「-----隊長!隊長、逃げ――」
――巴、緊急脱出。
「-----文香!逃げるんだ!この先に香取隊がいる。そっちと合流――」
――柿崎、緊急脱出。
「うく------!弾丸が当たらない----!」
――照屋、緊急脱出。
「ああぁ!くそ-----!」
――若村、緊急脱出。
「葉子ちゃん!危ない!」
――三浦、緊急脱出。
「何よコレ-------!こんなの--------!」
――香取、緊急脱出。
「----すみません、隊長!ミスしてしまいまし――」
――帯島、緊急脱出。
「外岡ァ!お前は一旦ユビキタスで本部に戻ってろ!――すまねぇな。俺はここまでだ」
――弓場、緊急脱出。
続く。
続く。
緊急脱出の音声が、続いていく。
――漆間、緊急脱出。
――秦、緊急脱出。
――鯉沼、緊急脱出。
――間宮、緊急脱出。
――月見、緊急脱出。
――北添、緊急脱出。
――吉里、緊急脱出。
鳴り響く緊急脱出の音声。
全て見通す。
全て斬り裂く。
全て防ぐ。
何処に隠れようと看破される。
防御しようと、斬り裂かれる。
迎撃せども、どんな攻撃も見えない刃に斬り裂かれるのみ。
幾重にも展開された高速の刃が円周上に展開され、それらはバターにナイフを通すように、滑らかに万物に刃を通していく。
老人が歩けば、その周辺はすべからく刃が通っていく。
その度に、響く音声は実に虚しい。
「あらかた、終わりましたかな」
老人は一つ息を吐く。
穏やかな表情は何一つ変わることなく、辺りの惨状を一つ見渡す。
切断されたビル群はまるでバラバラに崩されたブロックのように、無造作かつ無機質に打ち棄てられていた。
されど、その身に一つたりとも傷は無し。
緊急脱出の憂き目に遭った隊員たちの何百、何千というトリオン弾の雨すらも――その黒トリガーは使い手の下まで届かせることはなかったのだ。
「ではミラ殿。大窓を開いてください。モッド体をこちらに投入します」
文字通りの廃墟の上空に、闇色の大穴。
開かれたそれから落ちてくる――異形の化物。
「ではここからは手はず通り。――ヒュース殿とランバネイン殿のかく乱に乗じて、金の雛鳥を捕らえましょう」
ここで倒され、緊急脱出していった者たちは、そのほとんどがこの黒トリガーの効果を知っていた。
円周上に高速で回転する刃。
ただ――その回転する刃の主は、何十年と鉄火場の最前線に立ち続けてきた戦士としての経験が付与されていた。
戦を知り、鉄火の予感を知覚し、己そのものも一つの兵器として完成された老兵。
――ヴィザ。
――星の杖。
回転する衛星のようなそれらは、巨大な処刑器具のようであった。
省みることもなく、ヴィザはミラの窓に入り込みその場を去った。
落ちてきた色違いのラービットもまた、各々別区画に向かって行き――そこには、何物も残る事はなかった。
※
「------狙撃班を向かわせなかったのは、正解でしたな」
「------」
本部作戦室には重苦しい空気が流れていた。
A級、B級合わせて六隊を配置した区画が――たった一人の黒トリガー使いによって、完全に壊滅していた。
兵がいないまっさらな場所に、新型の色違いを集中投入し区画の外側へ向けて圧力を強めていく作戦だろう。
東は即座に倒された王子隊と嵐山隊を見て、その足で狙撃地点まで逃れることを諦め、ユビキタスで脱出を行った。
その後忍田に報告を行った後、本部に待機している狙撃手を投入しヴィザの足止めをするつもりであったが――。
城戸によって、それは止められた。
理由としては実に簡潔なものだった。
――ここで狙撃手をいくら投入しようと、時間稼ぎにもならない。狙撃手はヴィザの攻撃範囲外から攻撃できる唯一の存在であるが、――あの様子を見る限り、全て弾かれるだけで終わるだろう。ヴィザの懐に入り込んで斬り結べる攻撃手がいて、初めて狙撃手は効果を発揮できる。
「――全て、想定はしておりました。実際に、もう一体の黒トリガー使いは対策通りに倒すことが出来た。だが、あの人型近界民は黒トリガーそのものもそうですが、明らかに持ち手の性能が段違いだ」
実際に、星の杖という黒トリガーの対策は、B級隊全てが共有していた。
構造物の高低差を利用し、建物の中に隠れ距離を取り、弾丸を放っていく。
構造物に隠れ、高低差があれば、姿の見えない相手に対して刃を通すことはできないだろうと。所詮は、回転するだけのものだ。対象を自動追尾するような機構はない。バッグワームを使用して建物に隠れれば、運が余程悪くなければ見つかる事はないだろう。
だが。
使い手そのものが、非常に高性能なレーダーであり制御装置であった。
恐らくは、建物が密集している場所と、自らのトリガーの特性を鑑み、建物に隠れるという特性を理解した上で――ヴィザは虱潰しに建物を切断していくという手法を取っていった。
隠れやすい建物程、細切れに。
経験則に従い行使された解体作業によって、そこにいた隊員のほとんどを蹂躙する事となった。
「------城戸司令。まだ、あの者から黒トリガーを奪うという方針を変えませんか」
忍田は、城戸に尋ねる。
最早、撃破はおろか足止めすらも危うい状況に置かれている。それでもまだ方針は変えないのか、と。
「無論」
そして、城戸もまた当然とばかりにそう答える。
「――方針には、従います。ですが、一つだけお聞かせ願いたい。――その方針を曲げるならば、どの時点で曲げますか」
忍田は目を苦し気に細めながら、更に城戸に言葉を投げかける。
城戸は――忍田に目線を合わせ、
「そうだな。――太刀川。空閑。両名が倒されることがあれば、方針を転換しよう」
「------城戸司令。慶が倒されるとは、つまるところ――彼が死ぬことを意味する事をご存じですか?」
「ああ」
太刀川慶は、現在緊急脱出機能を持つトリガーを装備していない。
負ければ、死だ。
その事実を前にしても、城戸は折れない。
「何にせよ、あの老人が一番の脅威である事には変わりない。そこにこちらが持つ一番のカード------太刀川と迅をぶつける方針は間違っていない。一区画が全滅しただけで引かせては太刀川も納得はせんだろう」
「-------」
「方針は変えない。雨取隊員に迅と太刀川、空閑を張りつかせヴィザを釣る」
城戸の言葉は、正しい。
ここで及び腰になったところで、ヴィザの脅威が取り除かれるわけではない。
――太刀川とぶつけなければ、黒トリガーうんぬんよりも前にこの侵攻自体を防ぐことが難しいのだと。
「――そもそも、もう止められん」
そう城戸が呟いた瞬間。
報告が入る。
――対象“ヴィザ”出現。出現地点は――。
大量のラービットの屍が積み上げられた、地点。
――雨取千佳の、地点へと。
※
はじめて戦場に立った時は、いつだっただろうか。
老いたこの身体は、積み上げてきた屍と経験の証。
斬り捨てようとも斬り捨てられなかった証。
踏み越えてきた屍に足を取られなかった証。
証を、積み上げてきた。
自分が――より強い兵士として何かを残してきた証を。
積み上げるたびに、頭によぎる。
踏み越えていく屍の道すがら。
その道の果てが、見えるようになっていった。
踏み越えてきた道だけ、重なる道もある。
ああ、こんな道もあったなぁと。
こんな踏み込みをしてきた者はかつていたな、とか。
こんな太刀筋の者が確かあの時いたな、とか。
こんな戦況に陥った時がかつてあったな、とか。
その時自分はこうしていたな、とか。
既知が増えていく。
戦場に身を運ぶたびに、かつて感じた――身震いするような感覚が消えていく。
戦場で見つかる山のような目新しいものも、経験則として取り込まれていく。
積み上げていく経験。
その経験は、戦士としての自らを徐々に徐々に最適化していった。
今の自分は、過去を踏襲して戦っている。
これを経験としての強みとして見るか、目新しさが消え去ったつまらないものとして見るか。
どうであれ、自分はそういう存在になってしまった。
踏み越え、積み上げ、証を立てたその先。
目新しさのなくなった自らの生きる場所を、目新しかったころの記憶を頼りに悠々と歩く老兵に。
されど。
どれだけ既知に満たされた世界であろうとも。
かつてのように。
身震いするような未知に、その足を取られることがある。
かつてのような世界じゃない。全てが踏みつくされ、色あせた景色の中。
そんな景色の中に、一つ輝くような未知に遭遇した時。
老いた心が、奮い立つ。
そう。
だから。
老人は――戦いをやめることはできない。
これだから。
どれだけ経験という糧を食らいつくしても、それでも――戦いという土壌は新たな未知を芽吹かせる。そんな素敵な瞬間が、そこにあるから。
これだから。
――戦いはやめられない。
※
窓を通って、金の雛鳥の下へ向かう。
その眼前には、こちらを見据える青年が一人。
二刀を佩いて、恐れすら浮かべずこちらを見ている。
いい眼をしている。
今日も。いい戦場になりそうだ。
次話。おじいちゃんわくわく編。