WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】 作:抱き猫
崩れた城壁を抜けた先には、壮麗な街並みが広がっていた。
眩いばかりの白壁の建物には、雅な赤瓦が吹かれており、紺碧の空の下で目も綾なコントラストを描いている。
それらが軒を連ねる大通りは、軒先に花が植えられ、石畳には塵一つ落ちていない。
まるで異国の景勝地にでも迷い込んだかのような絶景。
しかし、大通りには人っ子一人見当たらない。
店先には様々な商品が並んでおり、道には車も停まっているというのに、忽然と人々だけが消え去ってしまったかのようだ。
「通りを道なりに進んでください。教会まで続いています」
疾駆するごむぞうに、ヌースがそう指示を出す。
城壁を抜けた一同は、順調なペースで道を進んでいた。
都市内に敵トリオン兵やトリガー使いの姿は無く、城壁の切れ目も騎士のイメージ体が封鎖した為、追っ手は掛かっていない。
「で、あのデカブツからどうやって助けるの?」
人心地着いたところで、てつこが教会に陣取るカーラビーバを見上げて問いかける。
「……騎士を総動員すれば、勝機を見出せる筈です」
そう答えるものの、ヌースはどこか自信がなさそうだ。
ノマスのネットワークにアクセスした際、カーラビーバのデータは入手している。フィリアの心から生まれたソレがまったく同じ性能とは思わないが、途轍もない戦闘力を有していることに変わりはない。
一同に付き従う騎士は二百人を超えるが、あの怪獣に手傷を与えられるのは
果たしてカーラビーバから少女を助け出すことができるのか。ヌースはここに至るまでの道中何度もシミュレートを重ねたが、不確定要素が多すぎて答えが出ない。
そもそも、心を具現化する世界で、計算が何の役に立つというのか。
「へいきですぞ。きっとなんとかなるのです」
そんなヌースの不安に気付いたかのように、リリエンタールがそう励ます。
「あきらめずにみんなでかんばれば、きっとうまくいくのです」
「流石、わんちゃんは良いことを言う」
「金言っスね」
「アンタらは何でそんなに楽観的なの?」
リリエンタールの言葉に、紳士とロン毛が賛同する。てつこは呆れ顔だが、それでも事態を憂いている様子はない。きっと活路は開けると信じているのだろう。
「……そうですね。行う前から、諦める訳にはいきません」
ヌースは人々の心の強さに讃嘆しながら、決意も新たにそう誓う。
大通りが緩やかな坂になってきた。丘の上へ続く道に入ったのだ。
フィリアの元まであと少し。皆が気を引き締める。とその時、
「――ごむぞう様! 右の脇道へ!」
ヌースが鋭い声を放つ。
転瞬、進行方向の道路が炸裂し、石畳の破片が辺りに散らばる。
「わっ! 今度は何!?」
「おい上見てみろ、やばいぞ!」
ゆきとさくらが声を張り上げる。
いつの間にか、上空には数えきれんばかりの飛行型トリオン兵が集まっていた。城壁を越えることができない陸戦型に変わって、一同を追いかけてきたのだ。
「爆撃が来ます! 皆様身を低くしてください!」
ヌースが警告するや否や、背後の建物がイルガーの爆弾によって倒壊する。
そして一同目がけてバドが直上から弾丸を浴びせるも、これは随行する騎士の大盾に防がれた。
「少しの間の辛抱です。敵は直ぐに排除できます!」
護衛の騎士たちがスラスターを噴かせて上空へと飛び上がる。
飛行トリオン兵は多勢だが、騎士に掛かれば敵ではない。
「わっと! マリーちゃん平気かい?」
「なんともないわお兄さん」
ごむぞうは上空からの射線を切るため裏道に逃げ込む。道の状態が悪い上に、頻繁に急カーブするので、騎乗している一同は必死に背にしがみ付いている。
「次を左に折れてください。大通りに合流します」
騎士の奮闘もあり、次第に上空の敵影は数を減じていく。
ヌースは増援が現われる前に先を急ごうと、ごむぞうを本来のルートへと誘導する。だがその時、
「ちょっと、蛇が光ってるわよ!」
一人丘の上を見詰めていたてつこが叫んだ。
見れば、カーラビーバの長大な蛇体が眩く発光している。
「――防御せよ!」
それが攻撃の予備動作であることを見抜いたヌースは、即座に騎士に一同を護るよう命じる。
転瞬、カーラビーバの背面から、数千条もの光の帯が放たれた。
「な――」
一同が驚愕する。
陽光を欺くばかりに輝く光の帯は、一発一発が極めて強力な弾丸である。一旦聖都の上空へと放たれた弾丸は、大輪の華が咲くかのように四方八方に軌道を変えて飛翔する。
狙いは、飛行トリオン兵を迎撃していた騎士たちだ。
「く――」
弾丸が上空の騎士を次々に撃ち抜いていく。堅牢無類の甲冑を纏っていても、巨大トリオン兵の一撃をまともに喰らえば大破は免れない。
砲撃の回避に成功した騎士もいたが、僅か一射で騎士団は半壊に追い込まれた。そして、
「停まってください! 第二射が来ます!」
間髪を入れず、カーラビーバが追撃を加える。
しかも、今度の狙いはリリエンタールら一同だ。
数千発もの光の弾丸が、街区の一画に雨のように降り注ぐ。
「のわわわわっ!」
まるで流星雨が局所に落ちたかのような光景。
弾丸は四、五階建ての建造物を、天上から地面まで容易く貫く。まるで爆撃でも受けたかのように街が崩れていく。
二十騎余りの騎士が、一同の上空で大盾を構え、シールドを張って防御陣を組むが、弾丸は掠めただけで騎士を吹き飛ばした。
数秒後、リリエンタールらの居た付近は瓦礫の山と化していた。彼らを護っていた騎士たちも、殆どが大破して動けない。
もはや彼らの生存は絶望的か。そう思われた時、
「モギュー!」
奇怪な鳴き声と共に、瓦礫の一部が吹き飛んだ。現れたのは二メートルを優に超す一つ目の巨人、ごむぞうである。
大きく腕を広げた彼の下にはリリエンタールたちの姿が。
「ほひー……ごむぞうができるやつでたすかったのです」
騎士たちの防御陣が崩れ、瓦礫の山が雪崩れてきた時、ごむぞうが機転を利かせて一同をその巨体で庇ったのだ。
お蔭で一同には怪我一つなく弾雨を凌ぐことができた。だが、状況が悪化したことに変わりはない。
「これは、いよいよヤバいかも……」
瓦礫を取り除き、皆を引き起こしながらてつこが呟く。
教会に陣取るカーラビーバは鎌首を擡げ、更地となった街の一画を単眼ではっきりと捉えている。
また第二射によって、頼みの綱の騎士たちも壊滅してしまった。生き残りが再集結を図っているが、その数は十人にも満たない。
とりわけ
ヌースの心から生まれた彼らは、トリガーの性能こそほぼ完全に再現されているが、個々人の技量はその限りではない。カーラビーバの猛攻を防ぐことができなかったのもそのためだ。
「く、今度は何よ!」
てつこが毒突く。一同の方角を向いたカーラビーバの、今度は口腔が光っている。
しかも、その光は先ほどよりも数段眩い。
「あれは、なにかだすのでは?」
誰もが抱いていた最悪の想像を、リリエンタールがズバリと口にする。
事実、それは砲撃の予備動作であった。数秒後、追尾弾とは桁違いの威力のレーザーが、一同を瓦礫の山ごと消し去るだろう。だが、
「ご安心を。私はまだ、諦めてはいません」
ヌースが決然と言い放つ。
転瞬、世界が白光に塗りつぶされる。カーラビーバが凄まじい光線を放ったのだ。
「私は絶対に、あの子を連れて帰ります。――皆様と一緒に」
光線は途中で何かに遮られ、四分五裂して聖都の各所を吹き飛ばす。リリエンタールらの居る場所には、毛ほどの被害もない。
見れば、聖都の上空に忽然と巨大な人型が現れていた。
身の丈二十メートルを超える巨体。一切の虚飾を排した無骨な姿は、甲冑を纏った太古の戦神を思わせる。
破滅の閃光を悠々と防いだ巨神は、右手から翠緑の大剣を生み出すと、カーラビーバを真正面から睨みつける。
精神世界では、強い思いは必ず形を成す。無敵のトリオン兵を相手に、ヌースは己の知る最強の兵器を生み出すことで対抗したのだ。
エクリシアの守護神「
× × ×
巨神と怪獣が、聖都の中央で壮絶な戦いを始める。
カーラビーバに比すれば体格に格段の差がある「
だが、巨体を誇るカーラビーバにとっては微々たる傷。それどころか、大蛇は損傷個所を即座に修復すると、蛇体をしならせ「
巨神は真っ向から突進を受け止め、両者が力比べを始める。
教会の直上で行われるその戦いを、リリエンタールらは呆けた面持ちで眺めていた。現実離れが過ぎて、俄かには理解できないのだ。だが、
「おい、あの蛇倒したらそれはそれで不味いんじゃないか?」
比較的動揺の少ないさくらが、ヌースにそう問う。
カーラビーバの腹の中にはフィリアが居る筈だ。戦闘の余波で彼女に危険が及ぶのではないかと危惧しているのだ。
「はい。とにかくカーラビーバまで接近しましょう。何とか救出の機を窺うのです」
ヌースがそう答えると、一同の周りに騎士たちが集い始めた。彼女の決意に感応し、再び騎士団が顕現したのだ。だが、
「ひゃ、向こうから
と、ゆきが言う。
草原にたむろしていたトリオン兵らが、都市内部へと入り込んできたのだ。
「移動します。ごむぞう様に騎乗してください。「
トリオン兵らは執拗に一同を追いかけてくる。騎士を迎撃に向かわせるが、広大な都市では完全に敵を塞ぎ止めるのは難しい。
どのみち、カーラビーバには近づくつもりである。敵影の無い丘へと登り、距離を取ろうとの判断だ。
再び彼らは形態変化したごむぞうに乗り、大通りを進む。
フォルムからは想像もできないほど機敏に駆けるごむぞうは、丘の麓に広がる貴族街を早くも踏破し、程なくして丘の頂にある大聖堂へと辿り着いた。
「ふおおおお!」
リリエンタールが恐怖とも興奮ともつかない声を上げる。
此処まで接近すれば、肉弾戦を繰り広げる「
「カーラビーバの装甲に亀裂が入れば、騎士を侵入させて中を探らせることができます」
ヌースの説明に応じるかのように、随行する騎士らがスラスターを噴かせて怪獣へと向かう。だがその時、
「な――」
一同が声を上げる。
距離を取ってカーラビーバの攻撃を避けていた「
凄まじいぶちかましを喰らい、大蛇の首が仰け反る。
のみならず、カーラビーバは貴族の邸宅をなぎ倒しながら、そのまま仰向けに倒れてしまった。
「――いけない!」
態々丘の上にまで移動したにも関わらず、かえって標的と距離が離れてしまった。
とはいえ「
「どうするの、私たちも戻る?」
そう尋ねるのはてつこだ。
判断に迷う所だ。巨神と怪獣の足元に近づけばそれだけで危険だが、騎士に細かな指図をするには彼らの近くにいる必要がある。
「
「むむむ?」
煩悶するヌースを余所に、リリエンタールが奇妙な唸り声を上げる。
「あっちからフィリアのにおいがするのです」
と、大聖堂の方を指差しながら、そんな事を口にする。
「えっ!? あ、そう言えばアンタ犬だったわね」
一瞬訝しむも、直ぐに納得するてつこ。
リリエンタールはふんふん鼻を鳴らしながら、大聖堂へと進んでいく。
「待って、そっちにいるの?」
確信を持ってフィリアを追っているらしい犬を、慌てて一同が追いかけた。
まさか、少女が自力でカーラビーバの腹から脱出した訳ではあるまい。彼女が教会にいるとすれば、それはあの怪獣が吐き出したからだ。
「やっぱり、誰かの意図を感じるね」
兄が不穏な表情でそう呟く。
フィリアを態々この場所へと運んだとすれば、それを命じた者がいる筈。
果たして大聖堂へと踏み込んだ一同は、そこに見慣れぬ人影を見つけた。
荘厳華麗な礼拝堂の内部、祭壇にほど近き信徒席に、二人の女性が寄り添うように並んでいる。
ステンドグラスから差し込む光に白髪を輝かせるのは、探し求めていた少女フィリアだ。では、その隣に座る黒髪の女性は一体誰なのか。
しかし、胸中に浮かんだ諸々の疑問は、衝撃的な光景を目の当たりにしたことで消え失せてしまう。
なんと、黒髪の女はフィリアの首に手を掛け、力の限り締め上げているではないか。
予想だにしなかった展開に、一同は数瞬パニックに陥ってしまう。ただ、
「なにをするのです! やめなされい!!」
リリエンタールだけが、弾かれたように少女の元へと駆けだした。
× × ×
薄れていく意識の中、フィリアは何者かの叫び声を聞いた。
緊迫感に満ちながらも、どこか間の抜けた可愛らしい声。
耳になじみのある声は、以前もどこかで耳にした覚えがある。
そう、確かあの時も、自分は死を望んでいたのではなかったか。
「――ッ!」
死の淵から引き戻された少女は、瞼を開けて驚愕する。
己の首に伸びるオルヒデアの腕に、リリエンタールが噛みついているではないか。
「ほぬー! はなせい! はなせい!!」
黄色い犬は短い腕を振り回し、ぽかぽかとオルヒデアの腕を殴りつけている。フィリアの解放を求めたが無視されたため、実力行使にでたのだ。
「――」
少女は何事かを叫ぼうとしたが、喉を締め上げられており全く息ができない。
苦悶の表情を目の当たりにしたリリエンタールは、もはや一刻の猶予もないとばかりに大暴れする。すると、
「――おぶっ!」
それまで無反応を決め込んでいたオルヒデアがやにわに腕を一振りし、リリエンタールを吹き飛ばした。
教会の床を転がり、犬が信徒席へと打ち付けられる。
その様を見せつけられたフィリアは、矢も盾もたまらずオルヒデアの手を振りほどいた。
「――か、ひゅ――え、ほ……はぁはぁ……」
陸に打ち上げられた魚のように口を開き、必死で酸素を取り込みながら、倒けつ転びつ犬の元へと近寄る。
如何なる時も凛然とした少女からは考えられない、無様で哀れな姿。
「……リリエン、タール」
オルヒデアに糾問され、最後の自矜心さえ粉々に砕かれたフィリアに、もはやまともな理性は残されていなかった。だがそれでも、この小さな恩人の危機には無意識に身体が動いた。
「フィリア! よかった、まにあったのです!」
膝を付き、震える声で呼びかける少女に、むくりと起き上がったリリエンタールが元気よく答えた。勢いよく吹き飛ばされたものの、幸い大きな怪我はなかったらしい。
「ぁ……なんで、ここに……」
「たすけにきたのです! ――ぬお! てからちが! けがをしたのですか!?」
犬は血まみれのフィリアの手を心配そうに掴む。見れば、兄やてつこら一同も、二人の元へと駆け寄ってくる。
「アイツにやられたの!?」
「立てるかい? 早く此処から逃げよう」
てつこと兄がそう話しかける。
だが、フィリアは彼女らに目もくれず、怯えた瞳で祭壇側を見詰める。
「ごめ、ごめんなさい……私は、逃げるつもりなんて……」
彼女がそう訴えかけるのはオルヒデアだ。
黒髪の乙女は突如として現われたリリエンタールら一同を、何の感情も窺わせない瞳で眺める。
「コイツ、なんかヤバい」
取り乱したフィリアを庇うように、てつこが前へ出る。腰を落とし、何時でも動ける構えを取る。
「…………」
一同がフィリアを庇い立てするとみるや、黒髪の乙女は人形のような無表情で緩く手を振る。すると、突如として礼拝堂内に黒い影が幾つも盛り上がった。
「な――この人もイメージ体を……」
兄が絶句する。
少女の招きに応じるように現れたのは。二対四本の腕を持つ二足歩行のトリオン兵クリズリだ。何十体ものクリズリが、口腔の単眼で一同を睨む。
「待って……待ってください! この人たちは違うんです。私とは、何の関係もない人たちなんです! 殺すなら、私だけを……どうか……」
狂を発したかのようにフィリアが叫び、脚を縺れさせながらオルヒデアの元へ舞い戻ろうとする。
「ちょ、バカ! あんた何やって……」
「離して! 離してください!」
見るからに獰猛なクリズリの群れに飛び込もうとするフィリアを、てつこが抱きかかえて止める。すると、
「落ち着いてくださいフィリア! あれは、オルヒデア・アゾトンではありません!」
と、少女の側へやってきたヌースが叫ぶ。
「あれはあなたの心が生み出した存在です。――あなたは、自分の心に殺されようとしているのです!」
リリエンタールの不思議な力を知らぬフィリアに、ヌースがそう説明する。
「え……」
言葉の意味を理解した途端、少女が間の抜けた声を発する。
そう、確かに少しでも冷静に考えれば、おかしなことだらけであった。
なぜノマスの草原が、エクリシアの聖都が、死んだ筈のオルヒデアが突然現れたのか。
いや、そもそも、目の前の女は本当に、フィリアの知るオルヒデアなのだろうか。
たとえ彼女が少女に深い恨みを抱いていたとしても、果たしてあの心優しき女性が、リリエンタールのような小さな命を無碍に扱うだろうか。
「あ……」
凝視すればするほど、オルヒデアの顔貌が印象を失っていく。
乙女の輪郭が薄れ、人種も年齢も、性別すら異なる様々な顔が入り混じっていく。黒髪を靡かせたソレは、今や誰でもない無貌の存在にしか見えない。
いや、片時もなく変化し続けるその顔に、フィリアは見覚えがあった。それは
この異形の怪物こそ、フィリアの罪悪感が生み出した、少女に罰を与える処刑人だ。
「う、あ……」
目の前の悍ましい怪物は、己の心から生まれた。
卒然とその事実を悟ったフィリア。だが、彼女の心に生まれた感情は、怒りでも嘆きでもなく、痛烈な自己嫌悪である。
自死を願っていた少女は、オルヒデアの手に掛かることに安堵していた。
己の罪が許されずとも、憎悪をぶつけられるのならば、それはまだしも救いであると。
だが、このオルヒデアが生み出したのが自分だとすればどうか。
「わたし、は……」
込み上げる吐き気に、フィリアが口元を抑える。
私は救いを求める為に、愚劣な妄想で友の面影を穢した。
「ああ……」
己の浅ましい所業に、恐れ慄き、この上ない嫌悪を抱く。
罪悪感が少女の心を責め苛み、絶望が思考をより黒く塗りつぶす。
「ちょっと、しっかりしなさい!」
てつこやリリエンタール、ヌースが必死に話しかけるが、少女は茫然自失と床に座り込み、がたがたと震えるばかり。
そんな少女を追い詰めるように、ブレードを振りかざしたクリズリが歩み寄る。
「く――とにかく逃げないと……」
てつこが焦燥とともに呟く。
フィリアはもう自力で動くこともできない。だが、彼女を連れてトリオン兵の魔の手から逃れることができるかどうか。とその時、
「な――こんどは何よ!」
耳を聾する轟音と、立つことさえままならない激震が一同を襲う。
「ロボットがやられちゃったよ!?」
いち早く異変に気付いたのはゆきだ。
開け放たれた大扉から外を見れば、教会の前の広間に、カーラビーバと激闘を繰り広げていたはずの「
地面を削りながら墜落した巨神は、全身に深い損傷を負っており、ぴくりとも動かない。
彼方に見えるカーラビーバが、天に向けて勝鬨を上げるかのように、耳障りな鳴き声を発している。
「負の念で蛇が強くなったんだ……早くその人の心を晴らさないと不味い」
冷や汗を浮かべながらさくらがそう言う。
リリエンタールを通して顕現する精神世界では、意思の強さがイメージ体の力に直結する。表層意識より深層意識に根差した思いの方が強力なのだ。
その点、絶望に染まり切ったフィリアが生み出したイメージ体はこの上なく獰悪だ。
「フィリア! あかるいことをかんがえるのです! せかいにはたのしいことが、まだまだいっぱいあるのです!」
リリエンタールが懸命に励ますが、フィリアは子供のように嫌々と首を振るばかり。そんな少女の態度に、てつこは業を煮やしたように近づく。そして、
「――ッ!?」
てつこは膝を付いて座ると、項垂れるフィリアの両肩に優しく手を添える。
「ねえ聞いて。自分の心なんて、簡単にどうにかできるようなものじゃない。でも、お願い。そんな時は他の人のことを考えて。――うちのバカ犬やマリー、あなたの事をずっと心配してきた、ヌースのことを……」
切々と、そう語りかけるてつこ。
その真摯な態度に、フィリアはと胸を突かれたように顔を上げる。
てつこは凛々しい面差しに、どこか同情めいた色を浮かべて少女を見詰めている。だが、
「無理、だよ……だって、私なんて、ほんとうに……生まれてきたのが間違いだったんだから」
今にも涙を溢しそうな表情で、フィリアがそう答える。
「ッ……」
てつこは苦悶の表情を浮かべるも、無言で少女の背を撫でる。絶望に身を焼かれるような思いは彼女も知っている。フィリアを責めようとは思わない。だが、
「皆、気を付けて!」
そう叫んだのは兄だ。フィリアの告白を判決文と受け取ったかのように、無貌の怪物がいよいよクリズリを動かした。
「ああっ!」
皆が悲鳴を上げる。
クリズリが巨体に似合わぬ疾風のような速さで迫り来る。そもそも戦闘用の兵器から生身の人間が逃れることなど不可能だ。
フィリアに寄り添うてつこも、抵抗の無駄を悟り目をつぶる。鋭利なブレードが、情け容赦なく振り下ろされる。
その時、少女の胸元から淡い光が零れた。
「な――」
惨劇の予感に身を竦ませていた一同から、驚愕の声が漏れる。
フィリアを刺し殺さんと襲い掛かったクリズリが、縦に両断されて倒れ伏す。
少女の前に突如として現われたのは、白亜の甲冑を纏った騎士だ。
「な――彼は……」
ヌースが呆然と呟く。
あの騎士は、彼女が生み出した者ではない。ヌースはもちろん助力を請おうとしたのだが、何故だが彼のイメージ体は現れなかったのだ。
微細なトリオンキューブで構成された、白く輝く光の剣。
四方八方から殺到するクリズリを、騎士は超絶の剣技で瞬く間に斬り伏せていく。
何も、心を持つのは生き物だけではない。
リリエンタールによって生み出されたイメージ体も、確固たる命と心を持っている。
人間によって作られた機械人形のヌースであっても、その意思は具現化したではないか。
ならば、人がその命を注ぎ込んで作った物に、魂が宿らぬと誰が断言できよう。
少女の胸に提げられた銀の鍵。そこに填め込まれた真珠の如きトリオン球が、淡い光を放つ。
――フィリアの生母、レギナが命を賭して作り出した
数秒の内にクリズリを全滅させた騎士は、一陣の風となって礼拝堂を突き進むと、無貌の怪物を袈裟掛けに斬り捨てた。
「ぎぃぃぃいいっ!」
この世のモノとは思えない金切り声を上げながら、怪物が塵と消える。
後に残されたのは、フィリアたち一同と騎士の姿だけ。礼拝堂は静謐で荘厳な気配を再び取り戻した。
「あなたは、まさか……」
ヌースが信じられないといった風に問いかける。
祭壇前に佇立していた騎士が、兜を脱いで振り返る。
差し込む光に照らされるのは、麦穂のように輝く金髪。
少女を慈しむような瞳は、翡翠のような深い緑。
理性と品格で磨かれた威厳ある容貌に、どこか困ったような表情を浮かべたその男性。
フィリアの父、アルモニア・イリニの姿がそこにあった。