WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

6 / 95
其の五 防衛任務

 雲一つない晴天の下、緑の草原が風に波打っている。

 可憐な野花には蝶が舞い踊り、小山のような牛はそこかしこで草を食んだり、のんびりと寝転がったりと、実に牧歌的な風情が漂っている。

 聖都より遠く離れた農場の、いつもと変わらぬ長閑な風景。

 

 その隣を、巨大な人工物が通り過ぎていく。

 農場に面した広い幹線道路を走っているのは、二十メートルを超えるトレーラー型のトリオン輸送車だ。

 

 そしてその前後左右を囲むように、無骨な造りの兵員輸送トラックが走っている。

 車列は沿道を埋めるように長大で、どの車両にもイリニ騎士団の紋章が大きく刻み込まれている。

 先頭を走る兵員輸送トラック、その簡素極まる車内には、年若い従士たちが整然と並んで座っている。その中にはフィリアの姿もあった。

 

 少女は既にトリオン体へと換装し、準戦闘態勢である。

 それもそのはず、これより少女たちは戦場へと向かうのだ。

 他国の侵略者からエクリシアを守るため、彼らは防衛任務に就く。

 

 広大な牧草地を抜け、なおも走り続けるトラック。

 やがて、地面は段々と草木がまばらになり、ごつごつとした岩肌が目に付くようになる。

 

 そこからさらに車を進ませると、もはや生き物の気配も感じられない荒涼とした大地が果てしなく広がっている。

 聖都から遠く離れたこの場所は、名をリスィ平野という。

 エクリシアに侵攻してきた諸外国を迎撃するための、大規模な軍事拠点だ。

 

 平野内に点在しているトリオン製の堅牢な建物は、それぞれの騎士団が持つ基地である。

 その中の一つ、イリニ騎士団の基地で車両の群れが停車する。

 

「各員降車。物資搬入に掛かってください」

 

 普段の優しげな物言いとは打って変わって、メリジャーナが威厳に満ちた声で従士たちに下知を飛ばす。

 まず初めに、基地内へ補給物資を運び込む。

 戦闘区域からは多少の距離があるが、基地は一般人の立ち入りを禁止している。戦闘以外の日常生活すべてを、従士は自分たちの手でこなさねばならない。

 

 だが、硬いシートに揺られ続けていた若者たちにとって、その程度の運動はむしろ歓迎すべきものである。

 二百人余りの従士たちは一斉にトラックから降りると、機敏な動作で荷物の搬入にかかった。

 そうして作業を終えると、従士たちは基地内の講堂に整列し、隊長のメリジャーナよりブリーフィングを受ける。

 

「現在我がエクリシアの接触軌道上にある国は洋上国家ナウタと農業国マギラス。また未確認の乱星国家が接近中とみられます。ナウタ、マギラスの保有戦力は我が国に及ぶべくもありませんが、総員気を引き締めて防衛に当たってください」

 

 隊長の凛然とした訓示に、従士たちは各々のトリガーを胸元に構え、一糸乱れぬ剣礼で答える。

 

 ナウタ、マギラスともに小規模な国家であり、過去に起きた衝突でもエクリシアが常に優位を占めていた。とはいえ、どの国々でも技術革新は盛んに行われており、弱小国家が一夜にして軍事強国になることは珍しくもない。油断は禁物だろう。

 だが、その二か国に関して言えば、大規模な攻撃を受ける可能性は低いと考えていい。

 

 現在エクリシアでは「神」の候補者を探し出すため、有力貴族は挙って外征を行っている。ナウタには三大騎士団の一角フィロドクス騎士団が、そしてマギラスには我らがイリニ騎士団の精兵が派遣されている。

 それも通常の遠征とは異なり、部隊は当主自らが率い、「(ブラック)トリガー」を投入しての大攻勢を仕掛けている。

 

 (ブラック)トリガー。

 それは優れたトリオン能力の持ち主が、自らの命とトリオンを注ぎ込んで創り出す特別なトリガーである。

 

 希少性もさることながら、(ブラック)トリガーが特別視されているのはその桁違いの性能故だ。通常のトリガーとは隔絶した性能を持つ(ブラック)トリガーは、僅か一本で戦局を塗り替えることができる戦略級の兵器として位置づけられている。

 

 近界(ネイバーフッド)では(ブラック)トリガーの所有数がその国の軍事力の指標になる、と言えば、その超絶の性能も想像しやすいだろうか。

 それらを惜しげもなく投入しての攻撃である。ナウタ、マギラスともに反撃に移るだけの余剰戦力は持ち合わせていないだろう。

 

 しかし、本来は国防の要となる(ブラック)トリガーを国外へ差し向けたため、現在のエクリシアの防備は平時よりも大幅に弱体化している。

 防衛部隊に課せられた責務は重大である。

 

「従士フィリア・イリニ。フィロドクス騎士団、ゼーン騎士団へ着任の挨拶に向かいます。同道してください」

 

 ブリーフィングを終えたメリジャーナが、そう言ってフィリアを呼び止めた。

 

 エクリシアの騎士団は相互不干渉が原則であり、他国との全面戦争など、教会が直接指揮を執るような事態でない限り協調することは滅多に無い。

 しかし、神の代替わりという国家の危局に際してまで、不干渉を貫くのは愚策極まる。

 戦力が心もとない以上、各騎士団が連携して防衛に当たるようにと、三大貴族の当主たちは事前に協定を結んでいた。

 

 メリジャーナとフィリアを乗せた車両が、荒涼とした大地を進む。

 少女の表情はやや硬い。他家の要人との会合に緊張しているのだろう。

 騎士の御付人は従士が務めるのが通例だ。主席のフィリアに声がかかったのは何も珍しいことではない。

 

 とはいえ、ノマスに連なる人間がその地位にいることは極めて異例である。

 特殊な事情ゆえにイリニ騎士団では他者と変わらぬ扱いを受けているものの、フィリアがエクリシアにとって唾棄すべき賤民であることに変わりはない。

 

 特に武闘派で知られるゼーン家は、一年前に家督を継いだ現当主が非常なタカ派として知られている。貧民時代、施し目当てで奉公していたフィリアも、それが原因で屋敷を去らざるをえなくなった。

 サイドエフェクトに頼ってみるが、まず歓待されることが無いのだけは確実である。ともあれ会合の主役はメリジャーナなのだから、己は置物になっていればいいと、フィリアは自分を鼓舞する。

 

「まずはフィロドクス騎士団へ向かいます。現在指揮を執っているのは宰領エンバシア・カナノス殿です」

 

 指揮官らしい威厳に満ちた声でそう説明しながら、メリジャーナは同乗するフィリアに「心配しないで」と優しい目線で語りかける。

 

 防衛部隊を率いる隊長として謹厳に振る舞っているメリジャーナだが、その心配りに満ちた性格は変わらない。

 会合にフィリアを同行させた理由も、少女の行く末を思ってのことだ。

 騎士として叙勲されれば、他家との会合にも否応なしに出席せねばならない。年若い内から雰囲気に慣れさせ、また他家の要人に少女を引き合せるつもりなのだろう。

 

 二人を乗せた車両の前に、広壮な建築物が見えてきた。

 フィロドクス騎士団の基地である。基本的な造りはイリニ騎士団のそれと大差ないが、家風の差だろうか、無骨な構えの中にもどこか雅やかな印象がある。

 

「よく来てくださいましたディミオス卿。直接お会いするのは久方ぶりですが、いやいや一段とお美しくなられた」

 

 応接室にてフィリアたちを出迎えた男性は、フィロドクス騎士団の大幹部、エンバシア・カナノスである。

 年の頃は六十の手前程で、背格好は中肉中背、目鼻立ちもエクリシアの貴族としてはごく平均的な造りで、どちらかといえば地味な印象を受ける。

 とはいえ見かけで判断するのは軽率だ。彼は三大貴族の一角、フィロドクス家に四十年以上も仕え、的確な指揮と政務で当主を支えてきた人物である。その能力の非凡さは語るまでもない。

 

「若輩者ではありますが、全霊を以て祖国防衛の任に当たる所存です。カナノス卿にも、是非お力添えを頂きたく思います」

「それは無論のこと。精強なるイリニ騎士団と轡を並べることができれば、我らとしてもこれほど頼もしいことはありますまい」

 

 典雅な物腰でメリジャーナの要請に応えるエンバシア。そもそも協力体制については当主の間で協定が結ばれている。訪問は顔繋ぎと確認に過ぎない。

 

「ところで、そちらに控えている彼女は……」

 

 協定について二三の確認事項を済ませると、エンバシアは壁際に不動の姿勢で立つ少女に視線を送った。

 

「紹介いたします。彼女は我が騎士団の筆頭従士、フィリア・イリニです」

「フィリア・イリニと申します。拝謁を賜り光栄の至りです」

 

 見事な作法で自己紹介をするフィリアを、エンバシアは興味深げな様子で眺める。

 イリニ家当主アルモニアが迎えたこの奇妙な少女のことは、エクリシア中で噂になっている。

 しばらく好奇の視線に曝されたフィリアだが、エンバシアはそれ以上何も訊ねることはなく、会合は平和裏に終わった。

 

 フィロドクス騎士団を後にした二人は、再び車に揺られること数十分。ゼーン騎士団の基地へと向かう。

 指揮を執るのはゼーン家当主、ニネミア・ゼーンだ。

 

 夭折した先代の跡を継ぎ、僅か十八歳の若さで当主の座に着いた美貌の少女である。

 ニネミアは若年ながらも並はずれた武勇を誇り、先代より受け継いだ(ブラック)トリガーを担って数々の華々しい戦功を挙げた護国の英雄である。

 

 道中、車内でフィリアがこれから訪ねる貴人の来歴を語ると、同席していたメリジャーナは困惑したように美しい顔を顰めた。

 その理由はゼーン騎士団の基地に着くと、すぐに明らかとなった。

 

「ノマスの人間を会議に同席させるなんて、イリニ騎士団は正気なの?」

 

 応接間に通されたフィリアとメリジャーナに対し、開口一番そう言い放ったのは、何を隠そう当主ニネミアその人である。

 

 絹のような黒髪を靡かせ、小作りながらも高く通った鼻梁に凛とむすばれた口元。つり目がちな瞳は紅玉のように赤く輝き、意思の強さを窺わせる。均整のとれた肢体は美しくしなやかで、若々しい活力に満ち溢れていた。

 大国エクリシアでも、稀にみる美女といっていい。

 

 そんな彼女が、嫌悪も露わにフィリアを睨みつけていた。

 容赦のない敵意に、さしものフィリアもたじろいでしまう。それでも少女は勇気を奮って抗弁しようと口を開きかける。その時、

 

「ゼーン閣下、どうか御言葉を撤回していただきますよう。これなる娘はイリニ騎士団の正統なる従士にして、我らが主君、アルモニアの姪御にあたります。彼女への侮辱は、我らの忠義にかけて看過できません」

 

 フィリアを庇うように歩み出たメリジャーナが、硬い声音でそう抗議した。

 ニネミアのあからさまな侮蔑に対し、メリジャーナは普段の温厚な姿からは想像もできない凄烈な怒気を発している。

 肌を刺すようなその迫力に、フィリアは騒動の当事者であることさえ忘れ、小さく身体を震わせた。そして、

 

「……余所の方針にまで口を出したのは謝るわ。撤回するから、その喋り方はよしてちょうだい。気味が悪いわ」

 

 メリジャーナの真剣な抗議が通じたのか、少女は軽く肩をすくめてそう謝罪する。

 

「ニネミア。何度も言ってるでしょう。人は生まれだけで決まるものじゃないよ!?」

「そうやって不穏分子を国内に抱え込むのがどれだけ危険か、分からないあなたではないでしょう?」

 

 お互い随分と気心の知れた間柄らしい。メリジャーナは指揮官としての謹厳な立ち居振る舞いをすっかり忘れ、行状の悪い妹を叱りつけるような調子である。一方ニネミアもフィリアに見せた敵意はどこへやら、妙にむきになった様子で喰ってかかる。

 先ほどまでの剣呑な空気は消え去り、二人の美女は喧しく主義主張を戦わせている。

 発端となったフィリアといえばほったらかしで、ヒートアップする二人を困ったように眺める始末だ。

 

「あの、私は退席したほうがいいのでしょうか……」

「フィリアさんはそこに居なさい。出て行っちゃダメですよ!」

「あら、少しは分を弁えているようね。次の間で控えてなさい」

「っ! あなたはまたそんなことを言って……」

「はぁ……あの、防衛任務の打ち合わせはよろしいのでしょうか」

 

 このままでは任務に支障がでると判断したフィリアは、二人の間に立ってまあまあと宥め役に回る。

 議論の内容は国富を圧迫する貧民問題と、労働力として酷使している諸外国からの虜囚についてと極めて真面目なのだが、いかんせんお互いの距離が近すぎるため感情的になり過ぎている。どことなく弟妹が喧嘩しているのを思い出す有様だ。

 

「――はあ、はあ。……そうね、今すべき話ではありませんでした」

「――ま、まあ、私も少し昂ぶり過ぎたみたいね。貴族として恥ずべき振る舞いだったわ」

 

 ようやく平静を取り戻した二人の美女を、少々あきれた様子で眺めるフィリア。

 

「では隊長。よろしくお願いします」

 

 排外主義のニネミアは自分が同席していては軍事機密を話したがらないだろうと、フィリアは恭しく一礼してから退席しようとする。すると、

 

「待ちなさい」

 

 と、当のニネミアから引き留められる。

 

「あなたがイリニ家の庇護下にあることは知っているわ。メリジャーナの言うとおりなら、恩を感じるだけの情義はあるようね」

 

 紅く輝く瞳は未だに猜疑の色が残っているが、それでも一先ずのところはメリジャーナの言を信じたらしい。

 会議に同席してよいと、遠回しにフィリアに伝える。

 

「……ありがとうございます。ご期待に沿えるよう全力を尽くします」

 

 そうしてようやく会合が行われたが、打ち合わせそのものはごく短時間で済んでしまった。もともと協定内容はお互い承知の上で、メリジャーナもニネミアもこれが初めての席という訳でもない。

 嘘のようにスムーズに会合を終えると、フィリアとメリジャーナは基地に戻るべく再び車へと乗り込んだ。その車内で、

 

「ゼーン閣下とは、御友人なのですか」

 

 あのやり取りを見れば一目瞭然だが、あえてフィリアはそう尋ねた。

 

「うん、そうなのよ。ごめんね、フィリアさん。嫌な気分にさせてしまって……あの子、本当はとってもいい子なのよ。ただ、その……」

「いいえ、私は別に。……お疑いになる気持ちも、分からなくはありませんから。ゼーン家の先代様は、確か遠征先で名誉の死を遂げられたと……」

 

 フィリアの言葉に、メリジャーナが美しい横顔を曇らせる

 

「ええ、その通りよ。昔から他国の捕虜や貧民を良くは思っていなかったみたいだけれど、ここまで意見を先鋭化させたのは、父君を亡くしてからね」

「そうでしたか……」

 

 フィリアとて、母を助けるために騎士団へと志願したのだ。肉親を亡くしたニネミアの怒りと悲しみ、憎しみを理解できない訳ではない。

 元より、フィリアは年齢不相応に大人びているだけで、感情の豊かな子供である。嫌悪を向けてきた相手でも、その境遇を思えば同情心が強く沸き起こる。

 

「……あの子のこと、許してあげてね」

 

 メリジャーナが困ったように弱々しく笑い、フィリアにそう頼んだ。

 

「もちろんです。家は違っても、志を同じくする御味方ですから。……いつか、ゼーン閣下にも認めていただけるよう、誠心誠意励みます」

 

 少女は心優しい隊長に向けて、誠実にそう宣言する。

 事実、フィリアはニネミアへの悪感情など一欠片も芽生えていなかった。

 それどころか、ゼーン家の活躍を応援する気持ちでさえあった。

 ニネミアの他国に対する怒りは、より一層ゼーン騎士団を狩り立て、遠征を強烈なものにするだろう。

 

 新たな神は、どの家から出ても構わない。

 彼女が母に代わる生贄を捕まえてくることを、少女は心から応援していた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 イリニ騎士団の駐屯地に戻ったフィリアはメリジャーナと別れ、兵舎で待機する。

 

 前任の部隊から引き継ぎが済むと、正式に防衛任務が開始となった。

 メリジャーナ率いる騎士の下、彼女たち従士はこの荒野で一か月の間、異国からの侵略者を撃退せねばならない。

 

 防衛任務には、予め決められた班ごとに分かれ四交代であたる。

 フィリアの班は防衛部隊の一番手である。前任部隊から引き継ぎを行うと、程なくして同僚と一丸になって前線へと赴く。

 

 数分ほど歩いて辿りついたのは、岩屑に覆われた荒野に聳える白亜の長城だ。

 陽光を受けて燦然と輝く城壁の内側には、すり鉢状の巨大な窪地がある。

 差し渡しが三キロメートル、高低差は最大で三十メートルはあろうかというこの巨大なクレーターは、教会と騎士団よって作られた戦闘用区画である。

 

 窪地の中には複雑な防御陣地が築かれ、周囲を取り囲む城壁には巨大な砲台が多数設けられている。

 遥か上空から眺めれば、荒野に巨大な白いサークルが現れたように見えるだろう。この場所こそが、エクリシアの国防の要となる「隔離戦場」だ。

 

 白亜の長城には、等間隔に十二本、天を衝くトリオン製の塔が伸びている。

 それらの塔は、(ゲート)の誘導装置である。

 近界(ネイバーフッド)の戦闘では、攻め手側は兵を送り込む際、空間を繋げる(ゲート)トリガーを用いる。しかし、この装置は(ゲート)の展開座標を強引に誘導し、強制的にこの窪地へと出現させることができるのだ。

 交戦地点の決定という敵方の最大アドバンテージを真正面から叩き潰すこの装置は、近界でもごく一部の国しか持ちえない特級の技術だ。

 

 エクリシアに降り立った敵兵は、哀れにも大地を踏んだ途端、砲火と精兵に取り囲まれるのだ。

 そして敵の侵攻場所の限定によって、市民の保護も非常に容易くなった。

 (ゲート)誘導装置の開発以降、エクリシアでは一般市民の死傷者は出ていないことからも、その効果は推して知るべきであろう。まさに救国の発明である。

 

 車両から降りたフィリアたちは、城壁内部の兵員待機所へと移動する。

 城壁内は強度を高める為に極限までトリオンを密集させており、人間の居場所は極端に狭い。それぞれの騎士団が機密を保持したがることもあって、指揮所や兵の宿舎は後方の基地に設けられている。

 

 少女たちは殺風景な待機所で、只々変事が起こるのを待つ。彼らの仕事は今のところ、敵を待つだけだ。

 接触軌道上にいる間、敵国はいつでも攻めて来ることができるが、何も肉眼で監視を行う必要はない。

 (ゲート)が出現する兆候があれば観測機器が真っ先に警告してくれる。機械類の操作、管理は技術班の仕事なので、現状彼らはすることがない。

 

 実働班である従士たちの出番は、敵がエクリシアに攻め込んだその瞬間から始まる。いざ実戦となるその時までは、長い待機時間が続くのだ。

 従士たちの殆どは待機室のベンチに座り、中空に浮かぶ立体投影モニターを眺めたり、手元の情報端末を操作したりしている。

 中空に浮かぶモニター群にはエクリシアを中心とした国家の軌道配置図や、戦闘区域の監視映像、洋上国家ナウタと農業国マギラスの過去の投入戦力などが映し出されている。

 

 また、過去の戦闘の映像記録も公開されているため、従士たちは携帯端末でそれらのチェックに勤しんでいる。

 しかし、従士たちの多くは再度の情報確認を済ませると、眠ったように目を瞑り、座ったまま微動だにしなくなった。壁に背を預けている者や、床に座り込んでいる者もいる。

 

 トリオン体は生身とは違い驚異的な耐久力と持久力を持つが、精神はその限りではない。

 長時間にわたる待機命令はどうしても心理的な負担が大きく、緩みも生まれやすい。

 有事が起こるまで最良のコンディションを保つための瞑想は、騎士団で施される訓練の一つだ。心身の平衡を保ち、如何なる状況にも即応するため、従士たちはただひたすら雑念を追い払い、精神を透明にしていく。

 

 夜のような静寂に包まれる待機所を、一人歩いて出たのはフィリアである。

 彼女は部屋を抜け出すと、人気のない倉庫の一角へと移動する。

 出動命令は城壁内のどこにいても聞こえるため、城壁から出なければ歩き回っても構わない。出撃に遅れれば相応の罰を受けることになるが、よほど遠くに行くか、寝こけてでもいない限りその心配はないだろう。

 

 薄暗い倉庫の中、少女は周りに誰も姿もないことを確認し、十分なスペースがあることを再三確かめると、ブレードトリガー「鉄の鷲(グリパス)」をその手に創出した。

 そして少女はトリオンの供給を止めて刃引きをすると、剣術の型取りを始める。

 騎士団に伝わる正統の武芸、イリニ流剣術だ。

 

 呼吸を整え、トリオン体の隅々にまで意識を張り巡らす。五体が万全に動くのを感じ取った少女は、緩やかに剣を執った。

 薄暗い倉庫内に、剣閃が文目を描く。少女は疾風の如き運足で倉庫内を飛び回ると、迅雷の如き一刀で虚空を薙ぎ払う。

 

 次第次第に、少女の心からは雑念が消え去り、精神が研ぎ澄まされていく。

 従士となったその日から、一日も欠かすことなく剣を振ってきた少女は、僅か一年足らずの間に、イリニ家に伝わる剣術を余すことなくその身に納めていた。

 フィリアには剣の天稟があり、狂気じみた目的意識があった。加えて「剣聖」と謳われるアルモニアから指導を受けられたこともあって、既にその技量はエクリシアでも指折りの高みにある。

 

 静かに、しかし速度と熱量を増していく剣の舞。

 その動きは殺生の集大成でありながら軽やかで美しく、同時に怖気を震う程に激しく呵責が無い。

 型が進むごとに少女の意識は希薄になり、手の中の一刀さえ、その重さを失っていく。

 

 家族を救う大願を立てたその日から、少女の人生は困難の連続だった。他国へと赴き、母の代わりとなる生贄を探すため、ひたすらに力を求め続けた。

 初めて剣を手にした時、フィリアはそれが驚くほど手に馴染んだことを覚えている。

 そしてイリニ流剣術を習った時、その動きの玄妙さ、奥深さに感銘を受けたのも間違いない。

 生来争いごとを嫌う性分に生まれた彼女が、何故こうまで剣に惹かれるのか分からない。

 

 ただ、剣を無心で振るうその時、少女は過酷な人生を暫し忘れることができるのだ。

 

「…………ふう」

 

 永遠に続くかと思われた剣術の修練も、やがては終わりを迎える。

 

 フィリアは呼吸を整えると「鉄の鷲(グリパス)」を床に置き、正座して瞑想を始めた。

 五体を用いて描き出した剣の術理を、今一度肉体に覚え込まさねばならない。

 極限まで磨き上げられた精神の中、少女はもはや自分が何処にいるのかも、どんな任務を課されていたかも覚えていない。

 

 意識は次第に輪郭を失い、自己の在り処さえ定かではなくなる。

 そうして深い瞑想の中に端坐するフィリア。

 彼女の意識を呼び起したのは、事務的な男の声で行われた放送だ。

 

「ああ、もうそんな時間」

 

 フィリアは瞼を開くと「鉄の鷲(グリパス)」を消去した。今しがたのアナウンスは敵の襲来を知らせるものではなく、守備隊の交代時間を知らせるものだ。

 

 結局、今回の任務中に敵の襲撃は無かった。まあ、予見されていたことではある。

 ナウタもマギラスも現在エクリシアが侵攻中であり、反撃するだけの余力は残していないだろう。トリオン兵での偵察もないところを見ると、よほど我が方が押し込んでいるらしい。

 

 少女は急ぎ足で倉庫を出ると、引き継ぎの為に待機所へと向かった。

 ちなみに、少女は八時間もの間、飲まず食わずでトイレにもいかなかったが、これはトリオン体が食物の吸収効率に極めて優れ、食事の回数を抑えられるうえに排泄の必要も殆どなくなるためである。

 トリオン体は戦闘行動を行わなければ非常に長期にわたって活動できるため、補給を最小限に抑えることができる。

 

 けれども、任務を終えて後方の兵舎に戻ったフィリアは、換装を解いて生身の体で休息を取った。これはトリオン体でいる間はトリオン機関が回復しない為である。防衛戦に阿万全の状態で臨むため、休憩時間はトリオンの消費が硬く禁じられているのだ。

 休憩時間とはいえそう暇ではない。食事や風呂、洗濯は集団で行うが、それ以外の身の回りのことは自分で行わなければならない。貴族の子弟は慣れるまでに随分と時間がかかる者もいる。

 

 無論、貧民としての暮らしの方が長いフィリアには無関係の話だが、彼女の場合はそもそも人生に休息そのものが存在しない。

 普通の兵士なら家族と連絡を交わしたり、気晴らしを行ったりと英気を養う一時を、フィリアはひたすら愚直に修練へと当てる。

 

 国土防衛の最前線だからこそ、得られる知識も膨大で貴重なモノばかりだ。少女は私用を僅かの内に片付けると、あとは自発的な手伝いと称して様々な部署に顔を出している。

 防衛の要である誘導装置を始め、各種砲台やトラップの維持管理。トリオン兵の製造と行動のプログラミング。また、騎士団全体に関する運営システムなど、知らなければならないことは山ほどある。

 

 当然、部外者の立ち入りを喜ぶ者などおらず、それもノマスの血に連なる者ならなおさらだ。しかしフィリアは顰蹙を買わぬ程度にイリニ家の名前をチラつかせ、反感を無視して入り込んでいた。

 

 これは以前の防衛任務から行っていたことであり、そのため今ではフィリアの手伝いを咎める者もいなくなっていた。彼女の仕事は出しゃばりが過ぎず、よく気が利いていて、およそ手伝いとしては非常に優秀であったことも、受け入れられた要因だろう。

 そして礼儀正しく熱意に溢れ、どんな技術も貪欲に学ぼうとするフィリアの姿は、彼女の血筋に嫌悪を持つ人々の心を、少しずつだが確実に解きほぐしていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 そうして、着任からはや一週間が過ぎた。

 敵の襲撃は二回だけで、それもトリオン兵のみを用いた小規模な偵察行動のみである。

 いずれもフィリアの受け持ち時間の出来事ではなかったが、その程度の攻撃で損害を出すようなエクリシアではない。

 

 トリオン兵は即座に殲滅され、また残骸を解析した結果から、送り込んできた国はナウタであることが分かった。

 エクリシアの防備の偵察と、後方のかく乱を狙った派兵とみられるが、騎士団の苛烈にして徹底的な迎撃を受けては、何の成果を上げることもできない。

 

「各種テスター異常なし。これで最後ですね」

 

 そんな情勢の中、フィリアは今日の休憩時間も基地には戻らず、技術班の男性たちに混じって城壁に据え付けられた砲台の稼働チェックを行っていた。

 

 防衛の主力は各騎士団の騎士、従士たちだが、戦闘区域内にはトラップが敷き詰められており、またクレーターの外縁部には自動砲台がずらりと設置されている。

 砲撃はトリオン消費が大きいため、小規模な戦闘では用いられないが、敵を頭上から一方的に攻撃できるこの兵器は驚異的な殲滅力を誇り、いざという時の切り札になる。

 

「すみません。では先にお昼を済ませてまいりますね」

 

 一通り作業が終わったところで、少女は周囲に頭を下げてトリオン製の堡塁を駆け下りる。見送る職員たちからは、控え目ながらも礼の言葉が投げかけられた。

 共に仕事をするようになってから、職員たちのフィリアに対する態度は目に見えて改善されている。だが、

 

「……御恵みを与えたもう我らが神に、感謝の祈りを捧げます」

 

 基地の食堂にて、昼食を受け取り席に着いたフィリアは、小さな声で食前の祈りを唱えていた。

 食堂は大して広くもなく、昼食時には多数の従士たちで混雑するのだが、フィリアの周囲には誰も座ろうとしない。

 

「……」

 

 従士たちが少女に向ける不信感、嫌悪感は一向に改まることはなかった。

 流石に入団当初のように露骨に絡んでくることはなくなったが、それでも時折故無く睨まれるし、すれ違いざまに舌打ちが聞こえることもある。

 従士たちの年齢が総じて若いことも理由の一つだろう。正義感に溢れ、未だ視野の狭い若者にとって、ノマスの名は邪悪と同義である。

 

 しかし、この居た堪れない空気を作りだした最大の原因は、フィリアの方にこそある。

 驚くべきことに、この少女は一年間、同僚である従士たちと殆ど口を利いたことが無い。

 別に彼女は極端な口下手という訳でもなく、人並み以上の教養も持ち合わせている。

 その証拠に、メリジャーナやテロス、技術班の職員のように、直接応対した者たちからは、悪い印象を払拭することに成功している。

 

 ならばなぜ、フィリアは関係改善のため同僚に歩み寄らないのか。

 その理由は簡単だ。彼女にとって益が無い。

 歩み寄り、言葉を交わし、お互いの意見を交換し合えば、確かに人間関係は新たな段階へと進む。物別れに終わることもあれば、友愛の情が生まれることもあるだろう。

 そうすれば、きっと少女を取り巻く環境は良い方向に変化する。フィリアの心に安息と喜びをもたらすこともあるだろう。

 

 だが、それは母を救う助けにはならない。

 この世界を支配し、事象全てを動かすのは、個々人の雑多な感情などではなく、純然たる「力」そのものである。

 思いは、力にはならない。

 

 感情で世界が変わるなら、母を失う定めを負った少女の悲痛が、なぜ何の影響ももたらさないのか。

 

 少女が敢えて悪評をそのままにしているのは、単純に改善する必要を感じていないからだ。歪な合理主義、苛烈なまでの目的意識をもつ彼女にとっては、自らの感情さえどうでもいい事柄に過ぎない。ましてや他者の思惑など、まさしく知ったことではない。

 

「……」

 

 少女は黙々とパンをちぎり、口へと運ぶ。消化を助けるため丁寧に咀嚼し、嚥下する。

 機械作業のように淡々と料理を平らげていく少女からは、食の喜びなどまるで感じられない。味さえ感じていないかのような無表情は不気味でさえある。

 こんな姿が悪評に繋がっていくのだが、無論彼女には何の関心も無い。一刻も早く栄養補給を終えて、訓練を再開することだけを考えている。すると、

 

「未知の国家が接触軌道圏内に入った。各員警戒を強めたし」

 

 と、食堂に放送が流れる。

 エクリシアに近づく三つの国家の内、正体不明であった乱星国家が、とうとう兵を送り込める距離にまでに迫ったのだ。

 

「――」

 

 昼食を楽しんでいた従士たちが一斉に表情を強張らせる。情報がある程度揃っているナウタ、マギラスとは異なり、この乱星国家は全く戦力が読めない。

 エクリシアほどの軍事力をもつ可能性は低いが、それでも遠征に戦力を裂いている現在、戦闘となれば苦戦を強いられる恐れがある。

 

「……」

 

 従士たちが口々に展望を論じる緊迫した空気の中、フィリアだけは黙々とスプーンを動かし、食事を平らげる。

 そもそも、すぐに戦闘が起こるという可能性はそう高くない。

 こちらに情報がまったく無いということは、向こうも同じと考えていい。

 

 相手国がどのような政体かは知らないが、国力も分からない相手にいきなり戦争を仕掛けるなど、通常はまずありえない。まずは儀礼的な接触か、強行に出てもトリオン兵での偵察程度だろう。

 

 それでも大規模な戦闘が起こるとすれば、接触軌道を抜けるギリギリの日程で仕掛けてくる可能性が高い。

 定期的に接近する惑星国家同士ならともかく、乱星国家はその性質上、捕虜を奪っての逃げ切りができる。国が離れすぎれば艇を飛ばすこともできない。反撃に移ろうとしても、二度と機会が巡ってこない可能性がある。

 

「ありがとうございます。美味しかったです」

 

 フィリアは食器を返却すると、騒がしくなってきた食堂を後にする。

 これで接触軌道上にある国家は三つに増えた。防衛計画はそれを踏まえて立てられているが、一層気合を入れて任務に取り組まなければならないだろう。

 

 少女は颯爽とした歩みで基地を出て、城壁内のトリオン兵保管倉庫へと向かう。この時間はトリオン兵の動作チェックを行っている筈だ。後学のために立ち会わせてもらおう。

 城壁の上に登ったフィリアは、眼下に広がる巨大なクレーターを眺めながら、堡塁を繋ぐ通路を歩く。

 するとその時、突如として彼女の脳にサイドエフェクトの警鐘が鳴り響いた。

 

(まさか、そんな!)

 

 愕然とした様子で空を仰ぐフィリア。

 その瞬間、雲一つない青空に黒い点が次々と浮かび上がった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。