トロルは木に引きずられてゆっくりと山道を下っています。動き出したばかりですが、加速がついたら止めることはできないでしょう。坂道にいては林に逃げ込まないと、騎士団員全員が木とトロルの下敷きになってしまいます。
「団長どのーー」
ククールの声です。
声のほうを見ると、山道をふさぐように数本の樹木が横倒しになっているのがわかりました。
「これならトロルをせき止められるだろ!」
ククールが得意げに親指を立てています。
「おお、よくやったぞ! ククール!」
マリオンが声をかけます。
そして数秒後、ズゴゴゴゴゴゴーーーーーーーーーーーーッッッッッッ!!!!! と轟音を響かせながら木とトロルが滑り落ちてきました。加速がつき、土ぼこりを盛大に上げています。団長様たちからもうそんなに離れていません。
「お前らは早く下山しろ! 落下地点の安全を守れ!」
「おう!」
マリオンの指示に、ククールが元気に答えます。
「俺とお前で、ここでこいつをやっつけていこうぜ」
トロルが停止するのを団長様と離れた場所で見守っているマリオンが言いました。
「いや、私たちでは無理だ……」
「え? どうするんだ?」
「とにかく逃げ出さないようにここに固定し、アスカンタに援軍を願い出る。私とマリオン、あと数人くらいで見張り、アランにアスカンタへ使いを出す……」
「無理ですよ」
いつの間にか近くに来ていたカッサンドラ。
「……アスカンタ軍でもこのトロルは無理です。大砲か何かを用意し、全方位から攻撃してどうにか、ってところです。このトロルは、非常に硬いんです。……さすがにアキレス腱は強くなりませんでしたから、靴を履かせていたのに……。脱いでしまって……あのバカ者めが……」
ククールが仕掛けた木の堰に引っ掛かり、トロルが止まりました。トロルは、何があったんだというような顔をして、横になったまま、あたりを眺めています。
「少し落ち着いたのか……?」
マリオンが言います。
「どうだろうか……」
団長様も注意深く様子を見ています。
「さて、お二人とも、このトロルの強さはお分かりになったでしょう」
「このトロルを戦場に?」
マリオンが尋ねます。
「いえいえ、そんな無粋なことはしません。魔物を使って攻め込むことはご法度です。煉獄島行きだ。このトロルはあくまでも魔術訓練用。もう少し改良して、おとなしくさせなければならないが……」
トロルは、カッサンドラを見つけ、少し神妙な顔をしています。
「どうしますか、マルチェロ殿。私が命令すれば、このトロルを黙らせることも、あなた方を攻撃することもできます。あなたが私に加担し、マロウ君も魔法学校へ来ることが条件です。そうですな、時間を差し上げましょう。……トロルの傷をみてやらなくてはなりませんから……」
そう言って、カッサンドラはトロルの方へ行きました。
「どうするんだ、マルチェロ……」
「どう、と言われても。カッサンドラに加担することはない」
「だが……」
「とにかく、騎士団を引き揚げさせる。さっきの通りだ。アランをアスカンタに……」
「この場で全滅させられるかもしれないんだぞ?」
「ならば、ホイミンをカッサンドラに渡すのか? あんなトロルを作って、究極魔法を仕込もうなぞ、常人のすることではない。ホイミンを犠牲にして、騎士団は生き延びるのか? そうしたならば我らの義はどうなる! 神の剣がただ一人の意のままに動くことなどあってはならん」
「……そうだな。悪かった。ホイミンを全力で守ろう。お前の言う通り、騎士団を撤退させて、アランに……」
「団長どの!」
ククールがやってきました。ホイミンも一緒です。
「騎士団員のほとんどが下山しました。動けるものはトロル落下に備えて見張りに立っています。川沿いの教会までは歩けそうにないので、ふもとでキャンプ張りました。指示を聞いて来いってアラン……殿に言われて来ました」
「そうか」
「ククール、だからってホイミンを連れてくるなよ」
マリオンは心配そうにしています。
「いや、団長どのやマリオンが怪我でもしてたら困りますし……」
「私のベホイミでは足りないとでも?」
「あ、いえ、そういうわけじゃねーですけど……」
団長様ににらまれて、そっぽを向くククールです。
「団長殿、私が一緒に行きたいとお願いしたんです。お怪我のことも少しありましたが、……もし、カッサンドラ様が……」
「カッサンドラが?」
団長様は、ホイミンの言いたいことがわかるようで、強くその瞳をご覧になりました。
「あの……もし、その、私のせいで……」
「ちゃんとこっちを見ろ!」
うつむいてしまったホイミンを叱ります。
ホイミンは少し震えながら団長様の深い緑色の瞳を見つめました。ククールとマリオンは静かに二人を見守ります。
ホイミンは、一度視線を外し、すうっと息を吸いました。そして団長様を見上げ、とても早口で言いました。
「あの! 私がカッサンドラ様の学校へ行くことで丸く収まるのなら、行こうと思います!」
「丸くは収まらない!」
即答なさる団長様。
「え……あの……」
「お前は、私たち騎士団をなんだと思っている? お前とて見習いだろう? 同じことを院長様が申されたら納得するのか!」
団長様はホイミンに厳しく言い放ちました。
「え、院長様???」
ククールとマリオンは、「どうしてここで院長様がでてくるんだろう?」と顔を見合わせました。
「……もし、院長様が『味方にならなければ大砲を修道院と孤児院に10000発打ち込む』と言われたから、罪のない者を煉獄島に送り込む仕事をするとおっしゃったら、お前は納得するのか?」
「そんな! 納得しません! そんなひどいこと……院長様にしてほしくなんてありません!」
団長様とホイミンは真剣です。
「な、なんでそんなたとえ話? これ必要?」
「俺にもわからないよ……」
ククールとマリオンは半ばあきれて二人のやりとりを見ています。
「では、院長様がお断りした次の瞬間、修道院と孤児院が大砲に囲まれたとしたら、お前はどうする?」
「それは、もちろん、戦います! 大砲なんて、キャッチして投げ返します!」
「正解だ!」
正解だ、と言い放つ団長様。
「キャッチできねえだろ、大砲の玉なんて……」
「当たり前だろう……」
二人は膝を抱えて座り込みました。
「では、もうカッサンドラのところへ行くなんて言うな」
「はい……」
なぜか急に優しくなる団長様。ホイミンはうっとりしています。
「コント、終わったんだな?」
「ああ。……コントだったのか」
ククールとマリオンは、小さく拍手しました。
すると。
「ゴガガガガガガーーーーーーーッッッッッ!!!」
「わかったわかった……」
「グギャアアアーーーーーーーーーーッッッ!!!」
「ほれ、落ち着きなさっ……わっ!」
見ると、トロルを治療したカッサンドラが、トロルにじゃれつかれています。
「あっちもコントなのかな……」
「ああ……そうかもしれないな」
怪我の治ったトロルは、気味の悪い笑顔でその場に立ち上がり、ご機嫌の様子です。と、その時。
「うわっ!」
ごきげんなトロルの相手をしていたカッサンドラが足元の木に躓き、転んでしまいました。ばったりと、それこそコントのように倒れたカッサンドラは、すぐには立ち上がれないようです。
「うへっ、痛そう……」
「大丈夫でしょうか……」
「どうかな。気を失うかもな」
ククール、ホイミン、マリオンが順にそんなことを言いました。
「おい、今ここでカッサンドラが気でも失ったら大変だ! 助けるぞ!」
「え、なんでですか、団長どの?」
「バカ者、あのトロルをおとなしくさせられるのはカッサンドラだけだ」
「お待ちください!」
団長様は、カッサンドラを助けようと前に進み出ますが、ホイミンに止められました。
「グヘッ?」
団長様が一歩前に進んだのと、トロルがこちらを見たのと、ほぼ同時でした。
「早く、こちらに!」
ホイミンが団長様を林の奥へ誘導します。
「ウギッ?」
トロルは暗い林の中に入った団長様の姿を探してこちらをのぞき込んで来ます。
「お静かに!」
「なんなんだよ、ホイミン!」
マリオンが尋ねますが、ホイミンは「しーっ」と、人差し指を唇に当てています。
「グオッ?」
トロルはきょろきょろしていましたが、カッサンドラが起き上がったので林に背中を向けました。
「どういうわけだ? 説明しろ」
「はい。カッサンドラ様の意識がないままで、あのトロルが私たちを見たら、必ず襲ってきます。さんざん攻撃された相手ですし、激しい攻撃になるでしょう。そして、トロルは治療を受けて体力満タンのはずですから、正攻法では私たちに勝ち目はありません」
「そうか、そこまで読んでいたとは。……まあ、カッサンドラも気がついたようだし。もう出て行っても大丈夫だろう」
ホイミンが意外と深い考えで動いていたことに、マリオンはいたく感心しました。カッサンドラの様子を見ると、自分たちを探しているように見えます。
「いや、待てよ。マルチェロ、このまま山を下りるか? 団員の様子も心配だ」
「そうですね、団長殿。カッサンドラ様とは改めてお話を」
「そうだな……」
マリオンとホイミンの意見に、団長様も同意します。
「でもさ、そううまくいくかな」
ククールです。
「どうしてだ?」
「ああ、だって、兄貴が仲間になるのとホイミンを学校に入れるのが目的だろ? ……兄貴のことは多分無理ならしょうがないって思ってるだろうけど、何度も断ったホイミンなのに、勧誘がしつこすぎる。こんなトロルまで出してきてさ。カッサンドラが命令すれば言うこと聞くんだから、トロルが逃げたって問題ないじゃん? それなのにここへオレらを呼びつけたのは、どう考えたってカッサンドラが仕組んだことだ。言う通りにしなければ騎士団を全滅させるってんだろ? 今オレたちが出て行かないと、あいつらは山を下りて、オレらのキャンプへ行くぜ? あそこは怪我人だらけだ。騎士団員を人質にでもされたら、それこそ……」
ククールの意見も一理あります。
団長様は腕を組んでしばらく考えていらっしゃいました。
「……いや、ここで出て行っても同じこと。足場の悪いこの斜面では戦えまい。私はカッサンドラに加担するつもりはない。ホイミンもだ……戦いは避けられないとしたら、いっそ山を下りたところで迎え撃つほうが良い。とりあえず、ククール、お前とホイミンは先にキャンプに戻れ。治療の続きをするのだ」
「りょーかい!」
「承知いたしました!」
二人は元気に山道を下りていきます。
「……さあ、そろそろいいでしょう。マルチェロ団長殿?」
ホイミンとククールの姿が見えなくなったところで、声がかかりました。振り向くと、すぐ近くにカッサンドラが来ているではありませんか。
「い、いつの間に???」
「……この山はね、年じゅう訓練で使っているんですよ。いろいろ仕掛けもありますしね。どこに隠れていても無駄です」
「そうですか」
「マロウ君は下に行ったのでしょう?」
「はい」
カッサンドラに隠し事をしても無駄のようだと思った団長様。結局カッサンドラと山を下りることになりました。
「我々のキャンプをトロルに攻撃させるおつもりですかな?」
「さて、どうしましょうか……」
まだ続きます。