WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の六 開戦 争いの連鎖

 遠征部隊が遠い異国で苦戦を強いられている頃。

 エクリシアの聖都では、騎士団による懸命な復興活動が夜を日に継いで行われていた。

 フィロドクス騎士団のオリュザも、多忙な日々を過ごしている。ノマス遠征に参加できなかった彼女は、本国での復興指揮を執っていた。

 

 只でさえ人員が不足しているのに、遠征に大量のトリオンを投入してしまったために、作業は捗々しくない。それでも彼女は、一日でも早く国を立ち直らせ、市民に生活を取り戻させようと日夜精勤している。

 

 その鬼気迫る働きぶりは、ノマスへの復仇が叶わなかった悔しさを誤魔化すためだ。

 それでも、彼女は決して不貞腐れるようなことはなかった。

 国元には、助けを求める多くの人がいる。自分がすべきことは山ほどある。

 

 ただ、殺人的なスケジュールの中でも、休息の時間は必要だ。

 どれ程振りかで半休を貰ったオリュザは、友人の家を訪ねていた。

 フィロドクス家に勝るとも劣らぬ大邸宅は、エクリシアの大貴族イリニ家の屋敷だ。

 オリュザは長らく会えていなかった友人、フィリア・イリニを見舞うため、邸宅の門を潜った。

 

「……それほど、フィリア様のお加減は悪いのですか」

 

 使用人に案内されてイリニ邸を進むオリュザは、少女の容態を知らされると、思わず端正な顔を曇らせた。

 聖都防衛線では赫々たる戦果を挙げたフィリアが、どうしたことかそれ以降は全く公の場に姿を現さないことは、市井でも噂になっていた。

 

 勿論、ノマスへの遠征にも不参加である。

 オリュザも少女が不調を来たしていることは人づてに聞いていた。しかもそれが肉体の負傷ではなく、精神的なモノであるらしいことも耳にしていた。

 だが、使用人から聞かされたのは、オリュザの予想を遥かに超える悲惨な話だった。

 

 少女は聖都防衛線の折り、家族全員を失ったと言うのだ。

 それがどれ程の衝撃であったかは、同じ養い子である彼女だからこそよく分かる。

 以前、友人同士で集まって夜を過ごした時、フィリアが己の家族について語る姿は良く覚えている。

 

 エクリシアでは忌み嫌われる血を引く少女にとって、家族は彼女の心の拠り所であったのだろう。それが、全て奪われた。

 我が身に置き換えて考えれば、それだけで背筋が凍る。

 少女の私室の前へと着いた。侍女が呼びかけるも、当然のように返答はない。

 

「……失礼いたします」

 

 侍女を廊下で待たせると、オリュザは意を決して入室した。

 

「フィリア様。御無沙汰をしております。私です。オリュザ、です」

 

 貴族の私室としては奇妙に調度品の少ない部屋がオリュザを出迎える。長らく使用していないゲストルームのように、清潔ではあるが生活の痕跡が見当たらない。

 年頃の少女の部屋とは思えない、ただ闇雲に広いだけの閑散とした空間。

 

 その侘しい世界に溶け込むように、件の少女はいた。

 フィリアはキングサイズのベッドに腰掛け、オリュザに背を向けていた。

 

「あの、……フィリア様?」

 

 寝間着姿の少女は窓を向いたまま、オリュザの呼びかけにも何の反応も示さない。

 

「…………」

 

 まるで人形のように生気を感じない少女の姿に慄然としながらも、オリュザは懸命に足を進める。

 そうしてベッドの横へと回り込み、フィリアの姿をはっきりと見据える。そして――

 

「――っ」

 

 今度こそ、オリュザは衝撃に言葉を失った。

 そこに居たのは、彼女の知るフィリア・イリニではなかった。

 そこにあったのは、無残な抜け殻だった。

 

 フィリアはオリュザの接近にも何の反応も示さない。

 窓の方を向いていたのも、別に風景を眺めている訳ではなかった。その証拠に、視線は宙の一点に注がれたまま動きもしない。

 オリュザは余りの少女の変貌ぶりに、一瞬自分は人形を見ているのではないかと疑いを起こした。

 けれども、よくよく見れば少女の胸は呼吸によって上下し、時折瞬きもしている。間違いなく、生きた人間であった。

 

「フィリア、様……」

 

 オリュザの脳裏に、津波のように少女との思い出がよみがえる。

 フィリアは変わり者として有名だったオリュザに、初めてできた友達だ。

 溌剌としながらも礼儀正しく、どこまでも心優しい少女。

 彼女との交流で、自分は間違いなく良い方向に変われたという実感がある。

 その恩人が、魂を失ったように座している。あの愛らしい面影は、どこにも見出すことができない。

 

「――――」

 

 思わず全身の力が抜け、オリュザはベッドサイドに膝をついた。

 何も言葉が思い浮かばない。慰めも激励も、少女の無残な姿を見れば決して届かないことは明らかだ。

 オリュザは声を詰まらせながらも、それでも胸に蟠る思いを絞り出そうとする。そして、

 

「……ごめん、なさい」

 

 喉を突いて出てきたのは、なんと謝罪の言葉だった。

 

「ごめんなさい……フィリアさん」

 

 言葉を紡ぐと同時に、オリュザの瞳に涙が溢れてきた。

 何故謝るのか、何故泣くのか。

 その理由は、彼女にも判然としない。

 強いて言うならば、廃人も同然になった少女の姿を目の当たりにして、その責任の一端が自分にもあると考えてしまったのだろう。

 

「私が、私たちが不甲斐無かったから……」

 

 止めどなく流れる涙が、オリュザの頬を濡らす。

 聖都が危機に瀕していた時、彼女は何の力にもなれなかった。

 オリュザはノマスの奇襲を見抜くこともできず、事が起こってから慌てて聖都の救援へと動いた。しかも、彼女が兵を率いて聖都にたどり着いた時には、既に粗方の戦闘は集結していたのだ。

 護国の要たる(ブラック)トリガーを預かりながら、彼女は敵と戦う事すらできなかった。

 

 それに比べて、フィリアは正に死力を尽くして戦った。

 五人ものトリガー使いを撃破し、数え切れないほどのトリオン兵を打ち倒した。のみならず、彼女はノーマルトリガーしか持たぬ身でありながら、敵の(ブラック)トリガーに真っ向から挑みかかり、我が身を省みずに足止めを果たした。

 

 彼女の奮闘が無ければ、(マザー)トリガーを守り切ることができたかどうか。

 しかし、その代償として、彼女は掛け替えのない家族を失ったのだ。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 もし、自分がその場にいられたら。もし、自分が敵の目論見に気付けていたら。

 一つでも歯車が違えば、少女は壊れずに済んだのかもしれない。

 それを思うと、オリュザの胸は刃物で斬り裂かれたように痛む。

 ノマスへの復仇が叶わなかったことも、彼女の罪悪感をさらに煽り立てた。

 

 国を護る騎士でありながら、何一つ成し遂げられなかった自分。

 身命を賭して国を護り抜き、そして全てを失ってしまった少女。

 

 己の情けなさと、友への申し訳なさに、オリュザは涙を流して詫び続ける。と、

 

「――っ!?」

 

 涙に暮れる彼女の頬に、柔らかなモノが触れる。

 

「な――フィリアさん!?」

 

 驚いて顔を上げるオリュザ。

 彼女の頬に触れているのは、細く小さなフィリアの指だ。

 少女は相変わらず生気を失った無表情。しかしその指先には、オリュザの涙を止めようとする確かな意思があった。

 驚愕に謝罪の言葉も引っ込むオリュザ。そんな彼女に更なる衝撃を与えたのは、頭の上に感じた暖かな温もりだ。

 

 フィリアの小さな掌が、オリュザの髪を優しく梳る。

 慌てて少女を見るが、相変わらず視線は茫として定まらず、表情は少しも変わらない。

 少女は心を失ったまま、彼女を慰めようとしているのだ。

 

「う、うわぁ……」

 

 フィリアの示した慈愛の心には、オリュザもとうとう耐えかねてしまい、声を上げて泣き出してしまう。

 すると少女は、そんな友人をそっと胸に掻き抱いた。

 少女の胸に顔をうずめ、嬰児のように涙を流すオリュザ。フィリアは無表情のままに、そんな彼女をあやし続ける。

 

 そうしてどれ程時間が過ぎたか。何時しかオリュザ胸に吹き荒れていた哀しみも、滂沱の涙に溶けて流れる。

 

「…………っ、ひっく」

 

 ようやくオリュザは少女の胸元から顔を上げる。しゃくりあげるが、涙は流石に止まったようだ。泣きはらした目元が赤い。ぐちゃぐちゃに崩れた表情は、普段の彼女からは想像もつかないほど人間味に溢れている。

 

「私は、その、なんというご迷惑を……」

 

 目元をぬぐい、次いで涙滴の着いた眼鏡を拭くオリュザ。

 顔全体が紅潮しているのは、自分の醜態に気付いたからだろう。

 傷心の友を励ますために訪れたのに、己の方が恥も外聞もなく泣いてしまった。

 彼女は羞恥に顔を伏せ、消え入りそうに小さくなる。とその時、

 

「……オリュザ、さん?」

 

 か細い声が、静寂の室内に響いた。

 

「フィリア様!? ――ああそんな、私がお分かりになりますか!?」

 

 突如として発せられた声に、オリュザは涙に塗れた顔を上げて少女を見遣る。

 依然、フィリアは置物のようにベッドに腰掛けている。

 しかし、その瞳には生気が宿り、表情には微かな困惑と含羞の色を浮かべている。

 

「あ、あの、私は、その……」

 

 少女の突然の回復に、オリュザはしどろもどろに言葉を濁す。

 

「大丈夫。へいちゃらですよ」

 

 するとフィリアはそう言って、再びオリュザの頭を優しく撫でた。

 

「何も怖くないですよ。何も、辛くないですよ」

 

 少女の声はどこまでも優しく清らかで、今まで心を失っていたとは思えぬほど明瞭だ。

 

「…………はい」

 

 年下の少女に慰められたオリュザは、ただ顔を真っ赤にするのみ。

 

 フィリアが心を取り戻せたのは、オリュザの涙に触れたからだ。

 オリュザが身も世も無く泣き出したのは、少女の心に寄り添ったが為。彼女があれほどまでに取り乱したのは、少女の心を埋め尽くす絶望と哀しみを感じ取ったからだ。

 オリュザはフィリアの代わりに涙を流した。そしてそのことが、フィリアの魂を絶望の淵から引き戻した。

 

「どうしたんですか? なんでも、話してくださいね」

 

 泣き喚くオリュザの姿を、フィリアは無意識の内に弟妹と重ねあわせていた。

 貧民街での塗炭の生活。小さな喜びを噛みしめ、家族との絆を心に刻みながらも、やはり世界は苦しみと痛みで溢れていた。

 別けても少女を傷つけたのは、愛する家族の涙である。

 

 自分はどれほど痛めつけられようとも構わない。しかし、泣いて帰ってくる弟妹たちを見るのが、何よりも少女には辛い体験だった。

 世の理不尽に曝され、耐えきれなくなって涙を溢す弟たち。

 フィリアはそんな時、決まって弟妹たちを優しく抱きしめ、何時までも何時までも慰め続けた。彼女は姉だから、下の子たちを護り、元気づけるのは当然のことだ。

 

 泣き崩れたオリュザを目の当たりにして、思わず体が動いてしまったのも、過去の記憶が身体を動かしたからだろう。

 そして姉であった頃を思い出すと、フィリアの瞳は急速に光を取り戻した。

 己が何者であったかを、少女は確かに覚えていた。

 

「オリュザさん。大丈夫、大丈夫ですよ。もっと泣いてもいいんです」

「あの、私は……」

 

 尚も優しく抱きしめられ、オリュザは流石に居た堪れない思いになった。

 身体に回された細い腕をそっと解き、彼女は少女に向き直る。

 

「お見苦しいところをお見せしました。あの、どこかお体に優れぬところはありませんか? 誰かお呼びしたほうがいいでしょうか」

 

 今更ながらに居住まいを正し、フィリアの体調を気遣う。

 

「いえ、至って健勝です。少しお腹が空いていますけれど」

 

 しかし、少女は穏やかな微笑を湛えてそう言う。つい先ほどまで精神の平衡を失っていたとは思えない、いつも通りの姿である。

 

「……ありがとうございます。私、ちょっと変になっていたみたいですね」

 

 フィリアはぼうっと辺りを見渡してそう呟く。どうやら、心を失っていた時の事は、おぼろげながら記憶があるらしい。

 

「今はお昼でしょうか。よければオリュザ様も、何かお召し上がりになりませんか」

 

 フィリアに椅子を進められたオリュザは、少女の余りの変貌ぶりに言葉を失う。哀しみと絶望の淵から舞い戻ったにしても、余りに平然とした振る舞いである。

 

「お時間がよろしければ、いろいろお話を聞かせてください」

 

 少女はそう言うと、室内の端末を操作し使用人に食事の支度を言い付けた。

 フィリアの突然の回復に、当然ながら使用人たちは大層驚いた。

 真っ先に部屋へと駆けつけたのは侍女ではなく、屋敷の留守を預かる家令に屋敷付きの医者だ。

 医者は少女にあれこれ質問をし、慌ただしく検査を行いだした。

 当然、オリュザは退席しようとしたのだが、少女は乞うて同席を求める。

 

「長い間、夢を見ていたようで……あの日から何日経ちましたか? 今はどんな状況でしょうか?」

 

 医者に身体を調べられながら、泰然とした様子でフィリアがオリュザに尋ねる。

 聖都防衛線から今に至るまでの経緯を、果たして心を病んでいた少女に話していいものか。オリュザがイリニ家の家令に目顔で問うと、彼は困惑した面持ちながらも首肯した。どうせ、少女が本気で情報を求めれば隠し通す事などできない。友人の口から婉曲に伝えてもらった方が、まだしも心労は軽く済むかもしれない。

 

 ――そうして、オリュザは聖都が受けた壊滅的被害と、現在エクリシアがノマスへ大規模な反攻作戦を行っていることを少女に伝えた。

 

「……そうでしたか。大変な時に、呆けていてしまってお詫びの言葉もありません」

 

 今までの出来事を教わると、少女は深々と頭を下げてオリュザに謝罪した。

 途中、友人であるメリジャーナとテロスが負傷し、入院していることも伝えたが、少女は僅かに顔を翳らせただけで、大きな動揺は見せなかった。

 

 余りに平然とした少女の様子に、オリュザは拭いきれない違和感を抱いた。

 フィリアは歳からは考えられないほどに冷静沈着な子供だが、感情量は人一倍に豊かだ。友人が傷ついたという知らせに接し、この平静さは明らかにおかしい。しかし、

 

「折角来て頂いたのに、満足なおもてなしもできなくてすみません。よければ、お昼だけでも食べて行ってください」

 

 医者の診察を終えたフィリアが、朗らかな笑みを浮かべてそう言った。

 一見すると、少女は以前の快活さを完全に取り戻しているように見える。

 

「え、ええ。それでは御馳走になります。フィリア様も、ともかく栄養を取った方がよろしいでしょうし……」

 

 邪気の無い笑顔に釣られ、オリュザも微かに頬を緩めて答えた。

 

「はい。用事も残っていますし、まずは体力を付けないと、ですね」

 

 そう言って、衣服を整えた少女は嫣然と笑う。

 痩せ衰えた少女が見せる、凄絶なまでに美しい表情。その顔貌を目の当たりにして、オリュザはようやく違和感の正体に気付いた。

 

 少女の双眸の奥に宿る、禍々しい光。

 全てを焼き尽くさんとする烈々たる炎が、金色の瞳に燃えている。

 

「フィリア、様……」

 

 言葉を失って立ち尽くすオリュザに、フィリアははたと気づいたように向き直ると、

 

「私のことを思ってくださって、ありがとうございます。――オリュザさんとの友誼、私は絶対に忘れません」

 

 触れれば消えてしまいそうな、まるで泣き笑いのように儚げな表情で、感謝の言葉を口にした。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 窓の無い殺風景な通路を、燦然と輝く黒髪の美女が歩いている。

 大聖堂の地下にある研究区画。迷路のように入り組んだ廊下を、ゼーン騎士団総長ニネミア・ゼーンは足早に進んでいた。

 

 ニネミアがノマスから帰国したのは、本国から装備とトリオン、人員を追加で輸送するためだ。

 ノマスの思いがけない防備の硬さに、遠征部隊は未だに有効な攻略方を見出せていなかった。加えて敵の散発的な攻撃によって、遠征部隊のトリオンは日ごとに削られている始末である。

 

 停滞した状況を打破するために、本国から更なる戦力を引っ張る必要があった。

 そうして帰国したニネミアはまっすぐに教会へと向かい、諸々の物資を都合するよう申し立てた。申請は直ぐ通り、既に物資の輸送は始まっている。

 ニネミアは作業の監督を行うため、郊外の発着場へと取って返そうとしている最中であった。

 

(教会の船を借りられたのはよかったけれど……)

 

 地下通路を歩きながら、ニネミアは秀麗な顔を気難しげに歪める。

 今回、遠征に用いた船は各騎士団が持つ三隻のみであったが、遠征部隊が思わぬ苦戦を強いられていると聞き、教会が所有する船も急きょ遠征に投じられることとなった。

 

 船には膨大なトリオンと、研究室で製造されたばかりの新型トリガー、並びに大量のトリオン兵が積み込まれ、教会に所属する聖堂騎士の精兵らも乗り込む。

 他の船にも物資は山のように積み込まれる手筈となっている。これで戦力的にはノマスと十分以上に渡り合う事ができるだろう。

 通常の遠征では考えられないコストの掛け方だが、この戦いにはエクリシアの興亡が掛かっている。トリオンを惜しむことはない。

 

 しかし、それだけの戦力を揃えながらも、ニネミアの憂いは晴れなかった。

 

 結局のところ、ノマス攻略に有効な手立ては見つかっていない。徒に戦力を揃えたところで、活用できなければ意味が無い。

 そもそも、この遠征自体が止むに止まれぬ選択であったのだ。

 入念な事前工作を行ったノマスとはことなり、エクリシアは前段階の情報戦で既に敗北を喫している。邂逅初期に送り込んだ偵察部隊はノマスに撃破され、碌に情報収集もできなかった。

 

 例えば、ノマスの機動都市の巡航速度の向上などはその最たる例だ。

 前回の遠征時、都市の移動は非常にゆっくりとしたものであった。大型の陸戦トリオン兵を用いれば簡単に足止めが可能だったため、作戦はそのデータを基に立てられていた。

 それが今や、彼らの都市は非常識なまでの速度で動き回り、陸上部隊の追随を許さない。それどころか、鉄壁の対空砲火と空戦型トリオン兵のお蔭で、空からの攻撃さえ凌ぎきっている。

 

 初期の作戦プランは軒並み見直しを余儀なくされ、こうして泥縄式に戦力の確保に走らされている有様だ。

 

「……ふぅ」

 

 見通しの立たない戦況に、ニネミアが暗澹たる息を吐く。

 それでも、遠征は絶対に成功させなければならない。エクリシアがノマスに大敗を喫したとなれば、他の惑星国家も黙ってはいない。落ち目のエクリシアを叩こうと、挙って襲い掛かってくるだろう。

 

 ここは無理を押してでも、エクリシアの精強さを近界(ネイバーフッド)中に喧伝する必要があるのだ。

 ともかく、一刻も早く戦場に戻らなければならない。抑えきれない苛立ちからか、ニネミアの歩みが早まる。その時、

 

「――っ!」

 

 思いもがけない光景を目の当たりにして、彼女は思わず足を止めた。

 研究区画から地上階へと向かう途中に設けられたラウンジ。平時なら人々で賑わう広間も、復興に追われる今は人影も無い。

そこに、端座する人影があった。

 

「フィリア……あなた、なぜ此処に?」

 

 椅子に腰かけていたのは、イリニ騎士団が誇る天才騎士、フィリア・イリニである。

 先の戦闘で精神に深い傷を負った筈の少女が、騎士団の軍服に身を包み座っている。

 

「お疲れ様ですニネミアさん。先日は無礼を働き、申し訳ありませんでした」

 

 ニネミアの姿を見るや、少女はすぐさま立ち上がって謝罪の言葉を述べる。

 生身の姿の為、面持ちは痛々しくやつれているが、その凛呼とした挙措と晴れやかな声音は、以前の印象そのままだ。

 

「……具合は、よくなったようね」

 

 思わず、ニネミアの口から警戒を含んだ声が出る。

 最後に会ったとき、フィリアの心は完全に壊れていた。完治に長い時間がかかるだろうことは明白で、このように普通に会話できる筈がない。

 

「はい。長らくご迷惑をおかけしました」

 

 だが、少女はそんな病状など露ほども見せず、如才なく受け答えする。

 

「……ここで私を待っていたのでしょう。ただ謝罪をしに来た訳でもなさそうね」

 

 そんな少女の振る舞いを訝しげに思いながらも、ともかくニネミアは話を先に進める。補給任務を任されている彼女には、無駄にできる時間は一秒たりともない。すると、

 

「はい。今日はお願いがあってまいりました。――ニネミアさん。いえ、ゼーン閣下。どうか、私をノマス遠征の末席にお加えください」

 

 フィリアは凛々しい面差しでそう述べた。

 

「…………」

 

 流石のニネミアも、即座に返答することができない。

 予想していたとはいえ、やはり少女は戦場に立つことを望んでいる。どこかで補給部隊がエクリシアに帰ったことを聴きつけたのだろう。

 

「それは、難しいわ」

 

 やや置いて、ニネミアが否定の言葉を告げる。

 

「あなたが回復したのは重畳の至りよ。けれど、あなたはまだ本調子ではないはず。足手まといを連れていくことはできないわ」

 

 にべもない拒絶だが、その口調はいつもの断固としたものではなく、思いやりに満ちている。

 実際の所、フィリアに発破をかけたのは他ならぬニネミアだ。

 少女が戦場に赴きたいというなら、叶えてやるのが筋だろう。

 

 しかし、今や事情が異なる。遠征部隊は既に選出され、出兵している。所属する騎士団の違う少女を、彼女が連れていくのは重大な盟約違反になる。

 加えて、少女は明らかに病み上がりだ。心神喪失状態にあった彼女を戦場に連れて行った挙句、万が一のことがあっては、彼女の伯父であるアルモニアにも顔が立たない。

 

「必ずや、お役に立ちます。ですからどうか……」

 

 ニネミアの苦衷を知ってか知らずか、フィリアは縋るような視線で頼み込む。

 

「あなたの心意気は、とても嬉しいわ。でも……」

 

 懇願を持て余すように、ニネミアは言葉を濁す。だが、

 

「お願いしますニネミアさん。――私は、戦いたいんです」

「っ――」

 

 少女の双眸に宿る烈々たる闘志が、彼女の心を揺り動かした。

 

「……フィリア・イリニ。あなたが戦場に赴く故を述べなさい」

 

 少女の胸に潜む狂おしいまでの激情を感じ取ったニネミアは、厳粛なる面持ちでそう問いかける。

 死と破壊の坩堝たる戦場に、何故踏み入ろうとするのか。人が当然の如く求める筈の安寧を捨ててまで、戦いを望む理由は何か。

 威儀を正した黒髪の麗人は、一切の虚言を許さぬ鋭い眼光で少女を見据える。

 

「……あの人たちが、憎いからです」

 

 そしてフィリアはぽつりと、絞り出すような声でそう言った。

 貴族としての義務を果たす訳でもなく、騎士としての誓いを護るためでもない。

 少女はまったくの個人的な感情から、戦いを望んでいる。

 

「……出立は払暁よ。装備は予備があるから、身一つでゼーンの駐機場に来なさい。遅れたら置いていくわよ」

 

 果たして、ニネミアはその動機を良しとした。

 勿論、フィリアの精神が極めて不安定な状態にあるのは言うまでもない。戦場に心を病んだ人間を連れていくのが、どれほど愚かな行為かは指摘されるまでもなく理解している。

 

 それでも、少女は自らの心の傷と向き合おうとしている。

 ニネミアはそんなフィリアを、貴族として、騎士として、そして友として捨て置く訳にはいかない。

 一時の激情に駆られた行動であっても、手を束ねているよりは遥かにマシだ。個人的な復讐も大いに結構。所詮、復仇は残された人間の為の行いだ。

 

それさえできなかった者がどんな苦しみを背負うのか、彼女は嫌と言う程知っている。

 

「――ありがとうございます」

 

 己の申し入れが聞き入れられ、フィリアは低頭して礼を述べる。

 

「さて、もういいわね。私も忙しいのよ」

 

 大仰な少女の謝意に、ニネミアはそっぽを向いてラウンジを出ていく。羞恥もあったが、それ以上に時間が惜しい。人間が一人増えたので、遠征艇への物資の積み込み方を変えねばならない。

 フィリアは立ち去るニネミアを、頭を下げたまま見送った。

 伏せられた幼い面持ちには、微かな微笑が張り付いている。その内側に潜む狂気は、静かにうねりを増し続けていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ニネミアを見送った後、フィリアは一人教会の地下区画を歩き出した。

 目指すは研究区画だ。装備はニネミアが用立ててくれるが、「誓願の鎧(パノプリア)」の詳細な設定データはこちらから持っていく必要がある。

 エクリシアが誇る甲冑トリガー「誓願の鎧(パノプリア)」は、着装者の癖や反応速度に合わせて個々に調整が行われる。基本的な状態でも使えなくはないが、それではフィリアの戦闘力を十分には発揮できない。

 

 少女は窓のない通路を黙々と歩く。

 先の防衛戦時、教会もかなり損害を受けたはずなのだが、そこはやはり国家の中枢部。修復は真っ先に行われたらしく、激闘の痕跡はもう殆ど残されていない。

 

 ただ、建物はトリオンで簡単に修復できるが、失った人員はそう簡単には補充できない。

 訪れた研究室では、職員達が疲労も明らかな顔で一心不乱に仕事をしていた。

 復興、遠征の同時進行という非常時であるのに、働く人間の数は妙に少ない。やはり、先の戦闘では研究所の職員も相当数被害にあったとみられる。

 

 フィリアは適当な職員を捕まえ、自分の鎧のデータを要求する。

 本来ならばそれなりの手続きを要する作業だが、激務に次ぐ激務で職員たちの頭も茹っていたのだろう。フィリアの訪問に驚きもせず、なんやかんやと悪態をつきながらデータを寄越してくれた。

 細かな調整は鎧を実際に着装して行わなければならないが、一先ずこれで用件は済んだ。

 

 少女は丁重に礼を述べ、研究室を後にする。

 後は郊外にあるゼーン騎士団の駐機場まで赴き、遠征艇に潜りこむだけだ。イリニ邸へ帰ったら、車両の手配を行わなければならない。

 フィリアは地下区画から昇降機を用いて、地上階へと戻った。

 

「…………」

 

 大聖堂を横切った少女の足が止まる。

 ノマスの襲撃部隊によって散々に荒らされた聖堂は、既に粗方の修復が済んでいた。

 巨砲によって吹き飛ばされた大門も、地下に向けて穿たれた大穴も、今ではその痕跡を見つけることさえ難しい。

 流石に信徒席や内部の彫刻といった細かな場所までは手が入っていないようだが、それも直ぐに治され、過日の姿を取り戻すのだろう。

 

 だが、少女は決して忘れない。

 ここで何が起き、そしてどれだけの血が流されたかを。

 

 無意識に、フィリアは右手の人差し指につけた黒い指輪を左手で抑えた。

 この場所で、母パイデイアは命を落とした。

 余りに神々しく、そして悪夢のような光景を思い返し、少女は知らずと間に奥歯を噛みしめる。

 

 とその時、フィリアは荘厳な大聖堂に、透き通るような蒼の色を見つける。

 礼拝堂の奥、祭壇の影からひょっこりと姿を現したのは、抜けるような空色の髪と瞳を持つ少年だ。

 

「アヴリオさん……」

 

 フィリアが思わずその名を呟く。

 彼とフィリアは、以前奇妙な縁を結ぶ機会があった。

 しかし、お互いそれ以来会う機会はなく、フィリアはこの少年アヴリオ・エルピスが、エクリシア教皇であることも知らない。

 それでも少女がその名前をはっきりと覚えていたのは、少年と過ごした一時が、深く心に刻み込まれていたからだ。

 

「や、フィリアさん、久しぶり。教会になにか要事?」

 

 少年も少女の存在に気付いたようで、そう明るく呼びかけてくる。

 厳粛な聖堂の雰囲気からすれば場違いなほどに軽い調子だが、不思議とこの少年がすると不遜な態度には見えない。

 

「御無事だったのですね。本当によかった」

 

 こちらに歩み寄ってくる少年に、フィリアは安堵の声を漏らす。たった一度会っただけの相手にも関わらず、本気で安心をしてしまったのは何故だろうか。彼に感じる奇妙な親しみの正体を、少女はまだ測り兼ねている。

 

「うん。僕はね。……でも、フィリアさんは大変だったみたいだね」

 

 小鳥のような足取りで側まで依ってきた少年は、しかし少女の前で急に態度をしおらしくさせる。

 

「……はい。でも、もう大丈夫です。これから仕事に復帰します」

 

 聖都防衛線以降、フィリアが臥せっていたことを知っていたのだろう。少女はアヴリオを励ますように穏やかな調子で話す。だが、

 

「そうなんだ。――それで、早速教会に来たのは、補給部隊に随行してノマスに行くためかな」

 

 アヴリオは平然とした様子で、そんなことを口にした。

 

「――っ!」

 

 フィリアが凝然と目を見開く。彼女がニネミアに遠征同行を申し出たのは、つい先ほどのことだ。それを何故、その場に居合わせもしなかった少年が知っているのか。

 

「――あなた、は……」

 

 少女のサイドエフェクト「直観智」が、すぐさまその疑問を明らかにした。

 アヴリオは、只不思議なだけの少年ではない。彼の立場、そしてその知性の程を悟ったフィリアは、驚愕に言葉を失う。

 

「改めて、自己紹介をしようか。僕はアヴリオ・エルピス。(ブラック)トリガー「不滅の灰(アナヴィオス)」を預かる、この国の教皇だ」

 

 そう語る少年の態度は重々しく、普段の飄逸な気配は何処にもない。

 数百年にもわたってエクリシアに君臨し、近界(ネイバーフッド)の騒乱を見詰め続けてきた男が、哀切に満ちた表情で少女を見詰める。

 微動だにしないフィリアを前に、少年は淡々と言葉を続けた。

 

「教会での防衛戦で、「恐怖の軛(フォボス)」を纏って戦ったのは僕だ。君の母、パイデイアがあの時どう振る舞ったのか、君に話しておかなければならないと思う」

 

 そう言いながら、少年はゆっくりと歩を進め、フィリアの正面に立つ。

 そうして彼は、パイデイアが如何に戦ったのかを語りだした。

 恐るべき敵のトリオン兵の群れを相手に、懸命に戦ったこと。そして敵のトリガー使いに情けを掛け、その命を救おうとしたこと。

 

「……彼女を死なせてしまったのは僕の失態だ。僕がもう少し注意深く振る舞っていたら、彼女も死なずに済んだかもしれない。君にはそのことを、詫びねばならないと思っていた」

 

 そう言って、アヴリオは静かに頭を下げる。

 そして長い謝罪を済ませると、少年はくるりと方向転換し、フィリアに背を向けた。

 

「高い地位にいると、色々と聞かされるものでさ。君があれから調子を崩していたことも知ってたよ。なのに、君が今日いきなり此処に現れたものだから。つい気になって耳をそばだててたんだ。……やっぱり、君もノマスに攻め入るのかい?」

 

 壮麗なステンドグラスを眺めながら、少女にそう問いかけた。

 

「まさか、お止めになるつもりですか?」

 

 フィリアはアヴリオの背に向け、低い声でそう問い返す。

 少年が母と同じ、平和を希求してやまない人物であることは知っている。

 そんな彼が、このタイミングで少女を呼び止めたのだから、言いたいことにも察しがつく。

 

「……僕は、生前のパイデイアさんと少しは面識があった。家族の君に告げるのも烏滸がましいけれど、きっと彼女は、復讐なんて望んでいないと思う」

 

 少年はどこまでも誠実な声で、フィリアにノマスへの遠征を思いとどまるよう告げる。すると少女は、

 

「そうですね。きっと母さんは、そのように思うでしょう」

 

 一見すると、冷静な様子でそう答える。だが、

 

「アヴリオさんは思い違いをなされています。私は、家族の復讐をしようとは思っていません。そんなことをしても、みんなは絶対に喜ばない。

 ――遠征に参加するのは私怨です。あの人たちが憎いから、殺しに行くんです」

 

 漆黒の殺意を総身に漲らせ、少女はそう言葉を続ける。

 

「……それが、家族の望みに反していても?」

 

 返答は予期していたのだろうが、それでもアヴリオは沈鬱な声で重ねて問う。

 

「母さんを殺して、サロスたちにあんな酷いことをした連中が、まだ生きてるんですよ? しかもあの人たちは、私の事を仲間だ、身内だなんて言って、懐柔しようとしたんです。私からすべてを奪っておいて、ぬけぬけと……」

 

 フィリアの声が、肩が、拳が、烈火の如き怒りに震える。

 あどけない面差しは湖面のように凪いでいたが、それでも刺し貫くような金色の双眸は、鬼面の如き威圧感を放っている。

 

「私は悪い子です。結局、家族には何一つしてあげることができませんでした。だからもう、私はどうなったっていいんです。――ただ、あいつらだけは、許せない」

 

 フィリアは恨みの限りを込めて、そう吐き捨てる。

 少女は絶望の底から自我を取り戻すことができた。だが、生きる意味そのものであった家族を失った彼女の胸には、底抜けに深く暗い孔だけが残った。

 その虚無感、喪失感を埋めるものなど有る筈がない。

 

 そうして何もかも失った少女には、ただ純粋な憎しみだけが残った。

 彼女は初めて、自分の為に戦いを欲した。近界(ネイバーフッド)の諸人に己の絶望を知らしめ、残酷なる世界を呪うために。

 

「君もやっぱり、争いの連鎖に囚われるのかい?」

 

 今にも爆発せんばかりの憎悪と憤怒に身を震わせるフィリアに、アヴリオは淡々と、すべてを諦めたかのような声で語りかける。

 

「…………」

 

 少年の問いかけに、少女は何も答えなかった。

 フィリアは少年に背を向け、鬼気迫る形相で教会を後にする。

 アヴリオはただ瞑目し、遠ざかる足音を聞くだけであった。

 

 

 

 

 

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