WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の十一 総力戦 遠い日の夢

 ノマスの天地に止むことのない轟音が響く。

 近界(ネイバーフッド)の国家には決してありえない地震を引き起こしているのは、夜の草原を進む巨大な構造体の群れだ。

 

 ノマスの民が住まう起動城塞都市。首都である「パトリア号」を含めた三十余りの巨大な都市群が、凄まじい速度で大地を移動している。

 天地を貫く柱のような脚を絶え間なく動かす巨大都市。その内部、都市の運行の一切を制御するブリッジは、夜半とも思えぬ喧騒に包まれていた。

 

「はい。到着次第、現地の「ウィークス号」を解体しトリオンを分配します。急ぎ、戦闘準備を行ってください」

 

 映像通信で各部族の族長たちにそう指示を出すのは、凛然たる気品を漂わせた少年、ドミヌス氏族のレグルスだ。

 

 彼は現在、各々の機動都市を預かるノマスの重鎮たちを相手に、今後の戦略を説明している。

 この夜、堡塁に籠っていたはずのエクリシアが突如として部隊を動かし、なんとノマスの(マザー)トリガーへと一直線に進軍を開始した。

 事前に強化しておいた監視網のお蔭で、すぐさま迎撃の部隊を送り込むことができたものの、敵の主力には撤退を許してしまう。

 

 今後、エクリシアは(マザー)トリガーを標的に大攻勢を仕掛けることが予想される。全軍を挙げて防衛を行わなければならない。

 その為、ノマスの所有する全ての機動都市が、(マザー)トリガーに向けて大移動を行っているのだ。

 

「ふう……」

 

 部族長との通信会議を終えたレグルスは、シートに深く腰を掛け重いため息をついた。先ほどまでの自信に溢れた態度はすっかり鳴りを潜め、少年は深刻な表情で戦況モニターを眺める。

 厳重に秘匿していたはずの(マザー)トリガーの所在を、敵はどのようにして突き止めたのか。

 順調に推移していた防衛戦が、突如として喉元に刃を突きつけられた格好となり、族長を含めたノマスの全ての民は大混乱をきたしていた。

 

 しかし、そんな彼らをまとめ上げ、即座に防衛策を実行しなければ、ノマスに明日は無い。どう考えても年端もゆかぬレグルスには荷が勝ちすぎる役割だが、先ほどまで指揮を執っていた父レクスが出撃してしまったのだから仕方ない。これもノマスの盟主たるドミヌス氏族が故の責務である。

 

「お疲れ様。レグルス」

 

 そう労いの声を掛けるのは、オペレーター席に座る栗毛の女性モナカだ。

 

「いえそんな……大変なのはこれからですから」

 

 緊迫した面持ちでそう答えるレグルス。

 実際の所、ノマスの置かれた状況は決して楽観視できるものではない。(マザー)トリガーの所在が敵に知れたことも不味いが、それ以上に防衛戦を継続するだけのトリオンが無いのだ。

 

「トリオンのやりくりは付きそうですか?」

 

 外部への通信が遮断されていることを確認し、レグルスが問う。

 

「規模にもよるけれど、次の一戦はなんとか持つわ。でもそれ以上は……」

 

 答えるモナカの声は重々しい。

 元よりエクリシアへの侵攻で備蓄の殆どを使い切っていたノマスである。防衛用にトリオンをかき集めてはいるが、それでも敵の苛烈な攻撃に備えるには甚だ心もとない。

 

「過ぎたことを言っても仕方ないけど、なんとか「ポーンス号」を残せていれば……」

 

 モナカが言うのは、先ほどの防衛戦で自爆させた都市の事だ。

 エクリシアの攻勢が思いのほか激しく、また敵の増援が近づいていたために爆破せざるを得なかったが、元々「ポーンス号」は防御用のトリオンに還元する予定の都市であった。それを丸々一つ使い潰してしまったのだから、資源が不足するのも当然だろう。

 

 加えて都市そのものを(ゲート)で転移させるのは、トリオン効率が甚だ悪い。

 自爆させた「ポーンス号」に加えて「ウィークス号」まで送り込んでしまったため、備蓄トリオンは深刻な水準にまで下がっている。

 

 全ての市民にはトリオンを供出させているものの、現状では焼け石に水である。そもそも都市の運行にもトリオンが必要なのだから、破れ鍋に水を注ぐようなものだ。

 

「たぶん、次の戦いで全てが決まります。後の事は考えなくてもいいでしょう」

 

 眉根を寄せて思案するモナカに、レグルスが冷静にそう告げる。

 エクリシアとノマスの両国は、あと数日で接触軌道圏から離れる。

 敵は持てる限りの戦力を投じて来るだろう。次の一戦さえ凌げれば、それで戦争は終結するはずだ。問題は、ノマスに攻撃を防ぎきる保証が無い事だが。

 

「…………」

 

 昨晩の戦闘を見た以上、誰もエクリシアの騎士を侮ることなどできない。待ち受ける戦いが血で血を洗う激闘になるであろうことは明白だ。

 重苦しい沈黙がブリッジに立ち込める。とその時、

 

「よう、差し入れもってきたぜ。食えるときに食っとけよ」

 

 場違いに軽い声が辺りに響いた。

 

「ユウェネスさん!?」

 

 大扉を開けて入ってきたのは、くせ毛の黒髪をした青年ユウェネスだ。

 右脚を失い療養中のはずの青年だが、トリオン体となった彼は軽快な足取りでブリッジへと立ち入ると、両手に提げたバスケットをテーブルの上へと置く。

 

「ちょっと何を出歩いているの! 安静にしてなきゃ駄目でしょう!」

「おいおい、こんだけ騒がしいのに安静も何もないだろ」

 

 突然の訪問者に色をなすモナカだが、当の青年は飄然と肩をすくめて見せるのみ。

 

「人、足りてねえんだろ。手伝いにきたぜ」

 

 ユウェネスはそう言うと、有無を言わさずオペレーター席の一つへと腰かける。

 いつもと変わらぬ調子の青年に、レグルスも思わず肩の力が抜けてしまう。

 

「……じゃあ食事でもしててくださいよ。目的地に着くまでしばらく用事ないですよ」

「え、マジで? やったぜ」

 

 そう揶揄されると、ユウェネスは座ったばかりの椅子から勢いよく立ち上がると、ブリッジに詰める職員を呼び集めて食事を配る。

 給食班が作ってくれたのは、羊肉を挟んだサンドイッチと温かいスープだ。

 レグルスも空腹には抗えず、紙包みとカップを受け取り暫しの休息を取る。

 スパイシーな炙り肉が食欲を掻き立て、スープの程よい塩味が身体に染み入る。戦闘による緊張で空腹も忘れていたのだろう。レグルスを含めた指揮所の面々は、瞬く間に差し入れの食事を平らげてしまう。

 そうして人心地ついた彼らであったが、休む間もなく指揮所に通信が入った。

 

「レグルス。状況を説明せよ」

 

 モニター越しに現れたのは、現地で(マザー)トリガー防衛の指揮を執っているレクスだ。

 厳格を絵に描いたような父の登場に、レグルスを含めた全ての職員が慌てて背筋を正す。

 寒空の下で作戦を続けている彼らに、ぬくぬくと食事を取っているところなど見られては、どんな叱責を受けるや分からない。

 

「――は、はい。各部族の長老方への通達は完了しました。また機動都市は順調に行軍中、程なく現着し、払暁までには陣を整えられる見込みです」

「わかった。こちらは引き続き周囲の警戒に当たる。お前たちも気を緩めるな。エクリシアが移動中の都市を狙うやもしれぬ」

 

 その後、同じく防衛任務に当たっているマラキアやカルクスも交え、対エクリシアの方策が話し合われた。

 とはいえ、出来ることと言えば戦力を結集し、敵が撤退するまで守りを固めるよりほかにない。ありうべからざる事態だが、敵に(マザー)トリガーの所在を見抜かれた場合の計画も作成してある。機動都市群を用いた防御陣の構築や、迎撃部隊の運用などは滞りなく行えるだろう。問題となるのは、やはり底を尽きかけているトリオンだ。

 

「砲の稼働率は二十パーセント程度まで下がります。それも、開戦から二時間までが限度です」

 

 沈鬱な表情でそう告げるのはモナカだ。

 本来ならば都市に取り付けられた防衛装置がハリネズミのように砲撃を行い、敵勢を寄せつけないのだが、現状ではそれも難しい。

 

「トリオン兵が揃うならば戦える。敵の突破力は(ブラック)トリガーあってのものだ。連中さえ落とせれば防衛は可能だ」

 

 レクスはモニター越しにそう述べる。

 エクリシアの強大な軍事力は、規格外の性能を有する(ブラック)トリガーと、それを補助する騎士甲冑「誓願の鎧(パノプリア)」によって支えられている。

 

 逆に言えば、一騎当千の騎士さえ撃破できれば、戦局は一気にノマス優位へと傾くのだ。

 起動都市の外殻は非常に堅固であり、生半な事では破壊できない。イルガーの自爆突撃を受けたとしても、二・三発ならば十分に耐えきれる。さらに巨大なこの「パトリア号」ならば、よほどの攻撃を受けない限り外殻を破られることはない。

 

 しかし、先の戦闘が示す通り、エクリシアの(ブラック)トリガーは都市の外殻を破壊するだけの火力を備えている。最大の懸念はそこなのだ。

 

「精鋭部隊を率い、(ブラック)トリガーを始末する。それで宜しいな」

 

 冷厳にそう呟くのは、眼光鋭い老雄カルクスだ。百戦錬磨の達人は、言われるまでもなく己の取るべき役割を弁えている。

 ノマスに残された勝ち筋は、死に物狂いになって敵の主力を落とすことだ。

 

「しかし、敵もそれは弁えているでしょう。連中が市民を優先的に攻撃すればどうします。彼らを守り切るだけの兵力は、流石に捻出できない」

 

 そう思案顔で切りだすのはマラキアだ。

 エクリシア勢が都市を切り崩し、市民たちを優先的に狙えば、守備兵はそれを護らざるを得ない。兵力が分散すれば、それだけ敵の主力を討つことが難しくなる。

 

「……陽動、分散の手に乗ることはできない。ある程度の被害は甘受し、速やかに敵を討つことが肝要だ」

「――そんな、それでは市民が……」

 

 レクスの冷徹な判断に、思わずレグルスが抗議の声を上げる。

 理屈でいえば父の言は正しい。(マザー)トリガーが制圧されれば国そのものが滅亡する。市民の命であっても天秤を動かすことはできない。

 それでも年若いレグルスは、非常な決断を受け入れることに抵抗があった。すると、

 

「あの、ちょっといいスかね」

 

 ブリッジの緊迫した空気をかき消すかのように、ユウェネスが能天気な声を上げた。

 

「どうした」

「いえあの、皆さん戦う方向で話進めてらっしゃいますけどね。これ当初の予定通り逃げまわりゃいいんじゃないですか」

 

 そして青年は、なんと大方針に真っ向から逆らう旨の発言をする。

 

「ちょ、ちょっと不遜よユウェネス。下がりなさい」

「構わん。考えがあるなら述べてみよ」

 

 慌てて制止しようとするモナカであったが、レクスは低い声で先を促す。

 

「位置がばれたところで、連中が(マザー)トリガーを制圧、ないしは破壊できるかって話なんですよ」

 

 (マザー)トリガーは草原の大深度地下に位置し、その上には堅牢なトリオン壁と大量の土砂が層状に積み重ねられている。巧妙に隠された直通通路を除けば、地下まで降りる手立ては存在しない。

 

「軌道が離れるまで後三日でしょ? 今から土木工事したところで間に合いますかね。トリオン壁は馬鹿みたいに硬いんですから、連中の砲撃型(ブラック)トリガーだってそう簡単には抜けませんよ」

 

 (マザー)トリガーを護る外装を頼りにして、防衛を放棄し市民と共に撤退するべきだと、ユウェネスは献策しているのだ。しかし、

 

「エクリシアにはトリオンを吸収する「懲罰の杖(ポルフィルン)」がある。壁の硬度は関係ない。そして土砂はワムの掘削能力があれば取り除ける。連中を(マザー)トリガーに近づける訳にはいかない」

 

 レクスは冷静に作戦の穴を指摘する。ノマスが防衛を諦めれば、敵は手立てを選ばず(マザー)トリガーの制圧に挑むだろう。

 国の命運を賭けるには余りにもリスキーな策だ。指導者としては到底認められない。

 

「いえ、そのまんま敵に呉れてやろうって訳じゃないんですよ。要は連中が(マザー)トリガーにたどり着けないようにすればいいって話でして。――現地に着き次第、外装を強化するんです。三日以内には絶対掘削できないように」

 

 しかしユウェネスは真剣な表情で先を続ける。

 彼は只でさえ強固な外装に包まれた(マザー)トリガーを護るために、平原の一画を巨大な障壁で隔離してしまうべきだと述べる。

 

「草原とその地下を分厚いトリオン壁で覆ってしまうんですよ。あと、随所に電磁障壁を用いたトラップを組み込んどきます。「報復の雷(フルメン)」を再現した機構はもう実戦に投入できますから。ワムも「懲罰の杖(ポルフィルン)」も、致死性の罠があれば手が止まるでしょう」

「……」

 

 ユウェネスの流れるような説明を、皆は神妙な面持ちで聞き入る。

 通常そこまでの大規模な工事となれば、いくら非常識なトリオン工学を以てしても長い工期が必要になる。しかし、あらゆるトリオンの自由自在な操作を可能とするノマスの国宝「万化の水(デュナミス)」があれば話は別だ。

 絵図面さえ引くことができれば、施工そのものは極めて短時間で済む。だが、

 

「まて、その策には重大な欠陥がある。それだけのトリオンを、一体どこから用意するつもりだ」

 

 肝心の材料となるトリオンが、今のノマスには決定的に不足しているのだ。如何な国宝「万化の水(デュナミス)」といえども、資材が無ければ何も作ることはできない。

 レクスの当然ともいえる指摘に、ユウェネスは悪戯っ子のような笑みを浮かべると、

 

「トリオンなら有るじゃないスか。此処に」

 

 そう言って、自らの足元を指差した。

 

「な……」

 

 青年の発現に、居合わせた全ての面々が言葉を失う。彼はノマスの首都たる「パトリア号」を分解し、(マザー)トリガー閉鎖の資材にすると言うのだ。

 

「ドミヌスの都市だからって、残しておく理由にはならんでしょう。雨風凌ぐ建物ぐらいならすぐ作れます。食い物だけ持って逃げれば、再起は可能です」

 

 確かに、全長一キロを超すこの超巨大都市を解体すれば、十分な資材が得られることだろう。また彼の言うとおり、食料備蓄は十分にあり、市民を退去させても何とか生きていくことはできる。

 しかし国の象徴ともいえる首都を放棄するのは、心情的に余りにも抵抗がある。(マザー)トリガーを放置するというのも如何にも不味い。

 初期の防衛プランは、敵に消耗戦を強いると言ういわば攻めの撤退であったが、これでは怨敵を前に全てを投げ出して逃げるようではないか。

 

「ユウェネスさん、それはいくらなんでも……」

 

 レグルスが困惑した様子で声を上げる。市民に犠牲を強いることには耐えられないが、彼の言う完全な逃走もまた、少年にとっては受け入れがたい。

 これは少年のみならず、ノマスの総意といってもいい。怨念積もるエクリシアを相手に膝を屈するぐらいなら、ノマスの民の誰しもが戦って散る方を選ぶだろう。しかし、

 

「モナカ。仮にその計画を実行するとして、図面はどれ程で出来上がる」

 

 レクスは暫しの思案の後、真剣な面持ちでそう尋ねる。

 

「え、は、はい……あの、構造は単純ですが、余りに巨大なのですぐには……」

「ユウェネスと協力し、今から作成に当たれ。予備計画に組み込む」

 

 そして有無をも言わさぬ口調で裁可してしまう。

 

「と、父さん!?」

 

 思いがけないレクスの判断に、レグルスはつい頓狂な声を挙げてしまう。

 

「国が無ければ民は生きられぬが、民の消えた国も滅びゆくのみ。都市一つで片が付くなら安い買い物だ」

 

 そんな息子を諭すように、レクスは幾分穏やかな表情でそう告げる。

 

「どの道、エクリシアと一戦を交えずには終われまい。ここが興廃の瀬戸際だ。総員奮励せよ」

 

 そうして、会議は一旦終了となった。

 

 ノマスの人々を乗せた都市は草原を進み、夜明け前に(マザー)トリガーの直上へと到着する。

 即座に都市の布陣が行われ、首都「パトリア号」を中心にして三十ほどの都市が円陣を造り、其々の都市を回廊で繋いでゆく。

 瞬く間に、差し渡し三キロメートルほどはあろうかと言う巨大な防御陣地が、広大な草原に出現した。

 

 そしてその時を待ちかねていたように、防衛部隊が迅速に展開する

 卵から孵ったトリオン兵が都市の外周を囲むように蠢き、隊伍を組んだトリガー使いは油断なく地平の先を睨んでいる。

 迎撃の準備は整った。今こそ怨敵エクリシアとの決着を付ける時。

 

 地平の果てより現れた太陽が、漆黒の世界を白々と染め上げていく。

 運命の一日が、ここに幕を開けた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「作戦目標となる神の候補は、ノマスの首都都市「パトリア号」に存在すると推測されます」

 

 投影モニターの薄明かりに照らされた狭い室内。

 イリニ騎士団が有する遠征艇のブリッジでそう述べるのは、白髪金瞳の少女フィリアだ。

 モニターには各騎士団の重鎮たちが揃って並び、作戦会議が行われている。

 

 ニネミア率いる偵察部隊の働きにより、ノマスの(マザー)トリガーの所在が明らかとなった。敵は現在拠点を防御すべく、機動都市を終結させている。

 エクリシアは急ぎ部隊を回収すると、堡塁を放棄して其々の遠征艇へと乗り込んだ。

 もはや持久戦を行う意味はない。最大の戦力を以てして、敵に大攻勢を仕掛けるのだ。

 

「ノマスは二つの機動都市を転送し、また他の都市も長距離の移動を行っています。先の戦闘と合わせれば消費したトリオンは計り知れないはず。敵に回復の暇を与える必要はありません。この一戦が勝負です」

 

 アルモニアの命令を無視して偵察部隊の救援に向かったフィリアであるが、彼女の働きが無ければニネミアと「劫火の鼓(ヴェンジニ)」を諸共に失っていた事実もあり、処分は帰国するまで保留となった。

 のみならず、彼女の有するサイドエフェクトの有用性が明らかになったことで、各騎士団はノマス攻略作戦の立案に彼女の協力を強く求めた。

 そしてフィリアは僅か数時間の内に、委細漏らさぬ計画を打ち立てたのである。

 

「まず、新型砲撃トリガー「金の鯨(ケートス)」によって周囲に点在する都市外殻を破壊、捕獲型を投入します。我々騎士はトリオン兵の仕事を援護する為、各所に散って敵の迎撃部隊を誘引します」

 

 トリガー使いが敵を引きつけ、トリオン兵によって市街地を襲う、近界(ネイバーフッド)では珍しくも無い市民を標的とした捕獲作戦である。

 ただし、今回の作戦目標は凡百の市民ではない。大国エクリシアが勢力を挙げて狙うのは、次代を担う神の候補だ。

 

「これらは全て後段階への布石です。敵の防備が十分乱れたところで首都都市の外殻を破壊し、(ブラック)トリガーを集中投入します。その他の人員は、突入部隊に邪魔が入らぬよう援護をお願いします」

 

 神の候補となるほどの強力なトリオン能力者なら、ノマスは最も防備の厚い首都都市に囲うだろう。堅牢極まる外殻を打ち砕き、巨大で複雑な都市内部へと切り込むことができるのは、(ブラック)トリガーを担う最高の騎士たち以外には考えられない。

 そして敵の首都に強襲を仕掛けるのは、神の候補を拉致する為だけではない。

 

「道中で神の候補が得られれば撤退を。そうでなければ、速やかに指揮所の制圧を目指してください」

 

 最終目標はノマス首都都市「パトリア号」の制圧、延いては地下の(マザー)トリガーの奪取だ。

 例え神の候補者を捕らえられずとも、(マザー)トリガーを確保すればノマスの全ての資産を掌中に収めたことになる。候補者など向こうから差し出してくるはずだ。

 それを拒めば、(マザー)トリガーを破壊し、長きに亘るノマスとの因縁に蹴りを付けることができる。どちらにせよ、目標は敵の首都都市である。

 

 ノマスに聖都を踏みにじられ、エクリシアの国威は大きく損なわれた。ここでエクリシアが確たる戦果を挙げられなければ、凋落の噂を聞きつけた近界(ネイバーフッド)の国々が、餓狼のように攻め寄せて来るだろう。

 祖国の興廃が掛かった一戦だ。速やかに汚辱を雪ぎ、我が国の武威を遍く世界に知らしめねばならない。

 

「では、作戦開始は払暁とします。皆さまに御武運が有らんことを」

 

 質疑応答で細部を詰めると、ようやく会議は終了となった。

 投影モニターの幾つかが閉じられると、只でさえ暗いブリッジがさらに薄暗くなる。

 夜明けまでには然程時間も残されておらず、まだ諸々の準備が残っている。騎士たちは一人、二人と退出を始め、其々の業務に取り掛かった。

 

 そしてフィリアといえば、ブリッジに一人残りコンソールに向き直ったまま作戦の見直しに余念がない。時間があるなら少しでも休んでおくべきだが、今の彼女は眠気も感じないほどに精神が昂ぶっている。

 

 家族を殺めた怨敵を、ようやくこの手に掛けることができるのだ。一見平静を保って見える少女の胸の内には、業火の如き殺意が燃えている。

 少女は双眸を炯々と輝かせながら、来たる戦争に向けて牙を研ぐ。

 とその時、フィリアの前に飲み物と軍用レーションが差し出された。

 

「――ご当主さま」

 

 彼女の不意を突いたのは、アルモニア・イリニだ。先ほど何も言わずに退出した彼が、少女の為に軽食を用意して戻ったのだ。

 

「大変だろう。少し食べておきなさい」

 

 金髪の偉丈夫は優しげな表情で少女を見詰め、そう進める。

 兎角自分の事は棚上げにする少女である。特に今の彼女の心境では、飲まず食わずだろうが何日徹夜しようが働き続けるに違いない。

 

「その……ご当主様、私は……」

 

 ノマスに来てから、微妙な距離感を修復できていない二人である。フィリアは伯父の変わらぬ優しさに、戸惑ったような表情をする。すると、

 

「もう戦うなとは言わない」

 

 アルモニアは諦めと寂しさの入り混じったような声でそう言う。

 

「ノマスとの決戦には、君にも出撃してもらう」

「――本当ですか! あ、ありがとうございます」

 

 参戦を許可するアルモニアに、フィリアが上ずった声で礼を述べる。

 あれほどフィリアを戦場に出したがらなかったアルモニアだが、少女の今の精神状態を鑑みれば、制止は無意味どころか悪影響にしかならない。

 復讐心に逸る彼女は誰が止めようが戦場に赴くだろう。暴走されるぐらいなら、最初から指揮下に置いておく方がいい。

 

 また動かしがたい事実として、少女はエクリシアの最高戦力の一つなのだ。国の興廃が掛かった一戦で、遊ばせておくことはできない。

 加えて、戦場の機微を読み取り、最善の選択を選び取る「直観智」のサイドエフェクトを持つ彼女が居れば、不測の事態にも迅速に対応できる。フィリアを戦場に出すよう、アルモニアはフィロドクス、ゼーン両騎士団から強い要請を受けていた。

 

「あの、私、頑張りますから。絶対にあいつらを――」

「フィリア」

 

 勢い込んで話し出した少女を、アルモニアが穏やかな声で遮る。

 

「君に戦う術を教えたのは私だ。……殺すことを咎める資格など、私にはない」

 

 そして彼は声に悔恨を滲ませてそう続ける。

 

「ち、違います。戦いを望んだのは、求めたのは私です。ご当主様の咎では……」

 

 沈痛な面持ちのアルモニアに、フィリアが慌てふためいてそう弁護する。

 そんな少女に限りない慈愛の眼差しを向け、

 

「それでもフィリア。君にお願いがある。――どうか、死なないでほしい。決して命を粗末にしないと、誓ってくれ」

 

 アルモニアはそう告げた。

 

「…………それは、でも」

 

 長い静寂が、ブリッジを満たす。

 ただ生きていてほしい。アルモニアの願いに、フィリアは頷くことができない。

 少女の命は、とっくに尽きているのだ。命より大切な家族を失った時、フィリアの生はその意義を失った。今の彼女は只の残骸だ。身を焼き焦がすような怒りと恨みが、少女の亡骸を無理やりに動かしているに過ぎない。

 

 仮に、自らの命と引き換えに復讐が為せるなら、少女は躊躇うことなく命を擲つだろう。

 直向きに己を思ってくれるアルモニアに、虚偽の返答はできない。すると、

 

「私では、君の家族にはなれないだろうか」

 

 アルモニアが切実な様子で少女にそう問う。

 

「――っ!」

 

 思いもがけない問いかけに、フィリアの金色の瞳が大きく見開かれる。

 今更ながらに少女は気付いた。家族を亡くしたのは、自分だけではない。

 ゼーン家に引き取られたこの二年、アルモニアはフィリアたちに惜しみない愛情を注ぎ、実の家族のように接してくれた。

 

 弟妹たちが貴族の生活に慣れることができたのは、アルモニアが時に厳しく、時に優しく導いてくれたお蔭だ。

 一度は絶縁されたはずの母も、彼を悪く言ったことは一度も無かった。復縁してからはより一層アルモニアに深い信頼を寄せ、子供たちの事を相談していたらしい。

 

 そしてフィリアも、溢れるほど愛情を彼から受けてきた。

 アルモニアには妻子がいない。もし己が死ねば、彼は本当に一人ぼっちになってしまう。

 その事実に今更思い当ったフィリアは、羞恥と罪悪感に頬を真っ赤に染める。

 

「そんなこと、ありません。ご当主様は――伯父様は、私の本当の家族です」

 

 少女は一言一言に満腔の喜びを込めてそう囁く。

 そう言うと、耳まで赤くなったフィリアは気恥ずかしげに俯いてしまう。

 先ほどの会議で見せた凛呼たる気迫は何処にもない。華も恥じらう可憐な少女にアルモニアが微笑みかける。

 

「それでは、少し食べて休むといい。体調を整えておかねば、満足に動けなくなる」

「――はい!」

 

 隣に座る伯父に笑顔を返すと、フィリアは早速レーションバーを齧る。

 彼女の大好物のチョコ味だ。舌が痺れるほどの猛烈な甘さが、疲れた脳に心地よい。

 

「そんなに美味しいかい?」

「はい。カカオレーションは素晴らしい発明品です」

 

 食事を取りながら、二人は取り留めの無い会話を楽しむ。

 お互い戦争の話題は避け、趣味の話や日常で起きた他愛ない笑い話などを繰り広げる。

 

 暗く狭いブリッジに響く、フィリアとアルモニアの忍び笑い。

 何の変哲もなく、それゆえに尊い家族の会話。

 

「それで、玄界(ミデン)の海は何と塩水でできているそうなんです。これには大地の岩石が関係しているとか。……やっぱり、塩水で育つとお魚の味も変わってくるのでしょうか」

「どうだろう。うちの国で養殖するのは難しいだろうな」

「やっぱり、現地で食べてみないと分かりませんね」

 

 様々な話題を経て、二人は玄界(ミデン)について話し込んでいた。

 

「フィリアは、そんなに玄界(ミデン)に行ってみたいのかい?」

「……はい。母さんや弟たちに、ずっと一緒に行こうって話してました」

「そうか……」

 

 果て無く広がる大陸と、それを取り囲む大洋に恵まれた玄界(ミデン)は、貧民時代のフィリアにとって憧れの存在だった。

 エクリシアでは塗炭の暮らしを余儀なくされていた下層民の彼らも、豊かさの象徴である玄界(ミデン)に赴けば、きっと人生を変えることができる。

 

 或いは玄界(ミデン)の存在があったから、少女は世界と戦うことを決意したのではなかったか。

 

「……もっと早く、伯父様とこんな風にお話すればよかった」

 

 話の種が尽きた頃、フィリアがぽつりとそんなことを呟く。

 イリニ家に迎え入れられてから直ぐに軍属になった彼女にとって、アルモニアは家族というよりは雲の上の上司という存在であった。

 また彼は大貴族の当主であり、聡明なフィリアはどうしても付き合い方に距離を置いてしまう。

 こんなに親しく言葉を交わしたのは、今日が初めてかもしれない。

 

「帰ってから、幾らでも話せばいい」

「……はい」

 

 どこまでも優しく語りかけるアルモニアに、フィリアは照れ笑いを浮かべて頷いた。

 明日を捨てた少女が、未来に目を向けた。彼女の心を救うことはまだ無理だが、それでも希望を抱いてくれたことに、アルモニアは心から安堵する。

 

「それで、ええと……」

 

 それからもう少し雑談を交わしていた二人であるが、段々フィリアの口ぶりが重たくなり、目をしばしばと瞬かせだした。

 

「眠いのだろう。少し横になったらどうだ」

「いえそんな……私は、全然へいちゃら、です」

 

 そう強がりつつも、既に少女はうつらうつらと舟をこぎ出した。

 ノマスでの精力的な働きからついつい忘れてしまうが、彼女は数日前まで精神の平衡を失っていたのだ。食事も碌にとっていなかったので、体力も落ちている筈だ。

 今日とて少女は朝から働き詰めだ。腹がくちくなったところで、急に睡魔が襲ってきたのだろう。

 

「まだ、しごとが……残ってるので……」

「代わりに片付けておく。少し寝ておきなさい」

「ううん……でも……」

 

 口ではそう言うが、フィリアはもう半分夢うつつだ。

 

「大丈夫だ。ゆっくりお休み、フィリア」

 

 アルモニアは少女を椅子から抱き上げる。もう彼女には反論する意識もない。

 そして彼はブリッジの後方にある長椅子に彼女を横たえた。船内は他の騎士たちが戦闘準備の為に走り回っている。無声通信に切り替えれば、此処が今の所一番静かだ。

 

 静かに寝息を立てる少女に、アルモニアは自分の上着をそっと掛ける。

 そうして少女の寝顔を愛おしげに眺めていた彼は、不意に手を伸ばすとその小さな頭を撫でようとする。

 

「…………」

 

 だが、アルモニアは逡巡すると、少女に触れずに手を引き戻した。寝入ってしまったばかりである。起こしてしまうことを危惧したのだろう。

 

「……君だけは、必ず」

 

 そして彼は、何事かを決意した強い眼差しを少女に向け、小さくそう呟いた。

 この残酷な近界(ネイバーフッド)では、幸福は他者の血を持って贖わなければならない。それが定められた世界の摂理である。

 彼は多くの人を殺め、今日までの時を過ごしてきた。

 

 いくつもの願いを犠牲にして、それでも護ろうと誓ったモノ――

 

「フィリア。どうか、君に未来を……」

 

 孤独な男の切なる祈りが、薄闇に溶けて消えていく。

 

 

 

 

 

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