玉狛支部。
六つあるボーダー支部の中の一つ。
「ドラえもん」
「なんだい?」
「建物が、川の上に立っている」
「うん」
「------流されないの?入って大丈夫?」
「------さっさと入るよ」
玉狛支部は、川の上にあった。
元は排水施設であろうか。水中の土台から延ばされた幾本もの支柱の上に、古ぼけた外装の建造物がそこにあった。
支部へ通じる橋の上を通って、玄関口の前に立つ。
「おーう。お疲れさん」
その瞬間、玄関口が開かれる。
「久しぶり、林藤おじさん」
開かれた扉の先には、顎髭とメガネが特徴的な中年の男性の姿があった。
林藤おじさん、とドラえもんに呼ばれた男は軽そうな笑みを浮かべて片手をあげる。
「おう久しぶりドラえもん。一週間ぶりくらいかね」
「皆元気にしてた?」
「おう、勿論。------小南がどら焼きをお前さんに食われて“絶対にぶっ飛ばす”って喚いていたくらいにゃ元気だったよ」
「僕がせっかくわざわざいいとこのどら焼きを持ってきたのに、その時に居なかったのが悪い」
「そういう理屈は通用しないやつだからな。まあおとなしく噛みつかれときな」
そう林藤が言うと――どどど、と階段から喧しい音が近づいてくる。
お、来たな――と呟く林藤の声は、音の主によって掻き消される。
「ドーラ――え―――――も―――――ん!!!」
腰までかかるロングヘア―を暴風の如く振り荒らし、端正な顔立ちを見事なまでの怒りに歪ませ――涙目でその女は現れた。
「あんたねー!私のどら焼きを食べたの!」
首輪を思い切り掴むと、ぐわんぐわん、と女は縦にドラえもんを揺らす。
「あわわわ!何をするんだいキリエちゃん!」
「あんたが私のどら焼きを食べるからよ!何をしてくれるのよー!」
「あれはそもそも僕が持ってきたもので、そもそもその時に居なかったのが悪い!」
「仕方ないじゃないの私その時別の用事があったんだから!私の為に取っておくとか、そういう親切心はないわけ!?」
そのセリフを吐くころには、ドラえもんの背後を取りヘッドロックを完成させていた。
「うわぁやめろ!これはロボット虐待だ!」
「ロボット風情が私のどら焼きを食べるからよ!」
「おいのび太。何をしているんだい。早く助けるんだ!」
ドラえもんは――隣で何も変わらぬ真顔で見つめるのび太にそう声をかける。
「え、どうして----?」
割と真面目に、きょとんとした表情でのび太は首を傾げた。
何故助けなくちゃいけないのだろう。こんなに面白いのに。
「この薄情者――!!」
ドラえもんは手足をばたつかせるものの、小南の身体はそれでも
「あんたの短い手足じゃ抵抗も出来ないでしょ!さあ覚悟しなさ――」
「何してるんすか、小南先輩」
ヘッドロックをしながら怒り狂うその背後に――いつの間にかもう一人、見物人が増えていた。
顔立ちからスタイルまで全てが非常に整った、髪型が凄くもさもさした男が、小南にそう声をかけていた。
「あ、とりまる!こいつが、私の、どら焼きを――!!」
「ロボットは食べ物食べられませんよ」
「え?そうなの?」
小南、フリーズ。
「そんなの常識でしょう」
「そ。そんな------だってこいつ、さっき食べたって認めたじゃない」
「ロボットにとって、“食べる”とは保管することと同じです。まだ隠し持っていますよ」
「じゃあさっさと私のどら焼きを出しなさい!このダメ猫型ロボット――!」
「何を言っているんだい烏丸君!ぐぇえええ!」
またヘッドロックを開始した小南を数秒間ほど見つめ、
「まあ、嘘ですけど」
と変わらぬ声音で男は言った。
「え?」
小南。またまたフリーズ。
「目の前でしっかり食べてましたよ。おいしそうでしたね」
「また私を騙したわねとりまる――!!」
ドラえもんへのヘッドロックを解除し、小南は今度はイケメンの男にぽかぽかと殴り掛かる。
「ほら、元気だったろ」
「止めてよ林藤さん------」
「面白いんだから仕方がないさ。――で、この子が遊真に会いたいって?」
「うん。今遊真君何してる?」
「陽太郎と一緒に雷神丸で遊んでいるよ。呼んでこようか?」
「うん、お願い。僕たちはここで待っていればいい?」
「上がってけよ。まあゆっくりしてけ」
――遊真ー、と声をかけながら奥へ行く林藤を見ながら二人も支部の中に入っていく。
「------賑やかな支部だね」
「うん」
※
「やあやあこんにちわ。俺が空閑遊真です」
空閑遊真、と名乗った少年は実にリラックスした感じで、そう挨拶した。
恐らくはのび太と同じくらいの体躯であろうか。ボリュームのある白髪をした小柄な少年が、軽く片手をあげてのび太へ顔を向ける。
「あ、うん。こんにちわ。僕は野比のび太です」
建物の外側にある川辺のへりに腰掛け、二人は話していた。
二人で話させてくれ、というドラえもんの要望に応え、用意された場所がこの場所だった。遊真は木の先に糸をくっつけ、釣りをしていた。
「ほうほう。のびたくん-----これはしおりちゃんが大喜びしそうだな」
「しおりちゃんって-----?」
「メガネ大好きなオペレーターの人だよ」
「メガネが大好き-----そんな人がいるんだ」
「うん。俺も今でもメガネを薦められてるんだよね。目は悪くないんだけど------お、かかったか」
木を振り上げ、糸が跳ね上がる。
空き缶がそこにあるだけだった。
「僕のことはのび太でいいよ」
「ん。わかった。じゃあ俺のことも遊真でいいよ。――で、のびたはどうして俺のところに来たの?」
「え。えーと------」
そもそもドラえもんから“話してこい”と言われたから来たので、何を話そうか――実は何も考えていなかった。
それゆえ、少しあたふたしつつ――あ、そうだと心の中で呟き、質問をぶつける。
「-----遊真くんって、近界民なんだよね?」
「うん。そうだよ」
「どうして、玄界に来たの?」
純粋に、のび太は知りたかった。
何故――近界民が、自分たちの味方をするのだろう。その理由を。
「ん。ここに来た理由か。一言で言うと、親父を生き返らせるためだね」
「え」
――父親を、生き返らせるため?
「俺の親父は、ここにいるんだ」
そう言うと、遊真は黒い指輪をのび太の前にかざした。
「これって-----」
「いわゆる、黒トリガー。------俺は、この黒トリガーに生かされているんだ」
「生かされてる、って-----?」
「------この先って話してよかったっけ?レプリカ?」
「特に禁止はされていなかったかと」
レプリカ、と遊真が言うと――にゅ、と黒い曲線が遊真の首の後ろ辺りから出てくると、四角形の浮遊物体が出てくる。
うひゃあ、とのび太は叫ぶと同時、背後へひっくり返る。
「こんにちわ。野比のび太。私はユーマのお目付け役のレプリカという」
「ろ、ロボット?」
「正確に言うと違う。私はトリオンで動いているゆえに、どちらかと言えばトリオン兵に近い」
「と、トリオン兵----?」
「そ。それでいて、俺の相棒」
「へぇー」
何が何だか。
よくわからないけれど、何だか凄いものが出てきた。
「うーんと、じゃあ軽く説明しよっかな-----俺は親父とレプリカと一緒に、近界で傭兵をしていたんだ。ある時、俺はその仕事の中で殺されかけた」
「こ-----」
「うん。で、親父が俺を助けるために黒トリガーになって、どうにか生き残れているんだ。常にトリオン体でいることで、肉体は死にかけたまま保管されている」
「------」
――じゃあ。
――もし。その指輪の中にある、遊真の肉体が。死んでしまえば。どうなるのだろう?
そんな事。
のび太でも、しっかりと想像できた。
「そ。そんな!じゃあ遊真くんは――」
「先はそんなに長くないだろうね」
けろ、とした顔で言うその顔に――何ら感情の変化を見出せない。
とうの昔に、そんな事覚悟していたのだろう。
「------」
「おっともうしわけない。暗い話になっちゃったな」
のび太は、衝撃を受けながらも――それでも一つ。
言いたいことが、一つ出来た。
それは――そもそも自分のような人間が言ってもいいことか。それすらもわからない言葉だった。
だから、言うべきか迷う。
その表情を、読み取ったのだろうか。
「何か、言いたいことがあるのかな?のび太」
レプリカがそう言う。
のび太は、――今この少年にかけていい言葉であるかどうか。迷い、思わず首を横に振ってしまう。
レプリカと、遊真は顔を向かい合わせ――遊真は一つ頷く。
「嘘はつかなくていいよ、のびた。――言いたいことがあるなら、俺は聞く」
そう、遊真は言った。
のび太は――そう言われ、逡巡する。
もう一度、遊真の姿を見る。
「-----ねえ。遊真くん。君は、お父さんを助けにここに来た、って-----」
「うん。そういった」
「自分の身体の事は、いいの----?」
――のび太は、思った。
遊真のお父さんは。
自分の命を賭けてまで、――息子の命を繋ぎ止めたんだ。
そこに込められた思いは、何なのか。
「-----親父に、生かされたからさ。今度は俺が、生き返らせなきゃいけないんだ」
「でも、その黒トリガーがなくなったら、遊真くんは------!」
――死ぬ。
「------」
遊真は、じっとのび太を見る。
その目の奥をのぞき込んで――ふ、と笑った。
「のびた。――何だか、オサムみたいだ」
「え?」
「本気で俺を心配してくれてるんだな、って。そこに、嘘はない。――ありがとう」
でも、と遊真は呟いて。
「俺は親父を生き返らせるよ」
「違うんだ、遊真くん。生き返らせる方法を探すのはいいんだ。そうじゃなくて、その前に遊真くん自身の身体を、治してから探せばいいじゃないか」
それくらい、欲張ってもいいじゃないか。
遊真のお父さんは、それを望んでいたんだろう。だから、こんな指輪の姿になってまで、自分の息子を助けたんじゃないか。
「そっちの方が、お父さんも嬉しいはずだ」
「うん。わかる。言いたいことは、凄くわかる」
――これは、のび太の憶測でしかない。
もしかしたら、遊真は――自分の命に、それほど価値を見出していないのだろうか。
何故なら。
目的が、ないから。
もしくは、理由がないから。
「-------」
少し、納得した。
多分。女の子が近界に誘拐された際の未来でわざわざそれを追いに行ったのは。
――それが「目的」になったからじゃないか、と。
のび太は、必死で考えて、考えて、――そして、
「ねえ、遊真くん」
「うん?」
――提案した。
「僕と――勝負しよう」
「ほう。それはいいけど――何で?」
「賭けをしてほしい。僕と君とで戦って――君が勝てば、僕は君の言うことを何でも一つ聞く。何だって聞く」
「------のびたが、勝ったら?」
「------君が、君の身体を取り戻すことを、最優先にこれから生きてほしい」
のび太は、そういった。
その言葉を聞き、遊真は。
「嘘じゃない、か------」
一つ瞼を閉じ、そう呟く。
そして、
「わかった」
提案を
「勝負しよう」
――受けた。