WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
地球でも有数の経済的繁栄を遂げたこの国は、しかし現在、終わることのない戦争を強いられていた。
二十八万人の人口を抱える地方都市、三門市。
ある日、この街に異世界への
異次元からの侵略者「
地球上の兵器では効果の薄い
彼らは界境防衛機関「ボーダー」
彼らは廃墟と化した三門市の一画に巨大な基地を作り上げ、境界を侵す異次元の兵隊を相手に、日夜過酷な防衛戦を続けている。
そして――粉雪が舞うある冬の夜。
「
人の気配の絶えた街に、警報が鳴り響く。
聳え立つ小山のようなその施設は、界境防衛機関ボーダーの本部基地である。
異次元から絶え間なく襲い来る敵から街を守るため、基地には
放棄された三門市の一部分はボーダーが管理する警戒区域になっており、
だがこの日、三門市の上空に開いた
放たれた矢のように夜気を切り裂いて空を飛ぶのは、所属不明の小さな飛行艇。その船を追いかけるように、続いて開いた
後方から猛烈な射撃を浴びせかけられ、飛行艇が黒煙を上げる。見る間に失速した船は、警戒区域の外縁部に墜落した。
思いがけない
「こちら東。不審船の墜落現場に到着した。搭乗者は不明」
そうして夜も白み始めた頃、ようやくトリオン兵の一団を駆逐し終えたボーダーは、件の小型船の調査を行っていた。
先着した一隊が、慎重に船の残骸へと近づく。
「これって、どう見ても人が乗り込むタイプの船よね」
部隊の一人、口元の黒子が印象的な、華麗な美貌の女性がそう呟く。
墜落した船はアスファルトを削りながら減速し、路面の片隅に打ち捨てられていた。後方のエンジン部分に被弾の痕跡が見られるが、トリオン製の機器の為、墜落による被害は殆ど無い。搭乗者がトリオン体に換装していれば、おそらく怪我一つないだろう。
「二宮、加古。周囲に潜伏している人間が居ないか調べろ」
キャノピーは開け放たれており、二人乗りのシートには誰もいない。
部隊の指揮を執っているらしき、長身痩躯で長髪の男性が、落ち着き払って部下の隊員たちに指示を下す。
そうして自身は船へと歩み寄り、罠が仕掛けられていないか警戒しながら、慎重に船内を調べ始めた。
「東さん。俺も行かせてください。
すると、指揮官である東に年若い男性隊員が提言する。
「いや、秀次は付近を警戒してくれ。奇襲を受けた場合、お前が居てくれた方が心強い」
だが、東はやんわりとした口調で部下の進言を退ける。
「っ……了解しました」
年若い隊員三輪秀次は、不服そうな面持ちながらも命令を許諾する。
「ログは……消去されてるな。エンジニアが復元できるかどうかだが……食料や水も置いて逃げたか。判断が早い」
東と三輪は小型船の捜査を進めるが、搭乗者の身元に繋がる情報や、足跡を辿れそうな手がかりは何も見つからない。そして、
「こちら二宮。近隣を捜索したが、それらしい人影は見当たらない」
と、洒脱な男の声で両名に通信が入る。周囲を調べていた隊員からの報告だ。
「たぶん、痕跡も残してなさそうね。基地のオペレーターにも確認をとったけど、警戒区域全域に、もう
同じく周囲を調べていた女性隊員の加古が、そう補足する。
「そうか、ご苦労。一旦合流してくれ」
部下からの報告を聞いた東は、冷静な面持ちでそう指示する。
彼ら防衛部隊の装備では、これ以上の調査は不可能である。
東は本部に秘匿通信を繋ぐと、事態の報告と技術班の出動を要請する。そして、
「本部。
と、本部と善後策を協議し始めた。
一方、その場に残された三輪隊員は、無言で奥歯を噛みしめると、刃のように鋭い眼差しで払暁の街を見詰める。
異次元からの侵略者、地球人の不倶戴天の敵である
「何処へ逃げようが、絶対に見つけ出して始末してやる」
曙光に照らされ始めた廃墟都市に、煮えたぎる憎悪の呟きが解け消えていく。
× × ×
三門市に隣接する
広場に設置された樅の木には煌びやかなオーナメントが所狭しと飾り付けられ、電飾がキラキラと輝いている。
クリスマスの飾りつけは広場だけにとどまらず、商店街の各所でも行われている。
リースやベルが軒先に飾り付けられ、聖人サンタクロースの衣装に身を包んだ店員たちが慌ただしくも楽しそうに働いており、多くの家族連れやカップルたちが買い物を楽しんでいる。
その商店街から少し離れた場所に、天林堂という書店があった。
「はぁ~~」
店内でレジ番をしているのは、黒髪を二つ団子にした大きな眼の少女だ。
彼女、
だが、カウンターに腰掛ける少女は、心ここに在らずと言った風にため息をついていた。
友人の家で開かれる予定のクリスマスパーティーに招かれたのだが、その催しに彼女が思いを寄せている少年も参加するのだ。
片思い中の彼女は、これをきっかけになんとか少年と距離を縮めたいと考えているのだが、上手い方策が出てこない。
「直接プレゼントを渡すのは……無理無理。なにか料理を持っていくとか……あ、でもてつこちゃんのお兄さんすごく料理上手らしいし……」
考えが纏まらないことを嘆きながらも、文はきょろきょろと辺りを窺う。あまり店番をさぼる訳にもいかない。だが、彼女が窺っているのは店内ではなく店の外だ。
「う~ん、まだいる……」
文が困惑顔で呟く。
書店の軒先には雑誌類が陳列されたマガジンラックが置かれているのだが、そこに二時間ほど前からずっと立ち読み客が居座っているのだ。
「声かけたほうがいいのかな。でも外国の人みたいだしなぁ……」
先ほどから雑誌を読み漁っているのは、十五、六歳と思しき若い女性である。
朝方まで粉雪がちらついていたほど寒いのに、薄手のシャツとパンツだけを身にまとった軽装。広げた紙面で顔は見えないものの、肌の色は艶やかな褐色で、髪は雪のように真っ白だ。また手足もスラリと長く、どう見ても日本人の体形ではない。
少々の立ち読みぐらいなら大目に見てもいいが、あまり長居するのなら店員として一声掛けるべきだろう。ただ、言葉が通じるか分からない異国人相手だと、どうしても気後れしてしまう。
「お父さん早く帰ってこないかなぁ……」
思わず文は恨めし気にそう呟く。只でさえ年末のイベント目白押しの時期に店番など頼まれたのだ。面倒そうな客の応対など、完全に業務範疇外である。
力なくテーブルに突っ伏す文。次の瞬間、彼女の大きな瞳がさらに見開かれた。
「な、ちょっと……」
驚愕の理由は、やはり店頭で立読みをしている女性だ。
彼女が広げている雑誌。その手にした部分がぐしゃりと歪んでいるではないか。
何が気にくわなかったのか、褐色肌の女性は手が小刻みに震えるほど、力いっぱい雑誌を握りしめているのだ。
「っ……」
商品を傷ものにされては、流石に黙っている訳にもいかない。
文は迷惑な客に一言注意すべく、意を決してカウンターから立ち上がる。
「うわ寒っ!」
そうして店の外に出た途端、吹き付けた寒風が針のように肌を刺す。
「……あ、あのー」
早く暖かい店内に戻りたい。文は勇気を振り絞り、顔を覆い隠すように雑誌を広げている女性に話しかけた。
だが、彼女からは何の返答も無い。日本語が分からないのだろうか。それともどこか具合でも悪いのだろうか。
彼女の手指は青ざめており、寒さの所為か小刻みに震えている。それだけでなく、何やら息遣いも乱れているようだ。
「ちょっと、すみませーん……」
そもそもこんな気候の中、薄着で何時間も立ち読みをするなんて、少しおかしい人ではないのだろうか。一人で話しかけたのは失敗だったか。文の脳裏に後悔が過る。
「長時間の立ち読みは御遠慮いただけませんか、なんて……あのー」
「――ッ!!」
三度目の呼びかけにして、ようやく女性が反応を示した。
褐色肌の女性はビクリと大きく身体を震わせ、今まさに文の存在に気が付いたように勢いよく顔を向ける。
目の当たりにしたその顔貌に、文は暫し言葉を失った。
美しい、のは間違いない。黄金を溶かしたように輝く瞳と、形の良い眉、小作りながらも高く通った鼻梁に、薄く柔らかな唇。
モデルのようなプロポーションも当然と思えるほど稀有な美貌である。
だが、文の思考を停止させたのは映画雑誌でしか見られないような端麗な容姿ではない。
その相貌に浮かんでいた激情。美貌をおぞましく歪めていた、恐怖と悲嘆と絶望の感情である。
「――!!」
「わっ! ちょ、ちょっと!」
自分が話しかけられたと気付くや、褐色肌の女性は茫然としていた文に雑誌を押し付け、脱兎の如く駆けだした。
まさか声を掛けただけで逃げ出されるとは思わない文は、とっさのことで身動きができない。
見る間に女性の姿は小さくなり、路地へと入り込まれて姿を見失ってしまう。
「……もしかして、万引きっ!?」
女性を見送って数十秒、我に返った文は、盗まれた本がないかともかくマガジンラックを検める。
しかし、予想に反して紛失した商品は見当たらない。彼女が最後に読んでいた雑誌がぐしゃぐしゃに歪んでいるぐらいで、後は綺麗なものである。
「な、なんだったの?」
結局、褐色肌の女性の奇行の理由は分からず、気疲れした文はがっくりと肩を落とす。
ともあれ、妙な客を追い払うことはできた。店番を続けねばと、入れ替えられた雑誌の位置を整える。
「別に、変な本とか扱ってないと思うんだけどなぁ」
褐色肌の女性が読んでいたのは、雑多なゴシップ誌やお堅い経済雑誌など、どれもありふれたものばかりである。
「まあ、フリーペーパーだからいいんだけど……」
唯一、女性が損壊した雑誌だけは、この蓮乃辺市近辺でしか見られない本だ。
「あ、ひょっとして被害者の人だったのかな。昔のことを思い出しちゃったとか……」
奇行の理由にはたと思い当った文は、気の毒そうな表情で女性から押し付けられた雑誌を見遣る。
文の手元に残されていたのは、界境防衛機関ボーダーが発行しているフリーペーパーであった。
丁度、年に三回ある入隊式を控えた時期であり、いつものものより冊子が厚い。
内容は、数年前に起きた
「あんなに酷い事件だったし、仕方ないよね……」
東三門を襲った
直接の被害にあった人なら、未だに立ち直れていなくとも無理はない。文は立ち読み魔の女性に、俄かに憐憫の情を抱く。すると、
「あ、冷たっ! また振ってきた」
空には鈍色の雲が広がりっており、粉雪が再び舞い始めてきた。
文は奇妙な客の存在を心の片隅に留めながらも、暖房の効いた店内に早々に引っ込んだ。
× × ×
イルミネーションの煌めきも、人々のさんざめく喜びの声も、寒天の下を行く少女には、何の感慨ももたらさなかった。
少女――フィリアは書店から離れると、疲弊しきった表情で当て所なく蓮乃辺市内を放浪する。
心身を削りながら戦場を渡り歩き、念願かなって
追撃を振り切ろうと足掻くも、小型艇は破損。
小型艇から物資を持ち出す余裕も無く、着の身着のままで見知らぬ街をさ迷う。
身を斬るような寒気に当てられ、少女の体力は限界に近づいていた。
『フィリア。どうか気を落ち着けてください』
蹌踉として彷徨う少女に、鞄に擬態したヌースが心配気に声を掛ける。
だが、当のフィリアに聞こえた様子はない。落ち窪んだ目は焦点さえ定まらず、息は荒く乱れ、全身は寒さに震えている。
万難を排して憧れの
無限の大地と大海に恵まれた理想郷。そう信じていたのに、
街で情報収集を行うにつれ、その理由はすぐに明らかとなった。
数年前に起こった
引き起こされた災禍と、それを鎮めた組織の存在。
情報を集めるにしたがって、少女の疑念は悪い形で確信となっていった。
地球にも多くの国々があり、それぞれの思惑や利害損得から戦争を繰り広げている。そんな中現れた
思えば当然のことだ。完全に満たされた人の営みなど、どの世界にもある筈がない。
フィリアの居場所は、何処にもない。
務めて考えないようにしていた暗然たる事実が、少女の最後の希望を粉々に撃ち砕いた。
『追っ手が放たれている筈です。今は少しでも
ヌースの献策も、少女の耳には届かない。
フィリアは何時しか買い物客で賑わう商店街へと足を踏み入れていた。
人々の視線が集まる。只でさえ人目を引く容姿に加え、明らかに体調を崩していると思しき彼女に、幾人かが声を掛ける。
だが、フィリアは上の空で素通りするばかり。通行人は訝しげに異国人を見詰める。
幸いにも、ボーダーは市街地に
「書籍から地図を入手しました。ともかくこの街を出ましょう」
それでもヌースは早々に街から立ち去るべきだとフィリアに呼びかける。
ボーダーの探知を避ける為トリオン体にはなれず、また金銭を持たない為公共機関も使えない。体調、精神ともに不調の極みにあるフィリアに、どこまで逃走が可能かどうか。
しかし、ボーダーに捕らえられた時の事を想定すれば、少女を休ませることはできない。
断片的な情報しか入手できていないが、ボーダーという組織には不審な点がある。
誠実で潔白な印象を前面に押し出してはいるが、国の支援を受けているとはいえ、侵略者の相手を一民間団体が行っていることがそもそもおかしいのだ。
僅か数年で内外に知れ渡るほどに組織の規模を拡充したことも、真っ当な手段では難しい。
何の後ろ盾も無い
フィリアの精神面が心配ではあるが、それでもヌースは最悪の状況を見据えて必死に移動を訴える。
「…………」
が、少女は無言を貫く。いや、そもそも言葉が耳に届いているのかどうか。
そうして闇雲に歩いていたフィリアは、はたと電気店の前で足を止める。
ガラス越しに展示されているテレビに映っているのは、雑誌の表紙を務めていた爽やかな風貌の青年と鷲鼻の中年男性だ。
ボーダーの広報番組である。内容は年末の奉仕活動として、近隣の市町村の清掃活動を行うと言うものだ。
明らかに、フィリアを探すための方便である。
だが、当の少女は相変わらず茫洋とした表情のまま、落ち窪んだ瞳でガラスを眺めている。ヌースの必死の呼びかけにも、まったく耳を貸さない。
結局、少女はボーダーの広報番組が終わるまで電気屋の前で佇み、その後はまた力なく街をさ迷い歩いた。
冬の夜の訪れは早い。夕刻には
仕事や学業を終えた人々が、駅から街へと溢れ出す。
まだまだ一日は終わっていないと、彼らは年末の慌ただしさをむしろ楽しむかのように街へと繰り出す。
昼にも勝る人々の喧騒に答えるように、イルミネーションはますます輝きを増し、幻想的な光景を作り出している。
商業地区から離れた少女は、蓮乃辺市内に掛かる橋の上にいた。
「…………」
市街地の賑わいも届かない川の上。街灯の明かりと、時折行き交う車のライトだけが夜闇を照らす。
「辛いでしょうが、今夜のうちに出来るだけ移動しましょう」
日暮れに差し掛かって、ようやく少女はヌースの指示に従いのろのろと移動を始めた。
フィリアの不審な行状は多くの人に目撃されている。今までボーダーに見付からなかったことは奇跡に近い。彼の組織がどれほど人員を抱えているかは分からないが、少しでも距離と時間を稼ぐ必要がある。潜伏先を探すのはそれからだ。
しかし、フィリアは橋の中ほどまでくるとピタリと足を止める。
「……フィリア?」
憔悴しきった表情で橋の欄干に背を預ける少女。そのただ事ならぬ様子に、ヌースが気遣わしげに声を掛ける。
「あと少しです。ようやく
擬態を解き、本来の丸い姿となったヌースが、項垂れる少女を懸命に励ます。
「もう、あなたが戦争に思い悩む必要はありません。これだけ豊かな国なら、戦わずとも生きていける筈です」
平静な、それでいて熱意を込めて声で語りかけるヌース。
そんな彼女を、そっと少女の手が撫でる。
「……私の為に、ありがとう」
疲れ切った掠れ声で、フィリアが礼を述べる。
家族を失い、戦乱渦巻く
だからこそ、少女は友であり家族であるヌースに心から謝意を告げる。そして、
「ごめんね」
そう呟くや、フィリアは指先を閃かせヌースのボディを突いた。
「――フィリ」
理由を問う暇も無く、ヌースは強制的に機能を停止させられる。浮力を失い落下する友を、フィリアはやせ細った腕でしっかりと抱きとめた。
「ごめんねヌース。……もう、耐えられないの」
震える声でそう詫びると、少女はヌースをしっかりと胸に抱き、欄干の上によじ登った。
「無理なんだ。私、もう歩けない。……何処に行けばいいのかも分からないの。ううん。きっと、何処に行っても駄目なんだと思う」
眼前に広がるのは、どこまでも続く
「ありがとうヌース。私を愛してくれて。私を守ってくれて。でも、私……この世界に居るのが辛いの」
少女は悲痛な声でそう呟くと、胸元の銀の鍵にそっと触れる。
忌子として生まれたフィリアを、家族はずっと愛してくれた。
家族が消えてしまっても、その思い出は心に残っている。それに何より、ヌースはこんなにも己の事を案じてくれている。
けれど、フィリアはもう、この世界を愛することができなくなっていた。
憧れの
どこに居ようと、争いから逃れることはできない。なぜならそれは人の営みの一部だからだ。
故に、少女が抱く戦争への忌避感と、其処で犯した罪は永劫消えることはない。
その考えに思い至った時、フィリアの心はついに限界を迎えた。
「みんなの所に行けるか分からないけど……でも、また会いたいなぁ」
涙の滲んだ声でそう呟き、少女は暗い川面へと身を投げた。
着水まではほんの一瞬。身を斬るような冷たい水が、フィリアの全身を包む。
ヌースを抱きかかえているため、浮力は効かない。少女は何の抵抗もせず、見る間に水底へと沈んでいく。
やがて視界からは全ての光が消え、四肢の感覚も鈍っていく。
薄れていく意識の中、フィリアは家族との幸福に包まれていた記憶を思い返していた。けれど少女が最後に意識したのは、どこからか聞こえてきた「ほああああ!!」という間の抜けた声であった。