WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の八 罪に追われて

 白亜の鎧を纏った騎士たちが、猛然とトリオン兵らを駆逐する。

 雲霞の如く湧き出す敵兵らを、斬り捨て、撃ち抜き、叩き伏せ、一匹たりともリリエンタールたちの側に寄せ付けない。

 

 突然現れた剽悍無類の騎士たちに、一同は安堵より先に疑念を抱く。どうやら味方らしいことは分かるが、何者なのかは誰も知らないのだ。

 

「安心してください。彼らは私の心が産み出した存在、我々を護ってくれます」

 

 と、ヌースが説明する。

 

「彼らはエクリシアの騎士。……かつてのフィリアの同胞たちです」

 

 騎士は鉄壁の陣を敷き、一同を重厚な盾で護る。小型トリオン兵の一匹、流れ弾の一発すら通さない。

 

「彼らが護衛してくれます。この場を離れましょう」

 

 皆に怪我がないことを確認すると、ヌースがそう提案する。が、

 

「ふむ? フィリアのところにいくのではないのですかな?」

 

 と、リリエンタールがさも不思議そうに問う。

 

「ライトニングみつひこのような、りっぱなせんしがたすけてくれるのです。これでひゃくにんりきなのです」

「ですが……」

 

 あくまで一同の避難を優先しようとするヌースに、リリエンタールは昂然と打って出るべきだと主張する。

 

「私の内蔵トリオンは底を尽きかけています。あなた方をフィリアの元まで連れていけるかどうか、自信がありません」

 

 と、ヌースは否定的な反応を示す。

 確かにイメージ体の騎士は強力な戦力だが、彼女にはまったく戦闘力が残されていない。聖都までは目算十キロメートル以上あるのに、足代わりのトリオン兵すら作り出せないのだ。

 

 しかし、リリエンタールはその説明を聞くと、

 

「それならば! よし、でばんですぞごむぞう!」

 

 首に提げた巾着袋から、真っ黒なゴム風船を取り出すと、それを膨らませ始めた。

 

「アンタごむぞう連れて来てたの!?」

 

 てつこが呆れた声を出す。

 リリエンタールがゴム風船を膨らませると、なんとそれは身の丈二メートルを優に超える一つ目の巨人へと変身する。

 

「モギュー!」

 

 と、奇怪な声で鳴くこの巨人は風船兵士13号。息を吹き込んだ人間に忠誠を誓う魔法の風船である。

 ひょんなことからリリエンタールによって生み出されたこの巨人は、彼にごむぞうの名を与えられ、相棒として日野家に住むこととなった。

 いつもは家で留守番をしているごむぞうだが、今夜は年越しを一緒に過ごそうと考えたリリエンタールが、空気を抜いて懐に入れていたのだ。

 

「ごむぞう、「ながいうま」モード!」

「モギュー!」

 

 リリエンタールが一言命じるや、ごむぞうはその巨躯をぐにゃりと変形させ、バナナボートに四本足を生やしたような姿へと変身する。

 

「みんなごむぞうにのるのです!」

 

 一見奇怪な姿に見えるが、この形態のごむぞうは馬並の速さで駆けることができる。それを知る日野家の面々は、速やかにごむぞうへと騎乗する。

 二メートル半ばの体躯に、リリエンタールとマリー含め八人が何とか乗りきった。

 

「こんなんなにんむだが、おまえならきっとやれるのです!」

 

 と、リリエンタールの激励を受けてごむぞうが走り出す。

 

「……皆様。本当にありがとうございます」

 

 兄に抱えられたヌースは、彼らの好意に只々感謝するばかりだ。そして、

 

「行きましょう。あの子の所へ!」

 

 ヌースが決然と言い放つと、数百の騎士たちが一斉に敵陣へと突撃を仕掛け、見事に前途を切り開いた。

 

 疾風のように草原を進み、聖都まで邁進する一同。

 騎士団は凄まじい働きで立ちふさがるトリオン兵を噴き飛ばし、追い縋るトリガー使いを食い止める。

 

 別けても凄まじい活躍を見せているのが、上空から強烈な火砲で敵陣を焼き払う「灼熱の華(ゼストス)」と、格闘戦で群がる敵兵を一蹴する巨大な双腕「金剛の槌(スフィリ)」、霧によって多数の敵兵を混乱させる「光彩の影(カタフニア)」。これら(ブラック)トリガーを基にした三人の騎士たちだ。

 

 度外れた騎士たちの戦いぶりに一同は驚愕を隠せない。近界民(ネイバー)同士の戦争がここまで激しいとは思ってもみなかったのだろう。

 とはいえ、直接弾が飛んでくる訳でもないため、ごむぞうの背に跨る皆は、比較的のんびりと雑談を交わしたりしている。

 

「えっと、じゃあ、失礼しますねお兄さん」

「ごめんねゆきちゃん。落ちると危ないから、しっかり掴まってて」

 

 ゆきは頬を赤く染めて、前に座る兄の背にしがみ付く。大変な状況だが、思い人とスキンシップができてご満悦の様子だ。そして、

 

「にしても、何でこいつら襲い掛かってきたのかしら」

 

 と、愚痴るのはてつこだ。

 

「さっきまでお互いに喧嘩してたのに、いきなり私たちを狙うなんて……」

「そりゃあ、俺らがあの人を助けようとしてるからだろ」

「え……」

 

 その疑問に答えたのはさくらだ。

 明晰な頭脳を持つ少年は、戦場を冷静に観察しながら言葉を続ける。

 

「そもそも初めて会った時入水しようとしてたんだろ? 犬を光らせた一言だって内罰的だったし……この世界がどんな思いで作られたかは一目瞭然だろ」

「そんな、それじゃあ……」

 

 さくらの意見に、てつこのみならず皆が息を呑む。

 フィリアがこの世界を生み出したのは、再び自殺を図るためだと言うのだ。

 

「だから、あの人を助けようとする俺らを排除に掛かるんだ。しかも、どうも俺たちに本気で敵意があるって感じでもないらしい」

 

 トリオン兵は一同を殺害するのではなく、行動不能にしようとしているのではないかとさくらは主張する。

 大型トリオン兵は愚直に進路を塞ごうとするし、一同に直接襲い掛かろうとするのは、粘着弾を吐く犬型のトリオン兵ばかりだ。

 

「え、何言ってんの。飛行機落とされたじゃない」

「まあ完璧ではないんだろうけどな。……心から生まれたモノが思い通りにならないのは、お前が一番よく知ってんだろ」

「うっ……」

 

 さくらの指摘に、てつこは急所を突かれたように押し黙る。

 負の心から生まれたイメージ体の制御が如何に難しいか、てつこはその身を以て経験している。

 

「俺としちゃ、まだこの世界が崩れてない理由の方が気になるけどな」

「どういうこと?」

「さっきの理屈が正しけりゃ、この世界の近界民(ネイバー)はフィリアさんを狙うのが道理だろ。それが、あの大蛇は呑み込んだだけでまだ何もしていない。……きっと何か理由があるんだ」

 

 と、さくらが自説を述べる。

 この世界がフィリアの自殺願望によって生み出されたのなら、直ぐにその望みは叶えられて然るべきだ。

 にもかかわらず、精神世界は未だに健在である。フィリアが命を捨てるのに、何か手間取る理由があるのだろうか。

 

「まあ、考えてもわかんねえけど、たぶんそんなに時間は無えぞ」

 

 さくらがそう締めくくる。

 

「…………」

 

 少女の自死という願いを改めて突き付けられ、一同が重い空気に包まれた。

 この精神世界を見れば、彼女の自殺願望が如何に強いかは嫌でも分かる。果たして彼女の元に辿りつけたとして、どのような言葉を掛ければいいのか。すると、

 

「……でも、そんなのまちがってるわ。だって、フィリアはとってもやさしい人なのに」

 

 静かに話を聞いていたマリーが、思いを打ち明ける。

 

「シャーロットの服をなおしてくれたし、たくさんえほんもよんでくれたわ。……それに、よる私がねるときは、ずっとそばにいてくれるのよ」

 

 日野家に馴染んだとは言い難いフィリアであったが、マリーとリリエンタール、幼い二人には心を開いていたようで、何くれとなく世話を焼いていた。

 子供たちもまた、そんな彼女にとても懐いていたのだ。

 

「だからたすけるのです。じぶんをころしてしまうなんて、そんなかなしいことは、ぜったいにさせてはいけないのです!」

 

 マリーの想いを代弁するかのように、リリエンタールが決然と述べる。

 真率な言葉を受け、皆の思いが一つとなる。

 そしていよいよ、聖都の巨大な城壁がはっきりと見えてきた。だが、

 

「え? ちょっとこれ、何処にも入口無いじゃない!」

 

 と、てつこが焦り声で叫ぶ。

 見れば、聳え立つ純白の城壁には全く切れ目が無い。出入り口であろう巨大な門も完全に閉ざされ、蟻一匹通り抜けることもできなさそうだ。

 おそらく城壁をぐるりと回っても同じだろう。しかも、高さが数十メートルもあるため、壁を乗り越えるのも不可能だ。だが、

 

「問題ありません。このまま直進してください」

 

 と、ヌースが断言する。

 

 聖都に近づくにつれ、敵の数は増大している。騎士団は問題なく敵を防いでいるが、このまま敵の圧力が増せばどうなるかは分からない。また、城壁に近づいてしまえば逃げ場が制限される。進入路を探しているうちに磨り潰されかねない。

 

「進は必ず開けます。皆様、身を伏せて衝撃に備えてください」

 

 ヌースが言うが早いか、凄まじい光が彼らの上空を迸った。

 

「きゃっ! 今度は何よ!」

 

 気丈なてつこでさえも取り乱すほどの極光。まるで巨大な雷が真横に走ったかのような衝撃と轟音だ。

 天地を真っ二つに切り裂いた閃光が、白亜の城壁を直撃する。

 数瞬の内に光が収まると、城壁には巨大な風穴が穿たれていた。途轍もない出力のレーザーが、分厚い壁を焼き切ったのだ。

 

 いったい何が起きたというのか。てつこらは無意識に首を後ろに向け、原因を探る。

 すると彼らの後方上空には、十基の射撃ビットを円形に構えた騎士がいる。

 (ブラック)トリガー「劫火の鼓(ヴェンジニ)」のイメージ体が、彼らの道を切り開くために砲撃を行ったのだ。

 

「市街地に突入します。振り落とされないよう注意してください!」

「がんばれごむぞう! あとすこしなのです!」

 

 そしてついに、彼らは聖都の内部へと侵入を果たした。

 遥かに仰ぎ見るのは丘の頂に立つ大聖堂と、それを護る大蛇の姿。

 圧倒的な威圧感の怪獣を前に、リリエンタールらは今一度勇気を振るい立たせた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 大聖堂の門前広場。神の御家へと続く道に、一山の土塊があった。

 

「……ん……ぅ」

 

 赤茶けた土の山から見える、雪のように白い髪。

 土砂の山から起き上がったのは、カーラビーバに呑み込まれたフィリアだ。

 少女は数度咳き込み口の中に入った砂を吐き出すと、蹌踉として立ち上がる。

 

 遠くから風に乗って聞こえてくるのは、戦場の喧騒だ。

 眼前には荘厳な大聖堂が屹立し、さらに上空には怪獣の如き大蛇の姿が見える。

 

 だが、当のフィリアは身体に掛かった土を叩き落とす事さえせず、うすぼんやりと立ち尽くたままだ。

 虚ろな目は宙空を泳ぎ、何処にも焦点が定まらない。自分がここにいる理由すらも判然としない様子だ。

 

「っ……ぁ……」

 

 只でさえ磨耗した思考が、沸き起こるどす黒い感情によってさらに支離滅裂となる。

 

 何故自分がまだ生きているのか、理解できない。

 近界(ネイバーフッド)の縮図のような世界が顕現した時、少女は己の死に場所を見つけたと確信した。カーラビーバと対峙した時でさえ、待ち望んでいた死がようやく訪れると歓喜したほどだ。

 

 なのに、自分はまだ生きている。

 少女の脳裏に、過去の映像がフラッシュバックする。

 それは家族の最期であり、また酸鼻極まる戦乱の光景であり、そして己が為した罪業の記憶だ。

 

「う……あぁ……」

 

 悪寒に身を震わせながら、夢遊病患者のように歩き出すフィリア。大聖堂の大扉は開け放たれている。少女は炎に惹かれる羽虫のように、教会へと誘われた。

 鎌首を擡げるカーラビーバは、少女の動向にはまるで関心が無いかのように、虚空の彼方を睨んでいる。否、少女を教会に立ち入らすことこそが、怪物の目的であったらしい。

 

 大扉を潜ると、荘厳華麗な礼拝堂が広がっている。

 フィリアにとっては、騎士の叙勲を受けた栄光の場であり、母の臨終に立ち会った悲劇の地でもある。

 神聖で侵しがたい空気に呑まれ、少女の歩みがつと止まる。だがその時、

 

「可愛いぼうや

 愛しいぼうや

 あなたの枕に優しい夢を

 あなたの布団に素敵な星を

 銀の光が窓から差して

 金の光に変わるまで

 可愛いぼうや

 愛しいぼうや

 あなたに安らぎありますように

 あなたに幸せありますように」

 

 優美で儚げな歌声が、大聖堂に響いた。

 その曲は、遠い昔に幾度となく母が歌ってくれた子守唄である。

 厳粛な祈りの場にはどこか不釣り合いながらも、子守唄は優しく暖かな調べで、聞く者の心に染み入るようだ。

 だが、その歌を耳にした途端、フィリアの顔からは血の気が引き、恐怖に全身が戦慄いた。

 

「――あ、あぁ……」

 

 彼女は歌に怯えたのではない。歌声の主が誰であるかに気付いてしまったのだ。

 祭壇の上方に設置された巨大なステンドグラスから、七色の光が降り注ぐ。

 祭壇の前に背を向けて立っていたのは、白いドレスを身にまとった、艶やかな黒髪の女性である。

 

「うそ、そんな……」

 

 フィリアが狼狽も露わに頭を振る。だが、件の女性はその呟きを耳にしたかのように、歌唱を止めて振り向いた。

 絹のような長い黒髪に、濡れたような切れ長の瞳。形の良い鼻梁に、艶やかな唇。男女の別を問わず、見る者全てを虜にしてしまう魔性の美貌。

 それでありながら、仕草や声音は何処か子供然としていて、明るく邪気が無い。

 音楽と平和をこよなく愛し、戦争をついに許容することができなかった女性。

 

「なんで、……なんで、あなたが……」

 

 フィリアが呆然と呟く。

 

「まあ、フィリア様! 大きくなられましたね」

 

 かつての友人オルヒデア・アゾトンが、少女に嫣然とほほ笑んだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 オルヒデアは、近界(ネイバーフッド)の惑星国家の一つ、武侠国家ポレミケスで生まれた女性だ。

 

 たった一人の肉親である兄と穏やかに暮らしていた彼女はしかし、生まれ持った桁外れのトリオン能力のため、争いを嫌う本人の意思とは裏腹に軍に所属することとなった。

 

 彼女に転機が訪れたのは四年前。祖国ポレミケスに、聖堂国家エクリシアが攻め寄せてきた時だ。

 祖国防衛の要となる(ブラック)トリガーの適合者であったオルヒデアも、当然防衛に参加した。

 

 だが、近界(ネイバーフッド)有数の軍事国家エクリシアの猛攻を支えきることができず、ポレミケスは大敗を喫した。多くの市民が捕虜となり、オルヒデアもまたエクリシアへと連れ去られることになった。

 

 そこで彼女が奇妙な縁を結んだのが、当時十一歳であったフィリアである。

 少女は捕虜の管理官としてオルヒデアを監督したのだが、不思議な巡り会わせによって二人は意気投合し、友人となった。

 

 けれども、その後オルヒデアはとある事件に巻き込まれて、自ら命を絶った。

 フィリアが己の罪科に気付き、修羅の道へ進む契機となった人物である。

 

「御無沙汰しております。……えっと、あの、話したいことが沢山あるのに、なんだか思いつきませんね」

 

 だが、目の前に佇むオルヒデアは往時の姿そのままに、人懐っこくはにかんで見せる。

 

「う、あ……」

 

 フィリアは蒼白の表情で、まともに言葉を発することさえできない。今すぐ背を向けて逃げ去りたい衝動に駆られるが、金縛りにあったように体が動かない。

 悲鳴こそ辛うじて堪えられたが、心臓の鼓動は張り裂けそうなほど早まり、全身には生ぬるい汗が吹き出している。

 

「どうぞ。宜しければ、こちらに」

 

 黒髪の麗人は少女の異変になど気が付かぬように、喜色を満面に浮かべて手招きする。

 

「っ――」

 

 と、それまで棒に変じてしまったかのように微動だにしなかった足が、少女の意思とは裏腹に動き出した。

 オルヒデアに促されるまま、少女は信徒席の端へと腰かける。

 

「あれからずいぶん経ちましたね。……フィリア様は、その後如何お過ごしでしたでしょうか」

 

 オルヒデアはフィリアの隣に座ると、世間話でも始めるかのようにそう問いかける。

 

「あ……あ……」

 

 少女は歯の根が合わないほどに震え、かつての友人から逃れるように顔を俯けた。

 

「フィリア様は、これまで何を為されてきたのですか?」

 

 春の日差しのように暖かく柔らかな声で、オルヒデアが再度問う。

 耳朶を打つ甘い声は、恐ろしいほどの強制力を秘めていた。

 

「わ、わたし、は……」

 

 フィリアは震える声で、己の来し方を語りだす。

 

 オルヒデアの死体をどのように埋葬したか。

 彼女の尊厳を踏みにじろうとした男がどうなったか。

 

 一通り彼女の死後の経緯を話し終えると、それから少女は自らが送った戦いの日々を語りだした。

 家族を失い、復讐に駆られ、祖国を追われ、流浪を強いられ、数え切れない戦場を渡り歩いてきた。

 

 フィリアは動揺のあまり酷く訥弁になり、また時系列や因果関係も滅茶苦茶で、話は酷く理解しがたい。

 それでもオルヒデアは静かに独白を聞き続け、時折少女に相槌さえ打ち、話を先に進めさせる。

 

 そうしてどれ程時間が経ったか。フィリアはオルヒデアに求められた話を全て語り終えた。余りに悲惨で陰鬱な、死と破壊に満ち、憤怒と慟哭に溢れた少女の半生。

 

 フィリアの額に、汗で前髪が張り付いている。罪の告白は、少女の気力体力を根こそぎ奪い去っていた。

 

「そうでしたか。そのようなことが……」

 

 全てを聞き終えたオルヒデアは、抑揚のない声でそう呟く。

 何時しか陽光は傾き、教会のステンドグラスから差し込んだ清らかな光が、二人を照らしている。

 

「フィリア様……」

 

 オルヒデアは身体ごとフィリアに向き直ると、膝上に合わせた少女の両手に、己の両手をそっと重ねた。

 少女はびくりと肩を震わすが、その掌の暖かさと柔らかさは、記憶のソレと寸分も変わらない。

 

「もう少しだけ、お尋ねしたいことがあるのです」

 

 だが、オルヒデアは辛い告白を終えたばかりの少女に寄り添う事も無く、恬然と話しかける。

 

「あなたが何を為さったかは分かりました。今度は、何故それを為したのかを、私に教えてくださいませんか」

 

 紡がれる可憐な言葉には、氷の如き冷たさが宿っていた、

 

「ッ――」

 

 オルヒデアの変貌に総毛だったフィリアは、思わず面を上げ、友人を凝視する。

 そこに居たのは、友の顔をした別の何かであった。

 張り付いたような笑顔の下に潜む、隠しようのない敵意と憎悪。

 

「あ、う……」

 

 何故思い至らなかったのか。

 死を得たところで、己の罪業が消え去る訳ではない。

 己が本当に望んでいたのは、断罪だったのだ。

 

 ならば、大聖堂に連れてこられたのも理解できる。此処は己の人殺しとしての人生が始まった場所だ。

 そして、オルヒデアが出迎えた理由も明らかだ。少女が犯した罪を裁くのに、彼女ほどの適任者は居ない。

 怪物と化したオルヒデアの双眸が、怯えるフィリアを射抜く。

 

「――痛っ」

 

 がりり、と気味の悪い音が響き、少女が苦悶の表情を浮かべる。

 オルヒデアがフィリアの両手に力一杯爪を立て、手の肉を抉ったのだ。

 鮮血が流れ、腿を濡らす。けれど、少女は抵抗する素振りも見せない。

 

「ねえ、教えてください。兄さんは何故殺されたのですか? 私は何故あんな辱めをうけたのですか? 私の国は何故荒らされたのですか? 

 ――あなたは何故、沢山の人々を不幸に陥れたのですか?」

 

 狂気を宿した眼差しで、切々と訴えるオルヒデア。

 

「…………」

 

 少女は何も答えない。否、答えられない。

 家族の未来を護るため、国に忠を尽くすため、己の命を繋ぐため。

 理由ならいくらでも思いついた。事実、そのために戦ってきた。

 

 けれど、煎じ詰めればそれらは全て自分の為の行いに過ぎない。

 己の願いを叶える為に、他の誰かに犠牲を強いる。

 命を、尊厳を、それら全てを奪い去られた人間が、どうしてそんな身勝手極まる理屈で納得するというのだろう。

 

「お答え、いただけないのですね……」

 

 オルヒデアは失望の吐息と共に、繊手を少女の膝元から離した。

 鮮血に染まった指先が、そっとフィリアの喉元に迫る。

 

「ねえ、フィリア様」

 

 魔法のように楽器を操り、フィリアの心を歓喜で満たしたオルヒデアの指が、少女の首を締め上げる。

 

「かっ――は――」

 

 徐々に力が込められ、白魚のような指が褐色の肌に食い込む。

 だが、少女はその場から逃げようともせず、両手を力なく投げだし、されるがままになっている。

 復讐の権利はオルヒデアにこそある。己の罪が許されなくとも、彼女が己を手に掛け満足するなら、それでいい。

 

「私は、あなたが憎かった。ずっとずっと、殺したいほどに」

 

 喜悦と共にそう囁くオルヒデア。顔貌は狂気に歪み別人のようだ。

 いや、本当に彼女かどうかも判然としない。まるで何人もの人間の顔が入り混じってしまったかのように、印象がぼやけてしまっている。

 

 脳への酸素が遮断され、意識が次第に薄れていく。

 とその時、礼拝堂が震え、耳障りな破壊音が遠く近くから聞こえた。

 きっと誰かがまた戦争をしているのだろうと、フィリアは気にも留めない。

 

 少女はせめて友の変貌を見ないで済むよう、静かに目を閉じた。

 

 

 

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