艦娘の夏   作:瑞穂国

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エアコミケ開催中ですね。
ということで、過去作である本作も、新たに公開します。


4、神通

 日も暮れると、真夏日和も少し柔らかくなってきました。月明かりが食堂の舷窓から淡く差し、どこか幻想的な雰囲気を醸し出します。

 それを、海の中みたい、と思ったのは、私が船から生み出された存在だから、でしょうか。

 そんな、ありもしない感傷に浸っていた私を、騒がしい声が現実に引き戻しました。

 

「神通さん!さあさあ、もっと飲みましょう!」

 

 そう言って、赤い顔の男性が私を手招きします。随分とお酒が回っている様子の彼は、私、神通という艦娘が動かす軍艦の、機関員をしている方です。艦内でも大酒飲みで知られる彼は、いつにも増して飲んでいます。その片手には、大事そうに一升瓶が握られていました。

 彼だけではありません。あちこちでお酒を酌み交わす水兵たち。賑やかな会話。中には歌を歌いだす者まで。食堂全体が、異様なまでの熱気と喧騒に包まれています。

 意識を持ってから初めて経験する、これがどんちゃん騒ぎ。それも無理からぬことと思います。

 何しろ今日は、私たち艦娘の初陣の勝利を祝う会が開かれているのですから。

〔神通〕の乗組員だけでなく、作戦に参加した十二隻、それに参加してない艦まで。各々の艦では、いつになく豪勢な食事が振る舞われ、お酒も出されて無礼講となっています。

 私も、勧められるままに料理を取り、お酒も少々いただきましたが・・・さすがに、若い盛りの男性には敵いません。お腹も膨れて、顔もどこか熱いです。

 

「ありがとうございます。でも、もうお腹が一杯なので、遠慮しておきますね」

「あー、そうですか。わかりました。では自分がいただきます!」

 

 特に気を悪くした様子もなく、彼はニカッと笑って、一升瓶をラッパ飲みしようとしました。中身は日本酒です。さすがにそれは・・・大丈夫でしょうか。

 

 私がそんな心配をしていると、彼の後頭部を鋭く叩く手がありました。スパン。気持ちがいいほどの快音が響きます。彼を叩いたのは、艦長でした。

 

「調子に乗るなあ、へっぽこ。お前、途中で吐いた前科持ちだろうが」

 

 艦長に頭を叩かれた機関員は、「やべっ」とばつの悪い顔をします。それを見た周りが、笑いに包まれました。

 

「お前にこんないい酒はやれん。俺がもらう」

「そ、それはひどいですよ、艦長」

 

 本当に泣きそうな顔で、機関員が苦言を呈します。今まさに艦長が没収しようとしている銘柄は、主計長も入手に一苦労したほどのものだとか。相当いいお酒のようです。

 

「意見具申は認めん。艦長命令だ」

「そんなー」

 

 あまりにも理不尽な、そして本気とおふざけが半々で混じったやり取りに、食堂は再び笑いに包まれました。

 

 

 

 一旦会場を抜け出した私は、足元を確かめながら階段を上り、鉄の扉を開けました。その先に広がっているのは、月明かりの支配する夜の甲板。白く淡い光が、艤装の鈍色を照らしています。音と呼べるものは、発電機の稼働音、それに伴う煙突からの排気、足元のどんちゃん騒ぎ、それから時折吹く潮風。それが、今の私の世界の、全てでした。

 

「気持ちいい」

 

 涼しい潮風が、お酒で火照った私の体を爽やかに洗い流してくれます。涼気を胸一杯に取り込もうと、深呼吸を一つ。腕を伸ばした拍子に足が少しふらつきました。私が思っていたより、お酒が回っていたみたいです。

 

 一息を吐きながら、私は甲板の上に腰を下ろしました。夜気を吸い込んでヒンヤリと冷たくなったリノリウムが、熱の籠った体から温度を奪っていきます。ふわふわとどこか夢見心地だった意識が、段々と覚醒してきました。

 

 月明りを見上げます。雲一つない空から降り注ぐ白い光。体の内側が何かで満たされていくような感覚。艦娘としての感覚。

 この体故の感覚。まだ少し、慣れてはいません。艦としての自分を自覚しているからか、時折感覚のずれをおぼえます。

 でも、それを嫌なものとは、感じません。

 

 ふと、背後で扉が開く音がしました。金属を擦るような甲高く、重々しい音の後、リノリウムを叩くコツコツという足音が響きます。とてもしっかりとした足取りに聞こえました。

 

「気分転換かい?」

 

 隣にゆっくりと腰を下ろしてきたのは、艦長でした。片手には先ほど機関員から没収していた、いい銘柄のお酒。

 

「はい。少し飲み過ぎてしまって・・・夜風に当たろうかと」

「そうかい」

 

 笑って頷いた艦長は、どこからか取り出したコップに、並々と日本酒を注ぎます。私の隣に座ったまま、月の姿を仰ぎ見るように、クイッとコップを傾けました。それから満足げに、熱の籠った息を吐きます。

 

「月見酒というのも、また格別でね」

 

 艦長はそう呟いていました。

 

「月見、酒・・・?」

 

 聞きなれない単語を反芻します。月を見ながら、お酒を飲む、ということでしょうか?

 

「ああ、うん。美しい月を、おいしいお酒に映す。それを眺める。そういう、風流というやつでね」

 

 艦長が、私の方にお酒のコップを差し出してくれます。覗き込むと、その液面には確かに、丸く大きな月が映っていました。

 

「どうだい?まるで月を捕まえたみたいだろう?」

 

 ニヤリ、艦長が笑います。つられて私も、頬を綻ばせていました。

 

「面白いことをお考えになるのですね」

「はは、娘の受け売りだがね。そう思ってもらえたのなら、よかったよ」

 

 再びコップを煽り、艦長はお酒を飲み干します。そう言えばこの方も、お酒には滅法強い方でした。

 

「・・・あの、艦長。私ももう少し、お酒をもらっても、よろしいでしょうか?」

 

 思わず頼んでしまったのは、艦長があまりにも楽しそうに、お酒を飲んでいたから、でしょう。二杯目を注ぎ始めていた艦長は、ニコリと笑って、やはりどこからか二個目のコップを取り出しました。

 

「半分くらいでいいかい?」

 

 確認に私が頷くと、澄み渡った液体をゆっくり注いでくれます。コップのちょうど真ん中あたりまで入った日本酒。その液面を覗くと、先ほどと同じように、黄色くて真ん丸の月が映っていました。液面の揺れにあわせて、その光がキラキラと七変化を遂げます。

 お酒にゆっくりと口をつけます。冷却されていた体に、唇から再び熱が伝わっていきます。あまり嫌な熱さではありませんでした。むしろ冷たい月明りと合わさって、心地よささえあります。

 

「おいしいです」

 

 先ほどと同じお酒のはずなのに、また違ったもののように感じます。そのわずかな相違が、不可思議でした。

 

 しばらく、月とお酒を静かに楽しみます。それが一番、おいしい飲み方のような気がしました。

 

 やがて、コップのお酒がなくなった頃、ふと思い出したように、私の口から言葉が漏れます。

 

「この先、どうなるのでしょうか」

 

 言ってしまってから、ハッとします。それは漠然とした不安。お酒のせいで漏れ出た、私の内のわだかまり。でもきっと、それは艦長も―――今回の戦いに参加した誰もが思っていることのはず。けれど、誰も口にしなかったことのはずです。

 確かに私たちは、今回勝利を収めました。でもこれからは?

 勝利が、私たちに考える余裕をくれました。けれどそれは、全く見えないこの先を、見つめてしまうことでもあります。

 

 余計なことを、言ってしまったかもしれません。口にしてしまっては今更です。

 

「・・・なるようにしかならないだろうね」

 

 艦長から返ってきた言葉は、珍しくはっきりしないものでした。その意味を掴めず、私は彼の顔を窺います。その目が笑っています。

 

「今のは無責任な言い方だったね」

「いえ・・・」

「誰も彼も、見通しなんてない。深海棲艦が現れたことで、生きていくことは存外に難しいことだったと、思い出したからね。今生きているだけで精一杯だよ」

 

 だから。艦長はそう言って、空のコップを、そして頭上の月を見ました。

 

「未来を考えるのは、もっと余裕ができてからだっていい。それまではゆっくり、月でも眺めているのが一番だよ。よくわからない未来の自分ではなくて、今日の自分に『よく頑張った』って言えれば、それで十分だからね」

 

 ・・・なんと言うのでしょう。前向きに、後ろ向きなことを言っている、といいますか。

 私の中に初めて現れた、「未来」という概念。それを肯定も否定もすることなく、ただそこにあるものとして艦長は見ています。それがとても不思議に思えました。

 

「・・・酒が過ぎたかもしれないね。君を見ていると、娘を思い出して仕方がない」

「・・・艦長の、娘さんは?」

「海軍の軍人になったよ。今度は、軽巡の航海長に配属らしい」

 

 そう言って、艦長は一枚の写真を取り出します。映っているのは、三人の人物。左に立つ艦長。右の、初老の女性は、奥様でしょうか。そして真ん中には、真新しい軍服姿の、女性が一人。

 

「昔から、『お父さんみたいに海軍に行く!』が口癖でね」

 

 写真を愛おしそうに眺める艦長は、しかしポツリ、「戦時じゃなければ、もっと素直に喜べたのかな」と、呟いていました。

 

「長々と、話に付き合わせてしまったね」

 

 写真を仕舞う艦長に、私は首を横に振って答えます。彼は薄く笑って、よっこいせと立ち上がりました。私はただじっと、その顔を見上げます。

 

「先に戻るよ。風邪、引かないようにね」

 

 軽く手を振って艦内へ戻る艦長を、私は座ったまま見送ります。その背中がハッチの向こうへ消えたところで、私はまた、月を見上げました。

 

 お酒に映って揺らめいていた月は、今も儚い存在感で夜に浮かんでいます。ポツリと、まるで取り残された一隻の船のように。

 しばらくその姿を見つめた私は、夜が冷え切る前に立ち上がって、艦内へと戻りました。いまだ、未来へのほのかな想いを抱いたまま。




夏の夜に、月を映して飲むお酒は格別です。
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