WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
本年も拙作をどうぞよろしくお願いします。
「頑張って。もうちょっとだよ!」
「ぁ……」
「パトリア号」内縁に続く通路を、小さな足が連なって駆けていく。
褐色肌に栗色の髪をしたノマスの少女、ウェネフィカが手を引いているのは、同じく褐色の肌を持つ、白髪金瞳の少女フィリアだ。
「アンタ、この街では見たことない子だね。その髪の色、レクス様の親戚かい?」
少女たちの前を駆け足で進みながら、息を切らせてそう問いかけるのは、恰幅のいい中年の婦人、ウィタだ。
「もう! おかーさん今そんな事どうでもいいでしょ! 早く避難しないと!」
そう窘めるウェネフィカの声は、戦場には似つかわしくないほど明るく、はいはいと応じるウィタもまた朗らかだ。
しかし、その面差しは真剣そのもので、声には隠しきれない緊張が滲んでいる。
彼女たち母娘は「パトリア号」に住む一般市民である。
生来情に厚く世話好きなこの二人は、指揮所からの避難指示が下されてから自発的に市民の避難誘導を行っていたのだが、その為自分たちは脱出の機会を逃し、最期の頼みの綱である避難艇へと向かっていたのだ。
そんな二人がフィリアを見つけたのは、全くの偶然であった。
通路の真ん中で、ノマスのトリオン兵の残骸の側にへたり込んでいた少女を目撃した時は、既に手遅れの状態かと思われた。
しかしウェネフィカが勇気を奮って話しかければ、少女は虚脱状態に陥っているだけで命に別状はない。
彼女たちは迷うことなく同朋と思しき少女を保護すると、共に避難艇へと移動を始めた。
「そういえば、レグルスちゃん心配だねぇ。まあレクス様がいらっしゃれば大丈夫だとは思うけど……ウェネフィカも気が気じゃないでしょう」
「おかーさん。今ホントにそういうのいいから」
破壊音や振動など、激しい戦闘の余波は此処でもはっきりと感じられる。危機的状況にも関わらず、彼女たちが軽口を交わしているのは、一つは恐怖を紛れさせるため。そしてもう一つは、保護した少女を元気づけるためだ。
「ぅぁ……わ、わたし、はッ…………」
ウェネフィカに手を引かれ、おぼつかない足取りで走るフィリア。未だに動揺が収まらない少女は、降って湧いた状況についていくことができない。
「あのね、私はウェネフィカっていうの。シビッラ氏族、クストスの子ウェネフィカ。――ね、落ち着いたら。あなたの名前も教えてね」
そんな彼女を心から労わるように、ウェネフィカは優しく語りかける。結局、フィリアは自分がなぜ走っているかも定かでないまま、母娘に引きずられるようにして付いていく。
そして、避難艇へと続く最後の通路で、変事は起きた。
「と、トリオン兵っ!?」
ウェネフィカたちの後ろから、重い足音を響かせ二足歩行のトリオン兵クリズリが走ってくる。
「だ、大丈夫、味方だよ! 味方、じゃないかな……」
虚を突かれた一行だが、よくよく見ればそれはノマスの新型だ。避難民を護衛しにきたものと納得し、動揺を抑えようとする。
ただフィリアだけが、直感で脅威を感じ取った。
「だ……だめっ!」
虚脱状態に陥った少女であったが、騎士団で積んだ鍛錬、身に着けた武芸は彼女を裏切らなかった。
「っ――!!」
クリズリが一切速度を落とさずに突っ込んでくるのが見え、ウィタとウェネフィカの表情が青ざめる。
フィリアは殆ど無意識の内に彼女たちの腕を引っ張り、諸共に横道へと倒れ込んだ。
トリオン兵は肩から伸びたブレード付きの長腕で壁を切り裂きながら、勢い余って通路の奥へと駆け抜けた。どう見ても、少女たちを轢き殺す動きである。
「う、嘘……な、なんで!」
起き上がったウェネフィカが悲鳴を上げる。味方かと思われたトリオン兵が殺意を向けてきたのだ。困惑も当然だろう。
だが、クリズリは通路の奥で反転し、なおも口腔の単眼でじっと彼女たちを見詰めている。彼女たちを標的としているのは明らかだ。
「――!」
そして次の瞬間、弾かれたように動き出したのはフィリアだ。
死の瀬戸際に追い込まれたことで、彼女の意識は急速に覚醒へと向かった。
少女は一か八か通路へと飛び出し、腰部のポシェットからエクリシアの正規トリガーを取り出す。
ノマスの民を殺そうとしたのなら、このクリズリは間違いなくエクリシアの兵だ。味方の反応を察知すれば、攻撃を止めるかもしれない。
「くっ……」
しかし、クリズリはトリガーを掲げるフィリアを目の当たりにするや、突進して高々と掲げたブレードを躊躇なく振り下ろす。
この展開を予期していたフィリアは、小さな身体を素早く翻らせ死の斬撃を辛うじて躱す。
やはり、このクリズリはフィリアを味方と認識せず、それどころか優先的に攻撃を仕掛けてきた。クレヴォ、或いはフィロドクス騎士団によってプログラムが書き換えられているのだろう。
フィリアは生身とは思えないほど敏捷な動きでクリズリの真横を抜け、背後へと回る。
己が標的とされたことを悟った少女は、ともかく敵から母娘を引き離そうと考えるが、通路は見通しが良く逃げも隠れもできない。しかも、相手は自分より圧倒的に早い人形兵器だ。
おおよそ逃げられる可能性などないが、それでも少女は決然と走り出す。しかし――
「あっ――」
クリズリが振り向きざまに薙ぎ払ったブレードが、フィリアの背中を斜めに切り裂いた。
少女は衝撃につんのめり、地面に前のめりに倒れ込む。
一拍おいて、熱湯を浴びせかけられたような熱が背中を襲う。
「痛ぁ……」
少女が苦悶の呻きを上げる。追撃を躱すべく立ち上がろうとするが、身体が言うことを聞かない。
クリズリは倒れ伏す少女に何の感慨も抱いた様子も無く、止めを刺さんとブレードを振り上げる。その時、
「その子から離れなっ!」
喊声と共に、トリオン兵の顔面へ布包みが叩きつけられる。
フィリアが切りつけられたのを見て、ウィタが手荷物を投げつけたのだ。そして彼女は手近にあったトリオン製の資材を手にすると、なんとクリズリに打って掛かった。
娘と同じ年頃のフィリアを助ける為、ウィタが無謀な突撃を行う。が、
「あぁっ!」
「お母さんっ!!」
純然たる戦闘機械に敵うはずもなく、ウィタはクリズリの腕の一薙ぎで吹き飛ばされた。
地面を転がって倒れ伏す母を目の当たりにして、娘のウェネフィカが悲鳴を上げる。
「っ――」
その光景は、倒れていたフィリアにも見えていた。
自らを助けようとしたウィタの献身。そして母を思う娘の悲痛な叫びに、少女の頭に掛かった霧が瞬時に晴れていく。
そして少女が完全に正気を取り戻すや、「直観智」のサイドエフェクトがこの絶望的な状況を覆す方法を囁いた。
「ウェネフィカさん! これを使って!」
フィリアは震える身体に喝を入れ、渾身の力で手にしたエクリシアのトリガーをウェネフィカへと投げる。
「っ、え、え!?」
「トリガーを起動して! 早くっ!!」
混乱の渦中にあったウェネフィカの足元に、狙い過たずトリガーが転がる。そしてフィリアの凛呼たる命令を受け、少女はトリガーを急いで拾い上げた。
「――トリガー起動」
即座にウェネフィカの身体をトリガーがスキャンし、戦闘体を構築する。
一瞬の後に、少女のトリオン体が通路に現れる。その手に提げられているのは、長大な騎士剣「
「――!!」
戦闘員の出現に反応したクリズリが、即座に攻撃体勢に移った。
しかし、対するウェネフィカは何の訓練も受けていない素人だ。襲い来るトリオン兵に、どうしても身がすくんでしまう。
「何処でもいい! とにかく剣を叩き付けて!」
ブレードを掲げてクリズリが突撃する。フィリアに叱咤されたウェネフィカは、瞳に決意の光を宿らせると、
「うあぁああああっ!」
雄叫びと共に敵へと飛びかかる。
交錯は僅か数秒。
クリズリのブレードはウェネフィカの胸を深々と貫き、トリオン供給機関を断ち割った。
だが、トリオン体が崩壊するその一瞬、少女は手にしたブレードを全力でクリズリへと投げつける。
狭い通路に爆音が響き渡った。
「あうっ! うぅ……」
生身に戻ったウェネフィカが通路に尻もちをつく。そして自分を刺し貫いた敵を探すと、目の前にはバラバラになったトリオンの破片が散らばっている。
「あ、あれ……えっと……」
「――――っ」
困惑顔のウェネフィカを余所に、フィリアは戦慄に言葉を失っていた。
騎士として己を極限まで鍛え上げたフィリアは、刹那の内に終わった戦闘を委細漏らさず見届けていた。
ウェネフィカが投げつけた「
通常では考えられない出来事である。
最新鋭の兵器であるクリズリには、同じ戦闘用のトリオン兵モールモッドの二十倍強のコストが掛けられている。その装甲の堅牢さは、並大抵のものではない。
しかも、コアの収まる頭部は最重要部位として特に強靭に作ってある。
ノーマルトリガーで打ち破るならば、よほどのトリオン機関と非凡な技量が必要だ。
その強固極まるクリズリを、乱雑な一太刀で粉々に打ち砕いた力とは何か?
「神の候補……こんな小さな子、だったんだ……」
フィリアが呆然と呟く。
彼女はサイドエフェクトに導かれるまま、理由も分からずウェネフィカにトリガーを預けた。そうすれば、状況を打開できるという確信だけがあった。
果たしてウェネフィカのトリオン機関は、正しく桁違いの力を有していた。
その出力は間違いなく母パイデイアをも凌ぐ。エクリシアが、フィリアが探し求めていた新たな「神」が、目の前にいる。
「お母さんっ! お母さんっ!!」
そんなフィリアの胸中など知る由もなく、ウェネフィカは倒れ伏したウィタの下へ駆け寄り、泣き声交じりで母を呼ばわっている。
程なくして、ウィタは何事も無かったかのように意識を取戻し、身体を起こした。
クリズリは飽く迄フィリアの排除を最優先としていたため、戦闘力の無い一般市民を適当にあしらったのだろう。仮にトリオン兵が本気で殴りつけていたなら即死していてもおかしくない。
そして起き上がったウィタは、クリズリが消え去っていることを知るとウェネフィカを力強く抱きしめた。
「…………」
涙を流しながら互いの無事を確かめる母娘に、フィリアは悲痛と安堵の入り混じった、今にも泣き出しそうな表情を向ける。
少女にとって何よりも尊い家族の愛。彼女は思わず目の前の二人に、自分と母の姿を重ね合わしてしまう。
「ウェネフィカ! 荷物から布を持っといで! あんた、しっかりするんだよ!」
「頑張って! すぐお医者に連れていくから!」
そして立ち上がった二人は、今度はフィリアの下へとやってくる。クリズリに切りつけられた少女を手当てしようというのだ。だが、
「――近づかないで」
フィリアはよろめきながらも立ち上がると、決然とした表情でそう告げる。
「そのトリガーは速やかに放棄しなさい。追っ手がトリオン反応を捉えたやもしれません」
先ほどの悄然とした姿とは打って変わり、凛然とした面差しで少女が言葉を続ける。
あまりの変貌ぶりに、ウェネフィカら親子も驚いて歩みを止める。
「……私はあなたたちと同道する気はありません。ここで、お別れです」
フィリアはそう言い捨てると、踵を返して都市の中央方向へと立ち去ろうとする。
「ま、待って! あなた怪我してるよ。手当てしないと!」
だが、ウェネフィカがそう言って引きとめる。
「然程の傷ではありません。気遣いは無用です」
フィリアの小さな背中には、右肩から腰まで一文字に裂傷が走り、鮮血が滲んでいる。
痛々しくみえるが、倒れ込みながら切られたせいか傷はそれほど深くない。とはいえ、血が止まる浅さでもない為、早急に治療が必要だろう。
少女はウェネフィカの申し出を言下に断ると、すぐさま歩き出そうとする。
「待って! ねえ、何処へ行くの? 何か忘れたの? 一人じゃ危ないよ。私たちも手伝うから……どうしたのか、教えて?」
「…………」
ウェネフィカは立ち去ろうとするフィリアの手を取ると、熱を込めてそう尋ねる。
しかし、同年輩の少女に優しく語りかけられても、フィリアこれ以上語ることなどないと言わんばかりに沈黙する。すると、
「ねえあんた、このトリガーは、いったいどうやって手に入れたんだい。……そもそも、こんなトリガー、私は見たことないけど……」
それまで成り行きを見守っていたウィタが、微かに緊張を滲ませた声でそう尋ねた。
彼女は娘から預かっていたフィリアのトリガーを子細に眺め、それがノマスのトリガーでないことに気付いたのだ。
「…………」
尚も沈黙を貫くフィリア。ウィタはたじろぐウェネフィカの肩を掴み、少女から離れさせる。
「……もう二度と、会わないことを祈りなさい」
フィリアは冷然とそう告げ、母娘を置き去りにして歩き出す。
尚も事情の呑み込めないウェネフィカは少女を追いかけようとするが、ウィタがそれを許さない。
「待ってよ! 私まだ、あなたに助けてもらったお礼も言ってない!
ねえ、なんで!? 私もあなたの力になりたいのに! あなたと友達になりたいのに!
――あなたの名前も教えてもらってないのに!」
むざむざ死地へと赴こうとするフィリアに、ウェネフィカが困惑と非難の混ざった声を浴びせる。
すると、件の少女はつと立ち止まり、
「私はイリニ家のフィリア。あなたたちの国を侵した、エクリシアの騎士です」
背を向けたまま、何の感情も窺わせない声でそう言い捨てた。
× × ×
(これで……これでよかったんだ……)
激戦地となった「パトリア号」中央部へ向け、おぼつかない足取りでフィリアは歩く。
結局、少女の出自を知ったノマスの母娘は、彼女を引きとめようとはしなかった。
そしてフィリアも、神の候補に相応しいトリオン機関を有するウェネフィカを、強いて捕らえようとはしなかった。
生身の身体で二人を制圧できないだろうことは明白で、またエクリシアのトリオン兵に自らが狙われている状況では、援軍を呼ぶのは自殺行為に等しい。
それになにより、涙を流して互いの無事を確かめあう親子を引き離すことなど、少女にできることではなかった。
騎士としては失格なのかもしれない。けれどもうフィリアは、神を捕らえる事に然程の意味を見出せなかった。
ウェネフィカを生贄にしても、パイデイアは帰ってこない。
弟妹たちと過ごす穏やかで喜びに満ちた未来は、永劫訪れることはない。
「伯父様に、伝えないと……」
通路を進むフィリアの口から、かすれ声で独り言が零れる。
混乱から立ち直った少女は、当然の疑問としてクレヴォの裏切りを思い起こした。
政治的、個人的双方の理由があるだろうことはサイドエフェクトが教えてくれた。加えて、クレヴォとフィロドクス騎士団の本当の狙いがアルモニアの暗殺であることも、彼女の「直観智」は解き明かしてくれた。
「ぐっ……」
背中の痛みと積み重なった疲労に耐えかね、少女は荒い息を付きながら壁に寄り掛かる。
クリズリに切りつけられた傷は見た目より軽いとはいえ、未だに出血は収まっていない。
それだけでなく、都市に侵入したエクリシアのトリオン兵を避ける為に、サイドエフェクトを酷使し続け、耐え難い眠気まで襲い掛かってくる。
途切れそうになる意識を懸命に繋ぎ止め、少女は再び歩を進める。
何としてでもアルモニアの下へとたどり着き、フィロドクス騎士団の裏切りを伝えねばならない。その一念が、少女を動かし続ける。
だが、極度の疲労と少なくない出血。そして精神的なストレスに、とうとう少女の身体が音を上げた。
「うっ……」
前に進もうという意思とは裏腹に、少女の体が無意識に頽れる。
懸命に立ち上がろうとするが、全身が鉛に変わってしまったように重い。
倒れ伏してなお足掻くも、結局フィリアの意識は底なしの暗黒へと飲み込まれていく。
そして、少女が意識を失って数分後、昏倒した彼女の下に、重い足音が近づいてきた。
通路の奥から猛スピードで近寄ってくるのは、少女に傷を与えたモノと同型のトリオン兵クリズリだ。数体のヴルフを連れた兵団が、すぐさま少女を取り囲む。
そのトリオン兵がノマス、エクリシアどちらのモノであっても、フィリアの敵であることに変わりはない。少女の命は風前の灯火かと思われた。その時――
「フィリア! フィリア!! 私の声が聞こえますか! 返答してください! ――お願いします、目を開けて!」
奇妙なほどに抑揚のない、それでいて身を裂かれるように緊迫した女性の声が、通路に木霊する。
少女を見下ろすクリズリの陰から現れたのは、魚の尾びれのような突起を持つ、人の頭ほどの大きさをした物体――自律型トリオン兵ヌースだ。
「パトリア号」解体と
都市内部はエクリシアが散布した「
ノマスから拝借したトリオン兵を引き連れ、全速力で現場へと向かう途上、ヌースは傷つき倒れ伏す家族の姿を見つけたのだ。
「…………」
フィリアの息があることを確認すると、ヌースは持ち前の冷静さと合理性を如何なく発揮し、速やかに少女の治療を始める。
万能索を伸ばし、背中の裂傷にトリオンを接着剤のように塗布する。トリオンは無菌で人体に影響を与えないため、止血を施すならこれで一先ず用足りる。
見たところ、主要な血管に傷はついていないようだが、かなり動き回ったらしく出血が激しい。意識レベルも依然低いままであり、早急に治療を受けさせねばならない。
「大丈夫ですよフィリア。きっと、必ず助けますから。だから、どうか……」
機械人形であるヌースから、祈りの如き言葉が零れる。
少女を抱き上げたトリオン兵と共に、ヌースともかく味方と合流しようと動き出した。