教室の窓の外には、雨が静かに降り続けている。空を見上げればそこに太陽はなく、濁った色の雲が覆いかぶさるように広がっている。
午後の最後の授業、窓際の席に座っている私はそんな空の風景を今更ながらに眺め続けていた。
降り止まない雨。それを人々は、怠惰なる人類に対しての罰だとか、神々の怒りだとか、そんな風に言う。それもそのはずで、頭のいい学者さん達がいくら研究を重ねてもこの雨が止まない原因がわからないからだ。
でも私たちは知っている。この世界の秘密の1つを、あの空の上で見たからだ。
私は知っている
原因は、1人の少女が大勢の幸せと自分の幸せを天秤にかけて、その少女は自分の未来を選んだからだ。
後悔はしてない。何度も言うけれど、私は自分の選択に後悔をしたことは一度もない。
ただ…
ただ、もしこの雨を止めることができるなら…
「ーさん」
「ーーさん!」
トントン、と肩を叩かれ私の意識は急激に現実に引き戻された。
「え?」
振り向くと、隣の席の子が呆れ顔でこちらを見ている。
「陽菜ちゃん。さっきから先生に呼ばれとるよ」
「え!あ、ごめんなさい!」
私はすぐに立ち上がって先生の方に向き直ると、同じように先生も呆れ顔でこちらを見ていた。
「天野さーん。私の話、聞いてましたか?」
「うっ…あの、ごめんなさい…」
申し訳なさげに頭を下げる私に、クラスの子達が笑い声をあげる。別にウケを取るつもりじゃなかったんだけどなぁ…私は、少しだけ顔を赤くしながら席に座った。
「陽菜ちゃんったらー、こんなとこであざとさを出してくるなんて、意外とやる女やね」
隣の席に座るこの子は、仲のいい人と喋るときだけ出身地方の訛りが出る。いつからか、私と喋るときも訛りを出してくれるようになっていた。そんな彼女に対して私も親近感が湧いて、今では親友と言ってもいいくらい仲が良くなったのだ。
「ち、違うよ!そういうんじゃないの!ほんとにちょっとぼーっとしてただけで…」
「へぇー…陽菜ちゃん男でもできた?」
急にニヤニヤとした顔が近づいてきて、私は思わず後ずさる。
「な、な、なんでよ…」
「似とるんよ。私のお姉ちゃんもね、男ができたとき、いきなり嬉しそうにニヤついたと思ったら今度はぼーっとし始めたりしとったんよね。これ、最近の陽菜ちゃんのまんまやね」
「え?私そんなニヤついてた?」
私の問いに無言で頷いた彼女は、今度は窓の外を顎でしゃくる。
「それよりも、あれ、気にならん?」
「なに?」
彼女に言われたままに校門の方を見ると、私服姿の男性が傘をさして立っているのが見えた。
「あー…」
「んー、同い年くらいかな?でもこの時間に外にいるってことは大学生?誰かの彼氏かな?学校まで迎えに来てもらうとか、羨ましいわー」
ふてくされた顔でそんなことを言う彼女を遮るように私は声のトーンを上げる
「えっと!誰かの兄弟とかじゃない!?ほら、よく見たら年下にも見えるし!」
そんな私の態度に彼女は眉をピクッとさせる。
「んー?陽菜ちゃんなに慌ててるん?もしかしてぇ」
さっきよりも近い距離まで接近してきた彼女は獲物を見つけた虎のような表情に見えた。
「な、何…」
「あの男の人が、陽菜ちゃんの…げっ!」
途中で言葉を切った彼女は、今度はまるで苦虫を噛み潰したような表情で仰け反った。
私が振り返るとそこには
仏頂面の先生が仁王立ちで私達を睨みつけていた。
「あんた達…さっきからペチャクチャペチャクチャと…私の授業を受ける気は無いということでいいわね?」
こめかみをひくつかせる先生に対して、私たちは一度目を合わせると揃って頭を下げた。
「「ご、ごめんなさい!…」」
《ばか!学校まで来なくていいって言ったのに!》
届いたメッセージには、怒った顔文字と共にそんな文章が添えられていた。僕は笑いながら携帯から顔を上げて、静かに打ち付ける雨の中から学校を見た。ちょうどチャイムの音が響いてきて、しばらくするとポツポツと下校する生徒達の姿も見えてきた。
《今から降りる!》
通知の音を聞いて、ロック画面にメッセージが浮かび上がる。さすがに高校生にもなると彼女も携帯を買ったようだったので、以前家にお邪魔したときに連絡先は交換してあった。ついこの間なんて、朝まで電話をし続けてしまって学校に寝坊した程だ。我ながら、青春を謳歌してると思う。
「帆高!」
少し怒ったような声に振り向くと、ツインテールをぴょこぴょこと揺らしながら陽菜さんが走って来るのが見えた。
「早かったね、陽菜さん」
「ちょっと!帆高が待ってるの友達に見られたんだからね!もう!駅で待っててって言ったのに!」
顔を赤くした陽菜さんは怒ってるけどなんだか嬉しそうに見えて、僕はクスクスと笑ってしまった。
「ごめんね陽菜さん。センパイがさ、男なら校門で待ってろって言うから」
「うー、凪のやつ、また余計なことを…」
「それにしてもさ…」
僕は今更ながらに陽菜さんの制服姿をまじまじと見る。
「なに?帆高」
「俺、なんで歳下で高校生の陽菜さんに、まださん付けしてるんだろ」
そんな僕の問いに苦笑した陽菜さんは顎に手を添えて少しだけ考えた後、満点の笑顔で答えてくれた。
「精神年齢が子供だからじゃないかな?」
「は、はは…」
拝啓センパイ。僕はまだまだ男として色々足りないようです。
「どうしたの?入ってよ陽菜さん」
僕の家の玄関の前でもじもじとしている陽菜さんのためにドアを開けてあげるけど、陽菜さんは中々家に入ろうとしない。今日は僕らの『青空大作戦(仮)』の話し合いのために、陽菜さんを僕の家に呼んだところだったのだが
「えーっとね…」
今度は顔が少しずつ赤くなっていく。体調でも悪いのだろうか。
「陽菜さん大丈夫?もし体調でも悪いなら…」
「ち、違うよ!そのね…」
僕は俯いた陽菜さんを覗き込むように見る
「…男の子の部屋に入るのは人生初なので緊張してます。うん」
それを聞いた僕は、なんだか無性に嬉しくて、初めて自分が陽菜さんの家に行ったときのことを思い出してしまった。
「陽菜さん、手出して」
「え?ひゃぁ!」
きょとんとした顔で差し出された陽菜さんの手を取ると、僕はそのまま引き寄せて勢いのまま抱きしめた。
「うぅ帆高、こんなのどこで覚えてきたの…」
「なに言ってるんだよ、陽菜さんが教えてくれたんじゃないか」
僕が笑いながら答えると、陽菜さんは顔を赤くして僕の胸の中に顔を埋めてしまった。ごめん俺今、人生で一番幸せかもしれない…
「さ、来てよ陽菜さん。狭い部屋で何にも無いけどさ」
僕は陽菜さんの手を引いて部屋に入った。このアパートは大学の近くに借りた所で、築18年にしてはまぁまぁ綺麗だった。小金井のこの辺りはまだ浸水の影響もほとんどなく、この2年の西環ラッシュによって家賃相場は上がっているものの、決して住めないような値段ではない。一人暮らしの大学生にはちょうどいい1Kの部屋だ。
「わっ、ほんとに何もないね!」
「だから言ったろ」
陽菜さんは楽しそうに部屋を見回すけど、言われた通りこの部屋には布団と小型のテレビ、それから本棚とテーブルがあるだけで他には何もない。つまらない部屋だけど、バイトを掛け持ちして一杯一杯の僕には贅沢する余裕なんてないのだ。
「とりあえず座ってよ、飲み物はお茶でいい?」
「うん!ありがとう!」
僕はキッチンの横に置いてある小さな冷蔵庫からコップを2つ取り出すと、お茶を注いで陽菜さんの前に出した。
「ごめんね、こんなもてなししかできなくてさ。陽菜さんはパパッとあんな美味しいチャーハン出してくれたのに…」
「ふふっ、お構いなく!帆高にはもう色々貰ってるからね、大丈夫だよ」
「色々って、俺そんなこと…」
「例えばほら!」
僕の声を遮るように、陽菜さんは制服のポケットから指輪を取り出した。部屋の電灯に反射してキラッと光ったそれを、陽菜さんは嬉しそうに指にはめてくれた。
「学校でつけてると怒られちゃうからね。でも、こうしていつも持ち歩いてるの」
「陽菜さん…」
「これだけじゃないよ。帆高はね、私に生きる意味を教えてくれた。とっても大事な、私の生きていく理由をね」
陽菜さんはそこまで言うと、少しだけ恥ずかしそうに俯いた。
「ありがとう…帆高」
僕は、そんな陽菜さんが可愛くて、愛おしくて、どうしようもない気持ちになってしまった。どうして陽菜さんは、こうも僕の心を動かしてしまうのだろうか。
「陽菜さん…その指輪」
「ん?なに?」
陽菜さんはきょとんとした顔で僕を見る。
「左手の薬指に、つけてくれてるんだね」
その言葉を聞いた瞬間、陽菜さんの顔は真っ赤に茹で上がった。
「な、なに!違うよ!べつに違うもん!帆高ってほんとそういうとこあるよね!」
「な、なんだよ。普通に俺は嬉しいし。その…結婚まで考えてくれてるのかなって…」
「そ!そりゃもちろん…うぅ」
なんだか僕も恥ずかしくなってしまって、お互いに顔を赤くして俯いてしまう。高校時代に恋愛とは無縁だった僕は、こういう状況に耐性なんてないんだ。
ふと目をあげると、同じくさぐるように目線を上げていた陽菜さんと目がバッチリ合った。そんな自分達がどこか可笑しくて、2人で笑い合う。窓に打ち付ける雨の音も、どことなく楽しげに聴こえてくるようだ。
「よし、それじゃ陽菜さん。これを見て」
僕は本題の『青空大作戦』の話を進めることにする。まず取り出したのは須賀さんの事務所からいくつか拝借してきた様々な雑誌だ。
『消えた伝説の大陸を探せ!』
『ムー大陸は実在する!?』
『アトランティスはなぜ海底に沈んだのか』
『世界の海底遺跡10選』
『神の怒り!消えた大都市』
そんなような雑誌を僕はテーブルの上にずらりと並べる。
「これって…」
「気づいた?全部雨や洪水で都市や大陸が沈んだってことを研究してる資料なんだ」
須賀さんのK&Aプランニングは、今は事業を拡大して様々な雑誌と契約しているみたいだけど、以前はオカルト雑誌のライター業が仕事のほとんどだった。僕もよくオカルトの情報収集のために夏美さんと走り回ったものだ。
「前に働いていたところのツテでね、こういう雑誌はたくさんもらえるんだ。ほら、須賀さんと夏美さん、覚えてるでしょ?」
「あぁ!あのときの!萌花ちゃん、元気かな?」
「元気みたいだよ。須賀さんったら、何回も同じ写真ばっかり見せてくるからうんざりしてたところだよ」
「ふふっ、そっか!なんだか安心した」
呆れ顔の僕に、陽菜さんはクスクスと笑いかける。僕はそんな陽菜さんに笑い返すと、目線を広げた雑誌に戻す。
「それでさ、この雑誌を見てみると、今から何千年、何万年も前に、こうして大陸や都市が海に沈んでるって書いてあるんだ。これ今の東京の状況に似てると思わない?」
「でも…これってオカルト雑誌でしょ?その…信憑性ってあるの?」
どこか申し訳なさそうに言う陽菜さんに、僕は真面目な顔をして頷く。
「言いたいことはわかるよ。けどそれが、あながち馬鹿にもできないんだ。きちんと読んでみるとこれ、よく調べられてるよ。実際海の中に遺跡や街の跡があるのを海外まで調べに行ってたり、当時の文書を解読したりもしてるんだ」
「そうなんだ…」
僕の顔を見て、不安そうだった陽菜さんもどこか落ち着いた表情を取り戻している。
「それでね、俺が言いたいのは、今までに天気の巫女としての役割を果たさなかったのは、陽菜さんだけじゃないと思うってことなんだ」
そんな僕の言葉に、何かを考え込んでいた陽菜さんはハッと顔を上げて僕を見た。
「それ…どういうこと?」
「アトランティス、ムー大陸。こういったものが海に沈んだ理由って、ほとんどが神の怒りに触れたとか、曖昧な理由になってるんだ。さっきも言ったけどこれって、今の東京も同じじゃないかな?滞留し続ける低気圧、原因不明の止むことのない大雨、どれも科学じゃ説明できないんだ」
僕は少しだけ興奮して陽菜さんの方に身を乗り出してしまう。もちろん陽菜さんも真剣な表情で僕の話を聞いてくれている。
「たしかに…そうかもしれないね。私以外にも、役目を果たさなかった天気の巫女がいて、その人達のせいで大陸は海に沈んだのかな…」
「だから、こういうものをたくさん調べて、過去の天気の巫女のことを探ってみようと思うんだ。そうすれば、この問題の解決の糸口も掴めるかもしれない。後、僕らは天気の巫女って言っているけど、力を持っていたのは女性とは限らないかも…」
僕の言葉に、陽菜さんは首を傾げる
「それって?男の子が天気の巫女をしているところもあったかもしれないってこと?」
「うーん。可能性の1つだよ。だから天気の巫女って言うよりは、そうだな…」
僕は窓の外に降り続ける雨を見て、静かに言葉を紡ぐ
「天気の子…かな」
「天気の子…」
復唱するように言う陽菜さんに、僕は頷き返す。
「うん。その天気の子について調べていこう。もちろん、現代で一番最新の天気の子の意見も交えてね」
僕の言葉に、陽菜さんは苦笑する
「帆高のばか。でも、私も協力するよ!これから雑誌をたくさん読まないとね」
パラパラとテーブルの上の雑誌をめくる陽菜さんを見ながら、僕は考える。天気の子だなんて言ったけど、それは空と繋がることのできる特別な人間のことだ。人々の想いを集めて、代弁して空へと伝えることのできる空の架け橋。それが天気の子だ。でも、大きな力っていうのはそれ相応の代償が伴うもので、陽菜さんももう少し遅かったら、きっと消えてしまっていたのだろう。今はもう、祈っても空は応えてくれないらしいけど、例え陽菜さんに力が残っていてもそんなものには頼らずにこの計画は進まなくてはいけない。
だって…
もう、あんな思いはたくさんだ…
そんなことを考えていたとき、急に雷鳴が鳴り響いた。
「うわ!」
「きゃ!」
驚いた僕と陽菜さんは、とっさに互いの手を取った。それがなんだか気恥ずかしくて、数秒見つめ合った後すぐに手を離してしまう。
「ご、ごめんね、帆高」
「ううん、俺の方こそ。それにしても」
僕が窓の外を見ると、さっきまで静かに降っていた雨が急に激しくなり、まるで滝のように降り注いでいる。それにところどころ雷も落ちているようだ。なんでこんな急に…僕は急いでテレビを付けると、ちょうど天気のお姉さんがこの豪雨は朝まで続くので、早めの帰宅を心掛けましょうと注意を促しているところだった。
「あー、まじかよ」
僕は申し訳なさそうに陽菜さんを見る。この様子じゃ家に帰るだけでかなりキツイ。送るって言っても、車も持ってない僕には駅まで歩いて送り届けることしかできない。
「うーん…」
そんな僕に、陽菜さんは少しだけ悩んだ後、なんだかいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ねぇ帆高」
「なに?陽菜さん」
「今夜さ、泊まっていっていい?」
雷が落ちた。