「院長様、アスカンタより戻りました」
団長様はアランを同行させ、アスカンタ王との謁見、カッサンドラ卿との面会を済ませ、無事にお戻りになりました。そのご報告のため、アランと二人、院長室においでになりました。
「ご苦労じゃった」
院長室には他にマリオン、副団長ロジエールが控えております。
真面目なアランがちょっとドギマギしながら報告を始めました。
「……パヴァン王におかれましては、健康上の問題なくも、王妃様ご病気の回復見られず、国政も滞っているご様子。国民の生活に翳りはなく、覇気はございませんが、特に不自由ないように思われます」
アスカンタの草食系王、パヴァン王は、すっかり元気をなくしているようです。国中がお見舞いモードに入ってしまったのですね。
「王の代わりに誰か指揮している者でも?」
マリオンが口を挟みました。それには団長様がお答えになります。
「わからん。市民を見る限り、クーデターの芽があるように見えなかった。アラン、続きを」
「はい。司祭のカッサンドラ様ですが、城での面会の後、屋敷に招かれました」
「カッサンドラ卿の屋敷じゃと?」
これには院長も身を乗り出しました。副団長ロジエールも驚きを隠せない様子です。
カッサンドラとのやりとりは次のようなものでありました。
* * * * *
「……王妃様のご病気中ゆえ、城でもてなすことはできません。拙宅にてもあまり十分なおもてなしができないかも知れませんが、どうぞごゆっくり」
「一介の聖堂騎士団員にこのようなもてなしを恐れ入ります。しかし、これはいささか十分過ぎるのではございませぬか?」
……カッサンドラと面会の約束をしていた団長様。てっきりお城の一室で行われると思っておいででした。しかし、カッサンドラは城へは来ず、教会関係者でもない、カッサンドラ個人の屋敷の使用人が団長様を迎えに来ていました。騎馬で来城していた団長様とアランでしたが、カッサンドラの用意した馬車で屋敷を訪れることになりました。マイエラの馬はカッサンドラの使用人が一緒に連れて行きます。
そして到着したカッサンドラ邸。驚くことに、通された客間には豪華な宴の準備がされていたのです。カッサンドラの挨拶を受けた団長様は、慎重に言葉を選んで先ほどのようにお返事されました。
団長様は酒や食事の他に、女性が控えているのを訝しく思いました。給仕も若い女性ばかりで、皆、高級娼婦のように見えます。団長様はポーカーフェイスの後ろで、ぎゅうっと眉間にしわを寄せていらっしゃいました。促されるままに着席なさる団長様。ふと見ると緊張でこわばった顔つきのアランが自分の隣に座りました。
アランには、余計な発言を控えること、それと自分より遠慮して食事をするようにと言ってありましたので、飲み過ぎて羽目をはずしたり、要らぬことを喋る危険はありませんでした。団長様は、真面目な男を連れてきてよかったと思いました。
「……いやいや、マルチェロ殿も人が悪い。そのような意味はない」
カッサンドラは、物分かりの良い紳士を演じるかのように鷹揚な態度で食事を勧めます。
団長様は、貴様とて司祭であろう、娼婦を何人も呼んで「そのような意味はない」と? ではどのような意味があるのか! と怒鳴り付けたい衝動にかられましたが、ぐっとこらえました。
「左様でございますか。これは失礼申し上げました。司祭様ともなると、ご趣味も我々には理解できぬものなのでございましょう」
チクチクとイヤミったらしくおっしゃる団長様も、それはそれは紳士的な笑顔を浮かべてグラスに手を伸ばしました。
出た、嫌味! とアランはハラハラしましたが、団長様は涼しい顔で乾杯のぶどう酒を口にされました。アランは団長様より飲んではいけないので、団長様の飲み物の減り具合を横目で確認しています。
「いかがですかな?」
「……これは、シャトー5年ものに似ていますが、ブドウはもっと若い気がします。もしや初摘みでございましょうか?」
「ほう、さすがですな。しかし、違うのですよ。熟成された初摘み、とでも言うのがよいか。初摘みを一年寝かせたものなのです」
「初摘みを寝かせるのですか?」
聖堂騎士団員も幹部クラスになると、地元の有力者だけでなくこのように外部から酒席に招かれることも多いので、自然とお酒に詳しくなっていきます。アランもだいぶ詳しくなっていましたが、今日は団長様の隣で緊張し、お酒の味などさっぱりわかりませんでした。
団長様とカッサンドラはぶどう酒についてあれこれ話しています。どうやら今回のぶどう酒は、シセル王妃様がご病気になられてから、ブドウの初摘み酒を造り祝う習慣も自粛され、やむなく寝かせたら、こんなにも素晴らしい味になった、ということのようです。
しばらく二人はぶどう酒の話をし、その後どういうわけか洞窟探検の話になりました。アスカンタには不思議な洞窟がたくさんあるそうで、カッサンドラはいずれ制覇するつもりだと言いました。団長様も旧修道院跡地の話をなさいました。そこは地下に埋められ、昔、疫病で亡くなった人の霊がたくさん浮遊していると伝えられています。おまけに、入りたくとも入り口がふさがれているのです。団長様は、いずれはその霊を慰めに行きたいとおっしゃいました。そしてなんとなく経済情勢の話になり、デリケートな問題になりそうなところで一区切りつきました。
「……マルチェロ殿の、この二年のご活躍はアスカンタにも届いていますよ」
「お耳汚しを」
「そう謙遜されるな。貴殿の能力をマイエラだけにとどめておくのは惜しい。是非、アスカンタにも力をお貸し願いたい」
カッサンドラはテーブルに肘をつき、両手の指を組みました。団長様はミネラルウォーターを口になさり、そして両手をテーブルに乗せます。
「アスカンタ城からの要請にはいつでも助力を惜しみません」
城からの正式要請にはすぐに応える、という姿勢を崩さない団長様。
「王様は看護に暇がなくていらっしゃる」
「国全体でございましょう? たとえ司祭様と言えども」
団長様はカッサンドラを一司祭としてしか見ていないことを告げます。カッサンドラはカチンときたのでしょうか、少し眉根を寄せました。
「マルチェロ殿? 君は慎重なのか愚鈍なのかわからないね」
「ではきっと愚鈍なのでございましょう。司祭様、おっしゃることがわかりませんな。もしや私を買いかぶっておられるのでは? 私は神に仕える聖堂騎士団。正式の要請なくば動くことはできません」
「そうですな。わかりました……まあ、急ぎ返事を頂きたい、というものでもない」
簡単に自分になびくことがないと感じたカッサンドラは、新しい酒を要求し、一息に飲み干しました。
「……以前、魔物にホイミをかける子供がいてね。ぱったり現れなくなったのだが。マイエラ地方にも現れるらしいが、その後どうかね」
ついに話題がホイミンのことになりました。アランは、自分には何も聞かれていないのに、さっきからずっと冷や汗が流れ続けていました。隣の団長様をそっと見ると、団長様は動揺するどころか、口元に笑みさえ浮かべていらっしゃいます。
「ああ、あの小僧ですか」
団長様は、ふん、と鼻で笑い、グラスを空けます。
「おつぎして」
カッサンドラが合図を送ると、アランの後方に控えていた、薄物をまとった美女が音もなく近づいて来ます。美しい白い女の手にあるぶどう酒は奇妙に赤く、女が自分の血液を差し出しているように見え、アランは指先が冷たくなるのを感じました。
「いや、もう結構です」
団長様は、カッサンドラから視線を外さずぬまま丁寧に制しました。
「いますよ。修道院で預かっています。オディロ院長様のお導きにより、改心して、もう悪さはいたしません」
「ほう、そうでしたか。修道院預かりとは、身寄りがないということですかな?」
「はい。本人の希望により、後見人と養子縁組はいたしましたが」
「どちらの?」
「司祭様、あの子供に心当たりでも? アスカンタ出身なのですか? 両親はいるのですか?」
「あ、いや。そういうわけではないが。出自は私も知らない」
「探しておいででしたか?」
団長様の質問に、カッサンドラは、早まったか、のような表情を見せ、あわてて否定しました。少し口ごもったカッサンドラに対し、団長様はかなり険のある口調で自信たっぷりにお答えなさいました。
「いや、少し興味があってね。修道士になったのかね? 騎士団員かね?」
「今は騎士見習いです」
「ほう、して、力はどうかね?」
「力でございますか? そうですね、ひ弱でしたが日毎にたくましくなり、そこそこ強くなっておりますよ」
「ほう、ホイミは相変わらず使えるのかね?」
「多分」
「多分?」
「騎士見習いですから、使う場面には至りません」
そうですか、とカッサンドラは言い、自分も酒を止め、水を口にしました。
* * * * *
「……マルチェロ、お前さんの見解はどうじゃ?」
しばらく間があって、それぞれに思いを巡らせていましたが、院長が沈黙を破りました。
「はい、クーデターではありませんが、パヴァン王はそのままで、司祭様が密かに実権を握るつもりではないかと。軍をまとめるために我が騎士団と手を組みたがっております。そして、目的はわかりませんがホイミンを奪還しようとしています」
「奪還……」
マリオンが小さく言いました。院長はふう、と息をつきます。
「おそらく、カッサンドラ卿はホイミンをよくご存知なのじゃ。魔法使いの素質のある子供を集め、究極魔法を仕込んでいるという噂があるのじゃ」
「究極魔法ですって? そんな、ひどい! ろくな訓練もせずにいきなりそんなことをしたら、子供は死んでしまいます」
魔法に詳しいアランが言いました。院長もうなずきます。
「子供を戦力に加える気でしょうか」
「マリオン、お前さんの推測は珍しく正しい。まさか軍隊に入れはしないじゃろうが、その子たちを効果的に使うために兵を新しく編成したいのじゃろう。わがマイエラの騎士団がカッサンドラに協力すれば、アスカンタは確実にカッサンドラ卿のものになろう」
「カッサンドラが王になるのでしょうか?」
「そこまではわからん。パヴァン王はお飾りで置いておき、後ろで支配するかもしれん。だが、今ここでその話をあれこれ推測しても意味がない。我々はカッサンドラではないのだから。我々は、女神に使える神の剣。城の兵士とはならん。ホイミンにはしばらく外で目立つような魔法をかけさせるでないぞ。遠方の討伐隊にも加わらせてはならん。それから、マイエラに卿の手の者が必ず見に来る。それにも気づかぬふりをしておくのじゃ……」
御意に、と一同は御前を辞しました。
去り際、のう、マルチェロ、と、院長が不安げな声をかけました。団長様は一人、院長の元に戻ります。
「騎士団は大丈夫であろう……お前さんに任せて? 城の軍隊とはなかなか相容れぬものじゃ。交流をもつことは大事じゃが、深入りするでないぞ」
「院長様、何をそのようなご心配を。不肖マルチェロ、命に換えても院長様とこの修道院をお守り致します。神に仕えしこの身でございます」
院長は、そうか、ならば安心じゃ、と言って団長様にお休みのキスをしました。
マルチェロ団長は、オディロ院長が大好きで、つい甘えてしまいます。カッサンドラですが、この人はおとなしく引き下がりません。