WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の一 慈悲無く、意味無く

 人の命を糧にして、終わりなき彷徨を続ける人造の星々が、暗黒の海に輝いている。

 

 近界(ネイバーフッド)に散らばる無数の惑星国家。その一つ、湖沼国家コロドラマでは、今まさに国の興廃を賭けた熾烈な戦いが繰り広げられていた。

 攻め寄せてきたのは惑星国家リピス。コロドラマとは因縁深い敵国である。

 

 既に開戦から五十日余りが経過していた。リピスは本国から途切れなく援軍を送り込み、着実にコロドラマの国土を浸食している。

 そして現在、劣勢に追い込まれたコロドラマは、巨大な湖の中心に位置する首都都市に立て籠もり、決死の抵抗を続けていた。

 

「くそ、バンダーが止められん! 兵を後退させろ! 防衛線を引き下げるぞ!」

 

 コロドラマの防衛指揮官の一人がそう叫ぶ。

 

 彼らが護っているのは、湖岸と首都都市を結ぶ幾本かの長大な橋の一つである。

 湖の上に浮かぶ首都都市は、周囲を巨大な水郷で囲まれているも同然であり、敵方は何とかして橋を抑え首都への足掛かりを得ようと兵を送り込んでいる。

 

 差し渡し三キロメートルを超える橋は幅も広く、また各所に防御陣地が設けられており、さながら延々と続く城塞のようである。

 コロドラマはこの橋に防衛部隊を集中させ、強固な縦深防御の陣を敷いていた。

 

 だが、飽くことのないリピスの攻撃により、防御陣地は一つ、また一つと破壊され、敵軍はひたひたと首都都市へと押し迫りつつある。

 そしてまた、砲撃型トリオン兵バンダーによる一斉射撃で、陣地の一つが吹き飛ばされてしまった。

 

「トリオン兵を早く回せ! トリガー使いが敵に補足されてるぞ!」

 

 予想より早く陣地が落とされてしまったため、コロドラマの防衛部隊が混乱している。遅滞なく防衛戦を継続するには、速やかに次なる陣地へ兵員を移さねばならないが、味方が進撃してきた敵の部隊に捕捉され、交戦状態に陥っている。

 このままでは連鎖的に陣地を抜かれかねない。指揮官の表情が焦燥に歪む。

 

 だがその時、一陣の風が橋の上を通り抜けた。

 

「な――」

 

 驚愕は誰の声であっただろうか。橋の都市側から湖岸側へと、姿も判然としない速さで人影が奔る。

 転瞬、押し寄せる敵軍に異変が起こった。

 

 後退するコロドラマの兵に襲い掛かっていたリピスのトリガー使いたちが、寸毫の間にトリオン体を破壊され、生身となって橋板の上に転がる。

 次いで、後詰を務めていたモールモッドら戦闘型トリオン兵が、何の抵抗もできないまま破壊されていく。

 

 まるで自らトリオン体を放棄したかのようなトリガー使いたち。そして自壊でもしたかと思われるほどにあっけなくやられるトリオン兵。

 敵を倒したのはコロドラマの兵ではない。彼らは逃亡に精一杯だ。

 

 最前線へと切り込み、殺到する敵を瞬く間に排除したのは、十五、六見当と思しき少女であった。

 コロドラマの物とは異なる黒い軍装に身を包んだ、褐色肌の少女。

 軍帽から覗く髪は雪のように白く、鋭い瞳は黄金を溶かしたような金色をしている。

 

 少女が振るうのは、剣、槍、鞭と千変万化に形状を変化させる純白の武器。剣光が閃くたびに、トリオン兵が寸断され、トリガー使いが地に伏す。

 その剣技は迅速無類にして精緻を極める。

 降り注ぐ弾雨も、襲い来る刀槍も、少女には如何ほどの脅威にもならない。殺意の込められた敵の猛撃を悉く躱し、受け、捌き、そして的確に反撃を加える。

 

 およそ戦場の光景とは思えないほどに流麗な、舞踊の如き体捌き。

 かと思いきや、次の瞬間には雷光をも欺く速度で踏み込み、敵兵を薙ぎ払う。

 

 彼女こそ、コロドラマが此度の戦のために雇った手練れの傭兵であった。

 ――少女の名はフィリア。

 特徴的な白髪と、光り輝く大剣を縦横無尽に揮う姿から、「白魔」の異名を轟かせる(ブラック)トリガー使いである。

 

「……突出した敵は始末した。負傷者を回収するなら今だ」

 

 リピスのトリガー使いたちを粗方始末すると、少女が無線機にそう呼びかけた。

 うら若き少女から発せられたとは思えない、ざらつき、掠れた、何の感情も帯びていないかのような声である。

 

「っ――お前たち続け! 他の者は援護せよ! 敵を近づけさせるな」

 

 その知らせを受けるや、フィリアの背後から猛烈な射撃が行われる。

 前線指揮官が自らトリガー使いを引き連れて、捕虜と負傷者の回収に動いたのだ。

 

「…………」

 

 フィリアは手近な障害物に背を預け、引き潮のように後退するリピスの兵団を見遣る。

 彼女の持つ直観智のサイドエフェクトが、今日の戦いはこれで終結すると告げていた。

 また一日、命を長らえることができた。少女は疲れ果てたように溜め息を溢す。だが、

 

「畜生! 畜生!! しっかりしろ! 死ぬんじゃない!」

 

 戦場となった橋に悲痛な叫びが木霊する。

 リピスの突撃によって防御陣地が落とされたコロドラマは、少なくない人的被害が出ていた。救助に駆け付けた隊員たちは、負傷した同胞たちを励ましながら、後方へと搬送していく。

 フィリアは救助活動の手助けはしない。(ブラック)トリガーを有する彼女は、此処で敵兵に睨みを利かせておく必要がある。

 

「っ――」

 

 その最中、フィリアは若い防衛隊員の一人と目が合った。

 眼差しから窺えるのは、幾ばくかの畏敬が混じった、恐怖と猜疑の色。

 否定的な感情が勝っているのは、おそらく激戦地に遅れてきたためだろう。傭兵が何をぐずぐずしていたのか、と目顔で訴えている。

 

 とはいえ、彼女も遊んでいた訳ではない。彼女は大攻勢を隠れ蓑にして首都への侵入を図ったリピスの主力部隊への対処を行っていたのだ。

 都市に破壊工作を行おうとしていた敵の精兵を蹴散らし、それから最前線の救援へと駆けつけたのだ。雇われ人の働きとしては充分以上だろう。

 

『フィリア。次はどのように動きますか?』

 

 とその時、襟首から伸びた小さなトリオン索が、フィリアの耳元でささやいた。

 少女へと話しかけたのは、今や彼女に残された唯一の家族である自律トリオン兵ヌースだ。

 ヌースはフィリアのトリオン体に同化し、少女の戦闘を補佐していた。

 

『敵は撤退に移った。完了まで待つ』

 

 だが、フィリアは冷淡な声で答えるのみ。少女を健気に支え続ける家族に掛ける言葉にしては、あまりにも素っ気ない。

 

 エクリシアとノマス、近界(ネイバーフッド)に名だたる二大国の決戦から、既に三年余りが経過していた。

 幼かった少女も美しく成長し、肢体は以前に思い描いたトリオン体と変わらぬ姿になっている。

 だが、家族を失い、祖国の同胞に裏切られた少女の心の傷は、どれだけ時が過ぎても癒える事はなかった。

 

 近界(ネイバーフッド)を彷徨いながら過ごした終わりなき戦いの日々。

 苛烈なる戦乱の中で、少女は自らの天稟を存分に開花させた。

 

 彼女の剣技は更なる進境を示し、如何なる戦場をも独力で切り抜けるほどの高みに至った。

 そして生まれ持った超感覚「直観智」のサイドエフェクトは完成の域に達し、あらゆる不可解な状況を即座に解き明かす至高の武器と化した。

 

 そして、父親であるアルモニア・イリニから授かったのは、あらゆるトリオンを吸収する最強の剣「懲罰の杖(ポルフィルン)」。

 養母であるパイデイア・イリニが残したのは、如何なる事象をも跳ね返し、起動者を護る無敵の盾「救済の筺(コーニア)」。

 

 近界(ネイバーフッド)では国力の指標ともされる(ブラック)トリガーを、フィリアは二本も所持している。

 このうち「懲罰の杖(ポルフィルン)」は自らが振るい、「救済の筺(コーニア)」はトリオン体に同化したヌースが操ることで、少女は強力無比な(ブラック)トリガーを二本同時に運用する戦術を編み出した。

 

 フィリアが有する武力は、個人が持つものとしては近界(ネイバーフッド)でも最高峰に位置する。それ故に、少女は地獄のような戦乱の世界を生き抜くことができた。

 

 ――だが、その三年余りの旅路で、少女の精神は確実に壊れていった。

 

『レーダーに敵影なし。こちらの索敵外まで撤退したようです』

『…………』

 

 ヌースの報告に無言を貫きながら、フィリアは破壊の痕跡が刻まれた戦場を茫とした様子で見遣る。

 誰もが目を引かれる端麗な顔貌は、しかし抜き身の刃のような剣呑さと、罅の入ったガラスのような危うさを纏っている。

 肌艶は悪く、口元は常に固く引き締められ、眉間には深い皺。ただ金色の瞳だけが、油断なく輝いている。

 

 戦乱打ち続く近界(ネイバーフッド)で、少女が心安らぐ日は一日たりとて無かった。

 悪意と敵意、憤怒と悲嘆、破壊と死は常に少女の傍らにあり、隙あらば彼女を呑み込もうと襲い掛かる。

 そんな世界を渡り歩いたフィリアの心は、限界寸前まで磨耗していた。

 

『今日も……』

 

 やがて、コロドラマの指揮所からリピスの撤退が通達されると、立ち尽くしていたフィリアが誰ともなしに口を開く。

 

『どうしましたか?』

『今日も、生き延びたよ』

 

 少女は生気の失せた表情で、虚空を見詰めながらそう呟いた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 その日の夜。防衛を終えたフィリアはコロドラマの首都都市を当て所なくふらつき歩いていた。

 

 広大な湖に浮かぶ島の上に立てられた都市は、外周を堅牢な城壁でぐるりと囲まれており、城壁内部が防衛部隊の駐屯所となっている。

 

 傭兵として雇われたフィリアも砦で寝起きしているのだが、コロドラマの将兵もこの余所者を扱いかねているのだろう。誰かれなく好奇や畏怖、或いは嫌悪の視線を向けてくるので、あまり居心地がいいとは言えなかった。

 

 将兵らと交流を深めるのも、今のフィリアの精神状態では難しかった。どの道、彼らが少女らに心を許す筈もない。条件次第でどの国にも付く傭兵は、結局いずれの国にも受け入れられることはないからだ。

 

 とはいえ、私室に籠るというのも気が進まない。

 只でさえ息の詰まる籠城中なのに、狭苦しい部屋に閉じこもっていれば、いよいよ頭がどうにかなりそうだ。

 加えて、フィリアはこの国に来てまだ日が浅く、コロドラマの国情を正確には把握できていない。少しでも情報収集を行わなければ、不測の事態が起きた時対応を誤る恐れがある。

 

 そんな理由から少女は市街地を散策していたのだが、実態としては只の逃避であった。

 少女は己を蝕む孤独感と絶望を何とか紛らわせようと、無意識に人の活気を追い求めていたのだ。

 

「…………」

 

 何処に行くでもなく、何を買うでもなく、フィリアは悄然とした様子で石畳を歩く。

 行き交う人々は目鼻立ちが明らかに異なる異国の少女に不審の眼差しを向け、事情を知る者は後難を恐れてそそくさと立ち去る。

 そうして少女は誘われるようにして、多くの市民が集まる広場へと足を踏み入れた。だが――

 

「っ……」

 

 辺りに漂う異質な気配を感じ取ったフィリアは、自分が過ちを犯したことに気付いた。

 

 広場は人々の活気とは程遠い、粛然とした空気に覆われている。

 そうして悲痛なすすり泣きが聞こえて来るや、少女ははたと面を上げる。

 広場では、今日の戦闘で命を落とした人々の合同葬儀が執り行われていたのだ。

 夫を亡くした妻や、親を亡くした子らが、棺に取り縋って号泣している。

 

「――」

 

 途端に、少女は踵を返して広場から立ち去った。

 愛する者との最後の別れの場に、異国人の自分が居ることは許されない。

 のみならず、遺族らの嘆き悲しむ声を聴くことそのものが、彼女の胸に蟠る感情をさらに煽り立てる。

 

 結局、少女は逃げ帰るようにしてコロドラマの砦へと戻った。すると、

 

「これはこれはフィリア殿。昼間は素晴らしい活躍でしたな」

 

 私室へと急ぐ少女を、中年の男性が呼び止める。

 

「今日も何とかリピスの攻勢を退けられました。これも貴女のお蔭です。いやはや、将兵一同、貴女には感謝してもしきれません」

 

 そう親しげに話しかけてくるのは、コロドラマの将ムシコス。十日ほど前にこの星に流れ着いたフィリアを、傭兵として雇い入れた男だ。

 

「…………」

 

 いわば恩人ともいえる男に、フィリアは沈黙を保ったまま目顔で挨拶を済ませる。

 余りにも礼を失した少女に、しかしムシコスは気を悪くした風も無く、柔和な笑顔を浮かべて歩み寄る。そして、

 

「どうでしょう。考えはお変わりになられませんか?」

 

 あくまで穏やかな調子で、しかし声を潜めてフィリアにそう尋ねた。

 少女はその超絶の武芸を買われ、コロドラマに帰化しないかと勧められていたのだ。

 

「…………ええ」

 

 だが、少女は言葉少なに拒否する。

 

「……そうですか。いえ、私はまだ諦めてはおりません。何か質問や要望があれば、是非お聞かせください」

 

 その返答を予期していたのか、ムシコスは然して落胆することも無く、鷹揚にそう言って少女の前から立ち去る。

 フィリアは遠ざかる男を見送ると、再び私室へ向けて歩き出した。

 

 首都を囲む城壁には勿論窓など無く、内部は狭い通路が延々と続いている。

 しばらく道なりに進むと、円形の開けた場所に出る。城壁の各所に設けられた側防塔の内側である。

 広間には壁沿いにらせん階段が設けてあり、これを通じて城壁内を上下に移動することができる。フィリアはたむろする兵士らの側を抜け、階段を降りていく。

 

 そうして少女がたどり着いたのは、城壁の最下層に位置する地下区画だ。

 本来は物資の貯蔵や捕虜の監禁などを目的とする階層に、フィリアが宛がわれた部屋はある。

 

 日の光も届かず、出入りにも不便な地下に押し込められた形だが、特に少女に不服は無かった。地下区画は人通りも少なく、わずらわしい兵と接触を最小限に抑えられる。有事の際に退路が限られることは難点だが、それも彼女の持つ(ブラック)トリガーなら何の問題にもならない。

 

 あからさまに扱いが悪いが、今更何をか言わんや。

 あれこれと理由を付けていたが、結局少女を信用していないのだろう。条件次第で何処の国にも肩入れする傭兵だ。無理も無い。

 

「……!」

 

 だがこの日、地下区画へと階段を降りた少女は、辺りに多数の気配を感じた。

 通路の奥から話し声と足音が聞こえる。

 フィリアが構わず自室へと戻れば、そこには数名の兵が立っていた。

 

「お疲れ様です」

 

 屈強なトリガー使いたちが少女へと敬礼を行う。面差しが強張っているのは、戦場での彼女の苛烈な働きぶりを知る故だろうか。

 兵らはフィリアの入室を阻むように佇立したまま、

 

「急な申し出で恐れ入りますが、フィリア殿に居室を変更していただきたく、お願いに参りました」

 

 と、堅苦しい態度でそう告げる。

 フィリアは唐突な要請に驚いた様子もなく、氷のように冷たい面差しで、

 

「分かりました。此処で待ちなさい」

 

 兵士たちにそう答える。

 部屋替えの意図は、問わずとも明らかだ。

 

 少女が間借りしている砦の地下区画は、元来捕虜の収容所として扱われていた。

 今日の戦いで、コロドラマはリピスのトリガー使いを複数名捕虜にした。彼らを拘禁するのに、雇われ者のフィリアが近くに居ては邪魔になる。部屋の移動を請うてきたのはそのためだ。

 

 簡易ベッドと小さな机のみが置かれただけの狭い部屋に入ると、少女はベッド脇に置いてあった雑嚢を手に取る。中にたいしたものは入っていない。着替えが幾らかと、サバイバルに必要な品が少々、あとは近界(ネイバーフッド)を放浪する中で手に入れたトリガーの内、重要度の低い物が数点だけだ。

 

 そうして部屋を出た少女は、トリガー使いに先導されながら移動を始める。

 その途上、地下区画の薄暗い通路で、数名のコロドラマの兵士と行き違った。

 

「…………」

 

 能面のように無表情であったフィリアが、微かに眉根を寄せる。

 通り過ぎた年若い兵たちは、何れもあからさまに昂揚した様子で、ニタニタと不快な笑みを浮かべていた。

 

 フィリアの姿に気付いた彼らは一様に態度を改めたが、もう遅い。

 少女のサイドエフェクトは、彼らの喜悦の理由を解き明かしてしまった。

 

 ――彼らは随分と楽しく、()()()()()を行っていたらしい。

 

 少女は昏く澱んだ瞳を伏せ、誰にも気づかれぬほど小さく息を付く。

 戦乱打ち続く近界(ネイバーフッド)では、敵味方を問わずトリガー使いが捕虜になることは珍しくなく、彼らに対する尋問もまた、当たり前のように行われている。

 

 大抵の場合、捕虜は大事な情報源として、それなりの待遇で扱われる。

 トリオン兵が主力となる近界(ネイバーフッド)の戦場で人間は希少である。それが主力ともなる使い手なら尚更だ。

 

 敵方の目的、戦略、装備等々、聞き出すべき情報はいくらでもある。

 また、たとえ情報が得られなくとも、捕虜は敵方への交渉材料として、或いは将来の手駒としての使い道がある。いずれにしても、そこまで酷な扱いを受けることはない。

 

 ただし、今回の捕虜に関しては別である。

 コロドラマとリピスは相争うこと二十年余りの間柄。互いへの憎悪は骨の髄にまで達している。

 

 そんな彼らが捕虜を得ればどうするか。

 尋問という名目で拷問が行われているのは明らかである。

 先ほどすれ違った面々も、さっそく尋問を楽しんだに違いない。

 

「……」

 

 フィリアは捕虜のことを意識せぬよう、無心で脚を動かす。何せ、リピスのトリガー使いの大部分を捉えたのは彼女なのだ。自分の所為で彼らが酷刑を受けているなど、考えただけで慄然となる。

 そもそも、近界(ネイバーフッド)では情報目的の拷問は殆ど行われない。苦し紛れに出まかせを言うこともあり、どうしても情報のすり合わせが必要になるからだ。

 

 とはいえ、今回は多数の捕虜が居る。憂さ晴らし目的の拷問でも、情報を得ることは可能だ。

 故に、責苦もより一層酷烈なものとなるだろう。長い防衛戦で兵たちの気も立っている。捕虜への暴行は当然の帰結といえた。

 

 フィリアは捕虜の怨嗟から逃れるように、地下区画から足早に立ち去った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「どうぞ。こちらがフィリア殿の新しい個室です。勿論、調度は全て自由にお使いいただいて構いません。何か不足の品があれば、遠慮なくお申し付けください」

 

 コロドラマの兵に案内されてフィリアがやってきたのは、城壁の中ほどに位置する最も堅牢な場所、士官用の個室が並ぶ区画である。

 案内役の兵を下がらせ新たな居室に足を踏み入れると、豪華とまではいかないが、品の良い家具が揃えられた清潔な部屋に出迎えられる。

 

 城壁の中であることからそう広くは無いものの、地下の部屋とは比べ物にならないほど上等だ。十日ほど前に雇われたばかりの傭兵には過分な扱いのようにも感じられるが、フィリアの打ち立てた戦功を考えれば不思議ではない。

 

 だが、少女は新しい居室に喜んだ様子もなく、すぐさま備え付けのベッドや調度をひっくり返し、室内を検め始めた。

 雑嚢から探査用トリガーを取り出し壁の裏まで精査すると、少女はようやくベッドに腰を下ろした。そして、

 

「監視も盗聴も無い。出てきても平気」

 

 虚空に向けてそう呟く。

 すると、彼女の体から人の頭ほどの大きさをした物体が現れる。

 涙滴状のフォルムに魚の尾びれを思わせる突起が付いたソレは、自律思考型トリオン兵ヌースだ。

 

「……今日も、大変でしたね」

 

 今や少女に残されたただ一人の家族であるヌースは、しかしどこか距離感を掴みかねているかのように、遠慮がちに話しかける。

 

「うん。少し休むから、警戒をお願い」

 

 そして少女も言葉少なにそう頼むだけで、換装を解くと早々ベッドに横になる。

 

 近界(ネイバーフッド)を放浪し、数多の戦場を渡り歩く暮らしの中で、フィリアの精神は確実に磨耗していった。勿論ヌースはそんな少女を案じてはいたのだが、何の後ろ盾もない彼女たちが過酷な環境から抜け出すのはそう簡単なことではない。

 

 今や少女は日常会話さえ満足に行えないほど追いつめられていた。

 

「帰化の話を検討する気はやはりありませんか? いえ、しばらくこの国に逗留するだけでも構いません。あちらも了承してくれるでしょう」

 

 壁を向いて寝転がるフィリアに、ヌースがムシコスから打診されていた件について問いかける。

 コロドラマは少女の桁違いの戦闘力を目の当たりにするや、彼女を囲い込もうと躍起になって勧誘を行っている。

 

 だが、当のフィリアにまったくその気はなく、リピス撃退の契約が済めばさっさと別の国へと旅立つつもりでいるらしい。

 一つの国に長居すればするほど、後で立ち去るのが難しくなる。一所に居着く気のないフィリアにとっては避けたい事態だ

 

 ヌースがその意向に反して逗留を勧めるのは、少女の精神状態がいよいよ限界に近づいているからだ。

 既に影響は体調面にまで現れている。不眠、食欲減退のみならず、感情が希薄になり、外部からの呼びかけにも反応が鈍い。このままではいずれ致命的な事態を招くのは火を見るより明らかだ。

 

 旅烏の身では休むこともできない。多少の面倒は起こるだろうが、コロドラマにしばらく留まり、ゆっくりと心身を癒すべきだと、ヌースは優しく諭す。だが、

 

「どこの国の世話にもならない」

 

 と、フィリアはにべも無くそう断じる。

 

「そこを曲げてお願いします……貴方には休息が必要なのです」

 

 ヌースはなおも嘆願するが、少女は頑なに頷こうとはしない。

 

「前にも話したでしょう。私たちを受け入れてくれる場所なんて、もう何処にもない」

 

 フィリアはそう言うと、会話を打ちきり毛布にくるまってしまう。

 取りつく島も無い少女の言い分だが、理屈はヌースとて重々承知している。

 

 フィリアたちはあくまで傭兵としての腕を買われ、帰化を打診されている。つまり、世話になる以上は戦力として働かねばならない。

 だが、今やフィリアは戦争そのものを嫌忌していた。

 

 漂泊の身である少女が見知らぬ国で糧を得るのは簡単な事ではない。あれやこれやと方策を講じてみたものの、結局、彼女は己が持ちうる唯一の技術、殺しの手管を売ることでしか身を立てられなかった。

 

 そうして近界(ネイバーフッド)で繰り返され続ける凄惨な戦いを見続けてきた少女は、何時しかその無意味さと悪辣さを心の底から憎み抜くようになっていた。

 

 祖国に忠を尽くし、家族の為に戦っていたころとは違う。

 縁もゆかりもない人間を、ただその日の糧を得る為だけに傷つける。

 己の所業に恐れ慄き、流される血潮に悲嘆し、それを強いる世界を恨んだ。

 

 積み重ねられる罪科に耐えかね、少女は何度も死の救済を望んだが、しかしどうしても実行には移せなかった。

 己の命を無碍にすることは、とりもなおさず己の生を願った家族の思いを踏みにじることになるからだ。

 

 故に少女は、ただ少しでも命を長らえるべく日々を過ごしてきた。

 その過酷極まる暮らしの中で、皮肉にも彼女の異名は近界(ネイバーフッド)中に轟くこととなった。だが、今更都合よく戦場から足抜けすることなどできはしない。

 

 フィリアがコロドラマに帰化するとしても、平凡な一市民として暮らすことはまず不可能なのだ。

 例えその要望が認められたとしても、彼らは交換条件に彼女の(ブラック)トリガーを求めるだろう。加えて先端技術の塊である自律型トリオン兵をも強請るに違いない。

 

 ヌースと父母の形見である(ブラック)トリガーは、今や彼女に唯一残された心の拠り所である。手放す事などできる筈がない。

 それらの事情から、少女はどの国にも決して過度に肩入れせず、報酬分だけ働く傭兵として過ごしてきたのだ。

 

「…………」

 

 ヌースは背を向ける少女に何も言うことができず、不寝番を行うしかなかった。

 そして数時間後。新しい居室のドアを、誰かが控え目にノックした。

 

「――っ!」

 

 フィリアはベッドから跳ね起きるとトリガーを起動。数瞬の内に戦闘態勢を取る。

 余りに反応が早いが、それは睡眠の浅さを物語っている。この数年間、少女が熟睡できた日は数えるほどしかない。

 

「誰か?」

 

 如何なる状況にも即応できるよう身構えたまま、少女は戸口越しに誰何する。すると、

 

「は、はい! フィリア様に御夕食をお持ちしました」

 

 返ってきたのは、緊張を滲ませた少年と思しき声。

 横目で時計を確認すれば、既に夜半に差し掛かっている。

 フィリアは士官用の食堂の使用を許されていたが、何時まで経っても来ないので誰かが気を回して食事を運ばせたのだろう。

 

「少し待ちなさい」

 

 来訪者の意図が知れると、少女は目顔でヌースに身を隠すよう指示する。

 そうして戸を開ければ、砦の小間使いとして働いているのだろう十二・三歳の少年が、強張った表情で食事を乗せたプレートを手に立っている。

 フィリアは無言で食事を受け取り、少年を下がらせる。

 

「…………」

 

 そうして作り付けのテーブルにプレートを置くと、フィリアは暫し逡巡の後、それらには一切手を付けずヌースの側へと歩み寄る。

 

「予定が変わった。今すぐこの国から脱出する」

 

 手荷物を纏めた雑嚢を掴むと、少女は鋼のように冷たい声でそう告げる。

 

「フィリア? 何か変事がありましたか?」

 

 訝しげに尋ねるヌース。だが少女は黄金の瞳を刃のように煌めかせ、

 

「食事に薬が盛られてる。連中、思っていたより気が短かったみたい」

 

 全てを諦観したかのような冷笑を浮かべてそう呟いた。

 

 

 

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