WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の二十二 決着 託す者

 涼風吹き抜ける広大な草原は、血と泥濘と瓦礫に覆われた地獄の底と化していた。

 都市周辺の大地に散らばるのは、エクリシア、ノマス双方が繰り出したトリオン兵の夥しい残骸だ。そしてそれらに混じって、数多くの死体があった。

 

 亡骸は、ノマスの戦士、市民両方のものだ。

 故国を護るために奮戦し、遂には命を落とした者。トリオン兵に捕らえられ、食い散らかされたかのようにトリオン機関を抜き取られた者。

 

 それらの死体は戦闘の余波によって、踏み砕かれ、磨り潰され、焼き焦がされ、そして掘り起こされた土に塗れて物のように転がっている。

 酸鼻極まる戦場の光景。しかし、それでもまだ戦闘は終わらない。

 

「しっ――」

 

 馬蹄を轟かせながら、ノマスの騎乗用トリオン兵ボースが戦場を駆ける。鞍上の少年が鋭い呼気と共に振るうのは、軟鞭トリガー「牛飼い(フラゲルム)」だ。

 空を切り裂く鞭頭は、エクリシアのモールモッドのコアを見事に断ち割り、一撃でその機能を停止させる。

 

 非凡な業前を見せた少年は、ルーペス氏族の戦士カルボーだ。

 (ブラック)トリガー「劫火の鼓(ヴェンジニ)」の使い手ニネミアに奇襲を仕掛けた少年は、しかし「パトリア号」への砲撃を防ぐことができず、急ぎ都市の救援へと馳せ参じた。

『パトリア号』内部には複数の騎士が侵入したらしいが、都市からはトリガー使いと市民の退去を促すアナウンスが流れ続けている。

 

 ノマス最強の戦士レクスが救援に赴いたとの報せも聞こえてくるため、内部は何とか敵を防げているのだろう。

 しかし、都市外部では予断を許さない激闘が続いている。

 猛威を振るった騎士たちは、ノマスの防衛部隊が多大な犠牲を払うことで大方撤退に追い込むことができた。

 

 だが、エクリシアのトリオン兵は未だ多数が健在で、各地で戦士や市民を襲っている。

 カルボーはボースで戦場を駆け抜けながら、とにかく敵の数を減らすべく手当たり次第に鞭を振るう。

 

「っ――」

 

 無口な少年の相貌が、憤怒の色に染まる。

 多数の市民を呑み込んだと思しき捕獲型トリオン兵ワムが、不気味な蠕動運動で眼前を這い進んでいる。

 

 少年は馬腹を蹴ってボースを跳躍させると、渾身の斬撃を醜悪なトリオン兵へと叩き込む。――が、ワムは複数の個体が連結して長大な身体を構成しており、たとえ一部位が破壊されたとしても、その個体を切り離すことができる。

 カルボーの攻撃も虚しく、二つに千切れたワムは、何事も無かったかのように別々の方向へと進み出した。しかも、その進行方向には漆黒の(ゲート)が開いている。

 

「くっ……」

 

 市民を避難させるため、ノマスは(ゲート)封鎖装置を一時的に解除したのだが、それがエクリシアにも利する展開にもなってしまった。

 通常は封鎖の外にまで逃走しなければならない捕獲型が、(ゲート)を用いてすぐさま逃亡できるようになったのだ。

 

 戦闘型の攻撃を凌ぎつつ、四方八方に散らばった捕獲型を破壊するのは不可能に近い。ノマスの戦士たちは死に物狂いで捕獲型を追いかけるが、既に多数の市民が連れ去られてしまった。

 カルボーは襲い掛かるモールモッドを巧みに躱しながら、ワムを一個体ずつ破壊しようとするが、結局分離したもう片方には逃げられてしまう。

 

「くそ……」

 

 だが、少年には憤る時間も悔やむ暇も無い。新たな敵を追い求めてボースを走らせる。

 そうして戦場を疾駆するうち、彼は特に激戦が繰り広げられたであろう一画へと辿りついた。草原を覆い隠すほどのトリオン兵の残骸に、数十を超えるであろうノマスの戦士の遺体が散らばっている。

 カルボーは強靭な精神力で胸中の動揺を抑えると、敵、味方共に生存者無しと判断し、先を急ごうとする。

 

 だがその時、小山のように蹲るバムスターの陰から、微かに己の名を呼ぶ声がする。

 

「――先生っ!」

 

 その声を、少年が聞き違える筈も無い。

 カルボーはボースの背から飛び降りると、声の主を求めて敵味方の死体の上をひた走る。

 

「先生っ! 御無事ですか先生っ!」

 

 バムスターの残骸に背を預け、座り込んでいたのはルーペス氏族のカルクスだ。

 歳は孫子ほど違うが、カルボーにとっては育ての親であり、あらゆる技術を授けてくれた師匠でもある。

 

「っ――」

 

 恩師の姿を目の当たりにしたカルボーは、衝撃に言葉を失う。

 カルクスは生きているのが不思議なほどの重傷を負っていた。

 全身はくまなく血に濡れ、左肩には折れたブレードが突き刺さり、右脚は膝から先が消失している。

 

 エクリシアの騎士、フィリア・イリニに敗北し、トリオン体を失った老雄は、しかし撤退を良しとせず、配下の適合者に(ブラック)トリガー「凱歌の旗(インシグネ)」を譲渡すると、自らは部隊を率いてエクリシアの兵に徹底抗戦した。

 

 彼に率いられた部隊の活躍は目覚ましく、騎士数人を撃退し、数多のトリオン兵を破壊した上、市民の避難誘導まで行った。

 天を突かんばかりの士気でエクリシア勢を駆逐していった彼らだが、しかし衆寡敵せず、次第に人数を減らしていく。

 生身のカルクスも苛烈な攻撃に手傷を負ったが、それでも彼は最低限の血止めを施しただけで、指揮を取り続けた。

 

 そして戦士たちが最期を迎えたのが、カルボーの辿りついた戦場であった。

 辺りに動く者はなく、老雄は依然腰を落としたまま身動き一つしない。だが、

 

「寄れ」

 

 老人の鷹の如き眼光がカルボーを射抜く。

 言葉短く、しかし衰えぬ覇気を纏った声で呼び付けられ、少年は思わず背筋を正す。

 

「――先生。すぐに救護班を連れて参ります。どうか、御気を強く保ち下さいますよう」

「無用だ。私を侮るか?」

 

 少年の気遣いに、老雄は重傷人とは思えぬほどの凄みを見せる。

 

「はっ! 失礼いたしました」

 

 カルボーは謹直な態度で師に詫びを述べた。親も同然のカルクスが半死半生の有様なのだから、少年が動揺するのも無理からぬことである。しかし、ルーペス氏族の一員である彼には、たとえ親の死に直面しようとも心を乱すことは許されない。

 

(マザー)トリガー封鎖に合わせて都市群が離脱を行う。マラキア殿が兵を纏めている。お前も合流し、民を護れ」

 

 カルクスは己の状態などまるで眼中に無いかの如く、カルボーに指示を下す。

 

「……了解しました」

 

 少年はその意を汲むと、絞り出したような声で答える。そして彼が踵を返そうとすると、

 

「待て」

 

 カルクスが呼び止める。

 何事かとカルボーが恩師の下へと近づくと、彼は小さな、それでもはっきりとした声で、

 

「お前をルーペス氏族の跡目とする」

 

 少年へとそう告げる。

 

「っ――」

 

 カルクスの遺言に、少年は辛うじて無表情を保つものの、思わず俯いてしまう。

 

「私、には……」

 

 先生の代わりは務まらない。との言葉が喉を突いて出そうになる。

 エクリシアの砲撃を阻止できる位置にいながら、ニネミアを仕留めそこなったという自責の念が、年若いカルボーの胸に蟠っている。

 妹分として共に育ったテララの死を受け入れらぬまま、そして今、父と仰ぐカルクスの死に目に立ち会う。いくらカルボーが幼少より訓練を受けていようとも、その心は千々に乱れている。

 

「カルボー。我らは何者だ」

 

 すると、項垂れる少年にカルクスが声を掛けた。その眼光は変わらず鋭いが、髭に覆われた面差しは、どこか柔和な印象へと変わっている。

 

「……我らルーペス氏族は、ノマスの風と共に生まれ、礎として死ぬ者也」

 

 無感情な、それでいて震える声で紡がれるのは、幼少時より語り聞かされてきた一族の心構えだ。

 それを耳にしたカルクスは小さく首肯すると、右腕を伸ばし、カルボーの手を取る。

 

「務めを果たせ」

 

 そう言うと、彼は少年の掌に、己の命と全てのトリオンを注ぎ込んだ。

 

「先生――」

 

 眩い光は一瞬で収まった。

 後に残されるのは、人の形をした塵の塊。それさえも、戦場を吹き荒ぶ風に攫われ、彼方へと消えていく。

 

「…………」

 

 カルボーは己の手に残されたトリガーをしばらく眺めると、師の遺命を果たすため死屍累々たる草原へと駆け出して行った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 怒号も悲鳴も呻き声も、何時しか絶えて聞こえなくなる。

 戦場に最後まで残るのは、ただ弾丸を吐き出し続ける銃の音。

「パトリア号」指揮所に籠城するノマスの職員たちは、切れ目なく襲い来るエクリシアのトリオン兵を相手に、凄惨な防衛戦を行っていた。

 

「弾を再分配します。これで最後です! ユウェネスさん! 機材が直せ次第封鎖を始めてください!」

 

 指揮所の入り口に組んだ即席のバリケードから、そう叫ぶのはレグルスだ。

 ヴルフの自爆攻撃を受けた指揮所では、設備にかなりの損害が出ていた。

 (マザー)トリガー封鎖を確実なモノとするためには、破損個所を修理しシステムの再点検を行わねばならず、そのために職員たちは決死の時間稼ぎを行っているのである。

 

「待て、もう出来る。ほんと直ぐだ! 何とか凌いでくれっ!」

 

 指揮所の奥から、ユウェネスの切羽詰まった声が帰ってくる。

 しかし、そうして言葉を交わしている間にも、通路の向こうから新手のヴルフが現れ、指揮所目指して突っ込んでくる。

 

「ホニン一! レイグ二! 曲射に注意してください!」

 

 レグルスはバリケードから身を乗り出すと、手にした簡易トリオン銃で、敵兵に精密な射撃を浴びせかける。

 先ほどの自爆攻撃によって、指揮所の人員は皆トリオン体を失ってしまった。生身のまま抗戦を続けているため、ノマス側には死傷者が続出している。

 

「ぐっ――」

 

 そして、今また一人の職員が、ヴルフの放ったトリオン弾を受けて倒れ伏す。

 

「――!!」

 

 レグルスは遮蔽から身を乗り出すと、敵兵に猛烈な射撃を叩き込む。簡易トリオン銃の出力であっても、ヴルフ程度の装甲ならば十分に効く。

 とはいえ相手は敏捷な小型トリオン兵。バリケードの隙間からでは狙いにくい。

 レグルスの放った銃弾が、ヴルフ・ホニンと、ヴルフ・レイグを一体ずつ始末する。だが、打ち漏らした最後のレイグが、少年目がけて弾丸を放つ。

 

「っ――!」

 

 少年は生身の体で横っ飛びに跳躍して弾丸を躱すと、倒れ込みながらフルオート射撃をヴルフに叩き込む。

 

「弾切れか……」

 

 敵は全て打ち倒したが、残り少ない銃弾を使い切ってしまった。

 少年はヴルフに撃たれた職員の側へと近寄り安否確認を行うも、心臓付近に弾丸を受け、既にこと切れている。

 

「お借りします」

 

 死者を悼む暇もなく、少年は職員の手から小銃を奪い、次なる敵に備える。すると、

 

「っ……クリズリ一! 全火力を集中してください!」

 

 次に指揮所に到達したのは、最新型トリオン兵クリズリだ。

 職員たちの顔が紙のように白くなる。

 元々ノマスが開発したトリオン兵だからこそ、その規格外の性能は誰しもが知っている。同じ小型でもヴルフとはモノが違う。桁違いの装甲は簡易トリオン銃の弾丸など悉く弾き返すだろう。

 しかも、死傷者が相次いだ結果、防衛に参加している職員はレグルスを含めて僅か五名。火力を寄せ集めたとして撃破できるかどうか。

 

「く……」

 

 大股で通路を突進してくるクリズリに、五条の火箭が浴びせられる。しかし、危惧していた通りまともにダメージが通らない。

 狙うべきは口腔のコアだが、それさえも短腕で防御されている。

 見る間にトリオン兵が指揮所に近づいてくる。

 焼けつくような焦燥が、徐々に絶望へと塗り替わっていく。だがそれでも、

 

「倒れろおっ!」

 

 レグルスは最後まで諦めず、咆哮と共に弾丸を叩き込んだ。

 その気迫が幸運を呼び寄せたのか、或いはバリケードから飛び出した少年を捕捉しようとしたのか、一瞬クリズリが顔面から短腕をずらした。

 そしてガードの隙間を縫って、レグルスの弾丸がコアを撃ち抜く。

 

「やった!」

 

 口腔から黒煙を吐き散らし、大きく体勢を崩すクリズリ。難敵を排除できたことに、職員らが快哉を叫ぶ。だが、

 

「な――」

 

 クリズリは機能停止する直前、狂ったように手足を振り回しながら、背面のスラスターを噴かせて指揮所へと体当たりを仕掛けた。

 トリオン兵の突撃に、俄か仕立てのバリケードは抗することもできず突破される。幸いクリズリは指揮所へなだれ込むやすぐさま機能を停止したが、防衛を行っていた職員たちが残らず跳ね飛ばされてしまった。そして、

 

「おいレグルス! マジか、くそっ!」

 

 ユウェネスが叫ぶ。最前線で戦闘を行っていた少年は、クリズリの突撃をまともに受けていた。職員が指揮所まで連れ戻すが、少年は頭から血を流し意識を失っている。

 

「――新手が来ます! ヴルフ三、クリズリ一っ!」

 

 尚も悪い報せは続く。

 通路の向こうから新手のトリオン兵団が姿を現した。

 指揮所の人員は満身創痍で、銃弾すら底を尽きかけており、頼みのバリケードは先ほど完膚なきまでに破壊されたばかりだ。

 

「~~っ!」

 

 奮闘を続けていた職員たちも、今度ばかりは絶望に言葉も出ない。

 それでも彼らは武器を手に、指揮所の入り口を固める。撃退は不可能だとしても、一分一秒でも時間を稼ぐ。だがその時、

 

「えっ……」

 

 悲壮な決意を抱いた職員たちの視線の先で、クリズリが粉みじんに砕けた。

 次いで、瞬き一つする間に随伴のヴルフらが何の抵抗もできずに破壊される。

 通路の奥に突如として現われた人影が、トリオン兵の群れを一蹴したのだ。

 

「あ、ああ……」

 

 飛燕の速度で指揮所へと走り寄る人影に、職員たちの喉から歓喜の声が零れる。

 白髪金瞳の壮漢の名はレクス。ノマスの誰もが知る護国の英雄である。

 両腕と右脚を失う程の傷を負いながらも、彼の纏う威風には少しの陰りも無い。

 (ブラック)トリガー「巨人の腱(メギストス)」を前にしては、どんなトリオン兵も雑魚同然だ。

 

「封鎖の進捗はどうだ」

 

 指揮所に脚を踏み入れるや、レクスは厳かな口調でユウェネスにそう尋ねる。

 職員たちの遺体や、意識を失った息子の姿を目にしたとしても、一党の指導者である彼は毛ほどの動揺も見せない。

 

「はい。直ぐにでも取りかかれます」

 

 オペレーターシートに腰かけたまま、打てば響くようにユウェネスが答える。

 ここに至るまでの諸々の難事や、指揮所が受けた被害などは一切報告せず、青年は淀みない口調で、(マザー)トリガー封鎖の為の具体的な手順と所要時間を淡々と述べる。

 

「そうか。皆よくやった」

 

 ユウェネスの説明を聞きながら、レクスは再び指揮所の外へと出る。

 

「付近のトリオン兵は粗方始末したが、まだ多少は徘徊しているようだ。この指揮所を封鎖する」

 

 通路のかなり遠方へと移動した彼は、軽く跳躍すると、残された左脚で通路の天井を蹴り穿った。

 天井に放射状の罅が入ると、堅固な建材が焼き菓子のように砕け、大量の構造材が瓦礫となって通路へとなだれ込む。

 

 レクスは同様の行為を数か所で行い、指揮所へと続く一本道の通路を、大量の瓦礫で埋めてしまった。

 幾らトリオン兵といえど、通常の手段で掘削するのは不可能。クリズリが砲撃を行ったとしても、上部の瓦礫がすぐさま穴を埋めてしまうだろう。

 これで、指揮所へ敵兵が侵入することはない。すると、

 

「モナカが、まだ戻っていませんが……」

 

 ユウェネスが低い声でそう呟く。

 トリオン兵エンジニアのモナカは、自分の研究室で(マザー)トリガー封鎖プログラムを完成させるや、エクリシア勢の迎撃に出向いた。

 霧の影響で戦況がモニターできず、彼女の行方は分からなかった。

 

「道中亡骸を見つけた。彼女は戻らない」

 

 心配を隠しきれないユウェネスに、レクスは硬い表情でそう告げる。

 

「っ――」

「「悪疫の苗(ミアズマ)」も奪われていたが、追跡はできなかった。――彼女に限らず、遺体を収容する必要はない。封鎖を急ぐ」

「……了解」

 

 ユウェネスは思わず天を仰ぎ、血が滲むほど強く拳を握りしめる。

 

「怪我人を連れて速やかに「パトリア号」より退避せよ」

 

 レクスは生き残った職員らへと命令を下す。

 万が一の事態に備えて、指揮所の真下には避難艇を納めた格納庫がある。(ゲート)を通って悠々と脱出することが可能だ。だが、

 

「…………」

 

 直通のハッチが開いたにも関わらず、職員の誰もが格納庫へ移動しようとしない。

 彼らは一様に決意を秘めた面持ちでレクスを見詰めている。その内、職員らの一人が、沈黙に耐えかねたかのように口を開く。すると、その言葉を遮るようにして、

 

「皆聞いただろ。早く避難しろ。後は俺がやる」

 

 ユウェネスが朗々と宣言する。

 避難にあたって問題なのは、誰が(マザー)トリガー封鎖の為に指揮所に残るかという事だ。

 職員は戦闘によって皆トリオン体を失っている。唯一トリオン体を維持しているレクスも、両手を失っておりコンソールの操作はできない。加えてトリオン漏出が夥しく、戦闘体は何時崩壊しても不思議ではない状況だ。とても封鎖に耐えられるコンディションではない。

 

 誰かが命を捨てなければ、(マザー)トリガー封鎖は実行不可能である。

 職員たちが避難しないのは、我こそがその任を担わんと志願しているからだ。

 エクリシアに攻め入られ、多くの同胞たちが命を落とした今、誰が命惜しさに逃げ出そうというのか。

 そんな職員たちの心情を理解しながらも、敢えてユウェネスは自らが指揮所に残ると宣言する。

 

「封鎖を提案したのは俺なんだ。言いだしっぺが責任取るのは当然だろう? ほら、早く行ってくれよ。レグルスが目ぇ覚ましたら説得するのが面倒だ」

 

 と、彼はまったくいつもの調子で、涼やかな笑みまで浮かべてそう言う。

 その飄々とした態度の裏に秘められた覚悟と熱意は、職員たちにもはっきりと伝わった。

 彼らは目に涙を浮かべてユウェネスに黙礼すると、怪我人を連れて避難艇へと移動を始める。

 尚も意識が戻らないレグルスは、職員らに抱きかかえられて慎重に避難艇へと運ばれた。

 

「さ、親父さんも行ってください。レグルスの奴、頭打ったみたいで結構ヤバいんです。早いとこ検査してやらないと……」

 

 職員たちが粗方退避し終わると、ユウェネスはまだ指揮所に居残るレクスにも避難を促す。すると、

 

「いいや、残るのは私だ。お前も避難せよ」

 

 レクスは青年の肩を掌で軽く叩いてそう言う。

 

「な――」

 

 みれば、レクスはトリガーを解除し生身の体に戻っていた。

 それどころか、彼がユウェネスの前に差し出している指輪は、ドミヌス氏族の至宝、(ブラック)トリガー「巨人の腱(メギストス)」だ。

 

「何言ってんスか親父さん! そんなの今更通る訳ないでしょう!」

 

 思いがけない横槍に、半ば本気の怒りと共にユウェネスが叫ぶ。

 

「いや、通す。通さねばならん。――お前は優秀な技術者だ。これからのノマスに、欠いてはならぬ人間だ」

 

 しかし、レクスは冷然とそう告げ、有ろうことか他の職員に指示してユウェネスを遠征艇へ押し込もうとする。片足を失った青年では彼らに抵抗できず、腰を据えていたシートから引きずり降ろされてしまう。

 

「ふざけんなよ! そんなら誰がアンタの代わりを務めるっていうんだ!?」

 

 職員らに両腕を掴まれ、床を引きずられるという格好で、ユウェネスが吼える。

 屈辱的な体勢を取らされたことによる怒りではない。身内であるレクスへの敬慕故の、私心無き純粋な怒りである。

 

「どんだけの民が殺され、連れ去られたと思ってるんです! 「パトリア号」を捨てて、(マザー)トリガーまで放置して、尻に帆を掛けて逃げなきゃなんねぇ! おまけに(ブラック)トリガーまで奪われた! どっからどう見ても言い逃れのできねぇ負け戦じゃねえですか! これから先、ノマスがどんな苦境に立たされるか分からねえ訳じゃねえでしょう! アンタ以外の誰に、民が纏められるっていうんスか!」

 

 満腔の怒りをぶつけるユウェネスに、レクスは只瞑目して答える。

 青年の主張はおおむね理に適っている。(マザー)トリガーの封鎖でエクリシアとの戦は終結するだろうが、より大変なのは終戦後のかじ取りだ。

 

 国力が大きく減退したノマスは、近界(ネイバーフッド)のあらゆる国から侮られ、狙われることになるだろう。

 それを防ぐには、有能な指導者の下、ノマスの国民が今まで以上に一致団結する必要がある。ドミヌス氏族の長であり、超人的な武勇を誇るレクス以外に務まる役ではない。

 

「私は過ちを犯した。責任は取らねばならん」

 

 だが、レクスは憤激するユウェネスを諭すように、静かに言葉を紡ぐ。

 

「エクリシアへの怨恨に囚われ、大局を見誤った。勝てぬ戦に踏み切り、多くの民を犠牲にした。……せめて敵を喰い止めねば、彼らの霊に顔向けできぬ」

「そんなの、只の逃げじゃねえか……」

 

 レクスの説得に、ユウェネスは吐き捨てるように溢す。

 エクリシアとの戦が過ちだったと言うなら、罪を背負わねばならないのはノマス全ての民だ。彼の国を滅ぼさんとの思いは、ノマスの民の総意であった。レクスだけが責任を感じることではない。

 それに過去にエクリシアが働いた暴虐を思えば、復讐心を抱くなと言う方が無理だ。両国の血で血を洗う戦いは、半ば運命づけられていたといっていい。

 まして勝敗の行方など、とても個人で背負えるものではない。

 

 現に、ノマスのエクリシアへの方策は殆ど完璧だった。敵国への奇襲といい、その後の防衛策といい、悉くが図に当たったのだ。

 ノマスの(マザー)トリガーの位置が敵に掴まれる、という不測の事態が起こらなければ、ノマスが完全に勝利していた可能性は高かっただろう。殊更、レクスを責める事などできない。

 

「否定はしない。だが、それでもお前を犠牲にすることはできない。お前たち新しい世代こそ、これからのノマスの希望なのだ」

「……つって、親父さんそんな齢でもねーじゃねえか。面倒事押し付けられるのなんざ、ゴメンですよ」

 

 言葉を重ねるレクスに、いく分落ち着いたユウェネスが拗ねたように口を差し挟む。

 

「大体、レグルスの奴はどーするんスか? 父一人子一人なのに。ええ? 俺に説明させる気なんですかね? だから身内のいない俺が涙を呑んで志願したのに、そこら辺の決意も汲んでくれないんすね? つーか、親父さん封鎖プログラムちゃんと動かせるんすか? コンソール触ってんの見たことないんですけど?」

 

 と、青年は立て板に水でまくしたてる。

 その軽快な調子と明るい語調に、彼の腕を曳く職員らも、自分たちが窮地にあることも忘れて思わず苦笑を浮かべてしまう、

 

「お前には苦労を掛ける」

 

 だが、レクスは何も言わずにユウェネスの不平不満を一頻り聞くと、ポツリとそう一言だけ口にする。

 

「あのさぁ、親父さん…………ああ、もういいや畜生」

 

 如何なる時にも威厳に満ちたレクスから発せられた、思いがけない謝意。

 それだけで、ユウェネスは何も言う気が無くなってしまった。

 幼き頃に戦争で両親を失い、以来父親代わりに育ててくれたレクス。この恐ろしくも尊敬できる男との思い出が脳裏に浮かび、不意に目頭が熱くなる。

 そうして彼の手から「巨人の腱(メギストス)」を受け取ると、職員の手を借りて立ち上がる。

 介添えをしてもらいながら、救助艇へと続くハッチを潜る。すると。

 

息子(アレ)に伝えてくれぬか。私はお前を誇りに思っている。と」

 

 青年の背に向け、レクスがそう頼む。

 

「そんなの、自分の口で言ってくださいよ……」

 

 するとユウェネスは背を向けたまま、不貞腐れたように口を尖らせて答える。

 

「柄ではなくてな。ああ、それと――お前のことも誇りに思っているよ」

 

 返ってきたのは、今までに聞いたこともないような穏やかな声。

 驚き振り返ったユウェネスは、ハッチが閉じる瞬間、確かに含羞の色を浮かべて微笑むレクスの姿を見た。

 

「――親父さんッ!!」

 

 思わず声を荒らげ、ハッチに縋りつくユウェネス。

 滂沱の涙を流す青年の叫びは、しかし彼に届くことはなかった。

 

 

 

 

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