WORLD TRIGGER Beyond The Border 【完結】   作:抱き猫

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其の終 「フィリア」

 明けて九月の一日。その日は朝から三門市内の中等学校、高等学校で二学期の始業式が行われており、久々に顔を合わせる生徒たちで学校は大いに賑わっていた。

 

 だが、ボーダーの警戒区域周辺には寄りつく人の姿も無く、住民が去った宅地は閑散としている。

 そんな人気の絶えた街並みに、一台の黒いセダンがエンジンを掛けたまま停車していた。

 

 車内にいるのは、黒服に身を包んだ二人の男と、褐色肌の少女である。

 

「う~ん……むむむ」

 

 後席からルームミラーを覗き込み、顔を揉みながら百面相をしているのはフィリアだ。そんな少女に運転席に座るロン毛が、

 

「何やってるんスか?」

 

 と尋ねる。奇妙な表情をしている所を見られた少女は、

 

「あ、いえ……第一印象は、笑顔が大事。とのことなので」

 

 と、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに答える。

 

「案ずることはありませんよフィリア嬢。あなたが立派なレディであることは、この紳士が保証します。いつも通りに振る舞われれば、それで十分好印象でしょうとも」

 

 と、歯の浮くようなセリフを述べるのは助手席に座る紳士だ。

 

「……ですが、老婆心ながら助言を一つ。他者に己を認めさせるために必要なのは、利害得失や才覚だけではありません。真の信頼を勝ち取ることができるのは、赤心より顕れた誠実さのみです。ゆめ、お忘れ無きよう」

 

 そして紳士は、普段の飄然とした態度からは考えられぬ真剣さでフィリアに助言する。

 少女は言葉を胸に刻み込むように頷くと、

 

「はい。あの子にも、教わりましたから」

 

 花が綻ぶような笑顔でそう言う。

 

「おっと、流石は我がライバル。一歩先を行かれていましたか」

 

 と、紳士はにこやかに答える。

 

「そろそろ、指定された時間っスね。……本当に、おれらは付いて行かなくていいんスか? 後ろに居るだけでも、だいぶ違うと思うんスけど」

 

 時計を見ていたロン毛が呟く。すると、フィリアの隣にいたヌースが、

 

「組織の皆様には、仲介の労を取っていただき感謝の言葉もありません。ですが、あまり表だってあなた方との関係を見せつければ、ボーダー側も態度を硬化させるでしょう」

 

 と、会談への同席を断る。

 

「わかりました。あなた方の意思を尊重しましょう。とはいえ、(わたくし)共は友人に助力を惜しむつもりはありません。何かあれば、是非頼ってください」

「フィリア共々、重ねて謝意を表します」

 

 紳士とヌースがそう話す。

 ロン毛は静かに車を発進させ、目的地へ向けて廃道を進む。

 

 数日前、突如としてボーダーへ入隊したいと言い出したフィリアは、紳士たち組織の協力を経て、彼らに面談の約束を取り付けた。

 廃墟を進んでいけば、眼前には飾り気のない箱状の建物が見えてくる。ボーダーの本部基地へと続く地下通路の出入り口だ。

 

 その建物の周りには、十名余りの人間の姿があった。

 唐沢、忍田の他は、いずれも二十歳に届くかどうかといった年頃の男女たちである。彼らは不測の事態に備えて招集を掛けられたボーダーの戦闘員だ。

 直方体の建物の手前に車を止めると、少女に先んじて紳士とロン毛が降車する。そして、

 

「急な申し入れを聞き届けていただき感謝の極み。(わたくし)、紳士ウィルバーと申します」

 

 と、紳士は警戒感を隠しもしないボーダーの面々を相手に、いつもの飄々とした態度で挨拶をする。すると、

 

「どうも、私がボーダー外務・営業部長の唐沢です」

 

 一団から歩み出てきた唐沢が、ウィルバーと握手を交わす。

 

 顔見知りの彼らが他人行儀な振る舞いをするのは、非合法組織との繋がりを隠すためだ。唐沢が嘗て組織に所属していたことを知る職員は、上層部のほんの一握りだけである。

 ウィルバーも事情は心得ているので、当たり障りのない会話に留める。そうして二人が社交辞令を交わしていると、

 

「前置きはそこまでで結構。件の近界民(ネイバー)と引き合せていただきたい」

 

 と、ボーダー本部長の忍田が鋭く斬り込んだ。

 紳士の人となりを知る唐沢はともかく、忍田を含めたボーダーの面々は組織の行動に疑念を抱いている。彼らの思惑が知れるまでは、気を許すつもりはない。

 

「……承知しました。それでは」

「はい」

 

 車の側に控えていたロン毛が、紳士の手振りに応えて後席のドアを開ける。

 優雅な所作で車内から姿を現したのは、十六歳ほどの年頃をした白髪金瞳の少女である。

 

「――!」

 

 フィリアの姿を目の当たりにしたボーダー一同に、微かな動揺が走る。

 組織は諸々の策謀を警戒してか、実際に引き合せるまで近界民(ネイバー)の情報を一切明かさなかった。まさか入隊を希望していたのが、防衛部隊員らと同世代の少女だとは思わなかったのだろう。

 

 清冽な美貌の少女が、黒服に促され一同へと歩み寄る。と思いきや、少女はつと足を止めると、首を動かして三方の虚空へと視線を送った。

 

「――ッ!!」

 

 防衛部隊の面々に、先にも倍増しの衝撃が走る。

 

 フィリアが視線を送った先は、ボーダーが配備したスナイパーの狙撃地点なのだ。

 潜ませた狙撃手を一瞬で見抜いた眼力。少女の技量がただ事ならぬことを悟った防衛隊員たちは、一様に気を引き締める。

 だが、フィリアは隊員たちの警戒が強まったことには気付かぬように、凛呼とした挙措動作で一同に歩み寄ると、

 

「皆様初めまして。日野フィリアと申します。本日はお時間を割いていただき、ありがとうございます」

 

 透き通るような笑顔で挨拶する。

 

「……面会希望者は二名と聞いていたが」

 

 堂々たるフィリアの態度に、しかし忍田は毛ほども動じることなくそう尋ねた。

 

「ええ、その通りです」

 

 忍田の鋭い視線を悠然と受け流し、紳士がロン毛に目顔で命じると、車両の後席から浮遊体が現れ、フィリアの傍らへとやってきた。

 

「私はこの子のお目付け役、ヌースと申します。どうぞよろしくお願いします」

 

 突如現れた新型のトリオン兵に、ボーダー隊員が即座に臨戦態勢へと移る。自律型トリオン兵は近界(ネイバーフッド)でも稀であり、彼らがその存在を知らないのも無理はない。が、

 

「……承知した。ボーダーは両名の訪問を歓迎する」

 

 忍田は片手を上げて兵を押し留める。経験豊富な指揮官は、少女らに敵意が無いことを即座に見抜いたのだ。

 

「さっそくボーダーの司令に会っていただこう。だが、その前に武装解除に協力していただきたい」

 

 と、忍田が申し入れる。

 

 本部に近界民(ネイバー)を招き入れる以上、敵意の有る無しに関わらず武器は取り上げておかねばならない。事前に会談の条件として提示してあるが、果たして素直に応じるかどうか。

 フィリアがポーチを探ると、ボーダーの隊員たちの緊張も最高潮に達する。

 

「はい。それではお預けしますね」

 

 目に見えて警戒心を強めた隊員たちに囲まれながら、しかし少女は悠揚迫らぬ態度で小さな風呂敷包みを取り出す。

 包みを解けば、トリオン製と思しき半透明のケースが出てくる。その中には、指の爪ほどの大きさをした多数のチップが入っていた。フィリアが近界(ネイバーフッド)の各地で手に入れたトリガーである。

 各国の軍事技術の塊であるトリガーを、少女は惜しげも無く忍田に預ける。のみならず、

 

「…………」

 

 フィリアは己の襟首に手を回し、鎖の留め具を外すと、胸元からペンダントを取り出す。

 真珠のようなトリオン球の填まった銀の鍵には、細く優美な指輪と、無骨なシグネットリングが隣り合うように結え付けられている。

 フィリアは楚々とした所作でペンダントを掌に載せると、一拍の間を置いてそれを忍田へと差し出す。

 

「これら三つは(ブラック)トリガーです」

「な――」

 

 少女の説明に、然しもの忍田も瞠目する。

 

 (ブラック)トリガーは近界(ネイバーフッド)において、国力の指標の一つとして位置づけられる戦略級の兵器だ。余程の大国であっても所有数が十に届くことは殆ど無く、ボーダーが有するのは二本のみである。

 その超抜のトリガーを、この少女は個人で三本も所持しているというのだ。

 

「私の持っているトリガーはこれで全てです。ヌースは性質上、完全な武装解除はできませんが、ご了承いただけますか?」

 

 恬然と尋ねる少女に、忍田は首肯して答える。(ブラック)トリガーを手放した以上、問題を起こす気は無いと判断していいだろう。

 近界民(ネイバー)撃退を事業理念とするボーダーに全ての武装を預けるなど、ともすれば愚行とも取られかねない剛胆さだが、その裏には深遠な策謀が巡らせてある。

 

 成り行きを見守っている黒服の男たちがそうだ。彼らが立ち会っている以上、少女に危害を加えることはできない。

 彼女が組織と如何なる関係にあるかは不明だが、仮に少女の身柄を押さえ、トリガーを取り上げたとすれば、面子を潰された組織は必ずや報復にでるだろう。

 

 大胆な行動の裏には、それに足るだけの保険を掛けている。

 清冽な印象からは想像もできない強かさに、忍田は胸中でフィリアへの評価を上方へと修正する。

 

 そしてまた、フィリアもボーダーの精強ぶりには内心驚かされていた。

 くせ毛をした長身の若者に、鋭い眼光をした小柄な男性、筋骨隆々たる男性に、勝気そうな少女。居並ぶ面々は何れも劣らぬ猛者揃いだと、武人として研ぎ澄まされた少女の感覚が教える。

 

 別けても格段に手練れなのが、先ほどから応対している忍田本部長だ。

 おそらく彼の腕前は達人級だろう。近界(ネイバーフッド)の如何なる国でもエースを張れる技量を持つに違いない。

 

 ボーダーは設立からまだ間もないと聞いていたが、これほどまでに多士済済であるとは思いもしなかった。

 玄界(ミデン)の技術力、発展の目覚ましさに、フィリアは目を見張ると同時に安堵する。彼女の新たな家族が住まうこの場所は、優秀な兵に守られているのだ。

 

「確かに、トリガーは預かった。それでは本部に案内しよう」

 

 武装解除が住むと、フィリアとヌースは忍田に導かれて地下通路の入口へと進む。

 隊員たちは随行しない。少女と幹部らの会談は、完全な密室で行われる。

 少女は隊員たちの鋭い視線に曝されながら、忍田の背を追う。その時、

 

「――ッ!」

 

 フィリアのサイドエフェクトが、突如何事かを囁いた。

 驚愕と共に顔を上げた少女は、一人の男性隊員とはっきりと視線が合う。

 

「君は……」

 

 少女と同じく驚いた様子でそう呟くのは、ブリッジ部のないサングラスを首から下げた若者、迅悠一だ。

 未来視のサイドエフェクトを持つ迅は、少女と直接対面したことで様々な未来をはっきりと視たのだろう。

 そして同じく超抜のサイドエフェクト直観智を持つフィリアも、この青年の特異な人生をまざまざと感じ取った。

 

「…………」

 

 たっぷり十秒余り、互いを凝視する迅とフィリア。

 

「どうした、迅?」

 

 流石に訝った忍田が声を掛ける。果たして何か悪い未来でも見えたのかと、目顔で迅に問う。だが、

 

「ああいえいえ。あんまり美人さんだったんで、見惚れちゃったんですよ」

 

 と、青年は軽口を叩いて答える。常と変らぬ飄逸な態度に、一先ず危険は無いものと忍田は密かに安堵する。

 

「まあ、お上手ですね」

「いやいや、見たままを言っただけだよ」

 

 と、フィリアと迅はまるで知己のように親しく言葉を交わす。二人の間だけは、場を包んでいた剣呑な空気が跡形も無く消え失せている。

 

「私こそ、足を止めてしまって申し訳ありません。それでは」

 

 と、会釈して忍田の後に続こうとするフィリア。すると、

 

「ええ。それじゃあ()()

 

 と、迅がにこやかにそう答える。

 忍田、唐沢に連れられ、フィリアとヌースは地下通路へと進んでいく。

 彼女を送迎した黒服の男たちも、いつの間にか忽然と姿を消していた。

 

 残されたボーダー隊員たちは、打ち合わせ通りに解散する。ともあれ、最大の懸念であった近界民(ネイバー)との武力衝突は避けられたのだ。だが、

 

(ブラック)トリガー持ちとはな。忍田さんには怒られるだろうけど、一回ぐらいやりあってみたかったな」

 

 不満そうに迅へと話しかけるのは、防衛隊員の太刀川だ。

 生粋の戦闘好きの彼は、フィリアと手合せできなかったのがさぞ悔しかったらしい。

 

「大丈夫。そのうち機会はあるよ」

 

 と、迅がそう言って太刀川を宥める。

 

「お、また何か見えたのか?」

 

 未来視のサイドエフェクトを知る太刀川は、興味津々といった風に問いかける。

 迅は詳しい事柄こそ何一つ語らなかったが、

 

「あの子は頼もしい味方になるよ――おれのサイドエフェクトがそう言ってる」

 

 にやりと飄逸な笑みを浮かべてそう答えた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 長い地下通路を抜け、昇降機で本部の建物へ。

 

 トリオンでできた無機質な通路を、忍田と唐沢に挟まれるようにしてフィリアとヌースが進む。

 通路が歪な形をしているのは、随所で隔壁を降ろしているからだ。

 

 屋内戦への備えではなく、ボーダー隊員たちとフィリアの接触を避ける為だろう。

 隊員たちはいずれも若年で、学生が多い。始業式が行われる今日に会談を指定したのも、基地内の人の数を減らすためだと思われる。

 その甲斐あってか一同は誰にも遭遇することなく、上階の大会議室まで何の問題も無く辿りついた。

 そして、会議室の扉が開かれる。

 

「初めて御意を得ます。日野フィリアと申します。どうぞ、本日はよろしくお願いします」

 

 居並ぶボーダーの幹部、城戸、鬼怒田、根付、林藤、沢村らに向けて、少女が嫣然と笑みを送る。爽やかな言葉遣い。物腰には微塵も気負いは無く、彼女が近界民(ネイバー)であることさえ忘れてしまいそうなほどに自然な振る舞いだ。

 

「私がボーダーの指令、城戸だ」

 

 だが、城戸は冷厳とした顔貌で少女を出迎える。

 忍田と唐沢が席に着くと、幹部連中が順次自己紹介をする。フィリアは恭しく一礼して、勧められた席へと腰かけた。

 

「ボーダーに入隊したいとの申し入れだが、まずは君自身について、いくつか質問がある」

 

 重々しい態度で城戸が口を開いた。

 ボーダー幹部たちは、フィリアの来歴について質問を始めた。

 組織は徹底して情報を開示しなかったので、彼らは少女に関しての予備知識を全く持ち合わせていない。これでは事の是非を議論する事さえできないのだ。

 

「はい。……私は近界(ネイバーフッド)の国の一つ、聖堂国家エクリシアで生を受けました」

 

 質問を予期していた少女は、予てから考えていた通り、己の来し方を淡々と話し出す。

 

 日々の暮らしに困窮しながら、それでも愛する家族と過ごした貧民時代。

 (マザー)トリガーに捧げられる母を救うため、軍に身を投じた貴族としての日々。

 家族を失い、祖国にさえ裏切られたエクリシアとノマスの大戦争。

 戦乱渦巻く近界(ネイバーフッド)を傭兵として漂泊し、安住の地を求めて玄界(ミデン)へとやってきたこと。

 

 少女の口から紡がれる、死と破壊に満ちた壮絶な半生。

 感情を排した語り口せいで、居並ぶ面々は少女が体験したであろう憎悪と悲嘆の程を、我が身のように想像してしまう。

 

 フィリアが己の長い人生を語り終えると、会議室は深閑としてしわぶき一つ立たない。

 

「……その、なんだね。君が世話になっとる日野という家は、蓮乃辺市の日野博士のことかね?」

 

 誰もが少女に掛ける言葉を考えあぐねている中、鬼怒田が妙に気遣わしげにそう尋ねてきた。

 フィリアが首肯し、日野家について常識的な範疇の話を伝えると、

 

「おお、やはりあの御夫婦か!」

 

 鬼怒田は満面に喜色を浮かべる。同じ研究畑の人間として、世界に冠する日野夫妻のことは当然知っているのだろう。

 フィリアに仄かな親しみを見せる鬼怒田。彼には別居している幼い娘がいるので、悲惨な境遇の少女に思わず同情してしまったのだろう。だが、

 

「……一先ず、君が我々と敵対した国との関わりがないことは信じよう」

 

 と、城戸はあくまで明らかとなった事実に即してのみ話を進める。

 

「しかし、君が「組織」と繋がりを持っていることは甚だ不穏だ。どういった経緯で彼らと接触したのか、詳しく教えてもらいたい」

 

 少女が直接地球に危害を加えた近界(ネイバーフッド)の国々と関係がないと知るや、城戸は組織との繋がりについて追及してきた。

 

「……組織の事に関しましては、先ほどもお話しした通りです」

「偶然構成員と知り合った、という話を信じろというのかね」

 

 まさかリリエンタールにまつわる騒動を話す訳にもいかず、少女は地球に来てからの経緯を取り繕って説明したのだが、城戸は納得しなかったようだ。

 

「ならば、仮にボーダーへの入隊が認められなかった場合、君はどうするつもりかね?」

 

 と、冷徹な眼差しで城戸が問う。組織のひも付きをボーダーに入隊させる気はないと、暗に示しているのだ。

 

「……その時は、他の縁を頼るより他ありません」

 

 硬い面持ちで、フィリアがそう答える。

 

「な――我々を脅すつもりかね!?」

 

 そう気色ばんだのは根付だ。

 

 近界(ネイバーフッド)に関する諸々の情報を独占しているからこそ、ボーダーは存続を許されている。仮に少女が組織へと流れ、近界(ネイバーフッド)の情報が巷間に漏れれば、ボーダーはその存在理由を一瞬で失いかねない。

 まさに迅が予知していた通り、ボーダーが無くなるかどうか瀬戸際の問題なのだ。

 

「まあまあ。組織については先に確認した通り、今までの方針を改めるつもりはないようです。これ以上追及するのは無意味でしょう」

 

 険悪になりかかった空気を払しょくするように、唐沢がそう発言する。

 ボーダーが組織と交わした盟約については、日本地区統括支部長のシュバインから改めて一札を取っている。ボーダー側が余りに無体な振る舞いに及ばなければ、組織との関係は安泰だ。

 

「いいだろう。この件は不問にしよう。だが、入隊に関してはいくつか条件を付けさせてもらう――まず一つ。君の持つ三本の(ブラック)トリガーを、ボーダーに供出してもらいたい」

「な――」

 

 城戸の提案に、思わず声を上げたのは忍田だ。

 先ほどから冷静に会談を見守っていた彼は、総司令が過酷に過ぎる要求を少女に突き付けたことに瞠目し、抗議の声を上げようとする。だが、

 

「はい。承知しました」

 

 フィリアは慫慂と、城戸の提示した条件を受け入れる。

 

「――君はそれでいいのか!? 話を聞けば、それらの(ブラック)トリガーは君の御両親と、育ての親の形見だろう」

 

 あまりに超然としたフィリアの態度に、忍田が訝しげに問う。すると少女は、

 

「家族が残してくれたのは私の命ですから、きっと怒らないと思います。……ただ、あまり粗略には、扱わないでくださいね」

 

 と、どこか達観したよな、穏やかな表情でそう言う。

 

「ッ――」

 

 健気な少女の言葉に、鬼怒田は感に堪えないといった風に言葉を詰まらせる。

 

「ただ、それでしたら、こちらからも要求を出させていただきたいと思います」

 

 そしてフィリアは、城戸に決然とそう告げる。

 提示した条件は三つ。

 

 一つは日野家への不干渉。

 組織から聞いたところでは、ボーダーは記憶を消去する手段を持っているらしい。如何なる名目であったとしても、世話になった日野家に干渉することは絶対に許さない。この件に関しては組織も同じ立場をとっているとフィリアが言う。

 

 二つ目は、フィリアとヌースの安全と権利の保証。

 異世界人たる少女には切実な条件であり、明文化を求める。特に自律トリオン兵のヌースを、知性ある人間と同様に扱ってほしいとの事。

 

 そして最後の条件は、殺害命令への拒否権。

 少女は近界(ネイバーフッド)で繰り広げられる死と破壊から逃れる為に玄界(ミデン)へと来た。これ以上、自らの手を血で染めるつもりはない。ボーダーからの命令には従うが、間接的にでも人命を損なう命令には決して従わないと告げる。

 

「…………」

 

 少女が提示した三つの条件を、城戸は額に指を当て無表情で検討する。だが、

 

「それぐらいなら、呑んでもいいんじゃないですかね」

 

 と、それまで聞き役に徹していた林藤が、軽い口調で賛成票を投じる。

 実際の所、フィリアの提示した条件は、三本の(ブラック)トリガーに比べれば釣り合いが取れないほど容易な案件だ。城戸が渋っているのは、只のポーズに過ぎない。

 

 少女の提示した条件はすぐに受け入れられ、後はボーダー入隊に際しての細かな条件の打ち合わせがなされた。

 とはいえ、フィリアは既に日本での戸籍を得ているため、難しい話は何もない。程なくして、少女は無事にボーダーへの入隊を承認された。

 

「そう言えば、まだ聞いておくべき話があった」

 

 会談も終わりに差し掛かろうかとしたとき、不意に城戸がそう切り出した。

 

「思えば最初に尋ねるべき事柄だった。……君は近界(ネイバーフッド)の戦乱を厭い、地球へとやってきたのだろう。亡命は無事に成功した。にもかかわらず、君は安楽な生活を捨て、ボーダーの門戸を叩いた。君は一体、ボーダーで何を為そうというのかね」

 

 と、城戸が真剣な表情で問う。

 フィリアはその質問に暫し瞑目し、頭の中で考えを纏める。

 

 近界(ネイバーフッド)の夜の海に漂う国々は、人の命を燃料にして進む箱舟だ。

 定員の限られた船の中で、人々は日夜怯え、或いは怒りを抱いて暮らしている。

 

 箱舟には人も物も、決まった分量しか積むことはできない。

 欠乏は恐怖を産み、恐怖は憎悪を産み、憎悪は殺戮を産む。

 

 システムとして完成された殺戮の連鎖に、少女は自ら望んで足を踏み入れ、そして全てを失い玄界(ミデン)へと逃げ込んだ。

 

 日野家の人々と出会い、少女は確かな浄福を得た。けれど、果たして酸鼻極まる近界(ネイバーフッド)から、己は目を背けたままでいいのだろうか。

 

 多くの人から計り知れない愛情を受けて生きてきた自分が、誰にも何も返すことなく、安寧の日々を過ごすことはできない。

 

 何時か、ドジで優しい友人が言ったことを思い出す。

 こちら側とあちら側。そう境界を引いてしまうから、他人が恐ろしく見えるのだと。

 本当は、誰もが手を取り分かり合えるのではないかと。

 

 それが許さないのは、世界の理が人の血を求め続けるからだ。

 ならば、己が本当に抗うべき、戦うべき相手は、命に選択を強いる世界そのものではないか。

 

 

 

「私は……私は、近界(ネイバーフッド)から争いを無くしたい」

 

 

 

 今、万感の思いを込めて、フィリアが言葉を紡ぐ。

 

 それはリリエンタールたちに救われた少女が抱いた、新たな願い。

 家族が夢見た尊い理想が、長い長い回り道を経て、ようやく少女にも理解できた。

 

 ()()()()()()の直中で、非戦論を説く愚かさは承知している。

 

 それでもきっと、この願いは間違っていない。きっと、この選択を後悔しない。

 一人では絶対に無理だ。でも、誰かにこの思いを伝えることができたなら、誰かが共に道を歩んでくれたなら、この手で掴めるかもしれない。

 

 世界を変革する、きっかけ(トリガー)を。

 

 

「誰も傷つかず、誰も泣かなくて済むような、そんな未来が欲しいんです。……もちろん、簡単な事じゃないのは分かっています。出来るかどうかなんてわかりません。けど、それでも私は一歩を踏み出したい。

 ――私は、世界を平和にしたい!」

 

 

 そして少女はこの場所で、一つの夢を見た。

 

 

 

 

                   WORLD TRIGGER Beyond The Border 第一部 完

 

 

 

 

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