WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の二 逃避の果て

 窓のない無機質な廊下を、フィリアが常と変らぬ様子で歩いている。

 

 砦の中を行き交う人は疎らだ。昼に激戦があったため、夜番の兵以外は既に休んでいるのだろう。

 偶に兵と出くわしても、彼らは少女におざなりな礼をして早々に立ち去るのみ。近界(ネイバーフッド)中に名を轟かせる傭兵に、態々自分から近づく者はいない。だが、

 

「これはフィリア殿。まだお休みではなかったのですか」

 

 側防塔の広間まで来ると、まるでフィリアを待ち受けていたかのようにコロドラマの将ムシコスが親しげに話しかけてきた。

 護衛を引き連れ、さも夜の見回りをしていた風だが、勿論偶然ではない。彼らは少女の動向を監視するために、移動の際に必ず通らねばならない広間を見張っていたのだ。

 

「……先に湯浴みを済ませようと」

「ああ、それはどうも不便をおかけします。あなたのようなうら若い女性に共同浴場を使わせるのは忍びないのですが、戦時故にお許しください」

「いえ」

 

 フィリアの無礼な態度に腹を立てるでもなく、ムシコスは朗らかに雑談を持ちかける。

 だが、その張り付いたような笑顔の裏に、黒く澱んだ感情が潜んでいることを、少女は過たず看破していた。

 

「すみません。少し、眠いので」

「おお、これは失礼を……どうか今晩はゆっくり休んで、英気を養ってください」

 

 少女が話の腰を折ると、ムシコスはそれ以上引きとめなかった。彼の護衛の兵たちも、黙って道を開ける。

 先ほどの食事に盛られていた睡眠薬は遅効性だ。一度寝入ってしまえば、何をされても目が覚めることはない。

 彼らはフィリアが床に就いてから事を起こすつもりだ。今しばらくは静観の構えを取るだろう。

 

 少女は素知らぬ風を装って、共同浴場へと進んでいく。遠巻きにムシコスの護衛の一人が付いて来るが、あえて気付かぬふりをする。

 

 そうして浴場へとやってきたフィリア。

 防衛隊員は殆どが男性だが、一応女性の隊員用に小さいながらも専用の浴場が設けられている。

 さしもの監視者も女湯の中までは入れない。少女は悠々と追っ手を躱すことに成功する。

 

 遅い時間と言うこともあり、入浴者は誰も居ない。フィリアは服を着たまま脱衣所から浴場へと足を踏み入れる。

 そうして部屋の隅へとやってくると、

 

「――ふっ!」

 

 掌に現出させた「懲罰の杖(ポルフィルン)」を一閃。壁に人が通れるほどの穴を開ける。

 その穴を潜り抜けた先は、浴場に湯を供給するための給湯室だ。

 

「ヌース。案内をお願い」

「了解しました」

 

 誰も居ない給湯室に入り込んだフィリアは、ボイラーの陰に身を隠しながらトリオン体に同化したヌースへと話しかける。

 用心深い少女はコロドラマに雇われたその日から、いざという時の為の脱出プランを練っていた。当然、砦内部の見取り図も作成済みだ。

 

 すぐさまヌースが最適な脱出経路を提示する。少女はそれを頼りに砦の壁を破り、点検用通路やダクトを使って移動を始めた。

 ヌースの的確なナビゲートと直観智サイドエフェクトに従い、少女は誰とも遭遇することなく城塞の地下にある倉庫まで辿りつく。

 

 コロドラマから逃げ出すには、郊外に隠してある小型艇まで辿りつかねばならない。

 しかし、城門は固く閉ざされ通行不可能、城壁を乗り越えようとしても歩哨に見付かる。

 

 そこで彼女は、内部から城壁を切り破っての脱出を企てた。

 倉庫の四方は分厚い壁に囲まれており、蟻の逃げ出す隙間も見当たらないが、「懲罰の杖(ポルフィルン)」の前にはどれ程堅牢な壁であろうと無いも同然だ。

 

 とはいえ、城壁の様子は指令室で逐一モニタリングされている。このまま穴を開ければ、たちまち逃亡が露見してしまう。追っ手を撒くための工作が必要だ。

 フィリアは室内に設置された端末を見つけると、

 

「リピス襲撃の警報を鳴らしてから、基地機能を停止させて」

 

 ヌースにそう指示する。

 

「分かりました。直ぐにでも可能です」

 

 超抜の性能を有する自律トリオン兵ヌースならば、システムへの侵入、操作など赤子の手を捻るようなものだ。そもそも、コロドラマの防衛機構については、城塞で寝起きしている間に調べ尽くしている。

 

 ヌースが端末に万能索を貼り付けてから十秒と経たないうちに、耳を聾する警報が城塞中に鳴り響いた。

 次いで、オペレーターたちが緊迫した声でリピス襲撃の報をアナウンスする。

 だが、詳細を述べる前に突如として通信が途絶した。のみならず、次の瞬間には照明が落ち、室内が暗黒に支配される。城塞全体のシステムが強制的に停止させられたのだ。

 

「……」

 

 そうして基地機能が完全に沈黙したことを確認すると、少女はようやく「懲罰の杖(ポルフィルン)」を抜き放ち、倉庫の壁に風穴を空けた。

 数メートルのトンネルを潜り抜ければ、そこは首都都市を取り囲む城塞の外縁部、湖へと続く浅瀬である。

 

「探知を受けた形跡はありません」

 

 ぬかりなく周囲を走査していたヌースがそう告げる。

 

 遠く近くからは兵たちの混乱した声が聞こえてくる。敵襲来の警報が鳴り響いたあと、すぐさま基地機能がダウンしたのだ。蜂の巣をつついたような騒ぎだろう。

 浅瀬は城壁の陰になっており、兵たちから見つかる心配はない。このまま湖を泳いで渡り、闇夜と混乱に乗じて動けば、小型艇の隠し場所まで無事に辿りつけるだろう。

 

「トリガー解除」

 

 すると、フィリアは一旦「懲罰の杖(ポルフィルン)」を解除し、懐から取り出した別のトリガーを起動した。

 起動したのはコロドラマの防衛部隊に配られている戦闘用トリガーだ。

 

 首都を取り囲む湖には、コロドラマの水中戦闘用トリオン兵が大量に放たれている。それらのトリオン兵は味方以外のトリオン反応を検知するや、即座に襲い掛かるようにプログラミングされているため、このままでは湖を渡れない。

 コロドラマに裏切られることも予想していたフィリアは、防衛戦のどさくさに紛れてトリガーをくすねていたのだ。

 

「……」

 

 コロドラマのトリガーを起動し、もう一度周囲を油断なく見渡して兵士らに見られていないことを確認すると、フィリアは黒くうねる不気味な湖面へと飛び込んだ。

 

 そのまま、少女は湖の深くへ潜る。トリオン体への酸素供給は最小限でいい。対岸まで三キロほどあるが、問題なく潜水したまま泳ぎきれるだろう。

 ただ、コロドラマのトリガーには暗視機能が付いていない為、視界は頗る悪い。

 フィリアは天地も知れぬ暗黒の中、ヌースの導きに従って水中を泳ぎ続ける。と、

 

「――!!」

 

 少女の眼前を、巨大な甲冑魚の如きトリオン兵が通り過ぎた。

 反射で戦闘姿勢を取りかけるが、甲冑魚はフィリアを尻目に悠々と泳ぎ去る。

 

 反応を示さなかったということは、目論見通り味方と識別されているのだろう。また、行動ルーチンが警戒状態のままから見るに、城塞内部のシステムもまだ復旧していないらしい。

 

 トリオン体の身体能力を如何なく発揮し、フィリアは僅か十数分で対岸まで辿りついた。

 少女は浅瀬に上がるや、すぐさま手近な灌木まで走って身を潜める。

 

 そして再びトリオン体を解除すると、改めて「懲罰の杖(ポルフィルン)」を起動し直す。

 次いで、少女は光の剣を閃かせると、コロドラマのトリガーを完全に消し去った。基地機能が戻れば、水中のトリオン兵からトリガーの起動ログを辿られるおそれがある。放棄していくべきだろう。

 フィリアは一つ息を付くと、猫のようにしなやかな動きで夜の闇へと姿を晦ませた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 湖沼国家の名が示す通り、コロドラマの大地には数多くの沼沢がある。

 これらの水辺は、民にとっては豊かな恵みをもたらす漁場となるほか、侵略者に対しては進行を妨げる障害物としても活用される。

 

 城塞から逃亡を企てて一時間余りが過ぎた。

 だが、フィリアは未だに小型艇まで辿りつけていない。

 

「っ――」

 

 葦の陰に身を隠しながら進んでいた少女が、不意に脚を止める。ヌースが探知機の存在を報せてきたのだ。

 

 コロドラマの国土には、外敵の侵入を探知するための装置が至る所に仕掛けられている。それらは土中や水中に巧妙に隠されており、簡単に見つけ出すことはできない。

 リピスとの戦闘によってかなりの数が無力化されたようだが、それでも探知網は未だに健在であり、それらを避けるためフィリアは遠回りを強いられていた。

 

 焦慮に顔を顰めるフィリア。只でさえ湿地に足を取られて速度が出ないのに、何度も迂回を余儀なくされたため、時間だけが虚しく過ぎていく。

 既にコロドラマは少女の逃走に気付き、追っ手を差し向けているだろう。足跡は辿られていないはずだが、何時捕捉されるとも限らない。

 

 慎重、かつ迅速に沼沢地を駆け抜けると、ようやく目的地となる大きな湖が見えてきた。

 藻が浮かぶ凪いだ湖面は、星明りを受けててらてらと不気味に輝いている。

 

 コロドラマに到着した際、少女は小型艇をこの湖の底へと沈めておいた。

 トリオンの貯蔵は充分。食料もなんとか次の惑星国家まで持つだろう。

 

 そもそも備蓄に乏しかった訳ではなく、少女は偶々この国に立ち寄っただけで、傭兵として働くつもりは無かった。

 

 だが、コロドラマに到着するやリピスとの戦闘に巻き込まれてしまい、なんとか船を湖に隠したところで、フィリア自身はこの国の将兵に見付かってしまった。

 殺気立った兵たちを前にしては、条件次第でどちらにも付く傭兵は敵も同然である。当面の衝突を避ける為、なし崩し的に手を貸さざるを得なくなったのだ。

 

 先に禁を破ったのはコロドラマの連中だ。契約不履行には当たるまい。

 ここまで近付けば、湖底の船に指令が届く。あとは船に乗り込み、この国から脱出するだけだ。

 

「――!?」

 

 しかし、その目論見はあえなく崩れた。

 湖へと走り出そうとしたフィリアは、ふと人の気配を感じて立木の側に屈みこむ。

 見れば、湖岸を中心に複数の人間が徘徊している。装備からするに、間違いなくコロドラマのトリガー使いたちだ。

 

「……」

 

 周辺を子細に探れば、行き交う兵らの間にムシコスの姿もあった。指揮を執っているのは間違いなく彼だろう。

 おそらく城塞での変事が終息した後、ムシコスはすぐにフィリアの不在に気付いたのだ。そして二つの異変を結びつけた彼は、速やかに兵を動かした。

 

 誤算だったのは、彼らが首都周辺での探索を行わず、即座にフィリアが逃げを打つと見抜いたことだ。少女がコロドラマを訪れた際、(ゲート)が開いた座標付近に先回りして兵を送り込み、周囲一帯を封鎖したのだ。

 

『どうしますかフィリア。これ以上湖に近づけば、彼らの探知に掛かります』

 

 歯を噛みしめる少女に、ヌースが無声通信で問いかける。

 まだコロドラマの兵は少女の接近に気付いていない。また、広範囲を探索するために小部隊に分かれて行動しているらしく、数は然程でもない。

 コロドラマの武装と兵の練度は熟知している。フィリアの実力ならば、彼らを無力化するのは簡単だ。

 

 とはいえ、彼らを倒しても続々と援軍が現れることだろう。

 船を起動して乗り込み、発進させるまでの間はどうしても無防備になる。その間に攻撃を受け、船を壊されてしまえば、フィリアは完全に逃げる手段を失ってしまう。

 しかも、敵は新たに探知機をばら撒いている。どうあっても、少女を逃がす気はないらしい。

 

『トリオン兵で陽動する。準備を』

 

 フィリアが決断を下す。

 

 コロドラマに雇われることになってからも、ヌースに関する情報は徹底して隠してきた。

 彼らはフィリアがトリオン兵を扱えるなど思いもつかないはずだ。近隣で暴れさせれば、リピスの侵攻と勘違いして兵を差し向ける筈。混乱に乗じれば敵の追撃を躱して船を発進させることも難しくないだろう。

 ヌースがトリオン兵の生成準備を始める。だがその時、

 

「――ッ!」

 

 フィリアの総身に、死の直感が電流のように走った。

 疑いようのない危険な予感に、少女は即座に木立の陰から飛び逃れる。転瞬、光弾が雨の如く降り注ぎ、立木を粉々に撃ち砕いた。

 

「避けたぞ! 逃がすな囲え!!」

 

 闇夜に響くのはコロドラマの将兵の叫び声。

 暗視機能を用いたか、それとも特殊なレーダーでも持ち出してきたか。

 手段は定かではないが、彼らは潜伏しているフィリアの姿をとっくに見捉えており、不意打ちの機会を窺っていたらしい。

 

「不用意に近づくな。遠巻きに撃ち竦めろ!」

 

 一際大きく聞こえるのはムシコスの声だ。

 彼の号令に呼応するように、フィリアに向かってトリオン弾が浴びせかけられる。

 

「――」

 

 少女は「懲罰の杖(ポルフィルン)」を現出させて飛来する弾丸を切り払うと、身を潜めていた林から勢いよく飛び出した。

 

『フィリア!?』

 

 自ら敵の真っただ中へと飛び込んだ少女に、ヌースが声を上げる。すると、

 

『ムシコスを人質にする。援護をお願い』

 

 フィリアは事も無げにそう答え、光輝く大剣を振りかざして敵陣へと吶喊した。

 敵兵と戦うなら障害物の多い林が有利だが、時間を掛ければさらに兵が集まってしまう。これ以上敵が増える前に、指揮官の身柄を押さえようというのだ。

 

「来たぞ! 撃ち殺せ!」

 

 姿を現したフィリアに、コロドラマのトリガー使いたちが猛然と射撃を浴びせかける。

 少女は「懲罰の杖(ポルフィルン)」で弾丸を防ぎながら、立ちふさがる部隊に鷹のように襲い掛かる。

 

「――っ!」

 

 だが、少女が放った神速の剣は、紙一重の所で敵兵を捕らえることができない。

 コロドラマのトリガー使いたちは淀みなく隊伍を組み直し、再び猛烈な射撃で少女をけん制する。

 

「……」

 

 無双の技前を持つ少女が敵を斬り損ねた理由。それは足元の悪さにあった。

 湖のほとりは極端な泥濘であり、力を籠めれば足がくるぶしまで埋まってしまう程だ。これでは少女の得意とする瞬息の踏み込みも効果が半減してしまう。

 

 対して、条件は同じながらコロドラマの将兵の足運びには少しの淀みも無い。

 

 湿地は彼らのホームグラウンドである。コロドラマのトリガー「水蜘蛛(スクリキ)」は、足裏に小さなトリオン製の反発壁を展開し、地面や水面を滑るように移動する機能を持つ。

 さながら氷上でスケート靴を履いたかのように泥濘を高速で移動し、急停止や急旋回まで可能とするコロドラマのトリガー使いたちには、然しものフィリアも容易く追いつくことはできない。

 

「よーし。徹底して距離を取れ! そう何時までも防ぎ続けることはできん!」

 

 同じく「水蜘蛛(スクリキ)」を装備したムシコスが、兵団の後方を逃げ回りながら得意げに指示を飛ばす。

 如何なるトリオンをも吸収する「懲罰の杖(ポルフィルン)」であっても、射程外に陣取る敵には斬り込めない。コロドラマのトリガー使いたちは徹底して距離を取り、フィリアを封殺せんと射撃を浴びせ続ける。

 

「…………」

 

 フィリアは「懲罰の杖(ポルフィルン)」を薄膜状に形態変化させて飛び来る弾丸を防ぐが、極小のトリオンキューブの集合体という性質上、完全な全周防御は不可能である。

 防御膜を潜り抜けた弾丸が、徐々にフィリアのトリオン体を掠め始める。

 このままでは遠からず致命傷を受けてしまう。だが、フィリアは愚直に敵へと突っかかるのみ。当然、敵は蜘蛛の子を散らすように逃げてしまう。

 

「今のうちに投降すれば命だけは助けてやるぞ。お前のトリオン機関は優秀だ。殺してしまうのは惜しい」

 

 勝利を確信したムシコスが、居丈高に投降を呼びかける。

 だが、フィリアは勧告を完全に無視し、闇雲に泥濘を飛び回ってトリガー使いを追いかけ回す。

 

「愚かな。この期に及んで無駄な抵抗を……」

 

 聞く耳を持たない少女を見て、ムシコスの面に侮蔑の色が浮かぶ。

 彼にとっては、元より甚だ気に食わない小娘である。陰気な性格、身にまとう凄惨な気配。こんな子供が近界(ネイバーフッド)に名を轟かせる使い手だなどと、正体が明らかになってからも俄かには信じられなかった。

 

 とはいえ、(ブラック)トリガーを有する腕利きの傭兵がリピスに雇われては不味い。ムシコスはあの手この手を用いて陣営に招こうとしたのだが、それでも気に入らないものは気に入らない。

 

 やがて、彼はどうにかして(ブラック)トリガーを奪ってしまおうと周到に機会を窺い始めた。腕は立つが、何時裏切るとも限らない余所者を抱え込むなど愚の骨頂である。

 だが、この小娘はその企てを察知して逃げた。ご丁寧に基地機能に重大なダメージまで与えて。

 

「小娘一人に何をしている! 早く殺せ!」

 

 ムシコスは憎悪に顔を歪ませ、部下を叱りつける。

 ――彼の顔面が縦に割られたのは、一瞬の出来事であった。

 

「え……」

 

 忘我の声が、トリガー使いたちの喉から漏れた。

 沼地を右往左往していたフィリアが、忽然と彼らの視界から姿を消したのだ。

 消え失せた標的の姿を探し求めた彼らが見つけたのは、黒煙を噴き上げて爆散する指揮官ムシコスの姿。

 そして傍らに佇んでいた少女は、生身となった指揮官の首に腕を回すと、その身体を盾にするかのように突き出した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「下がれ。首をへし折るぞ」

 

 凍てついた少女の声が、闇夜に響く。

 生身となったムシコスを人質にしたフィリアが、周囲を囲むコロドラマのトリガー使いたちを睥睨する。爛々と光る金色の目は、まるで血に飢えた獣のようだ。

 

「く、くそ……お、お前たち! 私のことは構うな!」

 

 ムシコスは気丈に叫ぶが、兵たちは判断に窮したように動きを止める。一先ず、人質ごと撃ち殺すような真似には及ばないだろう。

 

「お前は包囲されている。人質は無意味だ。大人しく投降しろ」

 

 しかし、兵らもむざむざと言いなりにはならない。

 包囲を継続しつつ、副官らしき男がフィリアににじり寄りながら語りかける。すると、

 

「な、なああぁぁあっ!」

 

 ぺきり、と乾いた音と共にムシコスが悲鳴を上げた。

 フィリアが後ろから彼の足に蹴りを入れ、骨を折ったのだ。

 

「ぐ、ぐうぅぅっ!」

 

 痛みと衝撃に頽れるムシコスを、首に回した少女の腕が無理矢理引き上げる。

 喉首を締め上げられ、息も絶え絶えに立ち尽くす将校の背後から、

 

「別に、お前たち全員を相手にしてもいいんだ。私を殺すまでに、何人死ぬか試してみるか?」

 

 凪いだ湖面のような無表情で、フィリアがそう嘯く。

 

「……ま、待て! 交渉の余地はある筈だ。要求は何だ!」

 

 少女に気圧されたのか、副官が慌てた様子で声を掛ける。だが、

 

「時間稼ぎに付き合うつもりはない。即刻兵を引き下げろ。そうすればこいつは解放する」

 

 と、フィリアは一方的に条件を突きつけた。

 

「ぐ……」

 

 取りつく島も無い少女に、副官が言葉を詰まらせる。

 まるで既定事項を確認するかのような冷静極まる態度。

 これはやると言えば必ずやる。要求が受け入れられなかった場合、フィリアはコロドラマの全兵を相手に死ぬまで戦い続けるだろう。

 

「そうか……」

 

 返答が無い事を答えと判断したのか、フィリアが小さく頷く。

 戦闘の気配に、周囲のトリガー使いたちの緊張感が一気に高まる。

 だが、最も動揺したのは命の瀬戸際に立たされていたムシコスであった。

 

「ひ、ひぃぃいいいっ!」

 

 首に回された少女の腕に微かな力が入る。いよいよ己の命が危ういと感じたムシコスの中で、辛うじて保たれていた理性の弦が切れた。

 

「や、やめろ! い、嫌だ! 死にたくない!」

 

 悲鳴を上げながら、身を捩って暴れるムシコス。多数の部下を預かる将の姿に有るまじき醜態だが、必死の抵抗には意味があった。

 

「――っ!」

 

 思いがけないムシコスの狂態に、フィリアの拘束が微かに緩む。

 元々、少女は交渉がどのような結末を迎えようともムシコスを殺すつもりなどなかった。その為に、正体を失った人質を制するのが遅れた。

 

「ああぁぁああっ!」

 

 フィリアが躊躇った一瞬のうちに、ムシコスは拘束から逃れて走り出す。

 よほど興奮しているのだろう。折れた足の痛みさえ気に解さず、倒けつ転びつとにかく少女から離れようとする。

 

 己の失策を悟った時にはもう遅い。フィリアは人質に十分な距離を取られていた。

 彼女には十数名のトリガー使いたちの銃口がぴたりと狙いを定めている。最早、ムシコスを追いかけている時間はない。

 

「撃て! 今だ撃ち殺せッ!!」

 

 宵闇に発火炎が星のように瞬き、四方八方からトリオン弾がフィリアへと殺到する。

 だが、少女は手にした「懲罰の杖(ポルフィルン)」を力なく下げ、棒立ちしたまま動かない。

 火箭がフィリアの体を蜂の巣に変える。――かに思えた次の瞬間、

 

「な――」

 

 驚愕に呻いたのはコロドラマのトリガー使いたちだ。

 少女を亡き者にすべく放った弾丸が、あろうことか方向を真逆に変えて発砲者へと返ってきたのだ。

 防御など間に合うはずもない。周囲に展開していた全てのトリガー使いたちは、残さずトリオン体を破壊される。

 

「何が……起こった?」

 

 充満するトリオンの煙が風に巻かれて消え去ると、生身となったコロドラマの副官が呆然自失の体で呟いた。

 見れば、標的となった少女の周りには、淡く煌めく透明な壁が球状に広がっている。

 

 彼らは知る由も無い。少女を死の弾雨から救い、また敵対者を返り討ちにしたこの障壁こそ、(ブラック)トリガー「救済の筺(コーニア)」による絶対無敵の反射盾である。

 フィリアは自律型トリオン兵ヌースと、彼女に預けた母の形見「救済の筺(コーニア)」の存在を徹底的にコロドラマから秘匿してきた。

 

 そして今、少女に襲い来る弾丸をヌースが絶妙のタイミングで跳ね返したのである。

 先にムシコスを屠った斬撃も、「救済の筺(コーニア)」の力を借りてのものだ。ヌースが展開した反射盾を足場にして、沼地を超高速で跳躍したのである。

懲罰の杖(ポルフィルン)」と「救済の筺(コーニア)」。フィリアとヌースによる二本の(ブラック)トリガーの連携攻撃は、如何なる敵にも破られたことがない。

 

「…………」

 

 茫洋と広がる黒々とした湖を背に、金色の瞳を炯々と輝かせて少女が佇立する。

 

「ば、化け物め!」

 

 腰を抜かしたムシコスが悲鳴にも似た悪罵を投げる。他のコロドラマの兵たちも、逃げ出すこともできずに立ち尽くしている。

 

『今が好機です。フィリア』

『うん……』

 

 恐れ慄くコロドラマの将兵らの視線を一身に浴びながら、少女は昏く沈んだ表情で頷く。

 期せずして敵を一網打尽にすることができた。この好機を逃す手はない。増援が駆けつけるまでに船を起動し、出発する。

 ヌースが湖底に沈めた小型艇に信号を送る。すると休眠状態の船が即座に起動し、湖面を波立たせて現れる。

 

「……」

 

 中空に制止し、キャノピーを開いた小型艇に、フィリアが軽やかな跳躍で乗り込む。

 トリオン反応はすぐさまコロドラマの部隊に察知されるだろうが、いざ動き出してしまえば早々撃ち落とされることはない。

 

 フィリアはシートに腰掛け、操縦桿を握りしめる。

 これで、この国とも縁切れだ。二度と訪れることもないだろう。

 

 だが、少女が船を発進させようとしたその時、周囲に耳障りな放電音が響き、宵闇を塗り潰す漆黒の(ゲート)が開いた。

 

「な、まさか――」

 

 いかなる時も冷静であったフィリアが、驚愕に目を見開く。

 まだ脱出用の(ゲート)は開いていない。しかも、検知したトリオン反応はコロドラマの物でもない。

 

 (ゲート)から現れたのは、モールモッドやバムスターといったトリオン兵の混成部隊。

 続々と湖畔へと降り立つ人形兵士たち。そしてそれらのトリオン兵が、生身となったトリガー使いたちへと襲い掛かる。

 

「これは――リピス!」

 

 想像だにしなかった第三勢力の登場に、少女が声を荒らげる。

 コロドラマの敵国リピスが、このタイミングで奇襲を仕掛けてきたのだ。

 

『早く発進を! こちらも狙われています!』

 

 どこからか今夜の騒動を監視していたに違いない。リピスはコロドラマの将兵が壊滅したのを見計らって、横合いから殴り掛かったのだ。

 ヌースに急き立てられながらも、フィリアは思わず身を乗り出して船の外を見る。

 

 眼下で繰り広げられているのは、一方的な殺戮であった。

 フィリアとの戦闘でトリオン体を失ったコロドラマの将兵が、リピスのトリオン兵から這う這うの体で逃げ回っている。

 

 トリオン兵らは沼地に足を取られて動きが極端に鈍いが、それでも生身の体で逃げ切ることは難しい。

 ある者はバムスターに呑み込まれ、ある者はモールモッドのブレードに刺し貫かれ、湖畔には絶叫が響き渡っている。

 そして少女の視線の先で、泥濘を這いずり回っていたムシコスが、バムスターの柱のような足に踏みつぶされた。

 

「っ……」

 

 降って湧いた惨状に、フィリアの面から音を立てて血の気が引く。

 

「しっかりしてください! 早くこの場から離脱を!」

 

 だが、狼狽えている暇はない。リピスのトリオン兵はフィリアたちの乗る小型艇にも襲い掛かろうとしている。

 ヌースに叱責され、少女は無我夢中で操縦桿を押し倒す。

 急加速した小型艇は宵闇を流星のように切り裂いて飛翔すると、泥土にのたうち悲鳴を上げるコロドラマの将兵を背にして虚空の彼方へと飛び去った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「…………」

 

 無事にコロドラマを離脱し、惑星間の航路に乗ることができたフィリア。

 だが、少女は狭苦しい小型艇のコックピット内で、膝を抱えて鬱々と項垂れていた。

 

「フィリア。あれは仕方のない事でした」

 

 船体のチェックと自動航行の設定を終えたヌースが、俯く少女へと話しかける。

 

「先に害を成そうとしたのは彼らです。あなたは、身に掛かる火の粉を払っただけ。……何も気に病むことはありません」

 

 数多の戦場を渡り歩いたフィリアは、しかし人死に慣れることは決してなかった。

 それどころか、彼女は如何なる暴力をも徹底的に嫌忌するようになっていた。

 

 祖国で家族の為に戦っていた頃とは違う。ただ日々を生きながらえる為だけの、無意味で無価値な戦争は、少女の心を責め苛み続けた。

 交渉を有利に運ぶためとはいえ、ムシコスに怪我を負わせたことにさえ耐え難い罪の意識を感じていたのだ。その負傷が彼の死の一因となったことは、少女を深く傷つけた。

 

 いやそれだけではない。他のトリガー使いとて、フィリアが攻撃を防がねばトリオン体を失うこともなく、リピスのトリオン兵から逃げられたかもしれない。

 フィリアは破壊工作を仕掛けて基地機能を麻痺させ、追っ手の防衛部隊を撃破した。弱体化したコロドラマはリピスの侵攻によって大きな被害を出すことだろう。

 

 大人しく彼らに殺されていれば、流れる血は自分一人のもので済んだ筈だ。フィリアは己が身の可愛さのために、またしても多くの人間を死に追いやったのだ。

 

「もう、嫌だ……」

 

 塞ぎこむ少女から、悲痛な弱音が漏れる。

 

 殺すのも、殺されるのも、すべてが嫌だ。

 流血を許容する世界も、その上で成り立つ暮らしにも耐えられない。

 それに何より、依るべきものも護るべき人もいないのに、死と破壊を振り撒いて生き続ける自分が許せない。

 

 これではまるで死神だ。何時か祖国エクリシアで罵られた通り、自分は生きているだけで他者を不幸にする呪われた人間ではないのか。

 世界への悲憤と己への罪悪感が、少女の心を絶望に染め上げる。

 

「……あなたは誰も殺めてはいません。そう自分を責めないでください」

 

 ヌースの慰めにも、フィリアは駄々っ子のように首を振るばかり。

 

 彼女の言うように、長きに亘る戦場生活のなかでも、少女が直接人を殺めたことは一度も無い。それは主義主張の為ではなく、少女の精神に刻み込まれたトラウマに拠るものであった。

 人を殺めなければ己が危うい場面は何度もあった。だが行為に及ぼうとする度に、フィリアの脳裏にある光景が浮かぶのだ。

 

 それは、血だまりに仰臥する友人オルヒデアの姿。

 少女が人を殺めようとした瞬間、まるでそれを咎めるかのように、友人の最期が、あの鮮やかな紅色が鮮明に想い起こされる。

 

 とはいえ、直接人を殺さないからといって、少女の手が汚れていない訳ではない。

 戦場で働いてきた以上、間接的には多数の人間を殺めている。撃破したトリガー使いや、トリオン兵に襲われた市民たち。

 彼らの死骸を踏み台にして生き長らえている事実に、何ら変わりはない。

 

「とにかく今は休んでください。あなたに必要なのは休息です」

 

 少女の心を救うことができないヌースは、無力感に打ちひしがれながらも優しく語りかける。

 実際、過酷な一日を過ごしたフィリアの精神は限界近くまで疲弊していた。トリオン体の換装を解けば、程なく睡魔が押し寄せる。

 一時とはいえ、少女は苦悩から逃れることができた。

 

 それから数時間後。フィリアは寝入った時と同じ、膝を抱えて座り込んだ状態で目を覚ました。

 珍しく、眠りの質がよかった。まだ覚醒しきっていないのか、少女はとろんとした瞳でぼんやりと船内を見渡す。

 

 まるで誰かを探しているかのように、視線が虚空をさ迷う。

 少女は夢と現の合間に居た。

 

 久しぶりに見た夢の中で、少女は在りし日の家族との団らんを楽しんでいた。

 埃っぽくも懐かしい貧民窟の家で、少女は母と弟妹たちとヌースに囲まれていた。そこには来たことがないはずの父アルモニアの姿もあったように思う。

 そうして幼いフィリアは家族の前で胸を張り、自信たっぷりにある計画を披露していた。

 

 曰く、渡航の準備が整った。と。

 私はとうとう成し遂げた。皆と一緒に玄界(ミデン)に行けるのだ。と。

 

「――!!」

 

 夢の内容をそこまで思い出したところで、途端にフィリアの意識が明瞭となる。

 

「目が覚めましたか?」

 

 前席にいたヌースが声を掛けるも、少女は答えない。

 訝しんだ彼女が様子を窺うために後席を覗き込む。

 

「そうだ……何で、忘れてたんだろ」

 

 すると、フィリアは茫然とした表情で虚空に向けて独り言を呟いていた。

 

「私が、みんなを連れていくって言ったんだ」

「……フィリア?」

 

 生贄を求めることも無く、永久不滅に存在する大地と、それを取り巻く果ての無い海。

 数えきれないほどの人々が、トリオンを用いず、トリガーを使わず、それでいて豊かに暮らしているという信じがたい場所。

 おとぎ話に出てくる理想郷のような世界には、きっと自分たちの居場所もある筈。

 

 そこに行こうと、みんなで暮らそうと、幼き日のフィリアは家族にそう約束したのではなかったか。

 もう果たせなくなった約束とはいえ、その誓いは忘れてもいいものだっただろうか。

 フィリアの指が、思わず胸元へと伸びる。

 そこにあったのは、家族から贈られ、父に託された銀の鍵。

 

「大丈夫ですか? どうしたのですフィリア?」

 

 尋常ならざる少女の様子に、ヌースが心配気に話しかける。

 

「……ヌース。私、玄界(ミデン)に行きたい。ううん、行かなくちゃ」

 

 すると、少女は銀の鍵をしっかりと握りしめ、逼迫した声でそう宣言する。

 爛々と輝く瞳には、隠しようのない狂気が宿っていた。

 

 

 

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