The Armed Detective & Three Strikes 作:zwart
「では、よろしく頼むよ」
彼等の交渉は終わり、東京への帰路へつくことになった。
「・・・・」
一人増えているが。
NOAGの支部に来るのに使った車には今は4人乗っている。運転する蒼とビルを出てすぐ合流したレキと天々座烈八顧問とヘルベルト・フラウド会計主任だ。
飽くなき殴り合いに関係なく天々座烈八はヘルベルトを自分のプライベートジェットに乗せるつもりだったようで二人は今後席で仲良く娘語りをしている。
一方の蒼は何事もなく護衛任務が終わりそうなので心境的には穏やかだった。目的を果たせなかったNOAG側の襲撃の可能性は十二分に考えられるため警戒はしている。だが今のところその気配はない。レキの方も視線を様々な方向に投げているが異変を感じたという様子はない。何時ものヘッドフォンを耳にあてているので聴覚での索敵はしていないようだが彼女のことだ、車窓を流れる美しい木組みの街並みに見惚れているということはあるまい。
プライベートジェットか。天々座烈八の好意で我々二人も東京まで同乗させてもらえるらしい。こちらの仕事の都合にも良いことだ。
だが、二の足を踏む自分がいることを自覚していた。蒼にとって久しぶりの空となるだろう。他人の手に操縦桿を委ねてただの積み荷となって空へ上がる。
せっかくだから自分の手で陸を離れたかった。もっとも車輌科の授業に出て今取得を進めている武偵免許も非常時に限定されており、事業用のソレとは制約面で大きく劣っている。たとえ取得が完了していても武偵の天羽蒼が空を飛べる状況というのは滅多にはなかった。
(やめだやめ)
所詮人間、いつかは地上に立つ時が来るのだ。
空港が見えて来た。
プライベートジェットだからといってすぐに飛行できるわけではない。飛行場や空港にもスケジュールがあり、管制塔の少ない人員が離発着をコントロールする。加えて民間の航空機は事前にフライトプランを提示して承認されていなければ滑走路に出ることも許されないのだ。
だが一行の要した待ち時間は30分もなかった。これは天々座烈八が交渉が終わる時間を読んでいたこと、そしてフライトプランを作成した機長らが優秀であることを示唆していた。
蒼は周囲に気を張りつつも目は窓の外の航空機群を追っていた。あまり見たことのなかった民間航空機への興味もあるが、大きく開けた窓は当然ながら狙撃には格好の射線を提供していた。
(双発が多いな。昔見たエルジアの空港では4発が多かったけれど)
話には聞いたことがある。個々のエンジンの高出力化と信頼性の向上で一機あたりに搭載されるエンジンの数は減ったという。当然、エンジンの数が多ければ部品点数が増えそれだけ整備の手間と費用が掛かる。利益のために飛行する民間航空機ならば無駄なロマンや信頼性よりもコスト削減にリソースを割り振るのはある種の必然だ。
ヘルベルトがラウンジの外の手洗いに出かけ、話相手のいなくなった天々座烈八は天羽蒼に話しかける。
「飛行機は珍しいか?」
「はい、いいえ。ただ見ているのハ好きです」
「見ているだけで満足そうには見えないが」
「ソウかもしれません」
この空港はこの国の空軍と共同利用されている。多少見えにくい位置にはあるが、そこには空軍のアラートハンガーがうかがえる。あいにく出撃命令は出ていないようで扉は閉ざされており中は見ることはできなかったが、蒼の頭の中にはこの国の迎撃戦闘機の配備状況もしっかり記述されていた。F-15J、この国のメーカーが独自に改良した制空戦闘専門のイーグルだ。搭載されるミサイルは同じく自国生産しているType-99とType-04の他にオーシア時代に自分も使ったことのあるAIM-9M(サイドワインダー)の何れかとなる。インターセプトならば使用する機材は比較的足の長いType-04とAIM-9Mの組み合わせだろう。
――などと瞬時に出てくるのはまあ、職業病だ。だがその感覚に今は少し酔ってしまえそうだ。なるほど確かにと、蒼は顔には出さなかったが烈八の問いに大きく頷きたい衝動にかられる。
(飢えているかもしれない)
今から急にこの場所が爆撃されて誰も乗り手のいないF-15やF-2がうまい具合に焼け残るような事態にならないだろうか。そうすれば爆撃機や護衛随伴機を一掃するくらいの協力はやぶさかでもないのだが。――なんて、あまりにも危険な妄想だ。それに仮に状況がその通りになったとして実際に行動に移すのはもはや自信過剰で前後不覚な大馬鹿だろう。
アルマ・クレイマンになりかけていた頭を今一度天羽蒼に戻すべく視線を窓から室内に戻す。そこには守るべき護衛対象と一時的に仕事を共にする仲間、武偵(レキ)がいる。懐にはジガナ――ああ、これはあんまり意味ないな。昔から持ってたし。
レキはヘッドフォンをして目を閉じている。一見しただけでは寝ているように見えるが、多分何等かの感覚で警戒しているはずだ。寝ているにしては圧があるし、ロボットと揶揄されるほど仕事に忠実な彼女がサボりなど考えられない。
(万が一に寝ていたとしても彼女の警戒能力は落ちないが)
夜中に腹が減ってこっそり部屋を出ようとしたことがあったのだが、リビングまで出たところで廊下にドラグノフを背負ったレキが立っていたのにようやく気が付いたなんてことがあった。フツーに恐怖現象だったが、とにかく睡眠中だろうが彼女の魔の手からは逃れられないということは判明した。
(何もなければけっこうかわいいんだがな)
「レキ」
呼びかけるとパチリと目を開け、ヘッドフォンを首に掛けた。
「ボーディングだ。行こう」
「わかりました」
ヘルベルトも戻ってきていた。
「いよいよレツの自慢の飛行機にご対面だな」
「見て驚けよ?」
「もう散々写真で見せられてるよ」
「そうだったか?」
「自分で送ったメールの内容忘れたのか?」
ボーディングまでの移動中、蒼とレキは警戒を怠ることはなかったが特に異常はなく天々座烈八の所有するプライベートジェットに辿り着いた。
「これが俺の新車だ。驚いたか!」
烈八が自慢気に指さす。彼のプライベートジェットはノースポイントの自動車会社が威信を掛けて開発した新進気鋭の機体だった。
鋭い刃物のような主翼には両側に2つずつの突き出した構造物がある。一つは翼端が上向きに折り曲げられたような形の大振りなウイングレット。これは定番の装備で、翼端に発生する乱流を押さえる役割を持つ。
特異なのはもう一つの構造物だ。翼の四分の一あたりのところから上向きに取り付けられたパイロンには一対のエンジンが装備されていた。これがこの飛行機の動力の全てである。この形状は燃費向上の効果の他に機内で感じる騒音を大きく低減するとされており、件の自動車メーカーが初めて開発し実装したものだった。
その謳い文句に嘘は無かったようで売れ行きはすこぶる順調らしい。
かなり有名な機種だったので蒼も写真を見たことはあったが、実物を見るのは初めてだった。
「じゃあ、乗りましょう」
「おいおい感想の一つもナシか?」
「いや、いい機体だと思うよ。本当にいい飛行機だ」
一応、天羽から先に機内に乗り込んでそのあとにヘルベルト、天々座烈八、レキと続く。
機体の定員は乗員2名と乗客5名となっていて、机を挟んで向かい合う席が通路を挟んで一対配置されている。そして操縦席のすぐ後ろに通路側を向いた形の座席が配置されているが、これは予備に近い。
コクピットには既に機長が座って離陸の準備をしていた。蒼は彼についても注意深く観察し、その相手が気が付いたので軽く会釈する。機長の膝にプリフライト・チェックリストが開かれていた。
機内に異常はなし。最後に機内に入ったレキもそれを確認し蒼と状況を共有する。ただ
、蒼はレキが普段以上に警戒しているというか、殺気立っていると思った。閉所に入ることとで自分の不利な状況になるのを警戒しているのか?
烈八とヘルベルト、蒼とレキの組み合わせでそれぞれに向かい合うかたちで着席。
ベルト着用サインが点灯する。
レキはヘッドホンを外して目を伏せる。まるであらゆる音をよく聞こうとしているようだった。機長と管制塔の会話、アイドリングから徐々に唸りを強くするエンジンの音、翼の中で油圧システムが駆動する音や大気と衝突して軋む僅かな音。一度火の入った航空機というのは小さな音の不協和音が絶えない。蒼にとっては街の雑踏と同レベルに聞きなれたそれらだが、彼女には何か意味があるのだろうかと暫く思案しやがて一つの仮説を思いついた。
レキは恐らく航空機に乗ったことはほとんどない。彼女の耳は超人的な分解能で多くの音を聴きとっているだろうが、それらが通常のものなのか異常なのかは判断のしようがないのだ。有体に言えば、フライトそのものに漠然とした不安か恐怖を感じているのかもしれない。
「レキ?」
対面の席の蒼が声をかけると、はっとして顔を上げる。だがすぐに元の姿勢に戻り音に集中する様子だ。
「・・・なんでもありません」
らちが明かない。このまま対面で緊張されるのも面倒なので肘掛けを叩いてまず文面を考えてから視線を自分に誘導する。
(現状問題ハない。大丈夫)
とはいえ、だ。
蒼は自分で言うほど問題がないとは思ってなかった。シートから伝わってくる振動、音。それらはパイロットの体を通して勝手に情報となって頭の中に浮かび上がってくる。もちろん初めて乗る機体なので確実とは言い難いが、離陸滑走中にエンジンの異常振動も翼端失速もすることはとうとうなかった。もちろんフラップもしっかり降りている。そして翼面荷重を感じさせない身軽さでふわりと持ち上がった。
すぐに指定高度に到達し、水平飛行に移るとベルトの着用サインが消灯。
武偵二人の緊張を他所に、烈八とヘルベルトは親し気な会話を続けている。
「で、この間娘がようやく高校に入学してだな・・・」
「理世ちゃん進学したんだ。君のことだからてっきり軍学校にでも入れるものかと」
対面で座っていた烈八とヘルベルトはずっと思い出話とも嫌味ともつかない会話をしている。否、終始ヘルベルトが烈八を質問責めにしているというのが正しいか。
「お前オレを馬鹿にしすぎだろう」
「そうかな。相変わらず彼女にモデルガンも実銃も構わず触らせてるんだろう」
「好きなものを合法の範囲内で好きにさせて何が悪い」
「教育上よろしくない」
「俺の娘だお前がとやかく言うことじゃねーだろ」
「心配するのも勝手だ。まったくタカヒロのヤツが近くに住んでるから平気かと思えば・・・後で苦労するのは理世ちゃん本人なんだよ?」
「ちゃんとウチの娘はかわいい。クソ、どうせなら会わせてやるんだった」
「会わなくても散々写真送られてくるからわかってるっての」
「アアン?写真見た程度でウチの娘の可愛さ語ってんじゃねえよ」
「面倒くさいなあコイツ・・・そういやタカヒロのやつは元気してんの?親父さんのお店継いだって聞いてるけど」
「それこそお前、メールとかで状況知ってんだろ?」
「アイツは写真の一つも送って来ないんだよ」
「・・・あー、まあ変わらんよ。たまに呑みに行っているが経営も安定しているらしい。そんなことより、だ」
「おいおい仮にも親友の話をそんなこと扱いは――」
「オマエ、なにかあったか」
客室の空気が変わった。
レキが足元に置いたドラグノフのケースに、蒼はショルダーホルスターに手を掛ける。
烈八はそれを手で制しながらも厳しい視線をヘルベルトに投げ続けた。
「ないよ」
「そんなわけあるか。タカヒロをダシにして話を作ってんじゃねえよ。自分の娘の自慢はどうした」
「元気にしてるよ」
「そんなことを聞いてんじゃねぇよ。お前は、お前が一番親バカだったろうが。俺とタカヒロの奴が娘の話をしても二言目にはいや俺の娘の方がかわいいだっただろうが!」
「――――、」
「何があった。オマエ、こんなに痩せやがって」
「仕事の、話をしようか。天々座烈八顧問」
「なに?」
「昼間の交渉の続きさ。NOAGは何としてもM&Cと契約を行い商品を売りたい。今すぐにでも」
どこか投げやりに、吐き捨てるようなヘルベルトの言葉が続く。
「今、僕の体には高感染性のウイルスが潜伏している。間もなく発症するこれは12時間で僕を殺す。そして発症者から空気感染で伝播されるから、レツ。君たちも1日とせず死ぬだろう。致死率は100%らしい」
ゾクリとした。蒼にとってそのウイルスの効能、いや性能にはあまりに聞き覚えがあった。以前に師匠に聞いた話では過去に何度かテロに用いられたそれはウーアウイルスという。
「NOAGは、ノースオーシアアグリカルチャーグループはレツの想像以上に状況が悪い。GRとの連携は全て半月前に終わった。高コスト体質だった社の体力は既にクリティカルなレベルまで低下しているし、国内マーケットだけではGRを失った社の受け皿として十分じゃない。僕の上の老人たちは無理やりにでも国外に新しいマーケットを開拓しようと必死なのさ。連邦倒産法はもう目の前に迫っている」
だから、ヘルベルトが今回使用されたのか。天々座烈八と深い親交を持つ彼であれば必ずスキが生まれウイルスを感染させられるチャンスがあるだろうと。
「だけど僕では君にウイルスを打つことなんて出来ない。だから僕は自分がこの閉鎖空間で発症することにした」
「―――確かにそれが確実な手だろう。だが何故そこまで、いや」
「僕の妻子は今はNOAG傘下の保養施設にいるらしい。彼女たちは何も知らない」
「お前はそれでいいのか。二度と家族に会えなくなるぞ」
「もう賽は投げられたよ」
「・・・そうか」
ヘルベルトが急に咳こむ。口元を押さえた手には生暖かい血がべっとりとついた。明らかに体に異常が出ている証拠。
「発症したみたいだ」
そして理屈の上では機内の全員が感染したことになる。
「―――俺が、M&Cが条件をのむとしてだ。そのあとはどうなるんだ」
「ゲホッ・・・死亡までには12時間猶予がある。契約が成立して文書化された場合、ワクチンが空港に到着して機内まで運び込まれる」
「不成立の場合は」
「まず僕が死に、つぎに妻子が殺されるだろう」
「・・・わかった。契約書を――
出してくれ、と烈八が続ける前に蒼とレキはほぼ同時に新しい異常を感知した。
「敵です」
「ああ」
二人は窓に近づき、後方と前方を見張った。向こう側の存在にレキは辛うじて見覚えがあった。
「UAV・・・?」
「MQ-99。エルジア製のコンテナ発射型UAVだ」
蒼が言ったとおり、それは先年の戦争の引き金としてエルジアが用いたものと同じものだ。当時は何度もニュース映像に流れていたのでレキも覚えていた。
3機が海岸線の方に飛んでいく。1機だけが残ってこのプライベートジェットの後ろに追随する。
「インターセプトされました」
レキが言ったが、多分それだけじゃない。
「機長、地上とコンタクトできますか?」
すぐに返事は帰ってきた。
「だめですね。全部の回線に酷いノイズが入っています」
つまりこれは電子戦攻撃。いや単純に大出力妨害電波を垂れ流すだけの通信遮断か。UAVでもAIによる自律制御機だからこその荒業だが民間機ではどうしようもない。
「機長、今どの辺です?」
「東京上空です」
落とされたら大惨事だな。だがなぜこの国に、このタイミングでUAVが展開している?
「全部こっちを追っているのか?」
烈八が窓の外を見ながら聞く。流石元軍人なだけあって落ち着いている。ヘルベルトにしても特別うろたえている様子はないがこの状況は想定外ではあるらしい。烈八と同じように外を気にしている。
「いいえ、エンジン音は1基だけです」
レキの言う通り、1機だけが電子戦でこのプライベートジェットを孤立させていて、恐らく他の機体は洋上に出てインタセプターを引きつける役割だろう。
後ろの機体は一向に撃ってくる気配はない。つまりこの機体の撃墜が目的ではなくただ孤立させること。あるいは特定の場所に落としたいのか。
(いや、その場合は先導するためにもう一機が前にいなければならない。そうでなければ向かう先を指定することなんて――)
「とりあえず皆サン、シートベルトを。機長は他のトラフィックに注意して厚木に向かってください。上手クすれば基地のレーダーがこっちを捉えてくれル」
そうすれば通信ができなくても見つけてはくれるだろう。
と、説明しきる前に機長はラダーを踏み込んで旋回を始めてくれた。
(・・・ん?どこまで旋回するんだ?)
何かひっかかる。だが疑問が解決する前にレキが構えたドラグノフの銃口が鼻先を通り過ぎた。うおっという声が出なかったのがちょっと奇跡だ。
そんなことより、銃口は機長の頭に向いている。
「レキ!?」
「君、何をしているんだ!」
「今、私たちを追跡しているUAVの目的は二つ考えらえれます。一つは我々を空中で孤立させること。もう一つが孤立させた上で特定の場所に向かわせること」
ジャキンと、コッキングの音が狭い機内に響く。
「そして、後者の場合にはあなたの協力がなければ望んだ場所に向かわせることはできない」
「だが、それはあくまで可能性だろう!?」
烈八がレキの銃口を降ろさせようとシートベルトに手をかけるが、俺の方は今更頭の中のひっかかりが外れたところだ。クライアントにはもう少し英雄的行動を待っていただこう。
「彼は躊躇なく旋回しました。後ろのUAVから撃たれていたかもしれないのに」
そう、それもひとつ。もう一つはFMSを見向きもせずに旋回を始めたことだ。戦闘機なら当然のありうる操作だが旅客機ではそうはいかない。しかも厚木に向かうよう指示したが彼はその方位を確認することさえなかった。
「目的の場所に墜とす・・・そうか。今のこの機体は生物兵器なのか。僕が言うことじゃないけど」
ヘルベルトが言ったことが恐らく目的の全てだろう。彼は、というか恐らく俺以外は知らないだろうが、ウーアウイルスというのはそれくらいの威力と政治的インパクトがある。
「・・・チッ」
返答は舌打ちと急激な旋回だった。
天地がぐるりと回転する。思い切りロールさせてシートに座っていないレキを振り回す気だ。
銃声。
鈍い衝突音。
過負荷に軋む翼。
座席から身を乗り出して投げ出されたレキの体を受け止めようとしたが、少なからず間に合わなかった。頭と壁の間に腕を入れることはできたのが幸いか。
「弾は!?」
振り返った先で機長がぐったりしている。あの回転のなかで中てたらしい。だが機長の力の抜けた体がどこかマズいところを押しているみたいで落下は続いている。
「Shit!」
機内は一時的に重力がなくなっていた。自分のシートベルトを外してレキと座席を代わる。いや代わろうとしたが思った以上に体が浮きあがったのでそうはいかなくなった。今高度はどのくらいだ?風切り音がどんどん高くなっている。時間的猶予はないものと思った方がいい。まだ姿勢は垂直ではないが機体性能によってはどうにもならなくなる。
後ろの席でモタモタしているわけにはいかないので座席を蹴って体を前に飛ばす。色々な場所に体をぶつけたがなんとか辿り着いた。成り行きで小脇に抱えていたレキを素早く副操縦士席に押し込んでぐったりしてる機長を座席ごと後ろにずらす。コロンと機長の手から転がり落ちた艶消しのデリンジャーを見て嫌な気分になったが、さておきこの仕事はむしろ重力が味方してくれて上手くいった。機長がどいたところでとりあえず機体を持ち上げるために舵輪を引く。メインディスプレイに移る電子水平儀が緩やかに回転する。驚くことに-40度近くまで落ちていた。更にロール方向にも傾いているので回復操作は面倒になる。体を固定していないので片手をグレアシールドに預け、両足はラダーが収まっている枠でつっぱるような状態だった。
もう都心のビルの窓枠が判別できる距離まで迫っていたが、鉄骨構造物と熱い抱擁を交わすギリギリに離脱することができた。このまま上昇に転じようと思ったが、その前に手の中の舵輪が振動を始めた。
(クソ、スティックシェイカー!)
慌てるな、落ち着け。思わず戦闘機の感覚で機首上げを行ったが急すぎた。だが高度的にあまり下を向くわけにはいかない。スロットルには・・・幸いにも余裕があった。角度を緩めてフルパワーで回せばいけるか。
対気速度計の数値が回復していく。スティックシェイカーも停止。だがまだ安全になってはいない。
「レキ、レキ!」
「っ・・・う・・・状況は?」
よかった。起きてくれた。
「後方にUAV。俺の座席から機長どけて別の席ニ固定を」
「わかりました」
彼女がすぐに立ち上がろうとしたので慌てて止める。今はまずい。可能な限り回避運動を取る必要のないタイミングを作って直進水平飛行しなければ危険すぎる。
(そのためには――、)
ここだ、このビルの隙間。上から見たときここの先に長い直線の主幹道路が見えた。一度無理な機動でその区間に入ってしまえば後ろのUAVが追い付くまで多少の時間を稼げる。
「今だ、頼む」
手を後ろに回して機長のシートベルトを外す。レキは思いのほか素早く動いて機長をコックピット裏の横向きシートに移動してくれた。以外と力があると思ったが、そういえばドラグノフを日常的に担いで回っているので当たり前といえば当たり前だ。彼女も立派な武偵なのだし。
「レキすぐに戻ってきて。こっチでシートベルトを。ミなさんも体を固定してくださイ」
「とっくに固定しとるわ!無茶するなよお前ら!?」
「失礼」
怒られた。自分も今のうちに座席に座りなおして5点シートベルトを着用する。旅客機にミラーはないが、ここならUAVを視認する方法がある。ビルの窓に反射する影だ。旋回して後ろに付かれるタイミングで必ず箱型のシルエットが見えるはずだ。周囲の建物の窓を割らないよう速度はかなり抑えなければならないので回避運動の余裕はほとんどないが。
レキはかなり余裕を持って戻ってきてくれた。彼女にも5点支持のベルトをしてもらう。
「機長死んデないよね?」
「撃ったのは麻酔武偵弾です」
なんと高価なものを持っているのか。
「あなたこそ、操縦大丈夫ですか?」
「ン、まあ」
正直最初は焦ったがもうこの機体の運動特性と加速性能はだいたい把握した。今も燃料系やらFMSやら一時レーダー切り替え操作やらを確認している最中だが、今のところ問題はない。警告灯も地上接近警報だけだから特別に不味いことにはなってないようだ。
「可能な限り外の監視を頼む」
いつまでたっても後ろにUAVが現れない。だがジャミングは続いているので振り切ったわけではないらしい。こちらの低空飛行に付き合わずに上空に留まっているのだろう。そしてこういう場合は別の手段がやってくるものなのだ。
ほら、代わりに恐らく別個体のUAVが現れた。
ここでミサイルを撃たれるのは地上に被害が出るので上空に向かうしかない。
いいだろう。
ペイバックタイムだ。
射撃と同時にやってきた衝撃による気絶から回復したとき、私は飛行機の操縦席にいた。
見たこともないスイッチと液晶とハンドルの塊が目の前で蠢いている。
率直に意味がわからなかった。
幸い、やるべきこととその優先度は目に見える形で表れていたのですぐに行動することができた。だが自分で眠らせた機長を別の席に固定して戻ってきたところで今操縦桿を握っている男について疑問に思った。
情報では彼は確かに車輌科の航空機操縦課程に通っている。だが今飛んでいる場所は何もない空ではなくビルとビルの間だ。しかも状況から推測できるがこの飛行機が回転して私が床から投げ出された後に立て直したのは彼のはず。腰を落ち着かせた彼は危なげなく飛行機をコントロールできているように見える。
鈍痛の残る頭でそれ以上を考える余裕は彼女に与えられなかった。
(音・・・地上構造物に反響して聞こえてくるこれはさっきと同じ)
UAVがさらに接近していた。だが先ほどのように距離を保とうとするような感じではない。
「来ます」
言われるまま5点のシートベルトを止めながら隣の武偵に報告すると、彼は小さく首を縦に振る。それだけの反応しかしなかった。
彼の手により飛行機は唸りを上げて上昇を開始した。
(っ・・・)
今までに感じたことのない無遠慮な加速度が体を押しつぶしにくる。重力がいきなり何倍にもなったようだ。負荷として耐えられないものではないけれど――、
キャノピーの外、ギラリと光る太陽の中に黒点を見た。目端ではあっという間に東京の都市が落ちていく。それら景色が全て青い空に移り変わったところでもう一度天地が入れ変わった。
ぐるりぐるり。
重力が失われ、逆転する。内蔵が体の中で持ち上がった。
気が付いた時には再び高所から都市を見下ろしていた。そのコンクリートの森から二つの影が上ってくる。それは数を増やし4つになった。
ちがう。
2発の空対空ミサイル。UAV、敵。それが正面から突撃してくるのだ。非武装のこの飛行機に。
ひっ、と小さな悲鳴が聞こえた。
それが後ろの座席の誰かだったか、あるいは自分のものだったかはわからなかったが、機長席の武偵のものではないことだけ認識した。
男はどちらかというと笑っていた。レキにはそう見えた。
唸り声をあげていたエンジンが急に静かになる。
加速の力がなくなり翼は糸の切れた凧のように落ちていく。
ミサイルが目前に迫る。
フラフラと機体が地上と敵に腹を向けた。
衝撃は来ない。窓の外をミサイルが流れていった。
「Confirm those MQ-99...with emblem of Elsia as bandits, Intercept mission start.」
レキは隣の男が何をしたのか辛うじて想像することができた。
ミサイル等の一般的な電子式の誘導兵器は対象を識別するのに熱源を探知する。具体的には熱源の発する赤外線とカメラ映像の画像認識の併用だが、とにかく今大事なのは熱だ。地上側にいたUAVがこちらの航空機を空に見るとき、最も熱を放射しているのはレキたちの乗るプライベートジェットに搭載される二発のエンジンではない。そのさらに後方1億5千kmにある太陽だ。つまりUAVとミサイルのセンサージンバルから見上げた二次平面上で太陽を横切り、影から出るタイミングでスロットルを限界まで絞り発生する赤外線量を減らすことで探査目標を太陽に擦り付けることができる。
最接近の時に地上に腹を向けたのにも意味がある。ミサイルが機体の至近を通過する時間が十分であれば磁気探知による近接信管が発動する可能性があった。
頭の鈍痛はいつの間にか収まっている。今更ながらに璃々色金の警告が聞こえてくるが、それはレキにとってもう周回遅れの情報に過ぎず、せいぜいが目覚まし時計の音くらいの意味しか持たなくなっていた。
隣の席で操縦桿を握る存在はインターセプトを始めようとしている。この完全非武装のただのプライベートジェットで。
可能なわけがないと頭は理解していた。この男の無謀を今すぐ止めなければ巻き添えになって死ぬだろう。
レキの中で理性の警告と感情の期待がせめぎ合うが、彼女が何かをする前に状況は推移する。
エンジンが甲高い雄たけびを上げる。緩やかな孤を描いてプライベートジェットはほぼ水平に旋回しながら際限のない加速を開始。情報を欲しがって彷徨う目が目の前に置かれていた電子スクリーンに映る小さな数字が跳ね上がってくのを見つけ、その表示がスピードを指しているのだろうと想像した。
「全員、口を閉ジて」
全くもって今更な天羽の忠告がエンジンの騒音と風の音でうるさいはずの機内に嫌によく響いた。その意味するところをレキは目の当たりにすることになる。彼女のよく視える眼には機体が突っ込む先の空間に二つの陽光を反射する物体をみつけた。UAV。今度はあれに突っ込んでやるつもりなのだ。
ほらみろ特攻してしまうぞ、と神は喚いた。
誰かがその神に、黙って見ていろと言い返した。
どちらにせよ自分にできることなどない。みるみるうちに彼我の距離は縮まっていき、0になった瞬間、彼女たちの乗るプライベートジェットは大きく揺れた。
ぶつかる瞬間、目を閉じなかったのは奇跡に近い。天羽の操縦は2機のUAVの飛ぶその間を正確に照準していた。
速度が落ちて一転、体に負担のない緩い旋回。キャノピーのガラスの向こう、そのパイロットの頭越しにUAVが堕ちていくのが見えた。
これが結果。
それぞれ右と左の主翼を切り裂かれて制御を失い黒煙と共に落下していく。己の視力を疑ったが、それらは幻想ではなかった。
レキは己の勘違いを理解した。
彼を地上でいくら監視したところで意味があるはずもなかったのだ。そしてどうして自分に監視の依頼が出されたのかも。Bランクなど嘘だ。武偵など嘘だ。
ソレは空中戦闘における絶対捕食者だった。
一万字を超えたのは初めてかもしれないです。
また、某プライベートジェットの運動性能についてはかなりご都合主義に走っておりますのでお試しにならないようお願いいたします。