WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
そこは広大にして壮麗、典雅にして崇高な空間であった。
細緻な装飾が施された巨大な柱が林立し、壁にはエクリシアとその神を讃えるイコンが見事な調和を以て飾られている。
ここはエクリシア聖都の中心にそびえたつ教会。その大聖堂である。
「嘗て我が国に危局が訪れた時、我らの祖先はその血を流し、幾千幾万もの民を救った。そして今日また、偉大なる英雄たちが去る。彼らの勇気と、その献身を心から讃えよう」
今日は先の防衛線の戦死者の合同葬儀が執り行われていた。
並べられた棺の数は二十二。そのほとんどが年若い従士だ。爆撃を受けた技術職員にも怪我人が多数出たが、幸い死傷者は少なかった。護身用トリガーでトリオン体に換装していたのが幸いしたらしい。
民間人に被害は出なかったが、一度の会戦で出た死者としてはここ数十年で最も多い。
正体不明の乱星国家は明らかにエクリシアの国勢を把握していたとみられ、現在教会によって調査が進められている。
襲撃後の対応として、ゼーン騎士団はすぐさま反撃を行うよう主張し、教会にも働きかけた。多くの被害を受けたイリニ騎士団からも賛同の声が上がったが、これに反対したのはフィロドクス騎士団だ。
敵国の情報があまりに少なく、またこれ以上遠征に軍団を裂けば国防に当てる部隊が無くなるとの理由だ。
これには反論の余地も無く、大規模な派兵は見送りとなり、トリオン兵を用いた偵察のみに留まることになった。仇を討てない憤懣から、イリニ騎士団でもこの対応には意見が割れているようだ。
ただ、今日この日に限っては、その諍いも棚上げである。
教父の祈りの言葉に重なって、遺族たちの押し殺したすすり泣きが聞こえる。
「…………」
フィリアも騎士団の一員として葬儀に列席していた。ただ、手袋で手を、濃い色のチュールで顔を隠し、肌を表に出さないよう厳重に気を使っている。
どこまでいっても彼女は敵国の血を引く者だ。この肌の色で遺族が安らぎを得られないのなら、晒すべきではないのだろう。
しかし、イリニ家の一員である彼女には、葬儀を欠席するという選択肢は無かった。
フィリアの隣には、遠征から帰国を果たしたアルモニアが厳粛な面持ちで座っている。
帰国からこちら、激務に次ぐ激務で休む間もないはずだが、それでも彼は騎士団の総長として威厳をもって儀式に臨んでいる。
棺とその周りに座る遺族たちを見て、フィリアはつい、自分と家族をその光景に当てはめてしまった。自分が今日ここに座っていられるのは、ただの偶然なのかもしれない。
ふとその時、フィリアの脳裏に奇妙な疑問が浮かんだ。
(私が死んだら、この人は泣くんだろうか)
隣のアルモニアを見上げながら、そんな益体もないことを考えた。すると、
(えっ……)
驚くべきことに、サイドエフェクトは然りと示している。
「――どうした?」
フィリアの視線に気付いたのか、アルモニアが小声で彼女に話しかける。
「いえ……なんでも、ないです」
フィリアが言葉を濁すと、アルモニアは再び視線を教壇へと向けた。
彼は何故、自分に良くしてくれるのだろう。とフィリアは思う。
この一年間、伯父との会話はそこまで多くはなかった。ただ、彼が情義に厚いだけなのではなく、明確に家族としての愛情を少女に向けていることは気付いていた。
「…………」
このしめやかな空気がそうさせたのか、フィリアは思わず隣席に手を伸ばし、伯父の服の袖を摘まんでいた。
アルモニアは何も問わず、ただその大きな手で少女の手を優しく握り返した。
× × ×
合同葬儀の晩。フィリアは久々にイリニ家の屋敷に戻った。
普段は時間ができれば鍛錬に勤しむ彼女も、今日だけは早々と家に戻り、弟妹やヌースと心行くまで楽しいひと時を過ごす。
すすり泣く家族の手で、教会から送り出されたフィリアとそう変わらぬ年の従士たち。
その姿が少女の目に焼き付いている。
気分が滅入った時、決意が揺らぎそうになった時、フィリアは胸元へと手を伸ばし、その小さな指で銀細工の鍵に触れる。
(うん……大丈夫)
これを護るためなら、彼女は何処までも戦うことができる。
結局、この日のフィリアは弟妹たちの就寝時間まで彼らに付き合い、騒々しく夜を過ごした。
そうして家族の寝静まった深夜。
「失礼します。ご当主様」
小さな森を思わせる屋敷の中庭。その東屋で、フィリアは物思いにふけるアルモニアを訪ねた。
「まだ起きていたのか。今日は疲れただろう」
アルモニアは困ったような表情で小さな来訪者を出迎える。だが、決して邪険にすることはない。
「ご当主様ほどではありません。ああ、百合が綺麗に咲きましたね」
「そうだな。ここしばらくが見ごろだろう」
二人はベンチに並んで座り、咲き誇る花々について素朴な感想を述べ合う。
エクリシアの国難にますます多忙の日々を極めるアルモニア。この一年間、鬼気迫る表情でひたすら訓練に打ち込むフィリア。
この密やかな夜会も、最後に行ったのはいつの日だったか。
「ご当主様――ご無事の御帰りを、心よりお祝い申し上げます」
「ああ、ありがとう」
少女は改めて伯父に向き合い、遠征よりの帰還を祝賀する。
総長自ら率いる遠征隊が向かったのは、田園の国マギラスである。
戦闘は我が方の大勝利に終わり、イリニ騎士団は五十人以上の捕虜を得て凱旋帰国した。
フィリアにとっては残念なことに、母に代わるべき神の候補は見つからなかったようだが、それでも失敗して戦力を失うよりは随分といい結果だ。
「……君の方も、随分と活躍したそうだな。イルガーを墜とし城壁を護りきったと、メリジャーナの報告書に書いてあった」
今回に限らず、フィリアの功績を賞賛するアルモニアの声はいつも暗い。
そもそもこの伯父は、幼い姪が騎士団に在籍していること自体に強く反発している。
稀有な資質を持つフィリアの事が幹部に知れ渡ってしまったため、体裁上しかたなく騎士団にいれたものの、まさか少女がここまで真摯に取り組むとは思っていなかったようだ。
「そんな、非力を嘆いてばっかりです。私にもっと力があれば、そう思わない日はありません」
「そうか……」
フィリアの言に、アルモニアは重い息を吐く。
庭木や花壇の話、食べ物や弟妹の話をする時、彼はとても優しい表情をフィリアに見せる。だがしかし、こと話が軍事に及ぶと、彼はいつも厭わしげな空気を纏う。
「ご当主様、私に鎧を頂けませんか」
そんな伯父の態度を敢えて無視して、フィリアは言葉を紡いだ。
エクリシアの武力の核たるトリガー「
「それは……あまりにも早すぎる」
その無茶な要求に、流石のアルモニアも眉を顰めた。
「
騎士は従士とは違い、エクリシアの国勢を差配する地位と権力が与えられる。
そして権力には義務が付帯する。騎士となった者はエクリシアの中核戦力として、正当な理由が無い限りは軍役の義務を負うことになる。
そうなればフィリアは戦場から離れられなくなる。
それが例え、まだ十一歳の子供であったとしても。
「お願いします。私にもっと力があれば、今日あんな思いをせずに済んだかもしれないんです」
万感を込めて、少女は頭を下げる。
「…………」
アルモニアが苦渋の色を浮かべる。実の所、イリニ騎士団内部では、フィリアの騎士任命の話は既に出たことがある。
既に半期以上もの間、主席従士の地位を護り続けている確かな技量。
先の防衛線に限らず、戦場に立っては常に的確な判断を下し、従士の中では抜群の戦功を打ち立てている。
技術も、功績も、既に叙勲を受けるには十分なモノを有している。
残る問題は年齢と体格だが、叙勲に年齢は関係ない。
また鎧の着装基準についても、少女はそれを見越したようにトリオン体を調整している。
ノマスの血族という重大な欠点はあるが、彼女の騎士団とエクリシアに捧げる忠誠に、もはや疑いの余地はない。
前例のないことには変わりないが、イリニ家が正式に後援の立場を取れば、教会も叙勲を断ることはあるまい。
神の代替わりという国家の一大事に、優秀な人材を不当な地位に置くのは損失ではないか、との声は、テロス・グライペインなどを始め、幾人かの幹部から意見があった。
だが、その悉くを退けてきたのがアルモニアなのだ。
「……いや、やはり駄目だ。認められない」
「っ、何故ですか!?」
「君はまだ、騎士に相応しいほどの腕前ではない」
そう言って、アルモニアは会話を打ち切った。
フィリアを武力から遠ざける本当の理由について、彼は終生語るつもりはない。だが、
「――でしたら、試してくださいご当主様。……私が戦えるかどうか」
強い決意を金色の瞳に込めて、少女は真っ向からアルモニアに食い下がる。
もとより、この程度の否定で退くような子供ではない。その意思の強さは、アルモニアも良く知る所だ。
「……いいだろう。久々に一手指南しよう。訓練用トリガーを取ってきなさい」
木々がざわめく。森を通り抜けた風が若葉の匂いを運んできた。アルモニアは遠ざかる姪の背を見送り、
「ままならんな。何事も」
と、静かにそう呟いた。
× × ×
小さな森のように草木が生い茂るイリニ邸の中庭。その中央部、東屋の立つ一画は周囲が開けており、地面には芝生が敷かれている。
その深閑とした景色に立つ二つの人影。
フィリアとアルモニアは十メートルほどの間合いをとって対峙する。
「遠慮は無用だ。全力で来なさい」
「胸をお借りします。――トリガー起動」
一瞬の閃光と共に、フィリアの肉体がトリオン体へと換装される。
ありのままの体ではなく、もう少し年上の、大人と変わらぬ背丈まで成長した未来の姿。
少女の姿を見て、対手のアルモニアが微かに目を細めた。そして、
「……トリガー起動」
何かを追い払うように首を振ると、彼もトリオン体へと姿を変える。
お互い用いているのは訓練用のトリガーだ。生体を殺傷できないよう調整されており、武装はブレードのみである。
条件は五分と五分。だが、フィリアの前に立つ男はイリニ騎士団の総長にして、
「…………」
フィリアは剣を正眼に構えた。対するアルモニアは緩く剣を提げたまま立ち尽くしている。
少女を未熟者と侮っているのだろうか。そうではない。一見隙だらけに見える姿だが、フィリアは全く剣を打ち込めずにいた。
(勝ち筋が、まるで見えない……)
常に正着手を導くサイドエフェクトが、一切の解を出さない。
どこからどう斬り込もうとも、次の瞬間には敗北しているという確信だけがある。
いつの間にかアルモニアの気配は輪郭を無くし、夜の空気に茫と溶けていく。
まるで虚無と対峙し続けているような、先の見えない疲労感。
緊張からか、トリオン体にもかかわらず少女の額に汗が浮かぶ。
最後に手合せしてから、フィリアの剣は著しい進境を示したが、それでもこの伯父を前にしては、まるで勝算が立たない。
「どうした?」
そんなフィリアを見兼ねたように、アルモニア声を掛けた。
その穏やかな声。優しげな瞳。
闘争の場にあるまじきその思いやりは、伯父としての真心から出た物だろう。
それが却って、フィリアの戦士としての本能に火をつけた。
「参ります」
少女は腰元に剣を運び、切っ先を後方へ流した車の構えを取る。
勝ち目など最初からある相手ではない。それでも彼女は、どうしても彼に自分を認めさせねばならないのだ。
「――!」
羽が舞い落ちるよりも静かな、無いに等しい風の音。
次の瞬間、少女は十メートルの間合いを踏破し、アルモニアを刃圏に捉えていた。
トリオン体の身体能力を最大限に引き出した、まさに神速の踏込。そしてそこから放たれるのは、全身全霊を込めた逆袈裟切りの一撃だ。
戦術も駆け引きも無く、ただ身体に刻み付けた術理の求めるままに放たれた、それはまさに会心の一太刀であった。だが、
「――っ!」
有るべきはずの手応えが、返ってこない。
まさに空を切る、の言葉通りに、フィリアの剣は何もない宵闇を通り抜けた。
彼女が間合いを読み違えたのではない。対手のアルモニアが踏込に応じて僅かに身を引いたのだ。それどころか、
「気付いたか。随分と腕を上げたな」
アルモニアが賞賛の言葉を発する。
渾身の一撃を躱されたフィリアは、しかし次の太刀を放つことも、仕切り直しを図るでもなく、呆然とした表情で首筋を抑えていた。
「斬った、んですか……」
少女の首は胴と繋がっており、トリオン体にも何ら損傷はない。しかし、彼女は明らかに動揺し、戦慄に身を震わせている。
フィリアが斬りかかった一刹那。どのように回避されたのかは判然としないが、その瞬間、アルモニアが見せた視線の配り方、微かな肩の動き。そういった気配としか呼べないような微かな変化。
それだけで、彼が自分の首を刎ね飛ばそうと試みた。そしてそれが実際に可能なのだということを、肌身の感覚で理解した。
リーチが違う、剣速が違う、経験が違う。
そんな些末な要素では説明のつかない、あまりに大きな隔たり。
まるで夢幻の如き剣。刃が触れ合う事さえなく、そうなることが自然な成り行きであったかのように、アルモニアの剣はフィリアを制した。
身に納めた剣術すべてが、意に先んじて融通無碍に繰り出される。まさしく一刀即万刀の極意。剣聖と謳われる男が示した、至純の境地である。
「…………そうだな。最初の踏込は実に良かったが……」
フィリアの沈黙を挫折の現れと捉えたのか、アルモニアは気まずそうに講評を述べようとする。しかし、
「――もう一回! もう一回お願いしますご当主様!」
再起動したフィリアは声を興奮に昂ぶらせ、目には好奇の光を湛えて、この少女には珍しいほどのぼせた様子でアルモニアに訴えかける。
その様は、まるで奇術を目の当たりにした子供そのものだ。
「ああ。まあ構わんが……」
「ありがとうございます。では、行きます!」
アルモニアが答えたその瞬間、少女は段平を振りかざし躍りかかる。
袈裟切り、横薙ぎ、刺突、小手うち、足払い。途切れることなき剣閃の乱舞。
この一年間、血反吐を吐く思いで身体に教え込ませた剣術を、少女は思うままに繰り出す。
対するアルモニアはその疾風の如き剣を無心で躱し、軽妙に往なし、あるいは故意に傲然と受け止める。
そしてフィリアの防御に隙があれば意識のみでこれを斬り、その未熟を窘める。
数百合を打ちあって尚、二人は疲労の色も見せない。それどころか、剣戟は徐々にさらに速度を増していく。
フィリアの表情から、驚愕や興奮といった感情が徐々に薄れていく。
次第に彼女は手にした一刀に心を委ね、刃の求めるままに身体を動かすようになる。
するとどうだろうか。剣が空を切る回数が、僅かに減ったようだ。
あのアルモニアに受け太刀を強いている。フィリアは一太刀ごとに心を研ぎ澄ませ、剣聖と呼ばれた男に追いすがる。
それでも、少女の剣はなお届かない。
相対するのは、彼女の収めた技術など及びもつかない境地に至った男。
その境地に至れば、はたして何が見えるのだろうか。
殺意や敵意といった感情とは無縁の、透明な衝動に突き動かされて剣を振り続ける。
だがその時、
「――きゃっ!」
「なっ……」
少女は突如として身を捻じり、あらぬ方向に勢いよく転んだ。
丁度全力の踏み込みを躱された瞬間であったため、回避先のアルモニアに頭から突撃する格好となる。
そのままどさりと音を立て、地面に倒れ込む二人。
完全に予想外の動きであったため、彼も流石に避けられなかったようだ。
「「…………」」
仰向けのアルモニアの胸に、抱きかかえられる格好となったフィリア。
剣の極地を追い求めていた清澄な意識が、だんだんと我を取り戻していく。
「あっあの、これは、すみませ……」
自分がとんでもない粗相をしでかしたことに気付いたフィリアは、わたわたと慌てながら急いでアルモニアから飛び退る。
「私は平気だ。君こそ大丈夫か」
身を起こしたアルモニアは平時と変わらぬ謹厳さで少女を気遣った。
「あ、はい。どこも損傷はありません」
「……ふむ、まさか触れられるとは思わなかった」
アルモニアは背中の土ぼこりを払いながら立ち上がり、座り込んでいたフィリアに手を延ばす。
「ありがとうございます」
そうして少女を立ち上がらせると、
「足元に支障があったようにも見えなかったが、どうしたんだ」
先ほどの不可解な行動の理由を尋ねた。
「えっと、その……」
少女は逡巡してから、細い指でそれを指し示す。
「視界に入ってしまって、それでつい……」
フィリアが指さしたのは、夜風に咲き誇る百合の花である。
芝生の中央で始めた剣戟は激しさを増すにつれ、徐々にその位置を変えていった。丁度最後にフィリアが踏み込もうとした先は、もう花園にまで差し掛かっていたのだ。
「そうか」
アルモニアは得心したように頷き、トリオン体を解除した。今晩の手合せはこれまでという事なのだろう。フィリアもトリオン体を解き、訓練用トリガーを仕舞い込む。
「すみません……」
思わぬ幕切れを見せた勝負に、フィリアは意気消沈したように項垂れる。
これは彼女の実力を知らしめるテストだったはずだ。こんな有様を見せて、今更どの面を下げて騎士にしてくれなどと頼めるだろうか。だが、
「また上手になったな。すごいぞ」
と、アルモニアが晴れやかな笑顔と共に、称賛の言葉を投げかけた。
「あぅ……」
不意を突かれて褒められた少女は、頬を赤く染め、照れたような笑みを浮かべた。
× × ×
「芝生、酷いことになっちゃいましたね……」
「そうだな。訓練室を使えばよかった。……そんな顔をするな。ちゃんと手入れをすれば、すぐに元通りになる」
夜も随分と更けた頃。
激闘を終えた二人は東屋のベンチに並んで腰掛け、夜空と木々を眺めていた。
フィリアの手には、アルモニアが家人に命じて持ってこさせたホットミルクがある。
少量をゆっくりと飲み干せば、昂ぶった気持ちが収まっていくようだ。
「剣が、好きなのか?」
ワインを傾けながら、アルモニアは少女にそう尋ねた。
「……好きではありません。いえ……最初は大嫌いでした。触りたくもないくらい」
人を殺めるためだけに存在する利器と、その意思を極め続けた術理。
それらに拭い難い忌避感を抱いていた為、初めて剣に触れた時、己の手に馴染んだのをとても驚いた記憶がある。
すっかり扱いに慣れてしまった今でも、刃が敵を裂く感触は、何時まで経っても好きになれる気がしない。
フィリアが好むと好まざるとに関わらず剣の道に心血を注いだのは、それが純然たる「力」そのものだからだ。
この世界を支配する、武力という名の強大無比な存在。
それは唯一にして確かな、少女の儚い願いを叶える手段であった。
「ですが……」
アルモニアと剣を交わしているとき、フィリアは確かに憎悪と怨嗟の念から解き放たれていた。
「ご当主様は、剣を振るっているときに何が見えるんですか?」
少女はおずおずと、隣に座る伯父へと尋ねる。
あれほどの領域に至った彼ならば、あるいは己が見る物とは違った世界を知っているのではないだろうか。事実、先ほどのフィリアは、その片鱗を垣間見た気がする。
「剣がもたらすものは栄誉と財貨と平和。その裏写しの死と荒廃と混乱だけだ」
実直な面持ちにどこか自虐めいた色を浮かべて、アルモニアはそう言う。
「それでも、ご当主様に稽古をつけていただいてから、私は剣をそこまで嫌わないようになりました」
フィリアがそう反駁すると、アルモニアは優しい笑みを浮かべて頷いた。
「剣術は争いの為に編み出されたものだ。人が営みを続けていく上で、諍いは避けられない。……けれど覚えておきなさい。争いを納める術は人の心にこそあるんだ。要は、それに気付けるかどうかなんだよ」
視線の先に何を思い描いているのか、さびしそうにそう言って、アルモニアは再びワインを口にした。
フィリアもそれ以上の質問は憚り、別の話を振ろうとする。
けれども、この一年以上を訓練漬けで過ごした少女は、和やかな話題など到底持ち合わせていない。
仕方なく、訓練の合間に起きた些細な出来事や、メリジャーナたちに良くしてもらった話、印象深い家族の思い出を語る。
特に、アルモニアは貧民時代の家族の暮らしが気になったようだ。
決して恵まれた生活ではなく、母が体調を崩してからは悲惨な毎日を送っていたが、フィリアは務めて楽しい思い出だけを伯父に話す。そうして――
「このペンダント、私たちの家の鍵にそっくりなんです。忙しくて会えなくても、みんな繋がってるんだって、そう思えるんです」
フィリアは銀細工のペンダントを取り出し、アルモニアに見せた。家族以外は誰も信用しなかった彼女も、いつの間にか随分とこの伯父に心を開いていたようだ。
「ああ、小遣いを前借に来たのはこれを作るためか。……いや、よくできている」
「はい! 私の宝物です」
アルモニアはペンダントをしげしげと眺める。はめ込まれた宝石の意図に気付いたようだ。
「この宝石は……ふむ。私も家長としてはまだまだらしい」
「あの、えっと、それは……」
何も弟たちもアルモニアのことを嫌っている訳ではないだろうが、やはり相手が当主という立場であり、また伯父という関係であるため、強いてデザインに彼の事を組み込みはしなかったようだ。
けれどアルモニアはさびしげな表情で、
「時間をかけて触れ合えば、いずれあの子たちも私を家族と認めてくれるだろうか」
と、そう呟いた。
アルモニアのその言葉に、フィリアは曰く言い難い罪悪感を覚える。
彼は母を生贄に捧げる決断を下した、許しがたい罪人である。
出会った当初は心の底から彼を憎んだものだ。そうして野望を果たすために、好意につけ込んで散々に利用もした。
しかし、実際に戦場へと立ち、この世界の残酷な現実を味わったフィリアは、もう彼を心から憎むことができなくなっていた。
この残酷な世界で生きるための「こちら」と「あちら」の線引き。
フィリアは家族とその他で物事を切り分けていた。大人たちの場合、それが国とその他に変わっただけのことなのだろう。
母は必ず助ける。その決意に変わりはない。
けれど、一人の犠牲で皆が救われるという選択を、フィリアも非難することはできない。母と伯父が下した決断は、苦渋に満ちたものだったのだろう。
「……はい。きっと絶対、みんなご当主様を好きになると思います」
「そうか。そうだといいがな……」
アルモニアは暫く銀の鍵を眺めていたが、ふと思い出したかのように、自らの胸元を探る。
「ああそうだ。君に渡しておかなければ」
彼が取り出したのは、ひもで結わい付けられたトリオンの球体だ。少女の指先ほどの大きさをした純白の球は、真珠のように美しく輝いている。
大粒の宝珠は吸い込まれるように深く尊貴な輝きを放っていた。しかし少女はなぜか、その輝きに胸が締め付けられるような切なさを感じる。
「いいだろうか」
一言そう断ると、アルモニアはトリオン球からひもを外し、銀の鍵へと近づける。
摘まみ部分の穴に押し当てると、まるで最初から一つであったかのように、トリオン球はするりと銀の鍵に嵌り込んだ。
「もし嫌でなければ、これを持っていてほしい。私からのお守りだ。これは常に君と共にあり、君の歩く道を祝福してくれるだろう」
そう言って、アルモニアはフィリアに銀の鍵を返す。
「そんな……受け取れません。これはご当主様のお守りではないんですか?」
急な展開に、少女は慌てて受け取りを拒否する。
どんな由縁があるのか知らないが、アルモニアが肌身離さず持っていたということは、この宝珠はフィリアにとっての鍵と同じように大切なモノのはずだ。
「私はもう充分助けられた。これからは君が持つといい。困難な戦場に出るのであれば、なおさらだ」
「それはどういう……」
「フィリア。君が叙勲に相応しい功績を上げたとの旨、私から教会へと奏上しよう。流石にすぐには認められないだろうが……」
アルモニアはそう言って、少女の首に銀の鍵をかける。
叙勲を行うかどうか判断するのは教会だが、アルモニアほどの人物が直接申し込めば退けられることはない。それは確かに、少女の騎士就任を認める言葉であった。
「……ご当主様は、私が戦場に出るのを嫌っておられると思っていました」
「反対だな。絶対に認めたくはない。けれど、君は簡単に聞き入れるような子じゃないだろう」
「……ありがとう、ございます」
フィリアは宝珠の収まった銀の鍵を握りしめ、声を掠れさせながら礼を述べた。
家族以外から、ここまで思いを掛けてもらったことは一度も無い。胸に熱いものが込み上げ、少女は言葉を失う。
「もし君が本当にしたいことを見つけて、戦場から離れたくなったなら、迷わず私に言いなさい。必ず力になろう。約束する」
感激に顔を伏せる姪に、伯父は凛然とした声でそう告げる。
吹き抜ける夜風は冷気を増していたが、ここには暖かな思いが満ちている。
夜空に冴え冴えと輝く星々が、二人を明るく照らしていた。
第二章へ続く