そんなお話。ちょっと息抜き。
とある切っ掛けで、ちょっとだけ天国に触れる話。
地獄とは空想にあらず。
苦痛あるところ、そこは地獄。
地獄は地獄。果ての先にあるは生き地獄。死に地獄は誰も知らぬ。味わわされるは生き地獄。
辺獄。地獄。それらは夢に同じ。誰かの妄想。
だが。
生き地獄だけは。
存在するのだ。
皆々方。
地獄とは、ここだ。
生き地獄は、天に通ずる通り道。
地獄を抜け、辺獄へ上り、天へと突き抜ける。
獄を味わい川流れ。天翔ける箒星に乗り、いずれ天へと向かう物語。
※
これは。
とある日の物語。
「――加古望と」
「――ジャイアンの!」
――合同料理祭、開催いたします。
わーわー。
ぱちぱち。
貸しきり状態の厨房の中、二人は声を合わせて――そんな事を口走っていた。
今にも沈殿しそうな重い、重い、空気の中。
楽し気で軽快で、そしてからりとした手拍子が生まれていた。
加古は実に楽しそうにジャイアンの目線に合わせ腰を下ろし、二人でハイタッチをする。
そこから発せられる音は――静寂に鳴り響くお鈴の如く、乾き、無機質なものであった。
「------」
「------」
「------」
「------?」
集められた四人は、互いを見やり、そして各々が各々の反応を返す。
例えば、二宮匡貴はただ静かに瞠目し精神を統一していた。
例えば、三輪秀次はひたすらに加古を睨みつけていた。
例えば、堤大地は両手をそれぞれの指の間に通し、そこに自らの額を乗せ、神に祈るかの如き必死な形相でただでさえ細い眼を更にきつく瞑り、深く、深く、息を飲んでいた。
例えば――。
「ねぇジャイアン」
「何だのび太」
「これは何?」
「知らねぇのか。――加古の姉御からお呼ばれしてだな。一緒に俺たち二人で飯を作るんだよ」
野比のび太は、状況を飲み込めず辺りを見渡していた。
「ふふ。はじめまして野比のび太君。双葉からいつも話を聞いているわ。随分とあの子が世話になっているみたいじゃない」
「あ、加古隊長ですか」
「如何にもそうよ」
ふふ、と茶目っ気ある笑みを湛え、加古望はのび太に声をかけていた。
「――茶番はいい。さっさと始めろ」
「あら。二宮君。どうしたのかしら?手が震えているわよ。武者震いってやつかしら?」
「加古さん-----。俺は、まだやらねければならないことが------!」
「解っているわよ三輪君。だから、その為に精をつけなきゃ、でしょ?」
「加古ちゃん------」
「堤君-----いつも私の手料理を食べてくれて、ありがとうね」
それぞれの抗議・懇願の言葉を、実に前向きな解釈へと転化させ、加古望はうっすらと微笑む。
「今回の企画はね。私と、ジャイアン君。それぞれが持ってきた食材を合わせて――絶品炒飯を作ろう、という企画よ」
「だぜ!」
もう一度、二人はからからと陽気な様子でハイタッチをする。
「じゃあ、それぞれの食材を見てみましょうか。まずは、ジャイアン君から」
「おう!こんな感じだ」
そこには。
牛ロース百グラム、ポテトチップスに、バニラアイス、ツナ缶、そして――
「あら。立派なアジね」
「おう。父ちゃんが釣ってきたんだ」
脂の乗った、アジが一匹。
「いいじゃないの。好奇心がくすぐられるラインナップじゃない。私は――」
そうして、加古の食材が公開される
「まず、これ。二宮君の好物のジンジャーエールでしょ。そして今度はカレー炒飯風味にしようと思って、カレー粉。そして――」
続々と食材が出されていく。
生クリームに黒糖、冷凍エビにホタテ、紫蘇にわかめ。
食材が出現するたびに、並べられた男共の表情に確かな焦燥が宿りだし、最後辺りでは光無き絶望が焦燥すらも圧し潰していく。
能天気な表情を崩さないのは、のび太位だ。
「これらの食材全部を使って――絶品炒飯を作るわよ。手伝ってね、ジャイアン君」
「あたぼうよ!」
そして理解する。
これから始めるもの――それは、生と死との狭間にある世界への、小旅行であると。
※
そうして。
調理が始まった。
ジャイアンが持ってきたアジを手早く三枚におろし、切り身を叩き切りし身をほぐす。
その手際を見ながら、のび太はおお、と声を上げる。すごく鮮やかな手際であった。
他の男共は、皆が皆下を向いていた。
「じゃあこの切り身を――そうね」
すると、加古はミキサーを取り出す。
「まずは下味をつけるためのソースを作ろうかしら」
ミキサーの蓋を開け、そこに生クリームと紫蘇、黒糖を入れていく。
「そして――」
「この、ジンジャーエールだな!」
ジャイアンが勢いよくジンジャーエールを入れようとする手を――加古が制する。
「姉御-----?」
「ダメよ、ジャイアン君。――料理は、事細やかさが必要なの」
加古はそっとジャイアンの手に自らの手を添えると――ゆっくりとジンジャーエールを注がせた。
「ジンジャーエールは結構強い炭酸飲料なの。あんまり勢いよく入れると、泡立ってソースの出来が悪くなるわ」
「おお----。すまねぇ、姉御」
「いいのいいの。料理というのは心よ。誰かにおいしい、って言ってもらいたいとちゃんと思っていれば、自然と上達するものだから。そういう気持ちを忘れずに、ね?」
しゅわしゅわと穏やかに泡立つ炭酸の中、生クリームが浮かんでいた。
加古望は、大真面目である。
彼女は本気なのだ。本気で、この与えられた食材で、美味なものを作ろうとしているのだ。
それはまるで探偵のように。
眼前に与えられた食材という名のカードを組み合わせ、最適・最善の炒飯を探求しているのだ。
世の中。食材は数え切れないほど存在する。
その組み合わせを数えれば、まさしく無限に近い解が得られる。
加古望は探す。探し続ける。
――まだ見ぬ食材の組み合わせを。
――未だ見つからぬ、至極の味を。
そうして。
ミキサーが起動する。
紫蘇・黒糖の紫と焦げ茶色が白色の生クリームとジンジャーエールに合わさり、ごうごうとした音と共によく解らぬ色に変色していく。
白と黒が混じり合わず分かれていたそれらが、徐々に混じっていく。その果てにできた色は、解らない。本当に解らない。比喩すらも思いつかない。黒にしては濁っていて、茶色にしては褪せていて、紫にしては禍々しい。そんな色であった。
そうして出来たソースの中にアジの切り身を漬け、そのまま真空パックの中に放っていく。
「これで――これを十分くらい漬けておく。その間に他の準備をするわね」
額に汗を浮かべながら、それでも加古は楽し気にエプロンを翻し、別の作業に入る。
冷凍ホタテとエビを流水に溶かし、煮沸沸騰した調理酒が入った鍋の中に放り込み臭みを消すと、ポテトチップスの袋を開け、袋を絞り、麺棒で叩き粉々に砕く。
フライパンに油を敷き、切り分けたロース肉を焼き、別皿に映す。
「――ここからは、スピード勝負よ」
加古は冷蔵庫から真空パックを取り出すと――フライパンに米と溶き卵を入れる。
しゃ、しゃ、と卵と米を合わせながら塩コショウを振る。
その手際は実に鮮やか。溶き卵が固まる頃にはしっかりと米と調和しており、もうこの段階で非常に美味しそうであった。
そこにカレー粉にホタテとエビ、を入れる。
ほのかなカレーの匂いも混ざり合い、食欲をくすぐる匂いがパッと厨房から拡がっていく。
ここまでならば、本当に、本当に――。
そして。
投入される真空パックのアジ。
溶かされたバニラアイス。
砕かれたポテトチップス。
湯に戻されたわかめ。
ツナ缶。
「--------」
「--------」
「--------」
「--------え?」
遂には。
のび太すらも、困惑の声を上げる。
「完成――加古・ジャイアンのスペシャル炒飯よ。たんと、召し上がれ」
夢の世界への、ご招待。
※
――俺は、何処にいる。
――ここは、何処だ。
男は、揺蕩う意識の中――自らの存在が何者であるか、それを探す。
今意識は世界とは別の次元に飛ばされてしまったようだ。
自分の存在はおろか。
自分の名前すらも曖昧な中。
「------あ」
思い出す。
自身の名が、――三輪秀次であることを。
その記憶は一瞬にして思い出された。
海に浮かぶ気泡のような、記憶の欠片を辿っていって。
――秀次。
その姿を、見てしまったから。
「ね-----」
その姿は。
「姉さん-----」
そう。
それは――かつて、大好きだった人。その人が。
「姉さん!姉さんなのか!」
叫ぶ。
眼前に浮かぶシルエットに手を伸ばす。
届かない。
その姿は青空に漂う浮雲のように、その手にはあまりにも遠くて。
――秀次。
言葉が。
もう随分と色あせていた声音が。
耳朶を打ち、脳味噌にかつての感覚を呼び起こさせる。
――ねえ、秀次。
「姉さん!姉さん-----!」
涙を流し、叫ぶ。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
あの時。力がなかったせいだ。俺に力がなかったから。だから、だから、俺は。俺は――。
――私、一つだけ言いたいことがあったの。秀次。
「姉さん-----!」
――私は、――
※
地獄がせり上がっていく。
全身を覆う鈍痛。頭を焼く灼熱。舌先がちぎられるような痺れ。震える掌。
痛い。
何でこんなに苦しいのか。
体の中から何かが這い出て行っているかのような、そんな感覚質に襲われながら、のび太もまた地獄の中へ。
――のびちゃん。
誰かが、手を差し伸べる。
その時。
のび太は意識を失った。
「ここは------?」
そこは、地平線いっぱいに広がる夕焼けと、田んぼの風景。
この場所を、のび太は知っていた。
「――久しぶりね、のびちゃん」
そこには。
家の縁側に腰掛ける一人の老婆。
「おばあちゃん-----」
それは、――数年前に息を引き取った、自らの祖母の姿であった。
「うん。君のおばあちゃんだよ」
「そう、なんだ」
唐突すぎて、声が出ない。
自分は、今どこにいるのだろう。
「――どうかね。のびちゃん。最近は」
声がかけられる。
何を言えばいいのか。
そうだ。確か自分はボーダーに入ったんだった。ならばそのお話をすればいい。
そう考え、話そうとして――。
「おばあちゃん------」
でも。
その前に。
「僕は----おばあちゃん以外も、大事な人が、たくさんなくなっちゃった」
いつものように。
あの時のように。
弱音を、吐きたかった。
「すごい化け物が、僕の街を襲って。僕は何もできなくて。目の前にいることも出来なくて。――だから」
ボーダーに、入った。
無力だった自分を許せなくて。
「ねぇ。のびちゃん」
祖母は、ゆっくりとのび太の目を見る。
庭先に咲いた彼岸が、風に揺れる。
「生きているとね。楽しい事ばかりじゃない。うんと、辛い目にも遭う。それはね、のびちゃんだけじゃない」
「――うん」
そうだ。
ジャイアンも。遊真君も。
皆――辛い思いを乗り越えて、ここにいる。
「――辛い目に遭ってきて。ここまでそれでも前を向き続けて。偉かったねぇ。のびちゃんは、本当に優しい子だよ」
「そんな事-----」
「あるんだよ。――のびちゃんの事は、ずっと見ていたよ。いい友達に恵まれているじゃないか。辛い目にあっても、のびちゃんは笑っている。素敵な人たちに囲まれて、笑っている」
「------」
「ねぇ。のびちゃん。――君はね」
「うん----」
「幸せになるために、生まれてきたんだ」
「------うん」
「だから。ここに来るのはまだ早いよ。――いつかおばあちゃんみたいにしわくちゃになって、満足に体も動かせなくなって。それでも笑える事が出来たなら、こっちにおいで。一緒に、昔ばなしでもしましょう」
庭先の風景に、ぱっと花が咲く。
縁側に座る祖母の姿が、滲んで、消えていく。
「行っておいで。――おばあちゃんは、いつでものびちゃんを見守っているからね」
※
「――目覚めたかしら」
その声に目が覚める。
目を開けるとそこには、加古望の姿があった。
心配そうにこちらを見据えるその顔が、何故か懐かしいように感じる。
「うーん。やっぱり生クリームとアジは取り合わせが悪かったかしら。皆して、倒れちゃった」
厨房に敷かれたマットの上。
のび太他二名-----二宮と堤が、壁によりかかりぐったりと倒れている。
その隣を見ると。
ジャイアンも、うつぶせでくたばっていた。
「三輪さんは?」
「先に起きて、もう出ていったわよ」
加古はそう言うと、厨房出口を指差す。ドアは開けっ放しになっていた。
「――でも目覚めは良さそうね」
「え?」
「満たされた表情をしているわ」
加古はうっすらと微笑むと、のび太に告げる。
「そう、かな」
のび太は何とか、先程見た光景を思い出そうとする。
が、思い出せない。
でも――まるで波風が引くような、爽やかさが心中に在った。
何が、あったのかな。
忘れた夢を回顧して、もう一度記憶の縁を辿っていく。
思い出せない。
でも温かい。
ならいいかな、とのび太は思えた。
※
「――ひどい夢を見た」
三輪は。
覚えていた。
「――解って、いるさ。何を望まれているか、なんて」
解っている。
あの人が何を望んでいるか、なんて。
「でも、止まるわけには、いかない。俺は、殺す。一人残らず。近界民を」
何のためか。
決まっている。
――何もないからだ。
何もなくしたのは、誰の所為か。
それを、知っているから。
止まれないのだ。
ちなみに二宮もとある夢を見ています。
書こうと思ったけど、まあいいや、ってなったので書いてません。