WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の十五 総力戦 死地へ赴く

 カーラビーバの出現時、フィリアは正反対の位置で敵の誘因を行っていた。

 彼女は新型の脅威を即座に見抜くと、クレヴォの指示に先んじて移動を始める。

 ノマスの防御陣地は差し渡し数キロメートルにもなるが、「誓願の鎧(パノプリア)」の機動力なら数分とかからずに到着できるだろう。

 

 戦闘エリア一帯に断続的に降り注ぐ、雨のような砲撃。

 少女は驟雨の如きトリオン弾を反射盾の(ブラック)トリガー「救済の筺(コーニア)」で防ぎながら、アルモニアに助勢すべく空を駆ける。

 

 その途上、フィリアは標的となるカーラビーバを子細に観察する。

 新型トリオン兵が八方に伸ばした供給索が、まだ市民が残っているであろう都市や、朽ち果てたトリオン兵の残骸などに張り付き、拍動と共にトリオンを吸い取っている。

 あらゆる器物からトリオンを奪い、攻撃どころか自己修復まで行うカーラビーバは、まさしく無敵の怪物だ。

 

 エクリシアのトリオン兵や騎士が供給索を断ち切ろうとしているが、カーラビーバは次から次へと新たな索を伸ばしている。泥沼に穴を穿つようなもので、まったく切断が追い付いていない。

 しかし、フィリアはそんな絶望的な光景を目の当たりにしても、少しも冷静さを失わなかった。寧ろ、少女はさらに戦意を滾らせ、長大なトリオン兵の体躯をくまなく探る。

 

(――見つけた)

 

 そして、少女の「直観智」はカーラビーバの急所となるトリオン供給機関の位置を探り当てた。それは蛇体の中央、最も装甲の厚い位置にある。

 供給機関さえ破壊すれば、どれ程非常識な兵器であろうと沈黙せざるを得ない。ただ、「灼熱の華(ゼストス)」でさえ貫けなかった装甲だ。正攻法で破壊するのはまず無理だろう。

 

 エクリシアのトリガーでそれが可能なのは、火力と貫通力に特化した、「劫火の鼓(ヴェンジニ)」あらゆるトリオンを吸収する「懲罰の杖(ポルフィルン)」、トリオンに潜行し内部から破壊できる「潜伏の縄(ヘスペラー)」、そして、フィリアの「救済の筺(コーニア)」ぐらいのものだろう。

 

 少女は意を決すると、進路を変更し、弾幕を撒き散らすカーラビーバへと接近する。

 供給機関に最も近い位置にいるのは彼女だ。一分一秒でも時間が惜しい今、逡巡することはできない。

 だが、少女が標的の目前にまで迫った時、突如として行く手を遮るかのように、翠緑のドームが現れた。

 

「――っ」

 

牧柵(サエペス)」に捕らえられたことを悟ったフィリアは、即座に「救済の筺(コーニア)」を半球状に展開し、自身の下方を護る。

 と同時に、眼下から襲い来る銃弾の嵐。

 カーラビーバの攻略法を探るのに気が逸ったか、ノマスのトリガー使いに包囲を許してしまったのだ。しかし、

 

「――う、ぐあっ!」

 

 悲鳴を上げたのは、彼らの方だ。

救済の筺(コーニア)」の煌めく障壁によって軌道を反転させられた弾丸が、トリガー使い、トリオン兵に浴びせかけられる。撃ちだされた弾が一切の遅延なく発砲者へと帰ってくるのだ。とても防御が間に合うものではない。

 雨のような弾丸に曝され、地上に潜んでいた敵勢が次々に行動不能になる。

 だが、「牧柵(サエペス)」は一向に解ける様子が無い。起動者はどこかに隠れているらしい。

 

「…………」

 

 フィリアは冷徹な眼差しで敵の姿を探す。

 こうして足止めを受けている間にも、カーラビーバの砲撃によって味方が削られている。早急に「牧柵(サエペス)」の起動者を排除せねばならない。

 フィリアが意識を地上の敵兵に向ける。とその時、視界の端に、黒い影が舞った。

 

「――っ!」

 

 少女は己の直観に従い、障壁を左方へと展開する。

 と同時に、甲高い破砕音が響く。

 

「やはり……新手の(ブラック)トリガーか」

 

 低く嗄れた声が、少女の耳を打つ。

 今しがたフィリアに奇襲を仕掛け、そして地上へと落下していくのは、漆黒のマントを纏った老人。(ブラック)トリガー「凱歌の旗(インシグネ)」の担い手カルクスだ。

 

 先の地上からの一斉射撃は、目晦ましの手であったらしい。

 ノマスの老雄は「牧柵(サエペス)」の内側に位置する都市外殻を駆け登ると、マントを用いて大跳躍し、フィリアへと襲い掛かったのだ。

 

 しかし、少女は天才的な反応速度で奇襲を防いだ。硬質化したマントは反射壁に触れるや、突きかかった力と同等のエネルギーを受けて粉々に砕け散る。

 カルクスは破損したマントを器用に操り、グライダーのように滑空して草原へと降り立つ。

 そして空中に浮かぶフィリアを油断なく睨みつけながら、秘匿通信で何やら部下へと指示を出し始めた。

 

 只でさえ時間が惜しいと言うのに、敵の(ブラック)トリガーにまで捕捉されてしまった。

 しかも、この老人はノマスでも有数の手練れだ。ニネミアやドクサが散々に苦戦させられたのは記憶に新しい。

 

「「凱歌の旗(インシグネ)」と会敵。戦闘に移ります」

 

 しかし、フィリアは平静な声で通信を済ませるや、強敵に臆することなく昂然と攻めかかった。

 得物に飛びかかる鷹のように、騎士がスラスターを噴かして地上へと急降下する。

 

 これに驚いたのがカルクスだ。昨夜のニネミアの救出時、そして先ほどまでの戦いから、フィリアの持つ(ブラック)トリガーが防御性能に特化していることまでは把握していた。

 だからこそ、「牧柵(サエペス)」で孤立させたことに意義がある。防御・援護型トリガーは厄介窮まりないが、それも攻撃役と連携しての話である。

 上手く孤立させれば、仕留めるのは容易い。

 にも関わらず、騎士は放たれた矢のようにカルクスへと迫り来る。

 

 何か攻撃手段があるのか、それともそう見せかけるためのブラフか。

 迎撃するか、一旦距離をとるか。しかし、百戦錬磨のカルクスは迷わなかった。

 

「ここで仕留める。援護せよっ!」

 

 決然と言い捨てるや、漆黒のマントをはためかせて真正面から騎士へとぶち当たる。

 都市の自爆を受けても傷一つ付かない反射壁。たとえ攻撃手段があったとしても、然程のものではないはず。

 加えて敵のトリガーの秘密を暴くには、結局は誰かが交戦せねばならない。

 数十年にも及ぶ戦闘経験と、それに裏打ちされた超絶の武芸。

 カルクスは焦ることなく、昂ぶることもなく、達人に相応しい明澄な精神で騎士と対峙する。だが――

 

「な――」

 

 突如として体内に感じた違和。

 それがトリオン体の異常を知らせる痛みだと気付くには、カルクスほどの手練れを以てしても一瞬の間を要した。

 

「馬鹿な……」

 

 呟きと共に、カルクスのトリオン体が黒煙を上げて破裂する。

 トリオン供給機関への致命的な一撃。

 しかし、騎士はただ愚直にこちらに向かってきただけで、攻撃体勢に移った様子は見られなかった。

 

「――全隊散開せよっ! 距離を取れ!」

 

 騎士はカルクスを撃破するや、スラスターを噴かせて力任せに進路を捻じ曲げると、他のトリガー使いたちへと襲い掛かる。

 地上五メートルの位置でトリオン体を失ったカルクスは、強かに地面に打ち付けられながらも嗄れ声で警告を叫ぶ。

 騎士は悪魔の如き軌道でノマスの戦士たちに追いすがると、正体不明の攻撃で次々に彼らを撃破していく。

 

 その有様は、まさに奇怪の一言に尽きる。

 騎士は決してノマスの戦士たちに触れてはいない。ただ高速で空を飛びながら傍らを通り過ぎるのみ。しかし、次の瞬間には戦士のトリオン体は致命傷を受けているのだ。

 

「っ、抜かれたか……」

 

 そして、騎士はとうとう「牧柵(サエペス)」の起動者をその手に掛けた。

 天地を覆っていた翠緑のドームが、陽光を浴びた淡雪のように消え失せる。

 すると、白亜の人影は流星のような速度で光の檻から飛び去る。

 

(要らぬ時間を取られた……けど、敵の(ブラック)トリガーを落とせたのは大きい)

 

 高速で流れる景色を見ながら、フィリアはカーラビーバの供給機関へと急行する。

 一秒を争う状況で「牧柵(サエペス)」に掴まったのは痛恨の極みだが、僥倖にもノマスの最大戦力の一人、「凱歌の旗(インシグネ)」の使い手を撃破することができた。

 まともに遣り合えば苦戦は免れないであろう達人だったが、こちらの手札を把握していなかったのが運の尽きだ。

 

 母パイデイアが残した(ブラック)トリガー「救済の筺(コーニア)」は、何物にも打ち破れない無敵の反射盾を形成する機能を持つ。

 シールド前面の空間を歪曲させることで、物質・トリオンを問わず、起動者が指定すれば光や音まで遮断することができる。原理上、「懲罰の杖(ポルフィルン)」などのトリオン無効化や、シールドを透過する攻撃さえ完全に防ぐという、正に鉄壁のトリガーである。

 

 展開可能距離こそ十メートル足らずだが、展開速度はコンマ零秒以下、それもサイズや形状は自由自在に変化させることができる。

 しかし超絶の防御力を有する「救済の筺(コーニア)」は、その高性能の代償ゆえか、本来は一切の攻撃能力を持たない。

 ただ無敵の盾を張るだけのトリガーで、如何にしてフィリアはカルクスを退けたのか。

 

 それは「救済の筺(コーニア)」に隠されたもう一つの特性に起因する。このトリガーは、反射盾を如何なる場所にでも創出することができるのだ。

 

 通常のシールドトリガーは空気中や水中など、障害物のない空間にしか展開できないが、「救済の筺(コーニア)」は展開座標に如何なる物体があろうとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――勿論シールドが現れれば、その座標にあった物体は綺麗に二分されることになる。

 

 万難を排してでも我が子を護ろうという、母の愛が形となったかのような特性。フィリアはそれを攻撃に転用したのである。

 いくら頑強であろうと、いくら稠密であろうと、空間を押しのけて現れるシールドには関係ない。そして刹那の瞬間に現れる以上、逃れることもできない。

 射程に入った万物を即座に両断する、防御も回避も不可能な斬撃。

 

 フィリアの天才は、母の愛情を殺戮の刃へと変える術を見出したのだ。

 無敵の盾と最強の剣を備えた少女を、誰も止めることはできない。そして「救済の筺(コーニア)」の能力を以てすれば、規格外の超巨大トリオン兵カーラビーバとて恐れるに足りない。

 

「私が新型の供給機関を破壊します。総長閣下は止めをお願いします」

 

 少女はアルモニアへ通信を繋ぐと、弾雨を掻い潜りながら巨大な蛇体へと急行する。

 カーラビーバの背面から放たれた弾丸が、反射盾によって跳ねかえされる。弾雨を浴びせられた蛇体が白煙を上げて砕け散った。

 そして攻撃が止まった寸毫の間に、フィリアは巨大な蛇体へと取りついていた。

 

「此処までです」

 

 カーラビーバの外殻に手を触れ、少女が冷厳に呟く。

 転瞬、分厚い装甲の奥深くに位置するトリオン供給機関に、薄板状の異物が発生。巨大兵器の心臓部を果実のように断ち割った。

 

 戦場の喧騒を圧して響く轟音。突如として急所を両断されたカーラビーバが、長大な体躯をのた打ち回らせ始めたのだ。

 ただの生き物なら、死に瀕した際の反射運動と捉えることもできるだろう。しかし、カーラビーバは冷酷無情の殺人兵器トリオン兵だ。機能停止を目前にしても、その行動には明確な目的がある。

 

 カーラビーバの背面に黒い柱列が現れた。不気味な光と共に拍動する柱には、桁違いの密度のトリオンが集められる。

 再生機能を破壊され、継戦が不可能となったカーラビーバは、内蔵トリオンを全て用いて自爆するつもりなのだ。

 

 只でさえ都市一つ分のトリオンを食いつぶして生まれたカーラビーバである。加えて戦場に転がる残骸や、放棄された都市からもトリオンを吸い上げつづけていたのだから、蓄えられたトリオン量はどれ程になるか想像もつかない。

 それら全てを燃料にすれば、戦場をまるごと吹き飛ばすほどの大爆発が起きるだろう。

 まったくもって正気の沙汰ではないが、それでもエクリシアの軍勢に爆発を凌ぐ手立てはない。

 

「――総長閣下」

 

 しかし、空中を遊弋するフィリアは毛ほどの動揺も見せずに通信を繋ぐ。彼女にとって、カーラビーバが自爆を企てる事は既定の事実であったからだ。

 

「ああ、後は任せなさい」

 

 そんな少女に力強く語りかけるのは、高空でカーラビーバの攻撃を一手に引き受けていたアルモニアだ。

 厄介な再生能力さえ封じられれば、如何な超巨大トリオン兵といえども彼の敵ではない。

 また、カーラビーバは未だに頭部を天高く擡げている。御誂え向きのシチュエーションだ。アルモニアが少々派手に力を振るったとしても、味方を巻きこまずに済む。

 

「「懲罰の杖(ポルフィルン)」」

 

 厳かな声でそう呟くと、アルモニアが手にした武器が淡い燐光を発しながら形状を変える。細長い軟鞭を構成する極小のトリオンキューブが解れ、再び結集すると、彼の手には皓々と輝く大剣が握られていた。

 先のカーラビーバとの攻防で、「懲罰の杖(ポルフィルン)」には膨大な量のトリオンが蓄えられている。

 

 今こそ、難敵を葬り去る好機。アルモニアは光輝く大剣を高々と掲げる。

 輝く大剣に脅威を感じたのか、それとも自爆前の規定プロセスをこなすためか、大蛇は即座に口腔を閉じ、弱点のコアを格納する。

 自爆形態に移行したことで、カーラビーバの外殻はまさに空前絶後の強度となる。だが、剣聖が振るう至高の一撃には及ばない。

 

「――」

 

 鋭い呼気と共に振り抜かれる光の剣。

 そこから放たれたのは、太陽をも欺く極光だ。

 アルモニアが用いたのは「懲罰の杖(ポルフィルン)」が有する機能の一つ、蓄積されたトリオン全てを攻撃に転換する技である。

 

 カーラビーバの苛烈極まる攻撃によって得られたトリオンが、今まさに彼の敵を討つ。

 空を切り裂く光の奔流は、鎌首を擡げる大蛇の頭部を一瞬で呑み込んだ。

 

 そして一瞬の後に光が消え去ると、後には頭部を失った大蛇の残骸が残される。

 コアを消し飛ばされたカーラビーバは自爆することもできず、完全に機能を停止した。

 そして残された巨体がゆっくりと傾ぎ、地響きを立てながら戦場へと崩れ伏す。

 

 ノマスが起死回生を目論んで投入した超兵器カーラビーバは、ここに命脈を絶たれた。

 エクリシアの騎士を足止めしていたノマスの兵は、切り札の敗北に周章狼狽する。未だ本部との通信が途絶えている以上、次の手など打ちようもない。

 一旦はノマス優位にまで傾いた天秤が、再び水平へと戻される。エクリシアはこの機を逃さず、追撃を行う。

 

「ゼーン閣下。敵は壊乱状態にあります。今こそ砲撃を」

 

 難敵を葬り去ったアルモニアが通信機に向けて語りかける。

 彼方から戦況を窺い続けていたニネミアに、出番が訪れたことを伝えたのだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 都市群から遠く離れた草原でも、大蛇が地に伏す姿ははっきりと見えた。

 草原に立っていたニネミアは軽やかに跳躍すると、転がっていたバムスターの残骸へと駆け上る。

 カーラビーバの長距離砲撃は都市周縁までをも射程に収めており、彼女は先ほどまで降り注ぐ弾雨から身を躱し続けていたのだ。

 

「これで、ようやく……」

 

 ニネミアの周囲に浮かんでいるのは、「劫火の鼓(ヴェンジニ)」の射撃ビットだ。

 ヘッドアップディスプレイに上げられた情報を見るに、イリニ騎士団のフィリアとアルモニアが共同で敵の新型トリオン兵を撃破したらしい。

 加えて、ノマスの防衛部隊も未だ陣を立て直せておらず、騎士たちに翻弄されている。

 

 待ち望んでいた砲撃のチャンスだ。

 ニネミアは機能停止したバムスターの頭部に着地すると、前方に射撃ビットを呼び寄せ、円状に配置する。

 狙いは彼方に聳える白亜の巨城、ノマスの首都都市「パトリア号」だ。

 周囲に配置された中小都市に射線が被らぬよう位置取りを心がける。距離はかなりあるが、最大出力の「劫火の鼓(ヴェンジニ)」なら減衰分を考慮しても十分都市の外殻を貫くことができるだろう。

 

「こちらゼーン騎士団ニネミア。これより砲撃を行う」

 

 他の騎士たちに通信を入れると、ニネミアは足元のバムスターの残骸をしっかりと踏みしめ、砲撃のシークエンスを開始する。

 六角型の射撃ビットが回転を始め、虚空に光の輪ができる。

 そして光輪の中央には目も眩まんばかりの光球が現れた。ニネミアは温存し続けたトリオンを、ただ一射の為だけに注ぎ込む。

 

 十秒余りが経過する。砲撃はまだ行われない。

 射撃ビットの回転数はいや増し、光球は危険なばかりに輝きを強める。エクリシアでも屈指の出力を誇るニネミアのトリオン機関から、「劫火の鼓(ヴェンジニ)」はトリオンを極限まで吸い上げ、限界まで圧搾していく。

 

 さらに数十秒の時が流れた。

 大気が震え、草原が揺れる。

劫火の鼓(ヴェンジニ)」は限界を知らぬかのようにトリオンを凝縮し続け、まるで地上にもう一つの太陽が現れたかのように燦然と輝く。

 ニネミアの全身全霊を込めた究極の一射。近界(ネイバーフッド)広しといえども、威力に於いてこれを上回るものはそう幾つもないだろう。

 

 時は満ちた。今こそ勝負の時。

 ニネミアは「誓願の鎧(パノプリア)」の機能を十全に生かして、緻密な弾道計算を行う。

 トリオンによる射撃は実弾と違い気流の影響を受けないが、如何せん目標まで距離がある。少しの誤差が致命的な過ちを招きかねない。

 

「「劫火の鼓(ヴェンジニ)」――発射」

 

 彼方に聳える「パトリア号」を見据え、ニネミアが言葉を紡ぐ。

 ――その瞬間、彼女の身体を衝撃が襲った。

 

「な――」

 

 突如として、ニネミアの視界が暗黒に染まる。

 彼女は咄嗟に砲撃を中止した。衝撃で体制が崩れ、射撃体勢のビットが有らぬ方向を向いてしまった。

 

「――伏兵!」

 

 彼女は即座に不測の出来事の正体を悟った。砲撃の瞬間を狙って、ノマスの兵が彼女に襲い掛かったのだ。

 

「っ……」

 

 ニネミアの視界が闇に閉ざされたのは、彼女の纏う「誓願の鎧(パノプリア)」へのトリオン供給が絶たれたからだ。

 敵は鎧の弱点である腰部のトリオンバッテリー「恩寵の油(バタリア)」へと、狙い澄ました一撃を加えたのである。

 

 暗闇の中、身に纏った鎧は只の重しとなり、ニネミアの身体はバランスを失う。

 鎧の機能を回復させるには、彼女のトリオン体から鎧へとトリオンを供給すればいい。しかし、砲撃体勢を解除しないことにはそれも不可能。よしんば鎧の機能を回復させたとしても、今のニネミアには鎧を満足に動かせるだけのトリオンは残されていない。

 

 万事休す。と誰もが思うであろう状況。――それでも、ニネミアの心には毛ほどの揺らぎもなかった。

 国の守護者たる騎士として、万民を導く貴族として、彼女は負けられない。

 

「これしきで、私を止められると思うな!」

 

 彼女は漆黒の闇の中、傾ぐ身体を無理に支え、「劫火の鼓(ヴェンジニ)」の狙いをつける。

 見えずとも構わない。彼我の位置関係は頭に叩き込んでいる。一流の射手にとって、これしきの状況など妨害の内に入らない。

 

「いっけぇぇぇぇっ!」

 

 裂帛の気迫と共に、光がはじけた。

 極限まで高められたトリオンが、光の奔流となってノマスの天地を二つに切り裂く。

 あらゆる事物を薙ぎ払い、如何なる事象にも留め立てされぬ光の帯。それは正に雷神の赫怒、暴力と破壊の顕現であった。

 放たれた光線は一瞬で宙を駆け抜けると、狙い過たず白亜の壁に直撃する。

 

 ノマスの国威の象徴、護国の要として築き上げられた巨大都市「パトリア号」の外殻は、しかし「劫火の鼓(ヴェンジニ)」の猛威に抗することなく破られた。

 分厚い装甲が一瞬で融解し、二十メートルを超える風穴が空く。のみならず、ニネミアが射線を横にずらした為、光線は都市内部を焼き払いながらさらに数百メートルの外殻を焼き切る。

 

 瞬く間に「パトリア号」は胴部を半切断される痛手を負った。勿論被害は建物だけにはとどまらない。人的被害も相当数出ている筈だ。

 そして外殻に走った亀裂からは、早くもエクリシアのトリオン兵が内部へ入り込もうとしている。「パトリア号」は内部に幾層もの隔壁があるが、損傷個所は余りに広く、侵入を防ぐのは不可能だ。

 

 戦局は完全にエクリシアへと傾いた。

 ここからは如何にしてノマスを屈服させるかという、詰めの段階に入っている。

 

「狙いはよかった。意表をつかれたわ。けど……残念だったわね」

 

 己の役目を完全に果たし終えたニネミアは、「誓願の鎧(パノプリア)」を脱ぎ捨てると、虚空に向けて傲然とそう呟く。

 彼女の視線の先には、ただ草原が広がるのみ。しかし目を凝らせば、バムスターの残骸の上に奇妙な違和を見つけることができる。

 型板ガラスを通したような滲んだ景色が、人の形をしている。

 ノマスの隠密トリガー「闇の手(シカリウス)」の使い手が、ニネミアの目と鼻の先に居るのだ。

 

「…………」

 

 人影の正体は、ルーペス氏族の若き戦士カルボーである。

 エクリシアと苛烈な戦闘を繰り広げていた彼は、不意に戦闘エリアの外に待機するエクリシアの騎士に気付いた。

 そこで彼は隠密状態で近づき、排除の機を窺ったのだ。

 果たして読みは的中した。騎士は戦局を決定づける重要任務を負った(ブラック)トリガー使いだったのだ。

 そして彼は完璧なタイミングで妨害に乗り出し、攻撃力に劣る「闇の手(シカリウス)」で騎士甲冑「誓願の鎧(パノプリア)」を無力化することに成功した。

 

 ――ただ一つの誤算は、ニネミアが不屈の精神力を発揮し射撃を敢行したことであった。しかも彼女は視界を奪われながらも、曲芸じみた砲撃を見事にこなしてのけた。

 真一文字に亀裂の走った「パトリア号」を視界に捉えながら、カルボーは無言で奥歯を噛みしめる。結局自分は、またしても成し遂げられなかった。

 

「さて――邪魔をしてくれた礼をしなければ、ね」

 

 ニネミアはそう言って、「劫火の鼓(ヴェンジニ)」の射撃ビットを呼び寄せる。

 実際の所、彼女のトリオンは先ほどの砲撃で完全に底を突いており、一射たりとも撃つことはできない。苦し紛れのブラフである。

 

 しかし、カルボーは隠密形態を維持したまま、速やかにその場を離脱した。

 もはやニネミアにかかずらっている場合ではない。消耗した彼女は何の脅威にもならず、捨て置いても問題ない。今は「パトリア号」の救援が先だ。ここで首都都市とその直下にある母(マザー)トリガーが落とされれば、ノマスはエクリシアに完全に屈服させられてしまう。

 そうなれば、幾ら捕虜を取ろうとも何の意味も無い。

 カルボーは焦燥と悔恨の念に胸を焦がされつつ、ひたすら地を蹴って戦場へと舞い戻る。そして、

 

「…………引き下がったか」

 

 遠ざかる敵の気配に注意を向けながら、ニネミアはほっと息を付く。

 戦闘はこれからが佳境だが、トリオンの尽きた彼女は何の役にも立たない。現在彼女に課せられた使命はとにかく無事に戦場を離脱することだ。遠征艇まで戻れば、戦闘部隊のサポートができる。

 

「後は任せるしかない。口惜しいわね」

 

 脳裏に浮かぶのは、白髪の少女の姿。

 ニネミアの友人は、今まさに敵の中枢に向けて進軍しているのだろう。

 彼女は少女の武功と、無事の帰還を祈ると、苛烈さを増す戦場の狂騒を背に、(ゲート)の封鎖区域外を目指して走り出した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 水平に奔る稲妻が、聳え立つ巨城を打ち据える。

 天が裂け、地が震える。天変地異にも等しき規格外のエネルギーが、ノマスの首都都市「パトリア号」の堅牢無比な外殻を、紙のように焼き切る。

 巨大なレーザーはそのまま横へと滑り、外殻の中ほどを一文字に薙ぎ払った。

 如何なる敵をも阻むべしと、ノマスが精力を傾けて創り上げた城塞都市が、エクリシアの暴威によって打ち破られる。

 

 破壊の極光を、フィリアは光量調整された視界ではっきりと見届けた。

 一瞬の光が過ぎ去ると、後には深く長い亀裂が残される。個人が為したとは俄かには信じがたいほどの、凄まじい破壊の痕跡だ。

 その痛ましい傷跡を、少女は爛々と輝く瞳で見つめる。

 

「ゼーン閣下が成し遂げたぞ。総員、仕上げに掛かれぃ!」

 

 耳朶を打つ嗄れた声は、エクリシアの遠征指揮官クレヴォの命令だ。

 巨大な城塞都市がレーザーに切り裂かれるという空前絶後の情景を目の当たりにして、然しもの賢者も興奮を隠せないようだ。

 それは勿論、フィリアも同じだ。

 

「フィリア・イリニ、吶喊します!」

 

 凛と声を張り上げ、少女がスラスターを噴かせて宙へと舞い上がる。

 ニネミアの砲撃の成功によって、エクリシアのノマス攻略作戦は後段階に移った。

 今次遠征はノマスの命脈を絶つことが目的である。その為に、祖国の復興を後回しにしてまで膨大なトリオンをつぎ込み、八本もの(ブラック)トリガー投入したのだ。

 

 首都外殻を破壊した今、狙いは「パトリア号」の中枢、戦闘指揮所の制圧だ。

「パトリア号」はノマスの(マザー)トリガーの直上に位置し、腹を地面につけて大地に蓋をしている。

 地中深くに位置する(マザー)トリガーとはいえ、点検のための通路は必ずある。「パトリア号」を制圧し、その通路を見つけ出すことができれば、次はそこに兵を送り込む。

 

 (マザー)トリガーを抑えることができれば、エクリシアの完全なる勝利だ。

 たとえそこまで叶わずとも、首都を制圧すれば大勢は決したも同然だ。

 これほどのコストを掛けた巨大都市が破壊されれば相当な痛手だろう。捕虜の獲得も順調だ。ノマスの国力は今後数十年大きく減退するはず。

 また首都を制圧すれば、それと引き換えに交渉を迫ることもできる。

 いちいち神の候補を探して回るよりは、相手から出させた方が確実だ。

 

「パトリア号」に突入するのは(ブラック)トリガーを担うエクリシアの最精鋭たちだ。部隊は彼らと小型のトリオン兵のみ。その他の騎士たちは、都市外部でノマスの戦士たちを防ぐ。

 ノマスの戦力の殆どは都市の外に出ており、内部の防備は薄いはず。それでも貴重な(ブラック)トリガーを敵の本拠地に送り込むというのは、本来なら余りにリスクが高い。

 エクリシアがノマスへ抱く殺意の程が、ありありと窺える。

 

「指揮所は都市の中心部に存在する模様。先行します」

 

 フィリアは通信機にそう呟くと、巨大な亀裂から「パトリア号」の中へと入った。

 騎士はそれぞれ単独で中枢を目指すことになっている。都市内部の構造は不明だ。分進することで、一刻も早い制圧を目指す。各個撃破の危険は伴うが、それ故にエースを投入するのだ。

 カーラビーバを葬ったアルモニアや、都市上空に陣取るクレヴォも程なく侵入を果たすだろう。「牧柵(サエペス)」に捕らえられたドクサやジンゴは遅れるかもしれない。戦闘能力に劣るカスタノは、誰かに同道するはずだ。

 

 援護の望めない状況下で、道も分からぬ敵地に飛び込む。

 しかし、フィリアの闘志はこの上なく高まっていた。兜の内側、少女の面には隠しようもない喜悦が浮かんでいる。

 いや、果たしてそれは闘志の顕れであっただろうか。

 少女の金色の瞳には淀んだ光が宿り、口元には禍々しい笑みが刻まれる。

 

「やっと、やっとあいつらを――殺せる」

 

 小鳥が歌うような、喜びと希望に満ちた声が戦場の喧騒に交る。

 少女がこの地を踏んだ意味。

 彼女から全てを奪った、ノマスの人々。

 彼らに絶望を与えるこの時を、フィリアは今か今かと待ち望んでいたのだ。

 

 双眸に宿るのは、今にも決壊しそうな激情の色。

 狂気に取りつかれた少女は、放たれた矢のように都市の奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

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