カンピオーネ!~まつろわぬ豊穣の王~   作:武内空

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ガユーマルス討伐編 2

「なぁ、何か変な音しなかったか?」

「そうか?俺はあまり感じないな。お前はいつも神経質だから、些細な音でも体を震わせるんだからよォ。俺の国の格言にはこうあるぜ。幽霊の正体見たり枯れ尾花ってな。この島は記録されている限り、過去1000年以上も霊的な問題が起きたこともない。お前が心配しなくても、本部には記録もあるんだしよ。あんまり怖がるんじゃねぇ」

「そ、そうだよな」

 彼らは碓井が天眼で確認した傭兵隊である。

 ホームを波が打ちつける砂浜に据えている彼らは、雇い主の緊急収集に沿って、島全体の警戒に当たっていた。今彼らが歩哨しているのは、桃河仁と名のった東洋人が怪しげな儀式を行っているとされる、とあるこじんまりした教会だった。

 中世以降に建設されたのか、ロマネスク様式である。

 ヴォ―ルトも造られている立派な内装の建物なのだが、外見は十字架が立てられているだけの、簡素な聖堂であった。

 さらに何故か地面の窪地になっている場所に立てられているので、一般の礼拝には向かないだろう、重力で滑るしかない荒道しか存在しない。そのため、嵐やスコールが降るたびに教会は水に沈んでしまう地点でもある。

 そんな教会を二人の傭兵がぼやきながら、来るはずもない敵対生物を排除するべく行動しているのだ。ゴキブリや鼠、ムカデならばいくらでも湧き出てくるのだが。

 この地下室には、木彫りのマリア像だけが簡素に据えられているチャペルの中央に存在する教壇の裏手から行くことが出来る。

「にしてもよ、ここに運び込まれてきた女。ありゃあ、なかなかの珠だったなぁ。あんなに存在感が違う女ってのはぁ、そうはいねぇ」

「ああ、全くだな。ジンが連れ込んだから俺達に回ってくるはずもねぇが、一度でいいからあんな女を振り向かせてみてぇなぁ」

「なんだよ、お前。抱きたいとは言わねえのか?」

「俺たちみたいなごろつきとは違う。あれはニホンの媛の位階にある存在だ。文字通り身分が違うって奴だよ、みーぶーん。そういう女をただ奪うなんて詰まらねえじゃなねえか。身も心も俺に振り向かせるのが、通のやり方ってもんだ。お前はどうだ?」

「へっ。何が身分の違いだよ。俺達の眼の前まで来て、寝込んでいる女がそんなに怖いかよ。街の商売女は薄汚くていけねぇ。あれほどの女なら体も十分に鍛えているし、汗腺も異常な発汗はねえ。ああいう女が俺に尻をむけてプリーズっていわせんのがいいんじゃねえか。女を振り向かせるなんざ、軟弱が行うもんでしかねえ」

「はっ、そうかよ。俺の高尚な趣味はわっかんねえかあ……」

「けっ、女に夢見んなよ。一皮むいても鉛玉撃ち込んでも、それで死ぬんだからよお。俺達がやってきた事を、平和そうに生きてる女にぶち込んで何が悪いんでえ」

 彼らの性根の悪さを現わすような不穏当な言葉を吐きだしている姿は、彼らが逆に一戦級の戦場を乗り越えて来た兵士であることを現わしている。

 その視線はあくまで隙を見せることなく。

 いい具合に肩の筋肉がゆるんでいる。

 彼らは決して油断していなかった。何を雇い主が企んでいるにせよ、普段は存在していない事件を引き起こしている存在を利用しないとも限らないのだから。

 

 だから、その時が訪れた時も彼らに過失はなかった。

 

 わんわんと耳障りな虫の羽音がする。

 人の精神を逆撫でする太古より生物を脅かしてきた存在が、教会という御威稜あふれる絢爛さを照覧するべき安らぎのよりどころにさえ、いくらでも湧いてくるということに苛立ちを覚えぬものはいないであろう。

 勿論仕事をこなしている者にとっては、なおさらである。

 スキンヘッドの小兵が、心底うんざりしたといいたげに首を左右に振る。

「おい、また湧いてきやがったぜ。今度はどっちの番だったか?お前か?昨日コインで決めた時は俺の勝ちだったが」

「いや、待て待て。おとといは俺が勝っただろ。それにポーカーの勝ち金まだ払ってもらってねえぜ。ブラックジャックをてめえが主催したあとにがさ入れが入った時も、とんずらするのに手を貸したじゃねぇかよ。今日は気分が乗らねえんだよ、俺は」

「ちっ、何だよ。ビビったのかよ。たかだか蟲ん子だろうが。腹でも痛えなら便所で神様にでも祈ってるんだな」

「いや、真面目に今日は止めて起きてぇ。貸しのうち、いくつかはチャラにしてやっからよ。今日はお前がいってくれ」

「へっ、分かったよ。これでチャラにしといてくれよな」

「ああ、よろしく頼む」

 どことなく呆れたように肩をすくめながらも、髪をそり上げている油脂臭い男は、ひらひらと手を振って教会の入り口にある大広間から、教会の中心部へ移動していった。

 この場所では場合によっては危険な生物種が湧いて出ることもあるので、機銃の使用が許可されている。しかし静寂を乱すことは極力控えることを要求されているので、彼らは事前に地下道の入り口で無線を鳴らして、雇い主を呼びだしてから許可を取る必要があるのだった。

 その事をお互いによく知っているので、その手順はルーチンワークになっているものでもあった。

 小兵が大広間の巨大な石造りのドアから出ていった。

 その光景を見やり、漸く安心したかのように、大広間に一人残った赤髪短髪の特徴らしき特徴を持たない190cmほどの細長い男は、大きくため息をつく。

「やれやれ。どうやら俺が神経質なだけだったか。背筋に悪寒が走ったから咄嗟に大ウソついて行ってもらったが、このぶんなら問題なさそうだな。……にしても、一体今度はなんの蟲が湧いてきやがったのか。鬱陶しくてしょうがねぇぜ。――ああ!いらいらする!湿気が多いからあんまりここに来たくないってのに、あのドレッド婆が!」

 一頻り毒づいた後、自分が何かとんでもない間違いをしたのではないかと、鳴りやまぬ脳内警報に怯えていた。

「チッ。クソ鬱陶しい」

 その時、小兵が出ていってから15分が経過していた。男は腕に巻いているスポーツ用の黒いゴムバンドの腕時計を眺めて、いまだに連絡がこないことを訝しんでいた。

「……んだ?無線の連絡がこないな。あいつ、面倒だからって業務連絡を怠りやがったのか?油断しすぎだろ、ったく」

 苦虫をかみつぶした顔をしながら、いらいらと連絡がくるのを待つこと、さらに5分。

 緊張に耐えきれなくなったように、ついに男は無線を取り出すと大声で怒鳴りつけた。

 

「おい!どうなってやがる!業務連絡は欠かすなと言われているだろうが!横着すんじゃねえ!」

 

 …。

 ……。

 ………。

 

 ――応答がこない。

 

 応えがないことにますます憤慨して、もう一度怒鳴り付けた後、電源を付けたまま腰のホルスターに戻した。

 次いで、右手にぶら下げた機関銃が正常に動くかを点検し直すと、彼も大広間を出ていった。

 石造りのドアと教会というのは、これで案外声が響かないものだ。

 一か所に集まっているのならば、声の反響も大きなものであるが、そとにまで響かせるのは何人もの歌手がゴスペルで神をたたえるときぐらいである。

 その原理を忘れていた故に、彼らは自分の悲鳴を外に響かせることもなく、無数の毒蜘蛛や蛾に食い殺されていった。

 鉄すらも食い殺す生物に、機関銃の鉛玉は効果を持たない。密集しすぎて一つの波のうようにも感じられる蠅声の群れに空気を切り裂いて射出された人類の英知は為すすべもなく。

 幾億もの蛾の羽音が耳元で擦り上げられるというのは、ただそれだけで人類の精神を掻き毟るものである。振り払おうとする彼らは、自身が所有することを許されている全ての道具で、蒙昧たる愚鈍な生物を踏みつぶさんと行動する。

 だが、間もなく彼らは蛾の燐分を多量に吸い込んで、粘膜に過敏反応を起こす事になった。目の前にも耳元にも口元にも鼻先に迷彩服の隙間からも尿道からも排便穴からも臍からも、穴という穴に侵略されて、激痛と寄生しようとする生物が分泌する化学物質によるわずかな恍惚感を感じている。それも長くは続かない。

 全ての武装を使い果たした彼らは、心の底から嘆きと痛みと苦しみと、神への救済を願い続けていた。

 果たして、神はその願いを聞き届け参られたのか……。

 最後に聖堂に入っていった赤い髪の兵士が所持していた手投げ弾が、外部に音を漏らす事のないように反射素材を混ぜ込まれていた石壁によって、たった一つの爆発が散逸することもなく虫たちを纏めて活動不能に落としこんでいった。

 後に残ったのは骨になりかけの肉の塊だった。蟲の黄ばんだ粘液がこびりついている。生命を冒涜する穢れた物体である。この光景をかつてのキリスト教は罪の袋と呼んでいるのだという。

 断罪する者は、自身で生み出した穢れであろうと、それを許さない。

 白く輝いている劔を手にしている女子が、聖堂の中央に位置する壇から首を覗かせ始めた。透湖に憑依した神の意識が操っているのだろう。以外にも俊敏に階段を上ってきた透湖は、教会から出る入口を守るように、もたれかかったまま息絶えている二人の兵士を何ともなく見る。

 罪と穢れに冒された存在であることを、温かみなど存在しない目で観察すると、徐に剣を一振りした。

 ただそれだけで、教会に巣食った自分の呪力が漏れ出たことで生まれた蠅群を薙ぎ払ったのだ。それに留まらず火が灯り、物理的に断罪していく。それは蟲に集られていた彼らも例外ではなく、命を奪ってきた汚れともども浄化されていった。

 その光景を見て、わずかに首肯すると、再び透湖は移動し始めた。彼女が歩くたびにその場所は黒く汚染されていく。背後には黒い後光が差しており神聖な空間を黒い放射線のように塗りつぶしていく。通った後の床と壁には亀裂が走っていき、中からは猛毒にも思える粘着質なコールタールめいた水分すら零れていく。

 ふと後ろを透湖が見やると、自身がいまだに俗世間に塗れて糞尿のごとく神性が穢れている事を悟った。自分が今持つ神性は穢れているのだと。歪められているのだと。これはまつろわぬ神らしからぬ無知なる所業であると。

 自覚したのだろうか、透湖は剣をもう人ふり行い、穢れを燃やす。

 彼女は火の粉を浴びながら、呟く。

「ふーーむ。どーやーらーわーたーしーをーとーりーもーどーさーねーばーなーらーなーいーよーだー」

 それを聞いていたものがいるのであれば、不快感を覚えるだろう間延びした声。

「なーらーばーこーのーしーろーをーまーきーにーしーてーくーれーよーうー」

 彼女は何かを宣言すると、いきなり何の脈絡もなく天上から百万のマンバとよばれるような巨大な蛇が無数に墜落してきた。その全てが地面に接地すると共に、潰れて内容物を撒き散らしていく。それは赤くもあり黒くもあり、なによりも黄色く粘ついていた。

「わーれーはーいーのーちーをもーやーしーてーたーたーえーらーれーよーうーぞー」

 聖歌を歌うがごとく、裸ん坊万歳の透湖は左手に物干し竿を軽々しく支えたまま、剣先を天上の絢爛であるヴォ―ルトに向ける。右手も天高く掲げられている。

「おーんー」

 密教における呪の一を現わすのだろう言霊を唇が動かしたかと思えば、けがらわしい体液がまきちらされている床が爆発した。亀裂が走った壁からにじみ出ていた暗刻色も赤く神々しいほのおに包まれていく。蛇を落とした無礼なる天上はさらに眩き陽光の輝きを浴びて一切が灰に変性していく。

 一切の邪なる何物も消し去る虚空清浄なりし炎。

 そう、彼は輝かしき破邪顕聖の英雄が一人にしてその祖たる原初の創造神。

 彼は悪しきものとされるアジ・ダハーカの討伐から、ゾロアスター教以降にはアーリマンを撃退するも、非業の死を遂げることになった人類の祖が一人。前5000年にはさかのぼるとされる最古の教義における神聖なる炉の神。塔台の神。彼が死した後もその死骸からあらゆる生命が生まれたとされる豊穣神。英雄神ミトラや聖王イマと共に語られる死する貴種流離譚の小人。

「あーらーゆーるーもーのーよー。わーがーなーをーたーたーえーるーがーよーいー。この、ガユーマルスを」

 彼は――ガヨ―マルトといった。

 

 

 

「おい、連絡はまだか」

「はっ。現在調べておりますが、応答がありません。最後にいた地点は、彼らが歩哨を担当していた教会内であります。しかし、もはやその反応すら途絶えております。ありていにいって異常事態かと」

「そんなことは分かっている!問題は、なにが発生したのか不明だということだ!あそこには今の私たちの雇い主がいるのだぞ!これで仕事に失敗すれば、私たちの次の仕事はランクを下げざるを得なくなるほどの失態になるのだぞ!貴様、使い捨ての銃弾避けにでもなりたいのか!」

「も、申し訳ありません!」

「緊張感を持て!私たちの今後を左右する分水嶺にいるのだぞ!」

「はっ」

「よし、では何かあり次第、連絡を入れろ!これから協会へ最小限を残し教会内へ襲撃に行く!」

 そう言い残すと、髪を短いドレッドに纏めている黒人らしき20代の女子が、彼女らの拠点である海岸沿いにいくつか点在しているうちの、無線を備え付けている白色テントから足音も高く分けい出る。

 軍隊用のブーツを砂が飛び散ることも厭わずに、足痕を付けながら、わずかに離れた場所で一つの生き物のように勢揃いしている軍服の集団の前まで歩いていく。

 ヘルミは海辺から伝わってくる潮風に鼻をくすぐられながら、潮風の勾配を気にすることもなく、自分を見ている大隊の前で体勢を整える。

「総員、整列したか!」

 か細い女子らしからぬドスの効いた声が小波の音色をかき消す。

 その威厳を灯った声に、荒くれ者のように見える彼ら傭兵が一様に背筋を正していく。

「YES、MATHER!」

「よろしい!早速だが、教会で歩哨している奴らが定時連絡をよこさん。態度は悪いが自分の身を守ることに手は抜かん連中だ!役に立たん屑とはいえ、この島は我らの厳戒態勢にある!何者かの奇襲である可能性を鑑みて、我らが一度に動くことにする!異論はあるか!」

「NO!MOTHER!」

「結構!ならば、行くぞ!」

 ヘルミ・ハーヤネンという未だ若々しい女子でありながら、大隊150人を預かる傭兵長でもあった。彼女の檄に答えんがために、兵士たちは動きを始めた。許されている歩兵装備を身に纏い進軍する彼らは錬度においても、きちんとした訓練を受けている存在であることが分かる。

 教会までおよそ10分前後。大隊指揮を考えても、15分で辿りつける場所でしかない。たびたび起こっているこうしたトラブルに、常に警戒心を怠らずに行動する真面目な点を評価されて彼女はこの地位に居るのだ。

 闊歩する靴の音だけが響く。

 大半が土石でしかないにしても、かつてはこの島の信仰を受けていたのか、教会まで続く道のりは石畳でできている立派なモノだ。長い年月で風化してはいるもののそこまでの問題はない。安心して歩いている。

 やがて、教会が見えて来た。

 ヘルミ自身も、これは連絡を怠っているだけだろうと考えて気が緩んでいたことは否めない。

 だが、それでも次の瞬間に起こった光景は異様だった。

 何の変哲も予兆も起こっていなかった教会がいきなり火にくるまれたのだ。

「な!?」

 愕然とするヘルミ。

 口を大きく開けて、凝視する。

 教会の入り口に立てられていた十字架が火にあぶられて、チーズのように蕩ける様子をみて、我に返ると、先行していた部隊に指示を送った。

「先頭、聞こえるか!このまま待機していろ!周りには燃焼物は存在せずに、窪地に存在している教会だ!燃え尽きるまで待っていろ!」

「了解!」

 短く返事を返した軍隊に満足げにうなずくと、状況を確認するために彼女は周りに火種になるようなものが存在するか見渡していた。兵士たちは予定外の状況にわずかにどよめいている。いくら上官が命令したとしても、なにかしていないと不安になるのは、兵士も民間人も一緒だった。勢いを増していく炎に翳りは見えず、どんどん教会は萌え焦げていき伽藍は黒檀に染まっていく。

 宗教施設が燃え落ちていくというのは、別段それを引き起こした主某犯以外はモノがなしわを感じさせるものだ。

(このままでは動揺が広がってしまうか。ならば、いっそのこと付近まで移動するべきか)

 懸念が頭に浮かぶと、雇い主も教会に居たはずであることを考えると、死体の確認までは果たされなければならないので、一度引くというのは次の軍隊行動を難しくするだろう。

 そう判断したヘルミは、短く命を下した。

「総員!教会崖から1m離れた場所まで進軍!復唱!」

「はっ。教会崖から1m離れた場所まで進軍!了解しました!」

 上官の命令さえあれば、自分の恐怖をたやすく忘れて行動する。

 彼らは優秀な猟犬だった。

 ヘルミは命令が届いたことで、次の選択をどうするべきか思考を切り替えようとした時。

 教会は完全に燃え尽きた。

 天井肋骨はその役目を終えて砕け散る。元から石造りの精密な建築物であるため、ひびが入り空気の膨張で隙間を広げられた骨は、たやすく骨折していく。一本が骨折すれば中の内臓がむき出しになるように、天井の余りにも重すぎる石は神の怒りの如く地にたたきつけられて人を無残な姿に変える。

 崩れ落ちた教会の塔を眺めて、ヘルミは部下と雇い主の遺体をどのように捜索するべきか暗澹たる気持ちになった。

 頭蓋骨に黒い靄がかかりそうになった。

 しかし。

 闇を吹き飛ばす白き聖なる輝きが、それを吹き飛ばした。

 黒煙を上げていた教会の残骸から、白い閃光が煌めいたと思うと、中から一人の人間が存在していた。

 白い裸体を晒している女子だ。彼女は左手に騎士が持つであろう劔を手にしている。

 亜麻色のセミロングの髪を熱風に揺らめかせている様は、ラブロマンスのヒロインのようだ。

 だが、左半身の異形がその完全性を歪めているので、なにか艶めいた印象を誰かに与えることはないだろう。

 左腕の剣から目に至るまで血管が伸びているのは、彼女が呪術を身に染めているものであるのだろう。

 無貌のように無表情な顔を上げると、ヘルミ率いる傭兵集団をかすかにすがめた眼で見る。

(やばっ!?)

 唐突に脳裏に映し出された、抗えない理不尽の塊。

 魔術がらみの仕事を続けていれば、幾度かは立ち会うこともある高位呪術の結晶や、自然災害の化身である、神獣。

 彼の者はその類であると勘付いた彼女は、声をからしてでも部隊に突撃を命じるべきだとして、その旨を伝えようとした時、旋風が巻き起こった。

 目を開けられないほどの暴風を受けて、視界がわずかに閉ざされる。

 次に目を明けた時には、彼女が誇る部隊は、全壊していた。

「あっ!?」

 喉から極度の緊張にさらされたときに生じる過呼吸の兆候たる短い呼気が起きた。

 練磨された傭兵ですら、新兵の震えを止めることが出来ない存在。

 彼女はいまだわずかに息のある部隊を刹那の裡に再起不能に近いまでに斬り伏せたのだ。

 血痕がわずかに頬に1滴張り付いて流れるところを、舌でなめとる。

 無表情ながらも、それは獲物を食い散らかした猛獣の浮かべる勝利を実感した笑みだった。

 自らの肉が満たされるのだと。

 あまりにも格差がある存在を相手にどうすることもできないヘルミ。

 その彼女にも、等しく自然の脅威は迫る。

 名人の振るう筆にもにた閃光が目の前で起きたように……見えた。

 近くで来たのは、その一瞬。

 次には自分の腕がずり落ちていくことを感じて、悲鳴を上げてしまいそうになるところを、耳障りな音を流すなといわんばかりに剣が再び振るわれて、剣の腹で吹き飛ばされて、意識を閉ざした。

「――……」

 飛んで行った獲物を見ることもなく、透湖は飢えを満たすべく、道のそばにあるジャングルに分け入った。

 自分が戦うべき存在が近くまで来ている事を悟って。

 

 

 

 

 

 ▲

 

 

 

 

 碓井は、島に到着した。

 少し離れたところに、兵隊が乗ってきたのだろうボートがある。

 海岸線の波打ち立つ砂景色を眺めながら靴の感触を踏みしめる。

 だが、兵隊はというと。

 軽く首を廻して周囲を見渡しても、天眼で確認した30分前には存在したはずの、最新装備だと思われるセットで身を固めていた兵隊が一人として見当たらないのだった。

 テントの前にいたはずの見張りも、陣地全体を回っていた歩哨も、誰ひとり消え失せていた。

 足痕は波に流されていて、煩雑としているが、どうやら500mほど先に存在するジャングルの中に移動している様子が見える。

 その殺風景な景色をさらに形作るように、海岸線から吹き付けてくる強風が異常に絞り込まれて筋繊維の一筋一筋が映し出されるほどの腹筋を晒しながら、T-シャツの裾をはためかせていく。

 月光と輝きが多すぎて星座の種類すらも判別できないほどの満天の星を際立たせるように、夜空は果てなくどこまでも広がっている。

 都会では拝むことすらも不可能なほどの数と量で、地上に零れおちていくことのない白銀の雨粒が天に留まっている。

 インドネシアのリゾート地ならではの、自然の清浄さの中に佇みながら、碓井は熱帯の森の奥に血腥い存在がいることを悟っていた。

 

 ――兵士が避難していたらいいのだが……。

 

 似つかわしくないことを考えながらも、碓井はジャングルを見通そうと目を凝らす。

 ハイビスカスが生えている林の入り口からおよそ100mの位置に坐す者こそ、首謀者だと判断した。

 慎重に足を進める。

 足元には膝まで届いている草が伸びている。

 南方特有の椰子の木の葉が目に飛び込んでくるので、払いのけながら進んでいく。

 怪しい存在に近づくにつれて、肌が泡立っていく。緊張感が強まっていく。

 紛れもない神の力がいるのだと感じ取れる。

 30mほどの距離まで近づいたことを確認すると、一言声を掛ける。

 

「そろそろ姿を見せたらどうだ」

 果たして、聞こえていたのかどうか。

 だが、憎むべき大敵が目の前に居て、戦いを望まない神はいない。

 すると、膝坐していた170cmほどの存在がおもむろに立ちあがってきた。左手には剛剣と呼ぶにふさわしい、血に濡れた3尺3寸5分の鉈のような剣が握られていた。

 

 ――あれは、鋼の神なのかな……?

 相手の全容を見通す。短い髪が揺れている。

 ――うん?なにか見覚えがあるような……。

 相手の風貌が光すら届かないジャングルの中にいるためと、異貌によって判断できなかったが、徐々に目も慣れたので姿かたちを明確に認識できるようになってきた。

 ――この島には、桃河仁と桃河透湖がいるはず……もしかして……。

 

 勘付いた様子を見たのか、剣を垂らして地面を擦っている、血管と瞳孔が真っ黒の存在が、猛獣のような笑みを浮かべてゆっくりと言葉を発してくる。

 

「うーすーいーさーまー、わーたーしーでーすー。とーうーこーでーすー」

 

 間延びした発音で正確には伝わりにくかったのだが、相手が自分の名前を知っている事と従者の名前をもっていることを考えて、始めてみた光景に納得した。

 一言ため息をつくと、碓井は相手の名前をいう。

「お前は、透湖……の体を乗っ取っているのか……?神様がそういうことをするのは初めてみたな。まあ、敵の戦力を削っていくのも立派な選択か」

 碓井の発言に気を良くしたのか、口角をさらに上げて透湖を操っている異形が笑う。

「そーうーでーすー。もーうーしーわーけーあーりーまーせーんー。つーかーまーってーしーまーいーまーしーたー」

「……その体で勝てると思っているのか?人間を乗っ取るしか出来ない分際で」

「いーひーひー。……もうしばらくしたら、真の姿で相見えようぞ。それまでは我が母と我の顕身にて遊んでおるがよい!」

 語尾が延びている口調から、突如として明確な発音に変化するとともに、透湖IN神から呪力があふれ出してきた。

 すぐさま邪眼で消去し始めたが、透湖(?)の足元に流れ込んでいるので止めきれない。

(何か、来る!?)

 足元に自分を害する存在が現れたことを感じ取り、足元に目をやる。

 すると、足元が轟音を伴って揺れ始めて来た。

「ぬぉ!?」

 地面が柔らかいために踏ん張りが利かないことで、碓井は一瞬だけ振動に揺られてしまった。

 揺れる視界の中で、透湖の胸が貧弱な裸体は鴉らしき10m大の黒い羽を持つ鳥らしきモノを足元に呼びだすと、次の瞬間には見えなくなっていった。

 神速ではなく何かの瞬間移動のようで、神の眼を持っていても分かりにくくなっていた。

 その間にも、地面の振動は収まることがなく一部では液状になった土も生まれて来た。

 みえないものや認識できなければ、邪眼でも消しようがないのだ。

 遂には先ほどまで透湖がいた地面がひび割れ初めて、土で作られた人形が生まれて来た。

 まずは巨大な手が横にあったブナを引っこ抜いて、体にくっつける。

 椰子の実をその上に乗せる。足元の土を体に塗り込んでいく。

 なぜか、巨人の周りだけは振動が生まれていないようだ。

「なんだかなぁ」

 呆れた碓井の声は地面の爆音にかき消されていく。

 視界が上下する地面に揺られて体を動かす事が出来ない碓井を横目に、石と木と砂の巨人は姿を整えていくと、5mほどの全長になった。

 左右非対称の腕を広げると、叫び声を放つ。

「ゴァァァァアァァア!!!」

 長き眠りから目覚めた歓喜の咆哮を上げる巨人。

 椰子の実の顔を碓井に向けると、以外にも軽い足取りで素早く動いてくると、右腕の樫の木を振り上げる。

「やべ」

 思わず呟いた碓井。

 それもそのはず。碓井の体は質量で潰されても呪力次第では耐えることが出来るが、物質に埋められると、酸素不足で呼吸ができずに死亡するのだから。

 魔法少女の体の優れた肺でも、酸素がなければどうしようもない。

 その理を知っているからこそ、攻撃されても巨人を破壊しても、危ないことが分かる。

 だが、どうしようもない。

 しなりを効かせて振りおろしてくる巨人の剛腕は、相当な威力をもつと知らしめている。

 ……そして。

 必殺の意志を込めて叩きつけて来た。

 ……爆ぜる。

 巨人の樫の木が持ち手でへしおれて、葉のついた幹をあちらこちらに飛ばしてくる。

 地形を変える一撃と共に、巨人も役目を果たしたというように、体を崩壊させていく。

 瓦礫の山は陥没した地面に覆いかぶさるように、丁寧に積み重ねられていった。

 その後も、振動はしばらく止まず、30分後に止むことになった。

 

「絡め手を使ってくる奴だったか」

 振動が止んで30分後。

 石山が突如爆発して、底の見えないほど光を吸い込む落とし穴の縁に腕を掛ける存在がいた。

「息を思いっきり吸い込んでいると、案外持つもんなんだなぁ」

 片腕一本で体を持ちあげた碓井は、肺の二酸化炭素を全て吐き出すほど大きくため息をつくと、振り返って自分が這い出してきた深すぎるへこみを眺める。

 まんまと逃げられたことを実感すると、もう一度大きなため息をついて、顔を上にあげる。

 目を凝らす事5秒。

 天眼による確認でも、島のどこかにいるという結果は見いだせなかった。

「第一ラウンドは、俺の貫録負けか。まつろわぬ神のくせに人質を取るような卑怯な手を使うなんて、神様の風上にも置けない奴だ」

 負け惜しみの一言を呟くと、碓井は周囲を惨状を改めて見渡してみる。

 すると、ジャングル内部でも荒らされていない地点――碓井から見て右側――に、わずかに呼吸をしている吃音が聞こえる。

 複数らしいどもり声が声をひそめているようだ。

 耳を澄ませてみると、こんな声が聞こえた。

 

「いてぇ……いてぇよぉ。地面がぼこぼこに割れるから、足を折っちまったよォ」

「血が……切られた腕から血が止まらねぇ」

「あたしの……あたしのお腹から赤ちゃんの部屋が見えちゃってるぅ……。嫌、嫌、嫌、嫌」

「他の皆も、血を流しすぎてる……このままじゃ死んじゃう……」

「何なんだよ、あの化け物はよぉ……地面から這い出してきた男も可笑しいだろ。あれが、神様って奴なのかよ。許して呉れ。助けてくれ。怖ぇよ」

「シッ。銀髪の男がこちらに気付くかもしれん。声を潜めろ」

 

 ――どうやら、見当たらなかった兵隊のようだ。

 

 血腥いと思っていたが、透湖に付着していた血液は斬りつけた返り血だったのか。

 致命傷を浴びせるだけに済ませて、念入りに仕留める行動にでなかったのは、邪魔な物体を追い払いたいだけだったということだろうか……。

 奇しくも、島へ向かって走っていた碓井を感じ取って、虐殺を止めたのかの知れない。

 そんなことを考えつつ、碓井は兵隊が集まっているであろう場所へ歩みを進める。

 透視できるほどはっきりとして目標を見ることで、兵隊の悲惨な状況が伝わってくる。

 確認していた150人が山のように積み重なっており、一目で致命傷だと教えている。

 山の周りで蟲の息の兵隊も、同じようにところどころ腕や足などが吹き飛んでおり、出血量でむせ返るようだ。

 ゆっくりとこちらに移動してくる異様な存在感を持つ、もう一人の災厄を目にして、動ける兵隊は顔をひきつらせて、それ以外の者も這ってでも逃げようとする。

 だが、身動きをしようとした時には、碓井は跳ね跳んで兵隊の前に現れた。

「ひっ」

 逃げようとした先に出現したモンスターに、怯えの色を隠す事ができない村人のような表情を浮かべる兵隊。

 碓井はゆっくりと周りにいる中で、未だ目に力がある話が通じそうな20代らしきの女性の前まで歩いていくと、おもむろに声を掛けた。

 

「――怖がることはない」

「何が御望みですか?」

 戦士であることを未だ忘れていない短髪ドレッド女子の気丈な目の光をみつつ、碓井はさらに声を掛ける。

「――君たちの傷を治してさしあげよう……そうだね、友達にならないかい?」

 話を長引かせる気がなかった碓井は、威圧感を膨れ上がらせながら、相手を統率しようと考えた。

 

「……怪しいので、お断りいたします」

「――ん?」

 血を吐くような表情で、恐怖に心を縛られながらも、はっきりと返答する女子。

 この状況で断る人間がいるとは思わなかった……。

 碓井は、誤算に驚きながらも、言葉を続ける。

「――どうしてだい?」

「知らない人が助けてくれる理由がありませんので、何か目的があるのでしょう?それを提示して下さい」

「勿論、君たちを傷つけた相手について。そもそも君たちはどこから来たのか。それを聞くためだ」

 碓井の要求に若干訝しむ目つきをしながらも、相手が激昂することがなかったことに胸をなでおろしている。

「……わかりました。その代わりに、治療を受けさせて頂けるのですね。その後についてはどうしますか」

「友達になるんだから、ひどいことはしないよ。用事があるから病院までは付き添ってあげられないけどね。――君の名前を聞いてもいいかい?友達になるんだしね」

「……ヘルミ・ハーヤネン」

 語調からして、フィンランド系列の名前だと感じた碓井は、周りの人種も含めて考えることで、傭兵の特殊部隊に近い存在だと推測する。

「私は、香山碓井と言います。よろしくお願いします、ヘルミさん」

 聞き覚えがなかったのか、ヘルミと言った黒髪ドレッドの女子は顔に刻まれた戦痕らしき傷を歪めて、意地悪そうに話を切り出した。

「……それで?私たちを助けてくれるみたいだけど、このままだったら助からないわよ?」

 からかう口調に碓井は苦笑しながらも、足元の腐葉土に果物のタネを正五角形の頂点で線を描けるように埋め込んでいった。

 その様子を興味深く見ていたヘルミと、いきなり意味不明な事をしでかしてきて恐怖を目に宿す兵隊たち。

 用意が終わった碓井は、土のついた手を払うと、言霊を唱えた。

「唵 呼嚧呼嚧 戰馱利 摩橙祇 娑婆訶。急急如律令」

 両指を指の股に差し込み、親指の左右の面を合わせることで、薬師如来の仏印を整えて真言を唱える。

 地面に埋め込んだ種を起点にして、五芒星を描く光のラインが時計回りに伸びていく。

 眩く温かな光が零れていく。

 光の欠片が五芒陣で寝込んでいる兵隊に降り注ぐと同時に、すこしずつ切り裂かれていた部位や傷跡の細胞が復元されていく。

 同時に、髪の毛や髭、腋毛や鼻毛、陰毛などが怪我に応じて伸びていくのだが。

 血色がよくなり周囲の状況を認識できるようになると、自分がどのような状況になっているのかを確認して、羞恥で各々悲鳴をあげていった。

 ヘルミも伸びはしたが比較的傷が浅かったようで、髪の毛が伸びるにとどまったようだ。

 ドレッドヘアが崩れたのが気になっているのか、しきりに手で梳りながら、ヘルミはぼやいた。

 

「ちょっと。ドレッドが崩れたじゃないの。そうならそうといってよ」

「短いから、そもそもドレッドになってなかったような……」

「え、何?文句あるの?」

「……ふぅ、なんでもありません」

「そうよね。だって私たち、友達だもんね」

「そう、友達だもんね」

「ふふふ」

「ふふふ」

 

 お互いに空笑いを上げると、無表情になって話を続ける。

「それで、一体どうするの。ウスイ?名前から察するに、日本の人かしら」

「取り敢えず、回復するまでこうするけど、その後は話を聞き次第、速やかに故郷にでも帰るんだね」

「そうね。私もあなたの話を聞きたいわ。それで、日本の出身なの?」

「そうだよ。相手が相手何でムダ話をする気はないよ。もう、終わるし」

 碓井の終了宣言に答えるように、魔方陣が二・三回点滅すると、姿を消していった。

 そのころには自分の怪我が癒えたことをひとしきり確認して、改めて目の前に居る存在に対する警戒心が湧きでて来た兵隊がいた。

 その上、自分たちの仲間の一人がどことなく親しげに話している様子を眺めて、若干の反骨心が湧きでてきていた。

 恐怖と不安に耐えきれなくなった治療を受けた丸刈りの200cm余りの男が詰問してきた。

 

「おう、あんた。一体、なにが……」

 

 懐に呑んでいたカラシニコフを手に持って話しかけてくる男が、自分の優位性を誤認して主導権を握ろうとしてくる。

 碓井が、それを許すはずもなく。

 

「あ?」

 

 その一言で、場が鎮まった。

 わずかに発した怒気が、先ほどまで楽しげに話を振っていたヘルミをはじめとして、その場にいた全員を制圧した。

 目に力を込めて睨みあげると、スキンヘッドは天敵を目にした小動物のように、体をひくつかせる。

 30秒ほどで男は意識を失った。

 その様子を見届けたあと、碓井は気合を薄めるとヘルミに向き直った。

 びくりと体を震わせたヘルミは、おずおずと声を掛ける。

「そ、その……ウスイ?あんまり怒らないで上げて?何でも答えるから……さ」

 急におどおどし始めたヘルミに、このままでは話にならないと思った碓井は。

「――じゃあ、パンツの色は?」

 場を違う意味で凍らせる発言をする。

 数秒沈黙したヘルミは、さらにおずおずと声を掛ける。

「え、パ……パンツ……?」

 その様子を見やると、ため息を軽く突いて碓井は言った。

「嘘だよ。落ち着いたなら、話を聞かせてもらうぞ」

 そういうと碓井は、地面に腰を下ろす。

 ヘルミを見上げると、とまどいながらも碓井に続く。

 答えることができると判断した碓井は、ヘルミに問答を問う。

 つっかえながらも要点よくまとめたヘルミの話を聞いて、うんうんうなずく碓井。

 声をからしながらも話し終えたヘルミを見て、碓井は自分で整理したことがらを話す。

「自分たちは賢人議会の下部組織の一つで、軍人から適当に選ばれた兵隊だと。それで、この島で何が起こったのかが分からないが、歩哨中に呪力が弾けるのを感じて桃河仁に連絡したが届かない。対応策を検討していると、ジャングルの中に人の気配がしたから行ってみた。そこから芋づる式にやられた、でいいのか?」

「……ええ。それで私は最後に見たんだけど、仲間を一人斬るごとにどんどん人間の気配が無くなって、呪力も芳醇になっていったのよ。なんなのかしら、あの禍々しい姿」

 ヘルミが相手の姿を思い出したことで恐怖も思い出したように、声を震わせる。

 大体の状況は把握できたと考えた碓井は、ヘルミに声をかけて島から立ち去って、見ざる言わざる、聞かざるを貫くようにという。

「分かってると思うけど、変な色気は出さないで消え去るように」

「ええ。私たちの上官も危険が発生したら退散するようにと指示していたし。……それより貴方は大丈夫なの?あんな相手とまた戦う気なの?」

「ああ」

「無謀だと思うけど」

「そうでもない――じゃあ、お気をつけて」

 早々に会話を切り上げると、碓井はジャングルを抜けていった。

 ヘルミは碓井の後ろ姿を名残り惜しげに見やると、首を振って意識を切り替えた。

「全員集合!」

「ハッ!」

「これより任務終了として、撤退する!異論は!?」

「NO!SIR!」

「よし、用意しろ!」

「YES!SIR!」

 最後にちらりともう一度後ろに振りかえると、ヘルミは海岸に止めてあったボートに乗り込んでいった。

 

 

 

 

 ▲

 

 

 

 

 一方、不戦勝の形に持ち込んだ透湖は、碓井と邂逅したジャングルからほどよく離れた崖から海へ身を投げいれると、そのまま海中まで一息で飛び込んでいった。

 マリーナビーチとしても使われている場所なので、意外と浅瀬である。

 海底まで息継ぎをせずに到着した透湖は、左手の剣を突きさすと呪力を迸らせた。

 地球に存在する呪力とインドネシアの活発な呪力、神の呪力を融合させることで、ある現象を起こそうというのだ。

 最古の大地神にして英雄である、一つの明確な形を。

 

 碓井が気付いたときには、既に手遅れだった。

 ジャワ海はインドネシアとマレーシアの狭間にある200km前後の小さな海域だ。そして、ジャワ海には様々な小島がある。

 

 そのなかであるはずのない100km四方の島が出現したのだ。

 

 ▲

 

 

 ヘルミ達を追い払ってから、およそ10分後。

 碓井は、ジャングルを出て、星がよく見える300mほどの岩石山まで上っていた。

 無論、被害を及ぼさないためと、天眼をより効率よく使うために来たのだが。

 視界全域に広がる景色は、天眼など使用せずとも明瞭に見とがめることができるものだった。

 地殻変動の後に、これみよがしな『島』が隆起したのだから。

 

「まあ、わかりやすい」

 

 思わず皮肉を口走る碓井。

 これ以上ないほどの、宣戦布告だった。

 島全体に呪力が迸っているなかで、その中央には小さな塔が生まれている。

 高さは100mほどだろうか。緻密な文様をもつ長い塔がある。

 その周囲には人の手が入っていない、原初の樹林で埋め尽くされている。

 目を眇めて眺めていると、透湖の姿らしき存在が塔の頂上に立っているようだ。

 向こうも碓井に気付いたようで、剣を持つ左手を塔に刺して右手で挑発してくる。

 仰いでいるような動きだが表情はにやけているので、明らかである。

 先ほど負けた腹いせといやらしい表情で誘ってくる存在を見て、碓井は遂に殺気を撒き散らして葉っぱが舞う空中を飛んで行く。怒りで脳が爆発するようだ。

「っざけてんじゃねぇ――――――ッゾ!コンガキャァ!!!」

 蒼い瞳孔を紅く血走らせて、餓えた猛獣のように走っていく碓井。

 碓井の激怒した姿を見て、薄く笑いを浮かべている透湖。

 3km近い距離を1分ほどで縮めた碓井は、塔の弓崖に足を掛けたと同時に、透湖に飛び込んでいった。

 

 

 

 ▲

 

 

 碓井と透湖の第二ラウンド。

 拳と剣がつばぜり合いを起こす。

 碓井はぶちきれているなかで、今後の詰め方を予定していた。

 

 相手は透湖の体を乗っ取っている。簡単に外す事は可能なはずだ。からだに接着していようと、はっきり見えていれば縁を断ちきることができる。

 相手の正体が掴めない以上、少しずつ羽衣を解いていくしかない。

 継ぎ目となっているであろう、左手の剣から伸びている血管と体の癒着を見とがめていく。

 すると、ほころびが見え始めた。親和性が高くとも神とその映し身では格差がありすぎる。その違いを埋めている縁を切り離すことで、強引にでも神と透湖を引きはがす事を目論んでいる。

 何せ、このまま倒したところで神を倒せたとは言えないかもしれないのだから。

 体が教えてくる、天津甕星顕現の期限までそれほどの時間はない。権能を取得するような強い戦いぶりを示す必要がある。

 取り逃がす事は許されないのだ。

 前提条件をもう一度はっきりさせた碓井は、右に左に振られてくる剣をかわしながらも先ほど発見したほころびを大きくしていく。

「いい加減、その重い体で何が出来るのかな!?」

「はーはーは。まーだーこーれーかーらーでーはーなーいーかー」

「その、間延びした口調をやめろっつってんだよ!!」

「そーうーいーうーなー。きーみーのーけーんーのーうーがーじゃーまーしーてーいーるーのーだーよー」

 自分と透湖のリンクが切れかけてきている事を告白すると、目の前の神が突如、50mほど後ろに跳び跳ねた。

(なんだ?)

 訝しんでいると、透湖は剣を天に掲げて言霊を捧げる。

「雷雲よ、ここにあれ。天と地の理をここに魅せつけよ!」

 その言霊に引かれて、雷が剣に崩落してきた。

(これはまつろわぬ神が意図せずに起こす現象か。だから邪眼が効かないんだな)

 雷に打たれた剣は、軽い放電を起こしながら切れ味を増したように思える。

「さあ、いくぞ!」

 先ほどの雷で神と透湖の繋がりも強くなったようで、精悍な声で挑む透湖。

 そうして袈裟切りに斬りかかってくる。

「おっと」

 後ろに軽くステップを踏んで避ける碓井。

 そのまま風斬り音を上げながら、剣が襲いかかってくる。

 重心が安定した状態で鋭く振ることは、意外と難しい。

 それも神々と戦えるほどならば、なおさらである。

 左右に跳ねながら、碓井は切り札の金属吸収のタイミングをいつにするかを考えていた。

(さて、相手の本体が見えないうちに剣を吸収していいものか。ていうか、相手は一体誰なんだろうか。それ次第なんだよなぁ。やりづらいったら、ありゃしない)

 頭の中でぼやくながら邪眼を強めていく碓井。

 すると再び動きが鈍くなってきた透湖の体を突進して密着体勢にする。

「あぁーーー」

 今まで以上に間延びした声で、驚愕らしき言葉を発する透湖。

 身体能力や技術で勝っていない相手の体の反射行動は非常に読みやすい。

 的確に追い詰めていき、右腕の関節を背部に捻って極めた。

「さて、どうする?透湖の体から出ていかない限り、これ以上はどうしようもないぞ」

「……ふふふ。君の技術は確認させてもらったよ。君は見たところなかなかの大敵のようだからね。最低限の偵察は必要だと判断したのだよ」

「――何ぃ?」

 碓井が顔をしかめると、拘束をさらに締めあげる。

 と。

 透湖を乗っ取っている神は、息を吐くと全身の力を抜いて極めてある筋を柔軟性に任せて可動域をさらに広げた。

 わずかに空いた隙間を元に掌を上に返して、拘束から優雅に抜き去る。

 力ではなく技術で脱出されたことに目を見張る碓井。

 わずかに動きが鈍る。

 その隙に透湖は今度は50m以上も離れて、塔の縁にまで下がった。

「ははは。ここはひとまず去らせてもらおう。ここまで大きな魅せ札を使ったにしては少々戦果も弱いが、これ以上長引くとこの体では耐えきれないからな。我が母を大事に扱ってくれたまえよ」

 自分勝手な言葉を吐くと、透湖の左手に握られていた剣が煙になって消え失せていた。

 同時に透湖の後ろに透けていた、どことなく青年らしき年齢の背後霊が消えていくのも見とがめた。

 完全に消え去ると同時に、透湖の体が前に倒れる。

 一踏みで傍まで近寄った碓井は、透湖の体を抱きとめる。

 確認できる範囲には存在しないことを確認して、碓井はやるせないように溜息をつくと、透湖の体調を確認する。

「おい、透湖。大丈夫か」

 顔が赤く、瞼を閉じているが、左半身に赤い血管らしきものが伸びている。

 原始宗教の化粧らしき朱を目から垂れさがるように顎先まで引かれている。

「――う~ん?神の母体じゃなかったのかな。それが何で操ったりしてるんだろう。……取り敢えず、透湖を休ま……」

 碓井は全体的に大きく様変わりした透湖を見やり、そもそも彼女は全裸だったことを改めて認識したので、女子のガードのない裸体に思わず顔を赤く染めるのだった。

「あっ。やべっ」

 何の含みもなく碓井が発した言葉に憤慨を覚えたのか、透湖がわずかに残っていたのだろう意識で、薄く眼を開くと、息も絶え絶えにこう呟いた。

「碓井様。その発言は酷いです。せきにん、とってください」

「えっ」

 呆気にとられた碓井を尻目に、透湖は再び意識を失った。

 湿った風が塔の頂上を吹き抜けていく。

 碓井の迂闊さを笑う神々の祝福だった。

 

 

 

 ▲

 

 

 

「相手がこれほどのものだとは……」

 誰に聞かせるともなくぽつりとつぶやいたのは、一人の青年だった。

 背は高く背筋は伸びており、およそ210cmを超えているだろうか。

 髪は腰まで届くほどの4色のグラデーションをもつ。それぞれ毛の先から、脱色したのではないかと見紛うほどに不自然な白。まるで固まる前のセメントを塗りつけているようだ。そこから15cmほど上に行くと、黄色。金髪などとい美しい色ではなく、黄痰のような黄色雀蜂のごとくニシキヘビの派手派手しさを持つ、極めて人に不快感を与える色だ。さらにそこから10cmほどいくと、今度は鮮血色。口紅でいえばスカーレットだろうか。ある一定以上の美貌を持つか、新進気鋭の実業家か、単なる勘違いをした痴れ者か、とにかく、自分というものに自身を持たない限り身につけることなど許されない、高貴な色である。

「一時とはいえ、羅刹より退いたこと、必ずや我が一刀にて返礼せねばなるまいて。しからば、今しばらくの辛抱と」

 最後に彼の髪が身につけている彩色とは何か。

 それは黒である。

 わずかに青みがかった黒というのは、DNAの人類拡散から考えると、2度目か3度目に人類が拡散した時代のものであるとされる。それが、2万年前だとされる。

 彼の持つ神格は、そのような古い時代の信仰すらも手に入れているというのだろうか。

 ならば、この者はいかほどの存在なのだろうか。

 まつろわぬ神であるのは、確かだろう。しかしまつろわぬ神は自らを美しく着飾る性質がある。俗世間の汚れなどを見に纏うことなど、神にふさわしくないからだ。彼らがまつろわぬ身になるのは、変わらなければ生きていくことが出来ないという、ごく普通の生物のもつ進化だからである。完成された存在ではあるが、不死にごく近い存在が自らを揺らすに値する存在と対峙すると共に、自分の行動原理を意識するようになってくる。それは狂うという事と同義である。危機に対して、自分がどのように振舞うべきか。いうならば、まつろわぬ神々は、自分の存在理由を探し求めているのだ。それが見つからなかったときに、彼らは完全に歪む。それが、まつろわぬ神の本質の一つである。

 4色を髪色として身に纏うというのは、彼にとってどのようなものなのだろうか。

 それはうかがい知れない。

 だが、彼の姿を眺めていくことでそれが判明するかもしれない。

 顔はどのようになっているのか。無貌である。いいや、正確には洞穴ではないかと勘違いさせるほどに【黒い】のである。よく見ると、人型であれば目があるだろうという場所に、切れ込みがある……ように見える。だが、閉じているのか線にしか見えない。髪色の根元が黒であることも含めて、同化しているように感じる。その上、毛先が余りにも刺激的な発光色であることも考えると、一層顔の暗黒色が増しているように感じさせる。されど、鼻は高く艶やかな唇は美しく整っている。彫りが深い顔立ちでもあるように見える。

 整っているが、簡単に美貌であるというわけにはいかないかもしれない。

 体躯はどうか。

 1言でいえば、細身である。だが神であるならば貧弱であろうはずもなく、人間では考えられないバランスがある。それは他の神々と比しても、驚くしかないだろう黄金比である。

 されども、彼の体にも色がある。左腕が青色。右腕が桃色。左足が茶色。右足が黄色。首は緑。胴体は茶色。股間には紫。全部で7色存在する。それぞれが磨き上げられた光沢を持ち、どこか鉱物のような印象を受けるほどに鍛えられている。

 彼がいる場所は、碓井が戦った塔からも離れている、そこは海底火山の中だった。

 呼吸すらも必要がないのか、生物であれば当然漏れてくるであろう気泡がでていない。

 彼は、海底火山の極寒のマグマに体を浸しているのだ。

 煮えたぎっている星の生命力そのものである、どこまでも赫いマグマをまるで温泉の湯のように使い、体を温めているのだ。

 彼は一体どのような神なのであろうか。マグマに浸していることから、火の神であろうか。

 いや、そもそも海底火山のマグマを利用する存在が、それだけで済むのだろうか。

 であれば、彼は紛れもなく1神話の主神格の力量を持つのだろう。

「今のままでは届かぬやも知れぬが、あと数時間もすれば我が体も復調しよう。半身ともいえる友こそおらぬが私は元々一人で生まれたのだ。さればこそ、我が身一つにて魔王を誅殺し、人の子に天地の開闢を与えようぞ」

 そこだけ明るい朱色に染まっている唇を開くことなく、一帯から同時に声が響き渡るように聞こえてくる、神の宣言。

「そして、慈しむべき母を羅刹めの魔の手より救い出して見せようぞ」

 今まで感情の色が見えなかった自らを無謬と信じるために、一切の意思に揺らぎがなかった存在に、初めて地上に生きるものらしき欲が覗いた。

「母よ。愛されるべき方よ。鬼畜の父母より生まれし罪深き母よ。あなたは救われねばなりませぬ。今なお羅刹の元にかどわかされていること、申し訳なく思っております。あと数刻、お待ち下さりませ。羅刹に害されていようとも私はあなたを蘇らせることができますので。私を育んでいただきました御恩を、私はあなたを救済することでお返しさせていただきたく。それこそ、あなたが甘受すべき世界の祝福でございます」

 岩石のように強固であった表情と心に、神でありながら孝行息子のように恩返しをしたいのだという、欲とは言うべきではない温かい慈愛を目論んでいる。

 彼の者の脳裏には、すでに地にはびこる羅刹王のことごとくをなぎ倒して、黄金の小麦で彩られて開かれた野原を、透湖と共に微笑みあいながら穏やかな歩みを進めている姿が映っていた。

 彼は自らを再構成するべく、真言を唱え続ける。

 

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空 空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得菩提薩垂依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰掲諦掲諦波羅掲諦波羅僧掲諦菩提薩婆訶般若心経―― 」

 

 般若心境を唱える。

 

 これは、大日如来と観世音菩薩への帰依を示すための経文である。

 アフラ・マズダ―は一説によると、大日如来にまでつづく信仰であるという。そして観世音菩薩が大日如来の傍に控える形であるのは、アフラマズダ―とアナーヒタ―の表層がヘレニズム文化によって大乗仏教になったという。このうち、アナーヒタ―は観音にまで続くだろうことがほぼ決定的である。大母神というのは、世界中で一番古い信仰である。その信仰でもイナンナ=イシュタルは戦闘女神の相を強く持つことがある。15という数字はイシュタルに捧げられた象徴である。シュメールでは数字での言葉遊びは、意外なほど規則的に文書で記されている。

 15面像がある観音や西王母は、そのルーツをうけていると考えられる。

 自分自身、又は同体の存在の信仰を確認するとともに、真言を唱えることでその力を活性化させていく。

 

 

 牙を磨くために。

 

 

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 ぱちぱちと火が燃えて爆ぜている音が聞こえる。

 何かを焼いていると思しき、油の爆ぜる音が耳に届いてくる。煙が鼻をかすめていくので、何を焼いているのかが分かってきた。

 ――これは……魚だ。

 自分に近い場所で火が付いている事に思いいたって、透湖は、意識を泥のような疲労をため込んでいる重苦しい井戸から、ゆっくりと浮上させていく。

 鎖で縛られて水の中に放り込まれているかの如く、その浮上はのろのろとして進まなかった。

 ――何故か、肉体の疲労だけは回復しているようだ。

 ならば、重いのは心だ。

 ゆっくりと深海魚が浮上するように、わずかに光る場所を目指して、少しずつ浮上させ続けるも、遅々として進まない。

 自分が置かれている場所と思い通りにいかない自分自身を俯瞰して、まるで本当に泥に浮かんでいる睡蓮のように思えてくる。そんなの自意識過剰なことなど、分かっている。

 でも、自分が種子になって泥の中に埋まり続けているような気持ちが晴れることがない。

 修行に励んでいる時も、容姿の秀麗さから襲ってくる下卑た男の股間を踏みつぶした時も。同年代の女子と楽しく話していた時も。心が重く濡れていて起き上らない。すこしだけ心が温かく乾いたのは、自分を救ってくれるんじゃないかと思える様な、そんな方と接していた時だけ。

 予感していたとはいっても、両親からも愛されていなかった私。そんな私を、心が沸き立つ世界に連れ出してくれる人。

 ――ああ、碓井様。

 もっと沢山、私を使って。あなたの役に立ちたい。すこししか供をしてないのに、貴方に捧げたい、何かを。そして、私も貴方を使ってきっと自由になれる。解放される。

 そしていつか、愛してほしい(愛したい)。

 貴方の為に咲く、魔術師の悪意の泥から生まれる、白い睡蓮になって。

 ――貴方の眼を引きたい。

 自分がどのように思っているのかを再確認したことで、自分を縛る鎖がゆるんだように思えた。緩んだ鉄の網から這い出していく。目指すのは光り輝く地上の煌めき。そこに何かあるものを求めて、自分が生き延びるために!

 

 ……なにか、忘れているような気がするけど……。

 

 目が、覚めた。

 意識が唐突に目覚めたことで、体がその反応に答えられずに痙攣する。

 数秒、震えた後、二酸化炭素が詰まっている溜息を吐きだす。

 指を軽く折り曲げて、自分の意思で動かす事が出来ることを知って、腹筋に力を入れて一気に跳ね起きた。

 目の前に見えた光景は、どこかのジャングルらしき森の中。果物が実っており完熟した甘みを伝えてくる。

 先ほどまで自分がいた場所との違いに脳の処理が追い付かなかったので、独り言をくちにだすことで心を落ち着けようとした。

「――ここは、一体どこ!?」

 心臓の鼓動がドラムビートを刻んでいる。脂肪の薄い胸に手を置いて落ちつこうとする。

「落ち着け。落ち着きなさい。取り敢えず覚えているのは、私の腹から神様が生まれた事。あのキモイ親父と顔も知らないババアが望んでいないけど、必要だから産みましたァ~とか、舐めたことをぬかしていることと、碓井様を最後に見たことね。――碓井様ッ!?」

 後れを取った自身を救出して下さった、仕える貴人の名をいうことで、その存在が周りにいないことに気付く。

「碓井様ッ!どちらに……」

 慌てて腰を浮かせて周りを見渡す透湖。

 程よく火の温かさを感じられる場所には、簡素な木組みの囲炉裏があり、木の串に刺してある魚がある。どうも河魚のようだ。少し、こげている部分が出ているが、何も食る量を取っていないことを考えれば、気にするようなものではない。

 自身に近い場所には果物が幾つか置かれている。喉の渇きを癒すためだろうか。

 しかし、それを用意しただろう存在がいない。

 自身の拠って立つ者がいないことで、子どものように不安げな顔で辺りを見渡す。

「碓井様ッ!どこですか!?」

 声が震えているのが、自分でもよくわかる。返事がないので、探しに行かねばという思いで、いまだに思い体を動かそうとする。

 そこへ、応えが来る。

「うん?呼んだ?」

 透湖の横手の藪から現れたのは、短パンの碓井だった。

 手には、たくさんの果物。

 ずかずかと音を立てた歩いてくると、どすんと囲炉裏の前に座った。

 透湖がまじまじと見つめている事に気付くと、碓井は訝しげに声を掛けた。

「――どうした?」

 その声に我に返った透湖は、慌てて返事を返す。

「はっ。申し訳ありません!」

「いえいえ、気になさらず。それより喉が渇いているだろうから、これでも齧って」

 手渡されたのは、葡萄。

 喉が渇いている事にようやく気付いた透湖は、無意識に口に運んだ。

 しみわたる果汁。夢中になって一房、ふた房を喉に流し込む。3房目に取りかかろうと目の前の皿に置いてあった葡萄を手に取ると、途端に自分の意地汚さを客観視して羞恥に頬を染める。

「も、申し訳ありません。がっついてしまいまして」

「気にすることはない。あんなことがあったあとだ。喉を詰まらせることもないのなら、もう少し食べて英気を養っておいてくれ。いっては何だがこれからが本番だ」

「――はい……。そうですよね」

「申し訳ないがな、まだまだ酷使することになりそうだ。辛いことがあった直ぐに思い出させることになるが、お前がとりつかれた神の名前はわかるか?」

「そ……それは……」

「言いたくないなら、そういうように。今回はさすがに責める気にはならない。自分の腹から産んだことになるからな。それも自分の両親と良心が悪意を持って産んだこともある。言いたくないだろう」

「――いえ、碓井様のお役に立つために御傍におります。不覚を取った以上は、この失態を雪がせていただきたく思います」

「……そう、か。……ならば、聞こう。お前が生んだ神の名前は?」

「はい。――彼の神格は、ガユーマルスです」

 

 

 

 ▲

 

 

 

 ガユーマルス。

 

 原人ガヨ―マルトともされる、イランの叙事詩に存在する人類最初の原人。

 インドでは、マールターンダという原人にも比例する。最初の原人という意味であれば、オフルミズド=アフラ・マズダ―にもなる。

 この神は、「巨人と小人の創造神話」の一例でもある、と考えられる。

 創造女神のシィームルグから生まれた7柱のア―ディティヤ神群。そして、8番目に生まれた神、ガヨ―マルトは不定形であり、供儀によってミトラが成形にもどすと世界が三倍に広がる。

 生まれて広がったのは順に、太陽、世界、天空、星、島、海、惑星、そして7つの惑星の運動によって、時間、昼と夜、春夏秋冬が生まれたというものだ。

 このうちミトラによる7つの惑星を担当する神の決定云々は、バビロニア占星術との習合によって加えられた部分だと考えても、ほかの創造神話の例に酷似するのだ。

 トールがヨルムンガルドとの決戦後に3歩後ろに下がって死んで、新天地を生みだす伝承。

 トールとアルヴィースの歌の内容。

 ヴァ―マナがマハ―バリを三歩で踏み殺して、新天地を生みだす伝承。

 大国主と少彦名が、三歩で世界を生みだす伝承。

 もし、イランの原人であるガヨ―マルトが巨人と小人の創造神話に該当するのであれば、文化の発生地が西アジア……トルクメニスタン付近……の火と太陽の信仰を原点とした神話から生まれている以上、巨人と小人の創造神話はこの伝承を元にして世界中に広まったと考えられる。

 ガヨ―マルトとミトラが同盟神の関係にあるとしてみよう。

 ここで考えてみたいのは、バーミヤン天頂図に代表される、アシとミトラとイマが同じ戦車にのっているイコンや図像のことだ。

 前14世紀にこの図像が見られると、ジョルジュ・デュメジルは言う。

 バーミヤン天頂図は、ゾロアスター教以降の5世紀に造られた以上、これだけでは判断できない。

 しかし。

 アシとミトラとイマは、同盟神の関係にあるとしか思えない構図である。

 そして、イマはガヨ―マルトと同一視される、原初の人類であり黄金の時代をもたらした王である。

 さらに、ミスラの懐刀にして、同盟神ともいえるほどの存在なのは、ウルスラグナである。

 

 ウルスラグナ。

 10の化身に変身することで、勝利を収めたと言われる、鋼の軍神にして太陽神ミスラの申し子。

 彼は主人公の権能として使われている。それぞれ、『風』『雄牛』『白馬』『ラクダ』『猪』『カラス』『雄羊』『黄金の剣』『15歳の少年』『山羊』の化身がある。

 この神格は、ミスラインドラ賛歌に突如「勝利」の名で登場したと、ジョルジュ・デュメジルはいう。脈絡のない状態から出現した神格であるため、完全なルーツは判断できないとしている。

 しかし、彼の10の化身。そして、ミスラの従属神であることを紐解くことで、ある程度判断できると思われる。

 1、彼の象徴は黄金の剣である。

 これは、ガユーマルスという古代イラン伝説の最初の人類にして王を元にしている。彼は創造神によって「原始の雄牛」や聖なる樹と共に創造された。そして、彼の名は<話す人>という意味である。黄金を装飾として言葉で世界を闇から暁を生んだという逸話のみが残っている。後の閻魔大王になるイマも彼の系譜である。

 ここから、黄金の剣、雄牛、白馬を見て取れる。

 2、ラクダ。雄羊。

 ラクダは「玉座」の意味を持つ。つまり、権力の象徴でもある。この動物を化身とするのは「フワルナ」である。この神は天から降る火、太陽=光の輪=指輪=王冠をも象徴とする。そこからウルスラグナの助手として考えられるようになった。

 雄羊はアシという女神である。この神は元はミスラ、イマ(ヤマ)の乗る戦車をひいた御者であり対等な関係だった。

 ラクダの像にはフワルナを運ぶものとして考えられたことで、雄羊(アシ)とラクダ(フワルナ)は雌雄一対の神格になる。

 以上から、ミスラとウルスラグナが関係を持つときに、正体不明の神に形を整えるため同盟神である、彼らを元ネタにしたと考えられる。

 3、カラス、山羊=鹿。

 後に後述する項目があるが、カラスは「移動」の能力を持つ。山羊は「大地、死と再生、魔術」の意味がある。これらは鹿に変換される。

 鹿は「移動、大地、死と再生、魔術」をもつ非常に特異な象徴である。

 4、猪。

 鋼の軍神としてのトーテムである。

 火星を司る猪の軍神は全て、鋼となる。これがミスラの加護の最たるものであるともいえる。力を誇示する役目があり法の番人ミスラの武器でもある。

 5、少年、風、白馬、カラス、黄金の剣。

 これらは、ノウルーズという、太陽神ミスラをたたえる祭りであると同時にイランを含めて世界中にある太陽暦に由来する。

 この祭りは王族から生まれ、民間にも普及したものである。

 その性質上、王への儀礼では諸物の王になるものが使用される。

 まず、15さいの少年はグラムと言われ、英雄になる輝く者として古代宗教は扱う。儀礼においては、王の所有物=男奴隷であり、王の権力を魅せるものである。優秀なグラムは太陽象徴にもなるので喜ばれる。そこで、葡萄酒という穀物の王を家来に配る給仕の役であり、杯するには主人への忠誠を誓う必要があった。これがピンチの時に忠誠を誓う必要が少年の化身の条件である理由だ。王の奴隷である。

 次に、風。

 これは弓矢という王の狩りの意味を持つ。その速さが風として感じられたのである。

 次に白馬。

 これは4足動物の王を示す。そして、白馬は太陽を運ぶ戦車。アシの役目を奪ったと言える。

 次にカラス。

 これは鷹でもある。鳥の王である。

 最後に黄金の剣。

 黄金は太陽と溶解する金属の王の象徴。剣は王の力のこと。

 王の武器を持つ王にして従属神、ウルスラグナ。

 勝利の名を持つ、王の中の王。まさにカンピオーネの世界にふさわしい神である。

 面白い類似点が発見できるのではないだろうか。

 ウルスラグナには、アシだけでなくガヨ―マルトの例も含まれている。

 ミトラとウルスラグナには、巨人と小人の創造神話という創造神としての役割もある。

 アシもフワルナも、後には最高神に近い信仰を受けているので、ウルスラグナにも繋がっていると断定はできない。

 ガヨ―マルトもそうだ。

 そもそも、ノウルーズとウルスラグナが関係しているということも思われていない。

 だが、非常に似通う点である。

 なんでもそうだが、何かを人に伝えるには、その人が知っている概念と類似する点を見つける必要がある。

 インドでも、クシャトリヤの開発した独自の概念は、おおよそその一代限りで民間には広まらない。ただ、何かの悪性を追い払う破魔の意味があることをなんとなく察して、住居の周囲に示したのだ。民間に広く意味が浸透するときは必ず共通したテーマに習合する。魔除けは分かりやすい例だろう。

 ウルスラグナが民間に広まったのは、単に戦争神だからではなく、広く共通したテーマを持つ神だから広がったのだろう。そしてミトラと繋がり広いテーマをもつ神は、イマやアシ、アナーヒタ―である。

 ならば、イマの元祖になるガユーマルスは世界の神話の淵源神だと考えられる。

 一番最初の混ざりモノのない再源流の鋼の神にして、前世代の創造神である。

 

 

 

 ▲

 

 

 碓井の体は霊視が起きる。

 神格の名を聞いたことで、神の体から得られる知識は、並みの高位霊視術者を上回るものである。なにより虚空の知識を強引に引き出したところで、なにか負担がかかることもないのである。

 ノーリスクで神格を看破できる事で、相手の経歴を見据える。

(相手はどんな能力を持っているかは、あるていど理解した。要は豊穣神トールと同じ感じだ。なら、やりようはある)

 碓井のスタイルは手札を順次切っていく事と、相手の長所をできるだけ潰していくことである。

 相手が全力を出し切った後に、こちらの最大攻撃をぶつける。

 特に剣技を駆使してきた事を考えれば、鋼の性質が強いように思える。

 吸収してしまえば、完全なカウンターが狙える。これを予想することは不可能。この方法で行こう。

 碓井は脳内で戦略を練り続ける一方、自分が紛れもない神格を生んだことを認識したのか、沈鬱な溜息をつく。腹が空いている事もあるので、気分を変えるためにもそろそろ引き上げないと危ないくらいに焼けた魚を食べるように促す。

 それに軽くうなづくと、もそもそと食べだした。

「透湖。大丈夫かい?僕が言えたことではないけど、君が何か責任を感じるようなことではない。悪いのは、君の役に立たない良心なんだから」

 自分でもしらじらしいと思いながらも、根気よく言葉を掛けていくことが、テンションを保ち続けるためにも大事なことだと考えていた。肉体の疲労はトールの森の生産物で補うこともできるが、精神にも栄養は必要だ。果物だけでは賄いきれない。

 透湖の昔の話を振ったり、自分の昔の出来事や大学にほとんどいってないことで、どんな授業があるのか全く分からないことなどを、空滑りしながらも返事を出来るような話題を提供し続けた。

 そうして、数時間。

 あたりはすっかり暗くなり、森の中では継ぎ足されている囲炉裏の火だけが光源であった。

 お互いに影同士しか見当たらない。温まることが出来る火を浴びながら、何かを話す事もなく闇の中でそばにいるというのは、たとえ闇の暗さがあっても人を温めて慰めてくれるもの。

 相手がわずかに動いた時に、感覚がそちらに引きずられていくが、それだけで心がゆるやかに慰められていく。

 やがて、透湖が少し落ち着いたように、微笑んだ。

 その事にほっと一息つくと。

 

 爆発した。

 

 火山の噴火にも似た膨大な呪力の奔流が、フィリピン沖らしき方角から流れ込んできたことが分かった。

 いよいよ、相手も復活したようである。

 これからが戦いになる。退却など許されない、死闘が始まる。

 神の呪力を浴びたことで、体が戦闘へ切り替わる。

 逸る心を押さえて、碓井は同じく呪力を感知した透湖に視線をやる。

 彼女は、どことなくつらそうな目をしながらも、拳は握られており、戦意があることを示している。その様子を碓井が見ている事を感じたようで、目一杯の気合をこめて碓井の眼を見返した。

 透湖の決意を感じ取り、ポケットからボールペンとメモを取り出すと、行動予定を書き記した。

 

 

「ふふふ。遂に私という存在が復調して再構築された。ミトラがいないために最大限までの呪力と権能を使用することはできないようだが、この私も一角の男子。英雄たるもの、友がおらずとも正義を示さねばなるまい。神々よ、照覧あれ。いまこそ私は忌むべき羅刹を討ち果たし、見事愛する母:シームルグを救い出して見せようぞ」

 海の底で呼吸することもなくひとりごちたガユーマルスは、結跏趺坐の体勢で機が熟すのを待っていたが、体にはマグマを浴びて星の生命力を吸収したことで相応の呪力が中にたまり、活性化されていた。白く薄汚れていた体は白磁のごとききめ細やかな肌に戻り、目には原初の豊穣神としてのアラブる本性が表された獰猛な色を帯びている。

 わずかに気を高ぶらせると、海水が深海にはふさわしくないほどに蒸発を始めて、その内容物を水素と酸素に分解させ続けている。

 神殺しの呪力が近くまで来ている事を悟ったガユーマルスは、自分が生み出した島に向かうことを決め、遂に寮の足を海底に触れさせた。

 足指にわずかに力を込めると、深海の圧迫感を乗り越えて、海を立ち割って海面まで魚雷のように突き進んでいった。

 海面から顔を出すと、ガユーマルスによって生み出された名もなき島の断崖絶壁の崖のそばに浮かびあがっていた。

 胸まで浸かっている、深い緑色の海面を目線だけを動かして、見る。

「ふむ。このまま塩水に浸かっているのも、芸がないというもの。ここは一つ盛大に号砲を鳴らして、宣戦の狼煙とさせてもらおうではないか」

 そう嘯くと、彼は息を思いっきり吸い込んだ。

 そして。

 吐き出す。

 その口から吐き出されたものは、マグマと同じ威容の灼熱だった。

「ゴバァアァアアァァァァァアア!!!!!!」

 マグマに体を打たれた海は、青い大海の姿を一瞬足りとも保つことが出来ずに、白い雲海と化学変化して、遥か遠い上空まで舞い上がっていった。

 遠くからは人類の文明の証である、人口の光が夜の繁華街を楽しんだり、深夜になったために就寝している事だろうか。それとも突如出現した島が生み出した轟音に体の震えを止められないかもしれない。

 そんな儚き人の活動などを寸毫たりとも斟酌することもなく、歪んだ正義感と呪いの忌み子を討伐することを第一義としていた。

 蒸し風呂のように熱せられた真白の雲は、やがて名も無き島をも揺るがす上昇気流を生み出してジャングル地帯の木々すらも、天空に舞上げていく。ガユーマルスはその暴風に目を取られることもなく、耳を塞がれることもない。

 流入した海風が白い湯気を吹き飛ばし、靄に塞がれていたガユーマルスの視界も開けて来た。

 大気で冷やされた湯気と霧と雲が、大量の雨粒となって島を襲ったのは、ほんの数分後の事だった。

 もはや氷と言えるほどの高密度の雨粒が、ジャングルや突きでた塔を削り取っていく。

 太古の自然がもたらしていた、人類ではなすすべもない現象を見やり、ガユーマルスは気が高まっていくことを感じていた。

 雨で体を打たれるたびに、自分という存在がさらに研がれていくような気がするのだ。これから始まるのは神話でし語られない、羅刹たる悪と無謬の善の喰らい合い。

「さあ、これより約束されし救済の役を果たさん」

 ガユーマルスは何かを言祝ぐように手を広げると、正しく力を振るうことのできる快感を妄想して顔を醜く歪ませる。

 

 果たして、10分ほど。

 

 ゆっくりとした足取りで、塔の麓までやってきたのは、南国風の青年と布一枚しか身に纏っていない痴女がやってきた。

 頬を赤く染めている透湖は、居心地悪そうに呆れた眼で見ているガユーマルスの視線から裸体を逸らそうともじもじしている。

 恥ずかしげに透湖は碓井に話しかける。

 

「あ、あの碓井様。どうしてこの恰好のままなのでしょう……」

「うん、やっぱり勝者の景品は、公平を期するために全裸であるべきだろう。勝手に景品にして申し訳ないけど、これから始まるのは一人の女子をデートに誘う順番を競う戦いなんだ。君から彼が生まれたことに責任なんてないけれど、やはり関わったからには最後まで関わり続けてほしいのも心情だ。一つ付き合ってもらえないかな」

「は、はあ……」

「後、嫌が――」

 

「貴様!!!我が母を辱めるとは、なんたる下劣なる所業だ!!!羅刹の化身であろうとも、貴様とて並いる神々を打倒せし勇者であろうが!許せぬ!」

 

 突如空気が吹き飛んだかのように錯覚させるほど、感情が籠った大音量の怒声が響き渡った。

 碓井が言い掛けた言葉を遮り、思わず生唾を飲み込んでしまうほどの気合だった。

 

「母上、申し訳ありません!羅刹などという悪鬼外道にみすみす御身を奪われてしまうなど、慙愧の念に堪えませぬ……」

 

 心底辛そうに声を絞り出す、210cm以上の大男は、くやしげな顔を隠そうともせずに碓井の睨みつける。

 一度ひるんでしまった自分を取り直すために、わざと泰然自若と気合を受け流している碓井。

 その無関心さを装った碓井の顔に、ますますいらだちを強めていくガユーマルス。

 いきなり、二人の男の裂帛の攻防を向けられることになった透湖は、自分の立ち位置をどうすればいいのか全く見当がつかないまま、おろおろとしていた。

 困惑した表情のまま、手を碓井とガユーマルスの方に広げて、言うまいか言わざるべきかと逡巡していると、ガユーマルスがほほ笑みながら言った。

 

「お任せ下さい、母上。多少てこずるやもしれませぬが、私が負けることはありませぬ。これは決まっている事です。母上におかれましては、どうぞお気を楽になさってくださいませ。――よろしければ、母上の歓声などございましたら一層奮い立つものでございますが……無理強いはいた――」

「――ヒィ――――――ハハハハハハッハハ!!!」

 

 碓井はガユーマルスが透湖にわずかに照れたような口調でねだろうとするのを遮るように癇に障る笑い声を上げて、目線を向けさせる。

 今度はガユーマルスが呆気にとられたような顔になって、碓井の馬鹿笑いを上げている大口を見下ろしていた。

 碓井は相手が弱点をさらけ出したことに、嬉々としてそれをいじくりまわそうと考えたのだ。

 ガユーマルスは自然に発生したわけではなく、透湖の体から世界を救済することを望まれて、そして不完全に生まれた。

 そのために発生している神格と実際の精神の乖離。

 余りにも強大すぎる神話と権能を誇るにもかかわらず、もはや用済みであったと思われていた透湖を求めているという、生まれて間もないかのように母を求めて、その愛情が自分にのみ注がれるのだという錯覚を起こしている。大人になるほどにその錯覚は忘れられるか、病気になるほどにこじらせるかのどちらかだ。それが親離れというものを誘発する反抗期である。

 戦士として、あまりにも脆すぎる精神性であると看破したのだ。

 そして子供であれば、低俗で悪辣な揶揄にこそ、その精神を否応なく切り刻まれて鮮血の痛みに嘆き怒るだろう。

 

「ガユーマルス君。君には失望した。あきれ果てるとはこのことではないか」

「――……」

 

 相手が低劣な揶揄を口にしようとしていることに気付き、不敬なる言をさせぬうちにと、足指に力を込めた時。

 

「がゆーまるすくんはきょじんとこびとのそうぞうしんわのかみ。いっつもみとらくんにおしりをふいてもらってる。おともだちにめいわくしかかけられない」

 

 碓井が、霊視した虚空の知識を野卑なる口調で語り始めた。

 言霊の剣ほどの影響力などありはしないが、本来は自分がどのような神なのかを相手につらつらと語られるだけでも、自分を知られているという問答無用のおぞましい気分に陥れられるものだ。兵法においても、言動で相手の精神を乱すというのは、当然のように存在している。このような方法で相手の心に土足で踏みにじろうとする者は、勇者足る神殺しにも存在しないであろうが。

 

「きみはみとらくんがいなければじぶんでちん○をこすることもできないこしぬけ。いじめっこにもまけちゃった。かっこいいのはみとらくんだけ。おまえはくさったせいえきしかつまってない」

 

 碓井の声は、何かを掻き毟って微細な振動を羽ばたかせたあと、粘っこい燐分を散らす羽虫のようであった。

 

「きたない。きたない。きたない。おまえはきたない。--ああ、おかあさま。だきしめてください。カ―――――ハハハハッハハハハハハハ!!!!!!」

 

 喉の奥から甲高い声で、詰り続ける碓井。

 目は相手を思う存分責め立てることが出来る加虐心に満ち満ちていた。

 ガユーマルスはその顔を見て、彼こそが悪鬼羅刹の化身ではないのだろうかと勘違いを引き起こすほど、憤怒の丹色に染め上げていた。歯を噛みちぎらんとばかりに、金属のように頑丈な口を噛み締めている。脳には、白皙の陶器のように非現実的なほど整った額から、血管がいくつも浮かび上がっている。

 目は血走っており、明らかに碓井の軽薄な言に怒り心頭といった風情である。

 透湖は、碓井が突然子供のような煽りを行ったことで、何かの精神攻撃で設けたのだろうかと、真剣に心配した。そして、その揶揄に当のガユーマルスが本気で憤慨している事にも、とまどっていた。

(なんで、この程度の揶揄で怒っているのかしら)

 透湖の脳裏には、その感想しか浮かばせられないほどに、ただの子供の喧嘩のようでしかなかった。

 透湖が一種の醒めた感情を抱いている間にも、碓井のわめき声は止まらない。

 

「あれ、なんでおこってるの?ぶただけがおともだちのがゆーまるすくんらしくないよ?あんなそだちのわるそうなおともだちしかいないなんて、かわいそう。きっときみもそだちがわるいんだね。そうだ。いいことをおもいついた。

 ――ぼくがおともだちになってあげようか?」

 

 碓井の自分の懐まで誘うように右手を上にして、扇で風を送り込んでいるように、2・3度繰り返して、はたいた。

 そのちゃちな仕草と自分を余りにも低劣に舐めている言葉に、限界を振り切って怒りが蓄積されていく。

 

「なんでかおがあかいの?さむいの?」

 

 本当に心配しているような言葉で、敵手の体調を気遣うふりをしながらも顔はにやにやと本性の畜生ぶりを晒し続けている。

 

「――き、……」

「え、なに?きこえない。きっとおいしいものたべてないからこえがでないんだね。じゃあたべておいでよ。

 ――あ、でもきみのくにのたべものはきみがしんだあとにうまれたんだっけ。めんご★ゆるして★それじゃたべられないよね。でもきみのしがいをたべるきになれないんだ♪」

「――きさ、……」

「だーかーらーきーこーえーなーいってー。なんなの、ぼくのいってることがわからないの?

 ――あ♡ぶたごではなせばいいのか♪ほら、ぶひーぶーぶーぶおぶー」

「――きさま、……」

「おこ?おこなの?おこなのかー?もっとおなかからこえをださないと!ままんのおなかにきんたまとぼうもおいてきちゃったの?ずいぶんといなかものなんだね!そんなのはじめてしったよ!とかいではそんなひといないよ!べーこんたべる?たべたことないでしょ、こんなにおいしいもの。あ、でもきみのともだちなんだっけ。ごめーんね。おいしくいただいちゃいましたぁ!!!」

 

 碓井は今まで行ったことがないほどに、存分に心の中に浮かんでくる煽り文句を高らかにブロードウェイの如く、歌い上げていた。

 

(ああ、楽しい)

 

 名誉と誇りを守る戦い。

 生贄にされてでも、勝利を願うその心意気にこそ、俺は奮い立つ。

 俺の傍にいるのに、命を希うだけの惰弱な存在はいない。

 責任を一生かけて取ると宣言した女だ。

 社会でも、自己破産した後は、一生かけて金を払わなければならないのに、ただ目の前のブタを屠殺することのなんとたやすいことか。

 全ての責任を押し付けることの出来る存在を神様と呼んでやる。

 

 ―――ああ、最高だ。

 

 ガユーマルス君。君はすべての責任を負って死ね。君が悪くて、いい気味だ。

 

 ア―――ッひゃひゃっひゃはhyはhyッは!!!

 

(さあ、あいてのかんにんぶくろがはれつするまでもうすこしだ)

「どうしたの。ぶたたろうくん?とんそくめたぼだとうごくのもつらいのかなぁ。そういえばこのあいだぶたのまるやきたべたけどおいしいよね!おなかはきたないはずなのに、あんなにおいしくなるなんて、きっとけっとうってやつがいいんだろうね!でも、あのぶたさんがとさつされたときのこえとかおをそうぞうするだけでごちそうさまっていいたくなるよ!ところでぶたみたいにみえるきみのかおは、がいけんのみにくさがこころにもおせんされたのかなぁ。こころががいけんにいったのかな。しょうじきいってすくいようがないよね!あ!ぶたにしつれいだったね。ごめんなさいごめんなさい」

「――……」

「そういえばとうこちゃんはけっとうしょつきのおかねもちなんだよ。だからがゆーまるすくんもきっとけっとうしょつきのぶたなんだね!でも、まずそう!あ。たねぶたのほうがわるかったのか。そうだよねー。あんなやくにたたないおとこのたねなんてきたなくてしかたないよね。ならきみもきたないんだね!そういえばごめんね。きみのままんがけっとうしょつきのめすぶただなんてきづかなかったよ!どうしてぼくのまえにい――」

 

 

 

「――きっさっまああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁああぁあっぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁっぁぁっぁぁあああああああああああああああああああああぁぁっぁぁぁぁっぁっぁああああぁぁぁあぁぁぁぁぁっぁぁあぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁあああああああああああぁあああぁああああああああああああああああああああああああああぁぁアァぁぁあああぁっぁぁぁあああぁぁぁぁっぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁあああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 …。

 ……。

 ………。

 …………。

 

 

 

 音が消えた。

 ガユーマルスの全存在を掛けた決死の叫び。怒りと侮辱と母を愛する神聖な心持を、たかだか羅刹程度に徹底的に嬲られたのだ。

 そして、それが何よりも怒りをもたらした理由は、決して完全には的外れではなかったからだ。

 自分の来歴は、たしかに死んだ後に人類を創造したというものや、原初の野人というように文明を享受する前に死んだことや、文明の王として君臨した経歴も、大部分はミトラやイマといった、文化英雄がもつものである。自分の友は生まれた時に牛か豚しかいなかったし、人間から生まれてこの肉を持っている事も確かだ。

 何より。

 根幹となる巨人と小人の創造神話では、アーリマンとの対決に敗れた後に、ミトラによって自分の死骸で地上を生み出した。全て、自分以外の存在なくしては神話が生まれることがないものなのだ。

 だが。

 だが。

 だが。

 自分が歩んできた道は、決して友の力だけで乗り越えて来たものではない。そして、美しきシームルグを、ただの血統書つきの豚などと落としめられることなど、決して許されるものではない。

 そう。おとしめられてはならない。

 自分だけでなく、友の存在を無価値だと看破する存在は、断固として許されてならない。

 この世に正義をもたらすために。

 

 だが、その決意もあの男は関係なく凌辱していく。

 

「許してください……と言うわけないし~。いや、他の神様なら、まだしも、O☆MA☆Eじゃ、舞台の上に立てる華がないな、この豚饅頭が!

 道端のゴミにケンカ売られましたって他の英雄共に助けて貰って、なにいきがってんの?

 ――そもそもさあ、おまえだれだっけ?」

 

 あくまでも魔王らしくあるがままの姿からして、鬼畜であり続けるようだ。

 

「もはや、慈悲などはありえん。母と友を侮辱した罪、永劫後悔するがいい」

 

「何、気にすんなよ。ジョニ―。だらしのないおもらしパパの代わりに、ママにはてめえがファックしてやればいいじゃねぇかよ。――ああ、そうだ。ママには心中お察ししますって云っといてくれよ。お前の親父の金玉から寄りにも寄ってお前みたいなのが頑張って、卵子を種付けしちまって、こんな不細工な息子で産まれてきてごめんなさいってなぁ!!!!」

 

 ―――。

 

「許さん」

「ああ、俺もだよ」

「ならば――」

「そう、ならば――」

 

「ここでいま、この男を――」

 

 抹殺する。

 

 生涯の仇敵であることをお互いに納得した後、示し合わせたように彼らはお互いを否定するべく飛び込んでいった。

 透湖は今までの揶揄を聞いても、やはり冷たい視線で二人の男を見やるばかりだった。

 

(馬鹿なんだろうか)

 

 




以下、ブラクラ






「うすいきゅんはこえたいぬ。つちをなめるのがすき。
あいされてるのに、なにもできない。
のろまで、いつもしょんぼりさせちゃう。おまえはじぶんでち○○をしごいてもなにもでないこしぬけ。
くーるなのはみためだけで、なかみはおとったせいえきしかつまってない。うすい、うすい、うすい、おまえはうすい。――うふふふ、ひぃっひっひっひ――きひははははははははは!」

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