WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の十八 死闘 両雄再び

 分厚い隔壁が、矩形に斬り抜かれて地に落ちる。

 銃座から吐き出された弾雨が、水面に落ちた淡雪のように解け消える。

 そして襲い来る冷酷無情のトリオン兵は、刹那の後に両断されて役目を終える。

 

 エクリシアの雄、アルモニア・イリニが「パトリア号」に突入して早数分。彼は順調に都市内部へと侵攻し、着実に指揮所へと近づいていた。

 

「――」

 

 曲がりくねった通路を飛び進むアルモニアの前に、数体のヴルフが現れる。

 遠方から射撃を浴びせかけるトリオン兵に、彼は手にした「懲罰の杖(ポルフィルン)」を軟鞭状に変形させると、一閃でそれらの首を切り落とす。

 しかし、それらのトリオン兵は囮だった。

 

「――!」

 

 通路の側壁をぶち破って現れたのは、全身に葉脈の如き漆黒の文様を走らせた強化クリズリだ。ノマス最強のトリオン兵が、鋭利なブレードを振りかざして突撃する。

 

 が、一抹の風切り音が聞こえたかと思いきや、クリズリは標的を素通りして壁にぶち当たる。

 何時の間に斬撃を見舞ったのか、トリオン兵の胴体が切断され、上半身がずるりと地に落ちる。しかも、如何にして急所を見抜いたのか、体内に納められていた「悪疫の苗(ミアズマ)」の釘までもが、一刀のもとに両断されている。

 

 エクリシアの騎士を相手に真っ向から戦える強化クリズリが、剣聖の前では足止めにもならない。

 その技量はまさしく近界(ネイバーフッド)最高峰。エクリシアが誇る最強戦力である。

 しかし精妙無比なる剣技とは裏腹に、兜の奥のアルモニアの表情は硬く強張っていた。

 

「……どういうことだ。なぜ繋がらない」

 

 彼が当惑しているのは、「パトリア号」に突入してから味方との通信が途絶えたことだ。

 ノマス側が通信封鎖を行っている可能性はあったが、それを踏まえてエクリシアはカスタノ・フィロドクスと「光彩の影(カタフニア)」を都市に突入させる計画を立てていた。

 

光彩の影(カタフニア)」のトリオン粒子は敵の機器の妨害だけではなく、味方用の通信網としても機能する。トリオン粒子を介して直接情報をやり取りするのだから、基本的に封鎖の手立てはない。

 散布された粒子は微量でも通信機能を有するため、こうまで完全に通信が途絶することは考えにくい。或いは、カスタノは「パトリア号」に突入できなかったのかもしれない。

 そして味方との交信ができないということは、遠征艇からのサポートも受けられないということだ。

 

 フィリアの「直観智」のサイドエフェクトによって、「パトリア号」の指揮所は都市の中央下層に位置することまでは判明しているものの、如何にエクリシアといえども敵の首都都市の詳細な内部情報までは持ち合わせていない。

 

 迅速な侵攻には遠征艇からのナビゲートが必要不可欠である。

 にもかかわらず、今のアルモニアは現在地さえ分からぬ状況なのだ。

 そして通信が途絶しているということは、

 

「フィリア……何処にいる?」

 

 アルモニアが何よりも気に掛けている少女の安否も分からない。

 カーラビーバを撃破した際、両者の位置はかなり離れていた。都市外殻が破られ、突入する段となった時、フィリアは合流を待たずに単独で先行したのだ。

 当然アルモニアは少女を追い掛けたが、通信が使えなければ追いかけようもない。サイドエフェクトを有する彼女のことだ。既に都市深部に達していても不思議ではない。

 

「っ……」

 

 アルモニアは焦燥に胸を焦がしながら、ともかく先を急ぐ。此処まで来た以上、後に引くことはできない。

 延々と続く通路を抜けると、豁然と視界が開けた。

 

 広大な一続きの空間に、回廊で繋がった高層のコンパートメント。「パトリア号」内部に設けられた市民の居住区画の一つに行き当ったらしい。

 距離データを参照するに、確実に中心部には近づいている。だが、此処からどのルートを選べば指揮所へと辿りつけるのか、確証が持てない。

 

 広間に出てしまったが故に、却って脚が止まる。

 いっそ「懲罰の杖(ポルフィルン)」の猛威に訴えて、下層まで床を抜くか。アルモニアは半ば本気でそう考える。

 狂猛な殺意が騎士へと襲い掛かったのは、次の瞬間であった。

 

「――」

 

 諸々の思念を全て消し去り、アルモニアが軟鞭形態の「懲罰の杖(ポルフィルン)」を迅速に振るう。

 あらゆるトリオンを吸収し、切断する絶対の刃は、しかし硬質な音と共に跳ね返された。

 

「――」

 

 焦りも恐れもなく、騎士は即座に身を翻して後方へと下がる。

 転瞬、それまでアルモニアが立っていた地面が、発破を掛けられたかのように吹き飛ぶ。

 陥没した地面に立っているのは、白髪金瞳の壮漢だ。

 

「これ以上、進ませはせん」

 

 あくまでも緩やかな挙措で騎士へと向き直るのは、ノマスはドミヌス氏族の長、彼の国最強の使い手、「巨人の腱(メギストス)」のレクスだ。

 

「……悪いが、押し通らせてもらう」

 

 考え得る限り最悪の敵に捕捉された事実を、アルモニアは冷静に受け入れた。

 どの道、ノマスを屈服させるには避けて通れぬ相手だ。

 積怨で結ばれた両者はそれ以上口を利くことも無く、苛烈極ま戦いを始めた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 真の達人がトリオン体を操れば、最早その動きは人智を超えた領域に達する。

 

 かたや、規格外の性能のトリオン体を構築する「巨人の腱(メギストス)」のレクス。

 こなた、あらゆる動作を補助する鎧「誓願の鎧(パノプリア)」を纏ったアルモニア。

 

 共に桁外れの機動力を有する二人の争いは、常人では目で追う事さえ不可能だ。

 広大な「パトリア号」の居住区画に、火花を散らしながら人影が錯綜する。刃物が噛み合うような金属音が散発的に響き、戦闘の余波で住居の一部が吹き飛ぶ。

 高速で繰り広げられる格闘戦は、現在の所レクスが優勢となっていた。

 

「――」

 

 床が拉げるほどの力で踏込み、稲妻をも欺く速度でレクスが跳びかかる。

 アルモニアはスラスターを噴かせて後方へ下がりながら、「懲罰の杖(ポルフィルン)」を振るう。極小のトリオンキューブによって形作られた鞭が、迫り来るレクスの胴を過たず打ち据えた。

 

 が、ノマスの戦士は止まらず、砲弾の如き威力の拳を撃ちだす。

 城壁をも容易く打ち崩す一撃だ。然しもの「誓願の鎧(パノプリア)」といえども、直撃すれば一溜まりも無い。

 それでも、先んじて飛び下がったアルモニアは、紙一重でその拳打を躱す。

 

「……」

 

 そして追撃を避けるべく、騎士はそのまま空中へと舞い上がる。

 レクスも無理押しはせず、壁を蹴って住居の上層へと登り、着かず離れずの距離で好機を窺う。

 

 奇妙なことに、先ほどの交戦で斬撃を受けたにも関わらず、レクスは全くの無傷である。

巨人の腱(メギストス)」によって構築されたトリオン体は桁違いの硬度を誇るものの、如何なるトリオンをも吸収する「懲罰の杖(ポルフィルン)」には意味がない。

 

 では、レクスは如何にして胴切りを免れたのか。

 それは対策と呼ぶには余りに単純な手立てであった。

 

「――」

 

 兜の内側で、アルモニアは翠緑の瞳を微かに細める。

 レクスはトリオン体の上に通常の衣服を纏っていた。

 

 あらゆるトリオンを吸収する「懲罰の杖(ポルフィルン)」は、しかしトリオンに接触しなければ一切の効果を発揮できない。薄布一枚隔てただけで、致命の斬撃を防ぐことができるのだ。

 勿論、衣服の耐久性などたかが知れており、斬撃を受けた箇所は大きく裂け、下のトリオン体は丸見えになっている。

 とはいえ、レクスは精密なトリオン体の操作で、巧みに同一箇所への攻撃を避けている。

 

 互いに一撃必殺の威力を有する(ブラック)トリガーの戦いで、この差は非常に大きい。

 レクスは被弾を覚悟で果敢に攻め込むことができるが、アルモニアはどうしても守勢に回らざるをえない。「誓願の鎧(パノプリア)」の飛行機能を駆使して空中に陣取ることで、騎士は何とか戦士の勢いを削ごうとしているのだ。

 

「……」

 

 トリガーの相性から見れば、「懲罰の杖(ポルフィルン)」を持つアルモニアが依然として優位に立っている。時間を掛ければ如何様にでも勝ち筋を見出すことはできるだろう。

 だが、味方との通信が取れない現状、敵の本拠地で足止めを受けるのは不味い。

 アルモニアは意を決し、リスクを覚悟で宿敵に挑む。

 

「――」

 

 対手のレクスは居住区に張り巡らされた回廊を目まぐるしく飛び回りながら、痛撃を叩き込む機会を窺っている。

 騎士は敢えて空中の有利を捨て、居住区画の中央を通り抜ける広い通路へと着地する。

 レクスは抜け道や潜伏に適した家屋など、都市の構造を熟知している。地形戦になれば、意想外からの攻撃を受けるだろう。

 

 周囲に何もない通路なら、小細工を仕掛ける余地は少ない。

 アルモニアが真っ向切っての短期決戦の構えを取るや、レクスも回廊から身を躍らせて通路へと降り立った。

 彼とて、「パトリア号」に侵入した他の騎士を叩かねばならず、アルモニア一人に拘泥している時間は無い。早期決着は望むところだろう。

 

 二十メートル余りの距離を隔て並び立つ両雄。先に仕掛けたのはアルモニアだ。

 

「――!」

 

 重厚な鎧を纏った騎士の姿が、朧のように掻き消える。

巨人の腱(メギストス)」によって強化された感覚器官を有するレクスですら、明瞭には捕らえられないほどの超加速。

 超常の域に達したトリオン体の操縦能力と、十全に発揮された「誓願の鎧(パノプリア)」のアシスト機能によって生み出されたのは、正に神速の踏み込みだ。

 

 だが、対するレクスも達人の中の達人。刹那で間合いを詰める騎士に即座に対応する。

 身に着けた衣服の損傷は激しいが、それでもまだ防具としては役に立つ。致命部位への攻撃だけは凌ぎ、カウンターで騎士を仕留めんとする。しかし――

 

「っ――」

 

 レクスが驚愕に目を見開く。

 両者が交錯するかに見えた瞬間、なんと騎士が直前で急停止したのだ。

 既に迎撃の構えをとっており、また徒手空拳のレクスが攻撃に転じるには、どうしても一歩踏み込む必要がある。

 

(――釣られた)

 

 そして眼前のアルモニアが全力を込めて振るうのは、光り輝く大剣だ。

懲罰の杖(ポルフィルン)」に蓄えられたトリオンが、灼熱の閃光となって解き放たれる。

 放たれた熱線はレクスを呑み込み、その延長線上の通路や建物を広範囲にわたって焼き尽くす。アルモニア決死のフェイントは、見事に功を奏した。

 

 ――にもかかわらず、騎士は剣を振り抜いた直後に後方へと飛び下がった。

 閃光によって真一文字に焼き払われた居住区画。しかし、惨憺たる破壊の跡に、レクスは何の損害も受けずに立っている。

 

「……やはり、そう易々とは取れんか」

 

 アルモニアが淡々と呟く。

懲罰の杖(ポルフィルン)」による砲撃の破壊力は、事前に吸収したトリオンの量によって決定される。カーラビーバを葬った時とは違い、「パトリア号」に突入してからは速度を重視する余りなるべく戦闘を避けてきた。当然、吸収したトリオンは僅かで、砲撃の威力も然程ではない。

 

 それでも通常のトリオン体なら苦も無く破壊し、少々の防壁ならまるごと吹き飛ばすほどの威力ではあるのだが、相手は(ブラック)トリガー「巨人の腱(メギストス)」。その堅牢さは並大抵ではない。

 

「……」

 

 とはいえ、アルモニアにとってこの結果は想定通り。騎士は落胆した風もなく、再度剣を構え直す。

 レクスのトリオン体にダメージを与えることはできなかったが、彼が纏っていた衣服は焼き払えた。もう「懲罰の杖(ポルフィルン)」を防ぐ術はない。

 しかし騎士は軽々に攻めかからず、慎重に対手の様子を窺う。

 焼け溶けた通路に佇むレクス。彼の身に纏う空気が、明らかに変質していたからだ。

 

「貴様を相手に、余力を残そうとしたが過ちか。……我が国に厄災を齎す悪鬼よ。もはや躊躇わぬ。全霊を以て排除する」

 

 壮漢は決然とそう口にするや、やにわに右の掌を己の胸へと打ち付ける。

 

「――っ!」

 

 思いもがけないレクスの奇行。だが、それを見たアルモニアの背筋に凄まじい悪寒が走る。百戦錬磨の騎士としての直感が、最大級の警鐘を鳴らしているのだ。

 変化は、ほんの数秒で完了した。

 

 俯いていたレクスが面を上げる。

 その褐色の相貌に広がるのは、葉脈の如き漆黒の輝線。

 そして顔のみならず、漆黒の輝線は彼の全身にくまなく張り巡らされている。

 胸元に深々と突き刺さっているのは、ノマスの(ブラック)トリガー「悪疫の苗(ミアズマ)」の釘だ。

 

 レクスは「巨人の腱(メギストス)」によって創造された最強のトリオン体を、モナカから預かった「悪疫の苗(ミアズマ)」でさらに強化したのだ。

 釘の浸食によって、レクスの双眸が漆黒に染まる。

 ただ金色の瞳だけが、灼熱の殺意に煌めく。

 

「――滅びよ。悪鬼」

 

 耳を弄する轟音と共に、レクスが地を蹴って騎士へと襲い掛かる。

 アルモニアは培った技術を総動員して、魔神と化した戦士を迎え撃つ。

 近界(ネイバーフッド)に冠絶する二人の達人の戦いは、此処に前人未到の境地へと突入した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「離せ、離せ! 離せぇぇえええっ!」

 

 絹を裂くような悲鳴が、薄暗い通路に木霊する。

「パトリア号」下層周縁部へと続く入り組んだ連絡路を、三メートル余りの巨大な人型が猛進している。肩や頭を壁に擦りながら走っているのは、ノマスの新型戦闘用トリオン兵クリズリだ。

 

 黒い葉脈のような文様を浮かべたクリズリは満身創痍の有様だ。手足や動体には向こうが見えそうな貫通痕が穿たれ、頭部には斜めに一文字の亀裂が入っている。

 そしてそのトリオン兵からは、怒声とも悲鳴ともつかない唸り声が聞こえてくる。

 

「ううぅぁあああぁっ!」

 

 意味さえ不確かな叫び声を張り上げているのは、クリズリが胸元に抱きかかえている小さな人影だ。

 白髪金瞳、矮躯の少女は狂乱した様子で身を捩り、手足をばたつかせてクリズリの拘束から逃れようとしている。

 彼女の名はフィリア・イリニ。ノマスを滅ぼさんと攻め寄せたエクリシアの騎士である。

 

 フィリアは今次遠征の指揮官たるクレヴォ・フィロドクスの唐突な裏切りに遭い、トリオン体を失った。そして命を失いかけたところを、少女に執着を見せるノマスのトリガー使い、モナカによって助けられたのだ。

 

 信じていた同朋に裏切られ、憎むべき怨敵に命を救われ、少女はパニックに陥っていた。

 元々、家族の死によって精神の平衡を失っていたところを、復讐の一念だけで身体を支えていたのである。

 

 敵味方さえ分からなくなったフィリアは、完全に正気を失っていた。

 そんな状態の少女が、それでも己を保護しようとしているクリズリに抵抗するのは、このトリオン兵が母を殺した直接の加害者だからだ。

 もはや正常な思考力も無い少女は、ただ母の仇に触れられているという嫌悪と憤怒から、力の限り暴れ続ける。

 

 しかし半壊状態といえど、生身の子供がトリオン兵から逃れられるはずもない。

 少女を抱えたクリズリは、命令を達するために走り続けている。

 このトリオン兵が目指しているのは、「パトリア号」内縁部に格納されている緊急用の脱出艇だ。

 

 エクリシアの攻撃が激化し、都市を繋ぐ連絡橋は寸断されている。

 ノマスは逃げ遅れた市民を脱出艇に誘導した後、トリオン障壁を一時的に解除することで、(ゲート)を開いて市民を逃がすつもりなのだ。

 市民の避難を促すアナウンスは喧しいほどに鳴り響いているが、それでも少女の耳には届かない。彼女は救い主であるクリズリを、手の革がすりむけるほどに殴りつけている。だがその時、

 

「っ――ぐ、うっ……」

 

 フィリアを抱えていたクリズリが、突如としてバランスを崩して転倒する。突如として投げ出された少女は、床を転がって通路の側面へと強かに打ち付けられた。

 このクリズリはフィリアによってコアを破壊されている。「悪疫の苗(ミアズマ)」の釘によって再起動を果たしたものの、損傷が激しいこともあり、ここまでの移動で到頭内蔵トリオンが尽き果てたのだ。

 トリオン兵はなおも課せられた使命を果たすべく立ち上がろうとするが、全身を弱々しく痙攣させ、起き上がることができない。

 

「う、うううぅぅうっ!」

 

 すると、起き上がった少女は、なんと倒れ伏すクリズリへと走り寄り、唸り声を上げながらその頭部を思いきり踏みつけ始めた。

 クリズリは抵抗もせず、されるがままになっている。もとより何の痛みも感じない機械仕掛けの兵士である。保護対象が錯乱した事情など、理解できよう筈も無い。

 そして少女の足蹴とは何の関係も無く、トリオンが尽きたクリズリは完全に機能を停止した。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 フィリアは肩で息をしながら、糸が切れた人形のように横たわるトリオン兵を見遣る。

 余りに様々な出来事に見舞われ、それらによって深く傷つけられた少女には、まともな判断力は残されていなかった。

 

 頭に酷い霧がかかる。濁流のように押し寄せる感情に、思考の焦点がまるで合わない。時間が意味を失い、事の繋がりがあやふやになる。

 ともかく先刻まで感じていた怒りと恐怖を吐き出したフィリアは、それですっかり疲れ果ててしまった。

 ここが敵地であることも忘れ、自分が何故戦いを望んだかも思い出せず、フィリアは力なくその場に座り込んだ。

 

 もう何もしたくない。する意味さえ分からない。

 なぜそうなったのか、考えるのも疎ましい。

 呆然とした表情でへたり込む少女は、まさに戦禍に見舞われた無力な子供そのもであった。護国の英雄と称えられ、戦場を駆け抜けた栄えある騎士の姿は、どこにも見出すことはできない。

 

 いや、そもそも彼女は本当に英雄だったのだろうか。

 大人の胸元ほどしかない背丈に、触れれば折れてしまいそうな華奢な手足。痩せ衰えた面差しは、どこからどう見ても年端もいかない童女のソレだ。

 

 トリオン体になって背を伸ばし、重厚な鎧を身に着け、大きな剣を軽々と振ったところで、何も変わりはしない。

 人々を瞠目させる聡明さと、身に宿った桁外れの才能。そして異常なまでの目的意識を備えた少女は確かに天才で、誰もが彼女を一廉の騎士だと認めた。

 

 だが、彼女をそんな風に作り上げたのは、苦難に満ちた人生だった。

 生まれた時からいわれなき差別に苦しみ、終わりの見えない貧困と戦い続け、そして愛する人を失う恐怖に真っ向から立ち向かった。

 

 少女は残酷な世界を相手に、幸せを掴み取ろうと必死に足掻いたのだ。

 過酷な年月は少女を育て、強くした。胸の奥底にあるガラスのように繊細な心を、強靭な鎧で幾重にも覆い隠して。

 

 けれど、結局フィリアは只の子供だった。

 大人のように振る舞わざるを得なかった、哀れな少女に過ぎなかった。

 そして今、全ての鎧を失った彼女は、むき出しの心を戦場に晒している。

 

 もはや抵抗する力も、意思さえない。

 ほんの一発の銃弾で、ほんの一欠けらの悪意で、少女の命は儚く散るだろう。

 

「ねえ、ねえ、ねえってば! 大丈夫? 何処か怪我してない? おかーさん、おかーさん! 大変だよ!」

 

 その時、忘我の少女に緊迫しつつも暖かな声が掛けられる。

 肩を揺さぶりながら顔を覗き込んできたのは、フィリアと同じ年頃の、そして同じ肌の色をした女の子であった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「パトリア号」を縦に貫く吹き抜け回廊。その下層広場は壮絶な破壊に見舞われていた。

 付近の設備は無残に壊され、壁や床には至る所に亀裂や弾痕が刻まれている。

 そして辺り一帯に散らばっているのは、バラバラになったトリオン兵の残骸だ。

 

「まさか、ここまで粘るとはな」

 

 惨憺たる戦場に立っていたのは、甲冑を纏った騎士クレヴォ・フィロドクスと、供回りのエクリシア製クリズリだ。

 同胞であるフィリア・イリニを暗殺しようとした彼は、ノマスの(ブラック)トリガー使いモナカにそれを阻止され、彼女が指揮するトリオン兵団と交戦に移った。

 激闘の後、広間に立っていたのは彼らだけだ。クレヴォは敵兵団の殲滅に成功した。

 

「恐るべきトリガーだ。……あの子が使い手のトリオン体を破壊していなければ、危うかったやもしれん」

 

 それでも死に物狂いの抵抗を受け、かなりの損害が出た。

 モナカ率いるトリオン兵団との戦闘で、エクリシアが「パトリア号」攻略に投入した二十体のクリズリの内、実に十四体が破壊された。

 ノマスの兵団はヴルフこそ数が揃っていたが、クリズリは僅か二体のみ。にもかかわらず、エクリシア側が大損害を被ったのだ。

 

 原因は、ノマスの(ブラック)トリガー「悪疫の苗(ミアズマ)」だ。

悪疫の苗(ミアズマ)」によって強化されたクリズリは、モナカの的確な指揮の下、凄まじい働きを見せた。その猛攻は凄まじく、数で勝るエクリシアのクリズリを紙のように打ち破り、一時は(ブラック)トリガー有するクレヴォを追い込んだほどだ。

 

 しかし、ノマスは後が続かなかった。トリオン不足から援軍を投入することができず、またモナカが生身に戻っていたため、「悪疫の苗(ミアズマ)」で兵を強化することもできない。

 強化クリズリの一体が破壊され、天秤は完全にエクリシアへと傾いた。そして程なくして、ノマスの兵団は一体残らず殲滅された・

 不可解だったのは、敗勢が濃厚となってもモナカが撤退しなかったことだ。

 

「時間は取られたが、戦果としては上々か」

 

 クレヴォは広間の一画へと静かに歩を進める。

 そこには、クリズリのブレードに胸を刺し貫かれ、血だまりに倒れ伏すモナカの姿があった。

 騎士はこと切れたモナカの手首から「悪疫の苗(ミアズマ)」を奪い取る。

 

 (ブラック)トリガーを鹵獲できたのは、並みの捕虜百人よりも価値がある。「悪疫の苗(ミアズマ)」の機能であるトリオン兵の強化はどんな局面でも必ず力になるため、エクリシアの軍事力を格段に引き上げる事だろう。

 流石にこの場で扱うことは不可能だが、膨大な人口を有するエクリシアなら、適合者は必ず見つかる。まずは第一級の戦果と言えるだろう。

 

 とはいえ、あまりにも容易く(ブラック)トリガーを得られたことをクレヴォは訝しむ。

 (ブラック)トリガーは国防の要となる重要戦力であり、極論すれば適合者の命よりも優先される。生身となった使い手が、逃げずに立ち向かってくることなど考えられない。

 まさかモナカがフィリアを護るため、本当に命を擲ったとは、然しもの賢者でも見抜くことはできなかったようだ。

 

「さて、後はあの子だが……」

 

悪疫の苗(ミアズマ)」を鎧の中に収納し、周囲に敵影が無いことを確認すると、クレヴォは冷え冷えとした声でそう呟いた。

 彼がフィリア・イリニを殺そうとしたのは、彼女が「直観智」のサイドエフェクトを有するためだ。

 

 今回のノマスへの遠征で、フィロドクス家は内密にとある計画を企てていた。

 それはイリニ騎士団総長、アルモニア・イリニの暗殺である。

 

 (マザー)トリガーを支える神が代替わりする時、エクリシアでは国家の象徴たる教皇が新たに選ばれる。そして新教皇を輩出した家は、国内で一頭地を抜く立場を得ることができるのだ。

 フィロドクス家のジンゴ・カスタノ両名は、これを家門の更なる雄飛の機会と捉えた。

 彼らが目指したのは国内の完全な統一だ。三大貴族などと言わせておくことはない。エクリシアの全てを、フィロドクス家の名のもとに支配する。

 

 その為には、次代の教皇をフィロドクス家から出すのは前提として、イリニ家・ゼーン家の弱体化が望ましい。

 既にゼーン家の前当主トラペザ・ゼーンは、彼らの策謀によって遠征先の異国で命を落とした。後を継いだ若輩のニネミアは、未だに家中を取りまとめることさえできていない。

 

 とはいえ、ゼーン家への工作こそ首尾よく行ったものの、イリニ家の勢力を削ぐことは容易ではなかった。

 政争の域を超えた同朋への攻撃である。明るみに出れば、フィロドクス家こそ立場を失う。工作は慎重に慎重を期す必要があった。

 

 そしてイリニ家そのものも、当主アルモニアの堅実な施政と、譜代の家臣たちの忠勤ぶりから、なかなか切り崩す隙を見出せなかった。

 前当主ディマルコとアルモニアとの確執を探ろうとするも失敗。

 配下の貴族、スコトノ家の当主ネロミロスを離反させるため、アルモニアへの猜疑心を植え付けようと企むも、聖都防衛線で当人が廃人になってしまった。

 

 そこでフィロドクス家は、ノマスへの遠征という大舞台を利用して、アルモニアを直接暗殺しようという強硬策に打って出たのだ。

 首都都市「パトリア号」の制圧を強く主張したのも、突入する人員を最小限に絞ったのもこの為だ。上手く都市内で片を付けられれば、真相が本国に知られることはない。

 

 しかし、ここでフィロドクス家にとって不測の事態が生じた。

 イリニ家の養女、フィリアの参戦である。

 彼女のサイドエフェクト「直観智」は、あらゆる道理や過程を無視して事象の本質を明らかにする超感覚である。

 余りに度外れた能力故に、未だ完全に扱いこなせてはいないようだが、その超常性は少女が此度のノマス攻略作戦を打ち立てたことからも明らかだ。

 

 ここに、クレヴォが少女を殺そうとした理由がある。

 仮にアルモニアを始末できたとしても、その顛末にフィリアが不審を抱けば、フィロドクス家の犯行に気付いてしまう可能性がある。

 どうしても、少女の口を封じる必要ができてしまったのだ。

 

「…………」

 

 五十年余りも戦場を駆け抜けてきた老騎士が、珍しくも判断に迷う。

 クレヴォにとって、フィリア・イリニは決して憎い相手ではなかった。

 イリニ家を転覆させる為の切り札として早くから目を付けてはいたものの、実際に言葉を交わすにいたって、少女の純真さと誠実さには素直に好感を抱いた。

 最初は少女もクレヴォの事を警戒していた様子であったが、交流を深めるにつれ、少女は彼に敬慕を示してくれた。

 

 まるで親類に接するかのような、無垢なる信頼。

 権勢欲に狂った息子たちからは、とうの昔に消え去った感情である。

 しかし、クレヴォは少女を撃った。撃たねばならなかった。その理由は――

 

「……そうか。分かった。私もそちらに向かう。慎重に機を窺え。軽々しく手は出すな」

 

 とその時、老騎士に息子のジンゴから通信が入った。

 彼は弟のカスタノと協力し、アルモニアを葬る手筈となっている。しかし現在、標的はノマスの「巨人の腱(メギストス)」と交戦中であり、彼らは物陰から戦況を見守っているとの事だ。

 

「ついて来い」

 

 クレヴォはフィリアの追跡を打ち切り、残る六体のクリズリと共に息子たちとの合流を選んだ。

 飽く迄本命はアルモニア・イリニだ。彼は何を差し置いても始末しなければならない。

 しかし、彼は近界(ネイバーフッド)にその名を轟かすエクリシア最強の騎士である。如何に不意を討ったとしても、倒せるかどうかは怪しい。ジンゴとカスタノにクレヴォも加わり、(ブラック)トリガー三人掛かりで確実に仕留める。

 

 トリオン体を失ったフィリアは、この際捨て置いても構わない。

 都市内には相当数のトリオン兵が入り込んでいる。カスタノの「光彩の影(カタフニア)」で、それらにフィリアを追跡、殺害するよう指令を出す。

 

 放ったトリオン兵が仕留められれば良し。仮に逃げ延びたとしても、生身のままでは遠征艇まではたどり着けない。この場さえ切り抜けてしまえば、ノマスが再びエクリシアと邂逅するのは十余年後。本国での政争はとっくに片が付いているだろう。

 

 よしんば少女がエクリシアに帰還できたとしても、アルモニアの後ろ盾さえなければ、彼女はノマスの血を引く小娘に過ぎない。モナカとのやり取りを過剰に味付けし、敵に通じていたとして民衆を煽れば、排除するのは容易い。

 

「……必ず成し遂げる。その為なら、外道にでも畜生にでもなろう」

 

 クレヴォは自らに言い聞かせるようにそう嘯くと、クリズリを引き連れ吹き抜け通路の上層へと舞い戻る。

 兜の内側、老騎士の瞳には鋼の決意が宿っていた。

 

 

 

 

 




それでは皆様、よいお年をお迎えください。
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