天を焦がさんばかり。最早、方針を覆すことなど誰にも不可能である。

 アルモニアは椅子に深く腰掛けたまま固く瞼を閉じ、止まぬ歓声をただ静かに聞き続けていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 貴族たちが国の行く末を討議していたのと同じ頃。

 聖都の北側にある比較的被害の少なかった病院。集中治療室に面した廊下に、五十見当の男性が立っていた。

 

 中背ながらも隆々とした体躯をした禿頭の男は、イリニ騎士団第一兵団長ドクサ・ディミオスだ。イリニ家に使える大貴族、ディミオス家の当主にして、(ブラック)トリガー「金剛の槌(スフィリ)」を担う古豪である。

 本来ならば彼もまた、教会で行われている会議に出席しなければならない身分の人間だ。

 

 しかし、ノマスの侵攻から数日しか経っておらず、聖都は未だに混乱が続いている。

 救助活動や支援活動など、騎士団は不眠不休で事態の収拾に当たっている。総長アルモニアに代わって指揮を執っているのが、この男であった。

 そして連日連夜働き詰めのドクサであったが、ようやくの事で少しの間だけ休息を取ることができた。

 彼はほんの僅かの時間を使い、娘と娘婿の搬送された病院を訪れたのである。

 

「…………」

 

 窓から看護師が行き来する病室が見える。

 紫水晶のように輝く髪を下げた柔和な面持ちの女性と、輝く金髪をした――包帯に覆われて見ることはできないが――端正な若者が、並んでベッドに横たわっている。

 ドクサの娘、メリジャーナ・ディミオスと、その婚約者、テロス・グライペインは、呼吸器に繋がれたまま、一向に目を覚ます様子がない。

 

 ノマスの奇襲部隊と交戦した彼らは、敵を撃退するも共に深手を負う事となった。

 メリジャーナは腹部をナイフで刺されて重体。一命は取り留めたが、未だに意識は戻らない。

 テロスの方は、敵が撤退時に仕掛けた爆撃から負傷したメリジャーナを庇い、頭部に瓦礫の直撃を受けていた。彼の方が容態は重く、このまま意識が戻らないことも覚悟しなければならないとのこと。

 

 娘のメリジャーナは勿論、ドクサにとってはテロスも実の息子同然に目を掛けてきた青年である。

 そればかりではない。この程二人は婚約を交わし、あとは結婚式を挙げるばかりとなった幸福絶頂の時期であったのだ。

 無残に横たわる二人の若者を目の当たりにして、ドクサの眉間に深い皺が刻み込まれる。

 

 どれ程そうして立っていたか。やがて彼は悄然とした様子で踵を返した。

 そろそろ指揮所に戻らねばならない時間だ。彼には貴族として市民を救う責務がある。我が子にかまけている訳にはいかない。

 そうして廊下を歩き始めたドクサは、はたと足を止めた。

 向こうから見知った顔が近づいてきたからだ。

 

 一部の関係者にしか立ち入りが許されない集中治療室へと現れたのは、二十に届くかどうかといった年頃の女性である。

 セミロングの灰色の髪に、茶色い瞳。眼鏡をかけた怜悧な印象を受ける女性である。

 彼女はオリュザ・フィロドクス。三大貴族の一角フィロドクス家の養女である。彼女がメリジャーナと友人付き合いをしていることは、ドクサも当然知っている。

 

「御無沙汰しておりますディミオス卿……」

 

 眼鏡姿の女性はドクサの姿を認めるや、不安気な様子で歩み寄ってきた。過日の人形めいた彼女を知る者なら誰しもが驚くような悲痛な面持ちである。

 

「これは、騎士オリュザ。娘を見舞いに来て下さったのですか」

 

 そんな彼女に、ドクサは朗らかな様子で応じる。いつも通りの磊落な口ぶりだが、やはり態度の端々には心痛の様子が表れている。

 

「はい。メリジャーナ様が、こちらに搬送されたと耳にしたもので」

 

 オリュザは視線を伏せ、覇気のない口調でそう言う。大怪我を負った娘を前にした父親に、どういった言葉を掛けたらいいのか分からないのだろう。

 これも、以前の彼女からは考えられないような変化である。

 

「ええ。命に別状はないようですが、まだ意識が戻っておらん様子でしてな。折角来ていただいたというのに困った奴です」

「いえそんな。私はただ、いてもたってもいられなくなり……」

 

 軽口を叩くドクサに、オリュザは恐縮するばかり。

 フィロドクス騎士団は先のノマス侵攻において、イリニ、ゼーン騎士団ほどには被害を受けなかった。

 元々三大騎士団の中でももっとも構成員の多い騎士団であるため、フィロドクス騎士団は救援活動の主力として活動している。

 オリュザも多忙に違いないだろうに、こうして娘の見舞いに来てくれたことに、ドクサは篤く礼を述べる。

 

「病室には入れませんが、良ければ顔を見てやってください」

 

 そう彼に促されたオリュザは、

 

「ディミオス卿は、大丈夫でしょうか?」

 

 と、逆にドクサの顔を覗き込みながら尋ねる。

 

「随分、お疲れの御様子です。ディミオス卿まで体調を崩されては、メリジャーナ様もお悲しみになるのでは……いえ、すみません。思慮を欠いた発言でした。御容赦下さい」

 

 余りに憔悴した様子のドクサに、ついオリュザがそう口走る。

 思ったことをストレートに口にしてしまうのは、彼女の癖である。

 しかしドクサは一瞬虚を突かれたように目を見開くと、別に気を悪くした風もなく、苦笑を浮かべて長椅子に腰を下ろす。

 

「いやいや、仰る通りです。騎士オリュザの御慧眼には敵いませんな。娘と娘婿にそろって大怪我をされると、なかなかに堪えます」

 

 視線を宙に注ぎながら、ドクサが枯れた声でそう言う。

 オリュザは数旬、困ったように立ち尽くしていたが、意を決して彼の隣へと座った。

 

「騎士オリュザも、どうかお気を付けなさい。子供に怪我をされるのは、自分の事よりも辛い。貴方に何かあれば、フィロドクス閣下も大層悲しまれるでしょう」

「……はい。お言葉、心に刻んでおきます」

 

 ドクサが口にした忠言に、オリュザは強く首肯して答える。

 そんな彼女を見ると、消沈していた彼は幾ばくかの力を取り戻したように、大きく息を吐いた。

 とその時、病院の静寂に不釣り合いな電子音が響く。

 見れば、ドクサの腕輪型端末に通信が入ったらしい。

 

「どうやら、ノマスに打って出ることに決まったらしいですな。騎士オリュザも、あまり無理はなさらぬように。これから忙しくなるでしょうからな」

 

 内容は、教会で行われていた会議の結果であった。ドクサは低い声でそう言うと、オリュザに一礼し病室から去って行った。

 

「…………」

 

 一人残された彼女は、病室の窓へと近寄ると、ベッドに横たわる友人とその婚約者の姿をじっと見つめる。

 

「ノマス……許さない」

 

 痛ましい二人の有様に、オリュザの表情が憤怒に歪む。

 思わず固く握りしめていた拳を、彼女はそっと窓に押し当てた。

 友達の仇は必ず取る。彼女は胸の内でそう誓う。そして、

 

「フィリアさん……」

 

 彼女は年下の友人の名を口にした。

 オリュザの耳に、少女の安否は届いていない。ただ、伝え聞くところによれば、とても戦場に臨める状態ではないという。

 ノマスへの侵攻。(ブラック)トリガー「万鈞の糸(クロステール)」の担い手たるオリュザにも、きっと要請はかかるだろう。

 大切な友人を傷つけた怨敵を思い描くと、彼女の双眸は静かな怒りに燃えた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 その日の夜半。教会での会合を終えたアルモニアは、部下の運転する車両の後席に、固い表情で座っていた。

 教会を頂く丘は空襲によって特に酷い被害を受けたが、何はともかく騎士団の働きによって、道路の瓦礫だけは取り除かれていた。

 だが、中腹に並ぶ騎士団の砦は未だ無残なまま。裾野に広がる貴族街も、殆ど復興の手は入っていない。

 

 廃墟と化した街並みを横目で眺めながら、金髪の偉丈夫は物憂げな息を吐く。

 会議では、結局ノマスへの遠征が可決されてしまった。一人慎重論を唱えていたアルモニアであるが、出席した貴族たちのほぼすべてが侵攻論を支持した以上、決定を覆すことは不可能だった。

 そして侵攻するとなれば、イリニ騎士団としても兵を出さざるを得ない。この非常時に、戦力の出し惜しみはできないからだ。

 

 ノマスとの軌道が離れるまで、もう余り時間がない。

 早ければ数日後にでも、遠征へ出立と相成るだろう。

 遠征艇の発着はそれぞれの騎士団が持つ郊外の施設から行われるため、幸いにも各騎士団の船は被害を免れていた。

 

 資材の積み込みは既に指示してある。砦は破壊されたが、それでも本邸や隔離戦場の基地などに物資は十分にある。食料などの消耗品を積み込み、あとはトリオンを限界まで積載する。高機能なトリオンバッテリー「恩寵の油(バタリア)」を有するエクリシアは、他国に比べて大量のトリオンを遠征先に持って行ける。

 

 トリオンが多ければ、それだけ運用できるトリオン兵も増える。

 今回の遠征にあたっては、教会の研究所が作成した新型トリガーも投入される。

 また研究班の不断の働きで、ノマスがエクリシアに持ち込んだトリオン兵のリバースエンジニアリングも完了していた。

 戦闘用トリオン兵クリズリ。並びにヴルフの各種強化形態。

 少数ではあるが、それらのトリオン兵も既に生産が始まっている。製造された分は、全てノマスに持ち込まれるだろう。

 

「お帰りなさいませ。旦那様」

 

 アルモニアを乗せた車両が、イリニ家の邸宅に着いた。

 門前には使用人たちが整列し、当主の帰りを出迎える。緊急時故に不要と申し付けたのだが、長年の習慣はそう容易く止められないらしい。

 

 屋敷は空爆によって建物の一部が崩落していたが、騎士団の砦に比べれば遥かに軽微な損害と言っていい。総トリオン製の建築物であるため、穴の開いた天井、崩れた外壁を治すのは、然程困難な事でもない。

 爆撃によって滅茶苦茶になった室内も、家人によって寝起きに不自由のない程度には片付けられていた。

 

「ご苦労だった。あまり無理はせぬように」

 

 家人に労わりの声を掛けながら、アルモニアは屋敷へと足を踏み入れる。

 そうして家人に先導されて歩きながらも、彼は遠征について思索を巡らせていた。

 イリニ騎士団はトリオン、物資ともに潤沢な備蓄を抱えている。しかし、問題は遠征に投入する人員だ。

 

 先の防衛戦で最も人的被害が大きかったのはイリニ騎士団だ。

 (ブラック)トリガーの担い手たるテロス・グライペイン、メリジャーナ・ディミオス両名も重傷を負い、未だに意識が戻らない。

 彼らが所持していた「光彩の影(カタフニア)」と「灼熱の華(ゼストス)」は、遠征に当たってフィロドクス騎士団に貸与されることになった。イリニ騎士団には他にも(ブラック)トリガーの適格者はいるが、彼らの内、経験豊富な者たちは軒並み負傷している。

 

 加えて、ノーマルトリガーの人員も不足気味だ。

 実力的にテロス、メリジャーナに次ぐネロミロス・スコトノは、防衛戦では怪我こそ負わなかったが、敵のトリガーによって精神に不調をきたしている。

 

 また彼だけではなく、騎士たちの多くが大なり小なり傷を負っていた。

 これも全て、騎士たちの勇敢さと敢闘精神の証明ではあったのだが、それ故に遠征に投入できる人材が払底している。

 個人の武力で敵を圧倒するエクリシアの戦術では、技量未熟な者は却って足手まといになる。遠征に選ばれるからには、単騎で敵の集団と伍する実力が求められる。

 

 いっそ、トリガー使いを減らしてその分トリオン兵を持ち込むか。

 そんなことを考えているうちに、アルモニアの足が止まる。彼を先導していた家人が、屋敷の一画で立ち止まったからだ。

 彼の前には、中庭へと続く扉がある。

 

「……あの子に、変わりは無かったか」

「はい。お嬢様は、未だ塞ぎこまれております……おいたわしい」

 

 硬い声音で尋ねるアルモニアに、家人が恐縮して答える。

 ある意味では、今最も彼を悩ませている存在が、この扉の先にいるのだ。

 

 

 

 

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