WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の四 賢い犬リリエンタールとまいごのネイバー

 茜色の空に、深い藍色が混じって溶けていく。

 眼下に広がるのは、聖都の麗しい街並み。

 天上に見えるのは、近界(ネイバーフッド)の輝く星々。

 

 教会の尖塔からの眺望は刻一刻と移り変わり、少しも飽きるところが無い。

 夜のとばりが聖都に降りると、ポツリポツリと街明かりが灯っていく。

 やがて街は溢れんばかりに光に包まれ、まるで砂金を撒いたかのように輝いている。

 そして大地の輝きに負けじとばかりに、天空を飾る星々も一層きらめきを増す。

 

 天と地の狭間から眺める幻想的な光景に、フィリアは息をすることさえ忘れてしまう。

 だが、胸壁に寄り掛かって絶景を楽しんでいた彼女は、不意に背後に気配を感じた。

 

「――っ!」

 

 振り返ってみれば、そこには空色の髪と瞳の色をした少年が立っている。

 エクリシア教皇アヴリオ・エルピス。彼は幼い顔立ちに似合わない、悲嘆と諦観の入り混じった表情でフィリアを見詰めている。

 

「あ、貴方は……何故……」

 

 問い掛けの言葉は、喉奥に詰まってなかなか出てこない。

 驚愕に立ち尽くしているうちに、少女の背後で変化が。

 

「な――!」

 

 耳を聾する轟音と、異様な熱気を感じたフィリアが、慌てて尖塔から身を乗り出す。

 そこに広がっていたのは、幻想的な故国の風景ではなかった。

 逆巻く炎が、夜空を怪しく染め上げる。麗しい街並みは瓦礫と見紛わんばかりに破壊され、風に乗って人々の悲鳴が聞こえてくる。

 

 我が目を疑うような地獄絵図。

 いや、或いはこの光景こそが、嘘偽りのない現実だったのかもしれない。

 吹き荒れる戦火に呑み込まれる近界(ネイバーフッド)の国々。それはフィリアが何年も眺めつづけてきた世界の有様そのものだ。

 

「あ……あぁ……」

 

 惨憺たる光景から逃れるように、少女は後ずさりする。

 しかし、尖塔にはもうアヴリオの姿はない。それどころか、地上へと続く階段までもが跡形もなく消え去っている。

 

 紅蓮の炎は地上全てを焼きつくし、大聖堂にまで舌を這わせてきた。

 尖塔が火に巻かれる。身を焦がすような熱気が地上から吹き付ける。

 どこからともなく聞こえてきた人々の悲鳴は、今や少女の耳元にまで近付いているかのように音量を増している。

 

 逃げ場など、何処にもない。

 半狂乱になりながら炎から逃れようと足掻くも、炎はすぐさま尖塔を呑み込み、フィリアの体を焼き焦がした。

 声にならない絶叫を上げ、のたうちまわる少女。

 

 ――そこで、ようやく彼女は夢から覚めた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 荒い息と共に目覚めたフィリア。悪夢にうなされるのは日常茶飯事であったが、ここまで真に迫る夢は久々だ。

 額に滲んだ汗を手でぬぐい、呼吸を整えるのに数秒。

 ようやく頭がはっきりした彼女は、意識を失う直前の行動を思い出した。

 

「…………」

 

 何故己がまだ生きているのか。そう疑問に思うも、憔悴しきった少女には、事の次第を確かめようという意志さえ残されてはいなかった。

 

「……」

 

 ぼんやりと霞がかった頭のまま、少女が上半身を起こす。

 

 彼女が寝かされていたのはシンプルな、それでいて可愛らしいデザインのベッドだ。部屋には同じような意匠のチェストやテーブル、ソファーにテレビなどが置かれている。

 奇妙なのは、そのどれもが継ぎ目のない単一素材でできているように見えることだ。

 丁度トリオンで作った器物のような見た目だが、掛布団を触ってみたところ、どうもそうではないらしい。

 

 どうやら誰かに捕らえられたらしいが、少女には恐怖も焦燥感もない。もう生きることは諦めたのだ。我が身がどうなろうと、どうでもいい。だが、

 

「――っ!」

 

 無意識に胸元へと手を伸ばした少女は、そこにあるべき感触が無いことに慄然とする。

 家族の形見である銀の鍵のペンダントが、何者かに奪われているのだ。

 それだけではない。父と母が残したトリガーも、しっかりと両手で抱いていたはずのヌースの姿さえない。

 

「あ――」

 

 足元が抜け落ちるかのような恐怖に見舞われ、半ば恐慌をきたしたように少女は布団を蹴立ててベッドから跳ね起きる。

 自分の命はどうなってもかまわない。だが、家族の形見とヌースだけは無くせない。

 少女はベッドを降り、部屋から脱出を図ろうとする。――その時、

 

「え……」

 

 フィリアの視線の先に、奇妙な生き物がいた。

 

「な、なわ!」

 

 出入り口であろう扉の前にいたのは、二本足で立つ黄色い犬だ。

 

 つぶらな黒い瞳に、凛々しい眉に大きな鼻をした、ぬいぐるみのように愛嬌ある顔つきの犬である。大きさは小型犬ほどで、首にはRの文字の入った赤いスカーフを巻いており、両手で水の入ったコップを乗せたお盆を持っている。

 

「…………犬?」

 

 得体の知れない生物と邂逅したフィリアの口から、思わず間の抜けた声が出る。

 すると、件の犬は少女が急に起き上がったのに驚いたのか、あたふたと狼狽してその場で脚踏みをする。そして思い出したようにお盆を床に置くと、背筋をぴんと伸ばし、片腕を胸に当て、

 

「はじめまして! 日野リリエンタールともうします! よろしくおねがいます!」

 

 と、ハキハキとした声で自己紹介を始めた。

 

「………………え?」

 

 二足歩行の犬が、流暢に言葉を発した。

 降って湧いた出来事に、フィリアの昂ぶっていた気が急速に冷めていく。

 

「これはお水とあにうえがつくってくれたゼリーです。どうぞ」

 

 立ち尽くすフィリアを尻目に、リリエンタールと名乗った犬はわたわたとお盆を持ち直し、椅子の上に器用に登るとテーブルに水とゼリーを配膳する。

 

「……あなた、は?」

 

 一先ず害意が見受けられないと分かると、フィリアは思わず珍妙な犬に話しかけていた。

 すると、リリエンタールはニコリとどこか得意げな笑顔を浮かべ、

 

「わたくしめはこのおうちのおとうと、リリエンタールともうします。どうぞごゆっくりください」

 

 と、フィリアに着席を促す。なにやら一人で応接しているのがご満悦らしい。

 暫し当惑していた少女は、意を決した表情でテーブルへと歩み寄ると、椅子に座っていたリリエンタールの体をひょいと抱き上げた。

 

「なわ?」

 

 フィリアは困惑するリリエンタールを黄金の双眸で睨みつけると、

 

「私の持ち物を、何処へやったの?」

 

 と、剣呑な声で尋ねる。

 

「の、ノーーーー!!」

「答えなさい! 答えて! もし嘘や誤魔化しをするなら……」

 

 己が犬に話しかけるという奇行を演じている自覚さえない。不安定な少女は今にも爆発しそうな感情を押さえつけるように、必死に尋ねる。

 

「ままままちたまえ、おちついてはなしあおうじゃないか」

 

 まさかいきなり脅されるとは思いもよらなかったリリエンタールは、わたわたと手足を動かし、怯えた声で答える。

 

「……ちゃんと答えてくれれば、危害は加えません」

 

 邪気のない幼児のような反応に、流石のフィリアも気勢を削がれた様子で拘束を緩める。

 彼女としても、本気でこの犬をどうこうしようと思ってはいない。ただ、家族の形見を返してほしいだけなのだ。

 

 自分が玄界(ミデン)の民間人に捕らえられたということはサイドエフェクトで理解している。だが、そこまでの経緯と彼らの思惑についてはまだよく分からない。如何に直観智のサイドエフェクトといえど、顔も見たことのない人間の考えまでは読めないからだ。

 

 玄界(ミデン)の犬が人語を解するのには驚いたが、幸いにして素直な性質らしい。彼女を捕らえた人間と会う前に、得られる情報は聞き出しておきたい。

 

「むむむ、それではいったんおすわりください。あにうえがつくってくれたゼリーは、とてもおいしいですので」

 

 少女に対話の意思があると知るや、リリエンタールは気の抜けたような顔になり、再び着席を促した。

 これ以上ことを荒立てる必要を感じなかったフィリアは、素直にその提案に従う。

 毒が入っていないことはサイドエフェクトで知れたので、水で喉を潤してからゼリーを口に運ぶ。

 

「……」

 

 久方ぶりの水分と栄養だが、フィリアの舌には何の味も感じられない。

 ただ、匙を動かす少女を眺めてリリエンタールがにんまりと嬉しそうにしているところをみると、きっとこの菓子は美味なのだろう。

 

「……菓子は頂きました。私の質問に答えてくれますね」

 

 何故か調子に乗った風の犬を見遣り、少女は硬い声音でそう切り出す。

 あなたたちは何者で、自分は何故ここにいるのか。ヌースと所持品は何処へやったのか。

 フィリアの質問に、リリエンタールはたどたどしくも誠実に答える。

 

 説明を聞けば、概ね想像通りの顛末ではあった。

 昨夜、橋から身投げを図ったフィリアを、偶然この日野家の面々が目撃し、救助したらしい。

 そうして無事に引き上げたものの、少女は意識を失っていた。警察と医者を呼ぶべきだと主張したてつこなる女の意見を、何らかの事情を察した兄上とやらが退け、自宅に運んだという。

 

「いまはさむいので、およぐのは夏にしたほうがいいのです。それによるはくらいから、おぼれてしまうかもしれないのです」

 

 とはいえ、リリエンタールはフィリアが自殺を図ったことには気付いていないらしく、真面目な表情でそう忠告する。

 適当に流して所持品の在り処を尋ねると、それらは濡れていたので別の場所で乾かしているとのこと。

 

「あとでちゃんともってくるので、あんしんしてほしいのです」

 

 嘘偽りのないリリエンタールの言葉に、フィリアはほっと胸をなでおろす。だが、どうやら日野家の面々が本当に親切心から少女を助けたらしいことを悟ると、彼女は思わず痛切な表情を浮かべた。

 己の罪業を嘆き自殺を図った少女にとって、掛け値なしの善意はどんなに鋭い刃物よりも深く心を傷つける。

 

「……概ね、理解しました」

 

 フィリアは小さく頷くと、それきり黙ってしまう。これからどうするかを考えなければならないのだが、何一つとして展望が浮かばない。

 彼女にはもう、生きる上での目的は無くなってしまったのだ。

 望みと言えば、一刻も早く死の安らぎを得る事だけ。

 

 その為には、ともかくヌースと所持品を取り戻さねばならない。

 彼女が近界民(ネイバー)であることに日野家の面々はまだ気付いていないだろうが、どの道不審者であることに変わりはない。あまり時間はかけられないだろう。

 

 そしてヌースと形見が無事に戻れば――と、そこまで考えた時、リリエンタールが何やら興奮した様子で話しかけてきた。

 

「そういえば、おなまえをきいておりませんでしたな!」

 

 瞳をきらきらと輝かせ、小さな犬がフィリアを覗き込む。少女は事態の把握を急ぐあまり、自己紹介さえしていなかったのだ。

 

「あ……フィリ、ア。……そう、私はフィリアといいます」

 

 身元を明かすかどうか数瞬迷うも、玄界(ミデン)に来てまで隠す意味も無いとフィリアは己の名前を告げる。するとリリエンタールは、

 

「フィリア! どうぞよろしくおねがいます」

 

 と、先と同じように直立姿勢を取り、胸にビシリと右手を添えてそういった。

 

「…………ええ」

 

 真っ直ぐな視線を向けられ、たじろぐフィリア。

 居た堪れなさを覚えた彼女は、早々に会話を切り上げてしまった。まずはなにより、家主の兄上とやらに話を付けなければならない。

 

 少女は行動を始めようと椅子から腰を上げる。その時、部屋に新たな来訪者が。

 

「マリー!」

 

 リリエンタールが声を上げる。

 扉を開けて部屋に入ってきたのは、手足や髪の毛、身に着けているワンピースまでもが真っ白な女の子であった。

 

「リリエンタールがおそいから、ようすを見に来たの。……お姉さん、目がさめたのね」

 

 人見知りなのか、少女は手にした人形を抱きかかえ、照れた様子でフィリアを見遣る。

 マリーと呼ばれた少女と視線が合ったフィリア。すると、彼女の顔から音を立てて血の気が引く。

 

「な――あ――」

 

 驚愕の理由はマリーの容姿にあった。

 少女の後ろにある筈の扉が、身体越しに透けて見えている。

 マリーは実体を持たないかのように、全身が半透明なのだ。

 

「嘘……嫌……そんな」

 

 何らかのトリガーによる現象ではない。フィリアのサイドエフェクトは、直ぐにその理由を解き明かした。

 

「はっ! ちがいますぞフィリア! マリーはわるい()()()ではないのです!」

 

 リリエンタールが慌てたように語りかける。

 そう、幽霊。目の前の小さな女の子は、肉体を持たない本物の幽霊だというのだ

 

「――い、嫌! 来ないで! 私の側に近寄らないでッ!!」

 

 マリーの正体が明らかになるや、フィリアは全身を恐怖に戦慄かせ、狼狽も露わに大声で叫ぶ。

 そして衝動のままにテーブル上のコップを掴むと、マリー目がけて投げつけた。

 

「なわーーーー!!」

「きゃっ!!」

 

 リリエンタールが叫び、マリーが身を強張らせる。

 幸いにして、フィリアが投げつけたコップはマリーを傷つけることなく、身体を素通りして扉にぶつかった。

 だが、突如として凄まじい剣幕で怒鳴られたことに変わりはない。

 

「ッ――!!」

「マリーーー!!」

 

 マリーは我に返るや、一目散に扉を開けて部屋を出て行った。リリエンタールも、そんな少女を心配して追いかける。

 一人残されたフィリアは、荒い息を付きながら蒼白の表情で身体を震わせる。

 

「幽霊なんて……そんな……そんなものが、いるなら……」

 

 数多の人々を死に追いやってきたフィリアにとって、死者の霊魂が存在することはこの上ない恐怖である。

 それは死者に己が責め苛まれるからという理由だけではなく、救済と信じていた死後の安寧すらも否定されたに等しいからだ。

 

 やはり、己には一片の救いも残されてはいない。

 フィリアの全身に悪寒が走る。やがて震えはぞろりとした熱へと変わり、体を責め苛む。目の前が急に真っ暗になった少女は、膝から床へと崩れ落ちた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 蓮乃辺市は庭崎町にある日野家は、二階建ての母屋とガレージ、広い庭を有する一軒家である。

 世帯主は世界的に有名な学者夫婦だが、彼らは外国を飛び回っておりなかなか家には帰ってこず、暮らしているのは息子と娘の兄妹、そして最近新しく弟になった賢い犬と、その友人たちである。

 

 一癖も二癖もある変わった家族ではあるが、おおらかで優しい兄と、頑固ながらも面倒見の良い妹、そして素直で明るい弟は、街の住民からも大いに愛されている。

 しかし、そんな日野家の居間には現在、重苦しい雰囲気が立ち込めていた。

 

「あにうえ! フィリアはだいじょうぶですかな?」

 

 心配顔のリリエンタールが話しかけたのは、栗色の髪をした柔和な風貌の青年だ。

 

「うん。まだ熱はあるけど、今は落ち着いて寝てるよ」

 

 兄と呼ばれた青年は、足元に駆け寄る弟に落ち着いた声で説明する。

 

 昨夜、川へ身投げした少女を助けた日野一家。件の少女は先刻目覚めたのだが、同居人のマリーを目の当たりにするやひどく取り乱し、リリエンタールが再び部屋を訪れた時には昏倒していたのだ。

 極度の緊張状態と疲労、そして入水によって身体を冷やしたために、風邪をひいてしまったらしい。

 報せを受けた兄が介抱に向かい、ようやく居間へと戻ってきたのだ。

 

「それで、結局あの人なんなのよ。警察とか呼ばないの?」

 

 非難がましい声で兄に問うのは、ソファーに腰掛ける少女だ。長い黒髪を二つ結びにした目つきの鋭い彼女は、日野家の長女てつこ。カンフーが達者で、溺れたフィリアを助けた張本人である。

 

「う~ん、でも何か事情があるみたいだしなぁ」

「また兄貴はそうやって……いつまでも居座らせる訳にはいかないでしょ。ていうか危ない人だったらどうするのよ」

 

 のほほんと構える兄に、てつこは苛立ったように詰問する。

 てつこは兄とは違い、変わった出来事や奇妙な人間と関わりあいになるのを嫌う性格である。如何にも事情の有りそうな人間、それも自殺未遂者を家に泊まらせるなど、到底許容できないのだろう。

 

「危ない人だったら困るなあ。けど外は寒いし、風邪が良くなるまでは居てもらった方がいいと思うよ」

 

 だが、兄は平然と不審者を家に置くと宣言する。なおも納得がいかないてつこは、

 

「でもあの子、マリーにいきなりコップを投げつけたんでしょ?」

 

 と、先ほどのフィリアの暴挙を訴える。

 

「てつこだって、最初はマリーちゃんのことを怖がっていただろう? きっと混乱してたんだよ」

「うっ……それはそうだけど」

 

 兄に窘められたてつこは、なおも不服そうな面持ちでマリーを見遣る。

 真っ白な幽霊少女は人形のシャーロットを抱き抱え、深刻そうな表情を浮かべてソファーに座っている。

 

「へいきですぞマリー。きっとフィリアもすぐにマリーがやさしいおばけだとわかってくれるのです」

 

 そう慰めるのはリリエンタールだ。

 

「っていうかアンタは何でそんなにあの人を家に置きたがるのよ」

 

 一貫してフィリアの肩を持つリリエンタールに、てつこが呆れ顔で尋ねる。話を聞く限りでは、件の女は彼に決して友好的とは言い難い態度で接したらしい。すると、

 

「フィリアはねているあいだずっとくるしそうだったのです。きっとなにかたいへんなことがあったのです」

 

 と、リリエンタールは断固たる口調で答える。

 

「あんたねぇ……」

 

 お人好し極まる弟の返答に、てつこは額を抑えてため息をつく。

 

「何か困っていることがあったら、助けになりたいよね」

「さすがはあにうえ、ほんもののおとこなのです」

 

 さも当然の如くフィリアを助けると宣言する兄に、リリエンタールが尊敬のまなざしを向ける。すると、

 

「だから、事情があればちゃんと聞いておくべきだと思う。みんなも、それでいいね」

 

 突如として兄は居並ぶ面々へと語りかけた。

 

「え、兄貴どうしたのよ……」

 

 てつこが訝る間もなく、兄は居間の一画へと足を運ぶ。

 そこには、件の少女が身に着けていた衣類や装飾品などが丁寧に並べられている。兄はその中から、炊飯器ほどの大きさをした球状の物体を取り上げた。

 

 魚の尾ヒレのような突起のついたソレは、フィリアの所持品の中でも用途不明の物品として皆が首を捻っていたモノだ。

 しかし、兄は手にしたその球体を、慣れた手つきで弄り回す。

 すると、純白の表面に翠緑の輝線が走り、()()は再び目を覚ました。

 

「システムチェック完了」

 

 抑揚のない女の声が居間に響く。そして次の瞬間、球体は兄の手を離れ、ふわりと宙に浮きあがった。

 

「な、何よこれ!」

 

 警戒心の強いてつこはすぐさまソファーから立ち上がり、浮遊体を睨みつける。

 宙に浮いたソレは、瞳のように見える円形のくぼみを光らせると、

 

「……フィリアの容態はどうですか?」

 

 どこか切迫した様子で兄にそう尋ねた。

 

「……ちょっと兄貴、こいつなんなの?」

 

 突如として現われた奇怪な人物。しかし、日野家では不思議な出来事が起きるのは珍しいことではない。

 てつこはどうやら面識があるらしい兄に、非難めいた視線を送る。

 

「ああ、こちらはヌースさん。あの子、フィリアさんの保護者の方だよ」

 

 と、兄は事も無げにそう話す。

 

 昨夜保護した少女の荷物の中にあった、見慣れぬ球状の物体。

 機械工学者として天才的な才能を持つ兄は、すぐさまそれが未知の機械装置であることに気付いた。

 水に浸かっていたこともあり故障していては不味いと、まったくの善意からその機械を調べた結果、偶然にもヌースを再起動させてしまったのだ。

 

 しかし、温厚な兄と理性的なヌースは特に諍いを起こすことも無く、互いの事情を簡単に話し合い、直ぐに打ち解けてしまった。

 お人好しの兄は、一先ずフィリアの体調が整うまで面倒をみることを約束する。

 ただ、家族の了解を得なければならないので、一度話し合いの席を設けることをヌースに約束させた。

 

「あなた方のご厚情に感謝します」

 

 フィリアは一度目を覚ましたものの、熱を出して寝込んでおり、今は容態が落ち着いていることを兄から説明されると、ヌースは日野家の面々に改めて礼を述べた。

 出来る事ならすぐさまフィリアに合いたいヌースではあったが、自分に何の相談もないまま自死を図った少女と対面するには決意が定まらない。

 

 兄から経過を聞いた限りでは、幸いなことに少女は衝動的な行動をとりかねない様子はない。しばらくは刺激せずに様子を見るべきだろう。

 

「勝手に感謝されても困るのよ。そもそもアンタたちは何なの? リリエンタール。アンタまた勝手に光ったりしてないでしょうね」

「おぶぶ、こころあたりはありませんが……」

 

 てつこは露骨にヌースに嫌な顔をすると、ソファーに腰掛けるリリエンタールを睨みつける。日野家で起こる不思議な現象は、おおかたこの犬が原因であるとの認識だ。だが、

 

「私たちは、こことは違う世界からやってきました。……我々は、あなた方の言う所の近界民(ネイバー)です」

 

 と、ヌースが淡々とした口調でそう告げる。

 

「な――」

 

 それを耳にするや、てつこは即座に腰を落として拳法の構えを取った。

 近界民(ネイバー)といえば、突如として異世界より現れ、隣町の三門市を壊滅に追いやった血も涙も無い侵略者である。

 

 人類の不倶戴天の敵が、我が家にいる。

 てつこは怖気を震うより先に、家族を守らねばと闘志を顕にする。だが、

 

「待っててつこ。ヌースさんの話を聞こう」

 

 と、今にも拳を繰り出しそうな妹を、兄が制止する。

 

「は? 何言ってんの兄貴。よりにもよって近界民(ネイバー)を家に上げるなんてどういうつもり?」

 

 だが、てつこは依然として鉄拳を構えたまま、ヌースを睨みつける。すると、

 

「ま、まつのですてつこ! このひとはまだなにもわるいことはしていませんぞ!」

 

 と、リリエンタールも擁護に回った。

 

近界民(ネイバー)ってだけで十分悪いのよ。あんたは知らないでしょうけど、こいつら大勢の人を殺したんだからね」

 

 けれど、てつこは一向に折れる気配が無い。

 三門市への近界民(ネイバー)侵攻時は、蓮乃辺市も大混乱に見舞われた。あの時の恐怖を実体験として覚えている以上、ヌースを易々と信頼することなどできない。フィリア共々捕らえて、即刻ボーダーに引き渡す。それがてつこの意見だ。

 

「ねえてつこ。わたしからもおねがい」

 

 その時、一触即発の剣呑な空気に割って入る声が。

 

「その人のお話をちゃんと聞いてあげて。どうするかはそれからでもいいとおもうの」

 

 てつこを諌めたのは、それまで沈黙を保っていたマリーだ。

 消え入りそうに儚げな幽霊少女は、けれど決然とした面持ちでそう頼む。

 フィリアに直接危害を加えられたはずのマリーにまで庇われれば、流石のてつこも節を折らざるを得ない。

 

「……少しでも怪しいと思えばボーダーに通報するからね」

 

 不機嫌そうに眉を寄せながらも、てつこは腕組みして拝聴の姿勢を取る。

 日野家の意思統一を確認すると、ヌースは静かに言葉を紡いだ。

 

「ありがとうございます。最初に申し上げておきたいのは、我々が玄界(ミデン)に――地球にやってきたのは、侵略ではなく亡命の為です」

 

 そうして語られたのは、少女フィリアの破壊と死、憎悪と絶望に塗り固められた半生であった。

 

「…………」

 

 どれほどの時間が流れたか。ヌースはフィリアが玄界(ミデン)へと辿りつき、そして自殺を図ったことまでを淡々と語り終えた。

 話を聞き終えた日野家の面々は、あまりの内容にしわぶき一つ立てることができない。

 

「フィリアは、あの子には、最早戦う意思はありません。玄界(ミデン)に被害をもたらす事はないでしょう。いえ、私があの子の心を正しく汲み取れているかは、今となってはわかりませんが……」

 

 自虐的な弁を述べたヌースは、皆から質問がないかを確認すると、次いで一つの要望を口にした。

 

「烏滸がましい要求なのは理解しています。ですが、なにとぞフィリアをもう少しこの家に置いてはくれませんか。身体が癒えるまでで結構です。不都合になるようなら、その後直ぐに立ち去ります。どうか……あの子が、あの子だけが、私の生きる全てなのです」

 

 ヌースの哀願に、ようやくてつこたちは顔を見合わせて息を付く。

 

「僕は構わないよ。落ち着くまで、いくらでもこの家にいてくれればいい」

 

 早速意見を表明したのは兄だ。相変わらず何を考えているか分からない温容だが、その言葉や態度には揺るがしがたい決意が秘められている。

 

「わ、わたくしめもさんせいですな!」

「わたしも、いいと思うわ」

 

 リリエンタールにマリーも、相次いで賛成票を投じた。

 もともと子供らしい鋭敏さでフィリアを案じていた二人である。ヌースの話が詳しく理解できたわけではないだろうが、ただならぬ事情を抱え、心身共に傷ついた少女を見捨てるつもりはまるでない。

 

「アンタたち、ちゃんと脳みそ使ってんの?」

 

 ただ、てつこだけが相変わらず慎重な立場をとっている。

 

「この人たちを保護すれば、面倒事がわんさかくるわよ。ボーダーも探し回ってるでしょうし、あのフィリアって子を狙って、近界民(ネイバー)がやってこないとも限らないじゃない」

 

 と、フィリアを日野家で保護するのは危険だと言う。

 平穏に憧れ、奇妙な出来事を嫌うてつこだが、別段情が薄い訳ではない。フィリアの境遇には多分に同情しているだろう。しかし、この件に関しては家族の安否が関わっている。意地っ張りだが家族を深く愛している彼女にとって、容易く受け入れられる話ではない。

 

「…………」

 

 ヌースは反論も嘆願も行わない。無理な依頼であることは百も承知である。日野家の皆が納得してくれなければ、無理を押すつもりはない。

 

「ご、ごしんぱいなく! わたくしめとマリーがせんぱいとしてめんどうをみるので!」

「そういう問題じゃないのよ」

 

 リリエンタールが力説するが、てつこに聞き入れるつもりはない。

 

「そのフィリアって子は方々で戦争してきたんでしょ? 色んな人から恨みを買ってるはずよ。第一、三門市の人だって近界民(ネイバー)を許しちゃいないわ。もしあの人を匿ってるのがばれたら、私たちだって危ないのよ」

 

 憤然と反論するてつこ。

 兄やマリーも諌めようとするが、正論の上に家族の安否を気遣っての上での発言だから、返す言葉が見つからない。

 重い沈黙が立ち込める。話が破談に終わりそうな予感が、皆の胸に芽生える。だが、

 

「――? それはちがいますぞてつこ。フィリアがまちにきたのはついきのう。わるいことをしたネイバーとはなんのかんけいもありませんぞ」

 

 リリエンタールだけが、心底不思議そうな表情でそう反駁する。

 

「な――アンタね……」

 

 真率な態度で尋ねられて、てつこも気勢を削がれる。すると、

 

「そうよてつこ。あの人は何もわるいことはしていないわ」

「そうだね。なのにとっても困ってるみたいだから、大変だよね」

 

 得たりとばかりにマリーと兄が援護する。

 

「ぐ……そんな事言ったって、私は認めないからね!」

 

 けれども、てつこは頑なにフィリアの保護を認めない。さらに頑なになって、首をぷいと背ける始末だ。

 

「てつこ……どうか、フィリアをおうちにすまわせてやってほしいのです」

 

 意地を張る姉を見て、リリエンタールが改めて頭を下げてそう頼む。

 

「ひとりぼっちでいるのはつらいのです。さびしくてもだれともおはなしできないし、どこにいってもぜんぜんたのしくないのです」

「…………」

 

 リリエンタールはその特殊な出自故に、日野家に来る前は監禁生活を強いられていた。

 そんな経験を持つ弟からの訴えに、てつこも怒気を納めざるを得ない。

 

「きっと、ネイバーの人にもいろいろなじじょうがあるとおもうの」

 

 そして、幽霊少女マリーもてつこの足元へと立ち、

 

「わたしはリリエンタールやてつこにあってすくわれたわ。だから、こまっている人がいたら、わたしもたすけてあげたいの」

 

 と、直向きに告げる。二人の無垢な瞳に見詰められたてつこは、

 

「……わかったわよ。でも、何か変なことやらかしたらすぐボーダーに突き出すからね」

 

 不満を隠さない口ぶりで、それでもフィリアらの受け入れを認めた。

 

「ありがとうございます」

 

 リリエンタールやマリーの歓呼の声を聞きながら、ヌースが改めて日野家の面々に世話になる旨と礼を述べる。

 これで何とか、フィリアを休ませてやることができる。

 

 だが、肝心の少女の心の傷は、どうすれば癒すことができるのだろうか。

 所詮機械人形でしかない己には、人の心を理解することはできないのではないか。沸き起こる無力感が、ヌースをじわじわと蝕んだ。

 

 

 

 

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