夏です。梅雨は明けていませんが。夏です。
今回は吹雪編。
戦争が終わって、初めての夏がやって来ました。
ほんの一か月前まで、深海棲艦と戦争をしていたんです。それが突然終わった今、安堵というよりも、拍子抜けしたという心地が、わたしたちの感覚に近いと思います。
どこかふわふわと掴みどころのない喜び。そんな中で迎えた夏は、艦娘も人も、なんだかソワソワと過ごす季節になりました。
蝉の声も下火となってきた、ある日の午後。鹿屋(正確には、鹿屋の近く、ですけど)基地配属のわたし、吹雪のもとに、お客様がやって来ていました。
とっても珍しいことです。というより、わたしが鹿屋の配属になってからは初めてのことです、基地外からお客さんが来るなんて。それも、海軍の中でも、結構なお偉いさんです。
そしてそして何より、今日のお客様は、わたしの艦長の、お母様でもあります。
朝起きた時から、艦長もいつもよりソワソワしています。顔を洗う時。髪を整えるとき。食事の時から、執務中まで、午前中ずっと落ち着かない様子です。時折―――いえ、かなりの頻度で、時計を気にかけながら、午前中を過ごしていました。
そんな艦長の仕種が伝染してしまって、わたしも朝からソワソワします。
お母様については、艦長からいくらかお話を聞いています。戦争の初期から、艦長や提督をされている方で、今はサイパン基地の司令官を務めているのだとか。
―――「戦争が終わって、上も色々会議とかしてるみたいだし。それに出席する前の、寄り道ってところじゃないかな」
というのは、艦長の推測です。確かに、基地司令を務める方が、そう簡単に任地を離れたりはできませんしね。
ともあれ。久方ぶりの来客にてんやわんやの鹿屋基地(とはいっても、配属はわたしと艦長だけですけど)に、入港を告げる汽笛が鳴り響きました。
鹿屋基地の埠頭に入って来たのは、〔吹雪〕によく似た駆逐艦でした。艦橋の窓から、岸壁の様子を窺う、少女の顔が見えます。わたしも彼女とは何度か顔を合わせているので、もちろん知っていました。
「久しぶりだね、曙ちゃん!」
タラップから埠頭に降り立った少女に手を振ります。サイドテールに大きなミヤコワスレの飾りをつけた曙ちゃんが、いつものつれない感じで返事をしました。
「久しぶり、吹雪。一年ぶりくらいね」
「そうだねー」
わたしと曙ちゃんは、一時期同じ基地に所属していました。その時からの縁です。
もう一人、曙ちゃんの艦長さんも降りてきます。彼は、私の艦長と何やら言葉を交わしていました。当然ですけど、お二人ももちろん知合いです。
そうして、一番最後に降りてきたのが。
「久しぶりね」
柔らかな微笑みを湛えて、一人の女性が〔曙〕の甲板に佇んでいます。相応に刻まれた皺と、白髪の混じる頭が、彼女の人生を物語っているようです。それでいて、その笑顔は軍人に見えないほど、とても温和なものでした。
「久しぶり、母さん」
艦長が女性をそう呼びます。彼女がサイパンの基地司令、艦長のお母様、みたいですね。
お母様(この呼び方でいいんでしょうか)が、ゆっくりと〔曙〕から降りてきます。ただ、お母様が歩いているわけではありません。彼女は車椅子に座り、膝に毛布を掛けていました。代わりに、車椅子を押す女性が一人。
「お初にお目にかかります。瑞穂と申します」
お母様を埠頭に降ろした女性は、そう名乗ります。サイパン所属の水上機母艦、その艦娘でした。
「短い間だけど、お邪魔するね」
「うん。しっかり羽を伸ばしてね」
微笑みながら会話をする、艦長とお母様。やっぱりこうして見ると、話し方とか、笑い方とか、似ていますね。
お母様と瑞穂さん、曙ちゃんと艦長さんを、鹿屋基地の宿舎へ案内します。今日は久しぶりに、賑やかな夜になりそうです。夕食担当のわたしも、腕が鳴るというものでした。
◇
「花火大会に行きましょう!」
〔曙〕入港の二日後。朝食の席でそんなことを言い出したのは、瑞穂さんでした。きらきらとした瞳で、食堂に集まったわたしたちを見ています。
花火大会の開催は今夜。鹿屋からほど近い浜辺がメイン会場となり、鹿児島湾の船上から花火を打ち上げます。戦争のせいで長らく自粛ムードだったそうですが、終戦と相成った今年は、久しぶりに開催が決定したのだとか。
「面白そうだね」
ニコニコして、艦長が一番に賛意を示します。
「私も花火見てみたかったんだよね。今まで見たことないから」
生まれた時には、もう戦争が始まってたしね。艦長が言います。まだ三十歳を迎えていない艦長は、言われてみれば確かに、戦争が始まってから産まれた世代でした。
「見てきたらいいよ。きっと楽しいから」
お母様もそう言って笑います。曙ちゃんと艦長さんは何も言いませんが、満更でもない様子でした。
こうして今夜は、みんなで花火大会と相成ったのです。
今日の執務を終え、うきうきで花火大会の支度をしていたわたしに艦長が声をかけたのは、気温が日中の最高点を過ぎたあたりでした。
手招きに従って艦長の部屋へ入ったわたしは、以来十数分、艦長にされるがままとなっています。
と、いうのも。
「ん・・・よいしょっと」
わたしの服装を姿見で確認しながら、艦長が帯の位置を調整しています。
今、わたしが艦長に着付けてもらっているのは、浴衣です。艦長が私物として持っていたものを、タンスから引っ張り出してきたのだとか。
―――「中学生のころ、母さんがくれたものなんだ。丁度、吹雪くらいの体格なら、着られると思って」
そう言って、艦長は笑っていました。
艦長が出してくれた浴衣は、淡いピンク(桃色でしょうか)を基本色として、彩り豊かな花があしらわれたものです。帯は全体を締めるような黄色。これ以外にも、下駄や髪飾りなどが一式揃っています。
えへへ、こういう、おめかしをするのは初めてなので、新鮮な気持ちです。今からもう、ウキウキが止まりません。
「よし、完成。ちょっと自分でも見てみて」
わたしから離れた艦長が、姿見の角度を見やすいように調整してくれます。鏡に映る自分自身と、わたしは対面しました。
普段のセーラー服とは、まったく違ういで立ちの、わたし。鏡に映ったその姿がなんだかむず痒くて、頬が熱くなります。
艦長の顔を窺います。姿見を持って立つ彼女は、いつも以上に、ニコニコとご機嫌です。
「横とか、後ろはどう?」
「あ、はい。えっとですね」
艦長に言われた通り、わたしは身を翻して、右と左、そして後ろまで鏡に映します。わたしはこういうの初めてで、よくわからないのですが、とてもいいのではないかと思います。
「どう、ですか?」
「うん、完璧。とってもよく似合ってるよ」
艦長がパチパチと拍手をくれます。
そんな艦長も、橙を基調として、暖色系の落ち着いた浴衣を着ています。こちらもお母様からの贈り物だそうです。高い位置でまとめた髪も相まって、どこかのお嬢様のような雰囲気がありました。
「執務も早く終わったことだし、一足早く出かけようか」
「いいんですか?」
「いいのいいの。戦争は終わったんだし、どれだけはしゃいだって、誰も咎めないよ」
そう言って笑う艦長が眩しいです。
でも・・・そう、なんですよね。戦争は終わって、もう、艦娘の出番はありません。
わたしは戦争の時代しか知りませんけど。きっとこれから、色んなものが元通りになっていくんだと思います。それがわたしには―――いえ、わたしたちには、とても新鮮なんです。
艦長の部屋を出ると、曙ちゃんとばったり会いました。制服を脱ぎ、タンクトップにジーパンというラフな格好をした曙ちゃんが、ぱちくりと瞬きします。
「吹雪、その浴衣どうしたの?」
「艦長が着せてくれたんだぁ」
えへへ、こういうのって、やっぱり見せびらかしたくなりますよね。わたしは曙ちゃんの前で、くるりと回って見せます。
「へぇ、よく似合ってるじゃない。かわいいわよ」
珍しく素直な誉め言葉に、自然と微笑んでいました。
日も沈んで、午後七時半。いよいよ始まろうとしている花火を前に、会場は多くの人で賑わっていました。
人の間を縫うようにして、わたしたちは会場近くの二階建ての建物を目指します。そこの屋上に、車いす専用スペースが設けられているからです。
「ありがとうね、瑞穂」
「いえ、お礼には及びませんよ、提督」
瑞穂さんは終始ニコニコとして、お母様を押しています。お母様と一緒にいられることが、心の底から嬉しそうでした。
一方、曙ちゃんは、さっきからずっと黙ったままです。というのも―――
―――「曙、手を繋ごう」
―――「はぁっ!?」
―――「これだけの人混みだ。はぐれたら大変だろう」
―――「こ、子供扱いするなっ!」
そんなやり取りがあって、曙ちゃんは今、艦長さんとしっかり手を繋いで歩いているのです。顔を真っ赤にして、可愛いですねえ、もう。照れているのがバレバレです。
・・・まあ、そんなわたしも、艦長と手を繋いでますけど。
細くしなやかな艦長の手は、とても軍人のものとは思えません。長い指と柔らかな手のひらが、わたしの手を包み込んでいます。「お母さん」というものをわたしは知りませんが、もしいたのならきっと、こんな風に手を繋いでくれるんだと思います。
買ってもらったリンゴ飴を片手に、雑踏の中を歩きます。老若男女、家族、恋人、老夫婦、たくさんの人が笑顔で行き交います。
周りから見れば、わたしたちもそんな、ありきたりな家族に見えるのでしょうか。夜の景色に溶け込んでしまうような、どこにでもいる家族でしょうか。
「?どうしたの、吹雪?」
「・・・いえ、なんでもないんです」
そう、きっとそれは、本当に何でもないことなんです。取るに足らない、改めて口にするまでもないことです。
目指していた建物に辿り着き、二階の開放スペースへと上ります。車椅子でも入りやすいようにと、かなり余裕を持って取られたスペースには、同じように集まった人たちがいます。まもなく始まる花火を待ちわびて、皆さん歓談ムードです。
「特等席ね」
車椅子のお母様が、ニコニコとして艦長を見ます。笑顔で頷く艦長は、人生初めての花火に胸を躍らせている様子でした。
かくいうわたしも、なんだか妙な緊張が。花火とはどんなものでしょう。大きな音がすると聞いていますが、どれくらい大きいんでしょう。目を奪われるほどきれいと言いますが、どれくらいきれいなんでしょう。
艦長と見る花火は、わたしの瞳に、心に、どう映るのでしょう。
『これより、花火の打ち上げを、開始します』
スピーカーからアナウンスが流れました。柔らかな女性の声を合図にしたのか、会場のざわめきが示し合わせたように収まっていきます。誰もが空を見上げ、その瞬間を、固唾を飲んで見守っています。
わたしたちの見つめる先、鹿児島湾の方から、不思議な音が聞こえてきました。気の抜けた口笛のような、ひょろひょろと甲高い音です。海面から天へと、音が伸びていきます。
そうして、夜空に大輪の花が咲きました。
最初に開いたのは、赤と緑が鮮やかな花火です。夜空の中に、パッと光が走り、瞬く間に広がります。数えきれない光の粒たちが、優美に尾を引いて、漆黒の中に輝いています。
息を飲む間がありました。わたしだけではありません。会場に集い、同じように花火を眺める人たちが、祈るように、願うように、息を飲みます。呼吸なんてできない。瞬きすら忘れるほどの光に、一瞬で心を奪われました。
最初の一発を皮切りに、次々と花火が打ちあがります。一発目の余韻に引かれるようにして、花が、華が、咲き乱れます。夜の草原が、たちどころに鮮やかなお花畑へと変わっていきました。
手すりから乗り出すようにして、花火に見入ります。
赤、緑、黄、橙、紫。色が広がり、重なり、混ざり合って。まるで一つ、大きな大きな絵を描くように。それはまるで―――夢のような光景。夢のように美しく、きれいな光景です。
「・・・きれいだね」
隣で空を見上げる艦長が、しみじみと言いました。いまだ言葉が出てこない私は、黙ったまま、ぶんぶんと頷きます。
光の尾が、驟雨のように降り注ぎます。空を見上げる人だかりを、きらめく星のような輝きで飾ります。光は揺らめく海面にも反射していて、鹿児島湾全体を照らそうとしているようでした。
「きれい、ですね」
貼り付いた喉から、ようやくそれだけの言葉が出てきます。窺った艦長は、真っ直ぐにこちらを向いて、微笑んでいました。とても素敵なものを見つけたように、笑っていました。
その笑顔が、やっぱり眩しくて。それは彼女の顔に反射する、花火のせいではありません。艦長の笑顔は、いつだって輝いて、わたしの憧れです。
「・・・艦長」
「ん?なあに?」
言いたい言葉は、きっと果てしないほどあります。伝えたいことなんて、もしかしたら無限にあります。
わたしは今、幸せです。大好きな人たちと、こうして花火を見ているのですから。輝く光の共演を、穏やかな時間の協奏を、眺めているのですから。それはきっと、これからずっと、わたしが吹雪である限り、大切にしていくものですから。
だから結局、わたしの言いたいことは、この一言に集約されているのです。
「また来年も、来ましょうね!」
今できる全力で笑い、わたしは艦長に言います。丁度花開いた光が、艦長の白い顔を、流れる黒髪を、碧い瞳を照らしました。夢と現のはざま、艶やかな夜の中で、艦長もまた強く微笑みます。わたしの右手に、艦長の左手を重ね、ぎゅっと握って、笑います。
「うん、もちろん。来年も再来年も、何度だって来よう」
その笑みが、言葉が、心が、たまらなく嬉しくて。自然と頬が緩むわたしはきっと、今世界で一番だらしない表情をしています。
そしてきっと、世界で一番幸せな表情をしています。