艦娘の夏   作:瑞穂国

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お久しぶりです。

欧米艦娘編になります。今回は戦後のお話。


X、コロラド

「いらっしゃい。待ってたわ」

 

鈴の音を鳴らすように可憐な声色の主は、私―――コロラドを見つけてそう言った。

 

燦々と降り注ぐ、地中海はシチリア島の陽射しの下。丁寧に手入れがされた庭園の中央、ガゼボの影から彼女は微笑んで手を振っていた。半年ぶりのその笑顔に、思わず頬が綻んでしまう。そういう不思議な魅力のある女性だった。この集まりが続いているのも、彼女の存在が大きいと思う。

イギリス戦艦、ウォースパイト。錦糸のような金髪、長い睫毛、ゆったりとした服装、流れるような所作、百花のごとくまばゆい微笑み。育ちの良さが滲み出る、貴婦人だ。

そのウォースパイトが、ガゼボの庇の下から、優雅に手を招いている。彼女を含め、いつもの面子は大体集まっていたみたいだった。

 

「遅かったじゃない。待ちくたびれたわよ」

 

真っ先に声を上げたのは、私から見て正面に座る、ビスマルクだった。ウォースパイトと同じように、しなやかな金髪。けれど彼女は、全く飾り気のない、ストレートヘアだ。どこか頑固で軍人然とした佇まいは、初めて会った時から変わらない。お国柄ゆえだろうか。

 

「ボンジュール。先に始めてしまったわ」

 

それからもう一人、先客がいた。光の加減で白にも見える金髪に緩いウェーブをかけているのは、リシュリューだ。ウォースパイトと同じように、華のある人ではあるけれど、「雅」よりも「艶やか」の方が似合う笑顔を見せる。あと、背が高くてスタイル抜群だ。羨ましい。

 

お茶会仲間たちの挨拶、またウォースパイトがクツクツと控えめに笑った。

 

「さ、いらっしゃい、いらっしゃい。こちらに座って」

 

そう言って、ウォースパイトはすぐ隣の椅子を、手で示した。勧められるまま、私はウォースパイトの隣に腰掛ける。

今日は、半年に一回のペースで開催している、お茶会の日だ。大西洋周辺の戦艦娘を中心にして、メンバーを集めている。主だったところは、ここにいる四人とリットリオ、ローマ、アイオワ、ネルソンの計八人。先の戦争で、最後のユトランド沖海戦に参加したことを縁にして集まっているメンバーだ。

 

「コロラドは、ダージリンでよかったかしら」

「ええ。レモンティーがいいわ」

 

私の要望に、ウォースパイトはにこりと笑って、薄くスライスされたレモンが入っているタッパーを取り出す。お茶会の度、私が楽しみにしているのが、この紅茶だ。普段はコーヒーばかり飲んでいるから、たまには違う趣向も中々にいい。

 

茶葉を取ろうとして、ウォースパイトがその体をよじる。それに合わせて、ギシリと、彼女の車椅子が音を立てた。ユトランド沖海戦で下半身不随になって以来、彼女はずっと車椅子での生活だ。

ユトランド沖海戦前の、ウォースパイトの姿を思い出す。イギリス艦隊旗艦として、壇上から艦隊を鼓舞する、すらりとした立ち姿をぼんやりと思い浮かべる。あの時の彼女を、もう一度見ることは叶わない。

ただ、それで何かが変わったわけでもない。ウォースパイトは相変わらず穏やかで、高貴な美しさがある。輝く微笑には一点の曇りもない。だからまあ、私は何も変わっていないと思っている。

 

「で、何か土産話はないの、コロラド」

 

少々感傷に浸っていた私を現実に引き戻したのは、片目でこちらを窺うビスマルクだった。元ドイツ艦隊旗艦で、察しのいい彼女には、私の感傷がわかってしまったのだろうか。

 

「んー、害虫が大量発生して、トウモロコシ畑が半分食われたことくらいかな」

 

主食とバイオ燃料用だったから、割と死活問題だったりする。備蓄はあるから、今すぐ生死に関わるなんてことはないけれど、この先も害虫対策は考えておかなければ。

 

「・・・なかなか洒落になってないわね」

 

ビスマルクが苦い顔で言う。ここにいる面々は、大なり小なり、農業や漁業や畜産業に手を出している。害虫の恐ろしさは、身に染みて知っているはずだ。

 

「私のところも、気を付けないとね」

「あなたのジャガイモ畑は、むしろ半分くらい食われるべきだわ」

 

リシュリューが横から半目でビスマルクに言った。

 

「何?どういう意味よ」

「ジャガイモばかり食べているから、ドイツ人はいつまで経っても田舎者なのよ」

 

カチリ。何かの引き金が引かれる音を、私ははっきりと聞いた。ビスマルクの笑みが引きつっている。

 

「余計なお世話ね。アンタももっとジャガイモ食べなさい」

「いらないわ」

「大量に送り付けてやるから」

「マッシュポテトにして、イギリスに輸出する」

 

あまりにも低レベルすぎる元艦隊旗艦たちの言い争いに巻き込まれたウォースパイトは、きょとんとしてこちらを向いてきた。その表情は「えっ、私?」という彼女の本音を雄弁している。

あーっと。私は少し考える。

 

「ポテトサラダにしたら、おいしいかも」

 

ひねり出したのはそのくらいだ。凝った料理なんてできないから、ポテトサラダぐらいしか思いつかなかった。

 

「ええ、そうね。それがいいかもしれないわ」

 

柏手を打って賛同してくれたウォースパイトが、私の前にレモンティーを差し出してくれた。淹れたてのレモンティーからは、得も言われぬいい香りが漂う。カップに浮いたレモンに紅茶の色が透き通って、琥珀のように輝いていた。

 

そっとカップを持ち上げて、まずは香りを楽しむ。芳醇な紅茶の薫りに、爽快なレモンの香りが混ざっている。暖かな湯気に包まれて、それらが鼻孔をくすぐった。

カップにそっと口をつける。ウォースパイトに限って、紅茶が熱いことなんてない。おいしい紅茶の適温は、いつも程よい暖かさだ。何のためらいもなく、私はカップの中身を含む。最初にやってきたのは、レモンの仄かな酸味だ。それから徐々に、紅茶のほろ苦さが伝わってくる。けれど、どちらもそれほど強くはない。お互いに調和して、程よいバランスを保っている。さすがはウォースパイトだ。

 

「おいしい」

 

カップから口を離して呟いた私の言葉に、ウォースパイトは満足げに笑って会釈をした。

 

「ビスマルク、リシュリュー。貴女たちも、おかわりはいかが?」

「「いる」」

 

ウォースパイトの問いかけに、全く同時に答える二人。言い争いは多いが、何だかんだと仲が良いことに、いい加減皆気づいていた。

 

 

 

「ボンジョルノ、コロラド。着いてたのね」

 

談笑(と、時たま言い争い)していた私たちに、背後から声がかかった。

薄い茶色の、カールがかかった髪を一つにまとめ、肩から流している。背丈もスタイルも、ビスマルクやリシュリューに負けず劣らない。南国の花が似合う、ほわほわとした雰囲気の人だ。

イタリア戦艦、リットリオ。ここシチリア島の主である。

 

「久しぶり。ついさっき着いたところよ」

「そう。楽しんでいってね」

 

ニコリとしたリットリオが、お茶を飲んでいた四人を見回して、二回手を叩いた。

 

「さあ、もうすぐご飯ができますよ。準備してね」

 

レストランのマンマみたいなセリフを残して、リットリオはまたどこかへ行ってしまう。できた昼食(時間的には夕食との間くらいだが)を取りに行ったみたいだ。リットリオはすこぶる料理が上手い。

 

それまで遊んでいたカードを、いそいそと片付ける。お茶とおしゃべりばかり進んで、お腹は減る一方だった。いつもならウォースパイトが用意してくれるスコーンも、今日に限っては並んでいなかった。リットリオが昼食を準備していたから、あえて出さなかったのだろう。

 

やがて、真っ新になったテーブルに、リットリオが料理を運んでくる。彩鮮やかなサラダ、スモークされたサーモン。ソーセージはビスマルクが持って来たんだろうか。

 

「すごくおいしそうね、リットリオ」

 

隣のウォースパイトが、瞳をキラキラとさせて褒めちぎった。リットリオは満更でもない様子で、華麗なウィンクを決める。あざとい。

 

「それから、ピッツァも」

「ピッツァ!?」

 

思わず素っ頓狂な声が出てしまったのも許してほしい。そんな贅沢なもの、食べるのは久しぶりだ。しかも作ったのは、本場イタリアの生まれであるリットリオ。おいしくない訳がない。

テーブルに出されたのは、間違いなく石窯で焼かれた、ピッツァだった。それもかなり大きい。どちらかといえば、アメリカンスタイルのピザに近い大きさだ。見た目からすると、オーソドックスなマルゲリータだろうか。溶けかけのチーズが食欲をそそる。

 

「すごいわね・・・」

 

あのビスマルクが、唖然としてしまっている。よもやピッツァが出てくるとは、誰も思っていなかった。

 

「もう一枚ありますよー」

 

そう言って、リットリオはさらにピッツァをテーブルに出す。今度のピッツァは、マルゲリータと違って、白い。見たことのないピッツァだ。

 

「これは?」

「ビスマルクがジャガイモを持って来てくれたから、それを使ってみたの。ジャガイモとボッタルガのピッツァよ」

 

なるほど、そんな変わり種もあるのかと、感心してしまう。よく見れば、程よいサイズに切られ、あるいは潰されたジャガイモが、チーズの下に敷き詰められている。

 

「・・・ちょっと待って。あなたまさか、この島にジャガイモを持ち込んだの?」

 

恐ろしいものを見たかのように、リシュリューが声をわななかせる。答えるのは当然ビスマルクだ。

 

「ええ、当たり前でしょう」

「シチリア島はジャガイモの輸入禁止よ!」

 

初めて聞く法律を、リシュリューは持ち出してきた。

 

「いいじゃない、ジャガイモ。あなたも好きでしょ」

「ノン!ノン!ノン!毎日毎日、ジャガイモばかり食べさせられた私の気持ちが、あなたにわかって?」

「何それ、最高じゃない」

「こ・・・これだからドイツはっ」

 

リシュリューには珍しく、目を三角にしていきり立つ。

 

「いいこと?今後一切、私にジャガイモを近づけないで頂戴。田舎臭いのがうつるわ」

「ぎゃーぎゃーうるさいわね。フランスもさっさとジャガイモの傀儡になればいいのに」

「いいえ、お断りよ。アメリカに亡命して、断固抵抗するわ」

 

えっ、私?そう思うのは、今度は私の番だった。俗にいうとばっちりという奴だろう、これは。

 

「はいはい。お二人の仲が良いのはわかりましたから」

 

呆れ気味な微苦笑を浮かべて、リットリオがさらに追加の料理を持ってくる。すでにものすごい量なのに、パスタまで出てきた。それも、大皿に乗って三種類。

 

「・・・完全に、ランチの域ではないわね」

 

私は見たままに率直な感想を漏らす。リットリオは照れたように笑って、答えた。

 

「作っているうちに、もうディナーでいいんじゃないかなあって。興が乗っちゃいました」

 

何ともリットリオらしい答えに、私は思わず笑ってしまった。今ここに、妹のローマがいたら、間違いなく溜め息を吐いただろう。

 

「冷めないうちに、召し上がってください」

 

リットリオに勧められるまま、フォークを取る。この日限りの豪華なご馳走に、私たちは舌鼓を打った。

 

 

 

 

 

 

翌日も、シチリア島は快晴だった。だから、私たちは予定通り、海水浴に来ている。

海の碧さは、空とはまた違ったものがある。透き通る海水と、反射する太陽光。それらが複雑に織り込まれて、一つの色を作っている。

 

「海なんて久しぶりね!」

 

海水浴ができるような場所に住んでいないからか、ビスマルクが感嘆の声を上げた。彼女の着ている水着は、いわゆる競泳用のもので、ゴーグルまで装備して泳ぐ気満々であった。

かくいう私も、海に入るのは随分久しぶりだ。足先に触れる波が冷たくて、くすぐったい。遠い水平線を見つめると、無性に気持ちが掻き立てられて、走り出したい衝動に駆られる。

 

「さ、泳ぐわよ!」

「いいですね。競争しましょうか」

 

ストレッチを終え、今しも飛び込もうとするビスマルクに、リットリオが賛同する。彼女はというと、面積の少ないビキニに、パレオを巻いていた。

そんな二人を、「正気?」という目でリシュリューが見つめていた。彼女もリットリオと同じように、ビキニにパレオだけど、サングラスと麦藁帽子もセットで着けている。こちらは完全に、海に入る気がない。

 

「楽しんでくださいね」

 

そして、ウォースパイトはといえば、パラソルの下で、こちらを見守るモードになっている。一応、彼女も水着には着替えているけれど、上からパーカーを羽織っていた。さすがに、車椅子では、海に入れない。

 

「ほら、行くわよ」

 

ウォースパイトを見ていた私の、水着の肩紐をビスマルクが引っ張る。あわや脱げそうになって、私は慌てて、彼女に着いて行った。私もリットリオやリシュリューと同じビキニだけど、布面積は多めだ。

 

シチリアの海に飛び込む。最初は冷たく感じた。けれど感覚が慣れるにつれて、心地よさが勝ってくる。海水からの浮力の分、体が軽くなって、不思議な感じだ。

 

「気持ちいいわね」

 

早速潜水していたビスマルクが、そう言いながら水をかけてくる。頭から海水をかぶって、私は早々にずぶ濡れになった。

 

「・・・やってくれたわね」

 

口角が吊り上がるのがわかる。私は一先ず、目の前のドイツ戦艦を黙らせることにした。純粋な火力で言えば、一六インチ砲装備の私が一番強いんだから。

 

水の掛け合いと水中の競争がしばらく続いた。久しぶりに泳いで体力を消耗した私は、何とかビスマルクの追撃を振り切って、浜辺に辿り着く。そして何気なく、陸に残った二人の方を見た。

パラソルの下に、二人分の人影がある。ウォースパイトとリシュリューは、ドリンクを片手に何かを話しているようだった。

波打ち際を離れ、私は二人の方へと歩いていく。びしょ濡れの髪を絞ると、ぽたぽた水滴が漏れた。前髪からも、雫が滴る。

 

「ウォースパイト」

 

私の呼びかけに、ウォースパイトは小首を傾げて応えた。

 

「どうしたの?」

 

・・・私は、ウォースパイトを、海に連れて行こうと考えていた。

すぐに言葉は出てこない。そもそも、どうしてそんなことを思ったのかすら、定かではない。自分で自分の気持ちが、行動がわからないのだから、言葉にしようがない。

それに、私では、ウォースパイトを海に連れていけない。アイオワくらい背丈があって、力もあれば、ウォースパイトを抱え上げて海に入れるだろう。でも、この中で一番小柄な私に、そんな芸当はできない。

でも・・・下半身不随になっても、何一つ以前と変わらなかったウォースパイトが、海にだけ入れないというのは、おかしいと思った。足が動かないくらいで、海を諦める必要はないと思った。

ただ、それだけだった。

 

「海に行こう、ウォースパイト」

 

やっとの思いで、私は自分の考えを口にする。ウォースパイトは驚いたように目を真ん丸に見開き、それから笑った。その笑顔は、初めて見る、寂しげなものに思えた。

 

「ありがとう。でもいいの。私はここで、」

「ノン」

 

ウォースパイトの言葉を遮ったのは、リシュリューだった。サングラスを押し上げ、デッキチェアから体を起こし、その双眸で私とウォースパイトを見ている。

 

「行きましょう。私も手伝うわ」

 

立ち上がった彼女は、腰に巻いたパレオを外し、サングラスと一緒に麦藁帽子の横に置いた。間髪を入れずに、車椅子のブレーキを解除する。

 

「えっ・・・あ・・・」

 

ウォースパイトはあたふたとするばかりだった。所在なさげに宙を彷徨う左手を、私はそっと握る。リシュリューのおかげで、覚悟はできた。

言い出したのは私だ。だから私が、エスコートしなくては。

 

波打ち際のぎりぎりで、リシュリューは車椅子を止めた。ビスマルクとリットリオも駆けつける。

正面に回った私は、ウォースパイトの両脇に手を入れて、抱え上げる。リシュリューが車椅子を引いてくれて、背中側からはビスマルクとリットリオも手伝ってくれた。

 

足先からゆっくりと、海へ入っていく。

 

「わっ・・・わぁ」

 

ウォースパイトは相変わらずされるがままだった。彼女の足に感覚はない。細い足先は動かない。だから私たちが支えて、慎重に慎重に、海の中へ入っていく。車椅子を片付けたリシュリューも、後から海に入ってきて、手を貸してくれた。

やがて、ウォースパイトの体が、完全に海中に入る。もうほとんど、私の腕にかかる力はない。彼女は波に揺られて、海に浮いていた。

 

きょろきょろと、ウォースパイトは私たちを見回した。パクパクと声にならない言葉をいくつか漏らし、それから彼女は、泣きながら―――あるいは笑いながら、言った。

 

「ありがとう。とても心地よいわ」

 

エメラルドグリーンの上にこぼれたその笑みが、この夏最高の思い出だったと、私は思うのだ。




月一ペースくらいで、他のお話も投稿していこうと思います。

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