「それで」
「うん」
菊地原士郎は、眼前ののび太に向け――特に変わらぬ表情で言葉を投げる。
二日間の弓場隊との連携訓練。恐らくは、思い切り合うか思い切り合わないかのどちらかであると踏んでいたが――どうやら話を聞く限りにおいて、かなり弓場との相性はよかったみたいらしい。
そのことに安心しつつも、菊地原は尋ねる。
「――その髪は、なに?」
「弓場さん」
「は?」
「だから、弓場さん」
のび太は短い髪をかき集め、その全てを前に引っ張り上げている。
だが髪のボリュームが悲しいほどに足りない為、逆ちょんまげの如き――何となしに、絶妙な情けなさを湛えた風貌の少年がそこにいた。
「僕が今まで会った人の中でも、弓場さんは一番カッコいい人だった」
「うん」
「だからまずは言葉遣いから真似しようと思って、ポン吉おじさんを“ポン吉ィ!”って言ってみたんだ」
「ああ-----うん。で?」
「思い切りチョップされて、説教された」
「やっぱり君、馬鹿だろ」
「言葉を真似できないなら、だったら髪型だけでも真似をしようと思って」
「こうなったの?」
「うん」
菊地原はじっとりとのび太を見る。
何度か目を瞑って、まっさらな状態で見直す。
うん。
やっぱり。
「本当馬鹿だよね。のび太君」
「何でそんなひどい事を言うんだ?」
何でそうなるんだって。
何でそうならないと思えるのかこちらに説明してほしいくらいだ。
「取り敢えずとてつもなく変な見た目だから、元に戻そうよ」
「うん」
のび太は割に素直にその意見を受け入れると、すぐに元の髪型に戻した。
「僕もそれとなく気づいてたさ。僕は弓場さんにはなれない」
「よく解っているじゃないか」
「無理に人に合わせる必要はないんだ。僕は僕の道を僕なりに歩いていく」
「多分その道の先は落とし穴ばかりだと思うけど-----」
「という訳で僕はこれから帰るんだ」
弓場隊での二日間の日々は、確かにのび太の中で大きな財産となった。
だがこの財産のありがたみというのは、どこかで振り返って再認識すべきものであると考える。
怠け者ののび太が、あれほど頑張った姿。
その素晴らしさは、もう一度本来の在り方を見つめなおした先にあるものだ。
だから、帰ろう。
冬休みの宿題も終わっていないし。何なら手を付けてもいないし。これから手を付けるつもりもないし。
帰ろう。帰ろうよ。
温かく穏やかな惰眠が待つあの家へ。
「それじゃあ菊地原さん、さようなら――あの。何で僕の肩を掴んでいるんですか?」
本部を背に歩き出したのび太の肩に、菊地原の手が乗せられる。
「え?訓練だって言ってなかったっけ?」
「聞いてない」
「耳が悪いんだね」
「僕は寝たいんだ」
「そんなの知らないよ」
流れるような動きで肩から首元へ手を移動させると隊服を掴んで菊地原はのび太を引っ張る。
引き摺られる、のび太。
「僕はこれから何処に向かうんだ?」
「行けば解るよ」
※
菊地原に連れられ、向かうは開発室。
扉を開くと、いつもの不機嫌そうな顔をした鬼怒田がいた。
「鬼怒田さん。連れてきましたよ」
「おお。連れてきたか」
のび太を一瞥すると、鬼怒田はそう呟いた。
いつもの説教かと身構えていたのび太の前に、鬼怒田は近づく。
「野比。お前に是非とも協力してほしいことがある」
「協力?」
「そうだ。――ついてこい」
鬼怒田に連れられ、菊地原とのび太は部屋の奥に存在する仮想空間ブースの中に連れて来られる。
「皆、野比を連れてきた。これで最後か」
ブースの中には、様々な人間がいた。
黒のロングコートを着込んだ、キツネ目の人
背が小さく、目つきが鋭い人。
その人と同じ隊服に身を包んだ、つんつん頭の人。
弓場よりもボリューミーなリーゼント頭をした人。
白いパーカー状の隊服に身を包んだ、活発そうな印象を受ける人。
マスクをつけた、ボサボサ髪の人。
ゴーグルを装着して、ずっと目線を何処かに固定されている人。
そして。
「あ」
見覚えある人も。
弓場に、黒江に、木虎に、二宮に――そして。
「------遊真君?」
「よ、のびた。元気にしてたみたいだね」
「あ、うん。------それで、その姿は?」
遊真は以前の隊服姿ではなく、黒一色の服に身を包んだ姿となっていた。
「ん?ああ、これはおれの黒トリガーだ」
「あ、そうなんだ。それで-----この集まりは何なんだ。僕は寝たかったのに」
「ん?何か、迅さんから説明があるみたいだぞ」
「やあやあ皆、集まったかな」
ブースの入口から、迅悠一が顔を出す。
そして、
「皆、俺の為にわざわざ集まってくれてありがとう。うわははは」
「あ」
ダンガーさんだ、とのび太は思わず頷いた。
モジャ毛に髭、そして全身を包む黒のロングコート。忘れる訳もない風体の男が、そこにいた。
「-----で。太刀川さん。何で俺等集められたんですか?」
「私も暇じゃないんですからね」
「------何でもいいからよぉ、早く説明しろよ」
周りからも何やら文句がぶぅぶぅと漏れている。
のび太と同じく、緊急で呼び出されたのだろうか。周りの人間も何で集められたのか解っていないようだった。
「まーまー皆さん。俺から説明しますから。静まれ静まれ~」
迅は両手を前に差し出しながら、そう言う。
「今回皆に協力してほしいのは――眼前にいる太刀川さんの訓練だ」
「そう。俺の訓練だ」
「太刀川さんに------?」
「訓練だァ------?」
木虎と弓場が、不可解とでも言うかの如くそう声を漏らす。
「そう。――まあ、ここに集められている人たちにはちゃんと言っとくね」
迅は表情を変えずに、言う。
「太刀川さんは今回の拿捕目的になっている“星の杖”所有者であるヴィザ、という人型近界民と戦うために――新しく開発された新型トリガーを使う」
迅の説明に、太刀川は頷く。
「そして、その新型トリガーには何と――緊急脱出機能が付いていない」
太刀川が特に表情も変えずに、そう呟いた。
「は?」
真っ先に木虎が、声を上げた。
「緊急脱出がついていないって-----」
「黒トリガーと同じ。緊急脱出機能がついていないトリガーを使って、太刀川さんは――黒トリガーと、戦う」
「何でそんな事を!あまりにも危険すぎます!」
緊急脱出機能が無ければ――換装体がなくなれば、後は生身の肉体が戦場に放り出されることになる。
もし黒トリガーとの戦いで太刀川が敗北すれば――それ即ち、死と同義の戦いになるわけだ。
「------上がよく認めたなァ。そんな事」
「まあ俺がやらなきゃ忍田さんがやることになるからな。それ位なら、って事で俺にさせてもらえることになったのさ」
「-------」
太刀川がそう言うと同時、のび太はひょこひょこと弓場に近づく。
「-----弓場さん弓場さん」
「何だ野比ィ」
「------あの髭のおじさん、凄い人なの?」
「おう。太刀川サンは――今のところ、ボーダーの個人ランキング一位だぞ」
「え」
え。
あの――餅を食べながらダンガーなる言葉を教えてくれたあの人が、一位?
「という訳で。太刀川さんはマジでとんでもない一発勝負に出るので――それまでに出来るだけ訓練はしておかないといけない訳です」
「という訳だ。解ったか出水」
「何で俺に振るんですか。――解った?木虎----」
「--------」
木虎はまだ納得いっていないのか、思案顔を浮かべながら首をひねっている。
「で、今回の訓練内容は、単純明快。――あ、銃手の人はちょっと弾丸の設定を弄ってもらっていい?」
「どんな風に?」
「弾速にトリオン全部振って。射手の人も。速度全振り」
「-----何故ですか」
「今回の訓練はね――太刀川さんと俺以外の人が太刀川さんを攻撃。それを太刀川さんと俺が全部弾く。この訓練を行ってもらう」
え、と声が漏れる。
ここにいる、全員。
のび太は周囲を見渡す。知っている顔ぶれを見るだけでも、それぞれがそれぞれの分野でエキスパートとして君臨している人たちばかりだ。
「今回は、出来るだけ攻撃の出が速い、もしくは機動力がある面々を集めさせてもらった。――今回の相手であるヴィザという近界民は、ぶっちゃけボーダーの黒トリガー全部集めても勝てるかどうか解らないくらい強い」
「らしいぞ。俺は知らんけど」
「なので、その攻撃に対処する為に――皆さんには太刀川さんを全力で攻撃してもらいます。出来るだけ早い攻撃をね。で死角からの攻撃は、俺が風刃使って弾く。で、皆はそれにめげずに太刀川さんを攻撃してもらう。一発でも太刀川さんに攻撃が当たれば皆の勝ち。十分以上粘れたら太刀川さんの勝ち。で、基本太刀川さんは防御だけど、攻撃手の攻撃は訓練の一環としてキッチリ反撃する。まあここ、自動的にトリオン体再構築されるからめげずに攻撃してね」
それじゃあ、と迅は言うと。
「早速――始めようか」
――と、いう一連の流れにより。
唐突に、“太刀川慶強化訓練”が開催されたのであった。
一番、輝き弾ける笑顔を浮かべていたのは――その当の本人である太刀川自身であった。