WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の五 開戦 機動城塞都市

 空の青と草原の緑に別たれた天地が、遥か彼方まで広がっている。

 地平から登ったばかりの太陽が、穏やかな光で世界を照らす。

 狩猟国家ノマスに、新しい一日が訪れた。

 

 時刻は早朝。人々は未だ夢から覚めておらず、ただ吹き抜ける風だけが、夜気を地平の彼方へと運んでいく。

 人々が日々の営みを始める前の、ほんのわずかな静寂の一時。

 しかしこの日、ノマスの安らかな睡眠は、荒々しい来訪者によって妨げられることになった。

 

 雷雲の直中に飛び込んだような、凄まじい放電音が轟く。次いで、緑の大地に、青の空に、漆黒の風穴が空く。

 ノマスの大地に現れたのは、侵略者が開いた(ゲート)だ。

 その数は見る間に増加し、早くも数十を超えた。

 

 そして漆黒の風穴から姿を覗かせたのは、甲冑のような白い外皮をした大小様々の異形――近界(ネイバーフッド)における戦場の主役、トリオン兵である。

 陸を、そして空を埋め尽くさんばかりに展開するトリオン兵の群れ。

 

 聖堂国家エクリシアによる、ノマスへの逆襲が始まったのだ。

 

(ゲート)展開に成功。イリニ騎士団、ゼーン騎士団も順次トリオン兵を送り込んでいます」

 

 フィロドクス騎士団の遠征艇。

 戦闘指揮所で戦況をモニターしながら、エンバシア・カナノスがそう告げる。

 指揮所の投影モニターでは、千を超えるトリオン兵が草原を踏みしめ、ノマスの機動城塞都市目がけて進軍を始めている。

 

「さて、まずは小手調べと行こうか。情報収集を第一とせよ。委細漏らさず全て記録するのだ」

 

 冷厳にそう指示するのは、フィロドクス家の長子ジンゴだ。

 エクリシアの全国力を注いでのノマス侵攻。緒戦は敵勢の戦力を図るのが定石だ。膨大の数のトリオン兵を投入したように見えるが、まだまだ兵力は十分に残している。この一戦でノマスの戦力の底を見抜き、本格的な攻略作戦を組み立てる。

 

「何だよ兄貴、まだ出ちゃ駄目なのかい?」

 

 軽薄な口調でそう告げるのは、二男のカスタノだ。

 三大騎士団がそろい踏みしての侵攻だが、未だにどの騎士団もトリガー使いはノマスに送り込んでいない。

 エクリシアの主力トリガー「誓願の鎧(パノプリア)」は堅牢な装甲と凄まじい機動力を有するが、継戦能力に一抹の不安がある。緒戦から用いるよりは、ここぞという局面で集中投入するのが適切な運用方だ。

 

 加えて、今回の遠征にはエクリシアの(ブラック)トリガーが七本投入されている。これらのトリガーは「誓願の鎧(パノプリア)」との併用が可能なため、その戦力は正に一騎当千である。

 トリオン兵によってノマスの備えが明らかになれば、(ブラック)トリガーの猛威に訴えて無理やりにでも敵陣を切り崩すことも可能だろう。それまで、敵にはなるべくこちらの手札を見せないほうがいい。

 

「敵も兵を繰り出してきたようじゃ。さて、どれほどトリオンを残しているか……」

 

 指揮所の最奥に座る老人、クレヴォ・フィロドクスがモニターを眺めながらそう言った。

 

 ノマスは(ゲート)誘導装置の開発には成功していないものの、(ゲート)遮断装置はそれぞれの機動都市に配備されている。

 機動都市から半径数キロ圏内は(ゲート)の展開が不可能な為、トリオン兵団が都市に取りつくまでは多少の時間がかかる。

 その隙に、ノマスも迎撃態勢に移ったようだ。一塊になった三十余りの巨大な機動都市群から、トリオン兵が次々に現れる。

 

 だが、その数はエクリシアの先兵には遠く及ばない。

 エクリシアへ攻め入った際に、ノマスが用いたトリオン兵の数は大国の尺度を以てしても桁違いであった。やはり相当無理をしてトリオンを捻出したのだろう。敵のトリオン備蓄は、そう多くないのかもしれない。

 

「はっ、おいおいそんな数で大丈夫かよ。ヤル気あるのか?」

 

 展開する敵兵を見て、カスタノが鼻で笑う。

 見たところ、敵が繰り出したトリオン兵はモールモッドやバンダーなどの汎用型が殆どで、聖都で騎士を苦しめたクリズリなどの高コストトリオン兵の姿はない。

 ノマスのトリオン兵は近界(ネイバーフッド)でも指折りの性能を持つが、こと汎用型ならそこまでの差はない。このまま当たれば、数に勝るエクリシアのトリオン兵団が優勢だろう。

 

 緑の海をかき分けて、トリオン兵団が進む。

 一足先に、紺碧の空では空戦型トリオン兵同士の戦闘が始まった。これも、数ではエクリシア側が勝っている。制空権を確保できれば戦の趨勢は決まったも同然だ。

 

 とその時、エクリシアのトリオン兵団を待ち受けるように、ノマスの軍団の足が止まった。

 狙いは明らかだ。過去の交戦データを参照するに、敵の兵団は機動都市からの射撃圏内に留まっている。都市群からの援護砲撃で、数の不利を補う考えだろう。

 

「構わない。このまま一当てさせろ」

 

 指揮を執るジンゴは冷静にそう言う。

 ノマスのトリオン備蓄が潤沢でないのは確定的だ。都市に住む市民らがトリオンを供出しているだろうが、決して無限と言う訳ではない。長距離の砲撃は特にトリオンを喰う。限りある資源を浪費させるのは悪くない。

 モニターの向こうで、二大国のトリオン兵団が激突を始めた。すると、

 

「――っ! 都市群に動きあり! これは……戦場より離脱を始めました!」

 

 家令のエンバシアが緊迫した声でそう叫ぶ。

 戦局を映しているモニターを見れば、ノマスの機動都市を表すマーカーが凄まじい速度で動き始めている。

 それも、前線のトリオン兵団を盾にするようにして、まったく逆方向へと動いているのだ。

 

「……そう来たか。厄介なことになったの」

 

 クレヴォが静かに呟く。

 見れば、敵のトリオン兵団の戦い方は消極的だ。自らは攻めかからず、エクリシア側のトリオン兵の攻撃をいなすようにして防戦に努めている。

 遅まきながらノマスの意図を悟ったジンゴとカスタノも、揃って顔を顰める。

 ノマスはエクリシアとまともに戦わず、時間切れを狙う戦略を取ったのだ。

 

「くそ、臆病者どもめ」

 

 思わず、ジンゴが悪態をつく。

 此度の遠征でのエクリシアの作戦目標は、神の候補者の獲得である。

 ノマスに痛撃を与えればこの上無い戦果だが、それは飽く迄副目標であり、ノマスの支配や占領は考えられていない。

 

 ノマスは征服するのが極めて困難な国である。(マザー)トリガーが国土の中心に無く、しかも徹底的に秘匿されているという特殊な国情の為、国を屈服させるには最後の一兵までをも倒さねばならない。当然、その戦闘に掛かるコストは膨大で、また殲滅戦となれば敵方に大量の(ブラック)トリガーを生成される恐れがある。

 

 その為エクリシアが立てた基本方針は、機動都市の幾つかを擱座させ、そこに住む住人たちを人質にして、ノマスに神の候補者を出すよう取引を迫るというものであった。

 敵の機動都市が羊のように群れているなら、その中の弱い個体を狙えばいい。

 勿論ノマスは徹底抗戦するだろうが、一騎当千の騎士たちを以てすれば、機動都市の一つや二つは楽に攻め落とせる筈であった。

 しかし、ノマスはエクリシアとの交戦を避け、全力で逃走を開始したのだ。

 

「イルガーを投入せよ。敵の足を止めるのだ」

 

 ジンゴがエンバシアにそう命じる。

 この展開を想定していなかったエクリシアではないが、それでも虚を突かれた感は否めない。

 ノマスの立場に立てば、なるほど理にかなった戦略である。

 

 兵を派遣していられるのは、お互いの星が接触軌道上にいる間だけで、それを過ぎれば本国への帰還ができなくなる。既に最接近を過ぎた今、エクリシアに残された時間は多くない。トリオン備蓄に乏しいノマスとしては、真っ向衝突を避けて時間切れを狙う方が被害を抑えられると判断したのだろう。

 或いは、エクリシアへの侵攻を遅らせたのも、最初からこの防衛策を踏まえての戦略だったのかもしれない。

 

「ふん、無駄な事を……一つでも都市を潰せば、こちらの勝ちだ」

 

 モニターを睨みながら、ジンゴが不快気に鼻を鳴らす。

 敵が逃げを打ったところで戦略は変わらない。都市を運行停止にすれば、それで中の市民は捕まえられる。共同体意識が極めて強いノマスの気質から考えれば、まさか同朋を見捨てて逃げることはしないだろう。

 

 ノマスの機動都市はその巨体故に相当な速度で移動でき、陸戦型トリオン兵では追いつくことができないが、それでも空中を飛行するトリオン兵からは逃げられない。

 すでに爆撃型トリオン兵オルガを搭載した多数のイルガーが、自爆モードで都市群に追いすがっている。

 いくら堅牢な都市とはいえ、イルガーの爆発に巻き込まれては足を止めざるを得まい。そして動きが止まれば、エクリシアの描いた絵図面通りに戦局は進む。だが、

 

「――っ! 敵の新型トリオン兵を確認、イルガーが堕とされます!」

 

 ノマスは対応策を用意していた。

 空中を猛進するイルガーの群れに、ひし形をした平たいトリオン兵が挑みかかる。

 機動都市の上空を旋回するこれらのトリオン兵は、ノマスが開発した新型空戦用トリオン兵レイだ。

 

 空対空戦闘に特化してデザインされたレイは、同じく飛行型トリオン兵バドとは比べ物にならない格闘能力を持つ。

 レイは高空を縦横無尽に飛び回り、目まぐるしい機動でエクリシアの空戦トリオン兵に襲い掛かる。主武装である側面の鋭利なブレードで、すれ違いざまにバドを切り裂いて撃墜する。

 流石に重装甲のイルガーには歯が立たないが、腹びれや尾びれなど、操舵に必要な個所を狙って切り裂いていく。これによって制御を失ったイルガーは、都市に命中することなく虚しく地面に吸い寄せられていく。

 

 都市から飛び立つレイは引きも切らず、エクリシアの空戦部隊を次々に撃破していく。

 のみならず、機動都市群は上空に向けて凄まじい対空射撃を敢行した。

 レイの迎撃から何とか逃れたイルガーも、空を覆わんばかりの濃密な弾幕を前にしては形無しだ。

 結局、エクリシアが投入した空戦部隊は、ノマスの機動都市に何の損害も与えられずに全滅した。

 

「敵地上部隊の殲滅を確認。ですが……」

 

 空中戦に注視しているうちに、地上戦も一先ずの終結を見たようだ。

 こちらは流石にエクリシアの軍勢が勝利をおさめたが、それでもほぼ同数のトリオン兵が破壊されている。総数で勝っていたのだから、手放しの勝利とは言い難い。

 そして敵勢を打ち破ったとはいえ、陸戦型トリオン兵の速度では、逃げ回る機動都市に追いつくことができない。

 

 エクリシアの中で逃走に徹する機動都市に迫ることができるのは、空戦型トリオン兵を除けば「誓願の鎧(パノプリア)」を纏った騎士のみ。

 しかし、トリオン兵の援護がない状況で、敵の拠点に突撃を仕掛けるのは余りにリスクが高い。いくら一騎当千の騎士たちといえども、ノマスの全兵力を相手にしては、勝ち目は皆無に等しい。

 

「やはり、ノマスの技術力は侮れんな……さて、次の手はどうするね?」

 

 想定外の苦戦に沈黙が立ち込めるブリッジ。クレヴォだけが、まるで他人事のような口ぶりでそう言った。

 実際の所、ノマスを戦闘に引きずり込む手立ては今の所見当たらない。それほどまでに水際立った逃亡だった。

 

「……イリニ、ゼーン騎士団と通信を繋げ。善後策を協議する」

 

 ジンゴは渋い口調でエンバシアに命令すると、シートに背中を預けた。

 手をこまねいている間にも、貴重な時間は過ぎていく。

 エクリシアとノマスの軌道が離れる前に、果たして敵を捉えることができるのか。

 ジンゴは渋面を浮かべ、草原の彼方に消え去る巨大都市群を睨みつけた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 果たして、エクリシア遠征部隊は機動都市群を捕捉することができなかった。

 

 ノマスの草原に点在する丘陵。その一つが要塞と化している。

 簡素ではあるがトリオン製の防壁が丘を取り囲み、地面を削って造られた塹壕が何条も張り巡らされている。丘の内部は掘削され、トリオンによって即席の戦闘指揮所と、物資集積所が設けられていた。

 

 緒戦でノマスの機動都市群にまんまと逃げられたエクリシアは、ここに至って持久戦を覚悟し、敵地で野戦築城を行ったのである。

 敵からの襲撃のリスクや、撤退時の円滑さを考慮すれば、停泊させた遠征艇から兵を繰り出す方がいい。

 

 しかし現在、遠征艇は全て本国へ向けて帰還している。ノマスの機動都市群を攻略するにあたって、追加の人員と武装、そしてトリオンを補給しに戻ったのだ。

 補給部隊の指揮はゼーン騎士団のニネミアが執っている。手続き上、教会にも話を通さねばならないため、総長の誰かは本国に戻らねばならない。

 そして丘の内部、簡単な区分けが為されただけの部屋の一つで、イリニ騎士団の面々が会議を行っていた。と言っても、参加者は僅か二人だけである。

 

「さて。実際の所、あのデカブツをどう攻略するね?」

 

 開口一番、うんざりした調子で言葉を発したのは、ドクサ・ディミオスである。禿頭の男性は粗末な椅子に腰かけ、対面に座する上官へ問いかける。

 

「ともかく、敵の足を止めねば話にならない。とはいえ、あれだけの質量を持つ集団だ。まともに当たったところで勝ち目はないだろう」

 

 眉根を寄せて沈鬱に呟くのはアルモニア・イリニだ。

 遠征に選抜された他の騎士たちは基地の整備に走り回っている。二人だけで秘密裏に会議を行うなら、今の内だ。

 

「何か、いい案はあるかね?」

「思い浮かべばもう話している」

 

 実際の所、ノマスの機動都市を堕とすのはかなりの難事である。

 圧倒的な装甲と質量を持つ都市が、三十余りも群れているのだ。近寄る敵にはハリネズミのように砲撃を加え、精強なトリオン兵団が常に護衛についている。

 しかも、彼らは徹底的に交戦を避け、広大な草原を逃げ回るのだ。

 機動都市は巨体故に足も速いため、追いつくことさえ一苦労である。

 

「隘路への誘導や、足止めの策は?」

「難しいな。相手も警戒している。孤立の危険がある場所には近づかない」

 

 あれから何度か攻撃を仕掛けているが、全て躱されてしまった。ノマスは本拠地の利点を大いに生かし、エクリシア勢を翻弄し続けている。

 

(マザー)トリガーの位置が分かれば簡単なんだがな……」

 

 と、ドクサが忌々しげにぼやく。

 ノマスがこうまで逃げに徹していられるのも、(マザー)トリガーの徹底的な隠匿のお蔭だ。もし所在を突き止めることができれば、エクリシアは望み通り正面切っての全面戦争を始めることができるだろう。

 

「補給物資が来るまで、今しばらく時間がある。何か上手い手立てはないか、他の騎士団とも検討してみよう」

 

 アルモニアはそう言って、こめかみを指で突く。

 機動都市群に挑みかかるには、どうあっても大量の兵力がいる。どちらにせよ、行動を開始するのはニネミアが本国から戻ってからだ。

 二人は揃って固い表情のまま、鉛のように重いため息をついた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 その夜。エクリシアが築いた堡塁に、音も無く忍び寄る集団があった。

 隠密トリガーによってガラスのように透明化し、完全に闇夜に溶け込んだ集団は、張り巡らされた警戒網を容易く潜り抜け、空堀を飛び越え防壁を駆けのぼる。

 彼らはノマスの戦闘部族、ルーペス氏族の戦士たちだ。

 

 そろって隠密トリガー「闇の手(シカリウス)」を起動した二十人余りの部隊が、足音一つ立てずにエクリシアの堡塁と忍び込んでいた。

 彼らは何の感知も受けずに施設内部へと続くハッチまで辿り着くと、手元から別種のトリガーを取り出し、壁面に貼り付けた。

 これはノマスが開発した潜入用の装置で、トリオン製の壁や床をある程度の厚さまでなら一瞬で溶かすことができる。

 

 ブン、と小さな音がなり、壁面に直径二メートル足らずの穴が開く。

 ルーペス氏族の戦士たちは透明化を維持したまま、施設内へと立ち入ろうとする。次の瞬間、

 

「――!」

 

 壁面をぶち破って現れた漆黒の巨腕が、ノマスの戦士たちを紙屑のように殴り飛ばした。

 

「――っ」

 

 奇襲を受けたルーペス氏族の戦士たちは、一斉にその場から大きく散開する。

 巨腕の直撃を受けた戦士たちは一瞬でトリオン体を破壊され、勢い余って施設を取り囲む防壁に叩き付けられた。咄嗟に防御姿勢を取ってはいたが、交通事故にも匹敵する衝撃である。よしんば即死を免れたとしても、重傷は間違いないだろう。

 

「そちらから出向いてくれて助かるよ。とはいえ、不埒なこそ泥には灸をすえてやらんとな」

 

 施設の壁面を打ち砕き、漆黒の巨腕が夜空に浮かび上がる。

 エクリシアが有する(ブラック)トリガーの一本「金剛の槌(スフィリ)」。その担い手ドクサ・ディミオスが、悠然と屋外へ姿を現したのだ。

 ドクサは口の端に笑みを浮かべた飄々たる面持ちで、しかし双眸には燃え盛る闘志を露わに歩み出る。

 彼にとって、ルーペス氏族の戦士は娘と娘婿の仇だ。復讐に燃える古強者は、姿なき襲撃者を睥睨する。

 

「――!」

 

 強敵の出現を前にしても、ルーペス氏族の戦士たちには寸毫ほどの動揺もなかった。彼らの命は故国に捧げられている。我が身かわいさに任務を放棄する者はいない。

 彼らは短い無声通信を交わすと、見事な連携でドクサに襲い掛かった。

 

 どのようにして潜入を察知したのかは定かではないが、流石に「誓願の鎧(パノプリア)」を纏う時間は無かったらしい。(ブラック)トリガーは強力無比だが、鎧さえなければ、「闇の手(シカリウス)」でも十分に致命傷を与えることができる。

 

 むしろ、ここで(ブラック)トリガーの使い手を殺すことができれば、それは二十人の部隊が全滅したとしてもお釣りがくる戦果となる。

 四方八方から連携して襲い掛かる不可視の刃。いかな達人といえども防げまい。だが、

 

「消え失せい木端どもッ!」

 

 怒声一喝。疾風の如き速度で振り回された漆黒の双腕が、飛びかかった戦士たちを残さず打ち据え、吹き飛ばす。

 

「――っ!」

 

 トリオン体を失い、襤褸切れのように地面に倒れ伏す戦士たち。

 今度は流石に、彼らの表情にも驚愕と焦燥の色が浮かんだ。

 ドクサは明らかに隠密状態の戦士たちを捕捉している。「闇の手(シカリウス)」の透明化には多少の難があり、動いている最中には輪郭が明らかになってしまうが、それでもこの闇夜で、しかも複数の標的を同時に捌ける筈がない。

 

「……っ!!」

 

 そこまで思いを巡らせて、ようやく彼らも絡繰りに気付いた。エクリシアの基地に、いつの間にか霞が立ち込めている。

 この霧は只の水蒸気ではない。エクリシアが有する(ブラック)トリガー「光彩の影(カタフニア)」によって散布された微細なトリオン粒子だ。

 

 撒き散らされたトリオンの霧は、一帯のあらゆるトリオン活動を子細に暴き出す。

 レーダーを無効化し透明になる「闇の手(シカリウス)」でも、人型の物体が其処にあることまでは隠せない。

 ルーペス氏族の戦士たちは、エクリシアの堡塁に侵入した時から、或いはそれ以前から存在を捕捉されていたのだろう。

 そしてその情報は、視覚情報としてドクサに共有されていた。だからこそ、彼は不可視の襲撃者を一掃できたのだ。

 

光彩の影(カタフニア)」の幻惑結界。戦闘能力は皆無だが、その特殊性故に、ノマスでは最大限の警戒を要するとされていたトリガーだ。

 エクリシア防衛戦にて潜入部隊に痛手を蒙った騎士たちは、ノマスの隠密トリガーに徹底的な対策を講じていた。二度と同じ轍を踏むつもりはない。

 

「――!」

「逃すかっ!」

 

 ルーペス氏族の戦士たちの判断は迅速だった。潜入が失敗に終わったとみるや、彼らは即座に撤退行動へと移った。

 地に伏した兵たちを抱きかかえ、不可視の戦士が後退を始める。

 無論、それを見逃すドクサと、エクリシアの騎士たちではない。

 

 堡塁の防壁を飛び越えようとした戦士たちを銃弾の雨が襲う。いつの間にか「誓願の鎧(パノプリア)」を纏ったエクリシアの騎士たちが上空へと展開している。

 彼らは仲間を連れて逃げるノマスの戦士たちに、遠慮会釈のない苛烈な攻撃を加え始めた。ここで捕虜を得ることができれば、こう着した都市攻略戦の新たな糸口になる。

 

 脱兎の如く逃走する戦士だが、頭を押さえられては流石に分が悪い。

闇の手(シカリウス)」は隠密機能に特化するが故に、通常の戦闘体よりも出力に劣る。加えて生身の人間を抱えているのだから、とても飛行能力を有する騎士には敵わない。

 このままでは全滅は時間の問題と思われた。しかし、

 

「――増援か!」

 

 ドクサが忌々しげに吐き捨てる。

 エクリシアの堡塁目がけ、大量のトリオン兵が津波のように押し寄せてきたのだ。その中にはクリズリら、高性能の戦闘用も含まれている。外部に控えていた連中が潜入部隊の救出に動いたらしい。

 即座に堡塁の防衛装置が起動し、押し寄せるトリオン兵に猛烈な攻撃を加え始める。そして騎士たちも、こうなっては兎狩りにかまけていることはできず、トリオン兵の排除に動き出す。

 

「この程度の軍兵で我らを倒せると思うかっ!」

 

 しかし、ノマスの強襲にもエクリシア勢は昂然として応じる。むしろ戦闘を臨んでいたのは彼らの方だ。正面切っての殴り合いなら、エクリシアの精兵に敵う国は無い。

 ドクサは「金剛の槌(スフィリ)」を振り回し、防壁に迫り来る敵を文字通り千切っては投げ捨てる。

 そして「灼熱の華(ゼストス)」を起動したフィロドクス騎士団のエンバシアが、堡塁から砲撃を始めた。

 砲撃型(ブラック)トリガーから放たれる弾丸が、闇夜に巨大な火球を生み出す。

 密集したトリオン兵団は絶好の標的だ。絶大威力の砲撃で、ノマスの軍勢は見る間に数を減じていく。

 

 そうして敵勢が疎らになった間隙を突いて、騎士が上空から突撃を仕掛ける。

 圧倒的な攻撃力を前にして、ノマスのトリオン兵団はあっという間に四分五裂の状態となった。

 そして、騎士たちは統制を失ったトリオン兵には目もくれず、夜闇の更なる奥を目指して飛ぶ。狙いはやはりノマスのトリガー使いだ。

 撤退した潜入部隊の他に、トリオン兵を運用する部隊。これらの兵員を捉えるべく、騎士たちは猛然と敵陣へと切り込んでいく。だがその時、

 

「総員、追撃を中止せよ」

 

 今遠征の総指揮官、クレヴォ・フィロドクスの通信がそれを阻んだ。

 

「地下振動を確認。ワムと推測される。位置座標を転送する。最優先で排除せよ」

 

 エクリシアの堡塁目がけ、捕獲型トリオン兵ワムが押し迫っているのだ。

 ワムは地中を掘り進み、標的の直下から奇襲を掛ける大型トリオン兵だ。地下に潜るため地上からは砲撃が届かない。堡塁にたどり着く前に撃破しなければ、基地内部を蹂躙されてしまう。

 

 しかも、ノマスのワムはレーダー対策を施されており、通常の方法では探知できない。とはいえ、幸いなことにエクリシアは振動から位置を測定することに成功している。騎士が総がかりになれば、地下を掘り進むワムを駆逐することができるだろう。

 

「了解した。直ぐにミミズを叩く」

 

 前線で指揮を執っていたドクサが忌々しげに答える。

 敵がワムを投入したのは、潜入部隊が撤退する時間を稼ぐためだ。それでも、ドクサたちはワムを放置することはできない。仮に陣地に蓄えられた物資、トリオンを失ってしまえば、遠征そのものが続行不可能になるからだ。

 

 やはり、ノマスは時間切れを狙っている。

 堡塁に忍び込んだのも、騎士を倒すためではなく破壊工作を行うためだろう。そうしてエクリシアをトリオン切れにして、本国へと撤退させる腹積もりだ。

 

 悔しいことに、その目論見通りに事は推移している。

 今夜の小競り合いにしても、一見エクリシア側が勝ちを収めたように見えるが、実態は真逆だ。膨大な人口を擁するノマスと異なり、エクリシア側の人員は僅か二十名ほど。現地でトリオンを補給することなど到底かなわない。持ち込んだトリオンが尽きれば、手も足も出なくなる。ノマスはそれを見越して、今後も手勢を送り込んで嫌がらせを続けるだろう。

 

「くそ、敵の思うままに動かされているな」

 

 通信をオフにして、ドクサが独り呟く。

 

「メリジャーナ、テロス……」

 

 娘と娘婿の復仇を。その一念で彼はこの戦場に臨んでいる。

 エクリシアの未来も、貴族としての義務も建前に過ぎない。

 親しき者を害された。その恨みと怒りを晴らすことが、この戦いの意義なのだ。

 未だ戦闘音が鳴りやまぬ夜闇の中に、ドクサは躊躇なく飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

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