WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の七 心の世界

 それが発見された物なのか、開発された物なのかは定かではないが、ある研究所にとある装置があった。

 

 人の意識。すなわち「心」を現実世界に作用させるという超常的な機能を有するその装置は、「RD(リアライズデバイス)」「現実化装置」の名を与えられ、日夜研究が進められた。

 だが、RD(リアライズデバイス)が余りに強大な力を持つことが分かると、研究者たちはその力の悪用を恐れ、途轍もない方法で装置の隠匿を図った。

 

 それは、装置そのものに命を与え、追っ手を欺くという奇策。

 命を与えられたその装置は、紆余曲折を経た後、日本のとある家庭に引き取られ、新しい生活を始めることとなった。

 

「あ、あわわ、またやってしまったのです!!」

 

 小さな手を口に当て、失態にわなわなと身体を震えさせているのは、二足歩行の黄色い犬、リリエンタールだ。

 彼の内側に宿るRD(リアライズデバイス)は、周囲の人間の心の変化を感じ取り、それを実体として様々な形で現出させる。

 

 困るのは、リリエンタール本人に装置の制御ができないことだ。しかも発動だけではなく、それによって実体化した人や物品、通称「イメージ体」も、独自の意思を持ち、決してリリエンタールの意のままにならない。

 

 犬が光ると、不思議な出来事が起こる。

 それが日野家で時々起きる、変わった日常の一コマであった。だが、

 

「ちょ……これ、ヤバいんじゃないの……」

 

 肝の据わったてつこでも、流石に冷や汗を流す。

 

 過去に、リリエンタールが産み出したイメージ体が引き起こした騒動は数多くあった。また、心象世界そのものを生み出してしまい、脱出に苦労する羽目に陥ったこともある。

 人間の心の産物たるイメージ体は、健全な精神で用いればどこまでも便利で素晴らしい物が生まれるが、悪しき心に反応すれば際限なく獰悪な現象が現れる。

 

 以前、内罰的な思いからイメージ体を生み出してしまったてつこだからこそ分かる。

 広大な草原を埋め尽くす数千ものトリオン兵。武器を手に喊声を上げている人影も数百人はいようか。

 

 ありとあらゆる人間と器物が、ただひたすらに破壊と殺戮に没頭する地獄絵図。

 どれほど病んだ心なら、この破滅的な光景を生み出すことができるのか。

 てつこは蠢く近界民(ネイバー)より、それを生じた心の闇に戦慄する。とその時、

 

「こ、これって近界民(ネイバー)!?」

 

 ゆきが恐怖に上擦った声を出す。春永家の姉弟に紳士らはフィリアが近界民(ネイバー)であることを知らない。困惑も当然だろう。が、

 

「こいつらを呼び出した犯人って、どう考えても……」

 

 怜悧な頭脳を持つ少年さくらは、直ぐに原因がフィリアだと気付いた。

 日野家と春永家の面々は詳細な近界民(ネイバー)の知識を持ち合わせていない。裏社会の人間である紳士らなら可能性はあるだろうが、彼らも降って湧いた事態に驚愕している。

 

 消去法で行けば、この心象世界を作り出したのはフィリアとなる。

 そもそも、彼女の叫び声に反応してリリエンタールが光ったのだから、まず間違いない。が、犯人が分かったからと言ってどうにもならない。

 

「ちょ、ちょっとどうするのよ!」

 

 てつこの叫びは、その場に居合わせた面々の総意であった。

 眼下のトリオン兵らは闘争に夢中で、未だ彼女らに気付いた様子はないが、一たび狙われてしまえば、広大な草原の何処にも逃げ場はない。

 三門市を襲った近界民(ネイバー)禍を知らぬ者はいない。化け物の巣にいきなり放り込まれたも同然である。生還の可能性は絶無に近い。

 

「これは……不味いですね」

 

 珍しくも紳士が真剣な表情で苦言を呈し、

 

「お兄さん。わんちゃんの能力への対処法は……」

 

 と、兄と善後策を協議しようとする。だがその時、

 

「何か来るッスよ!」

 

 ロン毛が警告を発する。

 途端に凄まじい地揺れが起こり、土中から巨大な何かが姿を現した。

 突如として草原に出現したのは、太さは三十メートル、長さに至っては数百メートルを超す純白の塔であった。

 

 否、それは塔ではない。鳴き声の如き奇妙な駆動音と共に、先端部が大きく裂けた。その亀裂は巨大な口である。口腔には単眼が収まり、頭部には一対の角に似た機関が生えている。

 近界(ネイバーフッド)の軍事大国、狩猟国家ノマスが作り出した最大最強のトリオン兵カーラビーバが、フィリアの記憶を基に顕現したのだ。

 

「みんな伏せて!」

 

 兄が叫ぶ。カーラビーバは数キロにも及ぶ長大な蛇体をくねらせ、トリオン兵やトリガー使いらを引き潰しながら一直線に丘へとやってくる。

 逃げなければならないが、激震に立ち上がることもできない。

 

 丘へと辿りついたカーラビーバが鎌首を擡げた。巨体が天を覆い隠し、不気味な影が頭上に落ちる。

 何の感情も窺わせない単眼に睥睨され、皆が死を覚悟した。

 

 だが、その中で独り佇立する人影が。

 

 昂然と顔を上げ、巨大トリオン兵に真っ向から対峙するのはフィリアだ。

 しかし、どこか様子がおかしい。少女は死を齎す大蛇を陶然と見つめ、口の端には微笑さえ浮かべている。

 フィリアはカーラビーバに近づくように静々と歩を進め、地に伏せる一同から距離を取る。そして丘の端へと至った時、

 

「あぶない!」

 

 マリーの悲痛な声が響く。

 カーラビーバが頭を直下に振りおろし、大口を開けてフィリアを呑み込んだのだ。

 

「の、のわああぁぁぁ!!」

 

 リリエンタールが絶叫と共に走り出そうとするが、てつこに襟首を掴まれ引きとめられる。桁違いの質量を持つトリオン兵は、近付くだけで命の危険がある。

 カーラビーバが再び首をもたげると、丘の表面がごっそりと抉り取られている。フィリアは土砂と共に、あの大蛇に呑み込まれたのだ。

 

「よくもフィリアを! はきだせいはきだせい!」

 

 尚も憤激してカーラビーバを怒鳴りつけるリリエンタール。

 口を閉じた大蛇は彼らに見向きもせず、ゆっくりと方向転換して丘から離れ始めた。他のトリオン兵を轢殺しながら、大蛇は悠々と草原の彼方へと消え去る。その進行方向にうっすらと見えるのは、人工物と思しき真っ白な壁だ。

 

 草原の海に浮かぶ小島のようなそれは、巨大な城郭都市であった。

 堅牢な城壁に取り囲まれ、天高く聳える教会を頂くその街は、

 

「聖都……」

 

 成り行きを見守るしかなかったヌースが呆然と呟く。

 

「ねえ……これが、フィリアのいたばしょなの?」

 

 マリーの問いかけに、皆が改めて眼前に広がる光景を眺める。

 陽光を浴びて燦然と輝く都市に、彼方まで広がる美しい草原。そしてそれらに完膚なきまでに蹂躙する人々と戦闘兵器の姿。

 想像もしなかった近界(ネイバーフッド)の凄惨な有り様に、誰も言葉を発することはできなかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 カーラビーバが完全に姿を消し去ると、リリエンタールたちは今後の相談を始めた。

 奇妙なことに、草原を埋め尽くすトリオン兵らは彼らに見向きもせず、丘の上へと登ってくる気配はない。下手に動かなければ一先ずは安全とみられた。

 

 ただ、トリオン兵らは互いに激しく争いながらも、一向にその数が減らない。どうやら次々に新手が顕現しているらしく、共倒れは期待できそうにない。

 

「それで、あのフィリアって人は何なんだ? それにこっちの炊飯器みたいなのも……」

 

 事情を知らない春永家のさくらが問いかける。

 

「私からも、現状について質問があります」

 

 また、リリエンタールの力を知らないヌースも、降って湧いた事態に疑問を呈する。

 

「わかった。ちゃんと説明するよ。みんなで知恵を出し合おう」

 

 双方を良く知る兄が、取りまとめ役を買って出た。明瞭ながらも簡潔に事情を伝え、お互いの情報を共有させる。

 

「なんだか妙な人だなとは思ってたけど……まさか近界民(ネイバー)さんだったなんて」

 

 明かされた事実にゆきが絶句する。そしてヌースも、

 

「精神の具現化……俄かには信じがたい話ですが、観測機器が用を成さないのも頷けます」

 

 と、物理法則を超越したリリエンタールの力に驚愕する。

 

「なるほど。ではこの世界を作り出したのは、やはりフィリア嬢で間違いなさそうですな」

 

 と、紳士が話を本筋に戻す。如何にしてこの危険な空間から脱出するか、手立てを考えなければならない。だが、

 

「はなしあいをしているばあいではないのです! はやくフィリアをたすけにいかなくては! のんびりしているとしょうかされてしまうのです!!」

 

 と、興奮したリリエンタールが口を挟む。

 

「落ち着けよ。この世界がなんともないんだから、まだあの人も無事だろ」

 

 居ても立っても居られないと騒ぐ犬を、さくらが冷静に窘める。

 

「そもそも、どうすりゃ元の世界に戻れるのか考えねえと。闇雲に動くとよけい危ないぞ」

 

 と、少年らしからぬドライさで議事を進行する。

 リリエンタールが産み出したイメージ体を消すには、通常二つの方法がある。

 

 まず一つは、具現化した心象の持ち主が心を改めることである。現在の場合だと、騒動の原因であるフィリアが改心すれば、精神世界を消し去ることができる。

 ただし、人間の心というのは頑なで、なかなか思うように制御できるものではない。仮に彼女を見つけて説得したとしても、上手くいくかは疑念が残る。

 

 そしてもう一つの方法。こちらは遥かに簡単で、フィリアの精神を具現させているリリエンタールの意識を無くしてしまえばいい。

 

「は! そうですてつこ。わたくしめをなぐるのです!」

「馬鹿言ってんじゃないわよ!」

 

 名案だとばかりに頭を突き出すリリエンタールに、目を三角にして怒鳴るてつこ。だが、

 

「それでちゃんと元に戻れるんならいいんだけどな……」

 

 さくらは険しい表情で呟く。

 リリエンタールの失神によるイメージ体の喪失は、実の所余り例が無い。一旦生み出されたイメージ体が、リリエンタールの睡眠中も元気に動き回っていることは珍しくもない。マリーがその実例だ。

 

 加えて今回のケースのような精神世界そのものが具現してしまった場合、強制的に崩壊させても安全なのか保証が無いのだ。

 

「今まではどうだったんだ」

「えっと……」

 

 騒動に巻き込まれた経験が一番多いてつこに、さくらが尋ねる。

 

「やっぱり、基本的には原因になった人の心をどうにかするしかない……と思う」

「そうか……」

 

 やはり、一同が無事に現実世界へと帰還するには、フィリアを改心させるのが最善の手段というのが結論となった。

 

「ではすぐにゆきましょうぞ!」

 

 方針が少女の捜索、救出と決まると、リリエンタールがそう急き立てる。

 だが、誰も動き出そうとはしない。

 あの巨大蛇、カーラビーバを追いかけるには、トリオン兵が蠢く草原を抜けなければならない。

 

 近界(ネイバーフッド)の殺戮兵器群は今の所一同を無視しているが、目を付けられれば一溜まりもなくやられてしまう。また、例え攻撃を受けなくとも、無秩序に暴れ回るそれらの側を進むのは非常に危険だ。

 そして仮に草原を抜けられたとしても、怪獣のような大蛇を相手に、果たして少女を助け出すことができるかどうか。

 

「なにか、上手い方法はないかな……」

 

 兄がそう呟く。皆も思案するが、やはりそう簡単には思いつかない。すると、

 

「……皆様は此処に居てください。私があの子の所へ参ります」

 

 と、ヌースがそう宣言する。

 

「皆様には多大な迷惑を掛け、謝罪の言葉もありません。……元を正せば、私たちが招いた危局です。私だけなら、トリオン兵を避けて街まで行けるでしょう。カーラビーバに対処できるかは分かりませんが……とにかく、皆様をこの世界から解放するよう、あの子を探して説得してみます」

 

 ヌースは覚悟を秘めた声で、居並ぶ人々にそう告げる。だが、

 

「いや、僕たちも行くよ?」

 

 さも当然のことのように、兄がそう言う。

 

「ちょ、兄貴! 自分が何言ってるか分かってんの!?」

 

 すかさずてつこが抗議するが、

 

「もちろん危ないのは知ってるよ。でも此処に居ても事態は収まらないし、フィリアさんは可哀想だし――何より、僕らの弟は行く気満々だからね」

 

 兄は恬然とした態度で受け流す。

 

「そ、そうですあにうえ! フィリアこそいちばんたいへんなのです! みんなでちからをあわせれば、きっとたすけられるのです!」

 

 兄に心情をずばりと言い当てられて、喜色満面となったリリエンタールが気焔を上げる。

 

「……わたしも行くわ。少しでも、力になれるかもしれない」

 

 それまで聞き役に徹していたマリーも、決然と意思を表明する。

 

「ふむ。わんちゃんが行くのなら、ライバルたる(わたくし)も後れを取る訳にはまいりませんな」

「マジすかウィルバーさん」

「女性の危機に手を束ねているようで、紳士を名乗れるかな?」

 

 話が纏まると見るや、紳士にロン毛も参加を表明した。とはいえ、

 

「いや、具体的な問題は何も解決してねーぞ……」

「え、私はどうしようかな。あ、でも此処に残ったほうが危ないのかな」

「勢いだけじゃどうにもなんないでしょ」

 

 さくらとゆきは未だに不安そうな表情をしており、てつこも慎重論のままだ。何も有効な手立てが考え出せていない以上、当然の反応だろう。しかし、

 

「ヌースさん。この間から話していた件、実行できないですかね」

 

 と、兄が唐突にそんなことを言い出した。

 

「それは可能ですが……しかし、動くかどうかも怪しいのですよ?」

「大丈夫。設計図通りなら動きます。細かな調整はこの場でしますので」

 

 ヌースと兄が何事か相談を始める。訝しむばかりの一同だったが、

 

「すみません。皆様のトリオンをお借りしたく思います」

 

 と、唐突に呼び集められ、訳も分からないままヌースに生体エネルギートリオンを供出することになった。そして、

 

「これだけあれば……いけます」

 

 ヌースがそう呟くや、草原に異変が。

 地面から緑色の燐光が発するや、見る間にその光が輪郭を作っていく。

 虚空に突如として現われたのは、ワゴン車ほど大きさの胴体に翼を付けた、小さな飛行機械である。

 

「よし。フライヤー28号そのものだ」

 

 兄は興奮した様子で珍奇な乗り物の中に入ると、ヌースと共に早速内部を弄り始めた。

 

「な――何よこれ!」

 

 てつこが頓狂な声を発する。

 兄が考案した飛行機械を、ヌースがトリオンで作り出しただけなのだが、知らぬ人間からすれば魔法のように見えるだろう。

 

 日野家の兄は、十代前半で大学を飛び級で卒業した、機械工学の天才である。

 フィリアを保護し、心身の回復を待つ間、彼は持ち前の知的好奇心を存分に発揮し、ヌースから近界民(ネイバー)の持つトリガー技術を存分に教わった。

 

 それだけでなく、彼は少女のことで塞ぎこむヌースを元気づける為、地球の技術を惜しみなく教授した。その折に、兄が趣味にしている飛行機械の作成に、トリオンを用いることはできないかという話が出たのだ。

 

「できた! これで飛んでいこう。さ、みんな乗って!」

 

 兄は信じがたいほど迅速な手際で各種調整を終えると、外で待っていた皆に声を掛けた。

 そして動力機関を起動させると、軽やかにフライヤー号が垂直離陸する。

 丘を飛び立った一同は、地上の惨状を尻目に一路聖都を目指す。と、

 

「……感謝に堪えません」

 

 操縦席に座る兄に、ヌースが声を掛けた。

 

 実の所、フィリアが抱えていた心の闇をまざまざと見せつけられたヌースには、少女を説得する自信はまるでなかった。

 自分一人が行くと言い出したのも、無関係の人間を危険から遠ざけようとの考え以上に、少女の最期に寄り添いたいという思いの方が強かったからだ。

 

 にもかかわらず、彼らは一丸となってフィリアを救おうと動いている。

 それが生き延びる為だとしても、彼らは一言半句もフィリアとヌースに悪意を吐かない。

 

 この善き人々の声なら、或いは絶望の淵に沈んだ少女にも届くかもしれない。

 一縷の希望を見出したヌースは、赤心より彼らに謝意を述べる。すると、

 

「フィリアさんを心配する気持ちはよく分かります。――僕も、兄ですから」

 

 兄は朗らかに笑ってそう応じる。

 フライヤー号はさらに速度を増し、放たれた矢のように蒼天を突き進んでいった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 近付くにつれ、聖都の威容が徐々に鮮明になっていく。

 草原の彼方に霞んでいた城壁は、今や大地を截然と隔てる白亜の長城となり、その内側には優美な街並みがどこまでも広がる。

 

 別けても荘厳華麗な建物は、小高い丘の上に聳える大聖堂であった。

 陽光を受けて燦然と輝く大聖堂は、見る者に自然と畏敬の念を抱かせてしまう神秘的な美しさがある。

 裾野に広がる街と合わせれば、まるで完成された一枚の絵画のようだ。

 

 だが、その麗しい都市には似つかわしくない異形の姿が。

 超巨大トリオン兵カーラビーバが、都市を蹂躙し大聖堂を頂く丘に巻きついているのだ。カーラビーバは大聖堂を守るように鎌首を擡げ、油断なく周囲を睥睨している。

 

「ぐむむむ……」

 

 怪獣映画も斯くやという光景に、リリエンタールが眉間に皺を寄せて唸る。フィリアを呑み込んだ怪物に憤っているのだろう。

 

「あいつ、何であそこに陣取ってんだ? あの建物に何かあるのか……」

 

 冷静にそう指摘するのはさくらだ。眼下で相争うトリオン兵とは異なり、カーラビーバの行動にある種の意思が感じられることを訝しんでいる。

 

「きっと大丈夫。みんな一緒に帰れるよ」

 

 持ち前の明るさでリリエンタールとマリーを元気づけているのはゆきだ。

 予断を許さない状況が続くが、今の所フライヤー号は問題なく飛行を続けている。一時はどうなる事かと思ったが、皆の顔にも余裕が戻り始めている。

 

「うーん。後はどうやってフィリアさんを助けるかだなぁ」

 

 操縦席で首を捻るのは兄だ。目標のカーラビーバまで辿りついたところで、あの怪獣の腹から少女を助ける難題が残っている。しかも、ヌースの話によればカーラビーバは全身に強力な火器を搭載しており、一国の軍隊にも匹敵する攻撃力を持つと言う。

 

「カーラビーバの目的が分かりません。聖都の城壁沿いに旋回して様子を窺いましょう。アレが攻撃体勢を取れば、即座に離れられるようにしてください」

 

 ヌースが兄に助言する。

 トリオン兵を顕現させたのがフィリアであるなら、カーラビーバが大聖堂から動かないのも何らかの意味がある筈。

 フライヤー号はいよいよ聖都へと近づいた。あと数分で、城壁の内側へ入ることができるだろう。

 

「がんばるのですぞ、すぐたすけますゆえ!」

 

 リリエンタールが鼻息荒く意気込む。とその時、

 

「――敵が来ます!」

 

 ヌースが叫んだ。

 聖都の上空に、放電音と共に数多くの(ゲート)が開く。

 そこから現れたのは、イルガー、バド、レイといった飛行トリオン兵の群れだ。

 

「な、ここまで何ともなかったのに!」

「近寄ったのが不味かったのか」

 

 てつこが憤慨し、さくらが冷や汗を流す。

 蒼空を泳ぐトリオン兵の群れは、明らかにフライヤー号目がけて進んでいる。それどころか、

 

「うわ! 撃ってきた!」

 

 兄の声と共に、機内が大きく揺れる。

 トリオン兵バドが、フライヤー号に射撃を浴びせかけてきたのだ。

 

「みんなしっかり掴まって!」

 

 兄は操縦桿を握り、右へ左へフライヤー号を旋回させ、弾丸を回避する。

 そしてそのまま都市から距離を取る。幸い、飛行速度はフライヤー号が圧倒的に上回っている。トリオン兵の弾丸もそこまで長射程ではないので、引き離せば安全だ。だが、

 

「下からも撃ってきてるわよ!」

 

 てつこの焦り声が機内に響く。

 相争っていたはずのトリオン兵やトリガー使いたちが、一斉にフライヤー号に猛烈な攻撃を加え始めたのだ。

 

「一旦退避を! とにかくカーラビーバから離れてください!」

 

 ヌースがそう命じる。フィリアの事は気がかりだが、巻き込まれた彼らの安全が最優先だ。接近したのが迎撃の理由なら、離れれば攻撃も弱まるかもしれない。しかし、

 

「そ、外に何かいるよ!」

「翼に取りつかれたッス!」

 

 ゆきとロン毛が悲鳴を上げる。

 見れば、四本の腕を持った二本脚のトリオン兵クリズリが、フライヤー号の左主翼にしがみついている。地上からスラスターで飛翔し、直接飛行機に襲い掛かったのだ。

 汎用型とは一線を画す戦闘力を持つクリズリが、フライヤー号の主翼を紙のように引き裂く。

 途端に、機体がバランスを崩して錐揉みに落下し始めた。

 

「きゃああああ!」

 

 機内に悲鳴が響く。兄は必死にフライヤー号を安定させようとするが、翼を片方もぎ取られてはどうしようもならない。

 フライヤー号は数百メートルの高さから、地上へと叩きつけられた。

 

 トリオンで作られた器物は物理的な衝撃には極端に強い。地上へと墜落したフライヤー号は、ほぼ完全に原型を保っていた。

 だが、それで機内の衝撃が和らいだわけではない。搭乗者の生存は絶望的かと思われた。とその時、

 

「おぶぶ、もうだめかとおもったのです」

 

 情けない呟きが、機体の中から聞こえる。

 次の瞬間、機体の壁からひょっこりと生首が突き出た。半透明に透けているのはリリエンタールである。

 

「ちょっと、危ないから勝手な行動するんじゃないの!」

 

 犬が中へと引き戻されると、今度はてつこの生首が壁から生える。

 

「今の所大丈夫。みんな外に出て!」

 

 次から次へと壁を抜けて草原へと出てきた搭乗者は、全員身体が透けているものの、外傷を負った様子はない。

 墜落が不可避と悟るや、マリーが機転を利かせて皆を幽霊化させたのだ。幽霊状態であれば物理的な干渉は無効化できるため、皆怪我一つなく着陸することができた。

 

「いやぁ、本当に間一髪でした」

「ふつーに死んだと思ったッス」

 

 紳士とロン毛が最後に機体から飛び出した。日差しに曝されたことで幽霊化は解けてしまったが、全員無事に機体からの脱出は成功だ。

 

「ありがとうマリー。お蔭で助かったわ」

「ううん。みんながぶじでなによりよ」

 

 てつこや皆から感謝され、マリーが透き通る笑顔で答える。だが、

 

「さすがに羽がなくなっちゃうと、修理は難しいなぁ……」

 

 フライヤー号の残骸を一目見て、兄がそう嘆息する。カーラビーバへ近づくための唯一の手段が潰えてしまった。善後策は容易に思いつかない。

 

「議論は後です。皆様、直ぐにこの場を離れましょう」

 

 と、ヌースが緊迫した様子でそう言った。

 聖都からはかなり離れた位置に落下したが、草原にはトリオン兵らがひしめいている。一刻も早く身の安全を確保せねばならない。その時、

 

「――走って下さい! 早く!」

 

 ヌースがそう叫ぶ。彼女のセンサーが接近する敵影を捕らえたのだ。

 車ほどの大きさをした甲殻虫の如きモールモッドに、家屋ほどの大きさの巨大蜥蜴バムスターが、地響きを立てて墜落現場に殺到する。

 

「ま、不味くないこれ!」

 

 てつこらは懸命に駆けだすも、表情には恐怖と混乱がありありと浮かんでいる。

 尚もトリオン兵は四方から陸続と押し寄せる。このままでは直ぐに捕捉されてしまう。

 

「判断を、誤りましたか……」

 

 てつこらを先導するヌースが、悔恨と共に呟く。

 

 まさか、フライヤー号がここまで容易く落とされるとは想定していなかったのだ。

 この世界のトリオン兵は、リリエンタールが産み出したイメージ体である。故に、トリオンで作られたフライヤー号は防御力で優越すると早合点してしまった。

 フライヤー号の作成に内蔵トリオンは殆どを使い切ってしまった。今のヌースは手駒のトリオン兵を作り出すどころか、シールドを張る事さえ可能か怪しい。

 

「く……」

 

 理論的な思考を行うはずの自律型トリオン兵が、思わず苦悶の声を上げる。

 限界まで人工知能を稼働させるが、事態打開の妙策は見つからない。

 

「だ、駄目! 回り込まれてる!」

 

 てつこが叫ぶ。トリオン兵にトリガー使いらは、既に一同を完全に包囲してしまった。

 このままでは、リリエンタールたちが殺されてしまう。

 

 彼らは行くあての無かったフィリアとヌースを受け入れ、我が事のように親身に助けてくれた。人間の善性を体現したかのような人々が、悪意の具現たるトリオン兵の手に掛かる。絶望の光景を想像すると、ヌースは我知らず叫んでいた。

 

「誰か、この人たちを助けて下さい!」

 

 ――群がり来るトリオン兵の一団を、漆黒の巨腕が薙ぎ払ったのは次の瞬間であった。

 

「え……」

 

 忘我の呟きは、誰の口から発せられたか。

 

 転瞬、トリオン兵の包囲網の一画に、灼熱の火球が生まれた。

 大地で爆ぜた火球は大輪の花を咲かせ、密集していた敵兵を凄まじい熱量で跡形も無く焼き払う。

 

 次いで、リリエンタールらは周囲に霧のようなものが立ち込めていることに気付いた。

 その霧に立ち入るや、敵のトリオン兵らは困惑したように歩みを止め、動きが極端に鈍くなる。

 

「ああ……」

 

 ヌースが思わず感嘆を漏らす。

 

 リリエンタールが産み出す精神世界では、強い思いは何にも増して力を発揮する。

 心から祈れば、願いは必ず叶うのだ。

 

 そして、心を持つのは人間だけではない。

 命を持たぬ機械人形とはいえ、娘を思う母から生み出され、そして自らも家族に惜しみない愛情を注ぎ続けてきた彼女に、どうして心がないと言えようか。

 

 今、ヌースの切なる願いを聞き届け、最強の軍団が精神世界に顕現する。

 

 猛々しくも流麗な、白亜の鎧に身を包んだ騎士たちが、リリエンタールらを守護するように大地へと降り立つ。

 数十、数百と数を増すイリニ騎士団のイメージ体は、武器を掲げてトリオン兵の群れへと突撃を仕掛けた。

 

 

 

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