WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の十七 死闘 絶叫

「パトリア号」内部に張り巡らされた通路はとても狭く、また意図的に入り組んだ造りになっており、その様はまるで巨大な生物の体内に迷い込んだようだ。

 

 風に舞う燕のように、曲がりくねった通路を猛スピードで飛び進む人影がある。

 白亜の残像だけを残して「パトリア号」を飛翔するのは、誰よりも先んじて突入を果たしたフィリアだ。

 

 少女は冷厳な眼差しで、流れゆく景色を油断なく見遣る。

 侵入者を迎撃するための仕掛けだろう。迷路のように狭い通路には、随所に無人の銃座が備え付けられえており、フィリアの姿を発見するや、猛烈な射撃を加えてくる。

 

 また、明らかに進行を阻害するための隔壁や、こちらの身動きを妨げようとする罠も多数設置されている。

 しかし、フィリアは巧妙に設置されたそれらの装置を、一切速度を落とすことなく、最小限の動きで切り抜ける。

 八方から襲い来る弾丸も、刃のように研ぎ澄まされた五感と、「直観智」のサイドエフェクトを以てすれば恐れるに足りない。

 

「う、うわあっ!」

 

 時折、逃げ遅れたと思しき市民が視界の隅を通り抜ける。しかし、少女は一顧だにしない。指揮所を制圧すれば、彼らの命は掌の上だ。

 そして通路を邁進していたフィリアは、低層へと続く吹き抜けへと到達した。少女は躊躇うことなくスラスターの出力を全開にして、更なる加速と共に急降下する。

 

「パトリア号」の内部情報は一切不明だが、少女のサイドエフェクトは指揮所までの最短経路を正確に示してくれる。

 ルートは間違っていない。だがその時、少女の直感が警鐘を鳴らす。

 

 回廊で囲まれた吹き抜け広間。待ち伏せにはうってつけの地形だ。

 少女が地面に降り立つや否や、案の定複数のトリオン反応が現れた。

 

「――」

 

 上方の回廊から飛び出したのは、狼に似たトリオン兵、ヴルフ・ベシリアたち。

 滝のように浴びせかけるのは、シールドを透過する粘着弾だ。

 が、少女は襲撃を予め知っていたかのように「救済の筺(コーニア)」を展開。光り輝く反射盾は、何の問題も無く粘着弾を跳ね返す。

 自らが放った粘着弾を顔面から浴び、もんどりうって倒れるヴルフ・ベシリアたち。だが、敵はそれらだけではなかった。

 

「……」

 

 騎士の前進を阻むように、広場には大量のトリオン兵が現れた。

 先のヴルフ・ベシリアに加え、尾部にブレードを仕込んだ近接格闘型のヴルフ・ホニン、追尾弾を発射可能なヴルフ・レイグと、小型だが厄介な強化型ばかりだ。

 

 フィリアは寸毫の迷いもなく、それらのトリオン兵を破壊に掛かった。

救済の筺(コーニア)」の絶対防御を用いれば強行突破は容易いが、流石にこの数は振り切れず、後ろから追われることになるだろう。彼らを引き連れて進めば、指揮所を制圧する際に邪魔になる。

 後々の事を考えれば、ここでトリオン兵を削っておくのが正解だ。どちらにせよ、そこまで時間はかからない。

 

 狼型トリオン兵の群れが一斉にフィリアへと襲い掛かる。

 だが次の瞬間、猛り狂ったように飛びかかる数十体ものヴルフが、突如として動作を停止した。

 見れば、それら全ての機体を横切るように、「救済の筺(コーニア)」のシールドが展開している。

 輝く透明な板は広間を二分するほど巨大で、しかもヴルフの位置に合わせて複雑に形状を変えている。

 

 一拍の間をおいて、ヴルフの切断された胴や首が地に落ちる。空間を押しのけて現れたシールドによって、トリオン兵の群れは一瞬のうちに壊滅した。

 まだ幾らかのヴルフは残っているが、連携を取られなければ然程の脅威ではない。

 フィリアは残敵を適当にあしらいつつ、先を急ごうとする。その時、

 

「っ――」

 

 上方、左右から急接近する複数のトリオン反応を検知。フィリアは新手を迎え撃つため、戦闘態勢を取る。

 瞬間、少女の研ぎ澄まされた超感覚が異変を察知した。今度の敵はトリオン兵だけではない。

 視界の片隅、上方の回廊で人影が動く。その人物の正体に思い当った瞬間、――少女の思考は煮え爆ぜた。

 

「お前かあぁぁッ!!」

 

 それまでの冷静さは跡形もなく消え失せ、少女の喉から獣のような怒号が迸る。

 上空からフィリアに向かい来るのは五体のクリズリ。そのどれもが、全身を漆黒の葉脈に覆われている。

 ノマスの(ブラック)トリガー「悪疫の苗(ミアズマ)」による強化トリオン兵。

 フィリアの母パイデイアを殺害した、直接の加害者だ。

 

 怨敵との遭遇に、フィリア頭からは一切の思慮が吹き飛んだ。もはや指揮所の制圧も、勝敗の行方も関係ない。

 少女は即座に「救済の筺(コーニア)」を展開し、襲い来るクリズリを胴切りにする。だが、

 

「っ――」

 

 上半身だけになっても、クリズリは止まらない。ブレード付きの長腕を振り上げ、少女へと襲い掛かる。

 トリオンを強化する「悪疫の苗(ミアズマ)」の釘には、それそのものに伝達脳と供給機関が存在する。釘自体を破壊せねば、クリズリは止まらない。

 そして強化クリズリたちはフィリアの周囲から示し合せたようにタイミングをずらして波状攻撃を仕掛ける。

 

 展開速度、形状操作ともに凄まじい性能を持つ「救済の筺(コーニア)」だが、唯一の欠点は一度に一枚しか反射盾を展開できないことだ。攻撃に用いれば、その間防御はできなくなる。

 フィリアは身体を捩じってクリズリの攻撃を躱しながら、ともかく別の一体を真っ二つに切り裂き、行動不能にする。

 

 さらに別の一体が短腕からトリオン弾を放つが、それをも見越していた少女は真上に飛翔して弾雨を躱す。

 怒りに我を忘れていても、少女が身に着けた技量は本物だ。いくら強化されたクリズリといえど、彼女の敵ではない。

 そしてフィリアのサイドエフェクトは、真に倒すべき敵の姿を捉えていた。

 

「あああぁぁっ!」

 

 雄叫びを上げながら、少女は上階の回廊を目指して飛ぶ。

 階下の戦況を窺っていたのは、茶髪の編み込みを下げた女性モナカだ。

 彼女こそが「悪疫の苗(ミアズマ)」の使い手、母の仇だと悟ったフィリアは、ぶち当たるようにモナカへと襲い掛かる。

 少女はもはや栄光に彩られた騎士ではなく、ただ血を求めて猛り狂う一匹の獣であった。

 

 回廊の手すりを体当たりで破り、鎧を纏った悪鬼が怨敵へと襲い掛かる。

 尋常ならざる気迫の突撃を目の当たりにして、然しものモナカの表情が凍りつく。

 元々、争いごとの才覚に乏しく、戦士としては一流に及ばない人物だ。度外れた暴力を前にして、圧倒されてしまうのも無理はない。

 それでも、積年の努力は彼女を裏切らなかった。

 

「――」

 

 忘我の瞬間にあっても、彼女のトリオン体は覚え込ませた型通りに動く。

 掌中に「悪疫の苗(ミアズマ)」の釘を出現させ、それを眼前に迫り来る敵に投げつける。

 長年の訓練による、洗練された瞬息の投擲。だが、漆黒の釘が手から離れたその瞬間、彼女の視界が斜めにずれた。

 

「な――」

 

 フィリアが展開した「救済の筺(コーニア)」が、モナカの顔面を果物のように両断する。

 供給脳を破壊され、トリオン体が瞬時に崩壊する。生身となったモナカは後方へとよろめくと、体勢を崩して廊下に尻もちをついた。

 そして衝撃から立ち直った彼女が目にしたのは、悪魔の如き形相で向かい来る、白髪金瞳の少女の姿だ。

 

 モナカが投擲した釘は、過たず鎧の肩に突き刺さっていた。「悪疫の苗(ミアズマ)」による支配は、即座に全身に及ぶはず。

 だが、ケダモノと化しても尚、フィリアの天稟は健在であった。

 

 少女は肩口に衝撃を受けた瞬間、反射的に「誓願の鎧(パノプリア)」との伝達系接続を解除し、鎧を完全に放棄したのだ。

 結果、「悪疫の苗(ミアズマ)」による浸食は鎧の一部位で止まり、内部のトリオン体にはまったく及んでいない。

 抜け殻となった「誓願の鎧(パノプリア)」から飛び出すフィリア。血走った瞳が仇の姿を捕らえる。

 そして少女はモナカを力ずくで地面に押し倒すと、殺意と共に拳を振り上げた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 鮮やかな紅色が、フィリアの視界に広がった。

 それは命の輝きが消える間際の、残忍なる血の色。――だが、フィリアの掲げた拳は、未だ振り下ろされてはいなかった。

 

「…………なぜ、兵を止める」

 

 フィリアがモナカに馬乗りになってから、どれ程の時が流れたか。

 荒い呼吸を整えた少女が、初めて口を開いた。幼く可憐な声でありながら、その問いには抑えきれない殺意が滲んでいる。

 

 二人が組み合っている回廊には、先ほどフィリアを襲った三体の強化クリズリと、始末し損ねたヴルフらが集まっている。

 だがそれらのトリオン兵は、主であるモナカの窮地を傍観するかのように、距離を置いて茫然と立ち尽くしている。

 

「答えろ」

 

 胸中に湧き上がる苛立ちを誤魔化すかのように、少女は左手でモナカの首を圧迫する。

 

「……私は、ずっと……あなたと、話がしたかったの。……フィリア・イリニ」

 

 呼吸を妨害され、喘鳴を漏らしながらも、モナカははっきりとした声でそう答える。

 悪鬼のような凶相を浮かべる少女に対し、彼女は歓喜と悲痛が入り混じったかのような複雑な表情を向ける。

 

「…………私は、私には、お前と話すことなんて何もないっ」

 

 まるで尊い何かに出会ったかのような、愛しい誰かを思うようなモナカの眼差しに、フィリアの言葉尻が思わず震える。

 何故、そんな表情をするのか。何故、そんな穏やかな声で語るのか。

 目の前の仇敵が、紛れもなく己を慈しんでいるという事実に、少女は激しく困惑する。

 

「そんな顔をするな……そんな目で、私を見るなっ!」

 

 およそ敵に向けるものとは思えないモナカの態度に、フィリアの喉から悲鳴じみた罵言が迸る。

 

「お前が、お前が母さんを殺したんだ! サロスを、アネシスを、イダニコを――お前が、お前の所為で、皆……」

 

 少女は力の限り喚きながら、両手でモナカの喉首をつかみ、容赦なく締め上げる。

 トリオン体の力は生身のそれとは比べ物にならない。フィリアの細腕とはいえ、加減を誤れば簡単に首の骨など折れてしまうだろう。

 モナカの喉から奇妙な音が漏れ、表情が苦悶に歪む。それでも彼女は、

 

「ぐっ……あなたに、何を言えば、いいのか……ずっと考えていた……」

 

 途切れ途切れに言葉を続ける。

 その切なる訴えに、フィリアが微かに手を緩める。同情ではない。こいつは絶対に殺す。

 ただ、この期に及んで何を言い出すつもりなのか、少し気になっただけだ。

 

「ねえ……あなたは、お母さんを覚えてる? レギナのことを、あの子があなたに何を語りかけていたか、知ってる?」

 

 死の瀬戸際にいるとは思えないほど、穏やかな声で尋ねるモナカ。

 だが、その問いを投げられた瞬間、フィリアの頭蓋は怒りではち切れんばかりになった。

 

「いい加減に、しろ……」

 

 数瞬の間をおいて、フィリアはようやっと怒りに震えた声を溢す。

 この期に及んで何を言い出すかと思えば、何のことはない。このノマスの女は、フィリアに同族意識を求めているのだ。

 それで命乞いのつもりなのだろうか。それとも本気で、己を誑かせるとおもっているのだろうか。

 

 思えば、彼女の親玉レクスにも同じセリフを吐かれた。

 高々血の繋がりを持ち出しただけで、なぜ己が都合よく彼らに靡くと、そんな夢想にふけることができるのか。

 

 フィリアにとって家族とは、血ではなく心で結ばれた掛け替えのない存在だ。

 少女にとって家族との絆は、何物にも侵せない神聖な宝物である。

 心の奥底の至尊の領域を、この女は言葉で汚そうとしている。――許せるはずがない。

 

 その思い違いを、糾してやる。

 己の怒りを、知らしめてやる。

 フィリアは煮えたぎる憎悪を、隠すこともなく言葉に込める。

 

「――ふざけるなッ! 私はイリニ家のフィリア、誇り高きエクリシアの民だ! 

 お前たちケダモノなんかと一緒にするなッ!」

 

 少女はあらん限りの声を張り上げ、モナカに食って掛かる。

 

「お前たちの血なんて、私にはこれっぽちも関係ない! 私の母さんは一人だけだっ! レギナなんて女、私の親じゃないッ!」

 

 肩を震わせ、フィリアは怒りと共に吐き捨てる。

 昂ぶりはトリオン体にまで伝わり、モナカの首に掛けられた繊手がギリギリと食い込む。

 

「……待って……違う、の……私は、あなたに……レギナの思いを……」

 

 息も絶え絶えになりながら、なおもモナカは言葉を紡ぐ。

 彼女は当初、ただ親友の忘れ形見としてフィリアに執着していた。

 だが、ヌースの記憶によって、少女が如何に過酷な人生を歩んできたかを知った今となっては、ただ直向きに少女の幸せを願っている。

 会敵した騎士がフィリアだと分かった瞬間、トリオン兵を止めたのはその為だ。

 

 聡明なモナカは、少女のただ事ならぬ剣幕を見て即座に事情を察した。

 聖都での激戦の折り、少女の母は助からなかったのだろう。加えて、少女の弟妹たちも皆、命を落としたらしい。

 直接の加害者でなくとも、トリオン兵を指揮していたのはモナカだ。少女は未来永劫、ノマスと彼女を許さないだろう。

 

 それでも、彼女がレギナの事を伝えようとするのは、偏にフィリアを案じての事だ。今は聞き入れられなくとも、生母の言葉はきっと、無明に堕ちた少女の助けとなる筈。

 

「何度言えば分かるんだ! 私はそんな女知らない! 知りたくも無いっ!!」

 

 しかし、激情に駆られた少女は対話を拒否する。

 まるでモナカがノマスの代表であるかのように、呪いの言葉を叩きつける。

 

「私が……私がお前たちの仲間に見られて、どんな目にあったと思う! 

 何もしていないのに罵られ、殴られて、一緒に居れば家族まで同じ目にあった! 

 私にノマスの血が流れていなければと何度思ったことか! 

 私は断じてお前たちの仲間じゃないっ! 

 

 ――私は、私はこんな肌の色になんて生まれたくなかったんだッ!」

 

 心を切り裂くような絶叫が、荒れ果てた吹き抜け広間に響く。

 

「…………」

 

 心に溜まった澱を吐き出したためだろうか、モナカの首に掛かる手が僅かに緩む。

 それでも、彼女は少女に掛ける言葉を見つけられない。

 モナカは知っている。敵国ノマスの血を引くフィリアが、エクリシアで如何なる扱いを受けたかを。年端もいかない少女に浴びせられた悪意の数々。それでも彼女が生きていくことができたのは――

 

「受け入れてくれたのは家族だけ。なのに、お前は私から皆を奪った。

 母さんを、あの子たちを、……私の全部を、お前たちが奪ったんだ!」

 

 少女は壮絶な努力の果てに、自らの手で祖国での地位を勝ち取った。名門貴族の子女として、祖国を護る騎士として、市民から敬仰される立場となった。

 しかしそれでも、少女の心を支えていたのは、愛する家族の存在だ。

 

「だから、私もお前たちから全て奪ってやる。殺して壊して、全部終わらせてやる!」

 

 話は終わりだと言わんばかりに、フィリアは殺意を滾らせモナカの首を締め上げる。

 周囲にはトリオン兵がいる。彼らが襲い掛かってきても「救済の筺(コーニア)」で防ぐことは容易い。家族の仇を、まず一人。少女の金色の瞳が、大きく見開かれる。が――

 

「っ……」

 

 くぐもった呻き声を上げると、少女はモナカの首から手を放し、胸ぐらを掴んで上体を引き起こした。

 

「何故、何故抵抗しないっ!?」

 

 フィリアは憤怒と困惑をないまぜにした声で怒鳴りつける。

 首の骨を折られかけながらも、モナカの表情は至って穏やかなまま、従容と死を受け入れようとしている。

 

「…………」

 

 が、モナカは何も答えない。

 フィリアの真情を知り、その絶望の深さを知ったモナカは、せめて少女の手に掛かる事で、一時でも救いを与えられればと考えたのだ。

 勿論、国を守護する戦士として許される選択ではない。また少女が己を殺したことで、更なる闇を抱えるだろうことも確かだ。

 

 しかし、(マザー)トリガーの封鎖は間もなく成る。戦いは終わりを迎える。

 そして少女の周りには、ヌースを含めまだ理解者がいる。どれ程の時が掛かろうとも、少女が立ち直る未来は残されている。

 

 或いはモナカは、疲れていたのかもしれない。

 エクリシアへの憎悪だけを胸に、ひたすら牙を研ぎ続けた十余年。それがレギナの願いに反することと知りながら、立ち止まることはできなかった。

 だから今、親友の娘の手に掛かることを、己に下された罰だと受け入れようとしていた。だが、

 

「笑うな! そんな、そんな顔をするな! 私は……私は、何で……」

 

 フィリアは狼狽した様子で、両の掌で顔を覆う。

 家族の仇を、憎い敵を目の前にしながら、少女は最後の一線を越えることができない。

 何度も何度も殺そうとした。けれど、少女の手はまるで言うことを聞かない。

 

「……それは、きっと、あなたが優しい子だからよ」

 

 己の殺害を躊躇するフィリアに、モナカが穏やかな声で語りかける。彼女は少女が戸惑う理由を、はっきりと知っていた。

 ――その時、

 

『私が優しいと、そう仰ってくださるのは、きっとフィリア様が誰よりもお優しい人だからですよ』

 

 少女の耳に、鈴を転がすような澄んだ声が甦る。

 

「あ……あぁ……」

 

 脳裏に浮かぶのは、さやかな月に照らされて微笑む、黒髪の乙女。

 今は亡き友、オルヒデア・アゾトンが、何時か少女に送った言葉。

 美しく儚い乙女の姿を思い返し、少女の心は千々に乱れる。

 

 思い返せば、フィリアがモナカを殴り殺さんと挑みかかったとき、少女の瞼に映し出されたのは、オルヒデアの無残な最期ではなかったか。

 拳を止め、首を締め上げたのはそのためだ。血を見なければいいと、少女は無意識に考えた。

 だが、それでもフィリアはモナカを殺すことができなかった。殺人の決意を固める度に、まるで少女を諌めるかのように、オルヒデアの姿が意識の片隅に現れたからだ。

 

「……嘘をつくな、出鱈目をいうなっ! 私は、私は優しくなんて、ない……」

 

 大切な人を護るためなら、どれだけ人から呪われても、どれほど辛い道を歩むことになっても構わない。そう誓いを立てた。

 だから自分は、どこまでも残酷になれる。否、ならなければいけない。そう思っていた。

 だが、不意に掛けられた優しい言葉と、過去の幻影が重なる。

 続いて想起されるのは、家族との暖かな、喜びに満ち溢れた思い出。

 

「うぁ……」

 

 何故、己はこんな地獄にいるのか? 何故、己はあれほど嫌った血を求めているのか?

 少女は俄かに自らの行動に疑念を抱く。

 

「ねえ、もうすぐ、戦いは終わるわ。……もし、もしも許されるなら……」

 

 困惑する少女に、モナカは懸命に語りかける。

 フィリアの苦悩を耳にして、ようやく彼女は自らの過ちに気付いた。

 彼女は己の罪を償うため、フィリアに命を捧げようとした。だが、もし生き延びることができるなら、別の形での贖罪が叶うかもしれない。

 

「う、嘘だ……私はそんな言葉で、騙されたり、するもんか……」

 

 少女はモナカの言葉から逃れるように、彼女の上から退く。

 

「大丈夫、平気よ。きっと、きっと……」

 

 自由になった体を起こし、少女へと向き直るモナカ。自分の言葉が届き始めたと、彼女は希望に瞳を輝かす。その時、

 

「え――?」

 

 小さな破裂音と共に、フィリアの顔面が弾け飛んだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 トリオン体が黒煙を上げて爆散すると、そこには本来の姿となった小さなフィリアが現れる。だが、少女は我が身に起きた出来事を直ぐには理解できず、呆然と床に座り込んだままだ。

 そして困惑の程では、命拾いをしたはずのモナカの方が上だった。

 

「な――」

 

 トリオン兵には待機命令を出している。少女への攻撃は彼女が指示したものではない。

 或いは味方が現れたのか。しかしトリオン体を失ったモナカでは、レーダーを参照することはできない。

 

「っ――」

 

 余りに唐突な事態に、状況が掴めない。しかしその時、モナカの背筋に凄まじい悪寒が走った。

 彼女は弾かれたように起き上がると、呆けたままのフィリアに飛びつき、その身体を床へと押し倒す。すると、

 

「――あぁっ!」

 

 直後、モナカの横腹を焼けるような感覚が襲う。

 何処からか再び放たれたレーザーが、生身を掠めたのだ。

 

「く……うぅ……、私たちを護りなさいっ!」

 

 モナカは焼き鏝を押し当てられたかのような痛みに耐え、口頭でトリオン兵に指示を出す。途端に、待機していた強化クリズリやヴルフが、即座に彼女たちの下へと集結し、狙撃への壁になる。

 

「なぜ、一体誰が?」

 

 二射目のレーザーも、狙いは確実にフィリアだった。モナカが押し倒さなければ、少女は脳漿をぶちまけて死んでいただろう。

 ノマスの戦士とは考えにくい。明らかにモナカと敵対していたとはいえ、少女の姿を見ればノマスの係累と分かる筈。生身に対して容赦ない攻撃は行わないだろう。

 では、考えられるとすれば――

 

「っ、また……」

 

 三度奔った閃光は、強化クリズリの口中、動作を司るコアを正確に射抜いた。

 だが、即座に「悪疫の苗(ミアズマ)」の釘に仕組まれた伝達脳に回路が切り替わり、クリズリは再起動を果たす。

 目にも止まらぬ速度のレーザー。そしてなにより、余りに正確無比なその弾道。

 

「まさか、「万鈞の糸(クロステール)」……」

 

 モナカの呟きに応じるかのように、吹き抜けの上方から白亜の鎧を纏った騎士がゆっくりと下降してくる。

 そしてその隣には、特徴的な八面体の射撃ビットが付き従う。

 もはや疑いようも無い。フィリアに狙撃を行ったのは、フィロドクス騎士団総長、クレヴォだ。

 

 しかし何故仲間を? モナカの思考が乱れる。

 誤射の可能性はあり得ない。「万鈞の糸(クロステール)」を(ブラック)トリガー足らしめるのは、指定した箇所に必ずレーザーが当たるという超常の精度にある。

 先ほど少女を助けられたのは、ほとんど奇跡である。回廊の上階が庇となったため、モナカが庇おうとしたのが見えなかったのだろう。

 

「っ、掛かりなさい!」

 

 湧き上がる疑念とわき腹の痛みを押し殺し、ニネミアはトリオン兵に下知を下す。

万鈞の糸(クロステール)」の強みは遠距離からの超精密狙撃。屋内での撃ちあいは得意としていない筈。

 フィリアにかなりの数が仕留められたが、トリオン兵はまだ揃っている。回廊から飛び出したヴルフ・レイグが、追尾弾を雨あられと叩き込む。だが、

 

「そんな……」

 

 騎士に殺到した弾丸が、突然現れた多数のシールドに素気無く阻まれる。

 

「これだけの数を、もう投入してくるなんて……」

 

万鈞の糸(クロステール)」にシールド機能は確認されていない。騎士を護ったのは、吹き抜けを降下するエクリシア製のクリズリだ。

 聖都攻略線でノマスが投入した最新鋭のトリオン兵を、エクリシア技術部はすぐさま解析し、量産を成功させていたのだ。

 飛行能力を持つクリズリは、「パトリア号」攻略の鍵として集中投入された。

 そして今、二十体を数えるクリズリの群れが、ノマスのトリオン兵へと襲い掛かる。

 

「っ――」

 

 モナカのいる回廊にもクリズリが大挙して押し寄せる。

 ヴルフが果敢に迎撃するが、性能が違い過ぎて勝負にならない。

 対抗可能な強化クリズリはまだ三体残っているが、「万鈞の糸(クロステール)」の狙撃を躱すための盾として、周辺からは動かせない。

 

「くっ……」

 

 このままでは圧殺されてしまう。モナカは焦燥に歯を噛みしめる。とその時、

 

「なんで……なんで……クレヴォ閣下!! どうして私をっ!?」

 

 忘我の境にあったフィリアが、悲痛な声でそう叫ぶ。

 思えば当然の反応だ。モナカを狙ったならまだしも、クレヴォは明確に少女を殺害しようとした。祖国に身命を捧げた少女が、同朋に裏切られたのだ。

 

「――ダメっ!」

 

 無防備に乗り出した少女を、モナカが慌てて引き戻す。

 転瞬、「万鈞の糸(クロステール)」の閃光が煌めく。先んじて射線を遮った強化クリズリの腕に風穴が空き、減衰しながらも貫通したレーザーが少女の白髪の一房を焼き切った。

 

「~~~~っ!」

 

 クレヴォが示した紛れもない殺意に、フィリアが言葉にならない悲鳴を上げる。

 命を狙われたからではない。己の依って立つ足場が丸ごと崩れ落ちたのだ。

 今や少女が唯一信じていたモノ。祖国エクリシアに裏切られ、少女はパニックに陥る。

 

「この子を避難艇まで逃がしなさい!」

 

 狂乱したフィリアを目の当たりにするや、モナカは鋭い声でそう叫んだ。

 たちまち、下知を受けたクリズリが少女を抱え、スラスターを噴かせて後方の通路へと飛び去る。

 フィリアは尚も何事かを叫んでいたが、もはやそれは言葉をなしていなかった。

 

「敵トリガー使いを最優先目標に指定! ここで仕留めなさいっ!」

 

 トリオン体を失ったことも、劣勢にあることも関係ない。

 敵はエクリシアの将にして、親友の娘の命を狙った。戦う理由は十分にある。

 遠ざかる少女の叫び声を耳にしながら、モナカは敢然とクレヴォに立ち向かう。

 

 

 

 

 

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