アインズはシモベたちに有給休暇という概念を説明したが、案の定まったくの不評であった。ナザリックのシモベたちは一人残らずワーカホリックであり、至高の御方たるアインズに尽くすのが最上の喜びだといって、普通の休日すら持て余しているのである。ともかくも形式的なルールとしては有休制度を整えたのだが、この分では活用する者が現れそうにない。
「ヘロヘロさん、俺、頑張ってナザリックに有休を広めます」
アインズは脳裏に浮かぶ疲れ切った友人に語りかけ、決意を新たにするのであった。
◆◆◆
冒険者モモンの名声が高まるのは喜ばしいが、会食の機会が増えるのは困りものである。
言うまでもなくアインズの体は骨であり、食事はできない。飲み込んだものは骨の隙間からこぼれ落ちる。しかし人間を装っている以上、あまり会食を断ってばかりでは周囲の印象が悪くなってしまいかねない。
というわけで、今日は執務室で食事の練習である。口から胃にかけて細長い袋をセットし、顔は幻術で作る。正面には鏡を置き、練習相手としてアルベドが同席し、会話しつつ食事する。横には料理長と一般メイドたちが控えている。
結論を言えば失敗であった。どう頑張ってもにじみ出る不自然さを隠すことはできず、会食の機会はあらゆる手段を尽くして避けるしかないということがはっきりした。
だがそれはそれとして、アインズは奇妙な満足感を覚えていた。
味覚の無いアインズだが、においや歯ざわりは感じる。そして袋を通じて、のどごしや胃のあたりに温かいものが貯まる感覚も分かった。擬似的ではあるが、食事の快感を久しぶりに得ることができたのだ。
ましてや、この料理を作ったのは超一流の料理人として創造されたナザリックの料理長である。こんな形ではあるがアインズのために初めて腕を振るえるとあって、その腕はいつにも増して冴えわたっていた。
「アインズ様、袋をお取り外しいたします」
「ああ、すまないなアルベド」
ふわりと温かいものが自分の中からなくなり、アインズはちょっとさびしく思った。アインズは自分自身の感情に戸惑いながら、皿をのせたワゴンを押して退室しようとする一般メイドと、それに続いて大事そうに袋を抱えていくアルベドをぼんやりと見送った。
……そこでアインズは二つの事に気がついた。自分は「もっと食事がしたい」と思っていることに。そしてアルベドの息が荒くなっていることに。
「アルベド、その袋をどうするつもりだ」
袋の中身は噛み砕かれた料理の残骸である。唾液も胃液も出ないので、清潔と言えば清潔なものではある。
振り返ったアルベドは微笑んでいた。しかしそれは穏やかな好意を示すものではなく、感情を隠した、無表情の同類としての微笑みであった。
数秒、二人は見つめ合った。アルベドはつぶやくように言った。
「お許しください」
そしてアルベドは袋の口を自分の口に突っ込むと、(注・袋の口「に」自分の口を突っ込んだのではない)天井を見上げるようにして袋を真上に持ち上げ、掃除機のように中身を吸引し始めた。
アルベドの目は血走りながら妖しく輝いていた。アインズは驚きのあまり行動が取れなかった。なんだかものすごくニッチな需要のあるR-15な行為がおこなわれているような、そうでないような気がした。
重ねて言うが、袋の中身は医学的には清潔であり、郷土料理だと言われて出されたらそういうものかと信じてしまう程度には食べ物である。
一分と経たずに全てを飲み干したアルベドは、爽やかな笑顔で料理長をねぎらった。
「腕を上げたわね」
アインズは、ここは叱責するべきタイミングだと理性では判断したが、あまりの妙な状況に怒りの感情がわいてこなかったので、意図的に絶望のオーラを出して支配者らしい演技を心掛けながら言った。
「アルベド、謹慎1日」
アルベドは恍惚の表情のまま牢獄へと向かった。
◆◆◆
料理長は歓喜に震えていた。まさかアインズ様に料理を食べて頂ける日が来ようとは。もちろん擬似的な食事であることは承知しているが、これが最初で最後の可能性が高い。ならばこの身の全てをもって料理を作らねばならない。
そして守護者統括が連行され、料理長にとっての生涯最高の至福の時間が幕を閉じようとしていたそのときであった。
「料理長よ」
「はっ」
アインズの言葉に、料理長は片膝をつき応じた。
「すばらしい料理であった」
「もったいないお言葉、感激の極みにございます」
しかし言葉通りであるなら、なぜこのような恐ろしい威圧感をお止めにならないのか、自分は何か不敬を働いてしまったのではないかと料理長は不安がっていた。智謀の王たる主君が、よもや単に絶望のオーラを切り忘れているだけだとは料理長の思いもよらぬところであった。
「私は味覚を持たないが、料理の見た目はもちろん、香り、食感、のどごし、温度は分かる。その上で言おう。お前の料理は最高のものであった。食べる喜びを感じることができた」
「ありがたき幸せでございます」
「明日もまた食事がしたい。用意せよ」
料理長は思った。これは単に料理を作れという命令ではない。この恐ろしいオーラと共に命じられたということに、何か特別の意味があるはずだ。至高の御方の指示はときに分かりにくく、遠回しにシモベの知恵や忠義を試すと聞いている。
必死に考えた料理長は、やがて答えに到達した。自らの主人が何を要求しているのかを理解し、その課題の困難さを自分への期待の表れだと解釈して奮い立った。
「ははあっ! 必ずや、至高の料理をおささげ致します!」
アインズがその場を去った後、料理長はとある守護者に協力を依頼した。究極の料理を作るために。
◆◆◆
あれから丸一日。アインズが料理を待つ執務室に、料理長はともかくなぜかパンドラズ・アクターも一緒にやってきた。
聞けば料理を手伝ったらしい。料理の得意な誰かに変身したのだろうか。このとき料理に気を取られていたアインズは、メイドが一人も部屋におらず、代わりにパンドラズ・アクターが給仕を手伝っているという異常事態の意味に気づいていなかった。
「担担麺、麻婆豆腐、エビチリソースでございます」
料理長が出してきたのは四川料理の代表的な品々であった。痺れるような辛さを意味する「
アインズはまず担担麺を一口すする。ゴマの豊かな香りと、無い舌が痺れるかのような辛さは、アインズをとりこにした。
「うまい!」
麺ののどごし、ひき肉の香り、エビの食感……そして全てを貫きまとめる、不快感の無い極上の辛味。アインズは心ゆくまで食事を楽しんだ。
「素晴らしい料理だった」
「お褒めにあずかり光栄でございます」
「それでだ。少々、支配者としての威厳に欠けるかもしれんがな……おかわりをもらえるだろうか」
「かしこまりました! ただちに」
「――アインズ様!」
不意にパンドラズ・アクターが会話に割って入った。戸惑うアインズをよそに、全て承知した様子の料理長が確固たる意志を感じさせる声で言った。
「いいのです、パンドラズ・アクター様。ナザリックのシモベとして、至高の御方のために働く以上の幸福があるでしょうか」
「――分かりました」
なんかよくあるよなあこんなやりとり、みんな丁寧に説明してくれればいいのに、などとアインズが考えていると、謹慎1日を終えたばかりのアルベドがノックもせずに駆け込んできた。
「アインズ様、御無事ですか!?」
「どうしたアルベド、私は何ともないぞ」
「廊下にメイドたちが倒れております。気を失っている者が多数」
「なんだと?」
アインズが廊下に飛び出すと、一般メイドたちがいつもの持ち場で倒れこんでいた。一番近くにいたものの抱き起こし、必死に呼びかける。
「どうした!? 何があった!?」
「アインズ様、申し訳ございません、私がしっかりしていないばかりに御心労を……」
「質問に答えよ! 何があった!?」
「アインズ様、アルベド様、ご心配なく。彼女たちの命に別状はございません。しばらく安静にしていれば回復いたしますし、彼女たちもそれを知らされています」
そういう料理長自身、よく見ると体調がおかしいらしく、細かい震えが止まらない様子だった。
「料理長として説明させていただきます。アルベド様はご存じないことですが、昨日の食事の後、アインズ様が新たな食事の用意を御命じになったのです。しかしアインズ様は、単なる食事をお望みではありませんでした。アインズ様は、まがまがしくも美しい、支配者としての威厳あるオーラをお出しになったまま命じられたのです。これが意味するところは一つ」
「なるほど、分かったわ。味覚と言えば一般的には、甘味・塩味・酸味・苦味・うま味の五種類。これはアインズ様の感じることができないもの。でもアインズ様でも感じることのできる『味覚』がある。それが『辛味』だと言いたいのね」
「おっしゃる通りです。『辛味』は味覚あつかいされていますが、実のところその本質は味覚ではなく、痛覚。『辛い』とは『口の中が痛い』という刺激をあたかも味の一種であるかのように感じているということです。
そしてアインズ様は態度でお示しになったのです。『お前の料理には、私でも感じることのできる辛さという要素が欠けている。次の食事ではそれを示せ。そして私は偉大なる支配者として、無効化特殊能力を切るつもりはない。そんな私に辛味を、すなわち痛みを感じさせることができるか?』と」
(いやいや、そんなこと全然考えてないって! ……試しに無効化切ってみるか……うわ、痛! 痛い痛い痛い! 何だこれ! 普通にダメージ入るぞ! もう食べ終わってんのに口中痛いぞこれ!)
「アインズ様に痛みを感じて頂くにはどうすればいいか。辛い料理と言えば四川料理。その特徴は痺れるような辛さ。すなわち、麻痺毒でございます!」
(ん?)
「そこで私は、パンドラズ・アクター様にご協力いただき、ヘロヘロ様の姿に変身していただきました。そして召喚していただいた高位のスライムが分泌する麻痺毒を、食材として活用して料理を仕上げたのです。残念ながらある程度の瘴気がもれるのはやむをえない仕儀でございまして、レベル1の一般メイドの方々にご迷惑をおかけしてしまいました。避難するよう申し上げたのですが、仕事の最中に持ち場を離れるなどもってのほかだと、皆さま口をそろえて仰せになりました。この室内にたちこめる瘴気にはさすがに耐えられなくとも、せめて廊下には立っていたいとおっしゃるのです」
(ええー…………)
この世界に来て何度目かのドン引きをしているアインズが改めて確認すると、確かに室内に立ち込める瘴気はレベル1では耐え難いであろうものだった。ふと先ほどのことが気になった。
「話を戻すが、おかわりと……」
「はっ! ただちに」
「いや、そうではなくて、おかわりのとき何か話そうとしていたな、パンドラズ・アクターよ?」
「はい。料理長の体がもたないと思われますので、ここは止めるべきかと言おうとしました。すでに料理長の体には調理中に吸い込んだ毒が回り、全身麻痺で立っているのがやっとのはずです」
「私は構いません! 料理こそ私の存在意義! 私が倒れた後は副料理長たちが立派に跡を継いでくれることでしょう」
軽い気持ちで口に出した言葉が波紋どころか大波になって広がってしまったのを悟ったアインズは、どうにかこの場をごまかすために料理長に歩み寄ると、その肩に手を置いて語りかけた。いままでの経験上、ボディータッチをするとシモベたちは冷静な判断力を失い言いなりになる傾向があると分かっていたからだ。智謀の王というよりは錦糸町の女王のテクニックである。
「見事な忠義である! おかわりがほしいと言ったのは嘘だ。お前の忠誠心を試したのだ。そしてお前は私の期待に応えて見せた」
「……アインズ様……もったいないお言葉、感謝のしようもございません……」
至近距離で二人は見つめ合った。アインズの口から吐息が漏れた。その吐息には高濃度の瘴気が含まれていた。料理長は最初は感激で震え、次に瘴気で震えて倒れた。
アインズは慌てて袋を取り外し、アルベドとパンドラズ・アクターに救護活動を命じた。二人の的確な指示で、料理長と一般メイドは速やかに担架で運ばれていった。
負傷者が全員担架に乗せられたのち、遅れて一つの担架がやってきた。
「ん? これは何だ?」
「私が自分で呼びました、アインズ様」
そういうとアルベドは、さっきまでアインズの体に納まっていた袋を手に持ち――また飲み干した。そして痙攣して恍惚の顔で昏倒したので、よりR-15っぽさが加わった。
「腕を上げたわね」
「ありがとうございます」
アルベドと料理長は並んで運ばれていった。
◆◆◆
料理長も一般メイドも、体調不良で仕事ができないことに悔し涙を流していた。至高の御方にお仕えできない申し訳なさでいっぱいだった。
しかしそんな彼らに、ナザリック初の有給休暇が適用されることになった。
休んでいるのに給料が出る、すなわち、今回のこれは休まず仕えているものと見なすので気にするなという、至高の御方の想像を絶する寛大さに皆は感動した。
一般メイドたちがユグドラシル時代の至高の41人の言動をもとに話し合ったところ、この「有給休暇」という斬新な制度を最初に発案し口に出したのは、一般メイドの創造主の一人、ヘロヘロであるという結論が出た。
レベル1の一般メイドであれば、今回のように不測の事態で休まざるを得ないこともありうる。休むことはシモベにとって大きな苦痛に他ならない。その心労をやわらげるためには、形式上であれ「休んでいない」ということにすればよい。こうしてヘロヘロは有給休暇という制度を考案したのであろう、と皆は考えた。創造主の偉大な愛に触れた思いがして、メイドたちは嬉し涙にむせんだ。
ヘロヘロの考えを、アインズが実現した。去ってしまった至高の御方々との間に確かなつながりを感じて深く心を動かされ、ともかくもナザリックのシモベたちは有給休暇制度の意義を彼らなりに理解した。