WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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第六章 境を越えて
其の零 しんじつ善き人々


 雲一つない青空に、肌を焦がさんばかりに輝く太陽。

 蒼茫たる海原と白い砂浜が、目もあやなコントラストを描いている。

 

 聞こえてくるのは、寄せては返す波の音と、遠く近くの蝉時雨。

 彼方まで広がるのは空と海に二分された世界。海風に煽られながら見渡せば、清々しい解放感が湧きあがってくる。

 

 日本は四塚市(しづかし)にある海水浴場。しかし夏真っ盛りに関わらず、人の姿は殆ど見られない。

 浜辺を歩いているのは、十代と思しき男女数人のグループのみだ。

 

「四塚市まで来たのに、マリンワールドには行かないんすね」

 

 その一団の中で、ビーチパラソルを抱えていた黒髪の少年が呟いた。すると、

 

「うん。みんな海に行きたかったみたいでね。さくらくんはプールのほうがよかったかな」

 

 と、栗色の髪をした柔和な風貌の青年が、レジャーシートを広げながら答える。

 

「いえ。俺は別にどっちでもいいですけど……まあ、あいつも喜んでるみたいですし」

 

 さくらと呼ばれた少年の視線の先には、ほあああと頓狂な声を上げる奇妙な何かが。

 

「大きいですな~。広いですな~」

 

 大海原を目の当たりにして感嘆の声を上げていたのは、何と二足歩行の犬である。

 大人の膝丈程度の大きさをした黄色い犬が、二本の脚で砂浜を踏みしめ、子供のようにはしゃいでいるではないか。

 

 頭と体が大きく、手足が小さい様はまるでぬいぐるみのよう。

 犬らしからぬ立派な眉毛に大きな鼻、きらきらと輝く黒い瞳。可愛いかどうかは好みの別れるところかもしれないが、実に愛嬌のある顔立ちである。

 

 そして子供用の浮き輪を付けた犬は、黒いゴム風船のような物を取り出すと、器用に口を付けて、ぷうぷうと膨らませ始めた。

 すると息を吹き込まれた風船は、途端に手足を備えた人型へと膨らんだ。

 

 のっぺりとした体躯に大きな目が一つ。デフォルメの効いたデザインのゴム人形は、しかしモギューと不可思議な鳴き声を上げると、当然の権利のようにのそのそと歩き出す。

 

「よし、ゆくぞごむぞう! わたくしめにつづくのです!」

 

 海原を前に意気軒昂と命じる犬に、ゴム人形が答えるように腕を突き上げた。とその時、

 

「モギュ~」

「ごむぞう――!!」

 

 突如として伸びてきた白い手が、ゴム人形の栓を引っこ抜いた。

 空気の抜けてしまった人形は、たちまち元の大きさへと戻ってしまう。

 

「外で出さないようにって、あたし言ったわよね」

 

 狼狽する犬に話しかけたのは、長い黒髪を二つに結った、釣り目がちな少女だ。

 少女は慌てふためく犬を白い目で見つめながら、ゴム風船を摘まみ上げる。

 

「あはは、周りに誰もいないしいいんじゃない? ほら、おっきいゴムボートみたいなもんでしょ」

 

 すると、今度は黒髪ショートヘアの可愛らしい少女が現れ、調子の良い口調で話に加わった。どうやら犬とゴム人形を擁護してやるつもりらしい。

 

「ゴムボートは歩かないのよ」

 

 だが、二つ結いの少女は凄みを帯びた声でバッサリと斬り捨てる。

 

「おわわ……でも、ごむぞうも海にはいってみたいのでは……」

「そーだそーだ! 仲間外れは可哀想だぞ! ていうか私もごむぞうに乗ってみたいんだけど。すっごく楽しそう」

 

 そんな少女の剣幕に気圧されながらも、犬はおずおずと意見し、ショートヘアの少女は無責任に囃し立てる。

 

「あーもー分かったわよ。でも絶対動かしたり、喋らせたりしないこと! そいつはでっかいゴムボート。いいわね!」

 

 二人の懸命な抗議に、二つ結いの少女は深々とため息をつきながらも、渋々といった様子で頷いた。

 途端に犬が表情を輝かせ、嬉しそうに再びゴム人形を膨らませ始める。だが、

 

「ていうか、泳ぐのはまだよ。荷物も置いてないし」

「あ、そうだね。お兄さん手伝わないと」

 

 二人の少女はそう言って、砂浜にパラソルを立てている少年たちの方を見遣った。見れば、少女たちもそれぞれ肩掛けに荷物を下げている。

 

「む? おてつだいならわたくしめも……」

 

 背を向けて歩き出す少女たちを、はたと手を止めた犬が追いかける。すると、

 

「ノーーーー!!」

 

 しっかりと口を持っておかなかった所為か、膨らみかけていたゴム風船が犬の手から勢いよく飛び出してしまった。

 

「ごむぞう!!」

 

 波打ち際へと飛んでいくゴム風船を、犬が血相を変えて追いかける。

 短い脚を懸命に動かし、砂浜にヘッドスライディングをして何とかゴム風船を掴み取る。

 手にした風船を今度はしっかりと握りしめ、犬が一安心の息を付く。だがその時、

 

「のわわわわーー!!」

 

 折悪しく大きめの波が押し寄せてきて、犬の顔面へと直撃する。

 のみならず、浮き輪をつけて腹ばいになっていた犬は、何の抵抗もできずに引き波に攫われてしまった。

 

「ちょ、なにやってんのよあのバカ!」

 

 二つ結びの少女たちが気付くも、既に犬は自分では足の届かない沖にまで流されてしまっている。

 犬はパニックに陥り手足をじたばたと動かしている。浮き輪を付けているが、あれでは体が抜けてしまうかもしれない。

 二つ結びの少女は荷物を砂浜に置き捨てて走り出した。華奢で小柄な体躯からは想像もつかない敏捷な動きである。

 

 だが、そんな少女を追い抜いて、波打ち際へと走る人影がもう一つ。

 

 

 黄金を溶かしたような金色の瞳が、犬の姿をはっきりと見つめる。

 

 

 

「リリエンタール!!」

 

 

 

 緊迫した声で犬の名を叫ぶのは、雪のように煌めく白髪をした褐色肌の少女だ。

 

「リリエンタール! 大丈夫、お水飲んでない!?」

 

 褐色肌の少女は波に翻弄されている犬に追いつき抱き上ると、心配した様子で話しかける。

 リリエンタールと呼ばれた犬は鼻をずびずびと鳴らし、うぶぶと唸りながら、

 

「へ、へいきなのです。ごむぞうもたすけたのです」

 

 と、強がって見せた。

 

「ちょっともう気を付けなさいよ!」

 

 二つ結いの少女もすぐに駆けつけて、リリエンタールを叱りつける。とはいえ、きつい声音とは裏腹に、表情には心配の色がありありと浮かんでいる。

 

「も、もうしわけない……」

 

 少女たちに気遣われ、リリエンタールもしょんぼりと項垂れる。

 

「ふふ。まあまあ、御無事でよかったです。ごむぞうさんを助けたのは格好良かったですよ」

 

 そんなリリエンタールを励ますように、褐色肌の少女が優しげな微笑みを浮かべて語りかけた。

 

「ちょっと、あんまり調子に乗せるようなこと言わないでね」

 

 二つ結びの少女は不機嫌そうにそう言いながら、そそくさと浜へと戻ってしまう。そっけない態度だが、それが先ほどの狼狽した姿を隠すための照れ隠しなのは明らかだ。

 褐色肌の少女もリリエンタールを抱いたまま浜へと向かう。まだ海水が抜けていないのか、黄色い犬はすんすんと鼻を鳴らしている。

 

「本当に、何ともありませんか?」

 

 と、褐色肌の少女が問いかける。

 

「うぶぶ……じつはちょっとだけお水のんでしまったのです。すごくしょっぱいのです」

 

 リリエンタールは恥ずかしそうにそう答えた。

 

「むむ? どうかしたのですかな?」

 

 それを聞いた少女の足が、ぴたりと止まる。

 訝しげに問いかける犬を抱いたまま、少女は波打ち際で立ち尽くす。

 すると彼女はゆっくりと膝を曲げ、片手で海水を掬い上げた。

 そうして一掬の海水を顔の前に持ってくると、暫し逡巡した後、ぐっと一息で飲み干す。

 

「――けほっ」

 

 案の定と言うべきか、海水を勢いよく飲み込んだ少女は思わず噎せてしまう。そんな彼女の暴挙を目の当たりにするや、

 

 

 

「フィリア! 海の水にはしおがはいってるのです! わざとのんだらだめだのです!」

 

 

 

 と、リリエンタールが驚いて注意する。

 

 だが少女――フィリアは白い歯を見せ莞爾と笑うと

 

「ホントだ。しょっぱいね!」

 

 と、心の底から楽しそうにリリエンタールへと語りかけた。

 

 

 

 

 




少しだけ未来のお話です。
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